今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」(2024/9/20) #fmarinos


今日の横浜F・マリノスの動向が6分5秒ぐらいでわかるWebまとめ「夕刊こけまり」

(´-`).o0(またリユースカップなどやるのでしょうか?<プラごみ削減プロジェクト)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2024/09/19 スポーツ界横断の使い捨てプラごみ削減プロジェクト「HEROs PLEDGE」パートナー団体参画のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(「使い捨てプラスチックごみをスポーツの興行において削減していく」活動を行う)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開練習)
 
 

X(旧Twitter) / Instagramなど


 


 
 


 
 

Webニュースログ

2024/09/20 横浜・ハッチンソン監督「とにかく次のリーグ戦に」 ACLE大敗から3日…練習前に20分ミーティング― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜F・マリノスは20日、神奈川県横須賀市内のクラブ施設で広島戦(22日、エディオンピースウイング広島)に向けた全体練習を行い、冒頭15分を報道陣に公開した。

 アジア・チャンピオンズリーグ・エリート(ACLE)1次リーグ初戦・光州(韓国)戦の大敗(3―7)から3日。練習前に約20分間のミーティングを実施し、取材に応じたジョン・ハッチンソン監督(44)は「とにかく次のリーグ戦が待ってるのでそこに(パフォーマンスを)持っていく。どんな相手でも後ろから回して、プレスのところも前から行く。今日の練習でもそういうところを一つ一つ確認した」と話し「次に向かわないといけない」と切り替えを強調した。

 
 
2024/09/12 「心のどこかで…」横浜F・マリノス4番手GKが明かす入り混じる感情。寺門陸、デビューまでの3年7か月を追う【コラム】

 4日に行われたYBCルヴァンカップ準々決勝第1戦・北海道コンサドーレ札幌戦で、アカデミー出身のGK寺門陸が横浜F・マリノスデビューを果たした。3シーズンに渡るレノファ山口FCでの武者修行から帰ってきた今季、いつ訪れるか分からない出番のために、寺門は準備を続けてきた。(取材・文:藤井雅彦)

— 「横浜F・マリノスの選手として…」寺門陸のブレない目標

 選手が、スタッフが、次々と背番号41とタッチを交わし、背中を叩き、ピッチへ送り出していく。当の人は緊張しているのか、表情が少し強張っているように見えなくもない。

 YBCルヴァンカップ準々決勝第1戦・北海道コンサドーレ札幌戦の後半開始から出番が巡ってきた。寺門陸にとってプロ4年目で訪れた念願のマリノスデビューだった。

 前半にファインセーブを連発した飯倉大樹は負傷でプレー続行が困難な状態に。寺門はハーフタイムに入った直後に途中出場の可能性を伝えられ、実際に交代用紙が提出される。

 後半キックオフ前に円陣を組み、闘う集団に加わった。これまではベンチやスタンドから眺めることしかできなかったが、11人の輪に入ると自然と気持ちが昂った。大きな大きな一歩目だ。

「ずっと憧れていた、目標にしていた舞台でした。言葉にするのが難しいというか、簡単に良かったというだけの感情ではないのが本音です。中学生になってジュニアユースからお世話になって、プロにもさせていただいたクラブ。最初の3年間は山口へ期限付き移籍しましたけど、頭のどこか、心のどこかでF・マリノスの選手としてこのエンブレムを付けてゴールを守るというのはブレない目標でした」

ユースからトップチームに昇格し、J2のレノファ山口FCへ即レンタルの道を歩んだ。少しでも出場機会の確率を高められるようにというマネジメントはクラブの親心でもあった。

— 寺門陸を大きくした2つの経験

 公式戦出場0試合に終わった1年目でプロの水に慣れ、プロデビューを果たした2年目はリーグ戦6試合、3年目はリーグ戦11試合出場と貴重な経験を積んだ。順風満帆とはいかずとも、着実に階段を上がっていった。

 3年間でリーグ戦17試合という数字は多いとは言えないかもしれないが、日々の鍛錬がプロサッカー選手としての礎を築いていく。元日本代表GKの土肥洋一氏を師と仰ぎ、細部にこだわりながら心身ともに鍛えられた。

