夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/11/26) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/11/26(火)まだ秋なのか、もう冬なのか)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

【最終追加販売】11/30(土)川崎戦「横浜F・マリノス デジタルスタジアム inTOHOシネマズららぽーと横浜 supported by NTTぷらら 特別ゲスト決定ならびに追加チケットの販売について | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(専用回線を引いて、凄いみたいです。大多和部長が言ってた。)
 
 

今日の練見(れんみ)


 
 

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Webニュースログ

2019/11/25 〈蹴球七日~同胞サッカー選手の足跡 20〉横浜F・マリノス・朴一圭選手 | 朝鮮新報

社会人リーグから這い上がり、憧れていたJ1の舞台へ。そんな絵に書いたようなサクセスストーリーを歩む同胞選手がJ1屈指の名門、横浜F・マリノスにいる。加入1年目で正GKの座を掴んでいる朴一圭選手(29、東京朝高、朝大卒)だ。チームは残り2試合となったリーグ戦で首位を走っている。「ぶれない覚悟を持って諦めずに続ければ、必ず最後に花が咲く」(朴選手)。不断の努力を重ねてきたサッカー人生に、輝かしい1ページが刻まれようとしている。

–心に掲げたスローガン

取材当日は7万人収容のホームスタジアム近くで練習が行われた。全体練習がおわっても最後までグラウンドに残り、技術の向上に取り組む朴選手。クラブハウスへ引き上げる際にこちらに気づくと、練習時の真剣な表情から一転、柔らかい笑顔で声をかけてくれた。「久しぶり!元気だった?」

暑さが残る昨年11月の沖縄。2018年シーズンを終えたばかりの当時、朴選手はクラブ創立以来初のJ3優勝、J2昇格を果たしたFC琉球に所属していた。シーズン中は主将として毎試合のように高いパフォーマンスを見せ、強烈なリーダーシップでチームを牽引。栄冠を果たしたチームの中でも一際脚光を浴びていた。

その経歴にも注目が集まっていた。J2から3つもカテゴリーが低い社会人リーグでのプレーを経験していたからだ。
(以下、要会員登録)

2019/11/26 横浜・畠中、15年ぶり優勝へ鬼門突破だ「最後までぶれずに戦いたい」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜は大一番となる30日の川崎F戦に向け、横浜市内で調整した。
 川崎Fに勝ち、2位FC東京が浦和に負けた場合は15年ぶりのリーグ制覇が決まる。敵地での神奈川ダービーは15年を最後に勝ちがないが、DF畠中は「(相手とは)似たようなサッカーをしていると思うが、自分たちも自信を持っているので、最後までぶれずに戦いたい」と“鬼門”突破を誓った。

2019/11/26 首位横浜MF喜田、13年逆転V逸の悪夢払拭を誓う – J1 : 日刊スポーツ

J1首位で15年ぶりの優勝を目指す横浜F・マリノスのMF喜田拓也(25)が、優勝の可能性がある30日の川崎F戦(等々力)に特別な思いで臨む。

川崎Fに勝ち、2位東京が敗れると優勝が決まる。26日は横浜市内で約1時間半、パス回しなどで汗を流した。プレッシャーのかかる状況にもリーダー喜田は「いつもと変わらずやれているし、全員で準備ができている」と話した。

苦い思い出も糧にする。チームは13年にも残り2節を残し首位に立っていた。2位浦和との勝ち点差は4もあった。しかし、勝てば優勝という状況から2連敗。広島に優勝をさらわれた。当時の最終節は敵地・等々力での川崎F戦。大幅に若返った現チームで、当時を知るのはベテランDF栗原と喜田の2人だけ。プロ1年目だった喜田はスタンドからピッチに崩れ落ちる先輩たちの姿を見た。「あの日の悔しさや光景は、常に心の中にあって、それを晴らすべくやってきた。最後(勝ち点を)取り切って生かせれば」と一気に決めにかかる。

2019/11/26 Jリーグ最終節、横浜FM戦、最多入場者数記録更新の可能性! | Football Tribe Japan

 J1は12月7日に第34節で最終節を迎える。現在、勝ち点64で首位の横浜F・マリノスは、1ポイント差で2位につけるFC東京と最終節で対戦する。日産スタジアムで行われるこの試合では、J1最多入場者数記録の更新がかかっている。

 マリノスの公式サイトによると、25日の午前11時時点でのチケット発券枚数は
6万2678枚。これまでのJ1最多入場者数記録は、2013年に日産スタジアムで行われたJ1第33節マリノス対アルビレックス新潟の6万2632人で、この数を上回る数のチケットが発券された。

