夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/12/11) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/12/11(水)人事情報もゴソゴソと)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2019/12/10 杉本大地選手との契約に関するお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

2019/12/11 町野修斗選手との契約に関するお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

2019/12/11 堀研太選手との契約に関するお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

(´-`).o0(「まとめ」は追って。)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームは2020年1月10日までオフ)
 
 

Twitter / Instagram


 
 


 
 

Webニュースログ

2019/12/10 現役引退の横浜・栗原、来年キャンプに同行へ 独自の“目線”でクラブ発展に貢献― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜は横浜市内で解団式を行った。現役を引退し、今後はクラブスタッフとして活動する横浜のDF栗原は「現場を離れすぎるのも良くない」と、来年1月に予定されている新体制発表会やキャンプに同行する意向を示した。

 「ずっと会社の中にいるより、外に出ている方が向いている」と18年の現役生活で培った独自の目線も生かし、クラブの発展に貢献していく。

2019/12/10 横浜V2へ環境整備を!専用施設なし放浪生活改善を – J1 : 日刊スポーツ

15年ぶりにJ1制覇した横浜F・マリノスが9日、横浜市内で解団式を行った。アンジェ・ポステコグルー監督(54)が取材対応。質問に答える形で、専用練習場がなく各地を転々とせざるを得ない問題に触れ「口にしてこなかったが(問題を乗り越え)この環境だから成功したと言う気は全くない」と美談にしなかった。16年にクラブハウスや練習場があったマリノスタウンが閉鎖。22年に専用施設が横須賀市内に完成するが「ビッグクラブとして復活したければ環境を整備しないと」。連覇へ、完成までの状況改善を注文して今季を締めた。

引退するDF栗原はクラブスタッフに転身。現役最後の日を終え「具体的には決まっていないけど、選手とスタッフをつなぐ俺にしかできない仕事をしたい。オフィスに机があるか分からないから、まずは手伝いでも合宿に行きたい」と新たな貢献策を思い描いた。

2019/12/10 仲川輝人は本当に日本代表に相応しい?JリーグMVPの快足アタッカーは、その価値を証明できるか | サッカーダイジェストWeb

 JリーグMVPが満を持して代表の舞台にのぼり立つ。横浜のJ1制覇の立役者となった快足アタッカー仲川輝人だ。

 アンジェ・ポステコグルー監督の攻撃的なスタイルにハマった今季は、シーズンを通して15得点を挙げ、チームメイトのマルコス・ジュニオールとともに得点王にも輝いている。

 そんな活躍が評価され、12月10日から開幕するE-1選手権でついに初の代表入りを果たした。しかも与えられた背番号は「10」。いきなりエースナンバーを託されるあたりに、大きな期待が見て取れる。

 もちろん周囲から持て囃されている分だけ、仲川自身も小さくない責任を感じている。

「今季は良い結果を残して、それで代表にも呼ばれたと思うので、数字という結果を日本代表としても残さなければいけない。今回はE-1選手権ですけど、日本代表のプライドを持ってやらなければいけない。そういう責任感は増しましたね」

 これまで全日本大学選抜に選ばれた経験はあっても、世代別代表に選ばれた実績はなかった。それでも初めての代表活動に緊張をしている様子は一切ないのは、今年1年で自信を深めたからなのだろう。

「代表ではシステムややり方が、マリノスとは違ってくるかもしれないですけど、それでも短い期間のなかでやらなきゃいけない。しっかりコンセプトを理解して、それを試合で表現しないといけない。それが代表選手のやるべきことだと思う。やるべきことをしっかりやって、それでいて結果を残すということを自分としては求めていきたい」

 チームの約束事を守りながらも、自分の持ち味を出すという、いわば“自己表現力”は横浜で磨き上げてきた。リーグトップのゴールを奪えたのは、なにも得点だけにこだわっていたからではない。チームのピンチとなれば一目散に帰陣し、プレスバックを行ない、時にはSBのカバーにも回った。横浜が攻撃的なスタイルを貫けたひとつの要因が、こうした仲川の献身性だったはずだ。そのうえでゴールを量産したからこそのリーグMVPなのだろう。

「マリノスは特殊なサッカーをしているんですけど、ハードワークという部分では、代表でも、マリノスでも求められている。そこはしっかり出していきながら、自分の特長を出していければいいかなと」

