
(´-`).o0(「サッカー、ときどきごはん」に松永成立さん登場)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
2026/05/20 村上 慶選手、三井寺 眞選手「HKFC Standard Chartered Soccer Sevens 2026」参加のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(「HKFC Standard Chartered Soccer Sevens 2026」は、香港で開催される7人制サッカーの国際大会)
今日の練見(れんみ)
X(旧Twitter) / Instagramなど
/#JリーグオールスターDAZNカップ には、
マスコットが大集合!
\【選手からマリノス君へ✉️】
横浜F・マリノス 谷村海那選手からマリノス君へ愛のメッセージ🫶「マリノスくん 顔が大好きだよ」@prompt_fmarinos pic.twitter.com/XwCrafmCWB
— Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) (@J_League) May 21, 2026
「横浜F・マリノス コラボ商品」とのこと。
【5/21更新】グッズ情報 | 東京ヴェルディ / Tokyo Verdy https://t.co/lTD5xiveuY #fmarinos pic.twitter.com/seoHAaCIR9
— ろこ@横浜F・マリノス系ブログ「こけまり」 (@kokemari) May 21, 2026
Webニュースログ
2026/05/21 横浜F・マリノス選手によるリレーコラム「Beyond the Game」|横須賀市
— 【第15回】諏訪間 幸成選手(2026年5月21日)
– サッカーを始めたきっかけ
小学校の友達が、休み時間にサッカーをして遊んでいて、自分も一緒に遊んでいたら楽しくて、気が付いたらチームに入っていました。– 注目してほしいプレー
相手のFWとのバトルに注目してほしいです。– 練習以外の時間の過ごし方、趣味や特技
休みの日は、次の日の練習のことを考えてしまい、なるべく疲れたくないので、外出するのはあまり好きではありません。
家でドラマを見ています。Netflixのドラマや流行っているドラマを見るのも良いですが、小さい頃から朝ドラを見て育ちました。– 横須賀の印象やオススメのもの
海がすばらしいです。日帰り温泉施設の露天風呂から見る景色は最高で、心身ともにリフレッシュできます。「うみかぜ公園」で釣りをしたこともあります。
技術不足でカサゴの赤ちゃんと、フグしか釣れませんでしたが、アジや、タチウオなどを釣っている人もたくさんいたので、次回は釣りたいと思います。– 市民へのメッセージ
日頃から熱いご声援ありがとうございます。
横須賀の皆さんの応援を力に変えて、勝利を掴み取り、ともにたくさんの喜びを分かち合いましょう。
そして、「この街には、横浜F・マリノスがある」と胸を張って言っていただけるよう、自分のすべてを捧げたいと思います。これからも熱い応援をよろしくお願いします!
2026/05/21 サポーターの頑張りに感謝したい…サッカーの現場を離れた松永成立が取り組む仕事とは【サッカー、ときどきごはん】 : J論プレミアム
■コーチとしてF・マリノスに戻る前は「もう戻れない」と思っていた
2025年5月に横浜F・マリノスを辞めたあとも、クラブと話す機会は持っていて、その話し合いの中でクラブの方から「このような役割、役職を考えているんだけど」と言っていただいて、興味を持ったんです。そこで担当の方と話をして、「これがいいんじゃないのか」というのが、クラブと自分自身の意見が一致したので、やることになりました。
2026年の2月から契約することになって2月中旬から活動を始めました。地域とのつながりをより一層親密にするというミッションである今の活動には、とてもやりがいがあり関心もあります。
地域ということに関して言うと、1995年に横浜マリノス(当時)から読み方や九州のどこにあるのかも知らない地域の、鳥栖フューチャーズというチームに行きました。
鳥栖の人たちは、本当によかったです。広報活動の一環で商店街に行ってチラシを配ったこともありますよ。初めてやりました。全然嫌じゃなかったです。地域に密着して、地元の人と触れ合って。実際そういう活動で出会った人がスタジアムに来てくれることもありました。とても感動しました。
「この前チラシもらったから来たよ」って。相手の顔を覚えていなくて、「え?」という感じになることもありましたけど、本当に来てくれているからうれしかった。地域での活動では、選手に親近感を持ってもらえることが分かって、そういうのもものすごくよかったなと思う。
