夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2020/3/24) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2020/3/24(火)連休前後の内容をまとめて)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2020/03/21 練習試合の結果(vs栃木SC) | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(45分×4本。3-1)

2020/03/23 實藤友紀選手 完全移籍加入のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(まとめはこちら→[完全移籍での加入を発表]實藤 友紀(さねとう ゆうき)@福岡[2020 移籍/新加入/契約更改] | こけまり)

2020/03/24 【第100回 天皇杯】1回戦~4回戦組合せ決定 | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(既報のとおり4回戦から。8/19(水)ニッパツ三ツ沢にて)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開)


 
 

Twitter / Instagramなど


卒業おめでとうございます。from 扇原貴宏&大津祐樹 – YouTube


 
 

Webニュースログ

2020/03/20 大津祐樹が13年前の自分に伝えたいこと 時代の変化に「怖いですね」 | SPREAD

10年も経つと流行は大きく変わるもの。久しぶりに当時の写真を見て懐かしくなったり、恥ずかしくなったりした経験がある人も多いかもしれない。

横浜F・マリノスの大津祐樹選手もプロ入り当時の自分を思い出し苦笑いした。

F・マリノスは3月20日にこの春、卒業式を迎えた生徒たちへのビデオメッセージを公開。大津選手は扇原貴宏選手と一緒にホームタウンの卒業生へお祝いの言葉を贈った。

–卒業後も勇気をもって挑戦することを忘れないで

動画では扇原選手が「横浜市、横須賀市、大和市の卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます」と切り出す。

それを受けて大津選手は「新型コロナウイルスの影響で、普段とは違う環境のなか卒業を迎えられたと思いますが、卒業後もそれぞれの目標や夢に向かって次のステージでも勇気をもって挑戦することを忘れないでください」と語りかける。

Jリーグ連覇に向けて中断中も変わらずトレーニングに励んでいると扇原選手。ネガティブな話題が多いなかでも「挑戦し続ける姿を見せることで、少しでも明るい話題を届けていきたい」と地元ファンのために意気込んだ。

–長髪だった若手時代に苦笑「大人になりましたね。笑」

大津選手はクラブのツイートを引用しながら自身のツイッターも更新。改めて「ご卒業おめでとうございます」と投稿した。

高校を卒業して2008年に柏レイソルでプロデビューした大津選手は、当時を振り返り「しかし、13年前の自分に伝えるとしたらまず髪を切るところから始めようかとでも伝えたい。笑」と苦笑い。

いまでこそ落ち着いている大津選手だが、若手時代は当時の流行りもあって襟足が肩に触れるくらいの長髪だった。

10代の自分に「時代って怖いですね…大人になりましたね。笑」と恥ずかしそうな大津選手。

最後は人生の先輩として「話は戻りますが卒業生の皆様 これから色々な事があると思いますがポジティブにどんなことにも挑戦していってください」と前向きなメッセージで締めた。

2020/03/19 けがを乗り越えて J1の主役に 仲川輝人さん | 専修大学

昨シーズンのサッカーJ1横浜F・マリノス優勝の立役者が、FW仲川輝人選手(平27商・27歳)だ。仲川選手はMVPと得点王にも輝いた。プロに入る直前に負った重傷を乗り越えて、Jリーグの主役に躍り出た仲川選手。これまでの道のり、大学時代の思い出を聞いた。

― 横浜F・マリノスに入って5年目の昨季は最高の年になった。
Jリーグ優勝はチーム一丸となって勝ち取ったタイトル。個人賞をふたつも取れて、うれしさは倍になった。

― プロ入り(2015年)直前の専大時代、全治8カ月の大けがを負った。完治したが、試合に出られるようになるまで3年以上かかった。
けがが治っても、スピードと動きのキレを取り戻せない。戦術練習に入れず、試合にも出られなかった。そんなドン底にいたから、上を見るしかなかった。ピッチの隅で黙々とボールを蹴ってトレーニングに励んだ。2年間J2で武者修行もさせてもらった。それらが実を結び、18年から試合に出られるようになり、試合に出場するほどに成長したと自負している。
昨季の優勝に貢献できたことで、やっと横浜F・マリノスに恩返しができた。私は負けず嫌いで頑固。前向きでポジティブな考え方を大切にしている。

