今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2022/10/11) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2022/10/11(火)マスカット監督、2022シーズン 3回目の月間優秀監督(通算4回目)を受賞)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2022/10/11 ケヴィン マスカット監督「月間優秀監督賞」9月度受賞のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(2021年8月、2022年5月、7月に続き。→Jリーグ公式)

2022/10/11 岩田 智輝選手「2022明治安田生命JリーグKONAMI月間MVP」9月度受賞のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(嫁もMVP→Jリーグ公式)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開)

昨日(2022/10/10)の練習の様子


 
 

Twitter / Instagramなど


 
 


 
 


 
 

2022 明治安田生命Jリーグ KONAMI月間MVP(9月)|J1:岩田 智輝(横浜F・マリノス) – YouTube
 
 

Webニュースログ

2022/10/07 「親の七光りと言われたことも…」“水沼貴史の息子” 宏太が父と同じF・マリノスに入るまで「それで父を嫌いになることはなかった」 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー

text by 佐藤俊

— 水沼の息子だって見られている感覚があった

 水沼宏太の脳裏に今も鮮明な記憶として残っているのが5歳の時、三ツ沢球技場での出来事だ。木村和司氏の引退試合が行われ、宏太は父とともに三ツ沢のグラウンドに立った。

「幼稚園に入る頃から父が出ているサッカーのビデオを見ていたので、サッカー選手なんだろうなっていうのはなんとなく分かっていました。三ツ沢の時は、すでにサッカーをしていましたし、マリノスの選手だというのも分かっていました。初めてマリノスのユニフォームを着て、父と一緒に入場したんですが、2、3段ほどの階段を踏んでピッチに入って行く時はめちゃくちゃ緊張しました」

 貴史氏が現役を引退したのは95年だ。宏太は、まだ5歳で水沼貴史の息子という意識はほとんどなかった。そのことを意識させられるようになったのは小2になってあざみ野FCに入団し、公式戦で他のチームと戦うようになってからだった。

「いろんなところに試合をしに行くんですが、相手の親とかにあれが水沼の息子だって見られている感覚があったし、実際に言われていたと思うんです。でも、その時は、父は有名なんだなぁって思うぐらいで、そこまで意識はしなかった。本当に、有名選手の息子と言われ、風当たりが厳しくなってきたのは、中学生になり、F・マリノスのジュニアユースに入ってからでした」

— お父さんが有名だからここまで来れているんだ

 マリノスにおいて、水沼はレジェンドのひとり。その姓を持ち、F・マリノスの下部組織でプレーすれば、誰もがあれが水沼の息子だと意識し、目を向ける。周囲が意識すれば、その微妙な空気が広がり、本人にも伝播する。

「父と比べられたり、息子はああいうプレーするんだとか、そういう見られ方をしました。U-15の代表に入った時も僕はチームでバリバリに活躍していたわけじゃないのに選んでもらったので、お父さんが有名だからここまで来れているんだとか、親の七光りでプレーしているとか言われたりして、けっこう風当たりが強かったです」

 父の存在の大きさは普段、街を歩いていても感じられた。父のうしろをついて歩いていると通り過ぎる人が振り向いて、父の顔を二度見したりするので、「すごいな」と思っていた。日常生活はそれで済まされるが、サッカーのピッチではそうはいかない。みんな、好奇の目を向け、しかも有名選手の子どもは、普通の子の2倍、3倍増しで厳しく見られる傾向にある。父親がサッカー選手であることを誇りに思う子がいれば、その威光に反発したり、サッカー選手であることに苦しんだりする子もいる。

— 父と自分は同じじゃないし、関係ない

「僕は、まぁ言われているなって感じで、それで父を嫌いになるとかはなかったです。父と自分は同じじゃないし、関係ないって思っていた。一方でそういうことを言うやつらを見返すという気持ちもありました。そのためには自分がレベルアップして、結果を残して、自分の名前を認めてもらうしかない。自分が有名になれば、有名な父と肩を並べることができる。父と一緒に有名になるためには自分がやるしかない。そういう意識でプレーしていました」

 宏太は、父を尊敬し、非常にポジティブに物事をとらえていた。実際、親への反抗期はほとんどなかったという。今はSNSがあり、誹謗中傷の声が目や耳に容易に入ってくる時代になったが、イヤな声はいつの時も耳に届く。それでも自分を見失うことなく、父と肩を並べることに注力できたのは、なぜだったのか。

