[監督就任に基本合意と発表]Erick Mombaerts(エリク・モンベールツ)@ル・アーヴル(仏2部)[2014-2015 移籍/新加入/契約更改]


Erick Mombaerts(エリク・モンベールツ)@ル・アーヴル(仏2部)[2014-2015 移籍/新加入/契約更改]

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2014/12/11[Qoly]横浜F・マリノスと契約へ? ル・アーヴル監督が突如辞任
2014/12/12[スポニチ]横浜新監督候補にモンベール氏 U21仏代表など指揮、若手育成に定評
2014/12/13[スポーツ報知]【横浜M】モンベール氏、監督就任で合意「新しい挑戦にわくわく」
2014/12/16[横浜F・マリノス]来シーズンの監督に関するお知らせ
 
 

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2014/12/11[Qoly]横浜F・マリノスと契約へ? ル・アーヴル監督が突如辞任

12月10日、『L’Equipe』は「フランス2部にあたるリーグ・ドゥのル・アーヴルで監督を務めていたエリック・モンべールツ氏が辞任し、日本に向かう予定になっている」と報じた。

既にル・アーヴルはエリック・モンベールツ監督から「国際的なプロジェクトに参加するため、契約の解除を求められた」と発表しており、整合性のある報告がされている。

『L’Equipe』によれば、彼はマンチェスター・シティの国際プロジェクトの一環として日本の横浜に向かうだろうとのことであり、この情報が正しければおそらく横浜F・マリノスの可能性が高いと思われる。

エリック・モンベールツ氏は1955年生まれの59歳。プロ選手としては少しだけRCランスでプレーしたくらいで実績はないものの、引退後にパリ・サンジェルマンのリザーブチームで指導者としてのキャリアを開始。

2001年に破産のために降格処分を課せられたトゥールーズの監督に就任し、その後3部、2部と連続でチームを昇格させた。その後はフランスU-18、U-21代表チームの監督を長く務め、2012年12月にル・アーヴルの指揮官に就任していた。

なお、書かれているのはシティのプロジェクトで横浜に来るというだけで、監督になるのかどうかは定かではない。

しかしもし監督になるのであれば、1999年にガンバ大阪を率いたフレデリック・アントネッティ氏以来のフランス人指揮官となる。また、JFLまでカテゴリーを広げれば2008年にFC琉球を率いたジャン=ポール・ラビエ氏が最後である。

マンチェスター・シティは今年5月に横浜F・マリノスに資本参加しており、業務提携している関係にある。先日は新監督の選考でもマンチェスター・シティと連携していくという報道がされており、その一環としてモンベールツ氏が抜擢された可能性が考えられる。

2014/12/12[スポニチ]横浜新監督候補にモンベール氏 U21仏代表など指揮、若手育成に定評

 横浜の来季監督にフランス2部ルアーブルの前監督であるエリック・モンベール氏(59)が浮上した。フランス紙レキップが10日付で報じた。ルアーブルは同氏の申し出で契約を解除したと発表。レキップ紙は横浜と提携関係にあるマンチェスター・シティーの国際プロジェクトの一環として、横浜に向かうと報じた。

 モンベール氏は現役時代にアマチュアとしてプレーしたが、引退後の86年にパリSGのリザーブチームで指導者としてのキャリアをスタート。01~02年シーズンからトゥールーズの指揮を執ると02~03年シーズンには2部で優勝。その後はU―18、U―21フランス代表監督を歴任、若手育成にも定評がある。ルアーブルは12~13年シーズンから率いていた。

 横浜はACLなど今季5冠を目標に掲げながらも無冠に終わり、樋口監督の退任を11月15日に発表。マンCも傘下に置くシティー・グループの協力の下、後任監督の選定を行ってきた。当初はアデレード・ユナイテッド(オーストラリア)のジョゼップ・ゴンバウ監督ら約30人をリストアップし、絞り込みを続けていた。嘉悦社長は進ちょく状況に関し「第4コーナーを回り、最後の直線に入った。最終的には(候補と)会って細かい部分を詰めることになる」と大詰めであることを明かした。「トリコロール」と呼ばれる赤、白、青のチームカラーはフランス国旗の3色と同じ。就任が実現すれば、横浜はチームカラーになじみ深いフランス人指揮官の下で巻き返しを図ることになる。

 ◇エリック・モンベール 1955年4月21日、フランス中部シャントゥコック生まれの59歳。現役時代はアマチュアでMF。地域のテクニカルディレクターから86年にパリSGのリザーブチーム監督に就任し、87年にトップチーム監督へ昇格。ギャンガン、カンヌを経てトゥールーズの監督だった02~03年にフランス2部優勝。07年にU―18同国代表監督。08年からU―21同代表を率いたが、13年U―21欧州選手権出場を逃して解任。12年からルアーブルの監督を務めていた。

2014/12/13[スポーツ報知]【横浜M】モンベール氏、監督就任で合意「新しい挑戦にわくわく」

 サッカーのフランス2部リーグ、ルアーブルで監督を務めていたエリク・モンベール氏が12日、共同通信の電話インタビューに応じ、J1横浜Mの監督就任でクラブ側と合意したことを明らかにした。「まだ日本を訪れてはいないが、ビデオ会議で十分話し合った末に決めた。新しい挑戦にわくわくしている」と話した。(共同)

