今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2023/4/13) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(2023/4/13(木)ロコさぬ、社会復帰。)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2023/04/11 4/15 湘南戦 パブリックビューイング開催のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(日産グローバル本社内、日産ホールにて)

2023/04/13 6/10柏戦・6/18YBCルヴァンカップ鳥栖戦 ホームゲームチケット販売のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(4/16(日)12:00から順次発売)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開練習)
 
 

Twitter / Instagramなど


 
 


 
 


 
 


 
 


 
 

Webニュースログ

2023/04/08 「えっ! GKなのにドリブル?」飯倉大樹36歳は引退決断のタイミングでなぜF・マリノスに復帰したのか「こんなに俺を好きでいてくれたの?」 – Jリーグ – Number Web – ナンバー

— GKなのにドリブル?「もうドリブルすんなよ」って

 ある日の練習後、誰もいなくなったピッチで最後までボールとじゃれ合っているベテランがいた。

 ここは横須賀市久里浜に今年オープンしたばかりの横浜F・マリノススポーツパーク。ヴィッセル神戸から今季、復帰した36歳のGK飯倉大樹は両手にグローブを着けたまま、楽しそうにドリブルの感触を確かめていた。GKであってもドリブルで攻めていく。それが飯倉である。ボールとのたっぷりの会話を終えてからピッチ横の取材エリアにやってきた。

「ここに帰ってきたときに、哲くんからは“もうドリブルすんなよ”って言われてるんですよ」

 渋い顔をつくりながら、どこかうれしそうに映る。

「哲くん」とは長い間、ライバルとしのぎを削ってきた3つ年上の榎本哲也アシスタントコーチのことだ。ヴィッセル時代にも敢えてドリブルしてリスキーな状況をつくったのは2、3度、いや4、5度……。F・マリノスから離れても榎本は自分のプレーを気にかけてくれていた。間接的な愛情表現であることは誰よりも分かっていた。

「毎日楽しいですよ。だってこのクラブのエンブレムをつけて現役の立場で練習できるだなんて思ってもみなかったから」

— 引退を決めようとした奇跡のタイミングで古巣に復帰

 言葉が弾む。その表現がピタリと合う――。

 3年半ぶりに古巣へ戻ってきた。それも現役引退を決めようとしていた奇跡のタイミングで。

 2022年11月9日、3シーズン半プレーしたヴィッセル神戸から契約満了を告げられた。年齢を考えれば引退という気持ちもあった一方でヴィッセルのチームメイトたちが掛けてくれた言葉によって、もうひと踏ん張りしてみようかとも思えた。

「(山口)蛍とか大迫(勇也)とか、“もっとやるべきだよ。もったいないよ”と言ってくれていたんです。日本代表で戦ってきたアイツらの言葉だから、そうなのかなって思ったし、実際にまだもうちょい体は動くかな、と。現役の最後はF・マリノスのエンブレムをつけて終わりたいなっていう考えはずっとありました」

 カテゴリーを落としたうえでの移籍も検討したが、F・マリノスか引退かの2択に絞った。ただ2択といっても、F・マリノスから声が掛かったわけでもない。かつクラブから去った身でもある。年が明けても、状況は変わらなかった。どのチームも編成を終えて始動していた。もともと数パーセントもないであろう確率は日に日に下がっていく。それでもトレーニングジムで体を動かしつつ、ただただ待った。

— 「待っていたらホントに果報がやってくるとは」

 1月下旬、そんな状況が一変する。

 昨シーズン、リーグ戦全34試合に出場してJリーグのベストイレブンに選ばれた高丘陽平に米MLSバンクーバーへの移籍が浮上した。開幕まであと3週間となっていたため、クラブは急ぎ補強に動かざるを得ず、アタッキングフットボールを熟知する飯倉にオファーが届くのは十分に予測できた。

