夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/11/15) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/11/15(金)秋真っ盛り。)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2019/11/14 11/30(土)川崎戦「横浜F・マリノス デジタルスタジアムinTOHOシネマズららぽーと横浜 supported by NTTぷらら」開催お知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(なんか凄そう。<多様化する観戦者ニーズにこたえる高臨場・高付加価値スタイルの新たな観戦体験空間)

2019/11/15 ナンバーグッズセール開始のお知らせおよびトリコロールワン オンラインショップ「スタジアム受取」サービス再開のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(シーズン終了感)
 
 

今日の練見(れんみ)


 
 

Twitter / Instagram

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#大津動きました #結果報告 グッズ企画の方がデザインを考え一生懸命作ってくれた黒金のタオルマフラー本当に素敵だなと思いました! サポーターの皆さんがトリコロールにしてくれと言う意見もとてもよく理解できます。 結果トリコロールも作っていただけることになりました! このように選手、クラブ、サポーターが共に作り上げるのは素晴らしいことだと思います。 このタオルマフラーが最終節たくさんの人が掲げられることをとても楽しみにしています! #探すの楽しみだなー #わくわく #次はサポーターの番です #動いてください笑 #タオルマフラー #トリコロール#黒金 #最高の場所へ #すべてはマリノスのために

横浜F.マリノス 大津祐樹(@o2yuki)がシェアした投稿 –


 
 


 
 

Webニュースログ

2019/11/14 復活の李忠成が逆転優勝へ「あと3試合、決勝点を狙う」。横浜F・マリノスがオフ明け練習 | サカノワ

–最近は3試合連続ベンチ入り。「ケガが明けてから、だいぶ良くなっています」。

 横浜F・マリノスは11月14日、日産フィールド小机でオフ明けのトレーニングを行った。小春日和のなかでサポーターが見守るなか、日本代表に選出された畠中槙之輔を除く選手たちがトレーニングに取り組んだ。

 ロンドやミニゲームなどで体に負荷をかけながら、約1時間30分かけて汗を流した。全体練習のあと、李忠成、和田拓也と若手選手が居残りでパスゲームを行い、コミュニケーションを取りつつ、時に笑いも起きていた。

 来週に入れば再び戦闘モードに切り替わる。ここから再びテンションを高めていくための、貴重なインターバル期間になっているようだった。

 李は今季これまでJ1リーグ戦10試合・1ゴールを記録。3月下旬に左橈骨(とうこつ、腕の骨)を骨折して全治約2か月の離脱を余儀なくされた。復帰したあとも負傷があり、なかなかコンスタントにメンバー入りできずにいたが、ようやく「もう、大丈夫です」と、ここ最近は3試合連続でベンチ入りを果たしている。とはいえリーグ最多60ゴールを決めるなど横浜FMの攻撃陣は好調をキープし、エジガル・ジュニオも練習に合流している。ピッチに立つのさえ難しい状況ではある。

 そんななか、この日の練習後、李は決意を口にした。

「ケガが明けてからは、だいぶ良くなっています。このメンバーとともに、自分の良さを出せればと思っています。残すところあと3試合。まさにこの架橋のところで、決勝点を取れるように、日々準備しています。チャンスを待ちます」

 現在、横浜FMは19勝4分8敗( 60得点・37失点)の勝点61で、首位FC東京と勝点1差の2位につける。来週からは、11月23日に32節・松本山雅FC戦(アウェー)、33節・川崎フロンターレ戦(アウェー)、34節・FC東京戦(ホーム)と痺れる戦いが続く。

 アンジェ・ポステコグルー監督のもとで2年目、横浜FMはピッチの幅をあますところなく生かす5レーンの理論を具現化したポジショナルプレーが試合をこなすごとに浸透。その進化は今なお続いている。そして、このメンバーと戦えるのも、あと3試合だ。

 そう簡単には行かないだろう。ただ横浜FMは全勝すれば優勝できるという権利も手に入れている。李の一発で、歓喜をもたらしたい。
[取材・文:塚越始]

