夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2020/4/1) #fmarinos

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夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2020/4/1(水)新年度あけおめ。)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

4月4日(土)新商品発売のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(タオマフは無し(定点 )

お問い合わせ受付一時休止のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(E-mailはOK。テレワーク導入?)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

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Webニュースログ

2020/03/31 昔も今もマリノスは僕にとって憧れのチーム…横浜FM・水沼宏太 | サッカーキング

–僕にとってマリノスは小さい頃から憧れのチーム

――9年半ぶりに横浜F・マリノスに復帰して約3カ月が経過しました。居心地はいかがですか?
水沼 マリノスに帰ってきたという実感がだんだん湧いてきて、居心地はとてもいいです。練習するために日産スタジアムに行くことが多くて、車を走らせていてニッパツ三ツ沢球技場の近くを通る。普段の生活で横浜の街にいることが、マリノスに帰ってきた証だと感じています。

――改めて、再びマリノスのエンブレムをつけた時の気持ちを聞かせてください。
水沼 1月の新体制発表会の時は、ちょっと恥ずかしかったです(笑)。照れくささに近い感情でしたね。でも、以前に在籍していた時から知っているスタッフに「やっぱりトリコロールが似合うね」と言われて、すごくうれしかったです。

――マリノスでのキャリアを振り返っていきたいと思います。水沼選手は中学1年生でジュニアユースに所属しました。
水沼 実は、初めてマリノスのエンブレムをつけてボールを蹴ったのは小学6年生の時なんです。当時はあざみ野FCに所属していたのですが、同時にマリノスのスペシャルチームに入りました。それまで僕はマリノスのプライマリーと試合をするために新子安へ行っていたけれど、ずっと憧れていたチームのエンブレムを自分がつけるのは不思議な気持ちでしたね。

――当時の水沼選手にとっては、対戦する横浜F・マリノスプライマリーはどのような存在だったのですか?
水沼 強かったし、あとは格好良かったです。当時のサッカー少年団にとっては、マリノスに勝てば横浜市で1位になることができるし、マリノスに勝てば県で1位になって全国大会に出られる。マリノスのプライマリーはそういった指標となる存在でした。僕にとってマリノスは小さな頃からの憧れのチーム。もちろん父さんが所属していたからというのも大きな理由で、もし将来プロになれるならマリノス以外は考えられなかった。“横浜”といったら“マリノス”だと思うし、サッカーでずっと育ってきた僕からすると、街でエンブレムを見つけたらうれしい気持ちになりますからね。

――そして中学生になって、ジュニアユースの一員として正式にマリノスに加わったわけですね。
水沼 ジュニアユースでは毎日がワクワクドキドキの連続でした。当時はプロサッカー選手を目指すというよりも、とにかくマリノスの居心地の良さを感じる気持ちが大きかったです。初めてもらったユニフォームは背番号18でした。だから今回、マリノスに帰ってくることを決めた時、あの日の気持ちが蘇ってきて、いくつかあった選択肢の中から背番号18を選びました。

――ジュニアユース時代には試合時にボールパーソンを務めたこともあるそうですね。
水沼 初めてボールパーソンをやったのは三ツ沢球技場でした。プロのスピードや迫力、あとサポーターが応援して盛り上がるスタジアムの雰囲気に興奮したことを鮮明に覚えています。あと覚えているのは、日産スタジアムでの試合でボールパーソンをやった時のことです。当時は延長戦やVゴール方式があったんですが、僕がドゥトラ選手に渡したボールが起点になって、スローインからのボールがつながり、マリノスのVゴールになったんです。さっきまで自分が持っていたボールが試合を決めるゴールに変わった。これって冷静に考えるとすごいことですよね(笑)。実はあの椅子に座っているのって、結構緊張するもんなんですよ。だからプロになってからは、試合の時にできるだけボールパーソンの子どもたちに声を掛けるようにしています。