 飯倉は言う。

「2月に入ったら気持ちに整理をつけて、個人のトレーニングも終わりにして引退しようと決めていました。体は動くんだけど、やめなきゃいけない。周りの選手たちの引退も見てきたなかで、ああ、俺の現役生活ってこうやっていくんだなって思いましたよ。

 そうしたら陽平に移籍の話が出て、自分のところに連絡が来たんです。来たって思いましたよ(笑)。でももし陽平の移籍が12月だったら、僕みたいなベテランじゃなくて若いGKに行ったとは思うんです。あのタイミングじゃなかったら、きっと自分の移籍は成立していなかった。果報は寝て待てじゃないけど、待っていたらホントに果報がやってくるとは思わなかった」

 なぜそこまで復帰にこだわったのか。古巣だからという単純な理由ではなかった。

— 激しい反発があると思っていたが…

 話は3年半前にさかのぼる。

 2019年7月27日、マンチェスター・シティとの親善試合が日産スタジアムで開催された。出場機会が減っていた状況もあって、オファーのあったヴィッセル神戸への完全移籍が前日に発表されたばかりであった。

 ファン、サポーターから激しい反発があるものだと勝手に思い込んでいた。

 どうして? どうしてだよ?

 チームバスで会場に入った際も、ウォーミングアップでピッチに出ていった際も拍手や声援が送られた。思いがけない反応に飯倉は動揺した。

— 「えっ、こんな俺を好きでいてくれたの?」

 小学4年からマリノス一筋。トップチームに昇格して一度ロアッソ熊本(当時はロッソ熊本)に武者修行で出たものの、ずっとトリコロールの一員として戦ってきた。この日も後半途中から試合に出ると、自分のチャントを歌ってくれた。試合後、挨拶に出向いたときも拍手と声援が飯倉に降り注いだ。目を真っ赤に腫らして、涙をタオルで拭う飯倉がいた。

「俺、自分の好きなようにやってきたのに、意外と受け入れてもらえていたんだなって、そのときに初めて気づいたというか。えっ、こんな俺を好きでいてくれたの?って。サポーターとの関係ってすれ違ったカップルみたいな感じがあって、このとき猛烈にクラブを離れる寂しさがこみ上げてきたんです。受け入れてくれているんだったら、それ先に言ってくださいよって感じで、やり直せるんならやり直したかったくらい(笑)。ヴィッセルに快く行かせてもらって、感謝の気持ちはずっと持ってきたつもりです。だからもう最後はF・マリノスのために、応援してくれた人のためにやれることは何でもやりたいって」

— シゲ流トレーニングに「そうそう、これだよな」

 2月9日に復帰が正式発表され、長年に渡って指導を受けてきた松永成立コーチとも再会した。きつくてたまらなかったハードなシゲ流トレーニングが、たまらなく愛おしく感じられた。

 そうそう、これだよな。アシスタントコーチには先輩の榎本もいる。この環境、このトレーニングが自分を一人前のGKに育ててくれた。後輩に範を示していくことが、何よりチームのためになると思えた。これまでプライオリティのトップにあった「試合に出て貢献する」は自然に序列を下げることになった。

「シゲさんの指導は本当に細かいし、昔のほうが厳しかったかなとも感じますよ。でもそれは自分も選手としてキャリアを積んできたから。そのシゲさんの指導で成長してきたのに、一番年長の自分がトレーニングで変なプレーをしていたら示しがつかない。このチームにとってプラスにならなかったら、俺の存在意義なんてないですよ。松永流の師範にシゲさんがいて、下に哲くんがいて、そのまた下に現役選手として俺がいるみたいな(笑)。だから感覚的には試合に向けてというよりは、キーパー全体がプラスになるように、成長をサポートできるようにしていきたい。ピッチ内はもちろんだけど、ピッチ外でも模範になれるなら、そうしたいと思っていますよ」

 トレーニングは質も、量も。「松永流」を後輩たちに植えつけていく手助けをするには、率先してやっていかなければならない。チームのためにというその言葉に一切の混じり気はない。

