[ウニオン・ベルリン(ドイツ1部) #fcunion への期限付き移籍を発表]遠藤 渓太(えんどう けいた) @keita_ed [2020 移籍/新加入/契約更改]


[ウニオン・ベルリン(ドイツ1部)への期限付き移籍を発表]遠藤 渓太(えんどう けいた) @keita_ed [2020 移籍/新加入/契約更改]

ダイジェスト

2020/07/23 横浜MF遠藤渓太、独1部ウニオン・ベルリン移籍決定的!東京五輪へ22歳の大勝負― スポニチ Sponichi Annex サッカー
2020/07/23 独移籍決定的の横浜・遠藤 節目での強さ生む“開き直り力”― スポニチ Sponichi Annex サッカー
2020/07/23 横浜M 遠藤渓太が独1部ウニオン・ベルリンに期限付き移籍 前田大然はC大阪と争奪戦/サッカー/デイリースポーツ online
2020/07/24 独移籍が決定的の横浜MF遠藤 26日ラストマッチへ 敵地・札幌戦で2戦連発“惜別ゴール”期待― スポニチ Sponichi Annex サッカー
2020/07/24 【横浜M】遠藤渓太にドイツ1部ウニオン・ベルリンから正式オファー : スポーツ報知
2020/07/24 ドイツ移籍決定的の横浜MF遠藤、26日札幌戦へ意気込み「そこが自分のラストだと思って」― スポニチ Sponichi Annex サッカー
2020/07/24 横浜M遠藤「オファーうれしい」 ドイツ1部への移籍浮上 | 共同通信
2020/07/25 【横浜M】MF遠藤渓太、有終の美で恩返し「自分の全てをぶつけられれば」 : スポーツ報知

2020/07/25 遠藤渓太選手 1. FC Union Berlin (ドイツ)へ期限付き移籍のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
2020/07/25 Keita Endo signs for 1. FC Union Berlin | Professional | 1. FC Union Berlin
2020/07/25 ウニオン・ベルリン 遠藤獲得を発表、1年契約 大きな期待「我々を助けてくれるだろう」― スポニチ Sponichi Annex サッカー
2020/07/25 「スピードとテクニック」に期待、遠藤渓太のウニオン移籍を発表 | kicker日本語版
 
 


 
 

Webニュースログ

 
2020/07/23 横浜MF遠藤渓太、独1部ウニオン・ベルリン移籍決定的!東京五輪へ22歳の大勝負― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 東京五輪のサッカー男子代表入りを目指すU―23日本代表MF遠藤渓太(22=横浜)のドイツ1部ウニオン・ベルリン移籍が決定的であることが22日、明らかになった。来季終了までの期限付き移籍で、買い取りオプション付き。交渉は細部の詰めを残すのみとなっており、近日中にクラブから発表される。365日後のピッチへ、22歳が生き残りを懸け欧州での大勝負に出る。

 東京五輪までちょうど1年というタイミングで、遠藤が欧州移籍することが分かった。複数の関係者によると、交渉は順調に進んでおり、決定間近。力強いドリブルなど縦への推進力を誇る左サイドのアタッカーは、大切な戦力として横浜から慰留されたが、海外挑戦への強い意志が揺るぐことはなかった。

 遠藤は五輪世代の注目株。森保ジャパン初期の18年1月U―23アジア選手権(中国)から招集されてきた。クラブ同様に左サイドを主戦場とし、ウイングバックと2列目でも経験を積んだ。昨年12月のE―1選手権でA代表デビュー。だが、1月のU―23アジア選手権(タイ)では出番がなかった。チーム内の序列を痛感し「ここからまたはい上がっていけばいい」と強い決意で今季に臨んでいた。

 下部組織から約10年間も在籍する愛着のあるクラブを飛び出し、あえていばらの道へ進むのは、ステップアップのためだ。新天地のドイツで主力の座をつかめば、タフさも兼ねて最高のアピールにつながる。森保監督は代表の選考過程で所属クラブで試合に出続けることや、心身両面のタフさを重視する指揮官。五輪世代にはA代表入りを強く促している。

 ウニオン・ベルリンへは買い取りオプション付きのレンタル移籍となる。来季の活躍次第では完全移籍も可能となる契約内容で、東京五輪にはドイツから“凱旋”となる道も視野に入る。関係者によると、DF内田(鹿島)以来の日本人となるアタッカーへの期待値は現地のクラブ関係者内でも高いという。

 五輪男子サッカーの初戦は7月22日。「自分は五輪を目指してここ何年か取り組んで目標にしてきた」と言う遠藤は、新型コロナ禍で五輪の1年延期が決定した後も「自分たちの誰にもチャンスがあるとなれば、そこを目指す気持ちは変わらない」と改めて出場への意欲を言葉にしてきた。1年後の大舞台へ。若武者はドイツから、飛躍の階段を駆け上がる。

 ≪最激戦区2列目≫五輪世代は遠藤と同じ2列目、ウイングバックの左サイドには強力なライバルがひしめいている。特に2列目は最激戦区。久保(マジョルカ)を筆頭に食野(ハーツ)、安部(バルセロナB)、伊藤(シントトロイデン)、森島(広島)らが出番を得てきた。ウイングバックは杉岡(鹿島)、相馬(名古屋)の優先順位が高く、菅(札幌)らもいる。

 ▽ウニオン・ベルリン 1966年、旧東ドイツのベルリン・ケーペニック地区で創設。主なタイトルは67~68年の東ドイツ杯優勝。東西ドイツ統一後は主に地域リーグに所属し、01~02年に2部初昇格。19~20年に1部初昇格し、11位で残留を果たした。2部時代の17~18年にDF内田篤人(現鹿島=写真、共同)がプレー。本拠地はアルテ・フェルステライ(2万2012人収容)。

 ◆遠藤 渓太(えんどう・けいた)1997年(平9)11月22日生まれ、横浜市出身の22歳。二俣川SC―横浜ジュニアユース―横浜ユースを経て16年にトップチーム昇格。1年目からJ1で23試合に出場。18年ルヴァン杯でニューヒーロー賞。17年U―20W杯など各年代別日本代表に選出され、昨年12月のE―1選手権中国戦でA代表デビュー。好きな選手はベルギー代表MFアザール。趣味は魚観賞でペットはドンコ。1メートル75、66キロ。利き足は右。

 
 
2020/07/23 独移籍決定的の横浜・遠藤 節目での強さ生む“開き直り力”― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 持ってる子だな。それが横浜MF遠藤に対する率直な印象だ。とにかく節目に強い。17年9月のG大阪戦で奪ったリーグ初得点は劇的な決勝点に。19年7月のマンチェスターCとの親善試合でも王者相手に得点し、8月の名古屋戦ではJ1通算2万2000点目のメモリアル弾をマークした。今季もJ1通算100試合出場達成となったFC東京戦でネットを揺らし、横浜FC戦での“惜別弾”。なぜ節目で結果を残せるのか。それは逆風にさらされても心を切らさない“開き直り力”にあると見ている。

 クラブが15年ぶりのリーグ優勝を飾った19年シーズン。遠藤は7得点7アシストとキャリアハイの数字を記録したが、馬力のある外国人選手との先発争いでは後れを取り、ベンチスタートに甘んじる日々が続いた。まだ22歳。不満を抑え込むには若く、「俺の方が点取ってるのにな」「なんで先発で出れないんだろ」と本音はこぼれる。それでも、いつも最後には「でも、やるしかないんすよね」と自分に言い聞かせるように話してロッカールームに引き揚げる。逆境に置かれても最後は自ら「やるしかない」と腹をくくり目の前の一戦に集中できる強さを備えていて、優勝決定戦となったFC東京戦では勝利を引き寄せる3点目を奪ってみせた。

 新天地ドイツでは一からのポジション争いだけでなく、食事や文化の違いなど、経験したことのない高い壁にぶつかるかもしれない。それでも「やるしかない」のマインドを持ち合わせている遠藤なら、何か大きなことをやってくれるかも――。持ってる男にはそんな期待をしてしまう。(前横浜担当・井上 侑香)

 
 
2020/07/23 横浜M 遠藤渓太が独1部ウニオン・ベルリンに期限付き移籍 前田大然はC大阪と争奪戦/サッカー/デイリースポーツ online

 来夏の東京五輪代表候補でJ1横浜MのMF遠藤渓太(22)がドイツ1部ウニオン・ベルリンに1年間の期限付き移籍することが22日、決定的となった。複数の関係者によると、交渉は大筋で合意に達しているという。

 遠藤は横浜M下部組織出身で、昨季は左サイドを主戦場に33試合7得点を挙げるなど横浜Mのリーグ優勝に貢献した。12月には国内組で編成された日本代表にも初選出され、E-1選手権で2試合に出場した。今季は12日のFC東京戦でJ1通算100試合出場を達成。東京五輪を1年後に控え、新たな挑戦の場を欧州に移す。

 ウニオン・ベルリンには17年8月から約半年間、元日本代表DF内田篤人が在籍。クラブ史上初の1部挑戦となった今季は11位と健闘し、1部残留に成功した。遠藤の持ち味であるスピードや攻守の切り替えの速さを評価し、買い取りオプション付きの獲得オファーを提示した。

 遠藤流出に備え、横浜Mは迅速な対応を見せた。今季ポルトガル1部マリティモでプレーしたJ2松本のFW前田大然(22)に対し、既に完全移籍での正式オファーを提示して代替戦力の確保に乗り出している。

 昨年まで前田の仲介人を務めていた梶野智氏がチーム統括部長を務めるJ1C大阪との争奪戦に発展しているが、関係者によると前田本人は横浜Mへの移籍に気持ちが傾いているという。

 
 
2020/07/23 遠藤渓太は「注目の日本銘柄」。現代的アタッカーはドイツで羽ばたくか|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

小宮良之●文

 7月22日、日産スタジアム。横浜F・マリノスの背番号11、遠藤渓太(22歳)は、同じ街のライバルである横浜FCを4-0で下した試合後、ヒーローインタビューに答えている。1得点1アシストで、その力を示した。

「チームが調子を取り戻すためにも、結果が出せてよかったです。(水沼)宏太君が(交代で)入って、”クロスでいいボールが来る”というのはわかっていた。いつもと違って左足でしたけど、あまり得意ではないヘディングで合わせられました。(アシストは)ラッキーでこぼれたんですけど、仕掛けた結果だと思います。エジ(エジガル・ジュニオ)もいい位置にいてくれました」

 遠藤は簡潔に説明した。そのプレーも言葉と同じく、理にかなっていた。自然で無駄がない。いい状態の時の彼は、そこに面目躍如がある。

横浜FC戦で1ゴール1アシストの活躍を見せた遠藤渓太(横浜F・マリノス)「ドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリン(2019-20シーズンは11位)への移籍が決定的」

 試合翌日、その報道が出た。はたして、遠藤はドイツで羽ばたけるのか?

