(´-`).o0(2020/11/4(水)トップチームのスケジュールの情報無し)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
今日の練見(れんみ)
Twitter / Instagram
Webニュースログ
2020/11/02 オファーはビッグクラブばかり…横浜FM内定、筑波大DF角田涼太朗「すごく贅沢な悩みをさせてもらった」 | ゲキサカ
10月28日に行われた天皇杯3回戦で、延長戦の激闘を制して大学勢として唯一の勝ち上がりをみせた筑波大は、中3日で臨んだ関東大学リーグ1部の駒澤大戦に0-1で敗れた。スコアレスの試合終了間際に与えたPKをMF薬真寺孝弥(4年=長崎総合科学大附高)に決められた。
DF角田涼太朗(3年=前橋育英高/横浜FM内定)は28日のゲームで120分フル出場。そして中3日で臨んだ駒大戦でも90分間を戦い抜いた。「延長戦までやったことがあまりないので、そういう意味では成長のためのプラスの材料にしたい」と話したものの、「結果がすべての世界なので、今日は納得できる結果ではないです」と反省を述べた。
「ずっと夢にみてきたピッチだった。でも短い時間しか出られなかったし、そういう面では満足していません。これから先、スタメンで出たり、チームの勝利に貢献した感覚を掴めるようにスキルアップしてきたいです」
10月9日に22シーズンの横浜F・マリノスへの入団が発表になった。同時に特別指定選手としても登録されると、発表翌日に行われたJ1第21節の大分戦(○4-0、ニッパツ)に後半38分から途中出場してデビューも飾った。
22シーズンに向けて争奪戦が予想された一人だった。前橋育英高時代は下級生のころから不動のCBとして活躍、高校2年生の高校選手権で準優勝、そして3年生で臨んだ高校選手権では前年のリベンジを見事に果たして、母校に初優勝をもたらした。
高校時代にDFラインを形成したDF松田陸(G大阪)やDF渡邊泰基(新潟)が高卒でのプロ入りを選択する中で、角田は大学進学を選択。筑波大に進学して迎えたリーグ開幕戦で左SBでデビューを果たすなど、ルーキーイヤーから名門のレギュラーポジションを掴み、昨年夏にはユニバーシアード代表メンバーに2年生では同僚のDF山原怜音(JFAアカデミー)と2人だけが選ばれ、金メダル獲得に大きく貢献した。
CBとSBをハイレベルでこなすことが出来るレフティーDFということもあり、今春には早くも争奪戦が繰り広げられていた。それもFC東京や浦和レッズといったビッグクラブばかりで、角田自身も「すごく贅沢な悩みをさせてもらった」と振り返る。実際に各クラブのキャンプなどにも参加。そして数あるオファーの中から横浜FMを選択した。
「だいぶ悩みました。決め手はマリノスのアグレッシブなサッカーに自分がフィットするんじゃないか、観ていて楽しいサッカー、やりたいサッカーだと思えたことが一番でした。自分に対して興味を持ってオファーをくれた全クラブに感謝しています。こういう決断をしたからには結果で、関係者の皆さんに恩返し出来ればいいなと思います」
今後も横浜FMには「行ける範囲でいきたい」と考えているが、「おざなりにしたくない」と筑波大での活動にまずは重きを置きたい考えでいる。天皇杯では快進撃をみせる筑波大だが、リーグ戦では4勝2分7敗の10位と低迷している。また「自分が筑波に来てタイトルを獲っていない」と責任も感じているという。「自分がいて負けていたら意味がない」。これから個人としてさらに一皮むけるためにも、チームに勝利をもたらすことに執着する。
(取材・文 児玉幸洋)
2020/11/03 「日本人はインテリジェント」J初代得点王が語った日本サッカーの未来――あの助っ人たちの“いま”【ラモン・ディアス】 | サッカーダイジェストWeb
— 驕り高ぶるような態度を見せることは全くなかった大物ストライカー
Jリーグ初代得点王の肩書きを誇るラモン・ディアスは、横浜マリノスに入団した時には、すでに優れたストライカーとして高く評価され、国際舞台で活躍していた大物スターだった。
だが、1部リーグがプロ化されたばかりの当時の日本でも、驕り高ぶるような態度を見せることは全くなく、むしろ非常に謙虚な姿勢でチームメイトたちにとってピッチ内外での模範となった。そして、引退後にディアスは、自らの豊富な経験と持ち前のリーダーシップを活かすべく指導者に転身。現在は監督として不動の地位を築いている。
