今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2022/11/8) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2022/11/8(火)11/13(日)14:00から優勝報告会@赤レンガ倉庫が開催)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2022/11/08 藤田譲瑠チマ選手U-21日本代表メンバー選出のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(スペインとポルトガルへ遠征。→JFAのリリース)

2022/11/13 11/13(日) J1リーグ優勝報告会開催のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(横浜赤レンガ倉庫で14時から!)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

Twitter / Instagramなど


 
 

Webニュースログ

2022/11/08 6さいからのニュース:J1横浜マリノス ゆうしょう | 毎日新聞

サッカーJ1は5日いつか、横浜よこはまF・マリノスが3年ねんぶり5ど目めのリーグゆうしょうをはたしました。
ヴィッセル神戸こうべに3―1でかち、かちてんを68にのばしました。
川崎かわさきフロンターレは、かちてん66で3れんぱをのがしました。
5どのゆうしょうは、鹿島かしまアントラーズの8どにつづく2いです。

 
 
2022/11/06 なぜ横浜F・マリノスは3季ぶり5度目のJリーグ制覇を果たせたのか…リンクした3つの思い – 本格スポーツ議論ニュースサイト「RONSPO」

 横浜F・マリノスが3シーズンぶり5度目のJ1制覇を達成した。5日の明治安田生命J1リーグ最終節でヴィッセル神戸と対戦したマリノスは、FW水沼宏太(32)がすべてのゴールに絡む活躍を演じて3-1で快勝。3連覇を狙った川崎フロンターレを勝ち点2ポイント差で振り切り、敵地ノエビアスタジアム神戸で雄叫びを上げた。昨シーズンの2位から頂点へ駆け上がる原動力になった、今シーズンのマリノスに脈打つ「3つの思い」に迫った。