–プロのピッチでともに戦った父・貴史氏の存在

――その後はジュニアユースからユースへと順調に階段を上がっていきました。
水沼 それが……順調ではありませんでした(苦笑)。レギュラーになったのは中学3年生の時で、自分たちの代になってから。それでも交代の一番手のような立ち位置で、チームの絶対的な存在ではなかったです。僕は成長期が遅かったこともあって、中学生の頃はサイズも小さいほうだったし、大人になって父さんと話した時も「プロになるとは思っていなかった」と言っていましたからね。もしユースに上がれなかったら、高校サッカーの選手寮に入るつもりでした。だけど、ギリギリのところでユースに上がれることが決まって。その時はユースに進むことに対して一切迷いませんでしたし、そこからプロを目指すことを決めました。

――ユース時代は年代別代表も含めてトピックの多いサッカー人生を過ごしていた印象です。
水沼 1年生の時は3年生のチームに入れなくて、1年生だけのチームで大会に出ていました。でも、たまたまその大会を世代別代表のコーチが視察に来ていて、それでU-17日本代表に選ばれてからはいろいろありました。U-17ワールドカップも大きな経験だったけど、その時のアジア予選を兼ねたAFC U-17選手権の最中にキャプテンを任されたことも大きかったです。でも、マリノスユースでは好成績を収められていなくて悔しい思いも残っていますね。

――2種登録でトップデビューを飾ったのは高校3年生の10月でした。
水沼 覚えていますよ。ヴァンフォーレ甲府とのアウェイゲームでした。その前の週にBチームの練習試合があって、その試合ですごく調子が良くて全ゴールに絡めたんです。そうしたらリーグ戦のメンバーに入れてビックリしましたから。前泊したホテルの食事会場に(中澤)佑二さんがいて、何をしゃべればいいのか分からなかった(苦笑)。トップの選手とは話したことがなかったですし、練習したのも前日練習の1日だけ。もう始めてのことだらけで、当時は何が何だか……(苦笑)。

――当時のチームの印象を覚えていますか?
水沼 怖かったです(苦笑)。偉大な先輩方ばかりで、練習中からピリピリした雰囲気でした。マツさん(松田直樹)や(河合)竜二さんに言い返したら、その何倍、何十倍も言い返されましたし、佑二さんは何も言わないから、逆にそれが怖かったです(苦笑)。その代わりに、ピッチ外ではやさしい先輩でしたし、その下の年代の(栗原)勇蔵くんやテツくん(榎本哲也)は話しやすかったですね。

――そう言えば、父親の水沼貴史さんがコーチでしたね。
水沼 ウォーミングアップで一緒にボールを蹴ったことを覚えています。僕が2種登録の時にコーチを務めていたので、僕が途中出場した3試合だけ同じチームのコーチと選手という関係でした。父さんとプロのピッチで、しかも同じチームの一員として戦ったのはいい思い出ですね。

――元日本代表でも活躍された父親と同じ職業に就くことへの抵抗はなかったのですか?
水沼 全くありませんでした。僕は父さんもマリノスも大好き。だから父さんの存在は大きなモチベーションになりました。同じ職業だけどプレースタイルは違うし、父さんは僕にできないプレーができて、反対に父さんも僕のことを褒めてくれることもあります。比べられる怖さよりも、比較されてうれしいし、光栄です。もちろん“二世”でいる難しさを感じた時期もあったけれど、あまり覚えていないのは自分で記憶を消したからなのかもしれませんが(苦笑)。

――父親の水沼貴史さんと言えば、クラブのレジェンドプレーヤーの一人です。肩を並べたいという思いも?
水沼 僕はまだまだ父さんに追い付いていないので、いつか肩を並べられるように頑張りたいですね。マリノスの歴史を振り返る映像には必ず父さんが出てくる。僕もそこに登場したいですし、それが今、マリノスに帰ってきてからの目標なんです。

――水沼選手にとって横浜F・マリノスはどんな存在ですか?
水沼 憧れのチームです。僕は小さい頃、父さんがプレーしていた日産自動車サッカー部のユニフォームを着ていたぐらいですから(笑)。それから父さんが引退する試合では、マリノス君に抱っこしてもらいました。5歳で抱っこしてもらった選手はなかなかいないでしょう(笑)。でもトップチームでの在籍時間はあまり長くないですし、マリノスの一員として本当の意味で活躍するのはこれからです。

