(´-`).o0(本日は、”イノケン”こと井上選手の26歳の誕生日)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
2024/07/23 マリンおたんじょう日会開催のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(7月27日、28日にトリコロールワン・スタジアムショップで3,300円以上の購入者から抽選で参加可能)
今日の練見(れんみ)
X(旧Twitter) / Instagramなど
Kenta Inoue!!
本日、7月23日は #井上健太 選手の26歳のお誕生日です!
▼ららぽーと横浜と一緒に誕生日をお祝いしようhttps://t.co/jv6dxqtBUH
おめでとうございます㊗️#fmarinos |#ららぽーと pic.twitter.com/2Ti7aSxKAg
— 横浜F・マリノス【公式】 (@prompt_fmarinos) July 22, 2024
Thank you @prompt_fmarinos 🇫🇷⚽️
Hope to see you again 🇯🇵🙏🏻 pic.twitter.com/Ij3DRRNPYK— Tae-hee Nam (@taehee_nam10) July 23, 2024
Webニュースログ
2024/07/24 「ここにいるのが不思議」U-23日本代表に合流のMF植中朝日、母親も驚いた突然のパリ行き!「結果を残したい」【パリ五輪】 | サッカーダイジェストWeb
— 「最初は本当だと信じてくれてなくて…」
U-23日本代表は現地7月22日、フランス・ボルドーでトレーニングを実施。MF植中朝日(横浜F・マリノス)ら、バックアップメンバー3人が新たにチームに合流し、22人全員が集まって初めての練習となった。
練習の冒頭には時折笑顔を見せるなど、リラックスした様子だった植中は、トレーニング後に取材に応じ、次のように意気込みを語った。
「ここに来たからには、ほかの最初から来ているメンバーと、メンタル面とかも合わせていかないといけない。自分が結果を残したい気持ちもありますけど、もともとはなかったチャンス。チームのためにという気持ちが強いです」
クラブの事情で招集できなかったバックアップメンバー佐野航大に代わって急遽、追加で選ばれた植中。J1は7月20日、21日に行なわれた第24節以降、中断期間に入るため、招集を知る前は実家で休もうと考えていたという。
「実家に帰ってゆっくり過ごそうかなと思っていました。姪っ子の誕生日もあったんで、兄貴から誕生日プレゼントを買いに行こうって言われていました(笑)」
ただ、バックアップメンバーではあるものの、突然のパリ五輪行きが決定。これには伝えた家族も驚きを隠せなかったという。
「最初は本当だと信じてくれなくて。母親には『もう嘘はいいって』みたいな感じで言われた。本当に急だったんで、自分は1人暮らしで犬を飼ってるんですけど、母親に言って次の日の仕事を休んでもらって、犬を預けるために迎えに来てもらったりしていた。それは感謝をしています」
自身も「ここにいるのがちょっと不思議」としつつも、U-23日本代表の一員として、すでに切り替えている。「自分はゴール前で違いを出せるのが特徴だと思うし、それを評価してもらってここに呼んでもらってると思う。そういった自分の特徴を前面に出していきたい」と闘志を燃やした。
取材・文●手塚集斗(サッカーダイジェストWeb編集部)
2024/07/23 パリ五輪サッカー代表“ラストサムライ”植中朝日、追加招集から合流「ここにいるのも不思議」― スポニチ Sponichi Annex サッカー
パリ五輪のサッカー男子日本代表は22日、1次リーグD組初戦のパラグアイ戦(24日)に向け、ボルドー市内の練習会場で調整し、冒頭15分を報道陣に公開した。MF植中朝日(22=横浜F・マリノス)らバックアップメンバー3人が練習合流。当初の選外から追加招集でたどり着いたストライカーが、真夏の祭典でネットを揺らす。
大岩ジャパンに“ラストサムライ”が加わった。植中は練習に合流すると、移動の疲れを感じさせない切れのある動きで強烈なシュートも披露。練習後の取材では追加招集の率直な心境を明かしつつ、メダル獲得への貢献を誓った。
「ここにいるのも不思議というか…。だけど、来たからには最初から来ているメンバーとメンタル面でも合わせていかないといけない。自分が結果を残したい気持ちもあるけど、元々はなかったチャンスなのでチームのためにという気持ちが強い」
五輪の登録選手に関するルール変更があり、バックアップメンバー4人を加えた22人の中から体調面などを考慮して試合ごとにメンバー18人を選べる方式となった。ルール変更を受け、日本サッカー協会は18日にバックアップメンバー同行と植中の追加招集を発表。Jリーグ中断期間中に北九州市の実家へ帰省予定だったが、自宅で飼っている愛犬パピちゃんを母親に預け、フランスに乗り込んだ。
本職のFWに加え、インサイドハーフもこなす万能性は過密日程の五輪では貴重な存在だ。「自分はゴール前で違いを出せるのが特徴。それを評価してもらってここに呼んでもらったと思う。自分の特徴を出してプレーしたい」と植中。トリコロールの横浜からやってきた“ラストピース”がフランスで躍動する。
2024/07/23 「もう限界だった」。なぜ藤田譲瑠チマは横浜F・マリノスから海外へ? Jリーグでの悩み多き日々を今振り返る【コラム】
シント=トロイデンVVに所属する藤田譲瑠チマが、サッカーU-23日本代表としてパリオリンピック(パリ五輪)でプレーする。
東京ヴェルディの育成組織からトップチームに昇格し、徳島ヴォルティス、横浜F・マリノスでプレーした藤田を、何が海外移籍へと駆り立てたのか。(取材・文:林遼平)※取材日:6月27日— 「自分はサッカーが好きなんだなと改めて思った1年」
ーー東京ヴェルディでトップチームへの昇格を果たした2020年は、新型コロナウイルスの影響もありプロ1年目から大変なシーズンだったと思います。プロ1年目をどのように過ごしていたのでしょうか?