2019/11/15 故障明け横浜FW仲川「自信ある」逆転Vへ残り3戦 – J1 : 日刊スポーツ

J1横浜F・マリノスは15日、23日のアウェー松本山雅戦にむけ、横浜市内で調整した。この日は11対11のフルコートでのゲームなどで約1時間半、汗を流した。

DF畠中槙之輔が日本代表の活動に参加中で、9日の北海道コンサドーレ札幌戦で負傷したMF遠藤渓太や故障明けのFW仲川輝人は最後のゲームには参加しなかった。同じく左足首の骨折から復帰したばかりのFWエジガル・ジュニオもピッチ外からゲームを見つめており、23日までに主力選手が万全の状態まで回復できるかが残り3戦の鍵となりそうだ。

仲川は自身の状態について「良くも悪くもという感じ」と明言を避けた。10月19日の湘南ベルマーレ戦で右太もも裏を痛め、続くサガン鳥栖戦は欠場したものの、復帰した札幌戦では約50メートルの独走弾などで勝利に貢献した。今季はここまでキャリアハイの13ゴールを挙げ、得点ランク3位。アシスト数もリーグ2位の8をマークしており、助っ人外国人らと共に好調横浜の攻撃をけん引している。

目標は親会社の日産自動車にちなんで背負う23番を越える数のゴールとアシストを挙げること。現在のゴールとアシストの合計は21。宣言通りの数字までは残り2まで迫っている。仲川は「得点は15まで伸ばしたいし、アシストも10はいきたい。どちらも2桁にのせたいですね。そうすれば23も越えられるので」。残り3試合の相手は降格争い中の松本をはじめ、前節で優勝を争う鹿島アントラーズを破った川崎フロンターレ、そして現在首位のFC東京と難敵が続く。それでも鹿島が敗れたことで3連勝すれば自力優勝の可能性も出てきた。仲川も自力優勝の可能性が精神的にプラスになっていると明かし「ここ最近負けてないという自信はあるので。とりあえず全勝ということを頭に入れてやっています」と意気込んだ。

2019/11/14 関東1部リーグからJ1の舞台へ:朴一圭の成長物語【前編】:Jリーグ.jp

畠中 槙之輔は自身の“出世街道”について問われると、笑いながらこう言い放った。「僕なんて大したことはないですよ。ウチにはもっとすごいのがいますからね」。

畠中は昨季途中までJ2の東京ヴェルディでプレーし、その後、横浜FMに加入。J1挑戦1年目はレギュラー奪取には至らず、今季も開幕前まで控え組でプレーしていたが、開幕スタメンの座を勝ち取ると今季3試合、J1通算わずか8試合の出場で日本代表に選出された。ほかの選手にはなかなかない、十分にすさまじいステップアップだ。そんな畠中に「僕なんて大したことはない」と思わせる。それが朴 一圭だ。彼が歩んできたキャリアとは――。

バスケットボールをやっていた両親の影響で、朴 一圭は幼少期から目の前にバスケットボールがあるような生活を送っていた。生まれて最初の記憶を辿ると、そこにもバスケットボールが絡んでいた。

「両親がバスケットボールの試合の運営に関わっていたので、そこにくっついてバスケットボールを見に行っていた記憶があります。お父さん、お母さんのおかげで、周りのバスケットボール関係者にもちやほやされていました(笑)」

だから自身もバスケットボールをやっていくものだと思っていた。時は小学4年生、学校で部活が始まるタイミング。その瞬間まで、バスケットボール部に入るつもりでいた。自分も、両親も、周りの誰しも、彼がバスケットボール部に入るものだと思っていた。

「でも、当時仲が良かった友達がみんなサッカー部に入っちゃったんですよ。『やべえ』って(笑)。本格的に部活が始まるまで、サッカーも休み時間とかにやってはいたんですけど、バスケの方が楽しいと思っていました。それでバスケと友達のどっちを取るかを悩んで……友達を取りました(笑)。今思えば、自分でもなんでサッカーに行ったんだろうって」

