月刊 栗原勇蔵(2019年12月号)


月刊 栗原勇蔵(2019年12月号)

2020/1/1 Google画像検索より

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引退発表(2019/12/2)

2019/12/2 栗原勇蔵選手、現役引退を発表。 #4everTricolore
 
 

2019/12/06 【Jの輪】引退決断の栗原勇蔵「家族より長い時間一緒にいたかもしれない」 | サカノワ

–いつも傍にいた榎本哲也、そして兵藤慎剛。

 テツ(榎本哲也)は僕にとって特別な存在で、唯一の同期であり同級生。藤本(淳吾)もそうですが、テツは中学1年からずっと一緒で、ジュニアユース3年、ユース3年、プロで15年ぐらい、トータル20年ぐらいほぼ毎日顔を合わせていて、もしかすると家族よりも長い時間一緒にいた可能性もあります。

 そういう存在なので、今季、浦和から富山に移籍してしまい、毎日いた顔が急にいなくなる。そんな家族のようなヤツが、パッと目の前からいなくなってしまい、それはちょっと寂しかったですね(笑)。

 もう仲がいいとか、そういう間柄ではないと言うか、そこにいてくれるのが当たり前のようなヤツでした。

 試合に出ているかどうかはチェックしています。だから、居て当たり前で、その時は感じないけど、いなくなってから重要さ、大切さが身に沁みました。普通でいることがどれだけ幸せかを感じさせてくれた一人です。

 僕からつなぐのは、兵藤(慎剛)でお願いします。

 テツと比べれば時間は短いけど、いつも一緒にサッカーをして、プライベートでも一番仲良くしていて、そういう意味で、自分の中では、デカい存在でした。

 後輩ではありますが、いろんな楽しいことをして、サッカーでは悔しい思いも嬉しい思いもして、そういうところでとても大切な存在でした。

 僕自身はその時々の感覚で動いているタイプ。兵藤は頭が良くて、いろいろ計算できる。自分がどの位置にいるかを客観的に考えて行動できて、そういった意味でも賢いタイプでした。

 旅行で兵藤の家に泊りに行ったこともあります。ほぼずっと一緒にいたので、テツのように、いなくなってから寂しい気持ちもありました。

 ただ、まずサッカー選手として、自分が一番評価されて、試合に出られることが一番だと。その道を選んだので、今は離ればなれですけれど、活躍してくれることを楽しみにしています。

[取材・文:塚越始]

2019/12/07 [町田]富樫敬真が横浜FM対FC東京、それに栗原勇蔵について語る。「複雑な心境」「寂しい」 « サッカー専門新聞ELGOLAZO web版 BLOGOLA – Jリーグ練習場レポート毎日更新!

 12月2日に今季限りでの現役引退を発表した栗原勇蔵に対して、横浜FM在籍時にお世話になったという富樫敬真は「寂しい」思いに支配されている心境を吐露した。

 普段から「かっこいい、優しいお兄ちゃん」として慕っていた富樫は、栗原のプレーヤー像について、「勇蔵さんが後ろにいることで安心感があった」。2016年の5月にU-23日本代表のメンバーとしてガーナのフル代表と対戦したとき、普段から栗原クラスのCBとマッチアップを繰り返していたことから、「ガーナをそれほどすごいとは感じなかった」という。

 なお、J1最終節は首位・横浜FMと2位・FC東京が激突する“優勝決定戦”が組まれているため、両チームに在籍していた富樫にとっては、複雑な心境にある。マリノス一筋18年・栗原の引退に華を添える意味でも、横浜FMが優勝し、「この上ない引退セレモニーをしてほしいなという気持ちもある」と言うが、もちろんそう簡単に割り切れるものでもない。

「(昨季までプレーした)FC東京は一緒にやっていたメンバーも多いし、長谷川健太監督体制の立ち上げからの過程も知っているので、そういった意味でもFC東京にも優勝してほしい。でも、マリノスはプロ入りからお世話になったクラブだし、喜田(拓也)がシャーレを掲げるのを見るのも感慨深いから、横浜FMにも優勝してほしい。複雑な心境です」

 Jリーグチャンピオンの称号が与えられるのは1チーム。その結果は神のみぞ知るが、富樫は「目に焼き付けて今後の自分のパワーに変えたい」と話した。

 
 

2019J1リーグ 第34節 vs.FC東京(2019/12/7)

