夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2020/8/4) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2020/8/4(火)今晩は、鳥のささみのペペロンチーノか)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

オビ パウエル オビンナ選手 栃木SCへ育成型期限付き移籍のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(行ってらっしゃい!)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開練習)
 
 

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Webニュースログ

2020/08/04 【横浜】「J連覇とACL制覇にゴールで貢献したい!」新加入FW前田大然が語る海外で深めた自信とマリノスでの野心 | サッカーダイジェストWeb

–コロナ禍で家族のこと考え帰国を選択

 横浜F・マリノスは8月4日、前日に松本山雅FCから半年間の期限付きで加入することを発表していたFW前田大然の入団会見をオンライン上で開催した。ポルトガルからの帰国、マリノスへの加入について前田は次のように説明している。

「去年のチャンピオンチームでもありますし、すごく攻撃的なサッカーをするチームでもあるので、そこで自分がどれだけできるのか表現したいなと思って、マリノスに決めました」
「前線の選手は自分で仕掛けるということを求められていると思うので、それを僕が出来れば良いかなと思っています」

 アンジェ・ポステコグルー監督の横浜は特異なスタイルで戦う。その点については、「試合も何試合か見たんで、どういう事をすれば良いのか、自分のなかで理解できているつもりです。それを後は自分が試合で出すだけかなと思います」と語るように不安はない。むしろ、「海外で通訳もいないなかでやっていたので、難しさというのは向こうで十分味わってきた。どっちかといったらこっちの方がやりやすさもあるのかなと思います」と、海外挑戦で深めた自信が大きいようだ。

 前田は昨年の夏に松本からポルトガルのマリティモへレンタル移籍。公式戦24試合に出場し、4ゴールを記録し出場機会も増やしていた。その一方で、6月30日までだった契約の更新は望まず、日本への帰国を選択した。マリティモの本拠地はマデイラ島にあり、「向こうにいた時は日本人は僕たち家族だけというような状況。何かあったらどうしようかという不安もあった」と語るように、コロナ禍で家族のことも考えた決断だったという。

「僕自身まだ海外に行きたいという気持ちは持っているので、しっかりここで活躍して、また行くチャンスがあれば行きたいなと思っています」と野心も隠さない。

 マリノスとの契約も来年1月までの半年間だ。「まずは半年しかない、しっかりと試合に出ないと意味がないと思っている。マリノスで試合の出場時間を勝ち取っていきたい」

 今夏は過密日程もあって連戦での試合も続く。「連覇をしないといけないチームだと思いますし、ACLも取らないといけないと思うので、そこにゴールという形で貢献できたら良いなと思います」と意気込みを語った。

 
 
2020/08/04 前田大然、マリノス入団会見で意気込み「連覇とACLにゴールという形で貢献を」 | フットボールチャンネル

 東京五輪世代注目のタレントがJ1王者の一員になった。横浜F・マリノスは3日、松本山雅FCから日本代表FW前田大然の期限付き移籍加入を発表した。期間は2021年1月31日までとなっている。

 そして前田は4日にオンラインでのマリノス入団会見に臨み、「昨年のチャンピオンでもありますし、攻撃的なサッカーのチームなので、そこで自分がどれだけできるかを表現したいなと思ってマリノスに決めました」と移籍の理由を語った。

 2019年夏から1年間はポルトガル1部のマリティモでプレーし、リーグ戦23試合に出場して3得点を挙げた。しかし、欧州での挑戦は1年で切り上げることに。「どれだけサッカーが好きでも、家族が一番」というのがJリーグ復帰を決断した最も大きな理由だ。

 新型コロナウイルスの感染が拡大する中、マリティモが本拠地を置くマデイラ島には日本人がほとんどおらず、前田には専属の通訳などもいない。何が起こるかわからない不安を抱えながら生活するのではなく、家族の安全を第一に考えての決断だった。

 すでにマリノスの試合をチェックし、自身のチーム内での役割については「どういうことをすればいいのかは自分の中で理解できているつもり」と前田は語る。センターFWだけでなくウィングでもプレーでき、自慢のスピードはどちらのポジションでも大きな武器となるに違いない。

