今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2025/4/24) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(マリサポも続々とサウジアラビアへ。#マリサポサウジ遠征)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

(´-`).o0(主たるニュースなし)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはサウジアラビア遠征中)


 
 

X(旧Twitter) / Instagramなど


 


 
 

Webニュースログ

2025/04/24 練習場に異物、理不尽トラブルも…J名門が挑むサウジでの最終決戦、支えるスタッフの仕事術【インタビュー】 | フットボールゾーン

— 【ACLE最終決戦カウントダウン】戦いを陰で支えるチームマネージャー

「日本サッカーを共に盛り上げる」を今年からコンセプトに掲げる「FOOTBALL ZONE」では、クラブや選手の魅力を“深掘り”する「ZONE的Jクラブの深層」を掲載。今回は、「ACLE最終決戦カウントダウン」と題し、現地時間4月25日から5月3日かけて行われるAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)2024/25ファイナルズに向けた特別企画として、横浜F・マリノスのチームマネージャーを務める鈴木彩貴氏へのインタビューを実施した。国際大会を戦うチームを陰で支えるその仕事について迫る。
(取材・文=FOOTBALL ZONE編集部・山内亮治/全3回の1回目)

 アジアの頂点を懸けた戦いの火ぶたが、間もなく切って落とされる。現地時間4月26日にアル・ナスル(サウジアラビア)との準々決勝に臨む横浜F・マリノスは今大会、ノックアウトステージ・ラウンド16までの10試合で8勝1分1敗。無得点で終わった試合は1つもなく、2人の監督(ジョン・ハッチンソン氏→スティーブ・ホーランド氏)によるバトンリレーが行われたなかでも安定した戦いを見せてきた。

 選手・監督の一丸となったパフォーマンスはさることながら、この戦いぶりの裏にはそれを支えるクラブスタッフの尽力がある。チームに帯同しその先頭に立つのがチームマネージャーの鈴木彩貴氏。現役時代はゴールキーパーとして2017年から2年間、横浜F・マリノスに在籍し、22年にスタッフとして古巣に戻って来た。

 これから始まるサウジアラビアでのファイナルステージでも、国際大会となれば大なり小なりアクシデントは付き物だろう。敵地でのチーム運営を円滑に進めるべく、責任者としてどのような心持で現場に立っているのか。

「どんな場面でも決して焦らず、その時々で取るべき行動として何が最善かを最速で見つけることです」

 とはいえこれまでに、いざ現地入りすると練習場に釘やたばこの吸い殻などの異物が落ちている、頼んだ数のゴールがピッチに運び込まれていない、練習前の準備時間が15分しか与えられないと大会規則にないことを告げられるなど、数々のトラブルに直面してきた。鈴木氏曰く、そんな状況で重要になるのが「調整のキーパーソンの把握」とのこと。

「国際大会のアウェー戦では、自分たちがやりたいことをスムーズに進めるために、どの人物や組織がコンタクトを取るうえで重要な存在かを冷静かつ迅速に見極めなければなりません。交渉相手によっては、いつまで経っても物事がうまく進まないことがあるので」

「現地関係者との交渉術にもポイントがある」と鈴木氏。意識するスタンスを次のように説明する。

「あまりペコペコとお願いをしないように心がけています。関係者に対してはより直接的な伝え方を徹底し、強気で調整に臨むほうがスムーズに物事が進むという実感があります」

 チームがストレスなく目の前の練習や試合に向かっていけるよう状況を整える――。鈴木氏に課せられた責任は大きい。

— 「いかに広く全体を俯瞰して物事を見られるかが重要」

 試合で勝利を手にするために、トラブルを未然に防ぐための努力も欠かせない。試合中、ベンチ内で目を光らせる先がある。

「主審のジャッジに不満があった際、ベンチを飛び出してしまう選手やスタッフがいます。ただ、これをしてしまうとACLEではカードを出されてしまう可能性があります。そうなると罰金処分を科されるだけではなく、監督・コーチのベンチ入り禁止にもなりかねません。試合には最善の布陣で臨めるのがベストですし、それが叶わない事態にならないよう、自分が最初にベンチから出ていき間に入る役割を果たすことがあります」