「家族の存在が大きいですね。小さい頃、母には、『有名選手の息子って必ずみられるからね。サッカーをやっていく以上、それは水沼という看板を背負っているがゆえの宿命でもあるから覚悟して生きていきなさい』と言われました。母は、父の影響で厳しい環境に置かれた僕を見て、『かわいそうだな』と思うこともあったようですが、僕が成長するプロセスで、父と母は道を外れないように整えてくれた。たぶん一人で、いろいろ考え過ぎていたらサッカーやりたくないと思うこともあったと思うんですけど、常に傍にいてくれたのでひとりで閉じ籠ることがなかった。友人や指導者にも僕は恵まれていたと思います」

— イヤなことはけっこうすぐに忘れてしまうタイプ

 父の貴史氏は忙しい中でも夕食の食卓をともにし、家族で話をする時間を作っていたという。宏太は、家族の愛情深いサポートで周囲の喧騒をそれほど気にすることなく、サッカーに集中することができた。脇道に逸れずサッカーに集中できたのは、自身の性格に因るところも大きい。

「基本的に、いろんなことを前向きにポジティブに考えますし、イヤなことはけっこうすぐに忘れてしまうタイプです。たぶん、その頃はたくさんイヤなことがあったと思うんですけど、そういうイヤな記憶がないってことは自分で消していったんだと思いますね。今もそうですけど、そこで悩むよりも次にいこうっていう性格でいれたのはすごく大きかったと思います」

 気持ちを切り替えて次に向かうのは、いうほど簡単ではない。だが、そうしなければ次に進めないほど、実際に起こったことは厳しく、いじめに近いものもあったはずだ。自分で消していったと水沼宏太は語ったが、そうして削除していかなければイヤなことが重なり、ストレスをかかえてしまう。そのために自己防衛が働いたのではないだろうか。

— 父から『こうした方がいいよ』と言われたことは1回もない

 ジュニアユースに入団した宏太は、ユースへの昇格に向けてプレーを続けていくが、ここの階段がトップへの昇格同様に非常に高いハードルになる。中3になると宏太は、父とサッカーについて話をすることが増えたという。

「中学から高校に上がる時、僕はユースに上がれると思っていなかったんです。だから、部活に入り、寮生活でサッカーだけに打ち込める環境にしたいと父に話をしました。父は、『寮に入ることでサッカーに打ち込めるならそれもいいと思う』と言ってくれました。僕の場合、相談というよりも自分でまず決めて、こうしたいけどどう思うみたいな感じの相談の仕方が多いんです。『どうしたらいいのか分からないから教えてほしいんだけど』と聞くことはほぼなかった。僕の中では父の後押しがすごく大きいんですよ。60%ぐらいしか決まっていなくても父に『がんばれ』と言われると100%になるので、父の言葉のパワーはすごいんです。逆に、父から『こうした方がいいよ』と言われたことは1回もなかった。もしかしたらそうじゃないと思うこともあったのかもしれないけど、僕の決断を尊重して自由にさせてくれた。それは、本当にありがたかったです」

— トップチームに上がれる可能性があるんだぞ

 さいわい宏太は、ジュニアユースからF・マリノスユースに昇格することができた。「めちゃくちゃびっくりした」と語るが、そのことを父に報告すると非常に喜んでくれた。

「父は、『よかったな』と言ってくれましたし、同時に『ユースに上がれるということは、トップチームに上がれる可能性があるんだぞ』ということを教えてくれました。これでプロへの道が開けましたし、しかも父がプレーしたチームで実現するかもしれないと思うと、もうやるしかないという気持ちでしたね」

 おもしろいことに親子だがプレースタイルはまったく異なる。貴史氏は、テクニックが高く、ドリブルで仕掛けるタイプ、対して宏太はクロスが武器で、攻守の両面でのハードワークが特徴の選手だ。

— 小さい頃は水沼の息子なのにってよくいわれました(苦笑)

「プレースタイルが違うので、小さい頃は水沼の息子なのにってよくいわれました(苦笑)。僕も父みたいなドリブルをしたいと思いましたけどね。ただ、アイデアとかパスの考えとかはけっこう一緒です。昔、試合を一緒に見返した時、これどう思ったと父に聞かれ、こういう風にやろうと思ったんだよねって答えたら、『わかる、わかる』っていわれて。そういうのは昔からけっこうありました」