――発する言葉の端々からマリノス愛を感じますね。
水沼 昔いた選手の名前や、過去に在籍した外国籍選手の名前もほとんど言えますよ。だって、そもそも僕はマリノスのファンだったから。ユース時代に小机競技場(現・日産フィールド小机)で試合が終わった後に日産スタジアムのゴール裏で応援したこともあります。コールリーダーの横に入れてもらって。そうしたら、その2カ月後には自分がその舞台でデビューしたんです。マリノスには歴史と伝統があって、昨シーズンは15年ぶりの優勝を果たした。だからこそ、こうやって書籍としてまとめてもらえるんだと思います。ありがたいことに僕もちょこっとだけ登場させてもらっていますが、そういった伝統と歴史あるクラブの発行物の第2弾、第3弾にしっかりと自分の名前を刻めるように、これからさらに頑張っていきたいですね。

2020/04/01 体の小さい君へ Jリーグ最小MVP、161cm仲川輝人の身長論「コンプレックスは感じない」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

–「何かが劣っているわけではない」、横浜FMの27歳がスポーツ少年少女に贈るエール

 サッカーJ1横浜F・マリノスのFW仲川輝人が「THE ANSWER」の単独インタビューに応じ、体の小さい子供たちへメッセージを贈った。昨季15得点で得点王となり、J1優勝に牽引した161センチの27歳は、Jリーグ歴代最小でMVPも獲得。そんな日本代表FWが思う自身の“身長論”、自身と境遇が似た後輩たちに届けるエールとは――。

 三浦知良(当時・ヴェルディ川崎/現・横浜FC)に始まり、名選手がズラリと並ぶJリーグMVPの歴史に、2019シーズンが終わって仲川輝人の名前が刻まれた。

 登録されている身長161センチは歴代最小だ。それまで最も低い身長が佐藤寿人(ジェフユナイテッド市原・千葉)の170センチという事実からも、仲川がいかに特異な存在であるかをうかがい知れるだろう。

 インタビュー序盤、こちらが質問するのに言葉を選んでいると、仲川自身がこんなふうに話しかけて笑いを誘ってきた。

「普通に質問してくださいね。気を遣われると、なんか微妙な雰囲気になってしまうじゃないですか」

 だから率直に聞いてみた。自身の身長をコンプレックスに感じたことはないのか、と。

 間髪入れずに答えが返ってきた。鋭い視線に、迷いは一切感じられなかった。

「コンプレックスとは感じていないですし、今はむしろ強みだと思っています。身長が低いから何かが劣っているわけではなくて、この身長だからできるプレーがあります」

 ピッチに立てば自分より20センチ以上も背の高い相手と対峙することも珍しくない。そんな大男たちを相手に、仲川は小気味良いステップを披露する。体格のハンディキャップをものともせず軽快に切りさばいていく姿は、爽快そのものだ。

 もっとも、学生時代は「身長の大きな選手に憧れた」と包み隠さず言う。

 小学校時代、背の順で整列する際は一番前かその後ろが定位置だった。すると、腕を前に伸ばすのではなく腰に手を当てるスタイルを実演して再び笑いを誘った。

–小さなエースとして戦っていく決意、勝負の世界で生き抜く武器は“速さ”

 次に、高身長への憧れを語ってくれた。

「僕も身長が高くなりたかったですよ。中学生の頃はもちろん、高校生になってからも、自分は成長期が遅いのかなって思うようにしていました(笑)。でも高校2~3年生になっても中学時代と身長がほとんど変わらなかったので、諦めました。両親は背が低いけど、兄は170センチ以上で、姉も165センチくらい。だから自分も伸びる可能性はあると期待していたけど、ダメでした(笑)。大学生になってからは、まったく気にしなくなりました」

 こうして仲川は小さなエースとして戦っていく決意を固めた。

 いかにして勝負の世界で生き抜いていくか。強調するのは、今も重要な武器にしている“速さ”だ。

「自分から1対1を仕掛けてシュートを打つと決めていれば、自分の速さが勝っているという自信はあります。相手はリアクションだから遅れて反応することになる。少しでもシュートコースが空けば、そこでゴールを狙えるのが自分の強みで、重要なのは間合いだと思います」

 15得点で得点王にも輝いた仲川は、約半数となる7得点を利き足と反対の左足で挙げている。右ウイングを主戦場としながらも、カットインから左足に持ち替えての左足シュートは得意のゴールパターンになっていた。