 遠藤は、横浜FMの下部組織で育っている。2016年にプロ1年目の18歳でデビューし、リーグ戦は23試合に出場。2017年にはリーグ戦出場は減ったが、U-20ワールドカップで決勝トーナメント進出に貢献している。2018年には定位置をつかみ、ルヴァンカップでは新人王に値するニューヒーロー賞を受賞した。2019年には、自己最多のリーグ7得点を記録し、リーグ優勝に貢献している。

 森保一監督が率いる東京五輪世代の代表メンバーにも定着。昨年12月には、E-1選手権で代表デビューを果たした。将来が嘱望される選手であることは間違いないだろう。

 遠藤のプレーは、スピードとテクニックが融合している。左サイドを中心に周りと連携しながら、攻撃を作り出す。右足でボールを持って、中に切り込む形もひとつの武器とする。いわゆる「逆足」(利き足と違うサイドでプレー)で、外からのクロスだけでなく、中に入って切り崩すプレーを得意とする。典型的な現代的サイドアタッカーだ。

 逆足のサイドアタッカーは、今や世界のサッカーシーンをリードしている。リオネル・メッシ(バルセロナ)、サディオ・マネ、モハメド・サラー(リバプール)、ラヒーム・スターリング、リヤド・マフレズ(マンチェスター・シティ)、ジェイドン・サンチョ(ドルトムント)らは、崩すプレーだけでなく、得点力も出色。攻撃型のチーム編成では欠かせない。

 そして日本人選手は、このポジションで垂涎の的になっているのだ。

 レアル・マドリードが所有権を持つ久保建英は、その筆頭格と言える。スペイン1年目で、マジョルカの攻撃をけん引。右サイドをスタートポジションに、自在に中央に切り込み、割って入れるファンタジスタだ。

 他にも、2019-20シーズンに欧州でプレーした逆足の日本人アタッカーは枚挙にいとまがない。スペインの乾貴士(エイバル)、安部裕葵(バルサB)、ポルトガルの中島翔哉(ポルト)、オランダの堂安律(PSV)、中村敬斗(トゥウェンテ)、ベルギーの三好康児(ロイヤル・アントワープ)、スコットランドの食野亮太郎(ハーツ)など、人材豊富だ。

 日本人の持っている俊敏性と高い技術は、欧州でも大きな利点になっている。爆発的なスプリント力はないが、素早さを反復して先手を取れる。また、ボールを止め、動かす技術に長けるだけでなく、多くの選手がコンビネーションも使えるのだ。

 遠藤も、”注目の日本銘柄”と言えるだろう。

 横浜FC戦も、持ち味を発揮していた。アシストしたシーンでは、自ら仕掛け、一度はボールを奪われかけたが、取り戻し、1対2の局面をすり抜けている。ラストパスも完璧だった。

 得点のシーンでは、右からのクロスに対し、相手ディフェンスの背後を取って、しっかりヘディングでコントロールした。簡単に映るが、サイドアタッカーがファーポストにタイミングよく入る動きは、戦術眼が必要となる。逆サイドでボールを持った選手が下がったら、前のスペースを狙う釣瓶(つるべ)の動きだが、メッシはパサーの時もフィニッシャーの時も、その質が高い。

 遠藤のセンスが顕著に出たのは、前半17分の場面だろう。エリア内で巧みに動いて縦パスを受け、反転からの右足シュート。ボールは右へ逸れていったが、”瞬殺”だった。動きの質、コントロールなどは瞠目すべきレベルで、頭が整理されているのだろう。あえて言えば、これを枠に飛ばすことができるようになれば、ステージは上がるはずだ。

 遠藤は次節、7月26日の北海道コンサドーレ札幌戦が、横浜FMでの最後の試合となる可能性が高い。

 
 
2020/07/24 独移籍が決定的の横浜MF遠藤 26日ラストマッチへ 敵地・札幌戦で2戦連発“惜別ゴール”期待― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 ドイツ1部ウニオン・ベルリンへ、買い取りオプション付きの期限付き移籍が決定的となっているU―23日本代表MF遠藤渓太(22)の横浜でのラストマッチは、26日のアウェー札幌戦となる見込みだ。両クラブ間の交渉は細部の詰めを残すのみで、決定は秒読み。順調に契約がまとまれば月末に渡欧する予定で、その場合は下部組織時代から約10年間育ったクラブでの最終戦を札幌の地で迎えることとなる。

 今季を11位で終えたウニオン・ベルリンは、1部での2シーズン目となる来季に向け、27日から始動する。まずは新型コロナウイルスの検査や体力テストなどを3日間、その後30日~来月2日まで1次キャンプ、さらに17~25日に2次キャンプを行う。契約に至れば遠藤はチームに途中合流する。22日の横浜FC戦では1得点1アシストと輝きを放った22歳。クラブの生え抜きが最後にもたらす、2戦連発の“惜別ゴール”に期待が高まる。

 
 
2020/07/24 【横浜M】遠藤渓太にドイツ1部ウニオン・ベルリンから正式オファー : スポーツ報知

 横浜MのMF遠藤渓太(22)に、ドイツ1部のウニオン・ベルリンから期限付き移籍の正式オファーが届いていることが23日、分かった。本人はかねて海外志向があり、近日中にも契約が締結される見込み。

 下部組織出身の遠藤は、果敢なドリブルと思い切りのよいシュートが持ち味。J1通算102試合13得点で、1年延期された東京五輪世代であり、19年12月には国内組で編成された日本代表にも選出された。

 ウニオン・ベルリンはDF内田篤人(鹿島)が17年8月から半年間在籍し、1部に初昇格した今季は11位だった。

 
 
2020/07/24 ドイツ移籍決定的の横浜MF遠藤、26日札幌戦へ意気込み「そこが自分のラストだと思って」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 J1横浜は24日、敵地の札幌戦(26日)に向けて調整し、ドイツ1部ウニオン・ベルリンへ、買い取りオプション付きの期限付き移籍が決定的となっているU―23日本代表MF遠藤渓太(22)がオンライン取材に応じた。

 練習を終えた遠藤は「素直にオファーが届いたのは嬉しいこと。今までのマリノスやアンダーの代表での活躍が認められての結果だと思う」とオファーについて認め、「まだマリノス(の選手)としての試合は次の札幌戦がある。そこが自分のラストだと思って準備していければ」と意気込んだ。
 横浜には、下部組織のジュニアユース時代から約10年間も在籍。「僕はずっとマリノスでお世話になって、マリノスでプレーしてきたという思いがある」。クラブへの愛着と感謝を、札幌戦に向けた言葉にも込めた。
 「自分の全てをしっかりとぶつけられればいい。それが今、僕にできる最大の恩返しだと思っている」
 前節の横浜FC戦では1得点1アシストの活躍で4―0の勝利に貢献し、本拠地に駆けつけたサポーターの前で輝いた。コロナ禍でアウェー席のチケット販売がないため、次節の札幌戦の会場に横浜のサポーターはいない。それでも、画面越しに届くものはある。
 「出るからには自分に求められたプレーができればいいと思っているし、出ない中でもチームでできることを最大限やれれば」。有終の美へ、準備する。

 
 
2020/07/24 横浜M遠藤「オファーうれしい」 ドイツ1部への移籍浮上 | 共同通信

 サッカーのドイツ1部リーグ、ウニオン・ベルリンから獲得の申し出を受けたJ1横浜MのMF遠藤が24日、横浜市内での練習後に取材に応じ「オファーは素直にうれしい。マリノスや代表での活躍が認められた結果だと思う」と、初の海外挑戦へ意欲をにじませた。

 買い取りオプション付きの期限付き移籍で交渉が進んでおり、26日の札幌戦が横浜Mでの最終戦になる可能性がある。22歳で東京五輪世代のアタッカーは、ジュニアユース時代から横浜M一筋で「ずっとマリノスでお世話になってきた。(札幌戦は)自分の全てをぶつけられればいい。それが最大の恩返し」とクラブへの愛着も口にした。

 
 
2020/07/25 【横浜M】MF遠藤渓太、有終の美で恩返し「自分の全てをぶつけられれば」 : スポーツ報知

 ドイツ1部のウニオン・ベルリンから正式オファーを受けているMF遠藤渓太(22)は24日、次節・札幌戦(26日・札幌ド)で自身の集大成を示すことを誓った。

 下部組織時代を含め、約10年間マリノス一筋の22歳。「ずっとマリノスにお世話になってきたという思いはあるので、自分の全てをぶつけられれば。それが、今できる最大の恩返し」と宣言した。クラブへの愛着はある一方、横浜Mに在籍経験があり、海外移籍したMF久保建英(マジョルカ)や三好康児(アントワープ)を始め、東京五輪世代の多くが欧州で活躍中。海外クラブでのプレーに憧れていただけに、「素直にオファーが届いたことはうれしい。マリノスや代表での活躍が認められての結果」と胸を張った。

 札幌戦は、FW仲川輝人(27)やMFマルコスジュニオール(27)らがけがで欠場濃厚だが、「札幌戦がラストだと思って、準備したい」と、有終の美を飾り恩返しする。

 
 
2020/07/25 遠藤渓太選手 1. FC Union Berlin (ドイツ)へ期限付き移籍のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