「まずは本当に(期限付き移籍期間が)半年しかないので、その中で試合に出ないと意味がないと思う。本当に試合がいっぱいあるので、(マリノスは)連覇をしないといけないチームだと思いますし、ACLも獲らないといけないので、そこにゴールという形で貢献できたらと思います」

 結果へのこだわりは強い。ポルトガルで1シーズンにわたって継続的に試合出場を重ねてつかんだものは「日本で試合をしてみないとわからない」と、言葉にするよりもあくまでピッチで表現するつもりだ。「少なからずあっちでやっていた経験で自信はついたと思うので、それを早く日本で見せられたらいい」と、前線の熾烈なポジション争いにも果敢に挑んでいくつもりだ。

 マリノス移籍にあたって前田は「試合には出させてもらっていましたけど、(ポルトガルでの)結果は全然納得のいくものではなかったので、日本でしっかり結果を残して、また海外に行くチャンスがあれば行きたい」と、欧州再挑戦への思いも捨てていない。

 それでも「今はここで活躍することだけを考えています」と、目線はあくまで目の前の戦いに向けている。東京五輪世代の中心選手として期待される韋駄天は、ゴールやアシストといった目に見える結果でマリノスの連覇やACL制覇に貢献し、さらなる飛躍の足がかりをつかめるだろうか。

(取材・文:舩木渉)

 
 
2020/08/04 松田直樹さん命日に決意――横浜M移籍の前田大然はなぜ欧州ではなく国内を選んだのか(元川悦子) – 個人 – Yahoo!ニュース

–マリノスの連覇に貢献を!

「横浜F・マリノスに加入しました前田大然です。横浜は去年のチャンピオンでもありますし、ホントに攻撃的なサッカーをするチーム。そこで自分がどれだけできるかっていうのを表現したいなと思って、マリノスに来ました。連覇のためにちょっとでも貢献できるように頑張ります」

 松本山雅からのレンタル移籍が8月3日に正式に発表されたU-23日本代表FW前田大然が4日、新加入会見にのぞみ、新天地での抱負を語った。

 昨年7月に赴いたポルトガル1部・CSマリティモを6月末で退団した彼がどのような身の振り方を選ぶのかは大きな注目点だった。6月時点で本人は「欧州の他クラブに移籍したい」と話していたが、帰国していた7月に家族とも話し合って国内にとどまることを決意したという。

–家族の安心安全が最優先

「日本と欧州ではコロナの大変さが全然違いました。まず感染者数が全く違うし、ポルトガルにいた時は日本人が僕と嫁と娘の3人だけだった。『何かあったらどうしたらいいか』という気持ちで1年間いたので、そこは本当に大変だったかなと思います」

 本人もこう語ったように、コロナ禍が襲ったマディラ島での3~5月の不安と言うのは、想像を絶するものがあったに違いない。何度かコンタクトを取った際には「大丈夫です」「何とかやってます」「娘に感染させないように気を付けてます」と気丈に話していたものの、実際には相当ナーバスになっていたに違いない。6月末に帰国し、妻の実家に戻った時の安堵感は何物にも代えがたいものがあったはずだ。

 それから約1カ月。コロナは終息の気配を見せるどころか、再拡大しつつある。国内の感染者が急増する一方で、欧州でもベルギーで外出時にマスク着用が義務付けられたり、フランスでも店内に入る時はマスク必須になるなど、規制が強まっている。こうしたリスクある環境下に再び赴くのは、少なからず恐怖がつきまとう。1歳になったばかりの娘の安全を考えても、言葉が通じて、家族が近くにいる日本にとどまった方がいいという決断に至ったのも理解できるところだ。

–不透明な欧州移籍市場も足かせに

 国内残留のもう1つの理由は、欧州移籍の見通しが立ちづらかったことではないか。今夏の欧州サッカー界は、ベルギーのように今週末8日に開幕するリーグがある一方、ドイツやイタリアのように9月開幕予定のリーグもあって、現状での移籍の動きが鈍いのだ。このイレギュラーな状況を勘案し、欧州サッカー連盟(UEFA)は8月31日に現在の第1ウインドウを閉じた後、9月8日~10月5日の第2ウインドウを設けることにした。マリティモで1年間ほぼコンスタントに試合に出ていた前田大然なら、ギリギリまで待てば獲得意思を示すクラブも出現したはずだ。