 さらに「相手の身長が大きければ大きいほど自分はプレーしやすくなる」と頷く。

「足の長さやリーチの長さは身長の高い選手の特徴で強みだと思います。でも自分が対戦する時は、一度でも逆を突ければ置き去りにできるというメリットになるし、先手を取れれば優位性を保てる。あとは相手の懐に入ってしまえば、ファウルを奪いやすい状況も作れます。細かいステップや、トラップ後の動作を速くすることが大切です」

 身長が心理面に与える影響はあるのか。若かりし日の仲川は「必死にプレーしていたので相手が自分をどう思っているかを考えたことはなかった」と話したが、プロの世界で実績を積んでからは少しずつ見え方も意識するようになった。

「相手は身長の小さい自分にどうやって対応するか考えていると思います。でも、目の前の相手がいろいろ考えている状況は自分にとって有利。相手がプレッシャーを感じているのであれば、身長が低くても威圧感や雰囲気を出せるはず」

–体の小さな君へ「身長が低くても、自分の武器を見つけることが大事」

 目に見えないオーラをまとい、小さいけれど偉大なプレーヤーとなった仲川輝人。

 自身に近いサイズで似た境遇の少年・少女に向けたエールは示唆に富んでいた。

「身長が低くても、自分の武器を見つけることが大事です。そのために自分自身を研究して、どれだけ知ることができるか。何が強みで、何が苦手なのか。指導者の言葉を参考にするのは大切だけど、最後は自分自身にしかわからないことがあると思います」

 身長が伸びなかった仲川は考えた。自身を知り、発想を転換して今の活躍につなげた。

「サッカー選手としては今の身長でいいです。でも人として、男としては、もうちょっと大きくなりたいなぁ」

 茶目っ気たっぷりに笑う小さなMVPは、これからも大きな希望として輝いていく。

【「横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史」発売】

 仲川が所属する横浜F・マリノスに迫った新刊が3月31日に発売された。クラブ取材歴15年の番記者が、選手・監督・スタッフを徹底取材。堅守のマリノスから アタッキングフットボールへ、J2降格の危機にまで陥ったリーグ屈指の名門は、いかにして変革を遂げ、15年ぶりの優勝を果たしたのか。知られざる変革の「歴史」と「裏側」を深く掘り下げた。

「横浜F・マリノス 変革のトリコロール秘史」(著=藤井雅彦、発行=ワニブックス)

(藤井雅彦 / Masahiko Fujii)

2020/04/01 横浜F・マリノスの密着ドキュメント。主将・喜田拓也「仲間の違う一面が」 – Jリーグ – Number Web – ナンバー

text by 二宮寿朗

 映像で残した記録は、嘘をつかない。

 昨シーズン、横浜F・マリノスは画期的なメディア戦略に打って出た。練習、ミーティング、ロッカールーム、宿舎……いつでもどこでもカメラが入り、チームの日常を記録するとともに、密着ドキュメンタリーシリーズ「THE DAY」としてクラブの公式You Tubeチャンネルにおいて月1、2回のペースで配信した。

 シーズンが終わってから表に出すのではなく、あくまで同時進行で。勝っていようが負けていようが“リアル”を随時提供したことは、反響を呼んだ。

 カメラを回したのは、日韓ワールドカップに臨むトルシエジャパンを記録したドキュメント映画『六月の勝利の歌を忘れない』の撮影者でディレクターの茂野直樹さん。

 プールサイドで催された決起集会でフィリップ・トルシエが服のままプールに落とされるというシーンは、今振り返っても衝撃度マックスだった。そのドキュメント映像のプロが今回、チームのジャージーを着込み、スタッフの立ち位置で密着した映像は非常に説得力があった。

–チームメイトの違う一面を見ることができた。
 このたび未公開部分を収めた総集編がDVD化されると聞き、試作品を先行して見せていただいた。

 アンジェ・ポステコグルー監督がミーティングで選手に語りかけるシーンが多く盛り込まれていて、チームの日常と重ねてみるとなぜこのチームの結束が強かったか、パズルが解けた気がした。主人公はチームの1人ひとり。ただ映像を見ていくと、キーマンはやはりこの人だと思えた。

 複数制キャプテンの1人、喜田拓也である。

――試合前のロッカールームを含めて普段はクローズの場所にビデオカメラが入ることに喜田選手は抵抗を感じませんでした?