 横浜と同じように守備を怠らずに、攻撃で圧倒的な違いを作れるのか。中川にとって、この代表戦はある意味で、今年横浜で培ってきたものを出す、集大成の場と言える。

 代表入りが発表された時、森保一監督からは次のように評されている。

「まずは得点。そしてチームでの存在感。代表に相応しい活躍をしている。11月の活動でもJリーグから初招集の選手を選ばせていただきましたけど、仲川も同様に、これから代表の戦力になり得るだけの選手だと思っています」

 仲川は本当に代表に相応しいのか。横浜でしか輝けないのではないか。そんな疑念を払しょくし、リーグMVPの価値を証明するために、仲川は代表のピッチに足を踏み入れる。

取材・文●多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

2019/12/11 畠中槙之輔は「完全に僕」と責任感じ…。日本代表、DF陣から見た失点の原因とは【E-1サッカー選手権】 | フットボールチャンネル

 日本代表は10日、EAFF E-1サッカー選手権2019決勝大会の初戦で中国代表に2-1の勝利を収めた。

 2点リードで完封勝利目前だった終盤、日本は浅い位置からクロスを上げられ、ドン・シュエシェンにゴールを許した。この場面でマークにつききれず相手にヘディングシュートを許してしまったDF畠中槙之輔は「あれはもう、完全に僕ですね。ああいうところが、まだまだだなと思います」と責任を感じ、自らの非を悔いた。

 3バックの中央で畠中とともにプレーしていたDF三浦弦太は、「中国はクロスが特徴のチームというのは分析でも出ていたので気をつけてはいた」と述べた一方で、「しっかりと最後のところでポジションというより、人に対していけるように誰がそこに対していくのかとか、よりいいクロスに対しての準備は必要かなと思います」とチームとしての守備対応に改善の余地ありという見解を示した。

 三浦が言った「終盤になって疲労が出てくると、ボールホルダーにプレッシャーをかけられずにフリーでクロス(を上げられる)という危ないシーンがあった」とは、まさに失点した場面のこと。自陣に入られても誰もボールホルダーに寄せられず、ディフェンスラインは人数こそ揃っていても不利な状態での対応を強いられた。

 それまでクロスが特徴とはいえ中国も精彩を欠いていたが、畠中曰く「最後だけ良いボールが本当にきた」。

「いいボールがきたときに、自分が初めて仕事をしなければいけない場面だった。舐めていたわけではないですし、油断というわけでもないですけど、反省しないといけないことかなと思います」(畠中)

 今後、日本代表に定着して世界と戦っていくのなら、ここで対人プレーの甘さを出すわけにはいかない。14日の香港戦、そして18日の韓国戦では、より一層気を引き締めてゴール前で相手に自由を与えないプレーが求められる。

2019/12/10 【横浜FM-FC東京】GK朴の一発退場、DOGSOは「妥当」。JFA審判部が見解 | サカノワ

 2019シーズンの優勝が決まったJ1リーグ34節の横浜F・マリノス対FC東京戦の67分、横浜FMのGK朴一圭が永井謙佑へのファウルにより、一発退場処分を受けた。このシーンが、判定に関する疑問について議論するDAZNのコンテンツ「Jリーグジャッジリプレイ」で取り上げられ、日本サッカー協会(JFA)審判委員会の上川徹トップレフェリーグループシニアマネジャーが解説をした。

 60分過ぎ。FC東京のロングフィードを横浜FMのDFチアゴ・マルチンスがヘッドでGK朴にバックパスする。すると、そのボールに永井が俊足を飛ばしたあとジャンプして、先にボールへ触れる。しかし、その飛び上がっている永井の足を、クリアしようとしていた朴の足が蹴る形になる。

 そのあと永井は一旦ボールを追おうとしたが転倒する。

 最初はノーファウルの判定でプレーが続行された。その後、朴にイエローカード。しかし副審に呼ばれて確認し合った木村主審が、朴へのイエローカードを取り消し、代わってレッドカードを提示。一発退場処分となった。

 対象のプレーが「決定機阻止 = DOGSO [ ドグソ ](Denying Obviously Goal Scoring Opportunityの頭文字) 」で、レッドカードの対象となった。

「DOGSO」が成立するのは、下記4条件のすべて揃った時。

攻撃側の選手が――

1)ファウルがなかった場合、ボールをコントロールできていたか

2)ゴールに向かっているか(プレーの方向)