 チームのGKには開幕から2戦、ゴールマウスを守ったオビ・パウエル・オビンナ、鹿児島ユナイテッドからレンタルバックの白坂楓馬、ガンバ大阪から2月末にレンタルで獲得し、正GKを務めている一森純がいる。

 20代半ばのオビ、白坂に対しては求められれば自分なりにアドバイスを送ったり、経験を伝えたりしている。だが31歳の一森に対するスタンスは違う。これは飯倉なりに考えてのことだ。

「純はこのチームに来て(F・マリノスの)やり方をアイツなりに積み上げている段階。自分の感覚で積み上げていけば、一つ山みたいなものが絶対にできるんですよ。その後でないと、求められてアドバイスを伝えたとしてもうまく活かせないことだってあると思うんです。だから今はサッカーじゃない話とかでいいんじゃないかなって」

— 「お前とF・マリノスは運命の糸でつながってんだな」

 一緒にトレーニングしながら後輩の成長を見守っていくことは、意外にも楽しいと感じている。元々、アタッキングフットボールはアンジェ・ポステコグルー前監督がクラブにもたらしたもの。初期の「超ハイライン」で最後尾を守っていたのがほかならぬ飯倉であった。後輩GKからすれば一番の教材が隣にいるのだから、参考にならないわけがない。飯倉もその視線を感じながら、そして若いGKにも刺激を受けながら、ベンチメンバーに入れなくとも一喜一憂せず、日々のトレーニングのなかでGK道を究めんとする。

 あるとき、尊敬する松永からこんな風に言われたそうだ。

「お前とF・マリノスはやっぱり運命の糸でつながってんだな」

 いやいや、あなたこそというツッコミを飲みこんだうえで、自分でもそう感じている。

 クラブとの糸、ファン、サポーターとの糸、チームメイトとの糸。

 切れることのないぶっとい糸にする。奇跡の帰還を果たした飯倉大樹からはそんな決意が透けて見えてくる。

 
 
2023/04/08 「飯倉チャレンジ」は知っていても、飯倉大樹は知らない? 無謀と批判されても、GK飯倉はなぜ”攻撃参加”し続けるのか? – Jリーグ – Number Web – ナンバー

— ”飯倉チャレンジ”とは…

 「飯倉チャレンジっていう言葉を知っていても、飯倉大樹っていう俺のことを知らない子どもがいたんですよ。信じられます?」

 なるほどプロレス技のシュミット式バックブリーカーを知っていても、“地獄の料理人”ハンス・シュミットを知らないってことか。んっ、飯倉さん、プロレスはあまり興味ない? サッカーに例えればマシューズフェイントを知っていても、今の子どもたちはイングランドのスタンリー・マシューズを知らないってこと、野球に例えればナックルボールを知っていても、今の子どもたちは“ナックルズ”と呼ばれたMLBのエディ・シーコットを知らないってこと。でも当時ならその言葉と人物は一致していたはず。「飯倉チャレンジ」だけが一人歩き気味なのは、確かにレア中のレアかもしれない。

 飯倉チャレンジ――。

 はっきり定義があるわけではないが、ネットで騒がれ始めたのは現在セルティックの監督を務めるアンジェ・ポステコグルーが横浜F・マリノスにやってきた2018年シーズンだった。超ハイラインの攻撃サッカーを展開するチームの象徴的な存在として広大なエリアを守る一方、攻撃にも加わる守護神の飯倉大樹はハーフウェーラインまでポジションを上げてプレーすることもあった。マヌエル・ノイアーをもしのぐ7kmの走行距離。ハラハラドキドキのスペクタクルかつデンジャラスは表裏一体である。

 ポジションを高く取るためにゴールはガラ空き。ひとたび相手にボールを奪われたら、無人のゴールに向かってロングシュートを打たれてしまう。相手方のそのアクションがいつしか「飯倉チャレンジ」として広まるようになる。

— 「無謀」との声にも、なぜチャレンジを止めなかったのか?