「カメラが入ることで何かが変わるというのはないですけど、始まった当初は試合前にみんな集中している時間に(カメラが)あるというのは少なからず違和感を覚えましたね」

――「THE DAY」は月に1、2回のペースでアップされていきました。

「僕もそうですけど、多くの選手が見ていたとは思います。というのも全部が全部、知っているシーンじゃないので、チームメイトの違う一面を見ることができたり、こう考えているんだと把握できたりしました。

 これは個人的な意見ですけど、定期的に配信されるので常に誰かに見られているという感覚で行動しなければならないし、チームとしてそういう感覚や意識が磨かれていったようにも感じます」

–シーズンが進むにつれてみんなが声を掛け合うように。
――配信を見た周りの人から、選手それぞれに反応が返ってきたとか。

「本当に反響は大きかったですね。他クラブの選手たちもチェックしてくれていました。負けた後の練習の雰囲気に『別にチームの空気、悪くないね』と言ってもらえると、あっ、そうなんだ、と。

 チーム内にいると雰囲気を変えることが難しいなと感じていても、外からの目だと悪くない雰囲気に見えたりする。こういう声もチームのことで判断していく材料の1つになったし、密着されるいい側面だなとは感じました」

――1シーズン分をまとめて見てみると、チームの変化に気づきます。当初、試合前やハーフタイムのロッカーでは複数制キャプテンの喜田選手、扇原貴宏選手、天野純選手(昨年7月にベルギー移籍)が中心になって声を掛けていましたが、シーズンが進むにつれてみんなが声を掛け合うようになっていきます。

「前年は残留争いをしていますし、僕たち3人が先頭に立ってチームを変えていきたいという思いがありました。3人いると、3人分のパワーが出せます。

 自分たちを貫く声掛けだとかチームの方向性を(3人の姿勢で)示していきたいと思ってやっていくと、チームのみんなが受け入れてくれて、いい反応を見せてくれて。

 面白いもので段々とみんな要求しあうし、思ったことは声を掛け合うし、一方向じゃなくてディスカッションになっていって、『チームのために』というみんなの気持ちも見えていました。

 シーズン終盤は僕もタカくん(扇原)もそんなに前に出ていかなくても良かった。たくましくて、いい集団になっていましたから。それはキャプテンの1人として、凄くうれしいことでした」

–大切にしている言葉は「ファミリー」。
――総集編ではポステコグルー監督がミーティングの席で「常に自分たちのことだけ話をしているようなチームになろう」「怖れてプレーしたいのか!」「相手は関係ない。常に自分たちのサッカーをするんだ」などと熱く語り掛けるシーンが印象的でした。

「監督は僕らに伝わりやすいように言葉の使い方、テンションを凄く考えてくれるので、スッと(言葉が)胸に入ってくる。いかなるときもF・マリノスのサッカーを、自分たちを貫き通す、信じてやる大切さを教えてくれています。

 選手個々の能力が伸びるようなサッカーをしているし、それをみんなでつくっていく面白味を感じています。それともう1つ、監督の言葉で僕たちが大切にしているものがあります」

――どんな言葉でしょうか?

「ファミリーです。仲間のために頑張る、仲間のために体を張る、仲間を大切にする集団になろうというのは、僕自身が大切にしてきたことでもありました。

 だから監督の言葉は、自分のなかで凄く響きました。サッカー選手としてだけではなく、1人の人間としても監督は尊敬できるし、多くのことを教わっています。それはみんな同じだと思いますね」

–試合に出ていない選手の情報も発信。
――なるほど。確かに総集編のなかでは出場機会の少ない選手たちもチームに大きく貢献していることが伝わってきます。

「試合に多く出ている人は、仲間のために応援してくれる人のために頑張ろうと思うじゃないですか。でも逆にあまり試合に出られていない選手が、出ている選手のために頑張ろうって取り組むことは凄く難しいと思うんです。