だからサッカーを始めた頃は将来プロになりたい、なれるなど思うはずもなかった。それでも、入部1日目で惹かれたものがあった。すぐ練習に入るのではなく、初日は部活を見学しながら説明を受けた。そこで目にしたシュート練習。朴 一圭はシュートを決める選手ではなく、止める選手に目を奪われた。

「小さい人だったんですけど、バシバシシュートを止めていたんですよ。だからすぐ『GKやりたい!』って」

こうして始まった朴 一圭のサッカー人生だったが、中学に上がる際にはどの部活に入るか、あらためて決めることになる。当然、バスケットボールに戻る選択肢もあった。しかし、その頃にはもう、サッカーに、いやGKにのめり込んでいた。

「サッカーというか、止める楽しさを覚えたんですよね。当時から足元もある程度は自信がありましたが、シュートを止めてみんなが『うわー!』って言ってくれるのが気持ち良かったんだと思います。相手が絶望感にひたる感じ。『それ止めるの!?』みたいな。そういうのって何時間も盛り上がるんですよ。ご飯を食べている時もずっとそんな話をしたり。『パギとの1対1は入らないよ』って言われたり。それがうれしかった」

好きこそものの上手なれ。そうしてバスケットボール以上に惚れ込んだGKに打ち込むと、結果もついてきた。

「大会でも結果が少しずつ出るようになって、もう少し高いレベルでやりたい、自分に向いているかもしれない、と思えるようになりました。だから中学に上がる時にはサッカー一択しかなかったです。中学校に上がるタイミングで『もっとうまくなりたい』という気持ちが大きくなっていました。だから部活でも良かったんですけど、よりレベルが高いクラブチームに入りました。小学校で一番うまかったやつがそのクラブに行くことになって、『お前も行かないか?』と誘ってくれたことがきっかけになりました」

HAN FCで中学3年間のサッカー生活を過ごし、東京朝鮮中高級学校に進学して部活に戻る。そこで先輩たち、卒業生たちがプロの世界に進んでいることを知った。そしてプロとしてサッカーで生活したい、プロになるためにはどうすればいいのか、と明確に考えるようになった。

「いまの学校にいてもプロになれるんだ、ということで自分もなりたいと思うようになりました。でもJ1なんて到底無理だと思っていました。高校サッカーではある程度はやれているなと思っていましたが、周りがうますぎて。今ではメンタルが強いとか堂々としているとか言われることもありますけど、もともとは小心者というか“ビビリ”なんですよ。だからチャレンジするのが怖かった。ミスすることが嫌だったんです。だから思い切りの良さもなくて、やれることしかやらない。周りを見ればうまいし、ミスしても平気な顔でやっている。だから僕みたいなヤツがJ1なんて無理だって」

それでも高校の卒業を控えて周囲が進路を決めていく頃、当時J1だった甲府のセレクションを受けることになった。しかし、そう簡単に事は進まなかった。

「当時は大学生も社会人もいたんですよ。でも18歳の僕は何もできなかった。プレー以前に気持ちが負けていました。そこで高卒でプロは無理だって。周りには『高卒でプロになるんだ』って言っていたんですけど、心では『無理だ』と感じていました」

ただ、それを単なる挫折で片付けるつもりもなかった。

「だから大学に進んで力をつけてから挑戦しようと思いました。将来のビジョンをしっかり持って、『ここでは無理だ。次のステップにいこう』って。悔しかったけど、自分の立場は分かっていたつもりです。やれると思っていたけど、うまいとは思っていなかった。でも、それは伸びシロだなって思っていたんです。大学に行って頑張ろうって」

そして朝鮮大学で4年間、力をつけ、再びJの舞台に挑戦する。大分、鳥取、横浜FC、草津(現・群馬)。4つのJ2クラブのセレクションを受けることになった。どのクラブもGKを探していた。しかし……。