遠藤渓太選手が、1. FC Union Berlin (ドイツ)へ期限付き移籍することでクラブ間合意致しましたので、お知らせいたします。期限付き移籍期間は2021年6月30日までとなります。

なお、ファン・サポーターの皆さまへのご挨拶の場としまして、7月28日19時30分(予定)より、横浜F・マリノス公式YouTubeチャンネルにおいて、YouTube Liveの実施を予定しております。イベントの詳細は、決定し次第公式サイトにてご案内させていただきます。

遠藤渓太選手コメント
「この度ウニオンベルリンに期限付き移籍することになりました。僕にとってF・マリノスは小さい時からの憧れでした。
今思うと、小学校で配られるF・マリノスの下敷きだったり、メモ帳、ノート。街中で見かけるポスターやフラッグ。それら全てが、少年だった時の僕がF・マリノスでプロサッカー選手を目指す原動力になっていました。自分にとって初めての移籍ということもあってもちろん不安もあります。それでも一切逃げるつもりはないし、どんな壁に当たっても泥水すすってでも何かを掴んでこようと思っています。
スクールから数えて16年間、自分の人生の半分以上をF・マリノスで過ごし、たくさんの事を教わりました。
僕ができる恩返しはドイツで結果を残して活躍する事だけだと思っています。
去年、サポーターの皆さんとチームメイトと一緒にリーグ優勝出来たことは一生の思い出であり忘れません。
F・マリノスの誇りを胸にドイツで頑張ってきます!いってきます!」

 
 
2020/07/25 Keita Endo signs for 1. FC Union Berlin | Professional | 1. FC Union Berlin

1. FC Union Berlin have completed their third summer signing with Japanese attacking-midfielder Keita Endo joining on a season-long loan with the option to buy.

The left-sided attacker will swap Yokohama for Berlin and becomes the latest in a long line of Japanese players to move to Germany. The 22-year-old has featured 139 times for Yokohama F. Marinos in the J-League, Cup and the Asian Champions League. With 16 goals and 22 assists to his name, Endo has knocked on the door of the national team, earning his debut with Japan in December against China.

“I’m very proud to come into the Bundesliga and to be able to show my skills in one of the best leagues in the world. I’ve heard a lot of good things from the club and the city and I’m looking forward to playing at the Stadion An der Alten Försterei soon,” said the two-time capped Endo on completing his transfer to Union.

“We’ve been watching Keita Endo for a long time and we’re happy that he has decided to come to Köpenick. Keita is a very interesting player with great skills who can help us with his speed and technique. Now it’s important to integrate him as quickly as possible and to make his arrival in Germany as easy as possible so that he can demonstrate his full potential in the Bundesliga,” said Oliver Ruhnert, Union’s Director for Professional Football.

 └ Google 翻訳
 
 
2020/07/25 ウニオン・ベルリン 遠藤獲得を発表、1年契約 大きな期待「我々を助けてくれるだろう」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 ドイツ1部ウニオン・ベルリンは25日、J1横浜からMF遠藤渓太(22)を期限付き移籍で獲得したと発表した。契約期間は1年で、完全移籍の買い取りオプションが付く。

 クラブは公式サイトで、遠藤を左サイドのアタッカーと紹介。横浜でJリーグ、カップ戦、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で公式戦139試合に出場し、16得点22アシストをマークしていること、昨年12月に日本代表でデビューしていることなどを伝えた。

 クラブのディレクターを務めるルーナート氏は「我々はケイタ・エンドウを長い間見てきた」と明かした上で「ケーペニック(ベルリン)に来ると決断してくれたことをうれしく思う」と加入を歓迎。「ケイタは素晴らしい技術を持つ興味深い選手で、スピードとテクニックで我々を助けてくれるだろう。ブンデスリーガでポテンシャルを発揮してもらうために、早く(チームに)溶け込んでもらうこと、ドイツでの生活に早く慣れてもらうことが重要だ」と大きな期待を寄せた。

 ▽ウニオン・ベルリン 1966年、旧東ドイツのベルリン・ケーペニック地区で創設。主なタイトルは1967~68年の東ドイツ杯優勝。東西ドイツ統一後は主に地域リーグに所属し、2001~02年に2部初昇格。2019~20年に1部初昇格し、11位で残留を果たした。2部時代の2017~18年にDF内田篤人(現鹿島)がプレー。本拠地はアルテ・フェルステライ(2万2012人収容)。

 
 
2020/07/25 「スピードとテクニック」に期待、遠藤渓太のウニオン移籍を発表 | kicker日本語版

 1.FCウニオン・ベルリンはクラブ史上3人目となる、日本人選手の獲得を発表した。日本のJリーグ、横浜Fマリノスより遠藤渓太を1年間の期限つきにて加入。ただしウニオン側には、買取オプションも付随している。ただしその金額については、特に明かされていない。

 ブンデス5部相当オーバーリーガ時代の奥山譲(2005/06シーズン、7試合出場)、そしてブンデス2部時代の内田篤人(2017/18シーズ、2試合出場)に続く、ウニオン入りを果たした同選手は「世界最高峰であるブンデスリーガに移籍できることは誇りです。この街やクラブのことはとても良い話を耳にしていますし、本拠地アルテン・フェルステライでプレーする日を楽しみにしています」と、クラブ公式にて喜びのコメント。

 またマネージャーを務めるオリヴァー・ルーネルト氏は、「長期に渡り我々は、遠藤渓太をチェックしてきたし、彼がウニオン移籍を決断してくれたことを嬉しく思うよ」と述べ、「渓太はスピードやテクニックなど、素晴らしい資質をもった大変興味深い選手。これからできるだけチームに早く馴染んでもらいたいね」と期待感を示した。「早くブンデスリーガの舞台で、その力をフルに発揮してもらいたい」

 両サイドでプレー可能な遠藤は左サイドを主戦場としており、横浜Fマリノスにて今季6試合中5試合で出場、2得点をマークしている。さらに日本代表の一員としても、2試合でプレー。

 これによりウニオンは新シーズンに向けて、セバスチャン・グリースベック(1.FCハイデンハイム)、ニコ・ギーセルマン(フォルトゥナ・デュッセルドルフ)に続く、3人目の新戦力を迎え入れた。

 
 
2020/07/26 ウニオン移籍決定の遠藤渓太をブンデス公式サイトが絶賛!「どこかプリシッチを想起させる」 | サッカーダイジェストWeb

–「左右両足でフィニッシュもチャンスメイクも」

 さっそく新天地ドイツで、話題を呼んでいるようだ。

 横浜F・マリノスは7月25日、日本代表MF遠藤渓太がブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリンに期限付き移籍すると発表した。期間は2021年6月30日までで、買取りオプション付きとされている。

 この一報を受け、東京五輪世代の22歳を紹介したのがブンデスリーガの公式サイトだ。「ウニオン・ベルリンに来た日本代表のウインガー、ケイタ・エンドウとは何者だ?」と題して、簡単なプロフィールとプレースタイルを列記した。

 横浜のアカデミーで才能を育まれた点や18歳でのJリーグデビュー、すでに日本代表でも2試合に出場している事実などを伝え、「ドイツにおける日出ずる国の先達、シンジ・カガワ、シンジ・オカザキ、ユウヤ・オオサコの足跡を辿ることになる」と説明。「右利きで左サイドが得意だが、右サイドでもプレーし、サイドバックでの起用もある」と続けた。

 そして、プレーの特徴についてはこう述べている。

「ボールを運ぶ能力に長けている。タッチライン際を駆け上がり、中央へと鋭く切れ込むのもお手の物だ。どこか前ボルシア・ドルトムントのスター、クリスティアン・プリシッチを想起させるプレーヤーである。走力で対峙するディフェンダーを圧倒し、左右両足でフィニッシュもチャンスメイクも決め込む」

 さらに同サイトはウニオンのスポーツディレクターを務めるオリバー・ルーネルト氏のコメントを引用。同氏は「我々はずっとケイタ・エンドウをチェックしてきた。彼は素晴らしいスキルを持った面白い選手。スピードとテクニックで我々の助けとなるだろう」と称賛した。加えて、横浜のアンジェ・ポステコグルー監督が明かした「チームのためにハードワークができる選手だ。アタッキングサードで脅威となるだろう」との“ケイタ評”も添えている。

 2019-20シーズンのブンデスリーガを11位で終えた古豪クラブで、遠藤はどんな成長曲線を描きながら、新たなキャリアを刻んでいくのか。ドイツではすでに、その注目度が高まっている。

 
 
2020/07/26 遠藤渓太にウニオンが期待するのは”スピード&テクニック – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ)

 横浜F・マリノスに続きウニオン・ベルリンも25日に、日本代表MF遠藤渓太の期限付き移籍を発表。クラブのオリヴァー・ルーネルトGM(ゼネラルマネジャー)は同選手が持つ「スピードとテクニック」に期待を寄せている。

 ウニオンはこの日、公式ウェブサイトを通じて22歳の遠藤を2021年6月30日までのレンタルで獲得したことを発表。声明では、「ブンデスリーガに挑戦して、自分の力を世界最高のうちに入るリーグで見せる機会を与えられ、とても誇らしいです。クラブや街についてはいいことをたくさん聞いていますし、『アン・デア・アルテン・フェルステライ』(ウニオン本拠地)でプレーすることを楽しみにしています」と同選手の喜びのコメントを紹介した。

 ルーネルトGMは「我々はケイタ・エンドウのことを長い間視察してきており、彼がケーペニック(ベルリンの地区)を選んでくれたことをうれしく思う」と新戦力を歓迎。続けて、「ケイタは、そのスピードやテクニックで我々の力になってくれる素晴らしい能力を持つとても興味深い選手だ」と期待を寄せると、「我々が今取り組むべきなのは、彼を可能な限り早く馴染ませて、できるだけ良い形でドイツに迎えること。ブンデスリーガで彼がフルポテンシャルを証明できるためにね」とも語った。

 なお2019-20シーズンはクラブの歴史上初のブンデスリーガ1部でのシーズンを11位で終えたウニオンだが、遠藤に関して買い取りオプションを確保したことも明かしている。初の海外挑戦に臨むウィングは、複数年契約を勝ち取るのだろうか。(Goal.com)