【試合結果まとめ(3○0)】2019/12/7(土)14:00KO J1第34節 横浜F・マリノスvs.FC東京@日産スタジアム #横浜FM対FC東京 #TheBigFinal

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引退セレモニー

横浜15年ぶり優勝は松田直樹さんとともに…今季限りで引退の栗原が背番号「3」でシャーレ掲げる― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜が2位・FC東京との直接対決となった今季最終戦を3―0で制して優勝を決めた。横浜の優勝は2連覇した2003、2004年以来15年ぶり4度目。昨季12位からの大躍進で、優勝賞金3億円を獲得した。Jリーグ史上最多を更新する6万3854人という大観衆の前で決めた優勝だった。

 優勝セレモニーでは主将のMF喜田拓也(25)が受け取ったシャーレを掲げた後、今季限りでの現役引退を表明し、この試合をスタンドから見守った元日本代表DF栗原勇蔵(36)もピッチに降りて来てシャーレを掲げた。

 背番号「4」の栗原だが、上半身にまとっていたのは背番号「3」のユニホーム。7学年上の尊敬する先輩で、2011年8月4日に急性心筋梗塞のため34歳の若さで亡くなった元日本代表DF松田直樹さんの背番号を前面にしたシャツで天国のマツに優勝を報告した。

横浜ひと筋18年…栗原「皆さんにお礼を言いたい」 松田さんお墓へ優勝&引退報告を― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 首位・横浜と2位・FC東京のリーグ優勝をかけた首位決戦が7日に日産スタジアムで行われ、横浜が3―0で勝利し、04年以来15年ぶりのリーグ制覇を果たした。激闘の後、今季限りでの現役引退を発表した元日本代表DF栗原勇蔵が引退セレモニーに臨んだ。セレモニーでは元日本代表監督で、この日スタジアムで試合を観戦したザッケローニ氏らがビデオメッセージを寄せ、ピッチを去る背番号4に「グッドラック」などと労いの言葉を送った。

 栗原は「本日は寒い中、ありがとうございました。優勝でこのスピーチができるということで、寒いですけどほっとしました。30年前、サッカーを始めて地元で背番号4番をもらいました。そこからサッカー人生が始まり、今日引退します。4番が運命だったのかと思っています。今日はここにいる皆さんにお礼を言いたいです」とあいさつ。チームメート、監督らスタッフ、家族、友人、そしてファン、サポーターに対する感謝を真摯に述べ、「本当に18年間、ありがとうございました。これからも横浜F・マリノスとと栗原勇蔵をよろしくお願いします」と締めくくると、スタンドからは大きな「勇蔵」コールが送られた。

 試合後、報道陣に対応した栗原は「最後にコールが聞けて良かった」と改めてファン、サポーターに感謝。優勝セレモニーではクラブのレジェンド故・松田直樹さんが背負った背番号3のユニフォームでシャーレを掲げたが、「実はまだ墓参りに行けていない。引退したら行こうと思っていたので、“辞めるので行きますよ”と思いながら掲げた」と明かした。

 横浜一筋のプロ18年生活にピリオドを打ち、今後はクラブスタッフとして手腕を発揮していくことになる。報道陣から「現役時代の思い出は」と問われると、「今日ですかね」と少し照れたように笑った。

横浜・栗原、引退セレモニー 松田さんのユニ着る― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 今季限りでの現役引退を発表した横浜の元日本代表DF栗原が引退セレモニーに臨んだ。

 背番号4のTシャツを着た仲間に見守られながら「これから横浜F・マリノスと栗原勇蔵をよろしくお願いします」とあいさつ。セレモニーではこの日来場していた元日本代表監督ザッケローニ氏からメッセージも贈られた。優勝セレモニーでは故松田直樹氏が背負った背番号3のユニホームを着てシャーレ(優勝皿)を掲げ、「重かったね」と頬を緩めた。

引退セレモニー、栗原勇蔵の口から出た幾度もの「ありがとう」 – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ)

 日産スタジアムでは7日、横浜F・マリノスの元日本代表DF栗原勇蔵の引退セレモニーが行われた。

 ジュニアユース年代から横浜FM一筋でプレーしていた栗原は先日、今シーズン限りで現役を引退することを発表。そして現役生活最後の日になった7日、横浜FMは明治安田生命J1リーグ最終節でFC東京に3-0で勝利し、優勝を決めた。栗原がピッチに立つことはなかったが、試合後に最高の雰囲気の中で引退セレモニーが行われた。