 小さい頃から父のビデオを見ていたが、もしかしたらアイデアは父のプレーが目けら刷り込まれていったことが影響しているのかもしれない。

 宏太は、ユースでプレーした後、トップチームに昇格した。2年半在籍した後、9年半にわたって外の空気を吸ってプレー。そして、2020年F・マリノスに帰還した。

「僕が、ここまでやってこれたのは、父が偉大な選手だったことは変えられないので、そこに自分が追いつくことでしか父と肩を並べることができない、と思ったからです。代表に入り、ひとつずつ父の域に近づきつつありますが、次はタイトルですね。自分が活躍してタイトルを獲れば父と一緒に有名になるところに繋がるので、最後まで諦めずに全力を尽くして獲りにいきたいです」

 貴史氏が引退した1995年は横浜マリノスがリーグ戦のタイトルを獲得している。親子2代で同じチームでタイトルを獲得するのは、稀だ。

 それを実現した時、貴史氏は、どんな言葉を息子・宏太に贈るのだろうか。

 
 
2022/10/07 「代表入りで『父と肩を並べられた』と言ったが…」E-1選手権で初選出、水沼宏太32歳に芽生えた日の丸への執念「この場所にずっと居続けたい」 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー

— 家族が夢みてきた「日本代表入り」を実現できた

 日本代表のメンバー入りが決まった時、水沼は父・貴史氏に連絡をした。

「父に『入ったよ』と連絡をしたら、すごく喜んでくれました。でも、ここからだよっていう話もしてくれましたね。A代表は、僕がプロになってからずっと目指してきたところ。父が日本代表としてプレーした試合を直接見たことはないですけど、映像で見ると、すごいところで戦っていたんだなって思いましたし、父と肩を並べるには、そこに行かないといけないとずっと思っていました」

 水沼は、代表入りの記者会見で「今回の代表入りで父と肩を並べられた」と発言している。だが、実際に感じたことはちょっと違うのだという。

「肩を並べられたと言ったんですが、まだまだ到底及ばないところに父はいるなって思いましたし、代表に入ったけど、父のように活躍するには、これから継続的に呼んでもらえるように活躍していくことがいかに大事かというのを思いましたね。ようやくスタート地点に立ったというのが本音でした。ただ、日本代表に入るという家族が夢みてきたことを実現できたので、そこは諦めずにやってきて本当に良かったと思いました」

— 代表でもいつもの宏太くん

 日本代表に合流すると、水沼はすぐにチームに溶け込んだ。チーム最年長ということもあるが、選手たちに目を配り、声をかけた。その姿は、F・マリノスにいる時の水沼そのもので、畠中槙之輔は「F・マリノスでも代表でもいつもの宏太くんで、一番声が出ていたし、元気だった」と笑顔で語った。チームにスムーズに溶け込めるのは、水沼の特徴が活きたからだ。

「僕の特徴は、新しい選手とプレーする場合、その選手のことを観察して、短い間に選手の特徴を把握し、自分がどうしたらこの選手の特徴が活かせるか、どう動いたら自分を活かしてもらえるのかということを考えられることだと思っています。それができるようになったのは、いろんなチームにいってプレーした経験があったからでしょうね」

 水沼はF・マリノスに入団し、2年半プレーした後に活躍できる場を求めて外に出た。栃木に始まり、鳥栖、FC東京、セレッソ大阪と4チームを渡り歩き、各チームで自分が生きる術を探して、それを武器にして生き残ってきた。年齢が上がっていくと当然、視線は厳しくなるが、そういう声にも動じずに、年齢は関係ない、プレーで勝負という意識でやってきた。そうして、いろんなクラブでプレーした経験が、水沼の個性となり、それが代表でも活きた。

— いきなり代表に呼ばれたとしても「できない」はない

「移籍の際、移籍先など決断を間違えなかったので、各チームで今の自分の身になる経験ができたと思います。この4チームでの経験がなければ、僕は今の経験値を活かしたサッカーをすることが出来なかった。自分が所属したクラブ、チームメイトには感謝の気持ちしかないですね」

 E-1の香港戦では、相手が格下で優位に試合を進めることができて快勝した。それでも水沼は、よりよくプレーするために他選手と会話をかわし、プレーの確認をつづけた。

「僕は、人と話をするのが好きなんですよ。代表は活動期間が短いので、そこで話をしてお互いのことを知り、活かし活かされるということをやっていけば、チームも自分も輝ける。だから、いきなり代表に呼ばれたとしても『できない』はないですね。むしろ絶対にできると思っているので、そういう自分の特徴は今回の代表でも、これからにも活かしていきたい」

