
(´-`).o0(鬼は外、勝点は内。)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
2026/02/03 ユース所属 藤井 翔大選手 NEXT GENERATION MATCH 2026 U-18 Jリーグ選抜メンバー選出のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(「NEXT GENERATION MATCH 2026」は、2月11日(水・祝)にニッパツ三ツ沢球技場で開催)
今日の練見(れんみ)
X(旧Twitter) / Instagramなど
明治安田&Jリーグより、#明治安田Jリーグウォーキングアプリ の「バトル企画後期」の2位表彰パネルを頂きました!✨
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました
次回も上位になれるように頑張りましょう!#fmarinos pic.twitter.com/VmBLp6Tc8P— 横浜F・マリノス【公式】 (@prompt_fmarinos) February 3, 2026
Webニュースログ
横浜F・マリノス 谷村海那選手独占インタビュー ! – YouTube
2026/02/03 「俺が折れたら終わり」喜田拓也は横浜F・マリノスの逆境にも逃げなかった。「人生において大切なものがたくさん見えた」【コラム前編】 | フットボールチャンネル
一時は最下位に低迷、多くの時間を残留争いに費やし、クラブ史上最低のリーグ戦15位という結果に終わった横浜F・マリノスの2025シーズン。苦境の中でも喜田拓也は、チームの象徴として、キャプテンとして、ひとりのプロサッカー選手として、クラブのあるべき姿を示し続けた。F・マリノス一筋14年目のバンディエラが走り切った先にみえたものとは。(取材・文:竹中愛美)
【単独インタビュー/取材日:1月25日】
— 喜田拓也が「人生をかけて繋いだ」2025シーズン
横浜F・マリノスにかかわるすべての人にとって、昨季は苦しいシーズンだったといっても過言ではないだろう。
それはチームの中心である喜田拓也にとっても例外ではない。いや、むしろそれ以上のものを背負っていたに違いない。
「なんか、一言で振り返れるほどの年ではなかったというか、本当にたくさんのことがありましたし、何から話せばいいのかというぐらい、たくさんのことが起きたので」
1シーズン制ではクラブ史上初の20位、クラブ史上ワーストのリーグ戦7連敗、2度の監督交代、相次ぐ選手の負傷離脱、これまでチームを支えてきた主力選手の移籍など、本当に様々なことが起こっただけに、喜田がこう話すのも無理はない。
「それでも逃げずにやってきた自負がある。なぜかと言うと、全部F・マリノスのためだと思って、もう本当にすべてをかけて、投げうってやろうと思っていたので。本当に文字通り人生をかけて繋いだ自負はある。その中で本当に多くの方々が助けてくれたり、支えてくれたりということがあった。
僕1人が頑張ったと言いたいわけではなくて、改めてこのクラブの存在価値や、素晴らしさみたいなものは、あの状況だからこそわかったこともあったのではないのかなと思う。僕自身もすごく人生において大切なものがある意味、たくさん見えた1年だったのかなと思います」
昨季は、イングランド代表やプレミアリーグのチェルシーでコーチを務めたスティーブ・ホーランドを招聘し、新システムの3バックに挑戦。
新たなスタイルを再構築しようとしたが、開幕から11試合を戦い、1勝5分5敗の18位と成績は低迷し、ホーランド監督は解任となってしまう。
— 一時は最下位に低迷。危機的状況の中、横浜F・マリノスが逆転残留できたのは…
「結果こそうまくいかなかったですが、最初はスティーブ(・ホーランド監督)から始まって、今までやってきたことに少し変化を加えたことは事実。でも、そこに対して別に否定的な思いで入ったわけではなくて、また新たなチャレンジの先にレベルアップした自分たちがいるかもしれないし、そこの変化を恐れていては成長はないと思っていた。