 ピッチに登場した栗原は、「ここにいる皆さんにお礼が言いたいです。まずは、こんな最高な雰囲気の中、優勝してくれて本当にありがとう。チームメイトのみんなには感謝しています。ありがとう。マリノスを去った元チームメイトにもありがとうと言いたいです」と何度も「ありがとう」を伝える。そして、それはサポーターから学んだものだという思いがあるようだ。

 「サポーターの方々。僕はサポーターの方に感謝という言葉を教えてもらいました。良い時も、悪い時も、誰よりも大きな声で応援してくれたこと、一生忘れません。いつか恩返しできるように頑張っていきたいと思います」

 そして、2011年8月4日に急性心筋梗塞で亡くなった元チームメイトの故・松田直樹氏にも「(上を見て)マツさんかと思いました。マツさん、引退します」と報告。サポーターに「このスタジアムにいる方全員で、最後、僕のコールをしていただけたらと思ってます。お願いします(笑)」とコールをしてもらい、ピッチを一周し、現役生活の幕を閉じた。(Goal.com)

引退の横浜M・栗原、“15年前の連覇知る男”が松田さんユニで歓喜 – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ)

 明治安田J1最終節(7日、横浜M3-0FC東京、日産ス)今季限りで引退する横浜Mの元日本代表DF栗原はベンチ入りできなかったが、現役最終戦をホームでの優勝で飾った。セレモニーでは「背番号4のユニホームを脱ぎます」とあいさつ。観戦に訪れた元日本代表のザッケローニ監督からもねぎらわれた。マリノス一筋18年、2003、04年の連覇をただ一人知る36歳は11年に病死した松田直樹さんの背番号3のユニホームを着て、優勝シャーレを掲げた。

【横浜M】ロッカールームに故・松田直樹さんのユニホーム…栗原も試合後に着用 : スポーツ報知

 横浜Mはホームで2位・F東京との直接対決を3―0で制し、2004年以来15年ぶりのリーグ優勝を飾った。今季限りで引退の元日本代表DF栗原勇蔵(36)は、試合後に元チームメートで11年に急性心筋梗塞のため急逝した元日本代表DF松田直樹さんの背番号「3」ユニホームを着用し、天国の先輩に優勝をささげた。

 栗原は松田さんのユニホームを着てシャーレを掲げたほか、セレモニーでは「マツさん、引退します」と亡きチームメートに現役生活との別れを報告した。

 松田さんのユニホームは、ロッカールームにも掲げられていた。元日本代表FW李忠成は自身のインスタグラムにロッカールームの様子を動画で投稿。壁には選手やスタッフの国旗だけでなく、今季所属し他クラブへ移籍した選手のユニホームも張り出された。その中に、松田さんの「背番号3」ユニホームも混じっていた。

【横浜M】引退の栗原「プロ生活で一番の思い出は今日です」 : スポーツ報知

 今季で引退する横浜M・栗原は、メンバーには入れなかったが、優勝で現役生活を締めくくった。

 試合後の引退セレモニーでは、かつて横浜Mで共に戦った富山GK榎本哲と京都MF藤本が駆けつけた。02年にトップに昇格して以来クラブ一筋18年の36歳は「マツさん(故・松田直樹)やめるのでお墓参りに行きますよと思って、シャーレを掲げました。プロ生活で一番の思い出は今日です」と感慨深げに話した。

引退横浜栗原が「3」着用し天国の松田さんへV報告 – J1 : 日刊スポーツ

首位で最終節を迎えた横浜F・マリノスが、2位FC東京との優勝を争う直接対決を3-0で制し、04年以来15年ぶり4度目の優勝を決めた。

ピッチ上でのセレモニーではJリーグの村井満チェアマンから贈られた優勝銀皿(シャーレ)を、今季限りで引退する元日本代表DF栗原勇蔵が掲げる、感動的なシーンもあった。

下部組織からトリコロール一筋の男の中の男に、シャーレを掲げさせ引退の花道を作る最高のフィナーレ。

そのやんちゃな栗原は、Tシャツの中にシャーレを隠して持ち帰ろうとするなど、湿っぽい場面はなかった。

ただ、その後、栗原が横浜の象徴でもあった故・松田直樹さんの背番号3のユニホームを着用して再登場。クラブ全員で、15年前の優勝時の主力だった天国の松田さんへシャーレを掲げ、優勝を報告した。