 サッカーだけに集中できる環境が、寺門をひと回り大きくした。1~2年目にチームメイトと一緒に住んでいたシェアハウスから最寄りのコンビニまでは徒歩で約30分。長閑な環境が成長を促し、自炊にも意欲的にチャレンジする。プロ入り時に72~73kgだった体重は1年後には79~80kgまで増えていた。

 試合経験と人生経験。その2つを自信として備え、憧れの横浜F・マリノスへ帰還した。

 今季開幕時の立ち位置は4番手GKだった。ポープ・ウィリアムが主戦を務め、ベテランGK飯倉が控える。同じアカデミー出身の白坂楓馬もいる。その3選手は序盤戦の段階で公式戦に出場したのだから、心中穏やかではいられない。

 だが、焦ってもチャンスが巡ってくるわけではない。それを理解している寺門は「今シーズンほぼ試合に絡めていない中で、山口での1年目のようにこのレベルに自分が達していないだけ、実力が見合っていないだけだと思っていた。そこを目指してコツコツとやり続けたし、いつチャンスが来るのか分からない中で、転がってきたチャンスを掴めるようにと常に考えて練習してきた」。松永成立GKコーチと榎本哲也アシスタントGKコーチの指導を受け、自分自身を磨いていく。いつか訪れる出場機会のために、1日の練習と1本のシュートに全神経を注ぐ。

 そんな日常が、彼をマリノスデビューへと導いた。ポープが負傷欠場し、飯倉が負傷交代というアクシデントが重なった結果だとしても、約7か月の歩みは間違っていなかった。

— デビュー戦で力を発揮できた理由

 2点をリードした状況でスタートした後半、チームメイトがさらなるゴールラッシュで新鋭GKを援護射撃。4ゴールを追加して6-1の大勝を飾る。自身も鋭い出足で被決定機を防ぐなど、ホームゲームに駆け付けたサポーターの声援を浴びながら及第点以上のパフォーマンスを見せた。

 想像していた以上にリラックスした状態で臨めた理由がある。

「大樹さんからは『ごめんな。頼むな』と声をかけられました。ハーフタイムは緊張していた部分もあるので、長い言葉をもらっても頭に入らなかったと思うので、シンプルな声かけに助けられました。大樹さんだけはなく、選手とスタッフはみんな自信を持たせてくれる言葉をかけてくれて、ものすごく助かりました。数的優位でリードしている展開という自分にとってやりやすい状況にしてくれたチームメイトのおかげだけど、デビュー戦を勝って終われたのは自信になりました」

 念願のマリノスデビューは、21歳の若武者をさらに貪欲にする。トップカテゴリーで公式戦に出場したからこそ、目線はさらに高くなっていく。

「自分としては現状のレベルに満足してないし、シゲさん(松永コーチ)やテツさん(榎本コーチ)、大樹くん、ポープくん、楓馬くんの良いところを盗んで成長していきたいです。前半、大樹くんがいなかったら試合展開はどうなっていたか分からない。あそこを失点ゼロで抑える力は見習わないといけない。無失点で終わらないといけない試合だったので、そこは大樹くんと僕の差かなと思います」

 試合翌日のオフが明け、チームは次の試合に向けてトレーニングを再開した。寺門も普段通りのメニューをこなし、GKグループの居残り練習で大粒の汗を流す。

「これまでも、これからも、コツコツとやっていきます」

 2回目のチャンスを掴み取るために、寺門陸は今日も泥だらけのユニフォームでゴールを守る。

 
 
2024/09/19 ACL決勝の知られざる舞台裏――チームマネージャーが語るUAE戦記【日本サッカー・マイノリティリポート】 | サッカーダイジェストWeb

— 敵地事前視察のあの日から心理戦はもう始まっていた

 横浜F・マリノスがクラブ初のアジア制覇に王手をかけて迎えたACL決勝。その知られざる舞台裏に迫る「UAE戦記」をお届けする。もっと強く、もっと熱いクラブという未来を見据え、チームマネージャーを務めてきた飯尾直人は、どのような思いを語るのか。

 何とか、しなければ――。

 クラブ初のアジア制覇に王手をかけて迎えた試合当日、飯尾直人は酷暑の異国でキックオフ時刻が迫るなか、電子チケットの確保に追われていた。AFCチャンピオンズリーグ(ACL)で決勝に駒を進めた横浜F・マリノスは、ホームでの第1戦を2-1とリードして折り返し、アウェーのアラブ首長国連邦(UAE)に乗り込んでいた。