3)ゴールとの距離

4)守備側の選手の位置と人数(GKまで妨げる選手がいないか)

 永井の場合、4)のチアゴ・マルチンスが持ち味のスピードを生かしてカバーリングに向かっているのでは? また、1)に関して「永井がボールをコントロールしていた」と言えるかどうか? そのあたりが微妙とも言えた。

 しかし上川氏はドグソの判定は妥当だったとして、「ボールは永井選手のもとにあり、DF(チアゴ・マルチンス)も横にいる状況だった(カバーリングに入り切っていない)」と説明した。

 また、当初、主審は朴と永井のコンタクトはなかったと判断し、プレーを続行させた。そこで副審からの「コンタクトがあった」というインカム(無線)での連絡により、ファウルにより朴にイエローカードを提示。そこで木村主審は選手たちとのやり取りで、副審からの詳しい説明が伝わってこなかった。そして、改めて、副審からドグソだったのではないかという指摘を受けて協議し、主審は朴への「レッドカード」の判断を下した。

 上川氏は「結果的には正しい判断を下しています。この時間をもう少し短くすることが課題になると言えます」と語った。

2019/12/10 扇原貴宏「マリノスを常勝軍団に」10年目で掲げた初めてのシャーレ。 – Jリーグ – Number Web – ナンバー

text by 安藤隆人

 15年ぶりのJリーグ制覇を果たした横浜F・マリノス。ホーム・日産スタジアムでの最終戦では、粘る2位FC東京を3−0で退けた。

 試合後の優勝セレモニーで、キャプテンマークを巻いた喜田拓也とともに「チームキャプテン」を務める扇原貴宏は、誇らしくシャーレを掲げ、喜びを爆発させた。この試合、扇原は累積警告による出場停止でピッチに立つことはできなかったが、プロ10年目を迎えた彼にとって、初めて手にした初タイトルだった。

 扇原という選手を見てきて、ずっと印象に残っている2年間がある。まだ彼が高校3年生だった2009年と、プロ1年目にあたる2010年だ。特にプロ1年目は彼にとってどん底のシーズンだった。この時、自分が優勝シャーレを掲げている姿を想像できたのだろうか。

–松葉杖をついて見守った高校最後の試合。

 扇原は中学生からC大阪の下部組織で育った。180cmを越える高さと左足のキックを生かし、CBや左サイドバック、中盤でもボランチ、トップ下、左サイドハーフと複数のポジションを器用にこなすユーティリティープレーヤーとして順調に成長を遂げてきた。

 しかし、2009年11月、練習中に右足の腓骨を骨折した。高校最後の大会となるJユースカップでは松葉杖をついて、チームの試合を見つめことしかできなかった。ラストゲームとなった2回戦・名古屋グランパスU18(現在はU-18表記)戦、C大阪U-18は0−1で敗戦。試合後、永井龍(現松本山雅FC)、一森純(現ファジアーノ岡山)、杉本健勇(現浦和レッズ)ら仲間たちが泣いている姿を見て、扇原も松葉杖をつきならが目にいっぱいの涙を溜めていた。

「最後の大会だから、絶対に出て、優勝したかった……。こんな時に怪我でチームに迷惑をかけてしまった。何もできない自分が悔しいです」

 取材に対し、誠実に答えてくれる姿が印象的だった。

「この悔しさをプロでぶつけたい」

 その年が明けた2月。宮崎でのC大阪キャンプ。取材に行くと、まだ復帰できていない彼の姿があった。

–怪我で何もできなかったプロ1年目。

「何か治りが悪いんです……。本当にただの骨折なのか、実は何かあるんじゃないかとか、いろんな不安が出てきて、焦りは正直あります」

 普通なら復帰に向けて状態が上がっているはずだった。しかし、足を引きずりながら、スパイクさえも履けない状況に、不安そうな表情を見せていた。すると、トップ昇格後の6月、2度目の腓骨骨折。検査の結果は右腓骨病的骨折と診断された。