 
 
2020/07/28 遠藤渓太、ドイツ移籍に迷いなし。マリノス在籍16年、世界に挑む「言葉」に込めた覚悟 | フットボールチャンネル

横浜F・マリノスから世界へ。25日に遠藤渓太のウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が発表された。育成組織からの生え抜きが、ドイツ・ブンデスリーガ1部へと旅立つ。東京五輪を1年後に控えたタイミングでの移籍には、遠藤なりの覚悟が込められていた。その決断に迷いはない。(取材・文:舩木渉)

–ラストゲームは不運な形で…

「自分の全てをしっかりぶつけられればいいと思うし、それが今僕ができる最大の恩返しだと思っている」

 ドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリン移籍が濃厚になったと報じられた翌日、遠藤渓太は横浜F・マリノスでの最後の試合になる26日の北海道コンサドーレ札幌戦に向けて力強く決意を語っていた。

 しかし、移籍が正式に発表されてから臨んだマリノスでのラストマッチは17分で負傷交代という結末に。開始1分に突破を仕掛けたプレーで左太ももに違和感を覚え、「チームの力になれないのに出ても仕方がない」と自ら交代を申し出た。

 試合翌日の27日に自身の移籍発表会見に臨んだ遠藤は「そこまで大事に至らず、自分が思っていたよりも全然大丈夫だった」と明かした。負傷で決まりかけていた移籍が破談になることもあるので、ほっと一安心だ。

 育成組織から15年以上過ごしたクラブから世界へ飛び立つ。彼が明確に海外移籍を意識し始めたのはU-20日本代表として2017年のU-20ワールドカップに出場してからだという。

 当時のチームメイトは続々と欧州リーグに参戦し、評価を高めている。ガンバ大阪からオランダへ移籍した堂安律を皮切りに、板倉滉や中山雄太、三好康児、久保建英らも活躍の場を欧州に移している。冨安健洋はグループリーグ最終戦のイタリア戦で同じピッチに立っていたリカルド・オルソリーニとボローニャでチームメイトになった。

 ウニオン・ベルリンから最初に獲得の打診があったのは今年5月頃だった。その時は「どこまで本格的な話に発展するかというのはまだわからなかった」が、話はトントン拍子に進み、6月中旬には本格的に移籍交渉が進展。7月22日の横浜FC戦前にはドイツ移籍がほぼ決まっており、試合後には大先輩の中村俊輔にもピッチの上で直接自らの海外移籍を報告した。そして25日の期限付き移籍発表に至る。

「正直、今回の移籍に関しては全く悩まず決めました。周りに話したことはありましたけど、その相談は『行った方がいいですか? 行かない方がいいですか?』のような質問ではなく、行くことは自分の中で決めていました。移籍に向かうスピード感は早かったと思いますけど、気持ちの部分の整理はついていましたね」

–「信頼を得られるまで諦めない」

 遠藤のプレーを初めて見たのは、2015年の日本クラブユースサッカー選手権だった。横浜F・マリノスユースに所属していた彼は、とにかくゴールを決めまくっていて、当時は「ずいぶん“持ってる”子だな」と思ったのを記憶している。

 同期の和田昌士とともにトップチーム昇格を果たして迎えた2016年、当時のエリク・モンバエルツ監督の抜てきを受けて高卒ルーキーながらJ1リーグ戦23試合に出場。世代別代表にも選ばれるようになり、2017年のU-20ワールドカップにも出場する。

 取材者として本格的に遠藤に接したのは、そのU-20ワールドカップが最初だった。今になって改めて初先発だったイタリア戦を見返してみたら、今とは別人のよう。攻撃の軸が右サイドの堂安だったこともあって、左サイドの遠藤にはなかなかボールが回ってこず、ポジショニングやドリブル突破も中途半端だった。堂安のゴールをアシストしたものの、試合を通したインパクトは薄かった。

 ただ、よく覚えているのは今と変わらない取材時の受け答えだ。目に見える「結果」を追求する姿勢は、当時も非常に強かった。露骨なビッグマウスではないが、言葉の端々にギラつきが垣間見える。プレーへの自信以上に、ちょっとやそっとでは折れない精神力の強さがあった。

 今年、マリノスでJ1通算100試合出場を達成した。高卒でプロ入りして、マリノスから一度も離れず、4年半で100試合に到達したのは立派な成果だ。常に強力な外国人助っ人やJ屈指の日本人アタッカーがいるポジションで、途中出場だとしても継続的に頼られる選手だったのは間違いない。

 常時レギュラーだったわけではなく、調子が良くても起用されない現状への不満を口にすることもあった。ただ、そこで腐るのではなく、「見返してやる」と反骨心を自分のエネルギーに変えてプレーした。気持ちがプレーに影響するのは脆さもある反面、強みに変わることもある。遠藤のように逆境を力に変えられる選手は強い。

 欧州で日本の常識や考え方は通用しないし、理不尽なこともたくさん起こるだろう。そういう時に小さくまとまってしまうのではなく、今までのように受け入れて、いい意味で開き直って、気持ちをプレーにぶつけてもらいたい。

「ボールが回ってこないんだったら、自分で相手からボールを奪って、それを自分の好きなようにプレーするか、ボールをこいつに集めようと思ってもいいように、最近の建英みたいな感じですけど、圧倒的に自分の実力を見せれば自ずと周りもそうなると思う。どちらにしろそのためには結果が必要になってくると思うので、そこの信頼を得られるまでやればいいかなと思う。諦めることはない」

 この言葉を聞くと、やっぱり心配する必要はなさそうだ……。

–先輩や監督も太鼓判

 遠藤の選手としての理想像は「二桁ゴールを毎シーズン取れるような、得点力のあるサイドアタッカー」だ。

「今だったら縦に初速で抜いてクロスまで行けますけど、間合いがどこまで自分についてくるかとかわからない。もちろん南米系の選手とかもたくさんいる中で、球際とか日本でも味わえないことをたくさん持っている人もいると思う。そういう選手には球際が強いという良さがあると思うんですけど、僕には別の良さがあると思うし、自分のストロングポイントをどんどん見せていければいいと思います。短所よりも自分の長所を伸ばしていきたいです」

 ドイツ移籍は、自分のための「選手としての選択」。マリノスへの愛着もあるが、延期になった東京五輪を1年後に控えて、より選手としての高みを目指すためにウニオン・ベルリンへの挑戦を選んだ。

 昨年の同じ時期にベルギーへ移籍した経験を持つ天野純は、育成組織の後輩でもある遠藤のドイツでの活躍を確信している。「若い時にこうやっていけるのは本当に羨ましいですし、彼には後悔のないように思い切って自分を表現して、ダメだったらまたマリノスに戻ってくればいいし、本当に行けるところまで行ってほしい」と語り、次のように続けた。

「調子がいい時も使われなかったり、そういった悔しい思いをしている彼を見てきました。それを彼はポジティブに変えて、結果をずっと出し続けて移籍を勝ち取ったと思うので、そのメンタルの部分は本当に成長したと思うし、もちろんゴールを決めるところやアシストするところも本当に成長していると思う。僕はやれると思っているので、頑張ってきてほしいなと思います」

 2年半にわたって厳しくも温かく成長を見届けてきたアンジェ・ポステコグルー監督も、遠藤の移籍を前向きに捉えている。レギュラーから外した時期もあったが、それでも信頼は厚かった。ここぞの場面で起用していたのも、その証だ。

「遠藤は今年もいい形でプレーし続けて、得点やアシストもしている。若い選手たちが成長して、クラブを代表して海外に行くのはすごく嬉しく誇らしいことだ。欧州でプレーしたいという彼らの昔からの夢を応援したい。しっかり成長させて、向こうに行かせたいと多くの選手に対して思っている。クラブを代表していってくれることは本人にとっても、クラブにとってもすごくいいことだと思う」

–「泥水すすってでも」に込めた覚悟

 ウニオン・ベルリンの期限付き移籍を発表したリリースの中で、遠藤は「僕にとってF・マリノスは小さい時からの憧れでした。今思うと、小学校で配られるF・マリノスの下敷きだったり、メモ帳、ノート。街中で見かけるポスターやフラッグ。それら全てが、少年だった時の僕がF・マリノスでプロサッカー選手を目指す原動力になっていました」とコメントした。

 スクール時代から含めると16年、人生の半分以上を過ごしたクラブへの愛着と感謝を移籍会見でも口にしていた。

「本当に自分自身がマリノスでプロになるのが、この街でヒーローになる唯一の道だと思っていたし、僕の子供の頃は本当にそれしか考えていなかったので、スクールの頃から僕をここまで導いて来れた人たちには感謝しかありません。僕自身、小学校、中学校とそこまで陽のあたる場所にいたわけではないので、そんな自分をここまでステップアップさせてくれた、ジュニアユースやユースに昇格させてくれた、自分を見極めてくれた人たちに感謝したいです」

 そして「自分にとって初めての移籍ということもあってもちろん不安もあります。それでも一切逃げるつもりはないし、どんな壁に当たっても泥水すすってでも何かを掴んでこようと思っています」というコメントに込めた真意も語る。

「『1年で帰ってきました。やっぱり無理でした』とはなりたくない。自分にプレッシャーをかける意味でもそういう言葉を選んだつもりですし、その覚悟を込めてという感じですね」

 今年のシーズン開幕前には、こんなことも言っていた。「自分はどんな状況であれ変わらない。気持ちを力に変えられるタイプだと思う。だから何もなくなった時に自分がどうできるか。もっともっと上にいけるんじゃないかと思います」と。

 ドイツに行ったら、遠藤のことを知っていて初めから評価してくれる人はいない。まさに「何もなくなった」状況からのスタートだ。裸一貫、ゼロからの挑戦。彼にとってこれほど燃えるシチュエーションはないのではないか。

 ブンデスリーガは9月中旬に開幕予定だ。初の海外挑戦で欧州4大リーグという高いハードルを越えられれば、その先にはとてつもない可能性が広がっている。遠藤には武器である爆発的な突破で、ウニオン・ベルリンのファン・サポーターを大いに熱狂させてもらいたい。それこそがこれからできる、育ててくれたマリノスへの「最大の恩返し」になるはずだ。

 
 
2020/07/29 スタッフ取材日記|TBSテレビ:SUPER SOCCER

スーパーサッカーの番組ホームページ・リニューアルに伴って、新企画「スタッフ取材日記」がスタート!
番組スタッフのJリーグ取材風景などを紹介していくこの企画。
中継では見られないピッチ外の様子や取材を通じての出来事などアップしていきます。
第2回は横浜F・マリノス編!