— 国内組の自分たちもできるんだよ

 水沼は、3戦目、勝てば優勝という韓国戦にスタメンで出場。右サイドバックの小池龍太、トップ下の西村拓真、ボランチの藤田譲瑠チマ、岩田智輝らとともに攻守に貢献。とりわけ右サイドからの攻撃は、よく知る仲間たちと呼吸を合わせた連携を見せ、これまでの代表にはない崩しを見せた。そうして、3-0で韓国を圧倒し、優勝を決めた。

「あの短い期間で、それほど期待されていない中、優勝できたのはすごく手応えを感じることができました。今回の代表には海外組の選手がいなかったんですが、国内組の自分たちもできるんだよっていうのを見せることができたし、Jリーグのレベルの高さを示すこともできたと思います。森保(一)監督からは終わってから『ありがとう』と言葉をかけてもらいました。こちらこそありがとうございましたという気持ちでしたが、最後に感謝の言葉をかけてもらったのは、すごくうれしかったですね」

— 父からは「おめでとう。点取れたらよかったね」

 優勝カップを掲げ、水沼は心からその瞬間を楽しんだ。同時に、この楽しい瞬間が終わってしまう寂しさも感じた。

「代表は、本当に特別な場所だなって思いました。サッカー選手をやっている上でずっと目指してきたところがここだったんだなって思いながら、代表のユニフォームを着てプレーして……サッカー選手って、多くの人に夢や希望、感動や勇気を与えられる職業だと思うんですけど、僕らサッカー選手にも夢がある。年齢は関係なく、諦めなければ夢は叶うということをみんなに伝えることができたのかなと思います」

 E-1で優勝後、父からは「おめでとう。点取れるチャンスがあったけど、それで点取れたらよかったね」という言葉をもらった。

 日本代表でプレーするというひとつの夢は叶った。だが、ひとつ達成すれば、その先に進みたくなるのがアスリートだけではなく人間の性だ。水沼は一度、代表でプレーしたことで、代表への気持ちが以前よりも大きく膨らんできている。

— ドイツ遠征に選ばれなかったのですごく悔しかった

「日の丸をつけて戦うというのは、サッカー選手としてすごく幸せなことだなっていうのは試合に出て感じましたし、この場所にずっと居続けたいという気持ちにさせてくれました。また、すぐにでも行きたいと思いましたが、ドイツ遠征に選ばれなかったのですごく悔しかったです。W杯前の大会に選んでもらって閉ざされた扉が少しは開いた感覚があったので、これからも継続して代表に呼ばれ、試合に出られるようになりたい。その気持ちがさらに強くなりました」

 カタールW杯は、もう目前だ。11月1日には26名のメンバーが発表される。W杯は、水沼にとって、どういうものなのだろうか。

— これまでW杯はテレビで見る大会でした。でも…

「これまでW杯はテレビで見る大会でした。出たい気持ちはあったけど、そのレベルにはまだ自分は達していないと思っていましたし、代表にも呼ばれていなかったので、自分が出る期待感はなかったです。でも、E-1で代表に呼ばれてプレーしたことでテレビで見る大会という意識はまったくなくなりました。本当に行きたい気持ちが純粋にあるだけなので、最後まで絶対に諦めずに全力でやれることをやっていきたいです」

 ドイツ遠征には招集されなかったが、それで26名のメンバー入りの可能性がゼロになったわけではない。今後も特に何かを変えることなく、自分のプレーを継続していけば、その延長線上に見える扉が再び開く可能性は十分にある。

 
 
2022/10/07 「父と同じタイトルを獲れることってなかなかない」 “水沼貴史の息子”宏太が横浜F・マリノスで叶えたい夢「目標は父と一緒に有名になる」 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー

— 見ている人は見ているんだなって思ったんです

「昨シーズンは、全然スタメンに絡めず、マジでこれまでに感じたことがない悔しさがありましたし、自信を失いかけました。年末にいろんなチームから声をかけてもらったんですが、その時、見ている人は見ているんだなって思ったんです。自分がやっていることは間違いじゃなくて、自信を持っていいんだなって思ったんですよ。それで気持ちが吹っ切れました」