「どこも大学生の特別指定選手がいたんですよ。大分には今は東京Vでプレーしている上福元(直人)、鳥取は今、藤枝で正GKを務めている杉本 拓也。横浜FCには四日市中央高校を卒業した村井 泰希がいて、よければ取るけどどうしても、というわけではありませんでした。草津は正GKしか探していなかったし、もうひとり北 一真さんという190cm以上ある選手がいた。枠の問題もあるし、(特別指定選手は)フロントが欲しがっているタイプで、サイズの問題でもうダメでした」

結局、セレクションで参加したチームの加入、大学卒業でプロになる夢も叶わなかった。

「これはやれないな、って思いました。ちょっとキツいなって。一番良いプレーができたのは大分だったんですけど、上福元が良い選手だった。他のチームのセレクションはまるでダメでした。入れば順応できると思ったんですけど、まずスタートラインに立てない」

それでも諦めなかった。JFLも複数チームのセレクションの受け、藤枝MYFCへの加入が決まった。創設3年目、JFL1年目の新興チームが朴 一圭の社会人キャリアのスタートになった。その後、藤枝で1年、FC KOREAでの1年を経て、J3に参入した藤枝に戻ることになる。

藤枝に戻ったことについて、単なる復帰だと思う人もいるかもしれない。そう報じられることもあった。だが、事実は違った。

「最初は練習に参加するだけでした。地域リーグ(当時のFC KOREAは関東1部)にいると、練習参加すらも難しいんですよ。だからほとんど断られましたし、やっと見てもらえるところが藤枝でした。まずセレクションをして、一発で決まった選手もいましたけど僕はそうではなかった。何人かは『練習を見て決めさせてほしい』ということで、僕はそっちでした。10日ぐらいかな? お金もかかるし、まだ僕が在籍していた時にプレーしていた選手もいたので家に泊めさせてもらいながら必死にプレーしました」

自身が所属していた当時からたった1年が過ぎたに過ぎなかった。ただ、JFLとJ3の決定的な違いを目の当たりにする。

「練習参加した時のボールが、Jリーグの公式球だったんですよ。そこでグワーって体が熱くなるような感覚になりました。『ここで絶対にプレーするんだ』って、死ものぐるいでプレーしました。Jがつくカテゴリーでサッカーがしたい。鳥肌が立ったし、アドレナリンが出てくるのが自分でもわかりました。『ここが勝負どころだ!』っていうエネルギーが沸いてきたんです。あのエネルギーはもうそうそう出てこないですね」

そして、その期間に得た“勲章”がある。それは声だ。

「この声になったのはその時のせいなんですよ。のどがつぶれちゃって。それまではもうちょっと滑らかな声だったんですよ(笑)。藤枝のセレクションの時に声をめちゃめちゃ出した。でも、それが評価されたんです。うまいとか下手とかじゃなくて、苦しい時も声を出して、闘志を前面に出す。そうすることで監督に『こういう選手も必要だ』と思ってもらえました」

ここで拾ってもらえなければ先はない。必死だった。単に自分のプレーを見せるだけではなく、どうすれば評価してもらえるのかも考えた。その一つが声であり、気持ちだった。

「自分がうまい選手ではないことは分かっていました。それでも試合に出ている選手は結構いる。なんでそういう選手がプロで試合に出られているのか。そう考えると、やっぱりハードワークだと思ったんです。戦うとか、気持ちの部分。そういうものを前面に出す選手はチームに絶対に必要とされると感じていました。そこを出せば目につくんじゃないかと思いました。もともと声を出す選手ではあったんですけど、より意識的に出したことが功を奏したんだと思います。プロになることもそうですし、こうすれば長くサッカーができるんじゃないかっていう確信を得られた瞬間でもありました」

声を潰したことは無駄にならなかった。無事に藤枝に加入すると2年間、正GKとしてプレー。そして2016年、同じくJ3初年度の2014年から参加していたFC琉球に移籍することとなる。朴 一圭にとっては、初めてクラブ側からもらったオファーだった。