— 「子どものころから夢見てきたリーグ制覇。考えてもいなかった未来」

 気がつけば涙腺が決壊していた。優勝を告げる笛が敵地に鳴り響いた直後。戦況を見守っていた自軍のベンチ前で、水沼はひざまずいた体勢で号泣していた。
 トリコロールカラーのタオルで何度ぬぐっても、涙がとめどもなく込みあげてくる。ベンチ入りした18人のなかで最年長となる32歳は、漏らした嗚咽の意味を照れくさそうに明かした。
「子どものころから夢見てきたリーグ制覇を、一度は離れたマリノスで達成できた。考えてもいなかった未来であり、あきらめずにやってきて本当によかったとあらためて感じてしまって。何ともいえない感情が込み上げてきていました」
 目の前の神戸に勝てば川崎の結果に関係なく優勝が決まる大一番。前半26分のFWエウベル(30)の先制点も。後半8分のMF西村拓真(26)の勝ち越しゴールも。そして、同28分のFW仲川輝人(30)のダメ押しゴールも、すべて水沼のプレーから生まれていた。
 1点目は絶妙のクロスのこぼれ球。2点目は強烈な直接FKのこぼれ球。そして3点目はカウンターから右サイドを深くえぐり、マイナスへ折り返したラストパス。自らの武器をチームのゴールに結びつける仕事を追い求めてきたサイドアタッカーはこのオフ、大きな決断を下していた。
 ユニフォームの背番号の下に入れるネームを『KOTA』から『MIZUNUMA』に変えた。前身の日本リーグ時代からマリノスの黎明期まで活躍し、自身がマリノスでサッカーを始めるきっかけにもなった父親の貴史さん(62)への敬意が込められていた。
 試合後にはマリノスで最初にプレーした2000年代後半に、自身を特に可愛がってくれた故・松田直樹さんの象徴だった背番号で、マリノスの永久欠番でもる「3」が刻まれたユニフォームを手にしながらファン・サポーターと喜びを分かち合った水沼が万感の思いを込める。
「父はマリノスの歴史を作ってくれた偉大な先輩でもあるので。誇らしいし、一緒に有名になりたいという気持ちでネームも変えて、自分にプレッシャーをかけてプレーしてきた。水沼という名前をマリノスというクラブの歴史のなかにしっかりと残せたと思う」
 1995シーズンの途中に引退した貴史さんは、同年のマリノスのJ1初優勝を経験していない。4つのクラブをへて、10年ぶりに古巣へ復帰して3シーズン目。父を超えたいと望む水沼は無意識のうちに、自身の特徴である泥臭さや献身さでマリノスを内側から変えていった。
 たとえば神戸戦そのものは、決して守りに入らないマリノスが貪欲に追加点を奪いにいった矢先に終了を迎えた。最後のプレーとなった、ゴール左に外れたシュートを放ったのは右サイドバックの小池龍太(27)。両方の白いリストバンドには、夏場から「17」が記されている。
 7月下旬の日本代表戦で右膝前十字靱帯断裂の重症を負い、長期の戦線離脱を余儀なくされたFW宮市亮(29)の背番号だった。小池はこんな言葉を残したことがある。
「常に彼と一緒に戦っています。一緒にタイトルを取る、と」
 復帰へ向けて必死にリハビリへ取り組んでいる宮市は、ある試合で小池のリストバンドが写っている写真を偶然目にした。まったく知らされていなかった自分へのエールに驚き、次の瞬間、心を震わされたと神戸戦後に応じた取材で明かしている。
「本当に嬉しかったし、ありがたかった。今シーズンは何だか涙腺が緩むことが多くて」
 中京大中京高(愛知)から直接ヨーロッパへ挑んだ宮市は、昨夏に加入したマリノスで28歳にしてJリーグでデビュー。今シーズン前半からスピードを武器としたプレーが輝きを取り戻し、約10年ぶりに日本代表へも復帰した矢先にアクシデントに見舞われた。
 宮市が前十字靱帯断裂の重症を負うのは右膝だけで2度目。左膝も含めれば3度目になり、すべてで長期離脱を余儀なくされてきた。またも繰り返された大怪我の連鎖に、今回の受傷直後は現役引退も考えたと自身のSNSで明かしている。
 それでもマリノスのチームメイトをはじめとするサッカー関係者、代表でともにプレーした選手、そしてファン・サポーターから届いたエールを受けて翻意。再び過酷なリハビリへ臨む決意を固めた宮市を、マリノスもチームをあげて後押しした。
 宮市が怪我を負ってから初めて迎える試合だった7月30日の鹿島アントラーズ戦。選手たちは背番号がすべて「17」で統一され、胸の部分には「亮 どんな時も君は一人じゃない」と綴られた特製ユニフォームでウォーミングアップに臨み、試合も2-0で快勝した。
「彼だけを美談にするつもりはなかったんですけど……」
 神戸戦後の取材エリアへ最後に姿を現した、キャプテンのMF喜田拓也(28)はメディアで大きく取り上げられた宮市との絆にまずこんな断りを入れた。それでも「宮市のために」や、あるいは「宮市とともに」という思いがマリノスという組織全体で共有され、時間の経過とともにどんどん大きくなっていった先に実現した光景を嬉しそうに振り返った。
「宮市選手のキャリアや背景を考えても非常に大きな怪我でしたし、僕たちに与える影響も大きかった。宮市選手は報われるべき取り組みをしていましたし、彼のチームに対する思いを最後、絶対にああいう形で表現したかった。彼自身が報われた思いでいてくれれば嬉しい」
 喜田が言及した「ああいう形」とは、優勝シャーレを掲げる役割を指す。3シーズンぶり5度目の優勝決定の余韻が残るピッチで行われる表彰式。そのクライマックスで、喜田に続いて大役を任された宮市は「シャーレは想像以上に重たかった」と照れくさそうに振り返った。
「今シーズンを戦ってきた重みや、優勝の重みというものを感じました。僕なんかが2番目に掲げさせてもらって、本当におこがましいぐらいなんですけど」
 2019シーズンの優勝を決めたFC東京との最終節の先発メンバーからは、喜田を除いた10人が入れ替わっている。3年前に得点王とMVPに輝いた仲川は神戸戦をリザーブで迎え、得点王を分かち合ったMFマルコス・ジュニオール(29)はベンチ外だった。
 選手だけではない。アタッキングフットボールを掲げ、3年前に頂点へ導いたアンジェ・ポステコグルー監督(57)も、セルティックに引き抜かれる形で昨夏に電撃退団している。
 それでも、今シーズンのマリノスには一体感が脈打つ。ベガルタ仙台から今シーズンに加入した西村は、新天地を「ファミリーのようです」とたとえているほどだ。
「プロサッカー選手になって、こんなにも青春というものができるとは思わなかった」
 一体感の強さは、宮市への思いをピッチ上の戦いに反映させた軌跡にも通じていく。土壌を整えてきたのは、2019シーズンからキャプテンを務めるアカデミー出身の喜田だった。
「僕自身、キャプテンとして何を残せたかはよくわからないんですけど……」
 小学生年代からマリノス一筋でプレーする喜田は、謙遜しながらさらに言葉を紡いだ。
「それでも自分のすべてをかけて、マリノスのキャプテンを務める覚悟は持ってきました。チームメイトやスタッフに対して常に真正面から、丁寧に向き合おうと。調子がいいときも苦しいときもそこだけは絶対に外さないようにしてきたし、どのような状況でもチームを信じてきました」
 身長170cm体重64kgのサイズより、はるかに大きく見える喜田の背中はいつしか強力な求心力を放つようになった。3年前の優勝を、喜田はリスペクトを込めながらも「勢いそのままに突っ走った」と表現する。対照的に昨シーズンの2位を受けて、攻撃的なスタイルがしっかりと認知された今シーズンは、周囲の警戒網をチームが一丸になって乗り越えてきた自負がある。
 だからこそ、総得点70がリーグ最多、総失点35が同最少タイでJ1を制した価値は大きい。優勝決定後に人目をはばからずに流した涙の意味を喜田はこう明かした。
「試合に出た選手だけでなく、常日ごろからハードワークして、試合に出られなくてもチームのためにやり切った選手がいるからこそタイトルを取れたと身を持って体感している。全員がヒーローだと心から思っているし、一人ひとりにありがとうと伝えたい」
 神戸に敗れていれば川崎が逆転での3連覇を達成した最終節。前半終了間際に追いつかれても動じず、最後までマリノスらしさを貫けた背景には、昨シーズンまでの土台へさらに融合された水沼の、宮市への、そして誰よりもマリノスを愛する喜田の深く、熱い思いがあった。
(文責・藤江直人/スポーツライター)