 水沼のプレースタイルを高く評価し、湘南や京都など複数のチームからオファーが届いた。しかし、水沼は最終的に残留を決めた。

「僕がF・マリノスに移籍してきたのは、今ならF・マリノスで活躍できると思ったからです。でも、F・マリノスでは、まだ自分の力を発揮できていない。できるというところをみんなに見せつけることができていないんです。そう思って、残留を決めました。決めたことで前向きになり、新たな気持ちでよしやろう、自分を表現してやるぞみたいな意識になれました。心と体のバランスが取れてシーズンに入れたのがすごく大きかったですね」

— 今日は楽しかったという気持ちになることがすごく多い

 サッカーに取り組む意識が変わると前向きに思考が変わり、プレーも変わった。その変化をケヴィン・マスカット監督は見逃さず、水沼は開幕からスタメン起用された。昨年はシーズンを通してスタメンはわずか1試合、計3得点だったが、今シーズンはリーグ戦出場27試合でスタメンは16試合に増え、得点も7に伸ばしている。

「今年は、試合に出ているので少なくとも昨年よりはチームに貢献出来ているのかなと思います。試合や練習もすごく集中して、夢中になってできているので、今日は楽しかったという気持ちになることがすごく多いんですよ。そうしてサッカー自体を楽しめているのも好調を持続できている要因かなって思います」

 優勝争いは、F・マリノスがリードしているが、眼下にいる川崎が虎視眈々とその座を狙っている。昨年、F・マリノスは勝ち点79と優勝できるレベルにあったが、川崎が勝ち点92という驚異的な数字を残して、2連覇を達成した。

— 昨年は川崎に圧倒的な力の違いを見せつけられた

「昨年、自分たちは多くの勝ち点を挙げられたんですけど、それ以上に川崎に圧倒的な力の違いを見せつけられたし、正直強いなと思いました。ただ、今年はそれほど川崎を意識することはなく、自分たちのサッカーを表現するというところに注力できているので、それが結果に繋がっているのかなと思います」

 昨年、シーズン途中でアンジェ・ポステコグルー監督が欧州に挑戦の場を移し、マスカット監督がその路線を踏襲した。だが、監督が途中で代わったストレスはゼロではなかった。今年は、マスカット監督の下でキャンプをスタートし、戦術的な理解度が深まり、新しい選手との意思疎通も図られた。

「やっぱり昨年と同じ監督でシーズン前からやれたのは大きいです。今までやってきたサッカープラス、新しい積み上げがあったり、いろんなチャレンジをしてきているので、選手全員が気持ちよくサッカーを出来ているのかなと思いますね。僕自身も今の監督のサッカーは、より自分の強みを活かしてくれるスタイルなので、昨年以上に自分のパフォーマンスを出せていると思います」

— タイトルが掛かった試合に活躍する“持っている男”

 F・マリノスは第31節の名古屋戦に水沼の2ゴールなどで勝利したことで、11月5日の最終節を前に優勝のチャンスが近づいている。10月8日の次節でF・マリノスがガンバ大阪に勝ち、川崎が清水に引き分けるか敗れると優勝が決まる。

 水沼は実はタイトルが掛かった試合に活躍する“持っている男”でもある。セレッソ時代、2017年のルヴァン杯準決勝のガンバ戦では木本恭生の決勝ゴールを演出し、2018年天皇杯決勝のF・マリノス戦では延長前半5分に決勝弾を決めた。

「天皇杯のゴールは、決めたというよりも決まっちゃった感がありますけど、やっぱり決勝に行くと気持ちが昂るというのがありますし、楽しくプレーできているところもあります。リーグ戦は最後の1試合まで気が抜けないですし、集中力が必要になってきます。その集中力が今の自分はまだ足りないので、そこをもっと高めて結果を残し、自分の価値を高めてF・マリノスの優勝に貢献したいと思っています」

— 父・貴史氏は35歳で引退。32歳の宏太は?