 リスクが目立ち、チームの成績も低迷すると無謀だという声も次第に高まった。それでも彼は止めようとしなかった。

 飯倉が振り返る。

「僕が(育成組織から)トップに昇格した2005年から十何年経ってもJ1のタイトルをずっと取れていませんでした。みんな個々は頑張っていても、どうして成果を得ることができないんだろうって自分のなかでずっと引っ掛かっていました。でも心のどこかで自分も含めて満足していたように思うんですよ。口では上を目指すと言っていても、ある程度満足しちゃっているところがあるから本当の意味でリスクを取れていない。ハングリーになっていない。

 そんなときにアンジェがやってきたんです。ハイラインになって攻撃的になって、チームとして殻を破るならこれだろっていう確信が自分のなかにあった。戦術的に一番変更されたのがGK。みんなに与える影響を考えても、これはとてもやり甲斐があるなって。もうガンガンやりましたよ。だって中途半端にやるのが一番良くないと思ったから。もちろん“飯倉チャレンジ”と言われていることも知っていました。もう振り切って“飯倉チャレンジ”をやろう、と」

 相手のアクションを指す言葉だと理解したうえで、彼は自分のアクションに意味合いを変えていく。ゴールを脅かされようが、批判されようが、ガンガン上がりまくった。目立ちたいとか、自分で勝たせたいとか、そこにエゴの色などない。J1タイトルを取り切れていないチームとしての殻を打ち破るために、敢えてエッジを利かせたわけだ。

— シゲさんの指導で「道なき道を往けたのかなって」

 無謀と見られがちだが、本人はそう捉えていない。横浜F・マリノスは松永成立を皮切りに川口能活、榎本哲也、そして飯倉らGKとしては小柄な部類に入る選手たちが主にゴールマウスを守ってきた歴史がある。そして2007年から就任した松永GKコーチの熱血指導によって基礎技術が徹底的に鍛え上げられていく。

「クロス対応、シュートストップ、足もとの技術……チームメイトが自分に疑問を持っている状況で上がりまくっても、不信感につながるだけ。それを持たれないように装備を備えてくれたのが、それまでのシゲさんの指導なんです。俺のリュックにありったけの荷物を詰め込んでくれたから、道なき道を往けたのかなって思うんですよ」

 しっかりとしたベース、技術、イロハがあるからこそ自分を信じられ、チームメイトからも信頼されたのだ。

 翌2019年シーズンに入ると朴一圭パク・イルギュが正GKに収まったこともあって、その年の7月に飯倉はオファーのあったヴィッセル神戸へと移籍。「飯倉チャレンジ」を緩めるどころか、ますますアグレッシブになっていく。

— GKなのに、ドリブルで3人をかわして…

 自陣のペナルティーエリア内、足もとのテクニックで相手との1対1勝負に応じれば、ドリブルで果敢に持ち上がっていくこともしばしば。

 11月2日のホーム、ベガルタ仙台戦ではバックパスを受けてドリブルで3人をかわしていくなかで相手のスライディングタックルによって奪われてロングシュートを打たれるというシーンがあった。主審に相手のファウルをアピールしたところ、アンドレス・イニエスタに早く戻れとばかりに腕を押されたことで「怒らせた」と見る向きもあった。

 真実はどうだったのか。

「いやあのときはアンドレスから怒られてもないし、別に何か言われたわけでもない。ずっと後のことですけど、チームが勝てない時期に自分のミスで負けた試合があって、みんなに『きょうは俺のミスで負けた、申し訳ない。みんなのプレーは決してネガティブじゃないから』って謝ったことがありました。でもアンドレスは『この負けはチームとしての問題だから、お前ひとりで背負いこまなくていい』と言ってくれて。スタイルをずっと曲げないままやれることができたのも、チームメイトのおかげなんです」