 
 
2022/11/07 横浜F・マリノス優勝の理由が見えた特筆すべき「最多70ゴールの内訳」【2022年のJ1リーグを振り返る】| サッカー批評Web

 ワールドカップが11月に開催されるため、通常とは異なる日程となった2022年のJ1リーグが幕を閉じた。最終節までタイトルレースが展開されたが、そこに至るまでの道のりにも見るべきものはあった。サッカージャーナリスト・後藤健生が、今シーズンのJ1を振り返る。
■横浜FMが3季ぶりに優勝

 Jリーグは2022年シーズンのほぼすべての日程を終了した。

 J1リーグでは優勝争いが最終節までもつれたものの、横浜F・マリノスが3シーズンぶりの優勝。最後まで粘り強く横浜を追った川崎フロンターレだったが、「3連覇」はまたも達成できなかった。

 一方、下位ではジュビロ磐田に続いて清水エスパルスも自動降格が決定。静岡勢がそろってJ2に陥落することとなった。

 J2リーグではアルビレックス新潟と横浜FCの2強が圧倒的な力を発揮して昇格を決定。3位以下は大混戦となったが、J1参入プレーオフでは、リーグ戦5位のロアッソ熊本が勝ち抜いて11月13日の参入決定戦でJ1で16位となった京都サンガF.C.と対戦することが決定。

 さらに、J3リーグでも11月6日にいわきFCが残り2節を残して優勝を決定。残る1つの昇格枠を巡って、藤枝MYFC、松本山雅、鹿児島ユナイテッドFCの3チームが鎬を削っている。

 また、日本フットボールリーグ(JFL)は残り2節の段階でHonda FC、奈良クラブ、FC大阪の3チームが勝点55で並び、このうちJリーグ加盟を目指す準会員の奈良クラブとFC大阪の4位以内が確定し、その他の条件も満たしているため、事実上J3加盟を決めている(正式にはJリーグ理事会で決定)。