 水沼は今、32歳だ。その年齢で初めて代表入りしたことで、そのことがクローズアップされたが、水沼はまったく気にしていない。少なくとも10年前と異なり、アスリートの引退年齢は上がりつつある。父・貴史氏は35歳で引退したが、水沼はあと3年でその年齢になる。そのことを考えたりすることはあるのだろうか。

「父が35歳で引退したのは知っていますが、だからといって自分がそこまで絶対にやりたいとか、そこでやめるとか、特別な意識はありません。32歳で代表に選んでもらいましたし、まだまだ成長できると思うし、サッカーが大好きですからね(笑)。年齢だけで判断されるのは悔しいし、どこを見てるんだよって言いたくなる時もあります。でも、年齢を重ねるということは、経験を積むということなので、勢いでやっている選手よりは確実に勝るものがあると信じています。その強みを活かして成長していきたいですし、ギラギラしたものをどんどん出せるようにしていきたい。そうして、いつの間にか35歳を超えているのがいいんじゃないかなぁと思っています」

— 昔から目指してきた父と一緒に有名になるという目標
 父が引退した95年、マリノスは初のリーグ優勝を果たしている。F・マリノスが誕生30周年という節目となる今シーズン、水沼はタイトルが欲しいと語る。

「セレッソでの天皇杯優勝もそうですが、父と同じタイトルを獲れることってなかなかないですからね。父は、マリノスができたシーズンからプレーし、95年に優勝した。僕は30周年を迎えたF・マリノスの歴史の節目にいて、タイトルを獲れるチャンスがある。それは、すごく幸せなこと。偉大な先輩たち、父もそうですけど、そういう人と一緒に歴史に名を刻みたいですね。もちろん、昔から目指してきた父と一緒に有名になるという目標も、このタイトルを獲ることで繋がると思うので、最後まで諦めずに全力を尽くして優勝を勝ち取りたいです」

 父に近づき、F・マリノスの歴史に名を刻み、ホーム&アウェイで応援してくれたファンに恩返しをするためにもF・マリノスの優勝が欠かせない。

「僕の夢のひとつでもあるタイトルを」

 残りのゲーム、水沼は、その思いの強さをピッチ上で証明してくれるだろう。

 
 
2022/10/11 横浜マリノス、12日に優勝決めるか 大詰めのJ1: 日本経済新聞

大詰めを迎えている明治安田生命J1リーグは12日に5試合を行い、首位横浜Mが勝ち、2位川崎が引き分け以下なら横浜Mの3年ぶり5度目の優勝が決まる。横浜Mは日産スタジアムで最下位磐田と、川崎は等々力陸上競技場で14位京都と対戦する。

【関連記事】J1、横浜M敗れ優勝決まらず 川崎は清水に競り勝つ
残り3試合で勝ち点は横浜Mの62に対し川崎は57。前節、横浜Mが敗れて川崎が勝ったため両チームの勝ち点差は5に縮まった。12日の試合を終えた時点で勝ち点7以上の差がつけば決着となる。

横浜Mは前節のG大阪戦では圧倒的に攻めながら無得点に終わった。磐田戦も守りを固める相手を崩すことがテーマになりそう。トップ下の西村は「パスばかりでは相手も怖くない。ゴールに向かっていって怖さを出したい」。故障を抱えながらプレーするDF小池龍は「難しい状況だけどやらなきゃいけない」と話した。

一方、川崎は前節で清水に逆転勝ちしたものの、主軸の相次ぐ故障離脱が響いてここ2試合で計6失点と安定感を欠いている。主将のDF谷口が「一人ひとりが試合の流れを読んで、チームとしても合わせていかなければ」と語る通り、守備を立て直して連続失点を防ぐことが逆転優勝へのカギになる。

 
 
2022/10/11 特殊詐欺の注意喚起に協力「マリノスケ」に感謝状贈呈

特殊詐欺の注意喚起に協力したとして、横浜市のJリーグチームのキャラクターに感謝状が贈呈されました。

横須賀市と田浦警察署などが感謝状を贈呈したのは、横浜F・マリノスの公式キャラクター「マリノスケ」です。

神奈川県内では11日から、防犯活動の強化を呼びかけるキャンペーンが行われていて、田浦警察署などは「マリノスケ」を起用したポスター約500枚作成し、特殊詐欺に注意するよう呼びかけました。

今年、神奈川県内では8月までに23億円あまりの特殊詐欺の被害が確認されていて、去年より約9億円も増加しているということです。

 
 
2022/10/06 クラブとエージェントとの関係性(横浜F・マリノス/22年編) | junjunのサッカーエージェント的ブログ
 
 

 
 

今日のこけまり

【スタジアム観戦情報まとめ】2022/10/12(水)19:00KO J1第27節 横浜F・マリノスvs.ジュビロ磐田@日産スタジアム ※声出し応援対象試合 | タイトル
【スタジアム観戦情報まとめ】2022/10/12(水)19:00KO J1第27節 横浜F・マリノスvs.ジュビロ磐田@日産スタジアム ※声出し応援対象試合
 
 

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