今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2024/10/15) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(まだ来期のJ1は確定していませんが、シーズンチケットの話も)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2024/10/12 2025シーズンチケット/トリコロールメンバーズ2025概要のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(11月1日から受付開始)

2024/10/14 練習試合の結果(vs シンガポール代表) | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(45分×2本、5-0・2-1)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

X(旧Twitter) / Instagramなど


 
 

Webニュースログ

2024/10/15 「ボールのつけ方が上手い」小野伸二が語る横浜の喜田拓也&西村拓真「ガツガツ動いてくれる」 | サッカーダイジェストWeb

 元日本代表MFの小野伸二氏が、10月15日にフジテレビ系列で放送されたサッカー専門番組「MONDAY FOOTBALL みんなのJ」に出演。横浜F・マリノスの喜田拓也と西村拓真の印象を語った。

 小野氏はまず、喜田についてはチームの心臓と称し、次のように述べる。

「一番嫌な、人がやりたくない仕事を自然とできるというか。どこにいても、ボールの危ない箇所、危機察知が速いし。取ったボールのつけ方が、すごく上手いんですよ。そこがすごく好きです。ただ単につけるのではなくて、相手の状況を見て、相手が一番嫌なところを狙ってくるので。普通のパスと思うかもしれないけど、すごく良いところ、『そこにつけるんだ』と。相手で対峙するとよく感じると思う」

 また、西村については「とにかく攻撃、守備を問わず、精力的にチームのためにガツガツ動いてくれる」と評し、「突然凄いミドルを打ったり。『ここで打つか』みたいな。フォワードなんだけど、いろんなことができる。彼がいてくれるとチームが攻撃も守備も安心して見られる」と続ける。

 サッカー界の偉大な先輩である“天才”の賛辞に、喜田は「この動画、後でもらっていいですか」、西村は「もっとやらないといけない」とコメントした。

 
 
2024/10/15 水沼宏太と喜田拓也から学んだ「昇格組」が繋げていくトリコロールの未来。横浜FMユースMF望月耕平はルーキーイヤーからレギュラー獲りを果敢に狙う! | ゲキサカ

[10.13 プリンスリーグ関東1部第16節 横浜FMユース 3-3 東京Vユース 横浜国立大学フットボール場]

 いつも浮かべている柔和な笑顔の陰には、強烈な向上心が隠されている。いよいよサッカーを自らの職業にすることが定まったからには、今まで以上に高い位置へ目線を置きながら、行けるところまで行き切ってやる覚悟は、もう十分に整っているようだ。

「トップ昇格が決まったことは率直に嬉しかったですけど、そこはあくまでも通過点で、トップで活躍していくということが自分の目標なので、来季は最初から試合に関われるように、少しずつでもいいので必ず結果を残して、レギュラーとして出られるぐらいの勢いを持ってやっていきたいと思っています」。

 来季のトップチーム昇格が内定している、横浜F・マリノスユース(神奈川)のナンバー10。MF望月耕平(3年=横浜F・マリノスジュニアユース追浜出身)が慣れ親しんだトリコロールのユニフォームに袖を通して歩んでいく未来には、楽しみな可能性がどこまでも広がっている。

「いつもは中盤の真ん中かフォワードをやるんですけど、今回は右サイドハーフということで、たまにやるぐらいなので、少し苦手な部分もありましたね」。プリンスリーグ関東1部第16節。既に優勝を決めている東京ヴェルディユース(東京)と対峙した90分間。望月は右サイドハーフの位置でキックオフの笛を聞く。

 本人は「右サイドで右足で受けるというところはもう少し練習しないといけないと思いましたね」と振り返ったものの、やはりこの人にボールが入ると全体のギアが一段階アップ。内側と外側のポジショニングを使い分け、シンプルなパスと積極的なドリブルを巧みに駆使しながら、チャンスの芽を生み出していく。

