今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2024/4/22) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(渡邊泰基選手、25歳の誕生日。おたおめ!)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2024/04/22 4/24(水)蔚山戦新商品発売のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(気になる商品「2024ミニのぼり<BASIC>」あとで”BASIC”でないパターンも来るか!?)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

X(旧Twitter) / Instagramなど


 
 

Webニュースログ

2024/04/20 「僕のお父さんは悪役レスラー」“暴走専務”の息子(Jリーガー)が明かす“最強の英才教育”「ヒーローはウルトラマンよりも傷だらけの父」 – Jリーグ – Number Web – ナンバー

「お父さんの決めポーズなんです」

 笑みを浮かべてカメラに目線を送るのは、筑波大蹴球部のディフェンダー、諏訪間幸成(3年)だ。186センチ、85キロという恵まれた体躯を生かした守備力は早くから評価され、今年3月に、2026年から横浜F・マリノス加入することが発表された。

 そんな有望株には屈強なDNAが受け継がれている。諏訪間の父は全日本プロレスの専務を務める諏訪魔だ。

「大きな傷を負っても平気な顔で帰ってくる。実家の庭には筋トレ器具がずらりとあって……小さい頃は当たり前だと思っていたのですが、考えてみたら異様ですよね(笑)」

 Jリーガーになる夢を叶えた道のりには、47歳の今も現役レスラーとして活躍する父の背中を追ってきた時間がある。

— “人間凶器”と恐れられたお父さん

 諏訪魔こと諏訪間幸平は、若かりし頃にレスリング選手として活躍した。オリンピック出場は叶わなかったが、幸成が1歳になる前の2004年4月に馳浩のスカウトで全日本プロレスに入門し、レスラーに転身。06年1月にヒールターンし、リングネームも現在の「諏訪魔」に改名。悪役レスラーとして名を馳せるようになった。

 188センチ、120キロの肉体は幼稚園や小学校の行事では一際目立った。リングに場所を変えれば凶器を使ってなりふり構わずに相手レスラーに襲いかかる。ド派手な髪色と髪型、暴言の数々、新聞や雑誌を見れば『人間凶器』『暴虐アリゲーター』という異名が並んでいた。無慈悲なくらいに大暴れする父を異質な目で見る友人たちもいたかもしれない。

 しかし、幸成の目からは常に「かっこいいお父さん」であった。

 目の前の相手に全力でぶつかり、勝てばリングの支柱によじ登って、必ず家族を探して雄叫びを上げてくれる。試合に負けた日は、自分よりも悔しがる息子に優しく接してくれるよき父だった。

「お父さんは口にはしなかったのですが、戦う姿を会場やテレビで見る度に『家族のために戦っている』とヒシヒシと感じるんです。友だちは戦隊シリーズやウルトラマンに憧れていたけど、僕にとって憧れは父であり、ずっとヒーローでした」

— 棚橋弘至を撃破「幸成、持ってみな」

 幸成が5歳になろうとしていた2008年4月、忘れられない思い出がある。父・諏訪魔は全日本プロレスの“春の祭典”と呼ばれる「チャンピオン・カーニバル」の決勝戦で同学年である新日本プロレスの棚橋弘至を必殺技「ラストライド」からの体固めで破った。デビューから最短での優勝だった。

 この試合を幸成は自宅のテレビで家族と観ていた。試合後の表彰式で大きなトロフィーを掲げる父の姿を見て、何度もガッツポーズをした。

「まだかな、まだかな、とお父さんの帰りを待っていました」

 放送が終わってから夢中になって試合を見返した。何度も玄関とガレージを往復していると、父が乗る車の音が聞こえてきた。帰ってきた父はトロフィーをドンと玄関に置き、こう言った。

「幸成、持ってみな」

 トロフィーは自分の身長より大きい。重くて両手で持ち上げようとしてもびくともしない。

「お父さんは笑いながらトロフィーを片手でヒョイと持ち上げ、反対の手で僕を抱き上げたんです。あの景色は今でもはっきりと(記憶に)焼き付いています。いつもの玄関なのに、まるでリングの上に立っているような気分になって、めちゃくちゃ誇らしかったんです」