 チームマネージャーの飯尾は、監督やチームドクターらとともにACLでのベンチ入りを義務づけられている。それなのに決勝第2戦が始まるギリギリまで電子チケットをかき集めていたのは、日本から遠路はるばるUAE入りしていたファン・サポーターの一部が、スタジアムへの入場に必要なそのチケットをまだ確保できずにいたからだ。

 ナイトゲームの決勝第2戦は現地時刻の20時過ぎに始まり、飯尾たちはまさかの結末を迎えることになる。2006年に新卒で横浜F・マリノスのコーチとなった飯尾は、スクール運営などで長く普及活動に携わってきた。19年にはJリーグ運営担当に配置換えとなり、22年以降はチームマネージャーも任されている。普及の現場を預かるコーチから、事業の担い手となったクラブ生え抜きの飯尾は、23-24シーズンのACLで得られた貴重な財産を、どのような未来に繋げていこうとしているのだろうか――。

 決勝を戦うアルアインとの心理戦は、飯尾たちが事前に敵地を視察した4月30日(決勝第2戦の25日前)には始まっていた。現地を案内してくれたのは全身白装束で、アラブ人であることが一目瞭然のチームマネージャーだ。

 こっちだ、俺についてこいと言わんばかりのジェスチャーに始まった、スタジアムや練習会場のチェック作業にはある種の駆け引きが含まれていた。アルアインのチームマネージャーが歓迎ムードを漂わせながらも、交渉を有利に進めようとするかのようなしたたかさを随所に覗(のぞ)かせていたからだ。

 幼稚園児の頃には自然とボールを蹴っていて、大学1年生の途中までサッカーを続けた飯尾がコーチの道を歩みだしたのは「お前どうせ暇だろ」と、かつてのチームメイトに誘われたのが始まりだ。小学生にいざサッカーを教えてみると面白く、子どもたちの成長を間近で見守れるコーチングに飯尾はのめり込む。

 大学3年の冬には日本サッカー協会のC級ライセンスを取得し、続いて横浜F・マリノスが初めて開催したプロコーチを採用するためのセレクションも突破した。大学を卒業する06年の2月から正式にF・マリノスで働きはじめ、16年には社員となる。

 大学4年時のいわゆるインターン時代を含めれば、飯尾がこのクラブで迎える20年目にして初めてACL制覇の絶好のチャンスが訪れた計算だ。

 決勝第2戦のキックオフは5月25日の夜。先行して20日に日本を発った飯尾は、アルアインのチームマネージャーと交渉を続けていた。話が違っていたからだ。

 F・マリノスのファン・サポーターたちを迎えるアウェー用のシートは、2000席を用意する。5月11日の決勝第1戦を前にして、飯尾はそう聞かされていた。ところが実際は1100席しか用意されない。そう判明したのは、飯尾がすでにUAE入りしたあとだった。

 F・マリノスが公式サイト上でクラブとしての対応策をアナウンスしたのは、試合3日前の5月22日。混乱を避けるためにチケット希望者は翌23日までの事前登録制として、応募が予定枚数(1100席)を超えた場合は、厳正なる抽選の結果をメールで知らせることにした。

 その結果「誠に残念ながら観戦チケットのご用意ができませんでした」という「大変心苦しいご案内」を落選者に送信しなければならなくなる。それが試合前日の5月24日。航空券や宿泊先をすでに押さえていたファン・サポーターの多くは、UAEへの移動中に当落の結果を知らされることになったのだ。SNS上では、次のような呟きが拡散された。「(UAEの)ドバイに到着! と同時にACL決勝チケット落選のメール受領……。でも、予定通りアルアインには行きます! アジアを勝ち取ろう!」。

— クラブは「プランB」も想定。全員分を確保できない場合は

 Jリーグ運営担当の職務は多岐にわたる。F・マリノスの主催試合ではマッチコミッショナー、審判団、対戦相手の担当者などと連携し、天災など不測の事態に備えながら競技をしっかりと成立させる。「まずは安心・安全です」(飯尾)。

 運営担当は試合当日の各種イベントにも携わる。来場するお客様に、いかに楽しんでいただくか。非日常感を演出する企画を練り、イベントにはクラブ内外の多くの部署がかかわるので「交通整理」もひとつの役割だ。