 2年生ながら10番を託されていた昨シーズンは、少し背負うものが大きい印象もあったが、今季は冨樫剛一新監督の元で気持ちも新たにプレーできている様子。「個人的な技量のレベルアップという点よりは、『チームとして勝つ』という点を強調されているので、『自分が絶対に点を獲るんだ』とは個人的に思っているんですけど、点を獲るためにどこから繋がっていくかという中で、誰が点を取っても勝てるようなチーム作りをしてもらっていると思います」という言葉にも、役割が整理されているような思考が滲む。

 試合は横浜FMユースが開始4分に先制したものの、前半のうちに逆転を許し、後半にもう1点を献上してスコアは1-3に。前期の対戦でも大敗を喫した相手に小さくないビハインドを背負ったものの、この日のチームはここから折れないメンタリティを発揮する。

 40分にショートコーナーの流れから1点を返すと、その2分後に中央でスローインを受けた望月は、力強い反転でマーカーを弾き飛ばしながら、ドリブルで運んで右へ展開。DF早川優世(2年)のグラウンダークロスに、MF関野愛紀(2年)がわずかに触ったボールは左スミのゴールネットへ吸い込まれる。

 ファイナルスコアは3-3。「チームも『プレーオフには必ず行かないといけない』という気持ちで毎日練習に取り組んでいるので、みんなの気持ちが強く表れたから最終的に追い付けたのかなと思います」。後半の途中からは左サイドハーフに回り、終盤のシステム変更以降はシャドーに入るなど、持ち前のポリバレントさを披露しつつ、肝心な局面では逞しいプレーで得点を演出した10番の存在が、このチームに欠かせないことはあえて言うまでもないだろう。

 9月18日。望月とDF埜口怜乃(3年)の『2025年シーズン トップチーム昇格』がクラブから発表された。12歳で伝統あるトリコロールのエンブレムを背負ってから、目指し続けてきたステージへ到達したことで、本人は今まで以上に周囲の目線も意識しているようだ。

「シーズンの途中でトップ昇格が決まったことで、周囲からの見られ方もまったく違いますし、とにかく相手とか観客の方からも見られる目があるので、そういう部分を考えながら、しっかりと自分の中で高い意識を持ってやれていると思います」。

 今季はシーズン前に行われたトップチームのキャンプにも参加。「その頃はまだトップの練習にあまり参加していない時期だったので、ちょっと不安な点もあったんですけど、トップの選手が良い雰囲気でやってくださったので、かなり良い感じで馴染めていったかなと思います」。日を追うごとに少しずつ自分の持ち味も表現できていく。

 ただ、間近で体感したトップレベルの選手たちは、やはりクオリティが高かった。「技術的な点で言うと天野純選手やアンデルソン・ロペス選手、ヤン・マテウス選手はちょっと次元が違うなと思いました」。さらに望月が大きなインパクトを受けたのは、アカデミー出身の先輩たちが持ち合わせているマインドだったという。

「水沼宏太選手と喜田拓也選手からはマリノスに懸けている想いがひしひしと伝わってくるんですよね。それを味わったことで、アカデミーの“昇格組”という点では自分たちがそれを繋げてやっていかないといけないんだなという想いも、より強くなったかなと思います」。偉大な先輩の背中を追い掛けながら、自分もその立場を担う未来を明確にイメージしているようだ。

 アカデミーで過ごす時間はあと2か月あまり。それが終われば、もうすぐにトップチームへ合流し、プロサッカー選手としての毎日がスタートする。望月は今のユースで為すべきことと、その先へと繋げていくべきことをしっかりと把握した上で、日々のトレーニングと向き合っている。

「自分のこれまでやってきた練習で身に付けた技術には自信を持っているので、トップでも自信を持ってやっていきたいですね。ここからの時間は自分のレベルアップもそうですけど、とにかくトップの人たちにアピールできるようなプレーをして、どんどんトップに関わっていけたらいいかなと思いますし、プリンス優勝は逃してしまったんですけど、『プレーオフに出て、プレミアに昇格する』というのはチームが始動した時点で決めた目標なので、そこはもう絶対に昇格するという強い気持ちを持ってやりたいと思います」。