 この骨折は骨腫瘍が原因だった。すぐに摘出手術を受けたことで、ルーキーイヤーからいきなり長期離脱を強いられ、ほぼ1年間を棒に振ることになった。

「ちょっと接触しただけなのに骨にヒビが入るというのを3回くらい繰り返して、ずっとおかしいと思っていた。骨腫瘍があったと聞いた時はびっくりしたし、本当にショックだった。プロの世界は試合に出てなんぼだと思っていたし、1年目から試合に出たいと思っていたので、何もできない自分に腹が立ったし、危機感を凄く覚えた1年間だった。本当にきつい時間でした」

–先輩から「焦らなくていいよ」。

 この時、彼を救ってくれたのが、同期の活躍と先輩の言葉だった。同じタイミングで昇格した永井は1年目から試合に出場していた。トップチームでプレーする姿を見て、「絶対にあの場に俺も立つと思わせてくれた」と大きな刺激と希望をもらった。

「プロ1年目で『ここからだ』と思っていた僕は、相当落ち込んでいましたが、播戸竜二さんや大先輩たちから『まだ1年目で若いんだから、まずはしっかりと治した方がいい』、『まだまだ時間はあるんだから、焦らなくていいよ』と声をかけてもらって、気持ちが少し楽になりましたし、助かりました」

 幸い、埋め込んだ人工骨がフィットし、そこから彼は腓骨を骨折することはなかった。そこから彼は時間を取り戻すかのように、プロの舞台で躍動し始めた。

–クルピに期待され、五輪にも出場。
 翌2011年、彼の背番号は24から2に変更された。1試合も試合に出ていない選手に対する、異例と言える若い背番号への変更。周囲の期待の高さが窺えた出来事でもあった。当時、C大阪を率いていたレヴィー・クルピ監督は、プロ2年目の彼をこう讃えていた。

「タカはパスもうまい、シュートもうまい、技術も高い。そして185cmもあって、高さと強さがある。今は経験を積ませている最中。プロとして成功を収める、次なる候補だと思っている」

 C大阪では主にボランチとCBで起用され、その才を磨き、ロンドン五輪を目指すU-22日本代表でもボランチとして定着。翌年のロンドン五輪にも出場し、不動の地位を築き始めた。

「中盤でタッチ数を少なく、サイドに散らすことが自分のプレースタイルに合っていると感じています。個人的にはアンカーでありアタッカー。ゲームを作れるし、相手をつぶせる選手が理想です。今思うと、これまでいろんなポジションを経験してよかったと思っています。それぞれのポジションの選手の気持ちが分かるので」

 当時の彼は、プロとして自分の存在感を発揮できる場所を見つけ、充実した表情を浮かべていた。

–今季も怪我で苦しんだ。
 しかし、怪我を経験した後のサッカー人生も決して順風満帆ではなかった。2016年シーズンは出番が激減し、その年の7月に長年在籍したC大阪を離れ、名古屋グランパスに完全移籍した。だが、移籍2試合目の鹿島アントラーズ戦で負傷交代すると、左第3および第4腰椎横突起骨折で長期離脱。シーズン終盤に復帰するも出番はなく、翌年にマリノスへの完全移籍を決断した。

 横浜FMに来てからはコンスタントに試合出場を重ねたが、完全なるレギュラーにまではたどり着けなかった。移籍2年目の昨年は、リーグ29試合にスタメン出場。アンカーとしてついに定位置を獲得したかと思われたが、今季は開幕から喜田拓也がアンカーのポジションに入り、第11節までスタメンは1回、プレー時間も100分強程度と苦しんでいた。

 チームが第12節ヴィッセル神戸戦から中盤の底にダブルボランチを配置する4-2-1-3にシフトチェンジしたことで、喜田と並んで出場する機会が増え始めた。第14節の湘南ベルマーレ戦まで3試合連続スタメン出場と波に乗り始めた矢先、その湘南戦でまさかの負傷。右膝内側側副靱帯損傷の全治6週間と診断された。

–ハマったキーボーとのコンビ。
 復帰は天野純がベルギーに移籍した直後の7月。第19節浦和レッズ戦で約1カ月半ぶりにピッチに立った。出場停止もあったが、そこから第33節の川崎フロンターレ戦まで、喜田とともに不動のボランチコンビとしてチームを支えた。