「最初の方は全くサッカーができませんでした。それでも、5月くらいから少しずつ落ち着いてきて、再開してからは過酷なスケジュールで試合が続きました。ただ、5連戦であったとしてもスタメンで使ってもらえるような状況もあり、その短期間ですごく成長できたシーズンだったなと思います。自粛期間中は本当にチームメートとも会えず、自分で体を動かすしかなかったですし、サッカーができないという状況は自分にとってつらい状況でした。だからこそ、自分はサッカーが好きなんだなと改めて思った1年でもありますね」
ーープロ1年目からほとんどの試合に出られたことは大きかったように思います。
「そうですね。最初の方は全くいいプレーというか、チームのためにというプレーができていなかったんですけど、途中から少しずつ自分がしないといけないプレーがつかめてきて、そこからチームが勝つためのプレーだったり、チームが良くなるためのプレーというのがどんどん増えたかなと思います」
ーー翌年、徳島ヴォルティスへの移籍を決断します。しかし、蓋を開けてみると1年間で28試合の出場にとどまりました。ご自身としてはどのように振り返っていますか?
「自分自身、ヴェルディで自信を積み上げた上で移籍したこともあり、十分戦えるんじゃないかと思ってJ1に挑みました。だけど、監督との相性というのもあって出場機会が最初はなかなか得られず、難しいシーズンだったかなと思います。その中で(シーズンを通して)戦術理解のところや自分の良さを見つめ直したり、自分の悪いところを見つめ直しながら、練習から取り組んでいたことが最後の方は少し実ったのかなと思います」
ーー東京Vでの成功があったからこそ悩みの多い1年だったんですね。
「プロになってから2年目でしたけど、試合に出られなかったり、ベンチ外というのを初めて経験しました。コンディションの部分でも試合に出ている選手と差をつけられてしまうので、そういったところの難しさも感じました」
ーー翌シーズンにはJ1のトップクラブでもある横浜F・マリノスに移籍します。ボランチのポジションも競争が激しい中で、移籍を決断した経緯はどんなものだったのでしょうか?
「まずはヴォルティスがJ2に落ちてしまったというのが一つの要因ではあります。その上でオファーをいただきました。やはり横浜FMのサッカーというのはすごくスピード感のあるサッカーで、自分が今まで経験したことなかったようなものでした。そして優勝を狙えるチームだったこともあって移籍を決断しました」
ーートップレベルの競争に挑んでいった中で、シーズンを通して29試合に出場しました。ご自身の手応えとしてはどうだったんでしょうか?
「連戦があるときはターンオーバーでスタメンの機会は増えていましたけど、最後の方は(主力選手の)牙城を崩すことができずにシーズンが終わってしまった。優勝できたことはすごく嬉しかったんですけど、個人的にはやはり難しいシーズンだったと思います」
ーー藤田選手は自分のことをいろいろ分析しているイメージがあるのですが、その年はどんなところが足りなかったと思っていますか?
「まずは自分の能力的にも90分間を走れる選手でなかったというのが原因だと思います。やはりマリノスの激しいというか、インテンシティの高いサッカーをやっていると、あのときの自分ではまだ70分や80分手前ぐらいまでが良いパフォーマンスを出せる限界でした。個人でパーソナルトレーニングなどもやっていましたが、そういったところが選考基準として足りていなかったのかなと思います」
ーーパーソナルトレーニングは横浜FM在籍時から始めたんですか?
「最初は徳島のスタッフの人と協力してやってもらっていたんですけど、しっかりと別の場所でパーソナルトレーニングを始めたのはマリノスに入ってからです。やはり体作りもまだまだでしたし、強度の部分もマリノスで試合に出るとなると足りなかった。それに海外で戦いたいという気持ちがあった上での移籍だったので、そういったものを含め、まだ自分のフィジカル的にも上げないといけない部分がたくさんあるなと感じていました。振り返ると、その時期は結構詰め込み過ぎだったと思いますけど、やはりもっと強くなりたいという気持ちもあったので、オーバーワークにはならない範囲で詰め込んでいましたね」
ーー2023年はハーフシーズンを横浜FMでプレーし、7月にシント=トロイデンに移籍します。決して絶対的なレギュラーであったわけではないなか、ここで移籍を決めた理由は何だったのでしょうか?
「もう限界だったというのが正直な気持ちです。自分は早く海外でプレーしたかった。優勝した年の冬に移籍できればいいと思っていましたし、もっと早い段階で移籍したいという思いがありました。この移籍が早すぎるという意見はあると思いますけど、自分の中で早く海外挑戦して、行った先で馴染むことが大事でした。そういった思いがあって、この時期に決断しました」
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横浜F・マリノスのタオルマフラーをブログで並べてみた。