 1年でのプレミアリーグ復帰は、自分に課したアカデミーへの置き土産。それを成し遂げてから足を踏み入れるのは、シビアな競争を強いられる新たな舞台だが、そこを生き抜いていくだけの自信ははっきりと持ち合わせている。マリノスの土壌が育んできた万能型アタッカー。望月耕平はプロ1年目からフルスロットルで、世界へと続く道を駆け上がる。

(取材・文 土屋雅史)

 
 
2024/10/13 横浜FM、浦和への影響は? チキ・ベギリスタインがマンCのFD退任正式決定、後任は日本代表MF守田英正を獲得したスポルティングのビアナ氏 | サカノワ

— 12年間にわたり務める。

 イングランド・ プレミアリーグのマンチェスター・シティは10月12日、クラブ公式サイトで、強化責任者であるフットボールディレクター(FD)のアイトール “チキ” ・ベギリスタイン氏が今季2024-25シーズン限りで退任すると正式に発表した。後任はポルトガル1部スポルティングCPのウーゴ・ビアナ氏。

 ビアナ氏はサッカー日本代表の守田英正らを獲得してトップの座をキープしてきた敏腕で、チームも現在ポルトガルリーグ首位に立つ。マンチェスター・Cは新シーズンに向けて、ビアナ氏がフルタイムでの勤務に入るまで、ベギリスタイン氏が協力して作業を行うと発表している

 チキはジョゼップ・グアルディオラ監督を支え、前人未踏のプレミアリーグ4連覇を達成。そうしたなかベギリスタイン氏と現役時代に浦和レッズでともにプレーしている西野努氏は、シティグループ入りして、横浜F・マリノスの強化を担当すると噂されてきた。横浜FMの強化責任者は中山昭宏社長が兼務するという事実上の”空位”の状況が長く続いており、西野氏の動向に加え、横浜FMとしてもつながっていたベギリスタイン氏退団に伴うシティグループとの連携がどのようになっていくのかも注目される。

 
 
2024/10/13 「日本のチームに行くはずだった。口座に入金もされていた」元ブラジル代表主将がJ移籍破談を回想「彼らは怒っていたよ」 | サッカーダイジェストWeb

— 「ちょっと問題が生じた」

 世界の頂点に立った選手は、Jリーグでプレーするはずだった。

 元ブラジル代表のカフーは2001年、元日本代表の中田英寿氏らとともに、ローマでスクデットを獲得し、セリエAを制した。2002年には日韓で共催されたワールドカップで、セレソンのキャプテンとして戴冠している。

 その後、カフーは2003年にローマを退団した際、横浜F・マリノス入りに近づいた。だが、目前で破談となり、ミランに移籍。日本でその雄姿を披露することはなかった。

 当時のことを、カフーはイタリアでのイベントで、「ローマの次に日本のチームに行くはずだった。口座に入金もされていたんだ」と振り返っている。『MilanNews』が伝えた。

「だが、連絡してこう言ったんだ。『ちょっと問題が生じた。ミランから連絡があったんだ』とね。そして私はミランに行った。彼らは少し怒っていたよ。ミランが払うのは日本のチームほどではなかった。でも、あのミランだったんだ」

 2008年にミランを離れ、スパイクを脱いだカフーは、「2006年に(当時ミランを運営していたアドリアーノ・)ガッリアーニには2008年で退団すると伝えてあった。ブラジルの父のところに戻りたかったからだ」と回想している。

「そして2008年の夏、2カ月前にガッリアーニと(幹部の)レオナルドから連絡をもらった。オフィスに行ったら、もう1年やろうと。でも、すごくうれしいけど行かせてほしいと伝えた。とてもうれしかったけど、家に帰りたかったんだ。終わりが来ていたんだよ」

 カフーはミランで2004年に再びスクデットを獲得。2007年にはチャンピオンズリーグやクラブ・ワールドカップ優勝に貢献した。世界のトップクラスで活躍した彼が、日本のピッチに立っていたら、どのようなプレーを見せてくれていたのだろうか。

 
 