2014/12/16[横浜F・マリノス]来シーズンの監督に関するお知らせ

この度、横浜F・マリノスは、来シーズンの監督として、エリク・モンバエルツ氏と基本合意いたしましたので、お知らせいたします。

横浜F・マリノスは、2012年から積み上げてきた横浜F・マリノスのスタイルを継続し、更に進化させるという観点から、City Football Group(CFG)の協力体制のもと、グローバルに候補者をリストアップし、標準化された人選プロセスを経て、エリク・モンバエルツ氏との基本合意にいたりました。

エリク・モンバエルツ氏はフランスでのU-21代表監督歴をはじめ、ル・アーヴルAC、トゥールーズFC等のトップカテゴリーでの監督歴を含め、豊富な経験を持つ指導者であり、本合意を受け「横浜F・マリノスに加われることを大変光栄に思います。最高のゴールを決めるために、固い決意と、私の全ての情熱と思考をもって臨みます。F・マリノスの監督を引き受けることは、ファン・サポーターの喜びのために、全てのクラブスタッフと共に向き合うとても素晴らしい挑戦です。」と述べました。

本合意にあたり、横浜マリノス(株)代表取締役社長 嘉悦朗は「エリク・モンバエルツ氏が目指すサッカーは、横浜F・マリノスがこれまで構築してきたスタイルと方向性が同じであり、我々の強みである守備力を継続しつつ、課題である攻撃の質を高める方法論に精通している指導者であると確信しました。また、そのキャリアが示すように、ベテラン・中堅選手を尊重しつつ、若手を着実に育成する手腕を持ち合わせています。横浜F・マリノスのさらなる進化に最適の人物であると期待しています。」と述べました。

また、CFG傘下のCity Football Service(CFS)社長のブライアン・マーウッド氏は「今回、横浜F・マリノスの新監督選定プロセスをサポートできたことを、大変嬉しく思います。エリク・モンバエルツ氏の新監督就任は素晴らしい判断であると確信しています。エリク・モンバエルツ氏は魅力的なサッカーを志向しているので、彼と一緒に仕事ができることを、とても楽しみにしています」と述べました。

なお、来シーズンの方針、体制等に関しましては、1月18日(日)の新体制発表会にてお知らせいたします。

エリク・モンバエルツ (Erick Mombaerts)

■生年月日:1955年4月21日
■国籍: フランス
■コーチ資格:UEFA Pro License

選手経歴
1972年~1974年 R.Cランス
1974年~1977年 U.Sヌーウ
1977年~1982年 E.D.S.モンリュソン

指導経歴
1982年~1986年 フランスサッカー協会 地域テクニカルアドバイザー
1986年~1987年 パリ・サンジェルマン ユース アカデミーダイレクター/2ndチーム コーチ
1987年~1989年 パリ・サンジェルマン ユース アカデミーダイレクター/2ndチーム コーチ/監督
1989年~1990年 EAギャンガン 監督
1990年~1994年 ASカンヌ コーチ
1994年~1999年 フランスサッカー協会エリート育成センター カステルモルー校
アカデミーマネージャー
1999年~2001年 トゥールーズFC ユース/2ndチーム 監督
2001年~2006年 トゥールーズFC 監督
2007年~2008年 フランスU-18代表 監督
2008年~2012年 フランスU-21代表 監督
2012年~2014年 ル・アーヴルAC 監督

 
 

Webログ

[Wikipedia]Erick Mombaerts
 └ Google翻訳版

2014/12/15[フットボールチャンネル]研究熱心だが勝負弱い。マリノス内定のモンベール監督の実像に迫る。日本への適応性は?

▼『シティ絡みの案件で、行き先は横浜』

 公式発表はまだのようだが、横浜F・マリノスの次期監督に、フランス人のエリック・モンベール氏が内定している模様だ。

 青・白・赤のトリコロールをテーマカラーとするクラブに、フランス人監督は、イメージ的にもよく似合っている。

 モンベール氏は、リーグ2のル・アーブルで監督を務めていたが、10日水曜日、クラブの公式ツイッターが、『モンベールの、世界規模のプロジェクトに参画したい、という意志を受けて、クラブ側は辞任に応じた』と正式に発表した。

 2日前の月曜日に、モンベール自身が辞職を願い出たとのことで、フロントは承認しかねたが、『彼のもとに届いていたオファーが彼にとって非常に魅力的なものであることを理解し、引き留めることはできなかった』とクラブ側は話している。

 同日、レキップの電子版が、『マンチェスター・シティ絡みの案件で、行き先は横浜』と報じ、翌日の紙面には、『シティのフランス担当リクルーターの仲介で、シティの提携先クラブである横浜F・マリノスに入閣する』と、次の職場が横浜であることが明確にされていた。