みんなはすごく前向きに取り組んでいましたが、シーズンが始まってどうしても結果が出ないと、信じる気持ちや思いみたいなものがバラバラになりかねない。ただ、みんなが本当にチームをどうにかしたいと頑張っていたし、誰ひとり手を抜いている選手やスタッフ、チームに関わる人はいなくて」
ただ、そんな気持ちとは裏腹に、結果はついてこなかった。
ホーランド監督解任後はヘッドコーチを務めていたパトリック・キスノーボが監督に就任。単独最下位、そして、クラブワーストの7連敗と成績を残すことができず、キスノーボ監督も退任となる。
「監督を変えるだとか、クラブが判断したことに対してはもう僕らはやるしかないので、本当にお互い支え合って、手を取り合ってやってきたと思っている。僕らだからこそ乗り越えられたのかなとは思っている」
実際、開幕から16試合を終えて、わずか1勝しか挙げられず、4月下旬からおよそ3か月間、最下位から抜け出せずにいた。
ダントツ最下位という危機的状況の中でも逆転残留を果たせたのは、F・マリノスのためにという同じ信念を持って戦い続ける仲間がいたから。「夏に大きく人が入れ替わったり、すごく難しい状況ではあったんですが、そういうことよりもF・マリノスをどうにかしたいという思いを持った選手が集まったし、残ったことが大事だったのかなと思う。その中で積み上がったものはサッカー面ももちろんある。
そういう思いの重なりがチームのパワーになって、勝ち始めたりということが起きた。そこも学びになりました。能力とか、サッカーの内容とかも大事だけれど、そもそもそういう思いがなかったら良いものにはならないんだなというのはある意味、勉強になった。
形的にはそこから尻上がりになっていったのはありますが、彼ら(新戦力)ももちろん頑張ってくれたし、年間通して苦しんだ選手全員が本当に成長していった。そこはみんなが経験を通して、たくましくなったのかなと思います」
文字通り、苦しいシーズンを走り切ったからこそ、みえてきた景色もある。
— 「たぶん逃げられたし、隠れられたし、やめる、あきらめることもできた」
「あの状況で俺が折れたら終わりだと思っていたので、本当に苦しかったし、辛かったけれど、クラブに対する思いは自分がすべて引き受ける覚悟でやっていた。何を言われてもこのクラブを助けるためだったら、もう自分がやらなけれダメだなと思っていたので」
喜田は、そういう苦しいときこそ人間の本質が出るものだと言い、こう続けた。
「うまくいかない状況の中で拠り所にならなければいけないと思った。それは本当に大変なことですが、たぶん逃げられたし、隠れられたし、やめる、あきらめることもできたと思うんです、判断次第では。でも、僕はそれだけは絶対にしたくなかったので、その信念だけはどんな状況でも持って戦い続けようと思っていた。
サッカー選手としてどころか、ひとりの男として、大切なものはすごく多く見えたと思っている。それはやり切ったからこそだと思うし、みんなで乗り切ったからだと思う。あまりすべてを美談にしたくもないんですが、それすらもきれいごとに思えるぐらい、苦しくて辛かった。
それはもう事実なので隠すつもりもないけれど、ただ、自分を信じ抜いて、チームを、仲間を信じ抜いて、その信念だけを忘れずにどんな状況でもやれたという自負はある。それがF・マリノスのためになったのなら、これ以上嬉しいことはないなと思います」
残留を掴みとった今だから言えること、といえばそれまでかもしれないが、喜田から発せられる言葉は淀みなくあふれていった。
そこには、こちらが想像を絶するほどのためらいがあり、憂いがあったのだと思う。
このような言葉を言える、それも心の底から言える人はそうそういない気がした。「そうした言動はF・マリノスのためになっていると思う」と伝えると、謙遜しながらもこう答えてくれた。
— チームの拠り所になろうとした喜田拓也自身を支えたもの
「嬉しかったことはありますね。やりきって、シーズンが終わって。本当にたくさんの人からいろんな言葉をかけてもらって。なんか、伝わっているんだなと思いました。それもすごく嬉しかった出来事のひとつです。