Jリーグ史上最多6万3854人が集まったスタジアムは、大いにわいた。

引退の横浜栗原「感謝」観戦ザック元代表監督も労い – J1 : 日刊スポーツ

首位横浜F・マリノスが2位FC東京との直接対決を3-0で勝利し、04年以来15年ぶり4度目のリーグ優勝を決めた。

  ◇   ◇   ◇  

今季限りで引退する元日本代表DF栗原勇蔵が、試合後のセレモニーでファンに最後の別れを告げた。横浜の下部組織で育ち、02年に加入以降も横浜一筋で18年間プレー。今季リーグ戦出場はなかったが、最後の1年を優勝で飾り「こんな最高の雰囲気の中、優勝してくれてチームメートに感謝しています。本当に18年間ありがとうございました」。観戦に訪れた元日本代表監督のザッケローニ氏からもねぎらわれた。今後はスタッフとして残る見通し。

横浜仲川ルーティンは天国祖父母への思い/記者メモ – J1 : 日刊スポーツ

<とっておきメモ>

首位横浜F・マリノスが2位FC東京との直接対決を3-0で勝利し、04年以来15年ぶり4度目のリーグ優勝を決めた。FW仲川輝人(27)が今季15得点で同僚のFWマルコス・ジュニオール(26)と共に得点王に輝いた。

  ◇   ◇   ◇  

立派な晴れ姿を届けることができた。試合終了の笛を聞くと、仲川は目を閉じて、両人さし指を空へ向けた。得点時やキックオフ時などにも行っているこのしぐさには、誰よりもかわいがってくれた祖父母へ向けた思いが込められている。

高校時代に祖父、大学1年の頃に祖母が亡くなった。仲川は「かわいがってもらいましたし、自分のプロでの活躍を誰よりも願ってくれていた。どこかで見てくれているだろうなと思っています」。大学時代から続けるルーティン。そして今日、リーグ制覇を成し遂げると、ピッチに膝をついて目を閉じ、約10秒間、空に思いをはせた。「自分に関わってくれた人への思いや感謝の気持ちは大事にしている」。派手な見た目とは裏腹に、家族思いな一面も持っている。

横浜V無縁の15年間は激動…債務超過に拠点閉鎖も – J1 : 日刊スポーツ

首位横浜F・マリノスが2位FC東京との直接対決を3-0で勝利し、04年以来15年ぶり4度目のリーグ優勝を決めた。

  ◇   ◇   ◇  

リーグタイトルから遠ざかった15年間は、横浜にとって激動の期間だった。95年からチームの浮沈を見守ってきた袴田聖則オペレーションダイレクターは「いろんなことを我慢しながら『優勝すれば変わるぞ』と頑張ってきた」と振り返る。

93年のJリーグ創設時から鹿島アントラーズとともに1度もJ2降格のない名門。しかし、近年は債務超過に陥ることが増え、16年には練習拠点「マリノスタウン」を閉鎖。クラブハウスはなくなり、今でも練習は神奈川県内にある複数の天然芝ピッチを転々としながら行う。

J1クラブとは思えない環境にも支えになったのは“名門”の看板。「『マリノスのような伝統クラブでプレーできるのはなかなかない機会だからうれしい』と言って来てくれる人もいた」と袴田氏。厳しい状況から名門横浜を立て直す。選手、スタッフ一丸となってつかんだタイトルだった。

激動1年の横浜畠中「技術や迫力など全て違う」手記 – J1 : 日刊スポーツ※一部抜粋

J1優勝を果たした横浜F・マリノスでここまで唯一の全試合フル出場を果たしている日本代表DF畠中槙之輔(24)が日刊スポーツに手記を寄せた。チーム唯一の全試合フル出場で優勝に貢献。結婚や日本代表初選出、そしてJ1制覇と、激動の1年となった今季を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

満員の日産スタジアムで最高の景色を見ることができました。辛抱強く使ってくれた監督にも感謝しています。19年はこれまでのサッカー人生の中でも思い出に残る1年で自信にもなりました。