2024/10/13 残念すぎる…。横浜F・マリノス、歴代ガッカリ外国籍選手6人。期待されるも、活躍できなかった助っ人たち

1993年の開幕から32年目を迎えたJリーグでは、数多くの外国籍選手がプレーしてきた。活躍した選手もいる中で、期待を大きく裏切って帰っていった選手も少なくない。今回では、横浜F・マリノスで活躍できなかった外国籍選手を6人紹介する。
※年齢は加入時、成績はマリノス在籍時のもの

— 引退後は名門ディナモ・ザグレブでの監督経験も

イゴール・ヨビチェビッチ(クロアチア出身)
生年月日:1973年11月30日(当時25歳)
在籍期間:1999年
J1通算成績:1試合出場/0得点

 世界的名門レアル・マドリードのBチームでもプレー経験を持つFWは、1999年に来日して練習生から横浜F・マリノスと正式契約を結んだ。しかし、将来を嘱望された過去の経歴による期待には応えられず、リーグ戦出場は1試合のみだった。

 その唯一の出場機会は1999年の2ndステージ第14節・清水エスパルス戦の終盤85分からだった。1-2でリードを許していた展開で同点ゴールが期待されながらノーインパクト。そしてホーム最終戦で優勝争いをしていた首位・清水に振り切られ、目の前で2ndステージ優勝を決められてしまった。

 1999年限りでマリノスから退団となり、ブラジルのグアラニへ移籍する。そこからクロアチア時代の古巣NKザグレブ、フランスのメス、中国の瀋陽東進や上海連城(のちに上海申花に合併)、ウクライナのカルパティといったクラブを渡り歩き、選手としては不思議なキャリアを送った。

 それでも現役引退後は指導者としてステップアップしていき、2020年には数々の実力者を輩出してきたクロアチア屈指の名門ディナモ・ザグレブの監督を任された過去もある

— たった4日間で…

アブデルジャリル・ハッダ(元モロッコ代表)
生年月日:1972年3月21日(当時27歳)
在籍期間:2000年
J1通算成績:0試合出場/0得点

 モロッコ代表の9番を背負い、1998年フランスワールドカップ(W杯)では2得点を挙げた実績を持つFWだったが、マリノスでは公式戦に一度も出場することなく終わった。それどころか加入から契約解除までたった4日間という前代未聞のスピード退団だったのである。

 キャンプに合流したハッダは、オズワルド・アルディレス監督から早々に構想外を告げられ、イスラム教ゆえに日本の食事も合わなかったことも解雇につながった。横浜にたどり着くことなくクラブを去ることとなったのだ。

 マリノス退団後は保有元のスポルティング・ヒホンに戻り、チュニジアやモロッコのクラブでプレーしたのち2004年夏に現役を引退した。なお、世界中の選手情報を網羅するウェブサイト『transfermarkt』には、マリノス在籍歴が掲載されていない。あまりに短すぎた在籍4日間はなかったことになっているようだ。

— レコバの元相棒と香港リーグ得点王

マルセロ・リパティン(ウルグアイ出身)
生年月日:1977年1月28日(当時24歳)
在籍期間:2001年
J1通算成績:1試合出場/0得点

 ウルグアイの世代別代表でアルバロ・レコバとコンビを組んでいたという触れ込みで来日したが、その片鱗を見せることはなかった。結局、1年間の在籍でリーグ戦の出場は1試合のみ。しかも途中出場で延長Vゴールを奪われるまでの18分間のみだった。

 前年に4日間の在籍で解雇になったハッダとは違い、横浜までたどり着いたが、ホームの日産スタジアムのピッチに立つことは叶わず。離日後はメキシコのクラブ・アメリカへ移籍し、のちにセリエBのバーリや当時ポルトガル1部のマリティモ、CDナシオナル、トロフェンセといったクラブでプレーした。