 さらに、神経を研ぎ澄ませるのは試合中だけに留まらず。現地応援に駆けつける横浜F・マリノスのファン・サポーターへのケアもチームの勝利に欠かせない要素だと力説する。

「オーストラリアでは現地ホームサポーターと横浜F・マリノスのファン・サポーターの緩衝地帯のエリアがワンブロック少ないと判明したこともありました。こういう場合は安全が十分に確保されていると言えませんから、試合に向けてファン・サポーターが安心して応援できる環境を現地のセキュリティー担当と整えます。

 また、大きな事件・事故が起きた場合も想定し、現地の日本領事館へ事前に挨拶しておくことも欠かせません。試合当日にスタジアムで設置するバナーや持ち込む太鼓などの事前申請も含め、安全・安心に普段どおりの応援ができる環境の準備も最大限にします。というのもこれまでの経験上、チームが勝つにはファン・サポーターを含めたすべての要素がしっかりと揃っていなければ難しいと感じてきたからです」

 鈴木氏はこの仕事の神髄について、「いかに広く全体を俯瞰して物事を見られるかが重要」と語る。その姿は、まさに最後尾からチーム全体を見てきた現役時代の頃のよう。「現役時代と似たことをやっていますよね。僕としてはすごくやりがいを感じていますし、楽しいです」。GKだった経験が、引退して立場が大きく変わっても生かされている。

 
 
2025/04/24 「なかなか辛い期間だった」6ヶ月から加藤蓮は学び、苦しむ横浜F・マリノスのために戦う「勝てば一番うれしいから」【コラム】

 横浜F・マリノスは20日、明治安田J1リーグ第11節で浦和レッズと対戦し、3-1で敗れている。スティーブ・ホーランド前監督を解任して臨んだ最初の試合を白星で飾ることはできなかったが、加藤蓮の止まっていた時計の針が再び動き始めた。苦しむマリノスにとって、加藤の復帰は希望の光になる。(取材・文:藤井雅彦)

「緊張はまったくしなかった。負けている状況だったので、チームを勝たせるためのプレーしか考えていなかった」

 気合い十分にピッチへ。体も気持ちも、準備はできていた。

 約半年前、負傷したのも同じ浦和レッズ戦だった。昨年10月30日の浦和戦で開始6分に負傷交代。左膝内側側副靱帯損傷と半月板損傷で全治6週見込みと診断された。

 シーズン中の復帰は絶望的で、簡単に治る怪我でもなかった。万全を期すために手術を行う選択肢もあった。ただし、その場合は復帰時期が遅くなって今季開幕には間に合わない。結果として保存療法を選んだ。

 痛みと付き合いながらの日々は昨季終盤、そしてオフシーズンも続いた。痛みだけでなく恐怖心とも向き合う。すべての事象から逃げない。自身の選択が間違っていなかったと証明するために、リハビリに取り組んだ。

 1月の始動日時点では左膝にテーピングを巻いていた。「キックのところで怖さはあるので、もっと自信を持ってやれたら」と本音を明かし、その表情が晴れ渡っていたとは言い難い。1月下旬の宮崎キャンプ序盤で痛みが増し、全体練習から外れて調整を行うことになった。

 2月中旬の公式戦開幕時期には全体練習を果たしていたが、連戦の真っ最中で試合に出場していない選手がコンディションを上げていくのが難しい時期でもある。チームとして練習試合を組めず、トレーニングも試合組とそれ以外でセパレートメニューになる日々が続く。

— チャンスを待つ日々。復帰に向けての大きな一歩

 3月1日の湘南ベルマーレ戦以降は継続的にベンチ入り。今年に入って一度も実戦形式でプレーしていない不安はあるものの、チャンスがめぐってきたらプレーできる喜びを爆発させる気概に溢れていた。新監督とともに迎えた新シーズンで出遅れている以上、コンディション云々を言っていられる立ち位置ではなかった。

 しかしチャンスがやってこない。中2~3日の連戦が続いても、チームとして結果が出なくても、スティーブ・ホーランド元監督は先発変更と選手交代に消極的だった。「守備陣はあまり動かさない」という信念は揺るがず、ウォーミングアップに時間を費やす日々が続いた。