日本人27人目のブンデスリーガー誕生!
先週土曜日、横浜F・マリノス、遠藤渓太選手(22)がドイツ・ブンデスリーガ、FCウニオンベルリンへのレンタル移籍を発表しました。
遠藤選手は1997年生まれ。神奈川県横浜市出身。横浜F・マリノスの下部組織で育ち、2016年横浜F・マリノスに入団。
昨シーズンは33試合に出場し7得点を記録し、横浜F・マリノス15年ぶりのJリーグ制覇に貢献。武器はスピードを生かしたドリブル。東京五輪世代のサイドアタッカーです。

そんな遠藤選手の裏話を語ってくれる人物を紹介します!
その人物は…今年TBSテレビに入社した、新人の齋藤慎太郎アナウンサー!
なんと齋藤アナウンサーは遠藤選手と横浜F・マリノスユース時代のチームメート。
高校時代、遠藤選手と3年間苦楽を共にしたそうです。

今回、遠藤選手のドイツ移籍にも驚いたそうで、齋藤アナウンサーは、
「ニュースで遠藤選手の移籍を知りました。尊敬しますし、ただただすごい!
海外に挑戦したいという話は以前から聞いていたので、いよいよこの時が来たのか…」
とユース時代を一緒に過ごした仲間について感慨深そうに話してくれました。

そんな齋藤アナウンサーに、遠藤選手のお話を伺うと、
「遠藤選手は負けん気が強い!高校1年生の時はBチームに所属し、本職ではないポジションもやらされていましたが、腐らず練習をして高校2年生になるとAチームに入り、本来のポジションを勝ち取った。チームを引っ張る存在でした。」

チームを引っ張っていた遠藤選手ですが、お茶目な部分もあったそうで、
「マヨネーズが苦手なんですよ、遠藤選手。練習終わりにみんなで食事をするのですが、マヨネーズのかかった料理が出ると、お前これ食べろよと遠藤選手が言ってきて、僕が代わりに食べてあげていました(笑)。練習の帰り道、駅へ向かうまでに田んぼ道があるんですけど、目の前にカエルを見つけると、高校3年生なのに走って追いかけて騒ぎ出すような面白い選手でしたね(笑)」

学年が上がるにつれ順調に試合に出続ける遠藤選手とは対照的に齋藤アナウンサーは、
「周りは本当に技術がある選手ばかり、僕はほとんどベンチ外。スタンドから見守ったサッカー人生でした」
F・マリノスユースの厚い選手層に阻まれ、3年間での公式戦出場は1試合のみだったそうです。
しかし、齋藤アナウンサーにとって最初で最後の公式戦で事件が起きたそうです。
右サイドバックで出場した齋藤アナウンサー。
縦の関係になるポジションの右サイドハーフで出場していたのは、なんと遠藤選手。
試合は進み、相手選手がゴール前にクロス。齋藤アナウンサーがクリアをしようとヘディングを試みるが、ボールに当たらず、遠藤選手の足に当たりオウンゴール。試合は負けてしまったそうです。
「僕がブラインドになってしまって…完全に僕のせいだと思いました。申し訳ないです。そういえばFKの壁も遠藤選手と2人で立ったなぁ。」

齋藤アナウンサーにとって3年間で唯一出場した公式戦。
コンビを組んだのは今回ドイツへと移籍する遠藤選手ということで、当時のことをしみじみと答えてくれました。

最後にドイツへと旅立つ遠藤選手については、
「僕が言うのもおこがましいですが…遠藤選手が苦しい時期もユース時代に見てきました。チャンスをつかみ、これから海外へ挑戦する遠藤選手とサッカーが出来たことは本当に嬉しいです。心から尊敬しています。向こう(ドイツ)に行っても目標をたてて・夢を掴んで欲しいです。一ファンとして応援します!」

いつの日か齋藤アナウンサーが遠藤選手にインタビューをしている様子がテレビ画面を通じて見ることで出来れば嬉しいですね。

遠藤選手、磨き上げたドリブル、持ち前の愛されキャラで、ドイツへ行っても頑張って下さい!
日本より応援しております!

#二俣川から世界へ
#ケイタイケ

 
 
2020/07/29 「手のかかる後輩でした。小言もたくさん言いました…」マリノス一筋、喜田拓也から旅立つ遠藤渓太への“贈る言葉” | サッカーダイジェストWeb

–「喜田くんがマリノスにいればみんな安心」

 ドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリンへのレンタル移籍が決まった遠藤渓太。渡独前のラストマッチとなった札幌戦は、先発したもののわずか17分で左太腿に違和感を覚えて途中交代。しかし、翌日の会見で「自分が思っていたよりも全然大丈夫でした」と無事を伝えていた。

 そんな遠藤に向け、キャプテンの1人、マリノス一筋の喜田拓也は7月28日、自身のインスタグラムを更新。様々なシーンでの遠藤との2ショット写真5枚とともに、3歳年下の後輩へ以下のような“言葉”を送った。

「手のかかる後輩でした。小言もたくさん言いました。でも、期待をしています。

 彼の後輩力の無さに驚かされたのは1度や2度ではありませんが、それでも面倒を見たくなるといいますか、彼に頑張ってほしいと思えるのは、今思えばずっと、僕は彼の手のひらで転がされていたのでしょうか。いや、ないか。

 少し気に入らないことがあると背中を丸め、口を尖らせ、ブツブツ言っていた彼は、苦しい状況の時に『頼むぞ渓太』と言える頼もしい選手になっていました。またこんなことを言っていたらムスッとした顔をしてこっちにやってきそうなのでこの辺にしておきます。

 簡単な道のりではないことでしょう。それでも、あいつなら何かやってくるんじゃないかと期待しちゃいますね。みんなあなたのことを応援しています。俺たちも頑張るよ。行ってこい渓太。暴れてこい渓太。キミならできる」

 このアツい言葉を受けて遠藤も返信。

「喜田くんにはプロ入りから始まって1番長い時間お世話になりました。こんな後輩力のない生意気な後輩をかわいがってくれて、時に厳しく指導してくださってありがとうございました。喜田くんがマリノスにいればみんな安心で、最高のマリノスです。後輩力も磨いてきます。ありがとうございました!」と感謝を伝えた。

 この投稿にファンからは「深いよキャプテン」「キー坊様、泣かせないで下さい」「最高です!喜田さん」などのコメントが寄せられた。

 移籍先のウニオン・ベルリンは28日にPCR検査やメディカルチェックを実施し、30日から本格的なトレーニングがスタートする。また、9月18日に開幕するブンデスリーガ、その1週間前に行なわれるドイツカップ初戦に向け、8月中には2度のキャンプを実施予定だ。

 遠藤渓太の新しい挑戦が始まろうとしている。

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手のかかる後輩でした。 小言もたくさん言いました。 でも、期待をしています。 . 彼の後輩力の無さに驚かされたのは1度や2度ではありませんが、それでも面倒を見たくなるといいますか、彼に頑張ってほしいと思えるのは、今思えばずっと、僕は彼の手のひらで転がされていたのでしょうか。いや、ないか。 . 少し気に入らないことがあると背中を丸め、口を尖らせ、ブツブツ言っていた彼は、苦しい状況の時に『頼むぞ渓太』と言える頼もしい選手になっていました。 . またこんなことを言っていたらムスッとした顔をしてこっちにやってきそうなのでこの辺にしておきます。 . . 簡単な道のりではないことでしょう。 それでも、あいつなら何かやってくるんじゃないかと期待しちゃいますね。 みんなあなたのことを応援しています。 俺たちも頑張るよ。 行ってこい渓太。暴れてこい渓太。 キミならできる。

喜田拓也(@takuya_kida)がシェアした投稿 –


 
 
2020/07/29 森保監督 横浜MF遠藤の独1部移籍を歓迎「チャレンジする姿勢素晴らしい」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 A代表と東京五輪代表を兼任する森保監督がオンライン取材に応じ、五輪世代の横浜MF遠藤のドイツ1部ウニオン・ベルリン移籍について「チャレンジする姿勢は素晴らしい。自分を高めようとすることを見させてもらえるのは指導者にとってもうれしい」と背中を押した。コロナ禍の中で五輪世代の海外移籍は初めてだが今後、増える可能性もある。

 五輪は派遣義務がなく、海外組が増えれば招集交渉は難しくなるが「選手の成長があってこそ五輪でも結果を出せる。調整してくださる方々は非常に難しい仕事になると思うが、ベストな選手がそろい東京五輪に臨めることを願っている」と話した。

 
 
2020/07/29 遠藤渓太、軽傷判明でウニオン担当の現地紙記者も安堵…新天地での好スタートに期待の声 | ゲキサカ

 横浜F・マリノスのMF遠藤渓太は、26日の北海道コンサドーレ札幌戦で負傷交代。ウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が発表された翌日だけあって、新天地の周囲からも心配の声が上がっていた。

 明治安田生命J1リーグ第7節の札幌とのアウェーマッチで先発入りを果たした遠藤は、17分に太もも裏を痛めた様子で交代を余儀なくされた。ドイツの現地メディアも「よりによって…」と、前日に発表されていたばかりの新加入選手が当面の離脱を強いられる可能性を危惧していた。

 しかし28日の移籍会見で、本人は負傷について「大事には至らず」と報告。これを受け、『ベルリーナ・クリーア』の記者は「不幸中の幸い」と胸をなでおろした様子。一方、その会見で「1年でやっぱり無理でした、と帰ってきたくはない」と意気込みを語ったことについては「この22歳は、とても高いモチベーションを持って渡独するはずだ」とも続けている。