 昇降格についてはこれからヤマ場を迎えるところもあるが、Jリーグのほとんどの日程が終了したところで、今シーズンを総括してみよう。

■スタイルを確立している横浜FM

 まず、J1リーグの優勝争い。結果としてはきわめて順当なものとなった。

 ここ数年、日本のサッカー界では横浜F・マリノスと川崎フロンターレの“2強体制”が続いている。なにしろ、2017年シーズンに川崎が初優勝を決めて以来、川崎が4度、横浜FMが2度マイスターシャーレを掲げており、神奈川県のこの2つのクラブがリーグ戦のタイトルを独占しているのだ。今シーズンも準優勝の川崎と3位のサンフレッチェ広島の勝点差は11ポイントもあり、両チームの力は他の追随を許さないものだった。

 残り4試合となった段階で横浜FMがガンバ大阪、ジュビロ磐田というともに残留争いの渦中にある下位チームにホームで連敗し、川崎に勝点2差まで追い上げられたが、それでも今シーズンの最強チームが横浜FMだったことは間違いないだろう。

 右サイドでは33歳のベテラン、水沼宏太が完全復活。いや、“復活”というよりは水沼にとって今シーズンはキャリアの中でも最高のパフォーマンスだった。

 そして、この水沼や左サイドのエウベルなどがサイドを崩して、早めにクロスを入れてレオ・セアラやアンデルソン・ロペスなどが決めるという横浜FMの攻撃の型が機能し続けた。

 横浜FMは、試合前のウォーミングアップを見ていても、それぞれの選手が本来のポジションに近い位置に付いてクロスに合わせる練習をたっぷり行う。まさに、アンジェ・ポステコグルー監督時代から築き上げてきた横浜FMのスタイルがしっかりと根付いているのだ。

■特筆すべき得点力の内訳
 34試合で横浜FMが決めたゴールは70。昨シーズンの82得点には及ばないものの、2019年に優勝した時の68ゴールを上回っている。

 また、このチームで興味深いのは得点者が特定の選手に偏らないことだ。

 J1リーグの得点ランキングではレオ・セアラとアンデルソン・ロペスが11ゴールで6位タイ、西村拓真が10ゴールで8位タイに入っているが、これだけの攻撃力を誇り、実際リーグ最多の70ゴールを決めたチームに得点王を争う選手がいなかったというのは特筆すべきことだろう。

 2019年に横浜FMが優勝したシーズンも、マルコス・ジュニオールと仲川輝人の2人が15ゴールずつを決めて得点王を分け合ったことを考えても分かるように、多くの選手が点を取るのはこのチームの場合、けっして偶然のことではない。

 つまり、サイドからのクロスに対して合わせるのは中央に構えているCFだけでなく、逆サイドから詰めてくるサイドアタッカーもクロスに合わせて点を取るというメカニズムが機能している。だから、このような現象を引き起こすのだろう。2021年シーズンに川崎のレアンドロ・ダミアンと得点王の座を分け合った前田大然(現セルティック)も、CFではなく左サイドを任されることが多い選手だった。

■落ちなかったチーム力

 横浜FMが優勝に相応しい理由の最大のものは選手層の厚さである。

 DF陣でも永戸勝也や20歳の角田涼太郎。あるいは、センターバックとボランチを兼任する岩田智輝といった選手が台頭し、松原健や畠中槙之輔といった前回優勝時の立役者を追いやるほどの活躍を見せる。

 中盤でも20歳の藤田譲瑠チマが急成長。24歳になった渡辺皓太もチームに完全に馴染んできた。もちろん、喜田拓也はキャプテンとして献身的にプレーしている。こうして、各ポジションに同じレベルでプレーできる選手が2人以上という層の厚さが完成したのだ。

 7月には左サイドで存在感を高めつつあった宮市亮が日本代表の活動で右ひざ前十字靱帯断裂という重傷を負って戦列を離れ、9月には西村拓真も靱帯損傷でチームを離れた。しかし、主力選手の負傷・離脱という状況に追い込まれても、それでもチーム力を落とすことなく戦えた結果、シーズンを乗り越えることができた。

 AFCチャンピオンズリーグ(ACL)などのカップ戦も戦いながらリーグ戦の34試合を戦い抜き、リーグ戦最終盤での連敗を除いて連敗がなかったのはこうした選手層の厚さがあったからこそだ。