佐賀は本当に住み心地もよかったし、子供が小さかったけど家族でいろんなところに旅行もしました。
大分の湯布院や別府の温泉に行ったり、一番遠いところでは車で山口までフグを食べに行ったりした思い出もあります。まさかフューチャーズが1996年で解散するとは思わなかったです。
そこから翌1997年は旧JFLのブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)、1997年の途中から2000年まではJリーグ(1999年〜2000年はJ1リーグ)の京都パープルサンガ(現・京都サンガF.C.)に行きました。やはりいろんな環境や、人に会わないとダメですね。ずっとマリノスだけで過ごしていたら、多分また違った人生を歩んでいたかもしれませんし、他のクラブに行ったことによって視野を広げることができました。
2000年に引退して、2001年から2006年までは京都のGKコーチをやりましたけど、それも良い時間になったと思います。本当に鳥栖、仙台、京都には今でも愛着を持っているし、すごく感謝しています。
外からマリノスのことを見ていて「優勝するだろう、優勝争いはするだろう」と毎年思っていました。でも2001年はシーズン途中でオズワルド・アルディレス監督を解任するなど、年間13位でなんとか残留を決めたり、2002年もシーズン途中でセバスティアン・ラザロニ監督が解任となるほど苦しんでいました。2003年に岡田武史監督が就任してチームが上向いて2度目のリーグ優勝をすることができました。2004年も連覇して、マリノスらしくなったと思ったらまた苦しくなって。非常にもどかしかったです。
そして2007年、早野宏史さんが監督に就任されたときに呼んでいただきました。自分としては最初にオファーの話を聞いたときは、「これ本当の話なの?」と、半分疑っていましたが、すぐに事実と分かり、戻る決心をしました。
■F・マリノスが残留できた理由は「サポーターの力」
また古巣に戻ってこられたのは、人に恵まれたからだと思います。
戻ってきて、サポーターも含めて喜んでくれる人が意外と多かったので、そこは純粋にうれしかったです2025年にマリノスが残留することができたのは、間違いなくサポーターの力があったからです。
本当だったら毎試合ブーイングをされてもおかしくなかった状況で、ブーイングではなくて選手のサポートをしてくれました。あれはDAZNで見ながら感動しました。だから、残留することができたのは選手の頑張りもありますが、それ以上にサポーターが頑張った結果でもあるんだと思うんですよ。
僕がサポーターの前で話す機会があれば、それは絶対に言わなければいけないと思っていたので、イベントでトークショーに出演したときにこの話をさせていただきました。
これは別におべっかでもなんでもなくて、監督からスタッフ、選手、クラブのみんなが思っていることです。その感謝を僕は言葉でしっかりと返したかったんです。だからトークショーに出演させてもらってよかったです。
クラブに戻ってきたら昔から知っている人たちが多くいて、その人たちから「戻ってきてくれてよかった」と言ってもらいましたが、いろんな人に関わってもらって今の部署に入ることができたので、クラブのみなさんにも感謝しています。
2025年の退任も自分で決めたことですし、相当考えた上での結論でした。退任して後悔したものはないですけど、それで迷惑をかけた方も当然います。そういう人たちに対しては、まずこれからの仕事で恩返しができればと思っています。
今は会社の中で与えられたミッションを、仲間たちと一緒に達成したいと思います。やはり現役時代から意地は人一倍強いので、達成するために全力を尽くしたいと思います。
チームにはGKコーチがいますし、アカデミーやスクールにもそれぞれGKコーチがいますから、僕は自分の仕事に邁進するだけです。もちろんGKというポジションの選手はみんな頑張ってほしいです。
百年構想リーグでは同点の場合、PK戦が行われていますが、野々村芳和チェアマンは「PK戦になることでGKにも注目が集まる」とおっしゃっていました。もちろんPKに強いから「いいGK」ということにはならないですし、PK戦でゴールさせなかったから90分間のプレーが悪くていいということでもない。
まずは90分間のパフォーマンスが大切です。GKがフォーカスされるのはうれしいですが、GKをPK戦だけで判断しないでほしいと思います。
