(´-`).o0(2018/10/4(木)、試合は明日(10/5)!)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
トップチームスケジュール更新のお知らせ(10/9~10/22) | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(ファンサデーは無し)
今日の練見(れんみ)
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\横浜vs札幌いいところ3本勝負💥/
第2回戦「おすすめの観光地-イベント」制限時間30秒
横浜FM #遠藤渓太🆚札幌 #稲本潤一🇶どっちが魅力的?
横浜なら🔄リツイート
札幌なら❤いいね📅10/5(金)19:30
🏆明治安田J1第29節
🆚横浜FM×札幌
📺#DAZN でKO20分前から配信#フライデーナイトJリーグ#金J pic.twitter.com/B2muwcdHbY— DAZN ダゾーン (@DAZN_JPN) 2018年10月4日
Webニュースログ
2018/10/04 横浜松原「まだACL出場権も狙える」上位進出誓う – J1 : 日刊スポーツ
横浜F・マリノスが4日、横浜市内で5日のホームの北海道コンサドーレ札幌戦(日産ス)へむけて調整した。
現在チームは2連勝中で、残留争いをしていた順位も11位までアップ。今季初の3連勝となれば暫定9位に浮上する可能性もあり、残留争い完全脱出をかけて勝利を狙う。
ポステコグルー監督は前回の対戦で敗れた札幌について「非常にハードワークしていいチーム。今季は良いシーズンも過ごしている」とリスペクトしつつ、自軍の調子が上がってきていることも強調し「自分たちのサッカーを90分通してできているのが大きい。いい挑戦になる」と話した。メンバーも前節と入れ替えがないことを示唆し「選手も良い状態ですし、いい練習もできています」と力を込めた。
苦しみながらもアウェーで勝利をもぎとった前々節の磐田戦、ホームで5得点して大勝した前節仙台戦と、残留争いの中での2連勝がチームの雰囲気も変えた。
DF松原健(25)は「チームの雰囲気はいい。あと2勝すれば勝ち点も40に乗るし、そこがひとつの目標。まだACL出場権も狙えると思っている」と残り6戦の戦いに自信をみせる。
MF遠藤渓太(20)も「勝ててるのは大きいし、それを継続するのが一番。しっかり目の前の1試合1試合を勝ち進んでいけば、いいところにいけるかなと思っています」と上位進出へ気合を込めた。
2018/10/04 天野 純さん | 横浜F・マリノスで中心選手として活躍し、先月日本代表に初選出されたMF | 港北区 | タウンニュース
負けず嫌いが原点
○…2014年から横浜F・マリノス一筋でプレーする。正確な左足のキックを武器にチームの中心選手として活躍。9月には日本代表に初選出され、同11日のコスタリカ戦で代表デビューも果たした。クラブのファンからは「アマジュン」の愛称で親しまれている。
○…年代別代表も含めて初めて選出された日本代表。取材陣の多さや100件を超える周囲からの連絡で「すごい場なんだ」と、日の丸の重みを実感した。しかしデビュー戦でも特に緊張はしなかったという。「マリノスでの経験で自分に自信がついたから」と堂々とプレー。負けず嫌いな性格で、出場機会に恵まれない時期も「いつチャンスが来てもいいように」と必死に練習した。主力となった現在もその量は周囲が「クラブで一番」というほど。積み重ねた練習こそが自信の源だ。
○…出身は三浦市。幼稚園の年中のとき友達との遊びで「気づいた時には始めていた」という根っからのサッカー少年だった。小1で地元の初声ジュニアFCに入団。生まれ育った故郷は今でも心の拠り所で、オフの息抜きは「三浦に帰ること」。「海鮮も美味しいし、落ち着くいいところ。もっと多くの人に三浦に来てほしい」と微笑む。9月に入籍を発表。レギュラー定着前からサポートしてくれ、代表選出を「泣いて喜んでくれた」パートナーは大きな心の支えとなっている。
○…先月には北綱島小のサッカー教室に参加。子どもたちに自身の姿を重ねて「うまくいかなくても頑張れば必ず夢は叶う。やり続けてほしい」とエールを送る。今の目標はクラブで結果を出すこと。「もっと上位に押し上げたい。強いマリノスを自分たちで作りたい」。終始見せた笑顔の中に負けず嫌いの強い決意が垣間見えた瞬間だった。
2018/10/04 ブラジルの名SB”ロベカル”がライバルと認めた男 「辛い決断」から築いた日本での名声 | THE ANSWER スポーツ文化・育成&総合ニュースサイト
–ブラジル代表史に残る左SBロベルト・カルロスと競ったドゥトラの実力
「ロベルト・カルロスも言っていたそうだよ。俺とドゥトラが争って、どちらかが次のセレソンでプレーするだろう、って」――ドゥトラ(元横浜F・マリノス)
先月45歳のロベルト・カルロスが来日し、Fリーグ選抜(フットサル)でプレーをしてゴールを決めた。長年ブラジル代表とレアル・マドリードを支えてきた名サイドバック(SB)の左足は健在だった。
だがロベルト・カルロスのかつてのライバルは、すでに日本で通算9シーズンにわたり活躍してきた。Jリーグで200試合以上のキャリアを重ね、横浜F・マリノスの黄金時代に当時の岡田武史監督から「代えのきかない選手」と全幅の信頼を寄せられていた。
1994年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)で、“王国”ブラジルは24年ぶりに優勝を飾った。当時は左SBとして2人の名手を擁し、レオナルドとブランコが交互にプレーしていた。そして彼らの次の世代を競うのが、ロベルト・カルロスとドゥトラだと言われていたそうである。
「ロベルト・カルロスとは、年齢も近いし、メディアにもよく比較された。実際に友人から聞いた話だけど、ロベルト・カルロス自身も言っていたそうだよ。俺とドゥトラが争って、どちらかが次のセレソン(代表)でプレーするだろう、ってね」
ただしドゥトラには大きなハンデがあった。リバウド、エジムンド、エバイール、ジーニョ、サンパイオら、錚々たるメンバーとともにパルメイラスの黄金期を満喫するロベルト・カルロスに比べ、ドゥトラが所属するパイサンドゥではチーム力に差があり過ぎた。
だが1996年には、ついにブラジルの名門サントスとの3年契約が成立。移籍後は、バイーア戦で伝説的な60メートルのロングシュートを決めるなど華々しいパフォーマンスを見せて、欧州の名門クラブからもオファーが殺到したという。
–セレソンへの夢を諦め、横浜FM黄金期の一員として活躍
「僕は欧州へ行きたかった。でもクラブが相当な金額をふっかけて実現を阻んだ」
さらにフランスW杯を翌年に控えた1997年には、監督と衝突し、以後短期のレンタルを繰り返すことになる。やがて欧州からの誘いは減り、結局2001年に横浜FMからの短期レンタルを受けることになった。
「短い貸し出しだから、終わったらブラジルに戻るか、欧州に出ようかと考えていた。でもレンタル期間が終わると、マリノスから『もう1年残ってくれないか』と言われた。正直なところ、辛い決断だった。日本にいたら、たぶんセレソンの監督には見てもらえない。代表で活躍する夢は終わったんだ、と考えるしかなかった」
しかし、その後の横浜FMでの活躍は周知の通り。ロベルト・カルロスとセレソンのSBを争った実力は、日本のピッチでしっかりと証明された。
(文中敬称略)
(加部 究 / Kiwamu Kabe)
今日のこけまり
【スタジアム観戦情報まとめ】2018/10/5(金)19:30KO J1第29節 横浜F・マリノスvs.北海道コンサドーレ札幌@日産スタジアム
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