 トロフィー以上に父が輝いて見えた瞬間だった。

 幸成は小学生になると、幼稚園の頃から習っていたレスリングをやめてサッカーにのめり込んでいった。レスリングでは父譲りの能力を発揮していたが、「(サッカーのほうが)痛くなかったし、みんなでボールを追いかけるのが楽しかった」。それでも父は、地元クラブチームで夢中になってボールを追いかける息子を全力で応援してくれた。

 父の思いを受け取ってか、幸成は当時、こんな思いを抱いていたという。

「タックルを受けて『痛い』と思っても、お父さんはもっと激しい技を受けても立ち上がって戦い続けている。そう思うと、弱音なんて吐いていられなかった」

 父から受け継いだ闘争心に火がついた。低学年の頃は練習に遅刻したり、サボろうと考えたりすることもあったが、高学年になるとそういった甘えは一切なくなり、誰よりも早くグラウンドでボールを蹴るようになった。

「凶器で殴られて、ありえない針数を縫うほどの傷を負って帰ってきても、負けて帰ってきても、お父さんは『次が大事だ』と休むことなくジムに通っていた。その一方で、食事の時は絶対に一緒に食卓にいたし、食後は僕たちの時間を大事にしてくれた。一緒にも寝てくれた。『好きなことを中途半端にやっていたらダメだ』と背中で教えられている気がしたんです」

 幸成は練習が休みの日も公園に行き、一人でボールを蹴り続けた。「みんなが何もしていない時間で差をつけよう」と努力を重ね、見事に横浜F・マリノスジュニアユースのセレクションで合格を勝ち取った。

 ただ、父・諏訪魔はこの頃から故障に泣かされ始める。幸成が父から「プロフェッショナル」の本当の意味を教えられるのは、ここからだった。

 
2024/04/20 「なんで新日本プロレスに行かないの?」息子の疑問に父・諏訪魔はなんと答えた? Jリーガーになった息子に伝えたプロ魂と愛のエール – Jリーグ – Number Web – ナンバー

「よく“プロレスラーの息子”と言われて嫌じゃないの? と聞かれるんですが、嫌なんて思ったことは一度もないですよ。逆に、誇りですね」

 年頃の大学生だ。少し照れてもおかしくないが「パワーがもらえます」と満面の笑みで父・諏訪魔の決めポーズを真似る。リスペクトする理由は他でもない。父のプロとしての生き方が、現在の幸成の土台を形成しているからだ。

— 「アキレス腱を切っているのに…」

 父の生き様を見せつけられた、ある試合がある。幸成が小学6年だった2016年1月2日、諏訪魔は全日本プロレスの専務取締役の座を辞任して3冠ヘビー級王者の秋山準に挑んだ。1200人を超える観客が集まった後楽園ホールで見事に王座に返り咲くのだが、実はこの試合で右アキレス腱断裂という大怪我を負った。

「秋山選手との試合が終わった後、家族のグループLINEに『大怪我をしたかもしれない』とメッセージが入った。普段はそんなことを言ってこないから、ただ事ではないぞ、と」

 この一報を受け、幸成は母と妹と2階にあったキングサイズのベッドを解体し、1階に運んで組み立て直した。父の負担を少しでも減らしたい思いからだった。しかし、父はいつも通り、何食わぬ顔で自ら車のハンドルを握って帰宅した。

「確かに痛そうにはしていたのですが、ご飯の時は普通にみんなで食べていたし、食後も家族でゲームしたり、たわいもない会話をしたり……」

 後にアキレス腱断裂と診断されて大怪我だったと判明するのだが、父は右足首に違和感がありながら翌日も車に乗り込み、後楽園ホールのタッグマッチに出場。休養に入ったのは秋山戦から1週間以上が経過してからのことだった。