 日本で輝けなかったにもかかわらず欧州ではそれなりに結果を残している、謎多い選手だった。
 
 
レアンドロ(ブラジル出身)
生年月日:1974年9月29日(当時26歳)
在籍期間:2001年
J1通算成績:3試合出場/0得点

 1999/2000シーズンの香港リーグ得点王という肩書きを持つストライカーで、2000年に開催されたカールスバーグカップの日本代表戦に、香港リーグ選抜の一員として出場していた。日本の中継映像で紹介された登録名はファーストネームの「レアンドロ」ではなく姓の「シミオニ」だった。

 そこでのプレーが評価されたのか、2001年に来日してマリノスに加入する。しかし、ヘディングの強さ以外に目立った武器はなく、リーグ戦では3試合の出場のみ。ノーゴールで同年7月に契約解除となった。

2001年のマリノスはヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)こそ制したものの、開幕前の外国籍選手の補強にことごとく失敗し、シーズン中の監督交代やリーグ戦の残留争いなど大いに苦しんだ。

 レアンドロはマリノス退団後、一度ブラジルに戻ったが、2003年夏から2シーズンにわたって当時ドイツ2部のオーバーハウゼンで活躍。ブラジルやイスラエルでのプレーを経て現役を引退した。

— アルゼンチン路線への回帰は…

パブロ・バスティアニーニ(アルゼンチン出身)
生年月日:1982年11月9日(当時27歳)
在籍期間:2010年〜2011年
J1通算成績:6試合出場/0得点

 かつてのマリノスのようなアルゼンチン路線の復活となるかに思われたが、バスティアニーニの補強は明らかな失敗だった。イングランド3部やギリシャ、ベネズエラでのプレー経験を持つ変わり種ストライカーは練習試合でも全く通用しない有様で、リーグ戦は6試合の途中出場のみだった。

 網膜剥離で戦線離脱を強いられた時期もあったが、身長187cm体重80kgという大柄な体格がピッチ上で活かされることはなく、もちろん6試合で1つのゴールも奪えなかった。

 それでも2011年もマリノスに残留する。だが、同年3月11日に発生した東日本大震災を受けて「生まれたばかりの子どもがいるため、震災後に帰国した家族の強い要望もあり、帰国して家族のもとで新たな道を歩み続けることを決断しました」というコメントを残して4月15日付で契約解除に。アルゼンチンへ帰国した。

— お騒がせSNS芸人

カイケ(ブラジル出身)
生年月日:1988年4月1日(当時27歳)
在籍期間:2016年
J1通算成績:23試合出場/4得点

 フラメンゴの下部組織で将来を嘱望されたストライカーは欧州挑戦こそ失敗したものの、ブラジルの下部リーグで揉まれて成長を遂げ、徐々に国内でも名の知られた存在になっていた。2015年にフラメンゴに復帰すると当時チームを率いていたオズワルド・オリヴェイラ監督にも重用された。

 しかし、2016年に加入したマリノスでは期待を裏切り続けた。背番号9を与えられたが、試合に出場してもゴールを決められず、度重なる規律違反で同年9月末にはチーム練習への参加を禁止されるまでに。練習への遅刻や、ベンチ外になった公式戦の試合中にSNSに全く関係のない投稿をするなど、完全にネタ外国人となっていた。

 もはや“SNS芸人”と化していた中、信頼を失う決定打となったのが2016年9月25日の川崎フロンターレ戦だった。その試合でベンチ外になっていたカイケは、チームメイトたちが2-3の激闘を演じている最中に自身のインスタグラムへ「Enjoy life in GINZA」と酒瓶の絵文字などとともに妻とのツーショットを投稿したのだった。

 マリノスで構想外になったものの、長期契約は残されており、2017年以降は母国ブラジルのクラブへ期限付き移籍を繰り返す。2017年はサントスへ、2018年はバイーアとフルミネンセに在籍。それらのクラブではことごとく結果を残せていなかったが、2019年3月にようやくマリノスとの契約が解除になり、次の移籍先となったゴイアスで復活を遂げ、同年9月からはカタールでプレーしている。

 カイケ唯一のファインプレーは、2018年にフルミネンセで同僚だったマルコス・ジュニオールが移籍先にマリノスを選ぶ際の助言者の1人になったことだ。

 
 

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