 前任者のポステコグルー監督が築き上げた横浜FMのサッカーを引き継ぎ、結果を出し続けながら若手選手、新加入選手の融合を進め、一体感を高めていったあたりがケヴィン・マスカット監督の手腕だったのだろう。

 
 
2022/11/08 家族が「来月どうやって暮らそうか」…逆境を経験した小池龍太が見たかった景色【サッカー、ときどきごはん】 : J論プレミアム

■卒業後の進路が決まらずアマチュア契約に

2009年、中学に進学するとき地元を離れて福島にある「JFAアカデミー福島」に入りました。そのとき「サッカーを職業にする」とか、そこまでの決心があったかどうかは覚えていないんですよ。目標というか夢ではありましたけど、その決心がすごい強いものだったのか……。

「どうすればプロになれるか」というのが分からない状態だったので、「JFAアカデミー」が「プロへの近道」みたいな、そんな言われ方もしていて、その言葉に飛びつくしかなかったというところです。

福島の中学に3年間通いながら「JFAアカデミー福島」でトレーニングしていたんですけど、中学校の卒業式のあと、寮に戻ってみんなで卒業アルバムや思い出DVDを見ているときに東日本大震災が来たんです。最初はそこまで大きな揺れではなかったので「収まるかな」と思っていましたが、一気に大きくなってみんなで外に逃げました。

でも幸い僕たちの年代は卒業式で親が来ていたので、車で来ていた人たちに同乗する形で避難所を回ることが出来ました。大人が多くいたというのはすごくよかったと思います。

震災の影響で「JFAアカデミー福島」は静岡県御殿場市の時之栖に場所を移して活動することになりました。福島で3年間過ごして、地元のみなさんにすごく支援や応援していただいたので、そこから拠点を移すっていうことに対して、自分自身も不安はありました。

自分たちが大切にしてきた場所から引っ越す、福島の方々の近くじゃない場所でサッカーをするっていうのは、僕自身だけじゃなくて、アカデミーの人たちも、日本サッカー協会にとってもすごく重い決断になったんじゃないかと思っています。

高校3年間は、プロにならなくちゃいけないというか、自分の中ではその道しかないと考えていたので、どうやって次へのステップ行く扉を開けるかを常に模索してました。アカデミーからいろんなチームに練習参加のお願いをしてもらってドアを叩きに行かせてもらうんですけど、同級生の中で自分だけはなかなか決まったらなかったんです。

歯がゆさはあったんですけど、僕自身の能力が到底足りてないとは感じなかったんです。クラブの状況、他の獲得選手との兼ね合い、色々あると思いますが、その様な運や状況を覆せる力が足りなかったと思います。

参加したクラブがすべてダメということになりかけたときは、大学や海外のクラブに行く道もいろいろ模索しました。そして最後にレノファ山口にご縁があり、「これが国内のラストチャンス」だと思ってました。それで練習参加させてもらったら評価していただいて加入できることになったんです。でもアマチュア契約ということでした。

アマチュアなのでサッカーしながら働かなければいけないんです。スポンサー企業の会社で働かせてもらうか、サッカースクールで子供に教えるかという選択肢がありました。僕は若かったし一人暮らしだったので、いただくお金が少なくても縛られる時間が少ないほうがサッカーに集中できると思い、サッカースクールで働くことにしました。

山口は入団した2014年こそJFLでしたけど、2015年はJ3、2016年はJ2と昇格していきました。でもJ3への昇格やJ3優勝は僕の力じゃなくて、チームやチームメイトに恵まれたという感覚です。

JFLやJ3のころは、僕自身がまだサッカー選手っていうのはどういう職業なのか、どういう見られ方をするのか、何をしなければいけないか、どうやって生き残っていくのか分かってなくて、ただがむしゃらに走っていただけです

僕はJ3のときまではアマチュア契約でした。J2に上がるときにプロになったんですよ。そのJ2時代の2016年に結婚しました。JFLの途中から妻とは一緒に同じ夢を追っていたというか。

「J1に行きたい」という僕の夢を知って、「ご飯は外で食べるよりも作ったものを食べてほしい」と宅急便で送ってサポートしてくれるような方でした。結婚も「彼女と成功したい」という意味が強かったんです。自分の年俸のことは考えてなかったですね。