 マリノス側からも、次期監督はシティのネットワークで探す、という情報が出ていたから、この人事にも合点がいく。

 この情報をつかんだのは、レキップTVの移籍関連情報の担当者で、この冬のメルカートネタを探っている間に得た情報らしい。

 モンベール氏は、1955年4月21日生まれの59歳。

 選手時代は、屈強なフィジカルを武器にしたミッドフィルダーだったが、プロクラブでプレーしたのは1シーズンのみ(ランス)で、29歳で指導者の資格を取得すると、早くからコーチ業のキャリアをスタートさせた。

▼戦術本も3冊出版。研究者として評価

 31才でPSGの育成所のコーチングスタッフとなり、3年後には当時2部にいたギャンガンの監督に就任。これは1年しか続かなかったが、初の指導者体験となった。

 その後職を得たカンヌの育成部門には、若きジダンもいた。

 そして、99-00シーズンから6シーズンにわたって、トゥールーズに在籍。最初は育成部門を担当したが、3年目にトップチームの監督に就任。

 当時は3部(ナシオナル)に所属していたが、1シーズンでリーグ2に昇格させると、翌年にはリーグ1にステップアップと、2シーズン連続で昇格を実現し、02-03シーズンには年間最優秀監督にも選出されている。

 トゥールーズをリーグ1で3シーズン率いたあとは、フランスサッカー協会に引き抜かれ、U-18監督を1年、U-21監督を3年務めた。そして2012年12月からは、先日まで籍を置いていたル・アーブルの監督、というのがここまでの略歴だ。

 モンベールは、体育教員の資格も持つ傍ら、戦術研究にも熱心で、戦術本もこれまで3冊出版している。また、地方の強化委員を務めた経歴もあり、若いタレントを発掘する才には長けている。

 よって、フランスでは、『指揮官』というより『研究者』『育成者』としての評価が高い。

 逆に監督としては、クラブチームでの戦績も、3部と2部リーグでの優勝を除いては、リーグ1でトゥールーズを3季率いた間の成績は16位、13位、16位、ル・アーブルも現在10位と凡庸だ。

 3年間監督を務めたU-21代表では、46試合で28勝11分7敗と、勝率は悪くないが、彼が率いた期間、フランスユース代表は、2009年、2011年、2013年と、3回連続して欧州選手権出場を逃している。

▼黄金世代を率いて選手をまとめきれず…

 2009年大会予選時には、現A代表の主将でGKのロリスや、マテュイディ、キャバイエ、シソコ、レミーらがいた。2011年大会予選のメンバーも、マンガラ、カプー、ゴナロン、ヤンガエムビワ等、タレントには不足していなかった。

 そしてプレーオフで出場を逃した2013年大会予選のメンバーは、バラン、カベラ、グリーズマン、ラガゼットなど、来年のユーロで活躍するであろう現代表の精鋭たち…と、これだけの逸材が揃っていた、ある意味黄金世代だったにも関わらず、欧州選手権出場を逃したのは、フランスユースサッカー史の七不思議とさえ言われている。

 しかも2013年のプレーオフ時には、考えられないような事件が起こった。

 出場権を賭けたノルウェーとのプレーオフ期間中、数人の選手が夜中に合宿所を抜け出して、パリのナイトクラブに出かけるというとんでもない悪事をやらかしたのだ。

 しかも合宿所があったのは、第1レグの会場だったル・アーブルで、フランス北東部にある海沿いのこの町からパリまではおよそ200kmの距離がある。

 第1レグを1-0で勝利した翌日のことだったが、その後ノルウェーに場所を移しての第2レグでは3-5と、痛恨の逆転負けで本戦出場を逃した。このことは、試合会場の名前をとって、『ドランメルの悲劇』とも呼ばれている。

 往復400kmも移動しての夜遊びで、選手達の体調が万全でなかったことは言わずもがなだが、選手にそのような隙を与えた、モンベールの監督としての威厳のなさが問われた一件だった。

 結果、首謀者のエムビラは約1年半の代表謹慎、グリーズマンらもそれぞれ謹慎処分を受け、モンベールは代表監督を解任された。

▼日本のメンタリティとフィットする可能性も

 しかし、同じ時期にA代表監督を務めていたドメネクの解任が決定的だったときには後任候補に名前が挙がったように、それなりに指導者としての手腕は評価されていて、協会の上層部に歯向かうような反骨心があるタイプでもない。

 サッカーに向かう姿勢は真摯で、戦術研究にも熱心なことから、日本での指導者には向いていると言えなくもない。

 ただ、あれだけのタレントを擁したチームで、欧州選手権予選のような正念場を勝ちきることができない、という指導力に関してはクエスチョンマークがつく。

 がしかし、かつて3部や2部で優勝経験があるように、逆にスター軍団ではないチームのほうが、指導しやすいのかもしれない。

 マリノスには、中澤佑二、中村俊輔を筆頭に多くのスター選手がいるが、フランスから来るモンベールにとっては、捉え方も違うだろう。

 U-21監督解任後、いまひとつ波に乗れていなかったモンベールにとっても手腕を発揮する格好のチャンスであることから、闘志がみなぎっているはず。

 日本のサッカーメンタリティと彼の指導力がどう結びつくか。良い結果に向かうことを期待したい。

 
 

(´-`).o0(Wikipediaによると、著書が3冊)
 
 

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