夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/11/20) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/11/20(水)Twitterのトレンド入りなるか)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

12/7(土)FC東京戦新商品発売のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(タオマフは無し(定点 )
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開)
 
 

Twitter / Instagram


 
 

Webニュースログ

2019/11/20 【日本代表】ベネズエラに4失点を喫し敗北~DF畠中槙之輔「あの時間帯は余裕がなかった」 – ベースボール・マガジン社WEB

–「自分の持ち味だけでは残っていけない」

 よもやの連続失点だった。前半8分、ベネズエラのストライカーであるサロモン・ロンドンに先制ゴールを許すと、30分からは8分間で3失点。前半を終えて、0-4と大きく引き離された。代表戦4試合目の出場となったセンターバックの畠中槙之輔は、苦しい前半を次のように振り返る。

「自分たちの時間をなかなか作れなかった。苦しい時間をしのいで、ボールを取っても、(ここから)攻撃というときにまたすぐに取られて、カウンターを食らったりということが重なった。それを修正していかなければいけないけれど、うまくできなかったと思います。その中でも、やっぱり自分たち(守備陣)が守らなければいけない」

 特に30分からは悪夢のような8分間が訪れた。30分(ロンドン)、33分(ロンドン)、38分(ソテルド)と、続けざまに3失点。

「立て直す時間というか、余裕が、あの時間帯は自分たちになかった。それで、ああやって失点を重ねてしまいました。(声を)出し合っていなかったわけではないけれど、もっと後ろの人、前の人、横の人と選手間で話し合って、解決しなければいけないのかなと思いました」

 ただ、後半は持ち直し、無失点でしのいだ。69分にはMF山口蛍がゴールを決めるなど、シュート数でも7本対2本と圧倒。同点に追い付くことはできなかったが、日本代表選手としての意地を見せた。

「前半はああいう展開になりましたが、後半は切り替えて(臨んだ)。(森保一監督が)『日本を代表して戦わなければいけない』ということを強調していたし、それは選手にもすごく伝わってきました。前半に4点も取られていたので、しっかり反省して後半につなげようと、自分たちでも話していました」

 畠中は、チーム内でそのようなやり取りがハーフタイムであったことを明かす。苦境の中でも逆転勝利を目指して、監督、スタッフ、そして選手同士の結束を強めた。

 結果は1-4。畠中は特に“4失点”を重く受け止め、自らのレベルアップを期す。

「失点をしてしまったことは自分たち(守備陣)にも責任があるので、もっと自分の能力を上げなければいけない。縦パスは自分の持ち味ですが、それだけでは(代表に)残っていけないし、ディフェンスなので何よりも目の前の相手に点を取らせないということ、失点をしないように体を張ることが、とても大事。今日、あらためて実感したので、それをまた意識して、まずはJリーグで自分の持ち味を出し、足りない部分を補って、ハイパフォーマンスを続けていきたいです」

 J1で優勝争いを繰り広げるチームを支えるセンターバックは、日の丸戦士としての自覚を胸に、横浜の地でのさらなる成長を誓った。

取材◎小林康幸

2019/11/16 大和市/大和市出身のF・マリノス選手らが子どもたちと一緒にサッカーを楽しみました!

 大和市は16日、本市をホームタウンとして活動する「横浜F・マリノス」と連携し、「大和市エンジョイサッカーイベントwith横浜F・マリノス」を大和なでしこスタジアム(大和スポーツセンター競技場)(大和市上草柳1-1-1)で開催しました。

 大和市は、平成29年4月から「横浜F・マリノス」のホームタウンとなり、ホームタウンとして同チームを応援すると同時に、本市と連携したイベントを定期的に開催しています。今回のイベントは、プロサッカークラブが地域で直接指導することで、サッカーへの関心を高めるとともに、大和市がF・マリノスのホームタウンであることを内外に知ってもらうことを目的に、昨年から実施しており今回が2回目の実施となりました。