J2では全試合に出場して、自分自身でもかなり能力が高くなってきたと自信が付いてきたところで、2017年、J1の柏レイソルからオファーをいただきました。それまでの決断で1つでも違うほうを選んでいたら、今の自分はなかったと思いますね。

柏からオファーが来たとき、ついてきてくれた彼女に恩返し……じゃないですけど、そういう報告ができて2人ともすごく幸せでした。親もすごく喜んでくれて、その顔を見て僕自身もJ1に来るまでの道はすごくやりがいがあったと思いました。

柏に行って、このままずっと柏でプレーしたいと思っていたのですが、2019年に柏はJ2で戦うことになったんです。J2に降格したとき、いくつか移籍のお話しをいただいたんですけど条件に合うクラブがなかったし、柏から国内移籍することは正直考えていませんでした。

ただ昔からの夢だった海外移籍は諦めていませんでした。そして海外に行くのなら柏から移籍したいと、常々クラブにもお話をさせていただいてました。ウインドウが開くとお話があったりしましたけど、やっぱり年齢を追うごとにその数も少なくなってくるのを実感していました。

それで2020年、ロケレンから話が来たときには、「確実にこのチャンスをものにしたい」「サッカー人生の夢をすべてやり遂げたい」と思って決断したんです。

■念願の海外移籍もクラブが破産

ところがその年いっぱいでロケレンが破産してしまったんですよ。普通はなかなかありえないことだと思うんですよね。もちろんそんな経験はしたくなかったですし、今は「面白い人生だ」と笑うことはできますけど、当時はホント笑えなかったですね。

実はロケレンに移籍するとき、自分で移籍金の一部を払ってたんです。そしてロケレンに行くと今度は給料の遅配とか未払いとかが続いて、そのまま破産したんでほとんど年俸を貰えませんでしたね。

収入はほとんどなかった中で家族を養わなきゃいけないというか、生活もあるので最終的には日本に戻ると決めました。

国内に帰ってくるとしたらまず初めに話さなきゃいけないのは柏だと思ってました。でも柏の状況が獲得できるような感じではなくて、それで他のクラブと交渉することになったんです。

実は柏がJ2に降格したとき、F・マリノスからの関心があり、移籍の可能性もありました。加えてロケレンでは元横浜F・マリノスの天野純と一緒にプレーしていたというのもあり、ベルギーにいるときもF・マリノスのサッカーに注目していたんです。

国内でプレーするとき、やっぱり優勝争いをする、自分がもう一つ成長できる、そしてその当時はもう1回海外に行くためにはF・マリノスがいいだろうと思って選びました。

今年は念願の日本代表にも選ばれて、本当うれしかったですね。とにかく自分の2つの大きな目標は海外移籍と日本代表でしたし、日本代表っていう場所は本当に特別な思いがあったので、その夢が叶ったんですよ。

僕自身がうれしかったのもそうですけど、妻とか親とか、そういう周りの人が笑顔になってくれて、それを見ることができて本当に幸せでしたね。

こうやって考えてみると、本当に波乱万丈な人生だと思います。これまでで一番きつかったのは、海外移籍したロケレンが破産したときですね。

アマチュアとしてプレーしていたころは、お金がないとかちゃんとした食事が摂れないとかはあったにしても、自分が我慢すればよかったし、がんばればよくなるということがほとんどだったと思うんです。自分が選んだ道なので、しっかりと地に足つけて取り組もうともがき続けたっていう感じでした。

でもロケレンが破産したときは家族を苦しめてしまいましたからね。自分の貯金をほとんどを使い切って海外に行ったわけで、僕の決断のせいで家族が「来月どうやって暮らそうか」という状態に追い込まれてしまいましたから。サッカー選手、夫、子供の親としてもいろいろ考えなきゃいけませんでした。

やっぱり家族を持つということは、「年俸の未払いがあったらどうしよう」とか、そういうことまで考えなければいけなかった、と。あのときはすごく苦しかったですし、そういう思いはもうさせたくないと切実に思います。