「僕たちがご飯を食べている横で、あまりの痛さから『ウォ〜』と悶絶していることもあったのですが、『痛そうだね』で終わっていました。僕らの感覚もおかしくなっているんでしょうね(笑)。でも、お医者さんが『普通なら歩くこともできない。でも、ふくらはぎの筋肉だけでカバーできちゃっているよ』と呆れていたことを聞いて、父のプロ魂を感じました。これまでコツコツと鍛え上げてきた肉体と気力で乗り切っているんだ、と」

— 「なんで新日本プロレスに行かないの?」

 父は息子に「一度決めたらやり抜かないといけない」と、ずっと伝えてきた。怪我で長期休養している期間も「プロレスの試合は一人でもレスラーが欠けたら成立しない。だからこそ、俺はリングに立ち続けないといけないんだ」といつも口にしていた。

 中学2年の頃、幸成は父に素朴な質問をぶつけたことがある。

「なんでお父さんは、新日本プロレスに行かないの?」

 子どもの目からは、父が所属する全日本プロレスより、スター選手揃いの新日本プロレスの方が華やかに映った。

「週刊プロレスとかを見ても、表紙は絶対に新日。全日は白黒ページだったり、後ろのほうに載っていたり。だから新日に行ったほうがもっと有名になれるし、稼げたりするんじゃないの?と聞いたんです」

 父は即答した。幸成は今でもこの言葉を鮮明に覚えている。

「俺はな、小さい頃にテレビで全日本プロレスを見てから、憧れて、本当に全日本が大好きで、自分もプロレスラーになりたいと強く願って入ったんだよ。だから、全日本プロレスというものをもっと輝かせたい。自分が全日本を引っ張っていきたいんだよ」

 お金や名誉だけじゃない。父を突き動かす根っこにある想いに触れた時、「これがプロか」と痛感した。そして、自分に置き換えた。当時、ジュニアユースに所属していた横浜F・マリノスへの忠誠だった。

「(横浜FMのチームカラーである)トリコロールの一員としてプロサッカー選手になることが夢から目標に変わった。(プロとしての)最高のお手本が近くにいる幸せと、責任を感じるようになりました」

 そこから幸成のプロサッカー選手になるという想いは一気に加速した。

 父譲りの恵まれた体躯を生かしたフィジカルで周囲を圧倒するだけでなく、カバーリングや予測する守備力を磨いた。ユース昇格後には世代別日本代表にも選出され、2020年にはトップチームの2種登録も経験している。

 しかし、高3の時にトップチームへの昇格を見送られた。人生で初めての挫折だった。

「告げられた帰りの電車で家族に『無理やった』とLINEを送りました。お父さんは出迎えてくれて、『マリノスは優勝争いしているし、高卒プロは厳しいよな』と一緒に落ち込んでくれました。そこで『大学でがんばれ』とエールを送ってくれたことで、よりサッカーに対する情熱が溢れました」

— 父が息子に伝えたプロの厳しさ

 名門・筑波大学に進学した幸成はすぐに頭角を現す。186センチの身長を生かした高さとハードマークに加え、同大でサッカーのメカニズムや身体操作を学んだことで、フィジカルに知能が加わってたちまち大学サッカー界屈指のセンターバックに成長を遂げた。昨年はU-20日本代表としてU20アジア杯に出場している。

 古巣からの吉報は予想よりも早く舞い込んだ。一度は昇格への道を断たれたマリノスから、大学2年の時点で入団オファーが届くまでに成長した。

「ここからは自分でどこまで結果を残せるか。プロの世界はそこまで甘くないぞ」

 幸成は父の言葉をしっかりと胸にしまった。

 47歳になった今も現役。全日本プロレスが主催する「チャンピオン・カーニバル」への出場も最多の18回を数える。“悪役レスラー”ではなくなったが、そのまま『諏訪魔』として、第一線で全日本プロレスを牽引している。

 今も情熱が尽きない偉大な少年――。幸成は尊敬する父をこんなふうに表現した。「これからお父さんから学ぶことはもっと増えると思う」と、今後は同じプロアスリートとして高め合える存在になりたいと誓う。