自分がやってきたこと、してきた行動の数々が伝わっているか、本人はわからないじゃないですか。やりきったからこそ見えたものといえば、それがすごく大きかった。伝わっていたと実感できたことはありましたね」
かけてもらった言葉のすべてが「自分の中では本当にもうこれ以上ない良い言葉の数々だった」と振り返る喜田。
喜田のそうした言動のひとつひとつが結果として、多くの人に伝播したということは間違いなさそうだ。
これまで1度も降格をしたことがなく、5度のリーグ優勝を誇る名門のプライドや伝統を守ることは簡単なことではない。ましてや、キャプテンとして担った重責は当然、軽いものでもない。
喜田はチームの拠り所になったが、喜田自身の支えになっていたものは何だったのか。
「それはもう家族や仲間、自分を信じ続けて気にかけてくれた人、そしてファン・サポーターの皆さんに尽きますね。もうあれだけの姿勢を見ればたぶんもうわかってもらえると思うんですが」と間髪入れずに答え、こう続けた。
「本当に苦しい状況のときでもチームのそばにいることを忘れずに、彼ら彼女らはもう腹を括っていたと思うんです。本当に一緒に苦しんでいる感覚があったし、一緒に戦っている感覚があったので、それが何よりも嬉しくもあり辛かったです。僕らが悔しいのは当たり前だし、僕らの力が足りずにそういう思いをさせてしまっているので。
もう何回も涙も見たし、失望もさせたと思う。それが肌でわかるので辛くもあったんですが、チャントにもあるように、“どんなときでも俺たちがそばにいる”というのを本当に感じさせてくれたので、乗り越えられた1番の要因だと思う」
喜田の思いはしっかりと伝わっている。喜田が仲間やチームスタッフを信じ続け、支え続けたように、ファン・サポーターはもちろん、横浜F・マリノスにかかわるすべての人たちが目に見えないところで喜田を支えていた。
逆境を乗り越え、得た気付きが与えるものは小さくないだろう。クラブの象徴は今年もクラブがあるべき姿を示し続ける。それも、一回りも二回りもたくましくなってだ。
(取材・文:竹中愛美)
2026/02/03 横浜FM・ブラジル代表OBが死亡事故起こす…飲酒なし。本人声明「制限速度守って…」 | Football Tribe Japan
横浜F・マリノス、ブラジル代表OBのマグロン氏が、母国で高齢男性を車ではねて死亡させた模様。死亡事故への関与により、本人が声明を出しているが、飲酒運転ではなかったという。
ブラジル『ge』によると、マグロン氏は1月末、リオグランデ・ド・スル州マキネーの道路で75歳の高齢男性を死亡させたとのこと。現地当局が発表した情報によると、被害者は歩行者用の十分な標識がない地点で道路を横断していたところ、車にはねられたという。現場は交通量が多く、歩道橋や横断歩道が設置されていないことで知られている。
また、マグロン氏は事故発生後も現場に留まり、初期対応を行ったうえで関係機関に連絡。アルコール検査は陰性だったが、本人は「事故以降、精神的なショックが非常に大きく、現在は深い悲しみの中にある」とのこと。遺族に対して哀悼の意を表している。
「私はこの声明を通じて、1月23日の午後、不幸にも交通事故に関与したことをお伝えいたします。事故当時、私は仕事からの帰路にあり、制限速度を守って走行していました。その際、歩行者の通行が禁止されている場所で、突然歩行者が道路を横断してきたため、回避を試みましたが、残念ながら事故を防ぐことはできませんでした」
「直ちに安全な場所に車を停め、連邦道路警察および救急医療サービスに連絡し、被害者への迅速な対応を求めました。事故処理が完了するまで現場に留まり、アルコール検査を受けた結果は陰性であり、関係当局に対して供述も行いました」
「今回の出来事により、私は非常に動揺しています。家族に支えられながら過ごしていますが、このような事故に関わってしまったことによる苦しみは計り知れないものがあります」
マグロン氏はかつてコリンチャンス、インテルナシオナル、パルメイラスなどでプレー。2005,06年に横浜FMでプレーし、J1通算30試合の出場で7ゴールを挙げている。
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