昨年8月(J2東京V)から加入しましたが、当初は苦しい時期もありました。試合に出られる自信を持って移籍してきたのに、なかなか使ってもらえない。J1は技術や迫力など全てが違いました。何かを変えようと、身を清めるために1人でパワースポット巡りに出かけようとしたこともありました。危機的状況で支えてくれたのが、今日引退された(栗原)勇蔵君。「お前だったら絶対にチャンスはもらえる。今は準備の期間だ」。ずっと声をかけてくれました。勇蔵君の練習に対する姿勢も学ぶものが多かった。本当に感謝しています。

横浜、記録づくめの戴冠劇!史上最多観客数に初の同一チーム得点王2名、タイ人初のJ優勝、さらに令和初の… | サッカーダイジェストWeb

 J1リーグは12月7日、最終節が行なわれ、横浜F・マリノスが優勝を懸けて臨んだFC東京との一戦に3-0で完勝し、15年ぶり4度目の優勝を飾った。

 この試合で横浜は久々のリーグタイトルを手にするとともに、多くの記録を生み出して、優勝に花を添えている。

 まず、この日行なわれたFC東京との一戦は優勝決定戦となる注目カードとなったこともあり、チケット完売の超満員となった。公式記録での観客数は6万3854人と発表され、これは93年のJリーグ開幕以降の歴代最多観客数となった。

 得点王レースでは、33節終了の時点で横浜のマルコス・ジュニオールと仲川輝人が15得点で並んでいたが、ともにこの日は得点なく終わり、横浜から2名の得点王が生まれている。同一チームから2名の得点王が出るのは史上初。また、15得点は史上最も少ないゴール数でもある。

 さらにFC東京戦で先制ゴールを奪ったのは、左サイドバックのタイ代表DF、ティーラトンだが、タイ人選手がJリーグのシャーレ(優勝盾)を手にしたのも初めて。今季神戸から移籍してきた”悪魔の左足”の異名を持つタイ代表キャプテンは、25試合に出場し、3得点をマーク。15年ぶりの優勝に大きく貢献している。

 また、今シーズンは5月1日に、平成から令和に改元されたこともあり、横浜は“令和初チャンピオン”としても記憶されることになる。

「育ててもらったクラブだから…」横浜戴冠の立役者・仲川輝人が優勝決定後に“古巣”川崎へ送ったメッセージ | サッカーダイジェストWeb

 2004年のリーグ優勝以来、15年ぶりのタイトル奪取に沸いた横浜。そのトリコロールカラーに染まったスタジアムの中心に、仲川輝人は立っていた。

 試合はまさに横浜の横綱相撲といった展開だった。逆転優勝へ4点差の勝利を必要としているFC東京に対して、引いて守勢に回ることなく攻め抜いた。前半に2点、後半に1点と畳みかけ、優勝を争ってきたライバルを打ちのめしたのである。

 チームが得点を重ねていくなかで、ピッチを縦横無尽に駆け回って、献身的な振る舞いを見せた仲川。結果は無得点に終わり、チームメイトのマルコス・ジュニオールと得点王(15点)を分け合う格好となったが、「一番はチームとしてタイトルが欲しかった」と、大一番を終えての想いを口にした。

「自分の思い描いていたのは、自分が点を取って、優勝。それが一番の理想でしたけど、とりあえず優勝して良かったですし、マリノスへの恩返しになったとは思います」

 今シーズンの仲川はまさにMVP級の活躍ぶりだった。公式戦出場36試合で15得点・13アシストをマークし、リーグ最多68得点を記録した自慢の攻撃陣を牽引する存在となった。

 シーズン終盤のジュビロ磐田戦(28節)から5試合連続ゴールを決め、タイトルへのラストスパートに貢献するなど、出色のシーズンを送った27歳の韋駄天だが、自身の活躍におごり高ぶるような素振りは見られない。試合後には、中学時代から6年間を下部組織で過ごし、原点とも言うべき、“古巣”への感謝を忘れはしなかった。

「フロンターレは、育ててもらったクラブでもあるから忘れちゃいけない。そこはしっかりと感謝の気持ちを持ちたい。マリノスにも育ててもらいましたけど、いい関係というか、どちらにも感謝したいです。

 自分がユースを卒業したぐらいから止める、蹴るっていう基礎みたいなものが、トップから下部組織におりてきた印象がある。だから、もうちょっと後にユースに居たかったというのはあります。けど、球際で負けないとか、走り負けないという部分を育ててもらった。それをやってくれたのはフロンターレなので」