 父から授かったDNAと叩き込まれた人生の教訓を手に、厳しいプロの世界にリングイン。誰よりも心強いセコンドと共に幸成のプロ人生はスタートする。

 最後に息子しか知らない“暴走専務”のほっこりエピソードを。

「営業妨害になるかもしれないのですが、今は自宅で飼っているトイプードルの“ぽこちゃん”にメロメロです。子煩悩な父親だったと思いますが、今はもう『ただの犬好き』です。たぶん、僕が大学進学で家を出るのが寂しかったから飼い始めたんじゃないですかね(笑)。本人は絶対に認めないと思うのですが、そういう人なんですよ、お父さんは」

 夢に向かって突き進む息子の活躍は、父にとっても新たな人生の章となるだろう。諏訪間家としての競技を超えたタッグマッチは、まだ始まったばかりだ。

 
 
2024/04/22 Jリーグから世界へ!韓国代表の「歴代最高レジェンド」トップ6 |Qoly サッカーニュース※一部抜粋

— 6位:アン・ジョンファン

所属した主なクラブ:ペルージャ、清水エスパルス、横浜F・マリノス、メス、デュイスブルクなど
引退した年:2011年
韓国代表歴:71試合17ゴール

アン・ジョンファンは最も素晴らしいストライカーではなかったかもしれないが、韓国サッカーの歴史を彩ったスター選手であった。
2002年のワールドカップではイタリアを撃破するゴールデンゴールを決め、その大会後にはイタリア・セリエAのペルージャから契約を打ち切られている。

2012年に現役を引退してからは解説者やコメンテーターの他、エンターテイメントとコンテンツ制作のキャリアを成功させてきた。

 
 
2024/04/19 キムチ入り弁当、駆け回る広報マン…日本にはない? 韓国でのおもてなし。江坂任&天野純の印象も直撃【ACLアウェー取材記】 | サッカーダイジェストWeb

— サッカー専用スタジアムで雰囲気良好も、アクセスは…

 4月17日に開催されたアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の準決勝・第1戦で、蔚山現代と横浜F・マリノスが蔚山文殊フットボールスタジアムで激突。ホームの韓国王者が1-0で先勝し、1週間後の横浜での再戦を前に、決勝進出に一歩前進した。

 私はこの一戦を現地で取材。記者としてではなく、観客としてスタンドで観戦したグループステージ第5節、横浜対仁川ユナイテッド戦に続き、韓国のスタジアムに足を運んだ。

 そこで、日本にはない、おもてなしを体験した。

 決戦の舞台となったのは、蔚山文殊フットボールスタジアム。日韓ワールドカップでも3試合で使用されたクラシックなサッカー専門スタジアムだ。キックオフのおよそ2時間前に現地入りすると、少しずつ人が集まり始めており、熱の高まりを感じた。

 日本から韓国までは飛行機で数時間。最も近い外国とあって、マリノスサポーターも少なくなく、「ようこそ蔚山へ」と日本語で書かれたウェルカムゲートを続々とくぐっていた。振り返れば、成田空港の時点で、青いユニホーム姿の人を多数目撃。釜山空港に向かう機内は、ACLの話題で溢れていた。

 もっとも、空港や駅からのアクセスは非常に不便だ。仁川ユナイテッドの本拠地、仁川サッカースタジアムが、ソウル駅から60分の桃源駅と横断歩道を挟んで直結しているのに対し、蔚山スタジアムは基本的に電車やバスを複雑に乗り換える必要がある。一見さんにはややハードルが高い。

 また、仁川では韓国料理屋やセブンイレブン、コーヒーショップといった常設店のほか、キッチンカーでトッポギ(約570円)、おでん(約342円)、焼き鳥(約513円)、ホットドッグ(約570円)、たこ焼き(約684円)が売られ、食料調達には困らなかった。

 しかし、こちらはそういった類の店がほとんど無し。郊外に、サッカー観戦に特化したスタジアムがポツンと存在するイメージで、事前の準備が不可欠だ。

— マリノスのユニホームを着た韓国人サポも。いったいなぜ?

