[名古屋への完全移籍を発表]金井貢史(かない たかし)[2017-2018 移籍/新加入/契約更改]


金井貢史(かない たかし)[2018-2019 移籍/新加入/契約更改]

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2018/07/25 金井貢史選手 名古屋グランパスへ完全移籍のお知らせ | 横浜F・マリノス 公式サイト

2018/07/25 金井 貢史選手 移籍加入のお知らせ|ニュース|名古屋グランパス公式サイト

2018/08/14 マリノスが失った金井貢史という太陽。万能性だけでない稀有な存在価値、仲間たちに託した道標 | フットボールチャンネル
 
 

2018/07/25 金井貢史選手 名古屋グランパスへ完全移籍のお知らせ | 横浜F・マリノス 公式サイト

横浜F・マリノス所属の金井貢史選手が、名古屋グランパスへ完全移籍することが決まりましたので、コメントと併せてお知らせいたします。

金井貢史選手コメント
「この決断は私にとって簡単ではありませんでした。憧れのトリコロールのユニフォームを再び着られた時の感動は忘れられません。どんな時も支えてくれたファンサポーターの皆さま、ありがとうございました。そしてF・マリノスに関わる全ての方々に感謝します。本当にありがとうございました。」

2018/07/25 金井 貢史選手 移籍加入のお知らせ|ニュース|名古屋グランパス公式サイト

標記の件、横浜F・マリノスより金井 貢史選手が完全移籍で加入することが決定いたしました

◇コメント
「名古屋グランパスに関わる全ての皆さま、はじめまして。この度、横浜F・マリノスから加入する事になりました金井貢史です。
熱く強いオファーを受け ひとりのサッカー選手として心を動かされました。熱いプレーでグランパスの為に闘います。これからよろしくお願いします!」

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先月25日、横浜F・マリノスはDF金井貢史の名古屋グランパスへの完全移籍を発表した。下部組織出身で、2016年に復帰してきた万能戦士は、ピッチ上のユーティリティ性だけでなく、ピッチ外でもチームに欠かせない存在価値を示し続けてきた。稀有な才能を持つ28歳が、15日に古巣のホームに帰ってくる。(取材・文:舩木渉)

–CBにも挑戦。チームに欠かせない存在だったが…

 練習場に行くと、この3週間ほどは以前に比べて少し静かだと感じる。たった1人がいなくなるだけでこうも変わるのか、と。心にぽっかり大きな穴が空いたというのは言い過ぎかもしれないが、確実に何かが欠けているような感覚がある。

 金井貢史の横浜F・マリノス退団は、まさに寝耳に水だった。7月25日に発表された名古屋グランパスへの完全移籍。それまで愛着あるクラブを去るような素振りは全く見せていなかったし、移籍に向けた交渉が進んでいたであろう時期にも、話を聞けばチームや自分自身を鼓舞するように明るく振る舞い、時に厳しい言葉も残していた。

「センターバックだろうが、やるべきことに全力を尽くす」

「背が低いことは言い訳にならない。低いなりのやり方もある」

「(中澤)佑二さんと遜色なくやらなきゃいけない」

 今季、いつも口癖のように話していた言葉だ。チーム事情で本職ではないセンターバックでの起用が増え、難しい役割をこなそうと懸命に努力していた。ただ、左右のサイドバックでもセンターバックでも2番手以下の評価だったのは事実。マリノスを退団するまで、今季はYBCルヴァンカップこそ8試合に出場していたものの、リーグ戦は6試合出場にとどまっていた。

 とはいえ頭数の揃わないセンターバックの穴を埋め、時に本職のサイドバックでも安定感抜群のプレーを見せる28歳は、戦力的にも戦術的にも重要な役割を果たしていた。

「試合に出るためにどのポジションでも全力を尽くして、チームのために頑張っていけば自分のためにもなるし、自分のために頑張ればチームのためにもなる」

 金井はある時そう言った。まさに「全力」を体現し続けたことが生んだ、彼の存在価値こそが失われた宝物だったのかもしれない。同じくマリノスの下部組織出身で、若い頃から金井のことをよく知る飯倉大樹は「昔と比べたら、家族ができて、いろいろなチームに移籍して、あいつなりに大人になってきた。若い頃よりも自分の存在意義をすごく理解して、ここ数年マリノスにいろいろなものを還元していたから、すごく成長したなと思っていた」と語った。