 残り2節となったJ1では、勝ち点60で現在3位の鹿島アントラーズまでが優勝の可能性を残している状況。33節でマリノスが勝利し、東京が敗れた場合は同クラブの優勝が決定する。果たして優勝の行方は最終節までもつれることになるのだろうか。そして最終節で最多入場者数の記録を更新することはできるのだろうか。

2019/11/26 アフリカに渡った元Jリーガーの執筆コラムvol.2「ザンビア移籍の舞台裏をお話します」 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト

–異色の人生を歩む元横浜Mの34歳MFが自らつづる連載「中町公祐アフリカ挑戦記」

 今年1月、ザンビアリーグのZESCOユナイテッドFCに移籍した中町公祐。異例のキャリアを歩む34歳が人生を振り返り、自らの言葉で想いをつづる連載「中町公祐アフリカ挑戦記」。シーズン終了まで毎月届ける全9回、第2回は「ザンビア移籍の舞台裏」――。

 横浜F・マリノスから受けた2年契約のオファーを辞退し、初の海外挑戦で未知なる地、アフリカに活路を求めた中町。サッカーファンを驚かせたザンビア移籍の裏では、アフリカのクラブならではの様々な困難があったという。当時の舞台裏を今、明かす。

 ◇ ◇ ◇

 11月に入り、ザンビアは雨季のシーズンが到来しています。アフリカの強い日差しはそのままに時折、強い雨がスコールのように降ってきます。四季の有難みや日本の風情を懐かしむ日々ですね。

 チームはここまでリーグ戦10試合を終え10連勝と負けなしです。自分は9月の終わりに腿裏の違和感で離脱し、直近は試合に出ていないのですが、インターナショナルウィーク明けから巻き返しを図って行きたいと思います。

 11月末からはCAFチャンピオンズリーグのグループリーグが始まるので、そこに合わせてコンディションを上げて行きたい所です。さて、日本のJリーグも佳境に入り、ここから選手の移籍が目まぐるしく起こる時期に差し掛かっていきますが、連載の第2回となる今回は私のザンビア移籍の舞台裏について、お話したいと思います。

 まずは一般的な移籍事情について大まかな流れに触れなければなりません。チームの順位や来季戦うカテゴリー、ACLに出場するかなど、置かれた状況によって、補強ポイントやポジション構成は様々。その中で、既存選手への来季の年棒提示、もしくは契約非更新という通達は、シーズンの終わりに通常行われます。

 契約最終年でチームが絶対に手放したくない選手は、クラブが早めに交渉を始める場合もあります。翌シーズンも主力として考えた選手が違うチームに引き抜かれてしまうと編成上、大きな変更を余儀されるためです。ただ、選手というのはやはり、目の前の試合、日々の練習に集中したいもの。そのため、昨今はエージェント(代理人)が大抵ついています。彼らはシーズン中も他チームと接触し、オフシーズンは年俸交渉を代わりに受け持ちます。

 強化部とは毎日のように顔を合わせているので、自分の主張をするだけでは人間関係が崩れてしまう可能性もあります(私は湘南時代、この部分で失敗しました。別章でお話しします)。自分の成績を評価してもらうのはプロサッカー選手の常。なので、こういう場面でエージェントが活躍するわけです。

 私の話に戻します。エージェントを初めてつけたのは25歳だった10年のアビスパ福岡在籍1年目でした。12年にマリノスに移籍する際はエージェントに動いてもらいましたが、マリノスで2年を過ごした後、自分の思いを伝える“自己プロデュースと自分の価値の引き上げ”を他人に任せるのではなく自分でしたいと思い、14年からエージェントを外しました。

 強化部との信頼関係から自分で交渉できるという確信があったのも確か。そういう流れがあり、2018シーズンもエージェントはいませんでした。

 この年は、それまでより満足のいく出場機会を得られていませんでした。マリノスほどのビッグクラブなので、少なからず身の振り方を考えなくてはならない状況。マリノスでキャリアを終えることが自分にとっての理想であり、大きな目標でした。しかし、そんな気持ちを抱えていた時、大きな転機が訪れます。

–アフリカの地で見た一筋の光とマリノスに受けた複数年契約

 18年6月のワールドカップ(W杯)期間のオフを利用し、自分が展開していたボランティア活動「Pass on project」で実際にアフリカに赴いたことです。この想いの部分は別の機会にお話しますが、アフリカという地に自分のサッカー選手としてのキャリアに一筋の光を見ました。

 エージェントがいなかった私は、シーズン中に移籍先をエージェントのネットワークから探すことができません。そこで、私が一人だけ抱えていた社員に8月にジンバブエに行ってもらいました。いわゆる市場調査です。編集した自分のプレー集を手に現地の日本人を紹介してもらい、実際にチームに話をしに行くというものです。