Text by:菊地正典

2019/11/14 関東1部リーグからJ1の舞台へ:朴一圭の成長物語【後編】:Jリーグ.jp

「今は鹿児島で監督をしている金 鍾成監督が就任するこということで、移籍することになりました。以前から評価してもらっていたんです。大学時代もGKを使ってビルドアップするサッカーをしていたので、『パギはこういう選手』とインプットしてくれていたんだと思います。監督が後ろからつなぐサッカーをしたいということで、そこはもう練習参加ではなくオファーをもらいました。まだ資金もなく、J2などから獲得できないということで、同カテゴリーでやっていた、さらに自分が知っている選手、という理由があったんだと思います。琉球の監督がジョンソンさんになったことも、一つのターニングポイントでしたね」

後方からビルドアップしながら攻撃的に戦う金 鍾成監督の下でプレーすることにより、朴 一圭の才能は開花した。どちらが良い、悪いという話ではなく、藤枝でプレーし続けていれば朴 一圭の未来は違っていたのかもしれない。

「そういうサッカーをしていなければ、ここまで自信を持つこともできなかったかもしれません。琉球に行ったことで自信がつきました。『自分はこういうプレーヤーなんだ』ということを出せるチームでプレーしなきゃダメだということを学ばせてもらいました。琉球での3年間、本当に良い経験ができました」

そして琉球での3年目には、大きな結果を手にすることになる。

「初めてだったんですよね。リーグ戦で優勝するのは。学生時代も含めて、優勝なんて無縁でした。いつも残留争いだったから(苦笑)。優勝した昨季にしても、紆余曲折がありました。最初は良くて、途中に落ちて、そこからまた上がった。良い時は良いけど、悪い時はとことん悪かった。でもそれを経験できたから、チームが落ちた時にどうすれば立て直せるかも知ることもできました。それは横浜FMでもチームが良くない時期もこういう立ち振る舞いをすれば上がってくるという確信がありました。それはカテゴリーが違っても役に立っています」

大学からJFL、地域リーグを挟んでJ3に上がり、3年目でJ3優勝。少しずつステップアップし、今季はJ2に挑戦するはずだった。しかし、横浜FMからのオファーが届いた。昨季までJ3で戦い、J2の経験すらない自分をJ1のトップクラブが欲してくれた。

「これは相当なレアケースですよ(笑)。率直にめちゃめちゃうれしかった」

しかし、その感情も一瞬のことだった。次の瞬間には、複雑な感情が芽生えていた。

「でも、不安しかなかったです」

それはなぜか。横浜FMには飯倉 大樹がいたからだ。昨季、アンジェ ポステコグルー監督の超攻撃的な戦術の下、GKながらハーフウェイライン付近まで守備範囲を広げたり、1試合の走行距離8kmを記録したり、センセーショナルなプレーで注目を浴びた守護神だった。GKとしての能力が申し分ない上、ポステコグルー監督の戦術を理解しきった彼からポジションを奪うのは至難の業だ。

「J2だったら多分、すぐに試合に出られていたと思います。下のカテゴリーでも常にコンスタントに出続けながら、トライ&エラーを繰り返しながらうまくなっていったはず。最初は100%出られないと分かっていました。だから急にカテゴリーを飛ばすことは迷いました」

朴 一圭は悩んだ。横浜FMのほかに、J1昇格を目指すJ2のクラブからのオファーもあった。もちろん琉球でプレーし続ける選択肢もある。その2クラブは正GKとして考えていると言ってくれた。一方、横浜FMに移籍すれば、試合に出られるどころか二番手、いや三番手かもしれない。どの選択肢選べばいいのか…。

「出られない環境に身を置くことはすごく怖かったんです。いろんな人に相談もさせてもらいました」

悩みに悩み、そして知人からのアドバイスを受けているうちに、違う方向へ感情が動いていった。

「実績もなくてこの歳でJ1のクラブからオファーをもらえるなんて、どんな形であれすごいことというか、もうないことだと思いました。だったら挑戦しようと」

そして気づくと、あれだけ不安だった感情はいつの間にか闘争心へと変わっていった。三番手かもしれないが、カップ戦でチャンスはあるかもしれない。そこで良いプレーを見せればチャンスはさらに広がる。