 優勝の余韻に浸っている仲川だが、のんびりとしてはいられない。来る10日に韓国で開幕する東アジアE-1選手権に臨む日本代表に初選出されているからだ。

 森保一監督から「チームでの存在感は代表にふさわしい。これから先の戦力となり得る可能性を秘めている」と期待を懸けられ、あの木村和司や中村俊輔といった横浜のレジェンドも背負った10番をいきなり託された“ハマのスピードスター”は、アジアのライバルとのマッチアップに胸を躍らせた。

「日本でやっていないような体格だったり、激しいプレーもJリーグ以上なイメージはある。そこで負けないようにというか、そういったなかで自分のプレーを出していかないといけない。凄い楽しみですし、それもまた成長に繋がると思う。アジアのレベルというのを知れればいいと思います」

 果たして、Jリーグで異彩を放った仲川は、11月の代表シリーズで低調なパフォーマンスが続いた森保ジャパンの新たな起爆剤となり得るのか――。「もっともっとやんなきゃいけない」と飽くなき向上心を垣間見せる男への期待値は高まるばかりだ。

取材・文●羽澄凜太郎(サッカーダイジェストWeb編集部)

横浜番記者が知る栗原勇蔵という男。「マリノス一筋」を貫いたプレーヤーの素顔と本音とは? | サッカーダイジェストWeb

 勇蔵に出会ったのは、2006年の夏だった。

 当時の横浜には03-04年にリーグ2連覇を成し遂げた錚々たる顔ぶれが揃い、新米記者で20代前半だった自分には、話しかけるのも恐れ多い選手ばかり。気軽に雑談できる選手など見当たらず、毎日が緊張の連続だった。

 そんな中で、たまたま同い年だった勇蔵と馬が合った。自分も学生時代にCBだったから興味があったというのもあって、積極的に話しかけた。いつしか付き合いは練習グラウンドを飛び出し、プライベートでも多くの時間を過ごすようになった。

 距離が縮まった直接の理由は覚えていない。思い当たる節があるとすれば、共通の趣味が『プロレス』だったこと。プレステ2のプロレスゲームでよく対戦したけど、切った張ったの世界で生き抜いてきた勇蔵にはなかなか勝てなかった。

 ゲームと言えば、種目を変えてサッカーなら勝ち越していたと思う。負けず嫌いの勇蔵はそれを認めないはずだが、田中裕介(現・岡山)あたりに聞いてみれば分かるだろう。スピードのある選手をウイングに置いてゴリゴリとドリブルを仕掛けてくる勇蔵のオフェンスはワンパターンだった(笑)。

 どんな時でも勇蔵の周りにはたくさんの人がいた。先輩には弟のように可愛がられ、後輩からは兄貴分として慕われる。23~24歳だった勇蔵は、チーム内で若大将のような立ち位置にいた。というか、寂しがりの勇蔵は必ず誰かと一緒に行動していた。

 あれから12~13年の付き合いになるけれど、後輩からのオファーを断った場面は一度も見たことがない。「オレは向こうから来るヤツにちゃんとするよ」と漢気溢れる言葉を聞いたのも一度や二度ではない。勇蔵に世話になった後輩Jリーガーは、日本全国に数えきれないほどいる。こんなにリスペクトされている選手を、自分は他に知らない。

 たくさんの仲間たちがさまざまな理由で横浜から離れていく中で、引退まで勇蔵だけは横浜一筋を貫き通した。それだけで愛の大小を語るのは他の選手に失礼かもしれないけれど、誰よりも大きな横浜愛と強い横浜魂を持っていたのは間違いない。

 マツさん(故・松田直樹)が亡くなってからは、契約更改後に「マリノス一筋」を宣言するのが恒例行事になった。その言葉にクラブとサポーターがどれだけ救われたことか。メディアの立場からすると格好のネタだったのも事実。でも言える選手は限られているし、誰もが気軽に言っていい台詞ではないから、それは勇蔵の役目だったのだろう。

 30歳を過ぎてからも他クラブからのオファーはあったし、どうすべきか考えている姿も見てきた。今後の人生設計など、いろいろシミュレーションしていたのだろう。条件面だけなら、もっといいオファーもあったと思う。でも最後は、いつもマリノスへの愛情が勝った。