人間は2本の足で立っているので、何をするにしても動くときには2本の足が必要なわけです。そして状況によってステップの仕方は当然違うんです。たとえば距離があるシュートだったらクロスステップで大きく動く時間があります。もし至近距離からのシュートで反応する時間がないのであれば、サイドステップや細かくステップを刻んで動くなど、ステップの仕方が違ってきます。
そして身体能力が高い選手でも、腰高だったら早く動けないし、逆に沈みすぎていても早く動けない。だから身体能力が高いことイコール早く動けるとか遠くへ飛べるというわけではないんです。GKは身体を低くしろ、高くしろ、手の位置はどうだとかそういう指摘を受けると、その場で明らかに動ける幅や高さが変わるんです。そういうおもしろいポジションだというのも知ってほしいと思います。
■今は障がい者スポーツにも関心を持ってくれる人を増やしたい
今は日産自動車時代にチームメイトだった望月選(もちづきえらぶ)さんと共に、「ホームタウン/ふれあい部」の一員として障がい者の方や障がい者スポーツに対する取り組みをやっています。障がい者スポーツではごく一部の人はフォーカスされますが、その実情はあまり世間に知られていないと思うんです。
僕は実際に直で見るのはまだ数カ月ですが、一緒にやっている望月さんはもう20年以上障がい者スポーツに取り組んでいるんです。現場に一緒に行くとやっていることは非常に素晴らしい活動だと思いますし、これが社会に貢献することなんだと思いました。
特別支援学校に行ったり、高齢者のリハビリテーション施設に行ったりして現場を見ることも仕事のうちなんですが、まだ見た数が少ないです。もっといろんな環境や、いろんな方と会わないといけないと思っています。
ものすごくやりがいのある分野なんです。障がい者スポーツ、高齢者スポーツのバックアップや支援に力を入れている企業も増えていると聞きます。
いろいろな人たちの支援を受けながら、環境を整備していけるようにしたいんです。
去年はデフリンピックがあって盛り上がりましたが、あのような大きな大会とはまた別に、いろんな大会やお披露目できる機会があるので、それらを通して実情を知ってもらいたいんですよね。
これらに関心を持って、考えてくれる人をどれくらい増やせるかというのが僕に課せられたミッションだと思います。これまで知り合った人で、こういうことを考えてくれる人をまず呼び込みたいです。
サッカー選手が第一の人生で、GKコーチが第二の人生で、ここからは第三の人生です。もちろんサッカーに関わることも並行してやっていきたいし、日本のGKはみんな気になりますが、今は障がい者スポーツ、地域密着ということに注力してやっていきたいです。
マリノスは地域のことも高齢者や障がい者のこともしっかりとやっているというところを、しっかりと見せていきたいですね。僕は器用ではなく、いろんなことを同時には出来ないと思うから、まずこの「ホームタウン/ふれあい部」の仕事に全力で取り組んでいこうと思います。
そして、マリノスというブランドの価値向上にも貢献できるようにしていきたいと思っています。
ただね、やはりマリノスはいつも強くあってほしい。2022年以来優勝していないから、そこはがんばってほしいですね。
■記憶の片隅に残っていた佐賀と京都のおすすめレストラン
昔のインタビューで「忘れられないレストラン」を聞かれて、店の名前も場所も覚えてないけど、という話をしたんですよね。
今回のインタビューでも「忘れられないレストラン」ということですが、思い浮かばないんですよね……(笑)。どうしようかな……。
……えっとね、一つは佐賀。家族ともよく行った焼肉屋で、佐賀牛を食べさせてくれるお店があったんですよ。お店の名前は……。おそらく佐賀市の「竜馬」という店名の焼肉屋さん。
あともう一つ、これも佐賀市だったかな……。そこには「焼きしゃぶ」があるんですよ。値段はちょっと高いんだけど、うまい!何だったかな……。あ、「佐賀牛レストラン 季楽(きら)」!
あとうまかったのは、京都の「芝蘭(ちらん)」という焼肉屋さんか韓国料理屋さんかな。あそこもうまいですよ。それから京都の御池(おいけ)通り沿いにある蕎麦屋さん……「みながわ」だ。京都に行ったときは、「手打蕎麦みながわ京御池」で昼飯を食べてから戻ってくるんですよ。今日は4つ思い出すことができてホッとしました。
ロコさぬが運営するWebページ
ブログの感想・コメントは、Xなどにて。
お問い合わせは、メールでお願いします。
[X(旧Twitter)]
ろこ@横浜F・マリノス系ブログ・こけまり
[Instagram]
ろこ@横浜F・マリノス系ブログ・こけまり(@kokemari) • Instagram写真と動画
[Pinterest]
ろこ (kokemari) on Pinterest
[ブログ]
旧こけまり(Seesaaブログ)
横浜F・マリノスのタオルマフラーをブログで並べてみた。