― 161cmと小柄な仲川選手の最大の武器は、スピードと瞬発力を生かした緩急あるドリブルだ。
昨季は、利き足でない左足でのシュートの決定率が高くなった。手応えを感じており、現在も良い状態が続いている。今季開幕戦では、相手チームのマークがかなり強くなったと感じた。それだけ注目される存在になれたのかと思う。今季の目標はJリーグ連覇。個人では昨季の15ゴールを上回る数字を出したい。
昨年末、日本代表にも初選出され、海外での試合で刺激を受けた。学生時代からの夢、ワールドカップ出場を目指して努力を重ねたい。

― 仲川選手がいた11年からの4年間は、専大サッカー部の黄金期。攻撃的で個性あるパスサッカーが花開いた。
関東1部リーグ4連覇を達成したのは宝物の思い出。学生日本一にもなれた。先輩の庄司悦大さん(平24経済、京都サンガFC)をはじめ長澤和輝さん(平26経営、浦和レッズ)らメンバ―一丸となって強いチームづくりに励んだ。
そんな中で自分は1年次から試合に出させてもらった。関東リーグの得点王にもなれたし、ユニバーシアード大会にも出場できた。高校時代、専大にスカウトしてくれた源平貴久監督(現総監督)、日々指導してくれた岩渕弘幹コーチ(当時)には、感謝の気持ちを持っている。

― 専大サッカー部には専用グラウンドがなく平日の練習は早朝のみ。どんなことを心がけたのか。
グラウンドでの練習は、1限の授業が始まる前の1時間半だけ。私は毎朝5時前に起床し川崎市の自宅を出て、7時から練習を始めた。限られた条件の中で、集中力をもって密度の濃い練習を行い、一つ一つの質を高める努力をした。
大学サッカーの結果はいつも気にしている。機会があったら後輩の早朝練習を見に行きたい。

― サッカー以外で専大の思い出は。
今でも思い出すのは、けがの治療中、生田通学路の急坂がきつかったこと。学食の鉄板焼きが好きだった。サッカーに懸けた学生時代だったが、もちろん授業に出て勉強も頑張った。かけがえのない出会いがあり、一緒に机を並べる仲間がいたことは幸せだった。

― 後輩にメッセージを。
一つのことに打ち込む中で、常に向上心を持って行動することが大事だ。そういった姿勢は成長につながり、必ず将来に生かされる。

2020/03/21 #サッカーを愛する人へ J1監督緊急アンケート – J1 : 日刊スポーツ※一部抜粋

#サッカーを愛するすべての人々へ―。新型コロナウイルス感染拡大により、2月下旬から中断中のJリーグは、21日で開幕1カ月を迎える予定でした。応援するクラブの話題で花が咲くはずだったお花見の季節が、試合どころか練習見学もままならない日常に…。4月3日のリーグ再開も不透明な状況です。そんな中、日刊スポーツではJ1全18クラブの監督への緊急アンケートを実施。いつも大声援で背中を押してくれるサポーターへ、指揮官からのメッセージをお届けします。

◆アンケート質問項目

(1)中断中、最も重視して取り組んだ点(練習法、強化部分)
(2)中断期間を経て、あらためて特に期待する選手と、今季の目標
(3)再開を待ちわびる子どもたち、ファン・サポーターへのメッセージ

【横浜F・マリノス】ポステコグルー監督(昨季1位)

(1)次の試合に向けてチーム全体で良いコンディションを保つことを重視してトレーニングをしています

(2)期待選手…チームの全選手に期待しています

目標…今季も見る人をわくわくさせるマリノスのサッカーをし、その結果としてタイトルを獲得することを目標としています

(3)このような状況ですがスタジアムでサッカーを見られる日を楽しみにしていてください。私たちチームも早く試合ができることを願い、また、楽しみにしています

2020/03/23 横浜F・マリノス、5年間の歴代フォーメーション。モンバエルツ就任から15年ぶりのJ1制覇まで | フットボールチャンネル※一部抜粋

Jリーグの各クラブは、毎年メンバーを変えながらシーズンを戦っている。5年前と比べると、ほとんどのチームでメンバーの大半が入れ替わっている。今回、フットボールチャンネルでは、横浜F・マリノスの過去5年間の主要メンバーや基本システムをシーズンごとに紹介していく。

–モンバエルツ体制のスタート(2015年)