— 嘲笑の対象やSNSでの誹謗中傷も

 F・マリノスが2019年シーズンに優勝を飾ったことも大きかった。既に離れてしまってはいたものの、自分のやってきたことが間違いではなかったのだと実証されたと思えた。変革の一端を担えたという確信によってヴィッセルでも自分のスタイルを貫いていく、その後押しとなった。

 こう記すと飯倉の強いメンタリティが浮かび上がるものの、実際はそんな簡単なものではなかった。ハイリスクゆえに大きなミスにつながれば「飯倉チャレンジ」は嘲笑の対象にもなる。SNSでは「誹謗中傷がとんでもないことになる」。ミスをすれば、また叩かれるのかよ、と愕然とした。

 行くべきか、行かざるべきか。葛藤がなかったことなどない。

「ロングシュートを打たれるんじゃないかって常にビクビクしています。これはヤバいだろ、いや行けよって自分のなかに2つの声があって、やっぱり行くぞって毎回こんな感じなんです」

 なぜ葛藤があっても、前に出ていくことができるのか。それは冒頭に出てくる子どもの話にもつながっていく。

— ”飯倉チャレンジ”はネタにしてもらって構わない。でも…

「“飯倉チャレンジ”っていう言葉を知っていれば、GKだってドリブルしていいんだ、攻撃にもっと絡んでいいんだってなるじゃないですか。そもそもサッカーをやっていてもGKをやりたい子って少ない。なんかGKも面白そうってやってくれたら、少しでもパイを広げていけることができると思うんです。俺がドリブルして失敗したら、そのときは笑われようとも、修正してうまくいったら次のステップに進むことができるし、そうなったらGKの可能性が広がる。人って、成功と失敗の2つあるわけじゃないですか。でもチャレンジしないと失敗もないし、成功もない。そもそも成長していかないと思うんです。

 俺の“飯倉チャレンジ”はネタにしてもらって構わない。でもJリーグのほかのGKや子どもたちのチャレンジは周りの人も温かく見守ってほしいっていうのが本音としてはあります。F・マリノスにいるウチのGKもそうだけど、Jリーグでも能力の高い20代のGKっていっぱいいる。普通にやってもそこそこはやれると思う。せっかく能力があるんだから、もっとチャレンジしてもらいたい。どうしても負けたくない、失敗したくないという思いが強くなるとチャレンジしなくなってしまうから。GKのチャレンジ自体をサポートできる環境にもっとなっていけば日本サッカーも変わってくるんじゃないかって勝手に思ったりもしています」

「飯倉チャレンジ」はその事象にとどまらず、飯倉自身はマインドや人生観にも落とし込んできた。だからこそ価値そのものを高めていった。いっぱい失敗してきたからこそ、プレー的にも人間的にもいっぱい成長できたという自負がある。

 ミスしたっていいじゃない。笑われたっていいじゃない。それは自分にとって成長の肥やしとなるわけだから。

 後輩たちに背中でそう語るように、飯倉大樹はきょうも、今この瞬間も、チャレンジを忘れない。

 
 
2023/04/10 (番外)横浜F・マリノスの木村がルヴァンカップでプロデビュー!/選手コメント | 明大スポーツ新聞部

 4月5日、JリーグYBCルヴァンカップグループステージ第3節、横浜F・マリノス対北海道コンサドーレ札幌が行われ、今季から横浜F・マリノスに加入したMF木村卓斗(令和5政経卒)がスタメンでデビューを果たした。この日は右SBとして71分までプレー。球際の強さや内側に絞ってのゲームメークなどファンの前で印象的な姿を見せた。そんな木村に現在の心境をうかがった。

――プロデビューとなった感想を教えてください。

 「小学生からお世話になった大好きなチームでプロデビューを飾れて素直にうれしかったです。アップ前に自分が小学生から聞いているチャントを聞いて緊張も吹っ飛んで、やってやろうと勇気が湧きました。あとは、明治の時にケガをして悔しい思いをした自分に栗田さんをはじめとするスタッフやチームメートが最後まで自分に成長させる環境を与えてくれ、自信を持って行ってこいと後押ししてもらったことを思い出していて、支えてくれている人への感謝の気持ちを持って臨みました」