 しかしながら、10月まで移籍先未定となれば、公式戦から離れる期間が3カ月超に及んでしまう。彼はすでに今年3~6月に試合休止を経験していて、1年で2度の空白期間はどうしても避けたかった。東京五輪が本当に開催されるかどうかも分からないが、それを視野に入れても試合に出る環境があった方がいいいい。そんな思いが絡み合って、国内移籍へと気持ちが傾いていったのだろう。

–欧州再挑戦を視野に入れ、マリノスでの半年間で結果を出す!

 ただ、「僕自身はまだ海外に行きたいという気持ちを持っています」と会見で語気を強めるように、欧州への思いは依然として強い。再チャレンジするとしたら、コロナと移籍市場が多少なりとも落ち着くと見られる2021年1月以降の方が確かにベターだ。幸いにして今回、マリノスとの契約は2021年1月までのレンタルで落ち着いた。新天地で目覚ましい働きを見せれば、半年後にまた新たな道が開けてくる可能性もあるのだ。

 そのためにも、マリノスで出番を得て、ゴールという明確な結果を残すことが強く求められる。7月4日のJ1再開後のマリノスは3勝1分3敗と波に乗れていない。目下11位と順位も昨季王者としては絶対に満足いかないところだ。守備の要である朴一圭やチアゴ・マルチンスの負傷に続いて、昨季MVP&得点王の仲川輝人がケガで長期離脱を強いられ、遠藤渓太もウニオン・ベルリンへ移籍するなど、戦力的に厳しくなっているのは確かだ。

 前田大然はおそらく仲川の主戦場である右アタッカー、遠藤渓太が担っていた左アタッカーのいずれかで起用されるだろうが、水沼宏太や仙頭啓矢ら他の戦力も控えている。爆発的なスピードを誇る韋駄天としてもポジションが保証されているわけではない。

「前線の選手は自分で仕掛けることを求められてると思う。マリノスの試合は何試合か見たので、どういうことをすればいいかは自分の中で理解できているつもりです。(アンジェ・)ポステコグルー監督の戦術はまだ全然分かんないですけど、海外で通訳のいない中でやってきたし、松本山雅時代も反町(康治=現日本サッカー協会技術委員長)さんという一番難しいと言ってもおかしくない監督の下でやれたんで、こっちの方がやりやすいと思います。自分には半年しかないし、マリノスもJ1連覇、ACL(アジアチャンピオンズリーグ)優勝をしなければいけないチーム。ゴールって形で貢献できたらいいと思います」と彼は力を込めた。

–活躍して松本山雅へ恩返しを!

 そうやってJ1王者の名門クラブで活躍することがが、育ててくれた松本山雅への恩返しになるという思いも強い。

「山雅は昨年の夏に海外へ行きたいという願いを受け入れ、チャレンジさせてくれたチームでもありますし、今回も高いレベルでやりたいという意向を聞き入れ、温情を見せてくれた。ホントに感謝しています。それをプレーで見せていくしか自分には方法がないと思っています。しっかり結果を残して、松本のファン・サポーターに喜んでもらえるように頑張りたいです」

 前田大然が新たな決意を口にしたこの日は、奇しくも松田直樹さんの命日である。9年前の2011年8月4日、松本の地で34歳の若さでこの世を去った松田さんは、ご存じの通り、2002年日韓ワールドカップに参戦したマリノスの看板DFだった。その松田さんが2011年に当時JFL(日本フットボールリーグ=当時3部相当)だった松本山雅に赴いたのはサプライズ以外の何物でもなかった。当時は大阪の中学生だった前田大然はもちろん直接面識はないものの、山雅入りしてから毎年この時期の試合では背番号3のジャージを着てアップし、祈りを捧げてきた。

