今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2023/8/2) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(2023/8/2(水)西村選手が全体練習に復帰)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

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今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(10:00 F・Marinos Sports Park)


 
 

X(旧Twitter) / Instagramなど


 
 

キクマリcafe|第1回前編:畠中槙之輔&永戸勝也 – YouTube
 
 

Webニュースログ

2023/08/02 左太もも裏痛の横浜MF西村が全体練習合流 6日浦和戦で実戦復帰も 中足骨骨折のDF角田は部分合流― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 左太もも裏を痛めて離脱していた横浜F・マリノスのMF西村拓真が2日、神奈川県横須賀市内で行われた全体練習に合流した。
 西村は7月8日のアウェー名古屋戦で左太もも裏を痛めて負傷交代。その後の天皇杯や国際親善試合での出場は見送られてきた。この日、西村の動きを見守ったケビン・マスカット監督は「順調にきている。彼は準備できているが、約3週間もゲームから離れているのでコンディション面はまだ100%ではない」と説明。6日のアウェー浦和戦のメンバーについては「まだ決めていない。残りの数日間で一日、一日を見ながら決めたい」と話したが、西村が約1カ月ぶりに実戦復帰する可能性が出てきた。

 また、5月9日に右第五中足骨骨折の手術を行ったDF角田涼太郎が、8月1日の練習から全体練習に部分合流。「ここまで離脱したのは高校生以来。暑いのでコンディションを戻すのは大変な作業になるけど、早く戻すことに集中したい。ちょっとうずいたりすることもあるけど、プレー中はそんなに感じないので順調」と話した。

 マスカット監督は「彼のリハビリは最終段階。合流して1週間は彼がどういうコンディションでどこまで上がっていくのかを見極める」と当面は慎重に調整を続けさせる方針を示した。

 
 
2023/08/02 横浜F・マリノス史上最強! 伝説の英雄5人。中村俊輔、中澤佑二…歴史をつくった男たち | フットボールチャンネル

1993年に開幕したJリーグは今年で31年目を迎えた。昨季、3年ぶり5度目の優勝を果たした横浜F・マリノスでは、これまでに多くのレジェンドたちが活躍してきた。今回は、マリノスの輝かしい歴史を築き上げてきた選手の中から、伝説と呼ぶにふさわしい英雄を5人厳選して紹介する。

— MF:中村俊輔(元日本代表)

MF:中村俊輔(元日本代表)
生年月日:1978年6月24日
リーグ通算成績:338試合68得点
主な獲得タイトル:リーグ杯(2001)、天皇杯(2013)

 マリノスの背番号10といえば、この男の名前が浮かぶ。1997年に横浜マリノスに加入した中村俊輔は1年目から30試合に出場し、3年目に10番を与えられた。この年には自身初のベストイレブン、翌2000年にはJリーグ年間最優秀選手賞に輝いている。

 左足から放たれる芸術的な中村のキックは、サポーターの心を掴んだ。02年夏に海を渡り、10年に古巣に復帰。13年には自己最多となる10得点を挙げてチームを2位へと押し上げ、天皇杯優勝にも貢献している。

 マリノスでは通算12年半在籍し、リーグ戦では338試合68得点という数字を残した。17年からはジュビロ磐田に活躍の場を移し、41歳を迎えた19年夏には横浜FCに移籍。現在は年齢からか、怪我による欠場やベンチ外となることも多いが、マリノスだけではなく、日本代表や欧州でも数々の記憶に残るプレーを見せてきた中村は、44歳となった2022年シーズンで現役生活を終えている。

— DF:中澤佑二(元日本代表)

DF:中澤佑二(元日本代表)
生年月日:1978年2月25日
リーグ通算成績:510試合31得点
主な獲得タイトル:J1(2003)、天皇杯(2013)

 マリノス史上最高のCBといえば、中澤佑二の名前を挙げないわけにはいかない。2002年に東京ヴェルディからマリノスへ移籍すると、すぐにリーグ優勝に貢献。2004年にはJリーグMVPを受賞した。

 長身に加えてトレードマークのボンバーヘッドは観衆の視線を集めた。だが、打点の高いヘディングや勝負強さは、その風貌以上にファンの視線を釘付けにしている。

 マリノスではリーグ戦510試合に出場。これはダントツでクラブの歴代最多記録だ。この偉大な記録を支えたのは中澤の鉄人ぶりがあったからこそ。J1連続出場記録199試合、J1連続フルタイム出場記録178試合と、常にピッチに立ち続け、40歳までプレーした。

— MF:ビスコンティ(元アルゼンチン代表)

MF:ビスコンティ(元アルゼンチン代表)
生年月日:1968年9月22日
リーグ通算成績:121試合53得点
主な獲得タイトル:Jリーグ(1995)

 マリノスの歴史で最強助っ人の一人に挙げられるのがビスコンティだ。アルゼンチン代表経験のある彼は1993年に加入し、マリノスの攻撃をけん引した。

 当時のマリノスはアルゼンチン色の強いクラブで、チームにはラモン・ディアスらがいた。ビスコンティの主な仕事は、その前線にラストパスを送る攻撃的MFだった。だが、そのラモン・ディアスが監督との対立でチームを去った1995年シーズンはフィニッシャーに転向。48試合で27ゴールを挙げて、Jリーグ年間優勝に大きく貢献した。

 マリノスでは4年間を過ごし、カップ戦を含めると毎年2ケタ得点を達成。1996年の退団後はアルゼンチンに戻ったものの、2000年に再来日し、福岡と鳥栖でプレーしてから現役を退いている。

— DF:井原正巳(元日本代表)

DF:井原正巳(元日本代表)
生年月日:1967年9月18日
リーグ通算成績:271試合3得点
主な獲得タイトル:Jリーグ(1995)

 “アジアの壁”井原正巳は、Jリーグ設立当初の日本サッカー界で最高のDFと称された。1990年にマリノスの前身・日産自動車に入部し、1995年のJリーグ制覇などに貢献している。

 身長は182cm。現代のサッカーからみれば、CBとして長身とはいえない。それでも、フィジカル勝負に負けず、読みの鋭さも一級品。まさに“壁”として相手の前に立ち塞がった。

 マリノスでは、Jリーグ設立後から271試合に出場した。1999年には世代交代に伴ってクラブからコーチ就任を打診されたというが、これを蹴って現役を続行。磐田、浦和でプレーし、2002年にスパイクを脱いだ。

— DF:松田直樹(元日本代表)

DF:松田直樹(元日本代表)
生年月日:1977年3月14日
リーグ通算成績:385試合17得点
主な獲得タイトル:J1(2003)

 マリノスの真の闘将といえば、松田直樹が真っ先に思い浮かぶ。2011年に急性心筋梗塞により34歳の若さで亡くなった彼がクラブに刻んだ闘志は、いまも重要な財産になっているはずだ。

 前橋育英高校時代から世代別代表に呼ばれて注目されていた松田は1995年に加入。選手としての能力の高さも見事だったが、プロの世界でも抜きんでた「負けず嫌い」さは、ファンがチームに求める姿勢そのものだった。

 2010年末に松田の戦力外通告が出ると、サポーターはクラブに猛抗議。署名などで松田との再契約を強く求めた。松田がマリノスのために戦い続けたことは、誰よりもファンが理解していた。

 
 

 
 

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