【シーズン成績】
明治安田生命J1リーグ:7位(1st:6位/2nd:5位)
ヤマザキナビスコカップ:グループリーグ敗退
天皇杯:4回戦敗退

 シティ・フットボール・グループ(CFG)との関係が強くなり始めた2015年、フランス人のエリク・モンバエルツ監督が就任した。

 ただ、シーズンを通して上位争いに絡むことはできず、中位をさまよって年間7位でフィニッシュ。1stステージは6位、2ndステージは5位だった。リーグ戦年間32失点は18チーム中2番目の少なさだったが、攻撃に爆発力を欠いた。

 ヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)でもグループリーグ6試合で2勝しか挙げられず敗退。天皇杯もヴィッセル神戸に屈して4回戦敗退と、カップ戦でも目立った結果を残すことができなかった。

 とはいえディフェンスラインは盤石で、小林祐三、中澤佑二、ファビオ、下平匠で構成する4バックは年間通してほとんど変わらず全員がリーグ戦30試合以上に出場。堅守のマリノスのアイデンティティを象徴する安定感を見せた。

 一方で攻撃陣はサンパウロFCから加入した元ブラジルU-23代表FWアデミウソンが8得点と気を吐くも、二桁得点者は1人もいなかった。齋藤学が7得点、伊藤翔が6得点と主力のアタッカーたちが軒並みパンチ力不足を露呈する結果に。

 そうなってしまった大きな要因は、トップ下で絶対的な存在だった中村俊輔が度重なる負傷に苦しめられてフル稼働できなかったことにある。5年連続でキャプテンを任された司令塔は、シーズン開幕前に左足首を手術して復帰まで約2ヶ月を要した。しかし、復帰して約1ヶ月後に今度は肉離れで長期離脱を強いられ、初めてのフル出場が7月中旬になるなど精彩を欠いた。

 それでもリーグ戦で3本の直接フリーキックを、現役日本代表GKの3人から決めるなど、世界屈指の左足の精度は健在で、出場すれば存在感は絶大。長期離脱は大きく響いたものの、改めて代役不在の価値ある選手であることを示した。

–中村俊輔ラストイヤー(2016年)

【シーズン成績】
明治安田生命J1リーグ:10位(1st:11位/2nd:7位)
YBCルヴァンカップ:準決勝敗退
天皇杯:準決勝敗退

 モンバエルツ体制2年目、アデミウソンが期限付き移籍期間満了にともなってサンパウロに復帰したのちにガンバ大阪へ移籍してしまう。やはり攻撃力不足の解消が課題で、補強ポイントにもなった。

 リーグ開幕後にフラメンゴからブラジル人FWカイケ、ルーマニアのボトシャニからキュラソー代表FWマルティノスを獲得。彼らにかかる期待は大きかったが、前者は大きな失望だけを残し、後者はなかなかフィットせず苦しんだ。

 チームも序盤に3連勝があるなど好スタートを切ったが、徐々に勝てなくなり、4月下旬から3連敗を含む5試合勝ちなしという時期も。結果的に1stステージは6勝4分7敗と負け先行で10位に沈んだ。堅守速攻のスタイルは確立しつつあったものの、前年に比べやや失点が増え、攻撃力不足は改善されないままだった。

 だが、一転して2ndステージは攻撃面に大きな改善が見られ、32得点19失点の成績で7位に。第1節から3連勝、さらに8試合負けなしという快進撃もあり、最終的には7勝8分2敗で終えた。それでも勝ちの数が伸び切らず年間順位は前年度を下回る10位に終わった。一方でカップ戦はYBCルヴァンカップと天皇杯でともに準決勝進出を果たした。

 6年連続でキャプテンに就任した中村俊輔は、1人のスターに頼らない新しいチーム作りを進める中で徐々に居場所を失っていった。リーグ戦は19試合出場で4得点と不本意なパフォーマンスに終わり、結果的にシーズン終了後にジュビロ磐田への移籍を決断することになる。

 新たな得点源として期待されたカイケは4得点に終わり、私生活における奔放さやチームの規律を乱す行為が続いて信頼を失った。その中で齋藤学が10得点を挙げる活躍でJ屈指のアタッカーとしてブレイクを遂げ、後半戦大卒ルーキーのFW富樫敬真や3年目の天野純が頭角を現し、のちにキャプテンを任される生え抜きの喜田拓也も主力に定着。

 またシーズン終了とともに中村俊輔のみならず、小林祐三、兵藤慎剛、榎本哲也という功労者たちが相次いで退団したことで、より一層世代交代の空気を感じさせた。

–10番は齋藤学の背中に(2017年)