–ユーティリティ性だけでない多大な貢献

 ピッチ内では、やはりユーティリティ性が大きな武器だった。「左も右もセンターバックもできる選手はJリーグを見てもなかなかいない」と飯倉が言えば、マリノス育ちのベテランDF栗原勇蔵も「元々賢いし、サッカーのセンスもあったけど、間違いなく移籍するまでの貢史は選手人生で一番脂の乗った、いい選手になっていたと思うし、そういう意味ではまだまだレベルアップすると思う」と後輩の成長に目を細めた。

 2008年にユースからマリノスのトップチームに昇格し、2013年からはサガン鳥栖へ移籍。2015年のジェフユナイテッド市原・千葉在籍を経て、2016年に古巣マリノス復帰を果たした。その間にはJ2も経験し、大きな武器となるマルチなタレントや攻撃的なプレーに磨きをかけてきた。

 もう1つ見逃せないのは、チームのムードメーカーとしての存在価値だった。苦しい時でも一番大きな声を出しているのは、いつも金井。6月末に新潟県十日町市で行われたキャンプ中も、酷暑で疲労も溜まり、暗くなりがちな練習でうるさいほど声を張り上げていた。もちろん手を抜いたり、弱気なプレーをしたりすれば、それが誰であろうと大声で叱りつける。強気のパーソナリティは見えないところでチームを支えていた。

「選手っていろいろな価値があって、その中で貢史はムードメーカーだったし、毎朝練習する前に、ロッカーだったり、チームであいつが若いやつをイジることによって、みんな明るくなっていた。寂しい気持ちがすごくあるけれども、あいつが持っているマリノス仕込みのいいものはたくさんあった」(飯倉大樹)

「チームにとっても元気印というか、常に前向きなオーラを発している選手がいなくなるというのは影響は少なからずあると思う。貢史くんはそういうパーソナリティを持った人だったし、みんなを元気に明るくできるような人でもあった」(喜田拓也)

–チームの結束力を高めたピッチ外での振る舞い

 そして、積極的な「後輩イジり」がベテランと若手の間をつなぐ架け橋にもなっていた。とにかく後輩思いで、「貢史くん」との思い出が、若い選手たちの口から溢れるように出てくる。

 金井にとって1歳下、大卒でプロ入りした天野純は出場機会に恵まれなかった頃を「試合に出られない時も一緒に居残り練習していましたし、あの人がいたからこそ、あの時間もしっかり耐えてやれたと思う」と振り返った。

 喜田拓也はユース時代の2012年から、金井が再加入した2016年に繋がった思い出を胸に秘めてプレーし続けている。

「僕が高3くらいの頃、トップチームの練習に参加して、貢史くんがセンターバックで、俺がサイドバックでやっていました。『本当に思い切ってやっていいよ』って、よく声をかけてくれて。サイドバックとセンターバックの関係だったので、それはよく覚えているし、本当に思い切りやらせてくれる環境を作ってくれました。

 またマリノスで一緒に出来るとなった時に『すごくいい選手になったな』と言ってもらって、それがすごく嬉しかったのは覚えていますね。そうやって昔の姿を知ってくれている人が時間を空けてまた一緒にできることになって、そういうことを言ってもらえるというのはこれ以上ない喜びだったし、逆に言うとそういういい先輩に恵まれたおかげで、今こうしてマリノスというクラブでサッカーができているし、本当に感謝しています」

 金井の再加入と同タイミングでユースから昇格した遠藤渓太は「怒られたことも喧嘩したことも何度もあります」と述べ、「貢史くんがそうやって怒ってくれたから今があるし、怒ってくれていなかったら鼻が伸びていたかもしれない」と、常に自分を戒めてくれた偉大な先輩への感謝を述べた。別れ際には「オリンピックに行けよ」とエールももらったという。