ポジションを奪ってやる――

少し前には敵うはずもないと思った相手と勝負したいと思った。不安よりも期待感の方が上回っていた。そして気持ちは決まった。

さらにJ1への挑戦は自分のためだけではなかった。

「在日朝鮮人の後輩に夢と希望を与えたいと思ったんです。下のカテゴリー、同じカテゴリーで戦っていた選手たちにもそういう可能性があるということを示したかった。行くだけでもそういう可能性は示せるから」

自分と仲間たちの夢を背負い横浜へ向かうことになった。加入当初はやはり第2GKの立場だったが、飯倉に代わって出場するルヴァンカップで好プレーを続けながら、朴 一圭はリーグ戦での出番を待った。

「ウチのボスは急にスパンと代えるから、もしかしたら来るのかもしれないと思っていましたけど、思っていた以上に急に来ました」

3月29日、ホームの日産スタジアムに鳥栖を迎えた明治安田J1第5節。その前日、朴 一圭はアンジェ ポステコグルー監督に呼ばれる。そして伝えられた言葉は、たった二言だった。

「準備はできてるか? 明日はお前で行くから」

結果は0―0。勝利することはできなかったが、チームとしてルヴァンカップを含めてシーズン初のクリーンシートだった。そして以後、朴 一圭はレギュラーとして定着する。負傷によって第8節の札幌戦を欠場したが、続く鹿島戦では再びゴールの前に立った。

それでもリーグ戦で試合に出ても胸を張って「横浜FMの守護神」と言える日はなかなか来なかった。

「周りからそう言われていても、自分の中ではなかなか胸を張って『俺が出るんだよ』と言えない時期が続きました」

自分のプレーはできている。ただ、それが果たして飯倉以上なのか。そう思うほど、朴 一圭にとって飯倉の存在は大きかった。朴 一圭にとって飯倉はライバルではなく、リスペクトするGKだった。

「J1でずっとプレーしてきて、僕よりもたくさんの苦い経験もしてきたと思います。もちろん試合に出れば勝つためにプレーをします。でも試合が終わると『大樹くんみたいなプレーができないな』『なんで俺が試合に出てるんだろう?』『みんな本当は大樹くんの方が良いと思っているんじゃないか…』と思うことはありました。学ぶことしかありませんでしたし、大樹くんを超える日は来ないと思っています。それは今でも」

それでも試合に出続けることで少しずつだが確かにJ1でも通用するという手応えを感じていった。そして第18節の大分戦戦から浦和戦、神戸戦で3連勝したことで自信を深めた。それからほどなくして、朴 一圭が横浜FMの守護神としてより強い責任を持つようになる出来事が起こる。

飯倉大樹、神戸へ移籍。小学生時代から横浜FMの下部組織で育ち、2年目は熊本に期限付き移籍したものの、トップデビューした2005年から今季まで横浜FMでプレーしていた飯倉の移籍はファン・サポーターを驚かせた。それは朴 一圭も同じだった。

「大樹くんの移籍話を耳にした時は『行かないだろうな』と思っていました。チームの結果も出ていたし、僕もヘマをしていたわけではないので使い続けられていたと思うけど、いつかケガをしたり、チームが勝てない時は選手を入れ替えると思うから、そのチャンスを大樹くんは待っているんだろうと勝手に思っていて。でも結局、大樹くんが出ていくことになった。『あ、これからは俺が横浜FMのGKはパギ、というつもりでやっていかないといけない』という自覚、責任は感じました」

飯倉の移籍が発表された翌日に行われたマンチェスター・シティ戦。それは世界トップレベルとの対戦機会でもあり、飯倉の横浜FMラストマッチでもあった。朴 一圭は並々ならぬ気合いで試合に臨んだ。