【シーズン成績】
明治安田生命J1リーグ:5位
YBCルヴァンカップ:グループリーグ敗退
天皇杯:決勝進出

 中村俊輔が磐田へ移籍した後、キャプテンの腕章を受け継いだのは齋藤だった。自ら偉大な前任者が着けていた10番の継承を志願して、チームの顔となった。

 外国籍選手の補強もヨーロッパ路線に舵を切り、1860ミュンヘンからオーストラリア代表DFミロシュ・デゲネク、レッドスター・ベオグラードからポルトガル人FWウーゴ・ヴィエイラとマケドニア代表MFダビド・バブンスキーを獲得した。

 さらに柏レイソルから山中亮輔、アルビレックス新潟から松原健、名古屋グランパスから扇原貴宏と即戦力の日本人選手たちも獲得。モンバエルツ体制3年目で堅守速攻に磨きをかけつつ、直近3年間で最高となるリーグ戦5位でフィニッシュした。

 前半戦は3連敗もあるなど、なかなか継続して結果を出せず苦しい戦いだった。それでも後半戦はわずかに4敗で、連敗も一度だけ。17勝8分9敗という成績で、モンバエルツ体制では最高の5位。カップ戦ではYBCルヴァンカップこそグループリーグ敗退に終わったものの、天皇杯では2013年以来となる決勝進出を果たしてタイトル獲得に目前まで迫った。

 キャプテンに就任した齋藤は、その重圧にも苦しんで初ゴールは第26節の柏レイソル戦まで待たなければならず。一方で2年目のマルティノスが快足を生かしたドリブル突破と高精度のクロスで猛威を振るい、リーグ戦で5得点6アシスト。新戦力のウーゴ・ヴィエイラも10得点と存在感を示し、松原や山中、デゲネクも最終ラインの主力に定着してチームに大きく貢献した。

 誤算だったのは、やはり齋藤の長期離脱だろう。リーグ戦初ゴールを挙げた直後の第27節、ヴァンフォーレ甲府戦で右膝前十字靭帯損傷の重傷を負い、全治まで約8ヶ月と診断されたことでシーズン中の復帰は絶望に。その後、10番を背負ってキャプテンを引き継いでわずか1年で育成組織時代から過ごしたマリノスを離れ、神奈川県内のライバルクラブ、川崎フロンターレへの移籍を決断した。

 また、シーズン終了とともにモンバエルツ監督が退任。攻撃の核だったマルティノスが浦和レッズへ移籍することになった。

–ポステコグルー改革の幕開け(2018年)

【シーズン成績】
明治安田生命J1リーグ:12位
YBCルヴァンカップ:決勝進出
天皇杯:4回戦敗退

 モンバエルツ監督の後任に就任したのは、オーストラリア代表監督を務めた経験を持つアンジェ・ポステコグルー監督だった。超攻撃的な哲学を持つギリシャ系オーストラリア人指揮官はさっそくチームスタイルの大転換に着手する。

 最終ラインの設定を極めて高くし、徹底的にパスをつなぐ攻撃サッカーは、それまでのモンバエルツ監督が築いてきたスタイルとは真逆に近いものだった。その中で、仲川輝人が大ブレイクを果たし、生え抜きの遠藤渓太も主力に定着。ウーゴ・ヴィエイラも前年を上回る13得点で攻撃陣をけん引した。

 それまで得点力が課題だったチームは、リーグ2位の56得点を記録。ところが逆に守備が安定感を失い、リーグワースト3位の56失点。勝ち星もなかなかつかず、最終盤まで残留争いに巻き込まれてしまう。その最中、夏にFC東京から久保建英が期限付き移籍で加入し、2013年途中から続いていた中澤佑二のJ1連続フル出場記録が178試合で途切れた。

 全試合を終えて勝ち点41で12位から16位までに5チームが並び、得失点差でマリノスは12位となり、16位の磐田がJ1参入プレーオフへ。自動昇格の17位・柏レイソルとも2ポイントの僅差で、ぎりぎり降格の危機を回避することができた。リーグ戦の負け越しは2006年以来、12年ぶりという屈辱的なシーズンとなってしまった。

 それでもYBCルヴァンカップで2001年以来となる決勝進出を果たし、カップ戦では2年連続で決勝の舞台に。スタイルの大転換で苦しむ中、次のシーズンにつながる希望も掴みつつポステコグルー体制1年目は幕を閉じた。そして膝の負傷に苦しめられていた中澤はリーグ最終節で復帰を果たし、その試合を最後に現役引退を表明した。