–松田直樹さんの命日に、偉大な先輩を超える決意

「松本におる時から松田さんが松本を大きくしてくれたと思っていました。今の山雅があるのは松田さんのおかげだと思うし、マリノスを大きくしたのも松田さんだと思う。ホントに僕たちは今、サッカーできるってことを感謝しながらプレーしないといけないかなと思います」

 そんな偉大な存在を超えてほしいと松本山雅サポーターを筆頭に多くの人々が強く願っている。今回のマリノス移籍が彼にとって大きな飛躍につながるように、1つ1つの戦いを大事にしてほしいものだ。

 
 
2020/08/04 【横浜】左ウイングか? それとも――スピードスター前田大然の起用法を探る | サッカーダイジェストWeb

–4-3-3に当てはめて考えれば…

 連覇を目指す前年度王者にまたひとり、新たな戦力が加わった。

 8月3日、横浜はJ2の松本山雅FCからFW前田大然を期限付き移籍で獲得(前所属クラブはポルトガルのマリティモ)。50メートルを5.7秒で駆け抜ける韋駄天の加入によって前線の層はさらに厚みを増した。

 横浜では先日、前田と同じ東京五輪世代のMF遠藤渓太がドイツ1部のウニオン・ベルリンへ期限付き移籍で旅立ったばかり。この海外移籍とタイミングがほぼ重なっているため、遠藤の穴埋めに期待がかかるのは自然な心理だろう。

 さらに昨季MVP&得点王のFW仲川輝人や12試合・8得点のFWエリキが7月下旬から負傷離脱しているため、ウイングとしてプレーできる人材が不足気味だ。

 前田はひとまず左右のウイングとして起用される可能性が高く、ポゼッション時の立ち位置や守備時の連動など約束事をインプットする必要がある。アンジェ・ポステコグルー監督は前田のアグレッシブさを評価している模様で、横浜の特異なスタイルに慣れることが先決だ。

 ただし、遠藤と前田ではプレースタイルが異なる。前者がいわゆるサイドアタッカータイプなのに対し、前田はスピード豊かなストライカーだ。単純に「足が速い」という共通点だけで似たようなプレーを期待するのは早計だろう。

 横浜の4-3-3に当てはめて考えた際に、前田の適正ポジションはどこか。広いスペースがあってこそ生きるスプリント能力をタッチライン際に限定するのが得策か微妙なところ。適応能力を見極めてからの話になるが、例えば似たような個性を持つエリキは今季、ウイングの位置で本来のパフォーマンスを発揮できていない。その二の舞だけは避けたいところだ。

 当然、ポステコグルー監督はストライカーポジション(3トップ中央)での可能性も模索するだろう。FWのエジガル・ジュニオやオナイウ阿道とは異なるタイプの選手として新たな選択肢になるかもしれない。彼らのようなポストワークではなく、オープンな展開でスペースがある状況で本領発揮となる。

 東京五輪世代では名の知れた選手で、昨夏のコパ・アメリカでA代表デビューを飾った経歴を持つ。しかしながらJ1での実績は昨年前半戦の18試合・2得点のみ。シーズンを通して活躍したことはない。

 持っているポテンシャルに疑いの余地はなく、それは獲得の決め手となった要素でもある。前田がさらなるステップアップを果たすためには、まず横浜のスタイルを体得し、激しいポジション争いを制す存在感を見せなければいけない。

 圧倒的なスピードを誇示し続け、さらなる成長を遂げること。前田の進化は横浜のチーム力アップと同義だ。

文●藤井雅彦(ジャーナリスト)

 
 
2020/08/04 松田直樹がこの世を去って9年。鶏のささみの記憶(小宮良之) – 個人 – Yahoo!ニュース

 コロナ禍によって外出は少なくなり、いつしかスーパーマーケットまでもが、貴重な気晴らしの場所になった。肉売り場で、鶏肉のささみを物色する。佐賀の「ふもと赤鶏」のパックを手にしたときだ。