 今年は、現在横浜F・マリノスのトップチームに所属している高野遼選手と中川風希(かざき)選手、マリノスサッカースクールスタッフなどが参加し、市内在住の4歳~小学6年生約100人と一緒にサッカーを楽しみました。高野遼選手は、市内の小・中学校、高校を卒業している、大和市出身の選手です。

 スタッフやマスコットキャラクター・マリノスケとともにボールを使ったウォーミングアップを終えた所で、高野選手と中川選手が登場。サッカー少年・少女は目を輝かせて喜び、拍手で2人を迎えました。その後、全員入り乱れてのドリブル練習が始まると、2人のプロ選手によいプレーを見てもらおうと、子どもたちはキレを増した動きを見せていました。

 次に、両選手がプレーを披露。中川選手はドリブルで3人の子どもたちと対決をし、高野選手は左サイドからゴール前にクロスボールを上げました。両選手の華麗なプレーに、子どもたちは楽しそうな声を上げ、驚いた様子でした。

 その後、年齢ごとに3つのグループに分かれてミニゲームを開始。高野選手と中川選手は各グループを順に回りながら参加しました。2人の選手が、たくさんの子どもたちの間を縫うように抜けていくドリブルや、遠く離れた場所を狙ってきれいな放物線を描く正確なキックを見せると、参加者の保護者からも歓声が上がりました。積極的にボールを追いかける子どもたちも、高野選手と中川選手も、自然と笑顔が溢れ、全員でサッカーを楽しみました。

 最後に、高野選手は「みんなとても元気にサッカーをしていたので、これからも頑張って、F・マリノスの選手になってください」とエールを送りました。

 このイベントに参加した市内在住の高瀬圭吾さん(西鶴間小5年、11歳)は両選手とプレーした感想として「2人ともキックのスピードがとても速くて、自分との差を感じました。フォワードなので、キック力をつけて、もっとシュートを決められるようになりたいです」と話していました。

2019/11/20 かつて横浜FMや柏で活躍…元Jリーガーのユ・サンチョル氏がステージ4の膵臓がんを告白 | Goal.com

かつて横浜F・マリノスや柏レイソルでプレーし、現在は仁川ユナイテッドの指揮官を務めるユ・サンチョル監督が、ステージ4の膵臓がんであることが分かった。仁川のクラブ公式サイトが同監督のコメントを掲載している。

同監督は19日にクラブを通じて膵臓がんを患っていることを告白。「様々な噂が流されている私の健康状態に関して、私が直接ファンの皆さんに申し上げなければならないという判断ができた」ため、報告に至ったことを説明した。

体調に異常を感じたのは「今年の10月中旬頃」であったという。「体に黄疸症状が現れるなど、異常な兆候が発生したため、直ちに病院を訪ね、精密検査を受けた」。検査の結果、「膵臓がんのステージ4」を告げられた。本人は「受け入れがたい診断だった」と、当時の心境を振り返っている。

それでもこの事実を「受け入れなければならなかった」とユ監督。「私のために選手たちとチームに迷惑をかける姿を見せたくなかった」と続け、「初めて仁川の監督に就任したとき、私は仁川のファンの皆さんに『必ずKリーグ1に残留する』という約束をした。そして、城南FCとのアウェイゲームを終えて病院に向かう前には、選手たちに『早く治療を終えてグラウンドに戻る』という約束もした」ことが、強く心に残っていることを明かした。

今後も「並行して治療を続けなければならない」が、同監督は「(仁川での)任務を全うすると同時に、選手やスタッフたちと一緒にグラウンドの中で過ごしながら、私自身も力をもらいたい」と強い言葉を発信。そのうえで「ファンとの約束を守りたい」と、Kリーグ1残留へ全力を尽くすことを誓っている。

「残り2試合はファンの皆さんが送ってくれた声援に報いるため、監督として最善を尽くすことをもう一度約束する。サッカー人としてのプライドを懸け、Kリーグ1残留に向けて最善を尽くす。ファンの皆さんが最後までクラブを信じて応援してくれるように、私も最後まで諦めない。『やれる』というポジティブな力で病魔と闘い、勝ちます」