 出番が減ってきたここ数年は、いつ区切りをつけるかずっと考えていた。「ずっとマリノスの選手でいたい。でもオレがいたら1枠使ってしまうわけで、例えばそれで若手がひとり入れなくなる」と悩んでいた。どこまでも物事を俯瞰して考えている男だなと感心させられた。

 プレースタイルだけを切り取るとフィジカルやヘディング、豪快といった類のワードが並ぶのだと思う。でも実際はとても思慮深く、繊細で、気遣いの人だ。自分自身を「アスリート向きではない」と話すのは、違う仕事や役割にも適正がある新たな可能性と考えていい。

 これからの活躍の場は、現場での指導者か、はたまたバックオフィスか。いずれにせよ選手生活が終わってからも、勇蔵はトリコロールの一員のままだ。ファン・サポーターにとって、これ以上の形はない。

文●藤井雅彦(ジャーナリスト)

【栗原勇蔵PHOTO】マリノス一筋18年!リーグ優勝とともにピッチを去り、天国の松田氏にも・・・ | サッカーダイジェストWeb

今季で引退の栗原勇蔵、背番号3を着て掲げたシャーレ「マツさん、もう辞めるので…」 | ゲキサカ

 背番号3のユニフォームを着た横浜F・マリノスDF栗原勇蔵がシャーレを高々と掲げた。今季限りでの現役引退を発表していた栗原は15年ぶりのJ1優勝を天国の松田直樹さんに報告するとともに、ある思いも伝えていた。

「実は墓参りに行ってなくて。引退したら行こうかなと思っていたので、『マツさん、もう辞めるので行きますよ』と思ってシャーレを上げました」

 シャーレの重みも実感していた。横浜FMが前回優勝した04年はプロ3年目。まだレギュラーではなく、当時は「シャーレを持たせてくれたかも覚えてない。シャーレの重さも知らなかった」。横浜FM一筋だった18年間の現役生活。自身は今季リーグ戦で出場機会はなかったものの、リーグ制覇という最高の形で有終の美を飾った。

 引退セレモニーでは自身が長年付けてきた背番号4への思いも語った。「30年前、サッカーを始めて、地元の原FCというところで背番号4をもらった。そこからサッカー人生が始まり、今日、この背番号4を脱ぎたいと思います。この4番は運命だったのかなと思ってます」。小学1年生のとき、当時はFWだったが、初めてもらった背番号が4番だったという。

 4番で始まり、4番で終わった現役生活。一番の思い出を聞かれると、「今日じゃないですかね。こんなにスポットライトを浴びたこともなかったし、最高の思い出になった」とかみ締めた。

(取材・文 西山紘平)

栗原勇蔵が後輩たちへ“最後のお願い”「マリノスに在籍している間は…」 | ゲキサカ

 試合後の優勝セレモニーで挨拶に立った横浜F・マリノス主将のMF喜田拓也は「最後にもう一つだけ言わせてください」と切り出し、今季限りで現役を引退するDF栗原勇蔵への思いを語った。

「横浜F・マリノスにとって、とても大切な、宝物のような存在」。18年間、横浜FM一筋だった11歳上の偉大な先輩に対し、「栗原選手が最後のシーズンにタイトルを取れたことは、栗原選手自身が長い年月をかけて注いできたマリノスへの愛を表しているんじゃないかと思う。この横浜F・マリノスで栗原選手と過ごした時間は僕たちの宝物です。本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べた。

 この言葉に目を潤ませていた栗原はその後の引退セレモニーで「さっきのコメントが僕の中の一生の宝物」と応じ、セレモニー後の囲み取材では「キー坊(喜田)はマリノスタウンで小学生のころから知っている」という後輩への期待と信頼を口にした。

「人間的にも立派だし、僕より10個ぐらい年下だけど、彼のほうが大人。楽しみというか、今後、マリノスをキー坊が引っ張っていってくれるという絶対的な信頼感がある。本当に頼もしい存在」

 喜田だけではなく、すべての後輩たちへエールも送った。「時代が変わって、マリノスをステップアップにして海外に行く選手もいるかもしれないけど、マリノスに在籍している間はマリノスが大好きで、マリノスのためにプレーしてほしい」。下部組織を含めれば24年間。横浜FMのためだけに過ごした現役生活を終えた栗原が最後に語った願いだった。

(取材・文 西山紘平)