 監督交代劇から2日後の浦和戦でようやく訪れたチャンス。約半年ぶりの公式戦出場に胸が昂る。実は、3月後半の代表ウィーク中に練習試合のピッチに立ち、70分だけプレーしていた。たった70分、されど70分。復帰に向けての大きな一歩を、約1ヵ月前に踏み出していた。

 永戸勝也に代わって左サイドバックに入った加藤は、一心不乱に前を目指した。パスも、ドリブルも、そしてランニングも、すべての矢印を前へ。プレーに意志を込め、逆転勝利を目指した。

— 加藤蓮は何を学ぶ。辛い時期を経験して芽生えた思い

「前への動きというのは少なかったし、自分がひとり剥がせば状況が変わるのはわかっていた。自分がずるずると引くと相手もついてきて、よりプレッシャーを受けてしまう。なるべく前のポジションで、そこからのアクションを意識した。

 自分の中で何個かいいシーンを作れたし、前へのプレーも少なからず見せることができた。そういう違いをもっともっと出していかないといけない。ポジティブな面を出せたところもあった。そういうシーンを前半からもっと増やしていきたい」

 対面する相手とのフィジカル勝負を厭わず、ぶつかり合いで弾き飛ばす場面も。目に見える結果こそ残せなくても、その足跡は間違いなく強いインパクトを残した。

 怪我をきっかけに苦しんだ半年間から、加藤は何を学び、肥やしと糧にしていくのか。ひと呼吸置いてから発した言葉は、彼の真っすぐな気持ちを表現していた。

「もどかしさはすごくあったけど、かといって決めるのは監督。そこのチョイスに入れなかったのは自分の力不足。なかなか辛い期間だったけど、その期間だからこそ成長できると思ってやっていた。

 ここからが勝負だと思っている。複雑な気持ちでいたけどチームスポーツだし、試合になればチームのために戦うことが一番大事。チームがこういう状況で自分自身も辛かったし、試合に出たらチームのために貢献したいという思いがあった。試合ではそこに徹すること、チームのために戦うことを毎試合意識していた。

 少しでも力になりたいと思いながらやっていたし、チームが勝てば一番うれしいから」

— 「短い期間だけどできることはたくさんある」「恩返ししたい」

 今後は両サイドバックやボランチなど複数ポジションをこなせるユーティリティープレーヤーとして貴重な選択肢になっていくはず。与えられた持ち場で100%を出し尽くすメンタリティも大きな武器だ。

 それは戦いの舞台が日本からサウジアラビアに変わっても同じはず。

「ようやくスタートラインに立てたことは自分自身ポジティブだし、いろいろな人がここまで自分に関わってくれてやっと復帰することができたので、感謝したい。

 あとはチームのために戦うだけだと思っている。サウジアラビアで去年の悔しさを晴らしたい。こういうチーム状況だけど、ひとつになってサポーター、クラブに恩返ししたい。どんな相手だろうと戦う姿勢を見せて、勝つ。そこに尽きる。

 よりチーム全員がまとまった姿をサポーターに見せて、見せるだけじゃなくて結果を出したい。短い期間だけどできることはたくさんあると思うし、ポジティブに仲間を信じて、チームを信じて戦うだけ」

 身も心もフレッシュに、悲願達成にすべてを捧げる。

 復活した加藤蓮が、もがき苦しむトリコロールを加速させていく。

 
 
2025/04/24 「生きて帰れるのかな」「本当の意味のアウェイは、あの国が唯一」やはり相当強烈…元日本代表DFが北朝鮮遠征を回想「印象的なエピソードしかない」 | サッカーダイジェストWeb

— 李忠成氏が話したエピソードと“答え合わせ”

 横浜で生まれ、横浜で育ち、そして今も――。栗原勇蔵氏のキャリアは、紛れもなくトリコロール一色だ。

 現在41歳の栗原氏は、中学1年生だった1996年に横浜F・マリノスのアカデミーに加入し、2002年にトップチームに昇格。それ以来CBとして、屈強なフィジカルと闘争心を前面に押し出したプレーを続け、自身15年ぶり3度目のJ1リーグ制覇を果たした2019年にユニホームを脱ぐまで、F・マリノス一筋で446試合に出場した。