ユ監督は現役時代、99年に横浜FMへ加入すると、00年に1stステージ優勝を経験。翌年には柏へ加入し、ファン・ソンホンやホン・ミョンボといった韓国代表選手とともにプレー。一度古巣の蔚山現代へ戻ったものの、03年に再び横浜FMに復帰。主力として36試合に出場し、1stステージと2ndステージを制覇。チームの年間優勝に大きく貢献した。また、韓国代表としても98年と02年のW杯に出場している。06年の引退後は、指導者として活躍していた。

2019/11/19 「日本はレベルの高い国」 東京五輪を目指す19歳日系人を直撃「いつかJリーグでも…」 | Football ZONE WEB/フットボールゾーンウェブ

–【日系ペルー人の挑戦|Part1】2017年にJ1横浜FMの練習に参加したアオキ ペルー2部でボランチとしてプレー

 地球の裏側、南米から祖国日本で行われれる2020年東京五輪への出場を目指す日系ペルー人がいる。MFアンソニー・タダシ・アオキ・ナカマ。ペルーでは年代別代表でも活躍し、現在は同国2部ウニオン・ウアラルでボランチとしてプレーする19歳を直撃した。

 日本人の顔立ちながら、足技もあり、プレーはペルー人そのもの。抜群のポジショニングと広い視野で中盤の底からボールを前線に運ぶ。サイドチェンジも得意で、正確なロングボールでカウンターの起点となるアオキ。179センチ、72キロとまだ体は細いが、グラウンドコンディションが悪いペルーのピッチで、その存在を光らせている。

 アオキは日系人の両親を持ち、曽祖父が日本人の日系4世。かつて移民として日本からペルーに移り住んだ開拓者の子孫だ。首都リマにある日系ペルー人のサッカークラブ、AELUでプレーしていたが、15歳で名門スポルティング・クリスタルと契約。今年1月にエクアドルのエメレクとの練習試合で、18歳にしてプロデビューを飾った。

 その後は怪我で戦列を離れたが、8月に行われたリーグ戦、ウニオン・コメルシオ戦で公式戦初のベンチ入り。そして同国2部ウニオン・ウアラルにレンタル移籍となり、9月のコメルシアンテス・ウニドス戦で公式戦デビューを飾った。

「父も兄弟もいつもサッカーをしていたし、子供の頃からサッカーが好きでした。サッカー選手になる以外の選択肢はなかったですね」

 2010年の南アフリカ・ワールドカップ(W杯)で、スペイン代表MFシャビ・エルナンデスの虜になった。

「ポジショニングが良く、常にパスの選択肢を複数持っている。良く動くし、ボールも失わない。ああいう選手になりたいと思った」

 中学を卒業すると高校には進学せず、通信教育を選び、サッカーに専念する環境を整えた。まだまだ遊びたい年頃だが、「サッカー選手として成功するためには多くのことを犠牲にしなければならない」と自分に厳しい。

 クリスタルの下部組織でもキャプテンマークを巻いてプレーしており、「主将を務めるようになって、ピッチでより声を出すようになった」という。ペルーでは週末の試合も午前中や午後の早い時間に行われることも多く、「週末でも常に早く寝るようにして、試合の日の夜も睡眠を十分にとって体力回復に務める。サッカーは一番好きだし、試合でベストなプレーをできるようにするために、食事、体のケア、睡眠、筋力トレーニングなど必要なことを習慣化する。それが自分の将来につながると信じています」と、プロ意識も高い。

3週間の練習参加のため初来日 「日本のことは映像で見たり話を聞いたりして知っていた」
 代表歴も豊富だ。U-13で初めて年代別代表に選ばれると、その後はU-15、U-17と順調にステップアップを重ねてきた。そして2017年に行われたU-17南米選手権には主将としてキャプテンマークを巻いて全4試合にフル出場。4連敗で1次リーグ敗退となったが、「どんな時も落ち着いてプレーすることの大切さを学んだ」と言い、強豪がひしめく南米で国際大会を経験できたことは大きなプラスとなった。