 蔚山では、かつて柏レイソルや浦和レッズで活躍した江坂任がプレー。17年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献した後、最大のライバル全北現代に移籍した天野純(現横浜)と入れ替わる形で、2023年に加入した。

 せっかくなので、何人かの現地サポーターに新旧日本人MFについて尋ねてみると、天野に対しては笑い交じりに「彼はライバルに移籍した。ぶっちゃけ蔚山ファンは好きではない」「大好きだった。でも今は…」「裏切り者」といった答えが返ってきた。

 深い因縁を持つ一方で、江坂に関しては「良い選手だ。優れた日本人選手を手に入れた」「アタルはベストプレーヤーだ」「彼のプレーは特別。パスやタッチ、全てが美しい」と大絶賛だ。多少のリップサービスもあるかもしれないが、いかに素晴らしい選手かを熱く語ってくれた。

 また、江坂の31番のユニホーム姿で、愛を伝えてくれたファンがいたほか、マリノスのユニホームに身を包んだ韓国人サポーターも。「横浜F・マリノスが好きなの?」と訊くと、「もちろん、そうだ」と答え、その理由をこう明かしてくれた。

「2020年のAFCチャンピオンズリーグの横浜と全北の試合を見たんだ。ナカガワ・テルヒト(仲川輝人/現FC東京)が特に印象に残っている。彼が好きだ。ファンタスティックなクロスを上げていた。コーチは、今トッテナムにいるアンジェ・ポステコグルーだったね。アメイジングなフットボールだった」

 一通りスタジアム周辺での取材を終えると、プレスルームに向かった。そこでまず胸を打たれたのが、報道陣用に水とお菓子に加え、弁当が用意されていた点だ。

 決して豪華なものではなく、本場のキムチは少し酸っぱかったが、お腹が空いていたこともあり、その気遣いが非常に嬉しかった。日本でも現場によっては、飲み物や軽食が置かれているが、食事の提供は自分の経験上、一度もない。

 実は、日本代表の北中米ワールドカップ予選で、サウジアラビアを訪れた際も“厚遇”を受けていただけに、今回の韓国出張の楽しみの1つでもあった。

 それと、椅子がいわゆるゲーミングチェアで、長時間座っていても疲れないタイプのものだったことと、日本語で書かれた事前資料の存在も有難かった。資料には蔚山とJリーグ、蔚山とマリノスの関係性をはじめ、注目ポイントが記されており、大いに参考になった。

— 韓国の風習なのか。日本では見られないクラブ主導の光景

 そのほか、細かな点ではあるが、初めての体験で印象に残っていることが3つある。

 1つはスタンドレベルにある記者席に、LANケーブルが備え付けられていたこと。ケーブルを挿すだけで完結する簡単な接続かつ、決して落ちない速度は、不安でいっぱいの海外記者に感銘を与えた。ネット環境の確保は、最優先事項だ。

 もう1つは、後半開始直後に蔚山の広報担当と思しき男性が駆け寄り、来場者数を速報してくれたこと。通常は試合終盤に大型ビジョンで表示され(実際、この試合でも75分にアナウンスされた)、そこで初めて知るわけだが、サービス精神から、いち早く教えてくれた。

 ちなみにその数は9558人。4万人超のキャパに対し、ホームのゴール裏とサイドスタンドが埋まり、絶えず熱い声援が続いていたなかで、個人的にはもう少し人が集まっている印象を受けた。

 そして最後は、選手が取材を受けるミックスゾーンから、バスに繋がる道の左右に柵が置かれ、サポーターが集結していたことだ。試合後のスターの表情を見届けるのは、韓国の風習なのか。日本では見られない、クラブ主導の光景だった。

 いずれも「大サービス」と言うにはいささか大袈裟だが、“地味に嬉しい”おもてなしの連続により、かなりの好印象を受けた。ただ、少し俯瞰から物事を見てみれば、日本では当たり前になっているだけで、海外では普通ではない設備や環境も多いのかもしれない。

 いずれにしても、異国での体験で初めて生まれる気付きがある。

取材・文●有園僚真(サッカーダイジェストWeb編集部)

 
 

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