 日本代表としても活躍。2006年にイビチャ・オシム監督から初招集を受けた後、主にアルベルト・ザッケローニ監督の下で代表キャリアを築き、20キャップをマークした。

 現役引退後は、F・マリノスのクラブシップ・キャプテンとして、ファン・サポーターにより近い立場で活動を続けていたが、今年からチーム統括本部のスタッフに。5年ぶりに現場に復帰し、自身の経験を還元する日々を送るなか、話を訊いた。
 
 
 今回のインタビューの約3か月前。李忠成氏を取材する機会があった。その際、日本代表の話題を掘り下げるなかで、2011年11月の北朝鮮遠征に触れ、私が「変わったことはありましたか?」と尋ねると、李氏は「めちゃくちゃありましたよ!」と即答。特に「全面鏡張りで、どこを見ても自分の顔が映っていた」というホテルの部屋が印象に残っているようで、こんなエピソードを披露してくれた。

「寝ようと思っても怖くて寝れなくて。これは1人じゃ寝れないから、誰かと一緒に寝ようと。『誰にしようかな』と思った時に、喧嘩が強い人が良いなと。それも年下より年上の方が良いなと思って。川島永嗣、栗原勇蔵、この2択だったんです。

 うわ、どっち…永嗣さんより多分、勇蔵さんの方が強いなと思って勇蔵さんの部屋に行って、コンコンってやって、勇蔵さんはもう寝そうだったんですが、『勇蔵くん!ちょっと怖いから寝させて』とって言って。ちっちゃいベッドで、あんなクマみたいな人と3日間ずっと一緒に寝てましたから。勇蔵くんがいなかったら寝れなかったですね。『お前、あっち行けよ!』と言われても『怖いから無理!』って(笑)」

 この話を伝えると、栗原氏は爆笑。懐かしそうに「そうでしたね」と頷いた後、「印象的なエピソードしかないくらいの遠征でした」と切り出し、平壌空港での出来事から振り返ってくれた。

「羽田や成田みたいな施設ではないので、コンクリートの2℃くらいのところで、4時間ぐらい入国させてもらえず、洗礼を受けました。そこからスタートして、パソコンや携帯も全部没収されました。

 サッカーでは特に、『アウェイ』という言葉を使うじゃないですか。本当の意味のアウェイは、あの国が唯一じゃないかな。Jリーグでいえば、浦和レッズや鹿島アントラーズは、サポーターの熱があるし、『アウェイ感』とよく言いますが、そのアウェイとはワケが違います。国として、そもそも国交がないので、ちょっとアウェイの意味のレベルが違うなと。『生きて帰れるのかな』と思いました」

— 食事、街の様子は?「ハチャメチャな感じではなかった」

 食事に関しては「冷麺とか北朝鮮の料理も食べましたが、美味しかったですよ」とのこと。気になる街の様子は…。

「『遠回りして良いところを通る』みたいなことはよく言われていますよね。確かに、真っすぐ行けば10分ぐらいで着きそうなところを3、40分かけて練習場に行ったりしていたので、ちょっと不思議なところはありました。

 少し遠くを見たら、牛が田んぼだか畑を耕していたり、日本のかなり昔のような風景が見えたところもありました。でもハチャメチャな感じではなかったです」

 そして話題は、2歳下の李氏と2人で過ごした夜へ。

「年齢は違いますが、その当時よく一緒にいたからなのか、『勇蔵くん、一緒に寝ましょう』と言ってきて。だから2人で寝ましたよね。嫌だとか、そういうことは全くなかったです。やはり若干怖さはあったので、1人よりも2人の方が良いし。その思い出は確かにありますね」

 昨年に実施予定だったアウェイ北朝鮮戦は、相手のドタキャンで中止に。今日まで約13年半行なわれていない北朝鮮遠征は徹頭徹尾、強烈だったようだ。

「本当の意味のアウェイは、あの国が唯一」「生きて帰れるのかな」「印象的なエピソードしかないくらいの遠征」といった証言の数々が、それを如実に物語っている。

 
 

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