 
 

引退後の活動

2019/12/10 現役引退の横浜・栗原、来年キャンプに同行へ 独自の“目線”でクラブ発展に貢献― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜は横浜市内で解団式を行った。現役を引退し、今後はクラブスタッフとして活動する横浜のDF栗原は「現場を離れすぎるのも良くない」と、来年1月に予定されている新体制発表会やキャンプに同行する意向を示した。

 「ずっと会社の中にいるより、外に出ている方が向いている」と18年の現役生活で培った独自の目線も生かし、クラブの発展に貢献していく。

2019/12/10 横浜V2へ環境整備を!専用施設なし放浪生活改善を – J1 : 日刊スポーツ

15年ぶりにJ1制覇した横浜F・マリノスが9日、横浜市内で解団式を行った。アンジェ・ポステコグルー監督(54)が取材対応。質問に答える形で、専用練習場がなく各地を転々とせざるを得ない問題に触れ「口にしてこなかったが(問題を乗り越え)この環境だから成功したと言う気は全くない」と美談にしなかった。16年にクラブハウスや練習場があったマリノスタウンが閉鎖。22年に専用施設が横須賀市内に完成するが「ビッグクラブとして復活したければ環境を整備しないと」。連覇へ、完成までの状況改善を注文して今季を締めた。

引退するDF栗原はクラブスタッフに転身。現役最後の日を終え「具体的には決まっていないけど、選手とスタッフをつなぐ俺にしかできない仕事をしたい。オフィスに机があるか分からないから、まずは手伝いでも合宿に行きたい」と新たな貢献策を思い描いた。

2019/12/ 横浜F・マリノス宮崎キャンプ見学ツアー2020 with栗原勇蔵 のご案内 | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

西鉄旅行株式会社では、「横浜F・マリノス宮崎キャンプ見学ツアー2020 with栗原勇蔵」の申込を、12月27日(金)15:00より受付開始いたします。

1月25日(土)に予定されている練習試合(対戦相手未定)では、関係者しか入ることの出来ない“超最前列”ピッチサイド特別観覧席をご用意。さらに、2019年シーズン限りで現役を引退した栗原勇蔵のトークライブやビンゴ大会、ピッチで一緒にサッカーを楽しめる企画、Jリーグ杯[優勝銀皿]と一緒に写真を撮れる企画などなど、オフィシャルツアーならではの特典も盛り沢山の内容となっています。

ぜひ西鉄旅行の「横浜F・マリノス宮崎キャンプ見学ツアー2020 with栗原勇蔵」をご利用いただき、現地で熱いご声援をお送りいただければと思います。

概要
旅行企画者 西鉄旅行株式会社
協賛 株式会社オウルテック
日時 2020年1月24日(金)~2020年1月26日(日)の2泊3日間

ツアー詳細は西鉄旅行公式サイトをご覧ください。
※天候、その他の事情によりスケジュールが変更となる場合があります。あらかじめご了承ください。

ツアーのポイント
① 練習試合(※対戦相手未定)で、“超最前列”ピッチサイド特別観覧席をご用意 (2日目)
② 栗原勇蔵のトークライブ&ビンゴ大会を開催(1日目)
③ J リーグ杯[優勝銀皿]との写真撮影 (1日目)
④ 栗原勇蔵とピッチで一緒にサッカーを楽しもう!(2日目)
⑤ ツアー参加者限定のファンサービスエリアを設置
⑥ 滞在中は宮崎交通のバス乗り放題チケット付き(3日間)
⑦ 空港内ANA FESTAで使えるお買物券1000円分付き
⑧ ツアーにご参加いただいた方全員に、栗原勇蔵引退記念ロゴが印刷されたオウルテック社製のオリジナルグッズ(非売品)をプレゼント!

 
 

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祝リーグ優勝 横浜F・マリノス爆笑トークを先行公開! – YouTube


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2019/12/2 栗原勇蔵選手、現役引退を発表。 #4everTricolore
 
 

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栗原勇蔵 横浜Fマリノスさん(@yu918zo) • Instagram写真と動画

栗原 勇蔵:横浜F・マリノス:Jリーグ.jp

栗原勇蔵 選手データ | Football LAB

栗原勇蔵 – Wikipedia

栗原勇蔵 | ゲキサカ[講談社]

栗原 勇蔵 | サッカーキング
 
 

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