<マツも鶏肉のささみ好きだったなぁ>

 筆者はぼんやりと思った。彼と鶏料理を食べた光景がよみがえる。人の記憶の糸は、不思議な形でつながっているものだ。

 2011年8月4日、この世を去った松田直樹を悼む。

–世界と戦うための肉体

 筆者は松田直樹に密着取材をしていた時代、よく二人で横浜に出かけて食事をした。日韓ワールドカップや横浜F・マリノスでの連覇など日本を代表したディフェンダーとは、決まってカレーか、鶏料理だった。その後、カフェに行ってフルーツジュースを飲みながら、3時間以上にわたってサッカーを語り尽くす。それがパターンだった。

 なかでも、松田は鶏肉のささみに強いこだわりを持っていた。低脂肪高たんぱくのささみは、そもそも多くのアスリートに好まれる。

「(2002年)日韓ワールドカップの頃の筋トレは、常に限界まで体を苛めていたからね。いつも、足がつりそうな状態だった。でも限界までやったからこそ、筋肉もついたと思う」

 松田はそう話していたが、真剣に体を作って、世界と対峙した男ならではの極限を体験したのだろう。必然的に、料理にも気を配るようになった。食事はパワーとスピードの源だったのだ。

 Jリーグでの松田は身体能力に恵まれている方だったが、日本代表として世界で戦うことで、十分ではないと認識した。怪物のようなストライカーたちと互角に戦うには、ディフェンスとして肉体を鍛えるしかなかった。しかし単に筋肉をつけるだけでは、スピードが失われる。スピードを失わない、質の良い筋肉をつける必要があった。

「俊(中村俊輔)、能活(川口能活)、ボンバー(中澤佑二)は世界を知ってるよね。ずっと一緒に戦ってきたと思っている。あいつらは俺が認めた選手だけど、話なんかしなくても、サッカー好きだな、というのを感じるんだよ。練習から妥協しないで戦えている。日本代表として恥ずかしくない選手だ」

 仲間を自慢するように言う時の松田の顔は、美しくすらあった。

 亡くなってから9年、記憶は美化されているのか。

–松本で会う約束

 2011年シーズン、松田が新天地として求めた松本に、筆者はなかなか行けずにいた。

「松本に必ず行く」

 そう約束していたし、物語は終わっていないはずだった。しかし取材のプライオリティとして、日本代表、J1、J2があって、当時連載していた「アンチ・ドロップアウト」では一人の選手にフォーカスして密着することで、時間が取れなかった。スペインを含めたヨーロッパ取材もフィールドワークで、JFLの取材をするには日程を無理にこじ開ける必要があったのだ。

 ようやく時間が取れて、まずは7月末のFC町田ゼルビア対松本戦に顔を出そうと、連絡を入れた。

「コミヤさん、ざんねーん、出場停止。松本に来てよ」

 松田からはすぐに返信が来た。筆者は軽い気持ちで「松本に行くよ」と返信したはずだ。

 筆者は、町田戦に行くのを取りやめ、松本取材の日程を探ったが、彼に会うことはできなかった。町田戦の翌週、松田は練習中に倒れ、病院に搬送された。数日格闘した後、帰らぬ人になった。

 人生の出会いと別れは、たぶん、そのように紙一重なのだろう。

–人の心をつかめる男

 松田は人の好き嫌いがあったが、嫌いになったら、眼中に入れないだけで、悪いことは言わなかった。そして気に入った人には、面と向かって何でも言う。そういう男っぽい男だった。

「俺のことは何でも書いていいよ。プライベートのことまで全部話しちゃっているけど、信頼しているから。それも物語になるなら、書いちゃってよ。原稿チェックとか、そんなのもいらない。楽しみにしている」

 そう言ってハンドルを握る横顔が、今も目に焼き付いている。人間、そこまで信頼されると少しも裏切れない。最高の作品を作る、と意気込む。何よりも叱咤になった。

 その点、松田という男は本能的に人との接し方を知っていたのだろう。

–ガツガツ食べても品がある

「ここの鶏、マジうまいからさ!」

 彼はそう言って、誇らしげに勧めた。親子丼をがつがつと書き込むように食べる姿に、“豪快なのに品があるな”と感心したのを覚えている。

 鶏のささみに対する嗜好は、高校時代からだという。当時は、育ち盛り。お母さんに親子丼を作ってもらい、そこにニンニクをトッピングとして混ぜて、体力増強に努めていた。

「あれは、いくらでも食えたよ。まあ、洒落たもんじゃなくて、家の料理だけどね」

 松田は嬉しそうに洩らしていた。褒める一方で、下げるような話し方をするとき、彼が本当に、心からそれを大事にしている証拠だった。母親に作ってもらった親子丼は、彼のベースになっていて、大人になってもそれを守り続けていたのだろう。とても不器用で、愛らしい。