 買い取りオプション付きのレンタルでウニオンに加わる遠藤だが、同記者は「ケイト・エンドウは最初の12カ月間のレンタル期間より遥かに長くヨーロッパに留まりたいようだ」とも指摘。「そして、今回の負傷はさほど深刻ではないことが分かったため、ウニオンで好スタートを切るにあたって支障はないだろう」と期待を寄せた。

 なお、ウニオンは27日にメディカルチェックを行うなど新シーズンに向けて始動。現地メディアではトレーニングが本格的にスタートするのは30日、遠藤が今週中にも合流する見通しだと伝えられている。

 
 
2020/07/29 「どんな状況でも声を枯らしてくれる(マリノスサポーターの)姿に愛情を感じていました。オレ、愛されているなって(笑)。代表遠征でも僕の横断幕を用意してくれていました。とても勇気づけられました」 [遠藤渓太独占インタビュー](無料) | 「ザ・ヨコハマ・エクスプレス」藤井雅彦責任編集:ヨコハマ・フットボール・マガジン

 ドイツ1部のウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が決定した遠藤渓太がインタビューに応じてくれた。

 今だから明かせる秘話盛りだくさんの内容は必見。懐かしい気持ちに浸りつつ、今後の成長に期待して読んでいただきたい。

 なおこのインタビューは「多くの人に僕の思いを知ってもらいたい」という本人の強い希望もあり、全文を無料公開する。

 マリノスを愛する者たちへ贈る、渓太のラストメッセージだ。

僕にとって海外移籍は「夢」という位置付けではありません。

同世代で最初に世界へ飛び出したのは(堂安)律でした。彼は18~19歳の頃から海外移籍の願望を口にしていて、U-20ワールドカップが終わってオランダへ戦いの場を移し、その後もステップアップしていきました。律に続いたのが板倉(滉)や安部(裕葵)、三好(好児)くんや(前田)大然です。

日本にいてJリーグでプレーしていても上のレベルを目指せると思っています。でも海外移籍した選手と代表活動で一緒にサッカーをすると、球際の強さや勝利への執着心が変わったと感じることは多かった。海を渡らなければ味わえない経験をしたい。いつしかそんな思いに駆られた自分がいました。流行りに乗ってなんとなく行くというつもりはまったくありません。

正直に言うと、不安しかありません。人生初の移籍で、それが海外移籍。活躍できればいいけど、活躍しなければあっという間に忘れられてしまう世界。底辺からのスタートだけど結果を残して、僕がガッツポーズしている映像を日本に届けたい。

移籍することに対して、悩みや迷いはありませんでした。去年の冬にも欧州のクラブから打診を受けたけど、その時はものすごく悩んだ末にマリノスに残って頑張ろうと決めました。チームとしては優勝という最高の結果だったけど、僕自身は絶対的な存在になれなかった。だから今度こそしっかりと自分の価値を示して、その上で正式にオファーをもらえたら海外に飛び出そうと心の中で決めていました。

先輩や近い存在に移籍の話をした時も、相談というよりも報告に近かったかな。喜田くんに話したら「そうか。まずは目の前の試合を頑張ろう」と言われました(笑)。キャプテンらしい一言のおかげで、チームを離れるまではマリノスの一員として戦い抜くことができました。

先日の札幌戦は悔しい交代になってしまったけど、日産スタジアムでプレーする最後の試合となった横浜FC戦は自分もゴールを決めて勝利に貢献できました。移籍することが決定的になっていたから、ウォーミングアップも選手入場の時も、もちろんプレー中もすべて感慨深かった。ファン・サポーターの方々に自分の口で直接伝えることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

その試合でゴールできたのは、やっぱり「もっている男」なのかな?(笑)。その前の鹿島戦でパフォーマンスが悪かったことは自覚していました。内心は「いつ移籍が決まるのかな」という思いもあったし、フワフワしているつもりはなくても試合に入り込めていない自分がいた。だから横浜FC戦でゴールできたからといって『すべて良し』というわけではないし、移籍はあくまでも自分個人の都合の話。もっと毎試合チームの勝利に貢献できる選手にならないといけない。

僕は小学校2年生からマリノスのスクールに通い始めて、15年半をトリコロールの一員として過ごしてきました。小さな頃から日産スタジアムでマリノスの試合を観戦して、プロになってからはその舞台でプレーできることが本当に幸せでした。

プロ1年目からリーグ戦に22試合も出場できた。2年目は少し苦しんだけど、念願のプロ初ゴールを決められた。3年目からは背番号11を背負わせてもらって、ニューヒーロー賞を受賞できた。4年目はチームとして優勝という貴重な経験をさせてもらった。

そして今年が5年目です。こうして振り返ると幸せすぎるプロ生活4年半で、僕は本当に運が良かったと思います。FC東京戦でJ1通算100試合出場を達成したけど、なぜここまでたくさんの試合に出場できたのか、自分でもよく分からないんです。

今だから話せることだけど、プロ1~2年目は練習に行きたくないと思った日もありました。自分はたいしたプレーもしていないのに試合に出させてもらっていて、それが逆にしんどく感じてしまったんです。プロサッカー選手なのに自信を持てなかったし、かといって悔しい気持ちを晴らすようなプレーもできなかった。先輩やチームメイトからどんなふうに思われているか気になって申し訳なかったし、辛かった。

でも去年あたりは吹っ切れたというか、必要以上に抱え込まなくなって、少々のことではヘコまなくなりました。苦しい時間でも逃げずに何とか頑張れたことで成長できたのかもしれない。だから、ずっと応援してくれていたファン・サポーターには感謝の気持ちしかありません。

僕はプロ入りしてから、ずっと末っ子のような立ち位置でここまで来た感覚があります。もちろん後輩の選手もいたけど、試合に絡み続けるという意味では自分が一番年下の場面が多かった。だから皆さんに溺愛してもらっていたのかなって(笑)。末っ子なのに在籍年数では上のほうで、本当に居心地が良かったです。

ドイツに行ったらゼロからのスタートになります。ユースからトップチームに昇格した時とは違って、自分のことを誰も知らないところから始まります。サッカーで試練が訪れるかもしれないし、言葉や食事といった日常生活で壁にぶち当たるかもしれない。そのすべてを自分の力で乗り越えなければいけません。

ちなみに僕は自炊能力が低いし、ドイツ語もほとんど無知。知っている単語は「ダンケシェン(ありがとう)」くらい(笑)。ソーセージは好きだけど、ビールは飲めないし、これから食事も文化も勉強しないと。海外移籍に何を持って行くべきかを(天野)純くんに聞いたら「変圧器と炊飯器とグミ」と教えてくれました。参考にします(笑)。

最後に、ファン・サポーターの皆さんにあらためて感謝を伝えたいです。

長い間ずっと応援してもらって、どんな状況でも声を枯らしてくれる姿に愛情を感じていました。オレ、愛されているなって(笑)。代表遠征で日本から遠く離れた地域に行っても、マリノスサポーターは僕の横断幕を用意してくれていました。代表チームにはいろいろな所属クラブの選手がいるけれど、どこのチームのサポーターも来てくれるわけではない。僕の場合、足を運んでくれるサポーターが多かったと感じているし、とても勇気づけられました。

公式発表のコメントでも伝えたように、這いつくばってでも、泥水をすすってでも戦い抜く覚悟です。1年間の期限付き移籍だけど、1年で帰ってくるつもりはありません。これは旅行ではないし、留学でもありません。粘れるだけ粘って、大きくなりたい。皆さん、これからも応援よろしくお願いします。

時間とお金に余裕があって、あと新型コロナウイルスの影響がなくなったら、ぜひドイツに遊びに来てください。たぶん寒いと思うので暖かくしてきてくださいね。ベルリンで待っています!

 
 

オンライン記者会見(2020/7/27)

2020/07/27 ウニオン移籍の遠藤渓太、会見で「選手としての選択をした」 – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ)

 サッカーのドイツ1部リーグ、ウニオン・ベルリンに移籍するJ1横浜Mの遠藤渓太(22)が27日、オンラインで記者会見し「マリノスへの愛着はあるが、選手としての選択をした。結果が必要になる。信頼を得られるまで諦めるつもりはない」と初の海外挑戦へ意気込んだ。

 横浜Mで同僚だった久保建英(マジョルカ)ら同世代の海外組にも刺激を受けての決断だった。来年6月末までの期限付きだが、活躍が認められれば完全移籍につながる。「1年でやっぱり無理でした、と帰ってきたくはない。どこまで自分が通じるか見せつけられればいい」と語った。

 26日の札幌戦で違和感を訴えた左脚は軽傷で、近日中に渡欧する。

 
 
2020/07/27 独1部ベルリン期限付き移籍の遠藤渓太が会見「1年で帰ってきてダメでしたとはなりたくない」 | 東スポの海外サッカーに関するニュースを掲載

 ドイツ1部ウニオン・ベルリンへ期限付き移籍(2021年6月30日まで)するJ1横浜Mの日本代表MF遠藤渓太(22)が27日、オンライン会見を行った。

 海外を強く意識するようになったのは、2017年のU―20W杯(韓国)がキッカケだった。「当時のチームメートで最初は(堂安)律が海外へ行って活躍して、それから(ほかのチームメートも)どんどん海外へ行くのを見て意識するようになった」

 その後、横浜MでチームメートだったMF三好康児(23=アントワープ)や今季はスペイン1部マジョルカでプレーしたでMF久保建英(19)の存在も海外行きを後押し。「三好君や建英が海外で活躍する姿を見ておのずと挑戦したい気持になった」

 不退転の決意でドイツへと渡る。「1年で帰ってきて自分はダメでしたとはなりたくない。練習から個を発揮できないとチームメートに理解してもらえない。マリノス以上に自分を出していきたい」と力を込めた。

 移籍前ラストマッチとなった札幌戦(26日)は、前半17分で無念の負傷交代。状態が心配されたが、「けがに関しては検査をしたが、大事には至らなかった。自分が思っていた以上に大丈夫だった」と説明した。

 
 
2020/07/27 【横浜FM】遠藤渓太がドイツ挑戦へ一問一答。三好康児や久保建英の活躍に触発され「挑戦したい気持ちに」 | サカノワ

–ウニオン・ベルリン移籍を前に決意を示す!「マリノスでプレーしていた以上に、もっと自分を出していきたい」

 J1リーグの横浜F・マリノスからドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリンに期限付き移籍する日本代表MF遠藤渓太が7月27日、オンラインによる記者会見に臨み、横浜FMへの感謝とともに新天地に懸ける意気込みを語った。

 遠藤はまず「たくさんの人たちの協力を得て今回の移籍が成立しました。皆さんへの感謝をしっかりプレーで示して、向こうで頑張っていけたらと思います」と感謝とともに決意を示した。

 そのあと、メディアとの一問一答に応じた。主な内容は次の通り。

――前日26日の北海道コンサドーレ札幌戦(●1-3)では大事を取り交代しているが、違和感を覚えたという左太ももの状態は?