 F・マリノスの運営担当はふたりで、飯尾はこれらの「競技まわり」と「イベントまわり」を近年は鈴木彩貴(あやき)と手分けして回してきた。さらにチームマネージャーでもある飯尾は、合間合間のアウェーゲームに帯同する。敵地にまで応援に駆けつけてくれるファン・サポーターたちのフォローアップも、チームマネージャーの役割だ。

 UAE入りしてからもチケット問題と向き合ってきた飯尾は、決勝第2戦のキックオフ時刻を睨(にら)みながら、日本から駆けつけてくれたファン・サポーターのどのくらいの人数がまだチケットを確保できていないのか、情報収集に努める一方、“救難信号”を出して助けを求めていた。

 飯尾が発したSOSにこたえてくれたのは、日本サッカー界の有志たちだ。ACL決勝のチケットは、大会を主催するAFC(アジアサッカー連盟)が一定枚数を確保し、加盟各国に分配している。飯尾たちが当てにしていたのは、追加手配のチケットだ。UAEと日本のクラブによる決勝なので、追加可能なチケットが余っているに違いない。

 大事な決勝を直後に控えたF・マリノスの選手たちも、チケットを確保できずに試合当日を迎えたファン・サポーターたちを気遣っていた。飯尾に面と向かって、次のように声をかけてくる選手もいたほどだ。

「全員スタジアムに入れそうですか?」

 SOSにはありがたいことに多くの反応があり、飯尾のスマホには追加手配のチケットが続々と集まってくる。次の問題は、確保できたこれらの入場券をファン・サポーターたちにどう渡すか。飯尾は宿泊していたホテルのプリンターを借りて、紙のQRコードを手渡しすることにした。貴重な電子チケットを出力できるだけ出力し、キックオフの7時間前にホテルを出発する先発隊の鈴木に託す。

 追加チケットを確保という情報はクラブ公式Xで発信し、集合場所にはファン・サポーターたちが集まった。しかし、用意できた枚数を応募者の数が上回り、全員にチケットは行き渡らない。

 追加手配のチケットをさらに集めながら、クラブはプランBも想定していた。仮にファン・サポーター全員分のチケットを確保できなかった場合は、アジア王者に輝いていようと、準優勝に終わっていようと、スタジアムの外で応援してくれたみんなのところへ、試合後の選手たちがお礼の挨拶をしにいくと。選手たちもスタッフも賛同していた、全面的なクラブの総意がそのプランBだったのだ。

 F・マリノスにとって完全アウェーの決勝第2戦は20時過ぎに始まった。ベンチから戦況を注視していた飯尾は、さすがに感情の高ぶりを抑えられなかった。

「普段のJリーグの試合では、自分の感情を入れないようにしています。もしもこのタイミングで地震が発生したら、どう動くべきかといったことも考えながら、スタジアム全体の雰囲気を掴もうとしています。ただ、UAEでのあの夜は、助けてくれた皆さんのためにも優勝したいと感情がすごく入っていました。F・マリノスが次のステージへ進んでいくためにも、勝利が重要だと思っていたので」

 飯尾が試合に集中できていたのは、チケット問題を解決できていたからでもあるだろう。怒涛(どとう)の一日となったので記憶は定かではないが、飯尾自身が最後のファン・サポーターに紙のQRコードを手渡しできたのは、おそらくキックオフまで2時間を切ろうとしていた頃だった。

— バトンを繋いでいく積み重ねが強いクラブを作っていくのでは

 UAEの時刻で22時、日本時間では深夜3時頃、23-24シーズンのACL王者が決まり、優勝セレモニーが繰り広げられるなか、飯尾はある選手の振る舞いに目を奪われていた。

 ゴール裏から声援を送ってくれたF・マリノスのファン・サポーターたちと真摯に向き合い、深々とお辞儀をしているのは、キャプテンの喜田拓也だ。小学生の頃からF・マリノス一筋というクラブ生え抜きの喜田を、飯尾はコーチとして直接指導したわけではないが、そのキャプテンシーはよく知っている。

 誰よりもリーダーシップがあり、責任感が強く、献身的。クラブ愛が深く、ファン・サポーターを大事にしているからこそ、強烈な無念を背負い込む喜田の背中を、飯尾はその目に焼き付けた。