「誰が見ても分かったと思うんですよね(笑)。それぐらい責任と覚悟を持って臨んだ試合でした。相手がシティだろうがどこだろうが関係ない。大樹くんがいなくなっても俺がいるよ、っていうところをいろんな方に見せたいという強い気持ち。大樹くんを勝って送り出したいという強い気持ち。大樹くんに向けた『俺がいるから大丈夫ですよ』という気持ち。『J3から上がってきて1年目です』っていう選手じゃなくて、優勝争いしている横浜FMのGKだという責任を背負って戦わないといけないと感じた日、試合でした」

世界トップレベルとの対戦を経験するとともに飯倉を送り出し、「肉体的にも精神的にも成長させてもらった」マンチェスター・シティ戦を経て、朴 一圭はJ1で優勝争いを続けている守護神として戦い続けている。プレーすることも叶わないと思った時期もあったJ1の舞台で頂点を争う横浜FMのゴールマウスを堂々と守っている。

「すごくいいタイミングでオファーをもらえたと思います。30になる前でサッカープレーヤーとしてちょうど脂が乗ってきた時期。GKとしてはまだまだやれる歳。若すぎるでもなく、歳を取っているわけでもない。ちょうどいい塩梅にいると思っているんですけど、そんな時にオファーが来た。運が良かったですね。こればっかりは自分だけではどうしようもないから」

どんな世界でも自身を「運が良かった」と評するトップランナーはいる。そんな運が俺にも来るのかな、と思っていた。いや運なんて回ってねえよ、と自暴自棄になりかける時期もあった。しかし今、堂々と「運が良かった」と言うことができる。

ただ、運だろうとつかめるかどうかはやはり自分次第だ。実力がなければ運もやってこない。いや来ていることに気づかないのかもしれない。準備ができてはじめて、それが“運”だと気づくことができるのかもしれない。

「運も実力のうち、じゃないですけど、実力がついてきて、自分が自信をもってやれるようになってくるからこそ、運が回ってくると思うんですよ。だからただ運が良かっただけじゃなくて、準備ができたから回ってきたんだって思うようにしています」

だから浮かれることはない。勘違いすることもない。

「たまにイレギュラーで実力以上の運が来ることもあると思うんですよ。そういう時にいかに地に足をつけてやれるかでまた運を手繰り寄せてステップアップできると思うから。今年はそれがしっかりできていると思います。浮足立つことなく、石橋を叩きまくってます(笑)。『大丈夫かな?』って何回も確認作業をして。シゲさん(松永 成立GKコーチ)と」

今年の結果がどうなるかは分からない。ただ、結果がどうなろうとも朴 一圭のキャリアはまだまだ続いていく。

「一発屋で終わりたくないと思っているんですよね。1年で終わってしまえば、『やっぱりそうだよね』『ラッキーパンチだったね』って言われると思います。それこそただの運だった、って。それはイヤだから、常にJ1で、トップトップのチームでレギュラーを張って試合に出続けて、『J1で良いGKって誰?』っていう話になった時に『朴 一圭って良いよね』って言われる選手になりたいです。逆にそうなれば自ずとタイトルも近づいてくるでしょうしね」

言うまでもなく、自身をJ1に導いてくれた横浜FMへの愛情も深い。

「大樹くんみたいに横浜FMの顔にもなっていきたいです。外から来た選手ですけど、ユースとか全然関係ない選手ですけど、それでもチームの象徴になれることを証明できたらそれも楽しいと思います。その二つが今年だけじゃなくて今後の大きな目標ですね」

これまで明かりが灯る道を歩んではこなかった。歩めなかった、という方が正しいのかもしれない。人が均した道を歩けば少しは楽だったのかもしれないが、それはできなかった。しかし、朴 一圭の後ろの道には明かりが灯っている。先の道は、まだ見えない。それでも朴 一圭は進んでいく。これからもきっと、まだ誰も歩んでいない道なき道に明かりを灯すように。

Text by:菊地 正典

 
 

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