 同年には、J1リーグ横浜F・マリノスの練習にも約3週間参加した。U-17南米選手権を視察したマンチェスター・シティ関係者の目に留まったことがきっかけだった。アオキは母親が日本のパスポートを持っていることから、自身もペルー国籍だけでなく日本国籍も有する。外国籍選手枠に関係なく日本人としてプレーできることから、シティが資本提携している横浜FMに打診。練習参加が実現した。

 人生初の来日だった。

「日系の家庭で育ったので、日本のことは映像で見たり話を聞いたりして知っていた。だから日本に着いて、日本という国に驚くことはなかったです。でも練習に参加してみて、スピーディーなサッカーに最初は驚いた。プレッシャーも厳しいし、よく走る。すごくレベルの高い国だと感じました。力強いプレーで日々上達しなければいけないと思った。日本語は話せないので、ピッチで他の選手とコミュニケーションを取ることには苦労したけど、とてもいい経験になった。3週間はあっという間でした」と振り返る。

 U-13で初めてペルー代表のユニフォームに袖を通して以来、代表でもステップアップしていくことを目標にしてきた。まだU-23代表に選ばれたことはないが、次なる目標は来年行われる東京五輪だ。

「代表のユニフォームを着るたびに喜びを感じている。これまで年代別代表に選ばれてきたことは嬉しく思っているし、この先も代表のユニフォームを着続けたい」

 昨年のロシアW杯では、ペルー代表も36年ぶりに本大会に出場。世界で戦う先輩たちの勇姿は大きな刺激となった。

–夢は東京五輪経由で世界へ 「いつかイングランドに行きたい」
 東京五輪出場チームを決める南米予選は、来年1月にコロンビアで行われる予定だ。南米の出場枠はわずか「2」。ブラジル、アルゼンチンなど強豪がひしめく予選を突破するのは簡単ではないが、ペルーは初出場を目指す。東京五輪開幕を20歳で迎えるアオキも、「代表のユニフォームを着て、世界大会で戦いたい。もちろん東京五輪にもチャンスがあれば出たい思いは強い。まずはチームで試合に出て存在をアピールし、代表に選ばれるように頑張りたい」と、声を弾ませる。

 所属するウニオン・ウアラルのホルヘ・エスペホ監督は、「アオキは非常に才能がある選手。キックも正確だし、ポジショニングもいい。五輪代表だけでなく、将来フル代表に選ばれる可能性も十分ある。それだけのポテンシャルを持っている選手。チームでも期待している」と、アオキの才能を高く評価する。

 かつて柏レイソルに所属し、現在はウニオン・ウアラルでチームメートのMF澤昌克も、「視野が広く、サイドチェンジが得意で、すごくいいボールを蹴る。ペルーには今、どのチームにもいるくらい日系人のサッカー選手は多いのですが、彼はその中でも将来性がある選手。AELUでプレーしていた時も、彼がいた時は最強の世代と言われていて、その中心選手だったんです」と明かす。

 ペルーのサッカーは日本と比べて運動量が少なく、ボールを走らせるサッカーが特徴だが、そのなかでもアオキは豊富な運動量で中盤の底で相手の攻撃の芽を摘み取る。日本名「タダシ」の漢字を聞くと、「う〜ん、知らないんです」と恥ずかしそうに答えたが、「労を惜しまないプレーができるのは、勤勉な日本人の血を受け継いでいるからかもしれませんね」と、控え目に胸を張った。

 将来の夢は海外でプレーすること。

「イングランドが世界で最もレベルが高いと思うので、いつかイングランドに行きたい。もちろん日本でもプレーしたい。日本語は話せないけど、日本国籍も持っているので日本人としてプレーできる。Jリーグはレベルが高いので、自分が成長できる場所だと思う」

 東京五輪、Jリーグ、そしてイングランド――。高い目標を掲げるアオキは、ペルーから日本経由で世界へと羽ばたく自身の姿を夢見ている。

(福岡吉央 / Yoshiteru Fukuoka)

2017/07/25 [練習に参加と報道]Anthony Aoki(アンソニー アオキ)@スポルティング・クリスタルU-19/U-17ペルー代表[2017-2018 移籍/新加入/契約更改]
 
 

 
 

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