「ボランチは攻守の切り替えでのポジショニングが凄く大事なポジション。マリノスには前に派手な選手が多いので、ボランチだったり、DFラインがシンプルにやって、つなぎ役をしてチームをうまく循環させることが大きな仕事でした。キーボー(喜田)がセンターラインに軸を作ってくれるので、凄く試合に入りやすかった。周りのみんなが本当にスペースを見つけるのがうまいからこそ、どこにスペースがあって、どこが空くのか、誰が入ろうとしているのかを見逃さないことを心がけました。観察力、洞察力がこのサッカーをやることで向上したと思います」

 高いボール奪取力と的確なポジショニングでボールの経由地として機能する喜田と、抜群の動き出しで次々とスペースに入り込む味方に対し、正確無比な長短のパスを供給してゲームを組み立てる扇原。相性抜群のコンビが中心となり、出場停止明けの第24節の名古屋グランパス戦からは川崎戦までの10戦負けなし(9勝1分)という破竹の快進撃を実現した。

–シャーレを掲げ「一番幸せな瞬間」。
 川崎戦で累積4枚目の警告を受け、FC東京戦は出場できなかった。だが、彼の貢献度はそれで色あせることはない。

「僕はキャプテンの1人でもありますし、練習でしかチームを引っ張れないと思ったので、(FC東京戦までの)この1週間は誰よりも先頭に立ってチームの士気を上げられるように、少しでも決戦に向けていい練習ができるように意識して過ごしました」

 喜田とともにチームキャプテンとしての自覚を持って、1日1日を過ごしてきた。だからこそ、自分がピッチに立てなくても、優勝は格別なものであった。

「プロに入ってから優勝をずっと目標にしてやってきた。自分の夢を諦めずにやってきて、今日この瞬間に立ち会えたのは幸せだなと思います。それにキーボーの後にシャーレをあげさせてもらったのは、サッカー人生の中で一番幸せな瞬間でした」

–「やっぱり2個、3個ほしいな」
 FC東京戦後のミックスゾーン。優勝記念Tシャツを身にまとった状態で姿を現した彼に、改めてプロ1年目のことについて話を聞いてみた。

「今年も『これから』という時に怪我があって、その間のリハビリは正直辛かったです。ただ言い方はアレかもしれませんが、あのルーキーの1年間に比べたら短い期間ですし、あの経験を生かすことが出来たと思います。これまで怪我を含め、いろんな経験をしましたが、それがすべて生きているんだと改めて感じたし、こうしてまだサッカーをやれていることが本当に幸せだと感じています。本当にきつかったですね。あの時は……」

 こう口にしながら、遠くを見つめる目が印象的だった。もちろんいつまでも感慨に浸っているつもりはない。28歳、まだまだ先のサッカー人生はある。

「初タイトルなので、嬉しい気持ちもありますが、やっぱり1個取ったら、2個、3個ほしいなという気持ちはすでに湧いてきています。これに満足せず、これからマリノスが常勝軍団になっていけるようにやっていきたいと思っています」

–優勝で改めて気がついたこと。
 どんな時も、決して下を向くことなく前に進み続ければ、目標がある限り、必ず報われる日が来る。あの怪我も決して無駄ではなかったし、あの時に自分を救ってくれた先輩たちの言葉の意味もより深く理解することができた。あの1年間は扇原にとって、プロとして高く飛び続けるための重要な土台であったのだ。

 それを改めて学んだ優勝だった。だからこそ、それをこれからも変えてはいけない。

「プロ10年目ですけど、ずっと人のせいにしないとか、すべてのことに自分に責任があると言い聞かせてきた。試合に出られないのも自分の責任だし、全部自分次第で(現実が)変わると思っている。それはこれからも変わりません」

2019/12/11 【そういうことだろ~】今季優勝は外国人頼みが大きい…横浜F・マリノスは連覇してこそ本物! (1/2ページ) – zakzak:夕刊フジ公式サイト

 --今年のJ1リーグは横浜F・マリノスの15年ぶり優勝でした。清水さんはOBのひとりです

 清水「よく勝ったよ。プロのクラブは勝ってこそ。まぁ、俺たちがいた時代は(2004年から)14年間も優勝できないようなクラブじゃなかったけどな(笑)」

 --ケチをつけるつもりはないのですが、横浜は外国人頼みの優勝という面もある

 「だろ~!! だからこそ横浜はポステコグルー監督をクビにしなかったことが一番大きいね。昨季はJ2落ち寸前の12位だった、でも、続投させた。彼と心中するつもりで彼の戦術に合う選手をきちんと補強したよね。それが実を結んだ優勝だった」