 筆者も鶏肉のささみが好きだ。人と会うのが仕事の特性上、見苦しい体形になりたくない。アスリートとご飯に行くのに、みっともない恰好はNGだ。

 買い物かごに入れたささみは、パスタでキノコと小松菜を入れ、ペペロンチーノにでもすることにした。

 
 
2020/08/04 松田直樹はどんな監督になりたかったのか。(二宮寿朗) – 個人 – Yahoo!ニュース

 8月4日、午後1時6分――。

 もうあれから9年。松田直樹が天国に旅立った日、旅立った時間。黙とうを捧げ、思いにふける。

 私もきっとそのワンオブゼム。

 SNSにはいろんな人が彼に対する思いをつづっている。横浜F・マリノス時代の後輩である河合竜二(現在は北海道コンサドーレ札幌CRC)も呼び掛けていた。「松さん元気ですか?」と。それを見て心のなかで自分もクスッと独り言。「俺も同じことを伝えてました」。

 天国にいる彼も大変だ。多くの人から「元気ですか?」と聞かれて、なんだよってニカッと八重歯をのぞかせながら困っている光景を勝手に想像してしまう。

 いつも命日に合わせてどこかの媒体で何か記事を書いてきた。彼のことだったり、彼の仲間のことだったり、AEDのことだったり。だがコロナ禍もあって取材もなかなか難しい現状、書くテーマを決めないまま命日を迎えてしまった。

 2013年9月に出版した「松田直樹を忘れない」を久しぶりに読んでみた。本稿の最後に、目を留めた。かつてのインタビューを再掲載した「松田直樹の言葉」に。

 引退後の夢は?

 読まなくても彼が語ったことは覚えている。

「指導者になるしかないとは思うんだけど、想像はつかない。俺自身、いろんな指導者と会ってきて、正直、好きな人も苦手な人もいたよ。でもいろんな指導者のいいところだけ取っていくといいかな。やるとしたら、選手の気持ちを分かってやれる監督、指導者になりたい。選手は指導者によって変わってくると思うから」

 彼はどんな指導者になっていたのだろうか。

 生きていれば43歳。

 誰に聞いても「サッカー小僧」「サッカー馬鹿」と彼を表現する。このときは「なるしかないとは思うんだけど」と濁してはいたものの、早い段階から指導者になることは心に決めていたと思っている。

 2011年シーズン、当時JFLだった松本山雅に移籍する前に指導者C級ライセンスは取得済みで、シーズンオフにはB級を受講するつもりだった。

 彼の世代は、今や指導者の第一線で働いている。

 日本代表でずっとチームメイトだった宮本恒靖は古巣・ガンバ大阪を率いており、生年月日がまったく一緒でF・マリノスでともにプレーした吉田孝行はヴィッセル神戸の指揮官を務めた(現在はV・ファーレン長崎コーチ)。盟友である安永聡太郎もJ3のSC相模原を指揮(現在はサッカー解説者)、同じく盟友の佐藤由紀彦はFC東京のトップチームでコーチを務めている。

 負けず嫌いの彼のことだ。絶対どこかのクラブで彼らと張り合おうとしていたに違いない。

 選手の気持ちを分かってやれる監督――。

 直情タイプの彼は代表監督だろうが、納得できないことがあれば反発した。フィリップ・トルシエ監督からU-21代表に呼ばれたものの、出番のなかった試合後に不貞腐れた態度を取って「このチームから離れてくれ」と追放されたことがある。