どんなに苦しいときも妻はネガティブなことを言わないんですよ。でも、そのぶん自分自身がその気持ちを強く感じましたし、だからこそもっと、いろいろなことを考えていかなければいけないと思いました。普通、契約したクラブが破産するとは思わないかもしれないですが。

そして今は、やっぱり代表に入り続けるということを新しく目標にしなければいけないと思ってます。1回だけ呼ばれるんじゃなくて、常に日の丸を背負って、いろんな方にプレーを見ていただいて、責任感ある状況の中、重いものも背負っていきたいと、代表に召集されたことで改めて思わされました。

日本代表の右サイドには酒井宏樹くんが戻ってきて、すごく安定感のあるプレーをしてましたし、E-1選手権のときに山根視来くんを見たり話をして、背負ってるものの大きさや難しい試合を経験してきている彼の自信なんかも見えました。

僕も2試合に出してもらいましたが、試合経験を積めば酒井くんや山根くんのようになっていけると思いますし、そうなる必要があると思ってます。ワールドカップのメンバーは直前まで変わることがあるので、何かあったとき自分がすぐ呼ばれるような立場になりたいですし、ワールドカップ終わった後には新しい戦いが始まると思いますから、そこではまず名前が挙がるようにならなければいけないと思っています。

そしてその夢というか目標を叶えるためには、やっぱりクラブで結果を残すところが必然的に必要になってくると思っています。僕はこれまでタイトルをたくさん獲得したわけではないのですが、E-1選手権で優勝してカップを掲げたとき、一番に思ったのは、やっぱりF・マリノスでもタイトルを取りたいということでした。

仲のいい水沼宏太くんとそういう話をしたんですよ。F・マリノスを応援してくださるファン・サポーターにあの瞬間を届けたいって。そしてそれを実現するのは大きな価値があると心から思ったんです。だから僕の今年の目標はその景色を見ることでした–。

■一番のお気に入りは豚キムチラーメン

おすすめのレストランですよね。え? 3つですか?

横浜に移籍加入してきたときから新型コロナウイルスの影響があって、最近はあまり外食できていないんですよ。だからこれまでに所属してきた山口、柏と、あとは出身地の近くの店にしますね。

山口は「維新みらいふスタジアム」の近くにある「蘭々」というラーメン店さんです。そこはご飯を食べに行くだけじゃなくて、大将とママさんにすごくお世話になってて、私生活でもすごくよくしていただいてたんです。

僕が山口から移籍してもずっと毎回試合前にLINEくれて、「今日試合がんばってね」「ケガしないようにね」って常に言ってくれる方たちなんですよ。山口で一番お世話になった「お父さん、お母さん」でした。だから山口に行ったときは絶対寄るんです。豚キムチラーメンが一番のお気に入りです。いつも行列ができてると思うんで、すぐ分かると思います。

柏では結構いろんなとこに行ったんですけど、今でもお世話になってる店を紹介しておきます。「三協フロンティア柏スタジアム」の近くにある「ステーキハウス MOMO 柏店」というステーキ店さんです。

その店は選手みんなから愛されているお店で、ユニフォームなんかがすごくいっぱい飾ってありますし、今も誕生日のときにお肉を送ってくれたりしてくれるんです。そこも店主の方がご家族と営んでいて、今の所属選手だけじゃなくて過去に所属してきた選手もすごく大事にしてくれるんですよ。

とにかくお肉も美味しいので、選手みんなよく試合終わった後とか、力をつけるときに行くお店です。ハンバーグやステーキがどれもおいしいので、その日の気分で食べて大丈夫です。

最後は、僕の生まれは八王子なんですけど、隣町の日野市の思い出の店を紹介しておきます。祖父によく連れて行ってもらった店で「梅之木」というところがあるんですよ。海鮮丼がすごくおいしい店です。いとこの中島翔哉も一緒に行ったりしてました。

祖父はもう他界してしまったんですけど、思い出が詰まった店ですね。すごくかわいがってくれていた店主は今も元気になさってるので、たまに顔を出さなきゃいけないと思ってます。

蘭蘭
ステーキハウス MOMO 柏店
梅之木

 
 

 
 

今日のこけまり

「横浜F・マリノス、J1リーグ 優勝おめでとう!」各界からのTwitterまとめ。
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