「今朝検査を受けましたが、思っていたよりも全然大丈夫で、どういう言い方が正しいかは分かりませんが、大事に至らなかったという表現でいいと思います。改めて強化部やメディカルスタッフと確認を取りますが、予定井通りに出発する予定です」

――海外移籍を意識したのは?

「『海外に行きたい』と思い始めたのは、U-20ワールドカップ(W杯)を経験してから。当時一緒にやっていたチームメイトでもある(堂安)律(PSVアイントホーフェン)が活躍して、その後も一緒に戦っていた選手がどんどん海外に行くのを見て、自分もその場に行きたいと思う一方で、『行かなければいけない』という使命感に捉われていたわけではありませんでした。

 マリノスで得られるものがあり、東京オリンピックを目指すにも、日本にいるから不利、海外にいるから有利という考えはなく、今の環境で、何ができるかを目指していました。そのなかで、三好(康児/ロイヤル・アントワープFC)くんや(久保)建英(レアル・マドリード/RCDマジョルカ)といった身近な選手が海外で活躍する姿を見て、自分もそこに挑戦したい気持ちになっていきました」

――なぜドイツだったのか。ドイツの印象は?

「国に関するこだわりはなく、それがまずドイツでした。ドイツは日本人と似た考えを持っていると感じ、勤勉で走ることを厭わないスタイルが基本で、もちろんその中で勝負になったら自分も違いを見せつけなければいけない。それに監督がどのようなプレーを求めているのかを頭に入れて、パフォーマンスを見せる必要があると思います」

――海外初挑戦になるが?

「もちろん覚悟はしています。行ってみなければ分からないことばかりです。今までの自分が、どれだけ温かったのか、あるいは思っていたよりもできる、という可能性もあります。そこを行って感じたい。圧倒的な差を見せ付けられるかもしれないし、そうなれば、それで仕方ないと受け止めるつもりです。いちから自分を見つめ直し、時間はそう残されていないと思いますけれど、この短期間で成長できるように、メンタリティを持ち、日々の生活をしていきたいと思います」

――ウニオン・ベルリンで活躍するイメージは?

「マリノスのサッカーのままやっていたら、間違いなく向こうでは生き残れないと思います。マリノスの特殊なサッカーで2年半やらせてもらって、その感覚が染みついていると思います。来シーズンのウニオンで、前から積極的にプレスを掛けていくのか、サイドに張り付いての突破を求められるのか、行ってみなければまだ分かりません。(香川真司とボルシア・ドルトムントでチームメイトだった)スボティッチ選手をはじめ凄い選手がたくさんいるなか、どこまで自分が通じるのか。しっかり見せつけられればと思います。まず試合に出るためにも、自分の個を発揮しないと、チームメイトにも理解されないと思います。マリノスでプレーしていた以上に、もっと自分を出していきたいです」

――1部リーグに復帰するVfBシュツットガルト所属の遠藤航との「ENDOダービー」が実現するかもしれない。

「あまりこれまで面識はありませんが、対戦する機会があれば胸を借りたいです。(ドイツでは)日本人選手も少ないので、コミュニケーションも取っていければと思っています」

――U-20日本代表でドイツ遠征した時の思い出は?

「サッカーの面で、デュイスブルク、デュッセルドルフ、それにドイツ代表(U-20)と対戦して、後ろ(最終ライン)にすごく強いディフェンダーがいたイメージが残っています。ただ日本代表の調子が良くて、勝つことができました。(食べ物の印象などは?)代表の海外遠征ではあまり美味しい食事をできたイメージがなくて、ドイツのソーセージは美味しいのかなと淡い期待をしていきたいです」

 
 
2020/07/27 「それこそ最近の建英みたいな感じで」ブンデス移籍に挑む遠藤渓太の決意表明 | サッカーダイジェストWeb

–「選手として自分の選択をしたという感じ」

 横浜F・マリノスは7月27日、ドイツ・ブンデスリーガ1部のウニオン・ベルリンへのレンタル移籍が決まった遠藤渓太のオンライン記者会見を実施した。

 22歳のアタッカーは会見の冒頭で「移籍するにあたり、たくさんの人たちの協力を得て、今回の移籍が成立したと思っています。会社関係の方々などにも感謝して、その感謝をしっかりプレーで示して、向こうで頑張っていきたい」と言葉に力をこめた。

 前日のアウェー札幌戦では3トップの左ウイングでスタメン出場も、17分に腰を痛めて無念の途中交代。気になる怪我の状態については「今朝、検査をして、自分が思っていたよりも全然大丈夫でした。強化部の人やメディカルスタッフの人とまた話すかもしれませんが、基本的には出国もズレないで行けると思う」と大事にはいたらなかったようだ。

 海外への挑戦を強く意識したのは「(2017年の)アンダー20のワールドカップを経験してから」。当時のチームメイトである堂安律や久保建英、三好康児、冨安健洋らが活躍の場をヨーロッパに移し、「自分もその場に身を移して、挑戦したいと思った」という。

 届いたオファーを受けるかどうかは、「正直、まったく迷わなかった」。ユースから昇格して今季でプロ5年目。J1で100試合出場を達成し、昨季はリーグ優勝も経験。Jの舞台ではやり切ったと感じて、次のステップに進むのか。そう投げかけると、遠藤は「うーん、難しいですね」と応じて、こう続けた。

「そこまでは思っていない。去年はある程度の活躍をして、優勝もできて、素晴らしいシーズンを送れましたけど、個人としてスタメンで出続けたかと言われると、そうじゃなかったし。後半戦は特に途中出場が多かった。そういう意味では、去年の仲川(輝人)選手ぐらいの活躍(リーグMVP&得点王)だったら、やり切った、次のステップだと言えるかもしれないですけど。どこのチームのサポーターも認めさせるような活躍は残せてはいないと思います」

 その先の成長を求めて、ドイツに行くのか。遠藤は「できなかったことを向こうで探すつもりはない」と言う。シンプルに、一プレーヤーとしてより高いレベルでチャレンジしたい。そういう想いなのだろう。

「こうして移籍のチャンスが巡ってきて、どっちでやるかと言われたら、もちろんF・マリノスへの愛着とか、お世話になっているクラブではあるけど、誰しもがこの選択をすると思うし。なんていうのかな、選手として自分の選択をしたという感じです」

–「活躍した時は、良いように書いてもらえたら」

 新天地ではまず自分の存在をアピールしなければならない。熾烈な競争が待ち受けており、昨夏にベルギー移籍した天野純も「欧州に移籍した日本人選手には、最初はボールが回ってこないと聞いていたけど、本当にそうでしたね。マジで全然パスがこない(笑)。このアジア人には絶対に渡さない、みたいな感じ」と振り返る。そうしたシチュエーションに直面したらどうするか?

「ボールが回ってこないなら、相手から奪って自分の好きなようにプレーするとか。“こいつに集めよう”と思ってもらえるように、それこそ最近の建英みたいな感じで、圧倒的に自分の実力を見せれば、自ずと周りの対応も変わってくると思う。どっちにしても、そのためには結果が必要になってくると思うので、信頼を得られるまでやればいい」

 目指すべき選手の理想像について聞かれれば、「毎シーズン、二桁ゴールできるような得点力のあるアタッカー」と答える。さらに「アシストの精度が高ければ高いほど、自分のドリブルも逆に活きてくるはず。パスも出せる選手になりたい」と抱負を語る。

 昨季は11位と中位に甘んじたウニオン・ベルリンを、ゴールやアシストといった決定的な仕事で上位に引き上げることができれば、市場価値も高まり、さらなるステップアップにつながるはずだ。

 会見の最後は、集まった報道陣に向けて、少しだけはにかみながら、次のように締め括った。遠藤の人柄が滲み出る言葉だった。

「僕が活躍したら、その記事を書いてくださるのはみなさんだと思うので、今後とも引き続き、よろしくお願いします。活躍できなかったら、なにも書いてもらわないで結構なので、活躍した時は、良いように書いてもらえたら嬉しいです」

取材・文●広島由寛(サッカーダイジェスト編集部)

 
 


 
 

移籍前YouTube LIVE配信(2020/7/29)

2020/07/28 遠藤渓太選手「移籍前YouTube LIVE配信」で知る、ブンデスリーガのAmazonでの視聴方法や勇蔵のお兄さんのこと。
 
 
2020/07/28 【横浜FM】ドイツ挑戦の遠藤渓太に栗原勇蔵が「変態だから大丈夫」 | サカノワ

–Youtubeのクラブ公式チャンネルで対談。中沢佑二との、ちょっと苦い1年目の思い出も――。

 横浜F・マリノスは7月28日、『Youtube』のクラブ公式チャンネルで、ドイツ・ブンデスリーガ1部の1FCウニオン・ベルリンへの期限付き移籍が決まったMF遠藤渓太とクラブシップ・キャプテンの栗原勇蔵氏による対談「『俺らの勇蔵!の部屋』特別回:二俣川から世界へ」をライブ配信した。昨季までチームメイトだった二人が本音を交えて語り合い、ドイツ挑戦を控えた遠藤がサポーターからの質問にも答えた。