 誰の人生にも無数の「もし」がある。飯尾の父は中学校の教員で、野球部の顧問でもあった。実家の居間ではプロ野球中継が流れていて、2歳年下の弟は野球部に入部した。子どもたちの意思を尊重し、息子のひとりにはサッカー一色の少年時代を過ごさせてくれたその父親に、飯尾は一度だけ強く諭されたことがある。

 大学生の飯尾は卒業後の進路として、父親と同じ教員という選択肢も持っていた。教員そのものというよりは、サッカー部の顧問になれたらいいと。

「教師になって、お前は何がしたいんだ? クラスの担任を任されたら、サッカー部以外の生徒のこともきちんと見てあげなければいけない。教員の使命を、勘違いしているのではないか?」

 大事なのは生徒一人ひとりとどう向き合い、どのように指導していくか。父親からのその助言もまた、学校の教員ではない道へと飯尾を導いた。

 23-24シーズンのACLアウェー事前視察で5か国・6都市を訪れた飯尾は、サッカーが持つ力を何度も目の当たりにしたと振り返る。中国で、フィリピンで、タイで、このスポーツは現地の人々を熱狂させていた。

 ACLが惜しくも準優勝に終わったあとも、飯尾は考えている。日本でもサッカーが生活の一部として浸透している未来へ、日産スタジアムをいつも満員にできている横浜F・マリノスの未来へ、自分に何ができるのか――。

「ありがたいことに、僕らは次のチャンスを掴(つか)んでいます」

 9月に開幕する24-25シーズンのACLエリート(新たなフォーマットとなるAFCコンペティションの最上位の大会)だ。飯尾の気持ちはすでに決まっている。

「チームマネージャーとしての経験を通して得られた知見を、繋いでいかなければならないと思うようになりました。次のACLエリートから、チームマネージャーは彩貴(鈴木)に担当してもらい、自分はサポートに回るつもりです」

 チームマネージャーの職務に伴う権限の大きな価値を実感できたからこそ、それを早期に移譲するという前向きな選択なのだろうか?

「そのとおりです。貴重な何かを得られる役割だからこそ、別のスタッフに繋ぎたい。おそらくバトンを繋いでいくその積み重ねが、強いクラブを作っていくのではないでしょうか。みんなで作り上げていくのが、強さだと思っているので」

 コーチとして普及に携わり、運営を担当し、チームマネージャーも務めた飯尾はその折々で実感してきたのだろう。サッカーには様々な携わり方があることを。プレーする、指導する、場を提供する、調整する、観る、支える、語り合う…。

 神奈川県茅ケ崎市出身の飯尾は、茅ケ崎市サッカー協会からの推薦でC級ライセンスを取得している。飯尾が受講した講習会のインストラクターは、全員F・マリノスのコーチ陣だった。「日本サッカー界の発展のために、インストラクターを惜しみなく提供していく」。それがF・マリノスというクラブの方針だったと、飯尾は後日知ることになる。

 鮮明に記憶しているのは飯尾自身がF・マリノスのコーチとなり、クラブのエンブレムがあしらわれたスタッフウェアを最初に支給された日のことだ。

「よーしと責任感が生じ、自分にできることを、クラブに少しでも貢献できるようにやっていこうと決めました」

 飯尾との長時間の対話を通して筆者が感じずにいられなかったのは、役割にとらわれず、どうすればF・マリノスに最大の貢献ができるかという、きわめて純度の高い献身性のような思いだった。見据えているのは、F・マリノスがもっと強く、もっと熱いクラブになっているそんな未来であり、その未来に向けて飯尾自身に何ができるのか――。

「地道なホームタウン活動や普及活動もそうですし、広報活動やプロモーション活動もそうでしょう。自分の強みをどこで出していくか、もっと考えながら、もっと強くて熱いクラブにしていきたいと、今回のACLをきっかけに、未来から逆算して考えるようになりました」

 飯尾がF・マリノスの一員となるプロコーチのセレクションは、およそ100名中合格者は7名だけという狭き門だった。指導実績が豊富だったわけではなく、プロ選手としての経歴も持たない大学生の飯尾がなぜ突破できたのか。

 採用の経緯を知る先輩のコーチによれば、「明るく、楽しい雰囲気の練習を作り出せる。頭でっかちにならず、わかりやすく選手に伝えられる。自分のそういうところを見てくださっていたようです。お酒の席で教えてもらった話ですので、どこまで本当なのかは、わかりませんが(笑)」