–試合中に贈った「おめでとう」の一言

 後輩への面倒見の良さがよくわかるエピソードはまだまだある。経験の浅い若手に試合前から声をかけるのはもちろん、今季でプロ2年目にしてリーグ戦初出場から公式戦450分以上の出場が必要なプロA契約まで駆け上がった吉尾海夏は、「A契約になった時に一番最初に祝ってくれたのが貢史くんでした」と明かす。

「あと何分かでA契約という時に、貢史くんと試合に一緒に出ていて、プレーが切れた時にA契約に必要な条件を満たしていて、『おめでとう』と試合中に言われました。ピッチ内でもピッチ外でもいつも愛のあるイジりをしてくれたり、後輩思いでめっちゃいい人でした」

 もちろんマリノスの選手たちは、金井の移籍を惜しむだけでなく、「プロサッカー選手」として下した決断を十分に理解している。

 伊藤翔は「もちろん寂しい気持ちはあるけど、あいつの苦労や苦悩を僕らはわかっているし、あの決断をしたことに対しても、もちろん快く送り出せる。ここで育ってプロになった選手なわけだし、あいつ自身も横浜の街も好きだっただろうし、離れたくない気持ちはもちろんわかっていたけど、1人のプロサッカー選手として決断したと思う」と語る。

 喜田も「移籍するにあたって、貢史くんが何をどうやっているかも見てきたし、そこは僕自身も理解しているつもりではいるので、決断は尊重したいし、するべきだとも思う」と述べて先輩の旅立ちに近いを示した。

 名古屋の一員となった金井は、すぐ主力に定着し、さっそく結果も残した。11日に行われたJ1第21節の鹿島アントラーズ戦、左サイドバックで先発出場した“31番”は、見事なミドルシュートと、ゴール前のこぼれ球に鋭く詰めるFW顔負けの2ゴールでチームの勝利に大きく貢献。飯倉の言う「プレーは常に攻撃的で、守備者なんだけど守備者じゃない」という特徴を存分に発揮した。名古屋は金井の加入から3連勝で急激に調子を上げている。

–金井貢史はマリノスの太陽だった

 おそらくマリノスの選手たちも、その活躍に刺激を受けているだろう。移籍直後には栗原が「仲間でありライバルでもあったから、どういう形であれ彼が抜けて自分としては少なからずチャンスは回ってくる可能性もあるし、そういう時に『貢史がいなくちゃダメだった』と思われないように頑張らなきゃダメ」と言葉に力を込めていたが、他の面々もそれぞれが胸に熱い思いを抱いたはずだ。

 吉尾は「次は仲間としてではなく、相手として成長した姿をピッチで見せられるように。貢史くんを自分が抜いてゴールを決められるように努力し続けたいと思います。あとは自分しだい。貢史くんはピッチでずっと待っていてくれると思うので、すぐ追いつけるように頑張りたい」と目を輝かせていた。

 そう、再戦の機会はすぐにやってくるのである。15日にマリノスと名古屋は、金井にとって思い出深い場所に違いない日産スタジアムで対戦する。やたらと声の大きい“13番”が左胸のトリコロールのエンブレムを叩く姿はもう見られない。“31番”を背負って、古巣相手に恥ずかしい姿は見せられないと死に物狂いで向かってくるはずだ。

 金井はマリノスにとって、いつもどこかでエネルギーを生む太陽のような存在だった。溌剌とした振る舞いでチームを明るく照らし、見えないところでも別の場所をまばゆい光で暖めている。だが、今はもう新横浜のロッカールームにも、練習場にもその姿はない。きっと名古屋でも、すでに欠かせない活力源になっているだろう。

 ピッチ上ではチームを常に支える縁の下の力持ちで、ピッチ外では傑出したムードメーカーであり、後輩思いの良き先輩でもあった金井貢史。マリノスにとって“太陽”が去ったことによる損失は見た目よりもずっと大きいかもしれない。

 
 

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金井貢史 | ゲキサカ[講談社]

金井貢史 2018 選手データ | データによってサッカーはもっと輝く | Football LAB
 
 

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