–15年ぶりのJリーグ制覇(2019年)

【シーズン成績】
明治安田生命J1リーグ:1位
YBCルヴァンカップ:グループリーグ敗退
天皇杯:4回戦敗退

 雌伏の時を経て、ポステコグルー監督による改革の成果が花開いた。爆発的な攻撃力を武器に勝利を積み重ねたマリノスは、最終節でFC東京を振り切って15年ぶりのJ1リーグ制覇を果たすことになる。

 中澤が引退し、久保がFC東京に復帰。伊藤翔が鹿島アントラーズへ、山中が浦和へと移籍するも、新たに獲得した選手たちが輝いた。

 フルミネンセから加入した元ブラジルU-20代表FWマルコス・ジュニオールは、仲川とともに15得点を挙げてリーグ得点王に。バイーアから獲得したエジガル・ジュニオは負傷離脱するまでにリーグ戦16試合出場11得点。FC琉球から加入のGK朴一圭や徳島ヴォルティスから加入した広瀬陸斗といったJ1初挑戦の新戦力も主力に定着した。

 夏には天野と三好康児がベルギーへの移籍を決断するも、シーズン途中から加入したマテウスやエリキが攻撃陣を引っ張る活躍でエジガルの負傷離脱も含め穴を埋める以上の大活躍を披露した。マルコス・ジュニオールをトップ下に据える4-2-3-1が定着してからは圧倒的な戦いぶりでマリノスがリーグを席巻する。

 終盤の11試合は7連勝も含む、10勝1分。シーズンを通して見ても22勝4分8敗の勝ち点70でJ1を制した。他を圧倒する68得点の攻撃力のみならず、全シーズンに課題だった失点数を「38」に抑えてポステコグルー監督の志向するアタッキング・フットボールの1つの完成形を導き出した。

 その過程でセンターバックの主力に定着した畠中槙之輔が抜群のパスセンスを武器に日本代表に定着し、シーズン後に遠藤や仲川もA代表デビュー。異次元のスピードと対人の強さで猛威を振るったチアゴ・マルチンスはJ1最高のセンターバックという評価を確立した。

2020/03/21 横浜北西線開通 喜びの声、続々 「北西線で日産スタジアムへ」 元横浜F・マリノス 中澤佑二さん | 青葉区 | タウンニュース

 「本当に便利になりますね。横浜北西線がもう少し早くできていたら、マリノスの遠征も楽だったのに(笑)」。Jリーグの横浜F・マリノスに17年間所属し、W杯に2大会連続出場、1年前に現役を引退した中澤佑二さん(42)。本紙では中澤さんに特別インタビューを行い、最近の活動や横浜北西線開通への期待を聞いた。

 ―引退後も様々なスポーツの普及活動やテレビ出演など精力的に活動されていますね。

 「今は頂いた仕事を何でも全力で取り組んでいます。サッカーではいろいろ経験しましたが、これまでの自分のイメージと違うことにも挑戦しています。新しい世界でいろいろ体験できて、とても楽しく仕事させてもらっています」

 ―ラクロスの指導や普及にも尽力されているそうですね。

 「はい。まだまだ分からないことが多いですが、日々勉強の気持ちでラクロスと向き合っています。サッカーや野球と違って、ラクロスをやる環境はまだまだ十分ではないですが、これからの子どもたちのためにも自分が関わることで、少しでも環境を改善できたらと思っています」

 ―マリノスに17年間所属し、横浜にもゆかりが深い中澤さんですが、お気に入りスポットなどはありますか?

 「日産スタジアムのある新横浜周辺はもちろん、クラブハウスのあったみなとみらいもやっぱり特別な場所ですね。横浜には公園や緑も多いですし、ズーラシアや八景島シーパラダイスも好きですね。横浜北西線があれば市内の移動もより便利になるので、今まで以上にいろいろな所に行ってみたいですね」

 ―昨季は横浜F・マリノスが15年ぶりにリーグ優勝し、今季も期待がかかります。横浜北西線ができれば県西部からのサポーターもスタジアムに来場しやすくなります。

 「横浜FCもJ1に復帰しましたし、神奈川ダービーも一層盛り上がるでしょうね。県西部からも沢山のサポーターが横浜北西線を経由して、日産スタジアムに応援にきてもらえたらと思います。私もラクロスの遠征や買い物など東名を使って静岡方面にも行きやすくなりますし、開通を本当に期待しています」

 
 

 
  

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