 結局、国の情勢や経済の不安定さなどから、ジンバブエ行きは消滅しました(スーパーに行ったらお釣りがないので、ぴったりの金額か携帯で払うシステムじゃないと買えないとか、ガソリンスタンドでは48時間待ちとか)。彼の帰国後、ジンバブエの隣にあるザンビア共和国に知り合いがいることが分かり、再度アタックすることを決めます。

 皆さんはそもそもなんでジンバブエやザンビアなのかと思うかもしれません。自分の中ではアフリカ大陸の中でも治安が良いと言われている点が第一、そして、南アフリカやケニアなどの大きな国ではなく、比較的小さな国に行くことが自身のNPOの活動含め、やりたいことに一致すると思っていたからです。

 一方で10月に入り、所属するマリノスでは残留争いで予断を許さない状況が続いていました。チームが降格しないように、そして来シーズンに繋げるシーズンにするために全力を注ぎました。

 やはりチームの結果が出ない時は周りからの声も相まって自分たちのスタイルに疑心暗鬼に陥ります。監督に呼ばれ、コーチに呼ばれ、選手たちの現状やチームをまとめる働きについて話し合ったことは1度や2度ではありません。

 そんな時期のある日、チームのフロントから呼ばれました。来年度からの契約延長についての話でした。

 当時、もらっていた給料とは同額ではないものの、33歳でシーズンの出場時間からは考えられない複数年契約の提示でした。私は金額の確認はせず、こんなことを伝えました。

「複数年契約の提示というだけで、自分は物凄くチームからの愛情を感じます。金額の交渉をするつもりは一切ありません。日本の他のチームに行くということもないと断言します。ただ、自分の可能性について今後の自分のサッカー人生についてトライしてみたいことがあるので、考えさせてください」

 そして、12月のシーズン終了翌日、ザンビアに向け、日本を経ちました。

–綱渡りの状況を経て決まったザンビア移籍の舞台裏

 ザンビアで複数のチームと直接交渉するためです。正直、この交渉はお世辞にも大成功とは言えないお粗末なものでした。

 約束の時間にチーム関係者が来ないのは当たり前。「今、約束の場所に向かっている」という言葉から結局、その日会うことすらできない日々が続きました。滞在期間を延長し、ザンビアにいたものの、全くと言っていいほど進展せず、失意の中で帰国することになります。

 この時点で12月20日過ぎ。マリノスからも「早く答えを出してくれ」とザンビア滞在中に言われていたので、かなり待ってもらったのですが、まだマリノスにはアフリカに行って、現地のチームと交渉していることを伝えていませんでした。流石にこの時期まで引っ張って、その理由と自分の想いを伝えないのは筋が違うと思い、チームの事務所を訪れました。

 しかし、このタイミングで何が起こったかというと「Mr.Nakamachiはどこにいる? 契約できるかもしれない」というザンビアのクラブからの一報でした。

 ポイントは「契約できるかもしれない」という曖昧なものだったということ。マリノスには事情を説明し、「12月31日までは待つ」と言ってもらいました。同時に、その日を過ぎた瞬間にマリノスから受けているオファーを破棄するものとする、という書面にサインしました。

 この1週間はかなり難しい時期でした。ザンビアのチームには「自分に残されている時間はないんだ。正式な契約書を出してくれ」と強く言い続けたものの、なかなか出てこない。やっと仮契約書が送られてきたのは、期限が残り2日に迫った12月29日。給料や契約金、契約期間が書いてある文書ですね。ただ、チームスタッフはこう言ってきました。

「1月3日に役員会で会議してこれを最終決定する」と。

 これは、全く意味のない契約書ということ。金額から何から全て変わってしまうということ。しかし、私は決断しました。ごく身近な人しか知らなかったのですが、ほとんどの人が反対していたんじゃないかと思います。結局、マリノスに移籍の旨を伝え、サポーターの皆さんにもお別れを告げました。新チームとの口約束だけを頼りに。

 1月初旬に渡航するはずが、チーム側から就労ビザの問題で待機を求められ、日本で待ちましたが、ここでも待てど暮らせど一向に話が進む気配がありません。そして、私は1月26日、勝手にザンビアに向けて飛び立ちました。

 現地ではチーターの散歩をしたりしながら、身体を動かしていたのですが、1月31日に交渉中のチームから慌てた様子で連絡が来ました。この日が移籍ウインドーが閉まる期日だから、急いで契約書にサインしてサッカー協会に登録しなくてならないと。これ、自分の判断でザンビアに来てなかったら契約できなかったということです。

 移籍というのは前所属チームから新チームに籍を移す手順を踏まなくてはならないため、ここでもマリノスと日本サッカー協会の方に深夜まで起きてもらって対応してもらいました。なにせ、時差が7時間あるので。

 このような綱渡りのシチュエーションを経て、アフリカのザンビア共和国での新しい挑戦が始まることになったわけです。

 
 

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