ディアスは監督としてのキャリアをスタートさせてから今年でちょうど25年目を迎えた。これまでに5か国で9チームを指導し、イングランド3部のオックスフォード・ユナイテッドでの指揮など多様な経験を積んできた。
そのキャリアのなかでも際立つのは、現役時代の古巣でもあったアルゼンチンの強豪リーベル・プレートと、サウジアラビアのアル・ヒラルでの経歴だ。
マリノスを去ったあと、アルゼンチンに帰国して指導者の資格を取り、95年7月26日にリーベルの監督としてデビューを飾ったディアスは、それから1年後にはクラブ史上2度目となるコパ・リベルタドーレス優勝を果たし、最愛の古巣に南米王者のタイトルをもたらした。
その後、リーベルでは3度(95~2000、01-02、12~14)に渡って指揮を務め、国内外合わせて9個のタイトルを獲得。いまだ同クラブの歴代監督のなかで最多の獲得数を誇っており、選手としても監督としてもリーベルで偉業を達成した英雄的存在となっている。
アルゼンチン国内ではリーベルだけでなく、サン・ロレンソとインデペンディエンテでも監督を務め、前者ではリーグ優勝、後者ではコパ・スダメリカーナ出場権を獲得。インデペンディエンテでは息子エミリアーノをアシスタントコーチに従え、以後9年間は、常に親子でコンビを組んで指導にあたっている。
2016年10月に就任したアル・ヒラルでは、わずか1年足らずの間に国内リーグと国王杯を制覇し、2017年のアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)ではファイナルに進出。この大一番では惜しくも浦和レッズに敗れたものの、チームは国内で快進撃を続け、サポーターから絶大な支持を得ることに成功した。
— 日本を「サッカー後進国」と下に見る母国メディアに対して――
全てが順風満帆なわけではない。ディアスは2018年2月に開催されたACLのグループステージ第2節をもって、アル・ヒラルを突然解雇されてしまう。
リーグ連覇を目前に控えた時点での解任は、ディアスの母国アルゼンチンでも大きな話題となったが、解任理由としてサウジのスポーツ専門メディアは、「アシスタントコーチを務める息子の経験不足がクラブ幹部から問題視されたため」と報道。エミリアーノの退任を迫られたディアスがそれを承諾しなかったために決断に至ったとされているものの、真偽は定かではない。
人一倍プライドが高いことで知られるディアスだけに、過去には指導した選手と衝突したことが何度かあった。一方で相互尊重を重んじる人間でもある。だからこそ、自分の実力を信じて支援してくれた日本のサポーターとサッカー界に対する敬意と思い入れは深い。
マリノスでの2シーズン目のことである。日本がサッカー後進国であることを前提とした質問しかしないアルゼンチン・メディアに対して、ディアスはこう断言していた。
「日本のサッカーは将来に向けてとてもいい形で準備を進めている。日本人は非常にインテリジェントで理解も早く、短期間で進歩を遂げることは間違いない」
昨年12月に横浜F・マリノスが15年ぶりにJリーグ制覇を遂げた際には、ディアスは自身のSNS公式アカウントから「マリノスの皆さん、Jリーグ優勝おめでとうございます。素晴らしい思い出がよみがえってきます」と、ややノスタルジックに祝福のメッセージを送ってもいた。
去る9月24日にパラグアイのリベルタの監督を辞任したばかりのディアス。再び中東のクラブを指揮するという噂もあれば、同じパラグアイの名門オリンピアの次期監督候補とも報じられているが、61歳のアルゼンチン人指揮官はいかなるキャリアを歩むだろうか。
文●チヅル・デ・ガルシア text by Chizuru de GARCIA
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【試合結果まとめ(2●3)】2020/11/3(火)13:00KO J1第31節 横浜F・マリノスvs.鹿島アントラーズ@日産スタジアム
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