 フラットスリーのライン操作についても怒鳴り散らされて、こっちの考えを聞こうともせずに自分のやり方を押しつけてくるやり方に納得がいかなかった。

 翌年にはU-22代表に復帰したものの、韓国遠征後のドイツ合宿を拒否してトルシエに直談判して日本に帰国している。途中離脱は一度どころか二度までも。

 普通なら呼ばれないだろう。実際トルシエからも「呼ばない」と通告されていた。

 しかしそれでもA代表に呼んでくれたことで、松田は意気に感じた。それ以降、反発することなくフラットスリーの一角を担うようになる。

 トルシエにはエキセントリックな印象もあるが、一方で選手のハートをつかむのもうまいところがあった。そう松田から聞いたことがある。

 2000年のアジアカップ、レバノン大会。決勝のサウジアラビア戦は松田の強気のディフェンスが光った。シャットアウトしての優勝劇。

「使ってもらった監督に、少しは恩返しができた」

 彼の心のなかには二度の離反が心に引っ掛かっていた。タイトルを獲ったことで恩返しの言葉を照れながらも口にすることができた。

 松田が嬉しそうにこぼしたことがある。

「アジアカップのベストイレブンに俺の名前が入ってなかったとかで、監督が『何で入ってないんだ!』って怒ってて。本気か冗談なのかは分からないけど、選手からしたらそんなこと言ってくれるだけで嬉しいんだよね」

「選手の気持ちを分かってやれる監督」とは、物分かりがいいということではない。

 彼は器用なタイプでも、バランサータイプでもない。

 選手とぶつかり合って。本気でぶつかり合って。でも頑張ろうとする選手の気持ちを否定することはせず。

 もし彼が頑張っていなければトルシエからは認められず、本当に二度と呼ばれていなかったはずだ。トルシエはその後の動向をちゃんと見ていてくれていた。代表復帰への思いを知ってくれていた。「選手の気持ちを分かってやれる」は、己の経験を踏まえてのこと。指導者になるうえで、最も大切にしたい要素として。

 選手は指導者によって変わってくると思うから――。

 この松田直樹の言葉を、サッカーを愛するすべての指導者に送りたい。

 
 
2020/08/04 急逝から丸9年…横浜FMが故・松田直樹のスペシャルムービー公開「甘え上手で憎めない性格だった」 | ゲキサカ

 横浜F・マリノスは4日、元日本代表DF松田直樹さんのスペシャルムービーを公開した。松田さんは2011年8月4日、猛暑の練習中に急性心筋梗塞で倒れ、34歳の若さで急逝した。

 前橋育英高を卒業後、1995年から横浜マリノス(現・横浜FM)に加入した。2003年、04年にはキャプテンとしてJリーグ連覇に貢献。世代別代表にも選ばれ、アトランタオリンピックには当時の日本サッカー史上最年少の19歳4か月で出場。02年の日韓ワールドカップではフラットスリーの一角としてベスト16進出を成し遂げた。

 16年間を横浜FM一筋でプレーしたが、10年に退団。11年には当時JFLに所属していた松本山雅FCに加入した。しかし同年8月2日の練習中に倒れ、その2日後に34歳の若さでこの世を去った。

 横浜FMが公開した動画には、元チームメートの川口能活氏や波戸康広氏、那須大亮氏、坂田大輔氏、栗原勇蔵氏、横浜FMのMF水沼宏太が登場。それぞれが思い出話を語っている。

 川口は「本当に素晴らしい能力を兼ね備えていて、彼の能力に嫉妬していたときもありました」と振り返る。その内面についても「甘え上手なところもあって、憎めない性格でした」と思い出しながら笑みを浮かべた。

 どの人物も口にするのは、そのプレースタイルを表す豪快な性格と、ピッチ外での優しい一面。18年に現役を引退した川口は「マツが生きていたら相談したかった」とも。「相談したときにどういう言葉をかけてくれるかなとすごく思うところもあります」と語っている。


#FOREVER3 松田直樹を忘れない 2011.8.4 – YouTube
 
 

 
 

今日のこけまり

本日(8/4)17:00に9月と10月のスケジュール発表。三ツ沢のチケット販売枚数はどうなる?
今日(8/4)の17:00に、Jリーグの9月と10月のスケジュール発表。三ツ沢のチケット販売枚数はどうなる?
 
 

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