 プロコーチになった飯尾は、やがて指針を持つようになる。そのひとつはF・マリノスの先輩コーチから最初は“口伝”されたものだった。

「何のために練習するか? やっぱり楽しむためだよね。何歳になっても、いつまでも、サッカーを楽しめるように、練習して、技術を磨く。サッカーって失敗する回数が多いスポーツだよな。だからこそ大前提に“楽しむ”がなければ、とくに小学生年代の子どもたちは練習の苦しさに立ち向かえない。もちろん楽しさの意味を履(は)き違えてはいけないよ。サッカーを上達していく楽しさだ」

 普及に長く携わってきた飯尾には、裾野をもっと広げていきたい思いもある。

「子どもたちがサッカーをもっと好きになれば、自然と親御さんももっと興味を持ってくれる。サッカーの楽しさをもっと知ってもらえたら、もっと応援してもらえるかもしれません」

 クラブの生え抜きだからこそ精製できたに違いない純度の高い思い、横浜F・マリノス愛とも表現できる情熱や気概を見え隠れさせながら、飯尾は飯尾だからこそ担える役割をこの先も笑顔で背負っていくはずだ。(文中敬称略)

取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)

 
 
2024/09/19 浦和TDを退任した西野努氏、新天地は「マンチェスター」と報告。見据えるのは2年後のJリーグ改編か |Qoly サッカーニュース

浦和レッズの前テクニカルダイレクター(TD)である西野努氏(53)が、YouTobe『水内猛のオフサイドぎりぎり!』で新天地を報告した。

浦和の強化を担当した西野氏は今年4月15日に6月いっぱいでTDを退任することを明かし、後任には堀之内聖氏(44)が任命された。

浦和の元選手でもある西野氏は、前回『水内猛のオフサイドぎりぎり!』に出演した際に熱烈な浦和愛を語り、自身のブログでも「重職につくことより、離れることのほうが難しい。(中略)堀之内氏は、次の浦和レッズのSDとしてふさわしい人物」と、発展的な退任であることをにおわせていた。

ただシーズン序盤の退任劇であり、西野氏が横浜F・マリノス行きを噂されたこと、この発表の後に主将の酒井宏樹やアレクサンダー・ショルツら主力の退団が相次いだことでさまざまな憶測を呼んだ。

そんな中、18日に公開された動画ではこれからのことを語り、「年内の契約が決まって。12月末までね。イギリスにある会社で働く」と新たな職場がイギリスであることを報告した。

水内氏が「ざっくりだけどよく分からない。イギリスに行って…どの会社ですか?」と質問すると「マンチェスターにある会社です」と回答。

サッカー界でマンチェスターといえばユナイテッドとシティが君臨する町だが、水内氏が「それはベギリスタイン(元浦和、シティのSD)がいるところですか?」と尋ねると、西野氏は「大枠でいうとベギリスタインがいるところですね」と返答し、名前は出さなかったがシティ・フットボール・グループであることが明かされた。

シティ・フットボール・グループには噂されたマリノスも含まれている。そうなるとマリノス行きは既定路線なのだろうか。

西野氏はマンチェスターでの業務について、「経営とチーム編成とかスカウティング、あとは監督・選手・チームの評価。たくさんのクラブを抱えている会社だからそういう仕組みを勉強させてもらったり見せてもらったりする」と語り、その先に見据えているものも明かした。

「2026年夏からJリーグのシーズンが(秋春制に)移行するじゃない?今はシーズンがヨーロッパとズレているから移籍のタイミングが合致しなかったりズレがあるんだけど、シーズンがばちってはまったら選手が動くタイミングとかがヨーロッパと合う。そうなるともっと国際的な選手の移動が盛んになる。その時にJリーグのクラブがどういう立ち回りをするのかがすごく大事になる。2年後だから今から準備しないといけない」

秋春制に移行する2026年に向けて今から動き出しているということのようだ。

西野氏は9月の半ばからヨーロッパに渡るとのこと。ちなみにブラジル行きの希望も出しているそうで、「日本にはブラジル人選手が多いし、ブラジル人選手の移籍のキーマンだったりキーとなる会社だったり、クラブがどういう動きをしているのか見えたほうがいい。自分がそこに入ってみたい」とも語っていた。

西野努さんとギリギリトーク❗️これから西野さんは何をするのか❓ – YouTube
 
 

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