――試合でのご自身のプレーを振り返っていかがですか。

 「自分がデビュー戦で大事にしたいと思っていたのは、もちろんチームの勝利が大前提ですが、どれだけギラギラと闘志を燃やして自分をアピール出来るかでした。足をつってしまいましたが明治で培った三原則の部分は十分に通用したと思いますし、前に前にアグレッシブに攻守共に出来たと思います」

――SBでのプレーとなりました。球際の部分や中に絞ってのプレーなど大学でやってきたことは出せましたか。

 「出せたと思います。練習では明治と似たメニューが多く、誰1人とも手を抜かないので、必然的に練習から球際の部分であったりは求められます。自分の特徴の一つですし、ボランチを大学でやっていたので中に入ってプレーすることにも戸惑わず自分の中ではすんなりとプレーできたと思います」

――プロのレベルを体感して出場機会を増やすため、将来のためにはどのような部分での成長が必要だと感じましたか。

 「マリノスではどれだけ前を向いてボールを運んでいけるかを大事にしているので、安全なプレーではなく前に付けて湧き出るプレーを増やすことが必要だと思います。今の自分の立場は、チームの戦術理解をさらに深めて、自分の特徴を毎練習で全力で出し続けることが何より大事だと思いますし、自分を信じ続けて訪れたチャンスをつかみ取る準備をし続けることが大事なのかなと思います」

――筑波大学出身の角田涼太朗選手は大卒2年目で日本代表に選ばれるまでになりました。意識している部分はありますか。

 「関東リーグで対戦していた選手がマリノスでスタメンを奪って代表まで行ったのは凄い刺激になるし、自分もそうなってやろうという気持ちになります。角田選手も最初はなかなか試合に絡めない中でチャンスをつかみ取って這い上がっていった選手なので、自分にもその可能性は十分あると思いますし、超えていかないといけない存在だと思います」

[井澤怜音]

 
 
2023/04/12 【F・マリノスがある街10】地域にとって必要な存在に – 産経ニュース

横浜市立鴨居中学校(同市緑区)では、「和(なご)みルーム」という、集団学習に参加することが難しい生徒に落ち着いた環境で学習してもらうスペース(居場所)を設けています。

横浜F・マリノスは令和4年7月から、ここの生徒を対象にサッカー教室を開催しています。クラブスタッフとその知人との世間話で和みルームの取り組みが話題となり、校長先生を紹介してもらう話もとんとん拍子で進んで動き出したのです。

校長先生も含めた話し合いで、和みルームの生徒は、体育の授業が受けられない状況だと知りました。そこでスポーツを通じて身体を動かす大切さや、サッカーの楽しさを指導してはどうかとなり、これまでに4回、開いています。今年2月の教室では、F・マリノスの波戸康広アンバサダーが「夢について」と題した講話を行い、生徒たちや先生方は、深い感銘を受けていました。

こうした活動を通じて、地域の方々を元気にし、Jリーグ理念である「国民の心身の健全な発達への寄与」を達成したいと思っています。F・マリノスがプロサッカークラブとしてだけではなく、地域にとって必要不可欠な存在になれるよう奮励します。

 
 
▼フットボールチャンネル
 2023/04/12 横浜F・マリノス、最高の助っ人は誰だ!? 歴代外国人最多出場選手ランキング1位。左サイドに君臨した最強の男 |
 2023/04/12 横浜F・マリノス、最高の助っ人は誰だ!? 歴代外国人最多出場選手ランキング2位。攻撃の柱になった10番 |
 2023/04/12 横浜F・マリノス、最高の助っ人は誰だ!? 歴代外国人最多出場選手ランキング3位。53得点を決めた大物 |
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