『THE DAY』では試合にあまり出ることができていない選手の練習に対する姿勢も発信してくれています。試合にはみんなが並んで、タッチで出ている選手を送り出してくれます。映像を通じて、多くの人にそういったことを分かってもらえるのはうれしいですよね。

 僕たちは11人、ベンチを含めて18人で戦っているわけじゃない。選手のために尽くしてくれるスタッフも合わせてチーム全員で戦っているので。

 僕らの姿勢がファン、サポーターや試合を見てくれる人に『F・マリノスはみんなで戦っているんだな』と伝わると、応援にもそういう気持ちが上乗せされて僕らに返ってくる。そういう効果も感じることができました」

–苦しさの共有と信頼関係。
――「ローマは一日にして成らず」ではないですけど、急にチームの結束が強くなるわけじゃない。まさに「THE DAY」、一日一日の積み重ねがあってこそ。

「みんなの姿勢、みんなの協力には本当に頭が下がる思いでした。キャプテンのタカくん、ジュンくん(天野)と共有したことは、チーム全員で共有していました。

 だからキャプテンがみんなより上乗せして頑張ってきたかと言ったらそうじゃない。みんなが同じように頑張っていくことで結束が強まっていくような感覚がありました」

――映像のなかで喜田選手が練習後に「きつい」と語った後に、確かこのように言葉を続けていました。「みんなできついやつ(練習メニュー)をやって盛り上がるのがいい」と。

「1人できついことやると、本当にきつい。でも仲間と一緒だったら乗り越えられることがたくさんある。苦しい局面に直面したときも、8月に3連敗を喫したときも、みんなで乗り越えられた。

 映像のなかのものがすべてじゃなくて、映っていないいろんな場面もあります。本当に苦しいときに共有できているから、強い信頼関係が生まれると思うんです。それも日々の練習から積み上げていったものがあるから」

–「いつも」をつくるのは、日々の積み重ね。
――8月24日の名古屋グランパス戦の前日。宿泊するホテルの夕食で喜田選手のバースデーケーキが運ばれて、みんなに何度も「おめでとう」といじられるシーンがありましたね。

「3連敗した後の試合前日がちょうど僕の誕生日で。みんなで記念写真を撮って、なんかいいきっかけになればいいなと思いました。

 写真をあとで見ましたけど、みんなすごくいい表情だったんです。名古屋戦から1回も負けなかったので、あの日の夜のことは僕にとっても凄くいい思い出になっています」

――優勝に至るまでの過程においてあまり重圧みたいなものは映像を見ても感じませんでした。

「全部、落とせないというのは開幕からいつもそうでした。日々の練習から優勝するにはそれくらいじゃないとダメだって。つまりチームに、その姿勢が浸透していたから過度なプレッシャーを感じなかったと思うんです。

『いつも』をつくるのは、日々の積み重ね。これは慢心ということじゃなくて、その『いつも』が自信を持たせてくれた。だから優勝が懸かろうが関係ないと思うことができました」

–優勝を記録した映像は立ち返る場所にもなる。
――今年も撮影のカメラが入っています。昨年とはまた違う「THE DAY」があるんでしょうね。

「去年は去年で素晴らしい仲間が集まってくれて、今年は新しい選手、スタッフも入ってきて多少入れ替わりましたけど、可能性を凄く感じています。

 ただ、サッカーが1人でできないのと同じように、みんなあってのチーム。去年、積み重ねてきたものを今年はきちんと中身にしたいなって思うんです。横浜F・マリノスファミリーといったらこうだよっていうのを示していきたいですね」

 チーム全員で取り組んできたことは嘘をつかない。

 クラブ主導でドキュメンタリーを制作した意義は、対外的に発信する宣伝効果にとどまらない。チームの方向性、日々の取り組みを示すことによって、それが応援に「上乗せ」されてチームに戻ってくる。

 常に見られているという意識、そして常に誰かが見てくれているという意識。いろんな目があることで、逆に客観的に自分を、チームを眺めることができる。「THE DAY」はチームの団結を促進する一助となったと感じる。

 たかがドキュメンタリーと言うなかれ。

 これからチームが苦境に立たされるとき、優勝を記録した昨年の映像は立ち返る場所にもなる。日々、チームを追いかけるカメラは、彼らを支える日常になっている。

 
 

今日のこけまり

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