 遠藤は来年6月までの期限付き移籍で、ウニオン・ベルリンが買い取りオプションを持つ契約を結んだ。改めて横浜FMの11番は「1年のレンタルなので、勝ち取らないと何も言えない。この1年が勝負になります」と、決意を示した。

 また栗原は「昨季優勝できたことで挑戦したいと思った?」と質問。日本代表にも選ばれるウインガーは「優勝できたことで、チームの力に少なからずなれたという思いはありますが、シーズンずっと出続けたわけではないので、まだまだなのかなとは思います」と謙遜した。

 ただ年齢的な面で、栗原の「今年23歳。若そうで、世界に行く時はもう若くはないからね」という一言に、遠藤は「ビッグクラブでは18、19歳で活躍している選手もいる。もう時間がないと考えていました」と語った。すると栗原は「でも『まだ早かった』と言われないように活躍しないとな。ただ君はけっこう変態だから、精神的に(笑)。海外が合っていると思うよ」と、活躍に太鼓判を押していた。

 そしてルーキーイヤーは「動じてばかりだった」と明かす遠藤に対し、栗原は「それは、みんな同じ。でも先輩からけっこう言われて、顔色は変わっても、自分のやるべきことを変えていなかった。そういう意味で頑固かもしれないけれど、自分を持っていると思う。そういう選手だからこそ、世界に行けると思う」と、海外挑戦がある意味必然的であると頷いた。

 また、こんなやり取りも。

栗原「ドイツは大柄な選手が多いから、渓太のスピードには付いてこれないと思う」

遠藤「世界的なディフェンダーばかりですから。でも、言っていいのかな……」

栗原「おお、なんでも言っていいよ」

遠藤「プロ1年目の時、(中澤)祐二さんのこと『抜けるんだろうな』と思っていたけれど全然ダメでしたから(苦笑)。そういう感じなのかなと思ったりもします」

栗原「苦手意識を持つより、いつもそういう気持ちでいるほうがいいと思う。君は変態だから、『俺はできる』と思っていれば大丈夫だよ」

 横浜F・マリノスの“キャプテン=船長”からのエールを受けて、遠藤がいよいよ新たな戦いの地であるドイツの首都ベルリンへ向かう。


トリコロールの翼、世界へ羽ばたけ – YouTube
 
 

ドイツへ出発(2020/7/31)


 
 

その他


 
 

1.ウニオン・ベルリンについて

2017/09/11 内田所属ウニオン・ベルリンが”異端のクラブ”と呼ばれる理由 | footballista | フットボリスタ

–「世界で最もファンの意向が反映されている」クラブの正体

 ちょうど3年前の8月末のことであった。古豪ニュルンベルクを迎えたホームゲームで、1人退場者を出し0-2で前半終了。嫌なムードに包まれ迎えた後半、63分にもう1人が退場し、絶望的な流れのまま3点目を奪われチームは崩壊寸前――。

 ところが、負の連鎖に反比例するようにウニオンファンの声量は増していく。78分、ついに4点目が突き刺さったその瞬間、ウニオナー(ウニオン・ベルリンファンの愛称)たちの怒涛のチャントはピークに達する。失点のたびに大きくなる声圧、スタジアム中に響き渡る情熱的サポートに目頭が熱くなった。圧倒的な大敗に感動を覚えたのは、これが初めてのことだった。スタジアムの近くで育った生粋のウニオナー、友人のマルクスはこう言い切った。「俺たちは自チームの選手にブーイングはしないんだ。試合途中でウニオナーが帰ることはない」

–内田の境遇と重なる愛称「Eisern」

 ウニオンは東ドイツ時代、東ベルリンを代表するクラブとして社会主義独裁政権に抵抗する反体制派の寄りどころとなった。ところが、東西ドイツ統一後には「昇格できないウニオン」という宿命を背負ってしまう。3部で優勝したにもかかわらず財政問題、経営難を理由にドイツサッカー連盟(DFB)から何度も2部ライセンス発給を拒まれたのである。

 たび重なる経営破たんの危機。それを乗り越えることができたのは、ファンによるボランティア活動があったからであった。ゆえにウニオナーは、自分たちが“クラブそのものだ”という自負を抱いている。

 このように長い苦境を乗り越えてきた歴史から、クラブは「Eisern Union」(アイザン・ウニオン=鉄のウニオン)と呼ばれており、この愛称は東ベルリン出身の歌手ニナ・ハーゲンが歌うクラブアンセム名にもなっている。不屈な、強靭なというイメージを想起させる「Eisern」という言葉は、ケガによる長期離脱というサッカー人生最大の危機に苦しみ、復活を期す内田篤人の境遇にも重なるところがあるだろう。

 それからもう一つ、クラブを象徴する曲に「Eisernet Lied」(不屈の歌)がある。スタジアムではクラブアンセムの前に流れ、これを聴いたウニオナーたちは戦闘態勢に入る。カリスマ的スタジアムアナウンサーで広報部長のクリスティアン・アルバイトが自ら参加する地元バンド「Sporti」の曲であり、その歌詞にある一節「Kein Gold, kein Silber, aber eisern Blut」(金も、銀もないが、鉄のように強靭な血が流れている)が、祖父母、両親、息子や娘と受け継がれてきたウニオン魂を表現している。

 昨シーズン、イギリスのメディア『Copa90』から「世界で最もファンの意向が反映されているクラブ」に選出されたように、ファンとの一体感において右に出るクラブはない、といっても過言ではないのだ。

–商業主義へのレジスタンス

 ウニオンは、もともと労働者階級のクラブであった。今なおその伝統を大切にしており、低所得者がスタジアムに来られなくなるような行き過ぎた商業化への対決姿勢を貫いている。

 その最たる例として、プロクラブとしては例外的にスタジアム・ネーミング・ライツを導入せず、100年続く聖地「アルテ・フェルステライ」(ドイツ語で「旧林務官駐在所」の意)の名を守り通している。また、スタンドはメイン以外の3面がすべて立ち見席という、今となっては珍しい古風な構造になっている。今春、ブンデス1部昇格をにらみ発表されたスタジアムの拡張案では、拡張後は収容人員3万7000人のうち実に2万9000人が立ち見席となる。これはドルトムントの本拠ベストファーレン・シュタディオン(ジグナル・イドゥナ・パルク)の2万5000人を上回り、欧州最大の立ち見席スタジアムとなる。立ち見席にこだわるのは伝統を重んじるのはもちろんのこと、座席に比べリーズナブルな立ち見席をあえて増やすことで、欧州トップリーグで加速するチケット代高騰へのレジスタンス(抵抗)の意志を示しているである。

 近年、セキュリティの観点から他国同様ドイツでもスタジアムでの火薬/花火類使用に対する取り締まりが強化されてきている。DFBから罰金・罰則が課されるためクラブとウルトラスとの間に軋轢(あつれき)が生じているところもあるのだが、ウニオンではそうした衝突は起こっていない。事前にウルトラスが募金を集め、その罰金に充てるという暗黙の了解があるのだ。2013年夏、新スタジアム完成を祝い開催されたセルティックとの親善試合における“花火ショー”は、ドイツサッカー史上に残る芸術作品となった。ファンが「geil」(=凄い、ヤバいという意味の俗語)をこれほどまでに連呼し、エクスタシーに浸っている情景は見たことがない。

 ドイツ統一以降、ウニオンに限らず旧東ドイツのクラブは経済力の差で西側のクラブに圧倒されてきた。実際、統一後の1部リーグ優勝クラブがすべて旧西側のクラブであるばかりか、08–09のエネルギー・コットブスを最後に1部に“東ドイツクラブ”がゼロ(RBライプツィヒは地理上は旧東ドイツ地域に属するが、創設はドイツ統一後の2009年のため東ドイツクラブではない)という状況が続いている。

 昨シーズン、ウニオンは2部で一時首位に躍り出て久々の旧東ドイツクラブ昇格へ期待が高まったものの、終盤に踏ん張り切れず昇格を逃した。ワールドカップやCLなど大舞台にも立った内田の豊富な経験は、チームのプレッシャー克服にピッチ内外で大きな力となってくれるに違いない。4バックの右SB、あるいは3バックの右ウイングバックとして守備はもちろん、攻撃的な役割も期待される。

 内田の電撃移籍後、私自身はまだスタジアムに足を運べていないのだが、ホームでの第4節で彼が初めて姿を現すと「ウッシー」が連呼され、温かく迎えられたと友人のライクから聞いた。10年以上もウニオンのシーズンチケットを持つライクは冒頭で紹介したマルクス同様クラブメンバーであり、ボランティアとして新スタジアム建設(2008~2009年)に参加した根っからのウニオナー。そんな彼が「今まで皆無だった日本人女性が数多く来ていて驚いた」というから、内田効果がさっそくうかがえる。「ドイツ人や近隣のヨーロッパ人のみの今のチームに日本人が加わるのは、マスコット的存在という意味でも興味深い。活躍次第では、マトゥシュカ(ウニオンで9季プレーしたレジェンド)みたいになれるかも」と歓迎している様子だった。

 苦難の歴史を歩んできた旧東ドイツクラブの中で最も成功しているクラブの一つであるウニオンは、コミュニティ形成、社会統合というサッカーの持つ社会的役割を前面に打ち出している。サッカーが社会に根づくドイツ全土を見渡しても、これほどまでに異端児であり続けるクラブは他にない。

 そんな、自らをクラブそのものと自負するほど深い愛情を注ぐファンを持つクラブで、シャルケで異例のお別れセレモニーが開かれるほど愛された“ウッシー”がどう受け入れられていくのか。長らくウニオンを追い続けてきた者として、非常に楽しみである。

 
 
2020/05/17 初昇格・ウニオンベルリンってどんなチーム?|アイゼン|note
 
 

FC Union Berlin: ‘A rebellious football club in a rebellious city’ – YouTube


The Fans Who Literally Built Their Club – Union Berlin – YouTube


“Welcome to Berlin Motherf*cker!” | Derby Days Berlin | 1. FC Union Berlin v Hertha BSC – YouTube
 
 

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