 --監督をコロコロ替えて、フロントは親会社からの“天下り”でクラブ社長になる、これこそJクラブの悪しき習慣です

 「おお、たまにはいいことを言うな(笑)。横浜も14年間この繰り返しだったからね。ハッキリ言わせてもらうけど、浦和や再びJ2に落ちちゃう磐田もそうさ。Jリーグがスタートして今何年目だい?」

 --はい、27年目です

 「そんなにたっても、憎らしいほど強いビッグクラブがひとつもない…。おかしくないかい? プロ野球だって巨人がとてつもなく強くて、それを阪神や中日が追いつき追い越せでやってきたじゃん。Jリーグの場合、横浜だってこのオフちゃんと補強をしなきゃ、また来季はJ2降格危機もじゅうぶんあるからね」

 --どのクラブももっと『色』を出さなきゃですね

 「そうさ。横浜に対抗して一切外国人助っ人獲らないクラブがあったっていいじゃん。ファンサポーターのみなさんは毎週5000円から1万円近く払って見に来てくれるんだよ。それをもっと感じてやらなきゃ」

 --2020年は五輪イヤーですが、注目したいJ1クラブは

 「もちろん横浜F・マリノスさ。連覇してこそ本物だよ。これは俺がOBだからって訳じゃない。今季の横浜は外国人の力で勝てた面が大きい。助っ人はあくまでも助っ人。海外のクラブが給料2倍出すからといえば、すぐ移籍しちゃうからね。それがサッカークラブを強くする難しささ」(元J1仙台監督=聞き手・久保武司)

2019/12/10 【全日本】諏訪魔が2年ぶりの最強タッグV 原動力はマリノス愛 東スポの全日本に関するニュースを掲載

 原動力はサッカーの名門クラブだ。全日本プロレス暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」は、暴走大巨人こと諏訪魔(43)、石川修司(44)組の優勝で幕を閉じた。2年ぶり2度目の栄冠を手にした名コンビを支えたのは15年ぶり4度目のリーグ優勝を果たしたJ1横浜Mだ。長男の諏訪間幸成(16)がユースに所属する暴走男が心に秘める“マリノス愛”とは――。

 9日の後楽園大会で諏訪魔、石川組はTAJIRI(49)、KAI(36)組を下して公式戦全日程を終了。勝ち点12で並んだジェイク・リー(30)、野村直矢(26)組と優勝決定戦を行い、石川が野村をジャイアントスラムで沈めて3カウントを奪った。

 暮れの祭典を制した諏訪魔は「この優勝はマリノスのおかげだ。苦しい時にマリノスが頑張っているのを見て、勇気をもらって戦い抜くことができたんだから。一緒のタイミングで優勝できて最高だ!」と喜びを爆発させた。横浜Mのサポーターを公言し、今年も試合の合間を縫ってスタジアムに足を運んだ。

 そこまで熱心になったきっかけは、横浜Mのユースに所属し、U―16日本代表にも名を連ねる幸成の存在だ。「中学1年からマリノスのジュニアユースでお世話になって、それから俺もマリノスの試合も見るようになったんだよ。育ててもらって、親として本当に感謝してますよ」

 幸成は2018年3月に初めてU―15日本代表入り。以降はアンダーカテゴリー代表の常連となり、13日からのチュニジア遠征メンバーにも選ばれた。父譲りの恵まれた体格を武器にセンターバックとして活躍し、将来を嘱望されている。

 また今季限りでの引退を表明した元日本代表DF栗原勇蔵(36)への思いもある。テレビ番組の収録で17年に栗原が道場を訪れたことから親交が生まれた。「まずは『お疲れさまでした』と言いたいよね。本当に今までたくさん、パワーをもらったから。『落ち着いたら会場にぜひ見に来てください』って伝えておいてくれ。この時代にマリノスひと筋っていうのがすごい。俺も全日本ひと筋で、まだまだ頑張るぞ、オイ!」と闘志をみなぎらせた。

 暴走大巨人の次なる目標はゼウス(37)、崔領二(39)組からの世界タッグ王座奪還で、来年1月2日後楽園大会での挑戦が決定的だ。「2020年、この全日本プロレスを俺たちがもっと面白くしていきます!」と叫んだ石川とともに、王道マットで暴れまわる。

 
 

 
 

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