(´-`).o0(村上選手がJ2徳島へ期限付き移籍)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
2024/08/18 村上 悠緋選手 徳島ヴォルティスへ期限付き移籍のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(「こけまり」まとめ→こちら)
今日の練見(れんみ)
X(旧Twitter) / Instagramなど
×企画『対戦してヤバかった選手』で、札幌の #鈴木武蔵 選手や福岡の #紺野和也 選手に名前を挙げられた #ヤン・マテウス 選手。「嬉しいし、選ばれるということはいい仕事をしているということですね」とご満悦でした。
(エルゴラ横浜FM担当 大林洋平)#fmarinos pic.twitter.com/8nznQqkzf6— 首都圏J1/サッカー新聞エルゴラッソ記者班 (@EG_shuto1) August 19, 2024
/
夏休み特別企画 #テク1選手権 🏆を
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📅#やべっちスタジアム #171
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/#早慶クラシコ2024 注目選手紹介企画⑤🎬
\早慶それぞれの注目選手を紹介する本企画。
慶應義塾大学の3人目は慶應の怪物、 #塩貝健人(2年・ #國學院大學久我山高) pic.twitter.com/POx4RRkidl
— 第75回早慶サッカー定期戦 -早慶クラシコ- presented by アミノバイタル®︎ (@wksoccer2024) August 16, 2024
Webニュースログ
2024/08/16 次の瞬間、飯倉大樹は激昂した「それに気付いているから」。今の横浜F・マリノスを語りつくす【コラム】
横浜F・マリノスは明治安田J1リーグ9位に沈み、7月には今季から指揮を執っていたハリー・キューウェル監督との契約解除に踏み切った。過渡期を迎えるチームに対し、プロ20年目のベテランは何を思うのか。今のマリノスには、飯倉大樹にしかできないことがある。(取材・文:藤井雅彦)
— 「その上に勝利がないと意味がない」横浜F・マリノスの現在地
リーグ戦の連勝が3でストップしただけでなく、手痛い逆転負けを喫した。それなのに取材エリアに現れた飯倉大樹は穏やかな笑みを浮かべていた。
理由は、横浜F・マリノスの現在地にある。
「アンジェ・ポステコグルーから始まったサッカーがどんどんと形を変えたり成長したり、うまくいかなかったりして、今はうまくいっている途中。だから結果よりも自分たちがどういうサッカーをするかがとても大事。その上に勝利がないと意味がない。
マリノスは神戸と違って個人でどうにかできるチームではない。自分たちのサッカーで相手を倒すことが大事。オレが勝ちだけにフォーカスしたらチームがブレてしまう。とにかくやりたいことを根差す時期。自分たちが何をしたいか。
3連勝できたのはやろうとしていることのベースが心にあったから。でも今日みたいに崩れてうまくいかないときに保てないのは、まだしっかりと根付いたわけではないということ」
この日、横浜FMはロングボールを多用するヴィッセル神戸のインテンシティの高いサッカーに完敗した。苦しい展開の中でセットプレーを生かして先制したところまでは良かったが、前半終了間際にPKを献上して同点ゴールを許すと後半20分にはディフェンスラインの背後を突かれて失点。
次の瞬間、飯倉は激昂した。
— 「それに気付いているから」飯倉大樹が感じ取るチームの温度
失点の原因となった加藤聖の緩慢な守備だけでなく、気持ちを折られてしまったかのように下を向く選手たちを激しく鼓舞する。手を叩き、声を張り上げた
それはチーム最年長選手が果たすべき責務だったのかもしれない。
「今日は自分たちのサッカーができていない中でどうにか先制した。でも後半に入ってから、チーム全体に緩いプレーが見えてきていた。それに気付いているからもっと先に言わなければいけない部分もあるけど、『誰が』とかではなくチームとして軽い失点だった。だからチームを鼓舞した。
経験の少ない選手が多い中で、神戸のように少ないチャンスを決めてくるようなチームと対戦する中で、いま誰かが言わなければいけない。試合中でも気づかせなければいけないという意味で、もう一回やろうぜということを伝えた」
チームは過渡期を迎えているのだろう。2022年に通算5度目のリーグ優勝を飾り、昨季も2位と優勝争いを演じた。しかしながら今季はここまで暫定ながら9位にとどまり、首位との勝ち点差は15。王座奪還は厳しいと言わざるをえない。AFCチャンピオンズリーグタイトルも掴み取れなかった。
プロ20年目のベテランGKはおごることなく地に足をつけている。冷静に、客観的に、自分たちが置かれている立場を理解している。
— 「オレがこういうことを言ったらいけないのかもしれないけど」
「今は優勝した時からいろいろなものを手放して、新しいことをやろうとしてうまくいかない時もあるけど、その中で原点に戻って軸の強さを確かめないと次のステップに進めない。うまくいかないことも受け入れて、なぜうまくいかなかったかを考えるべきだと思う。
試合中は難しいけれど、考えてアジャストすることが必要。うまくいかなかった時に、誰が行動を起こせるか。オレがこういうことを言ったらいけないのかもしれないけど、優勝した時のメンバーと今のメンバーでは、今のほうが明らかに個人のレベルは低い。ベースをしっかりと作り直して、そこから選手にどういうタレント性があるかで成長が変わっていく。選手の特徴をベースの上に乗せてあげないとブレてしまう。
大事なのはチームがベースを持って、その中で選手が自分をアピールする、個人が成長することにフォーカスすること。優勝した時は点を取れる選手がいて、リズムを変えられる選手がいた。今はそういう選手が少ないなら、チームとして育てるとか、個人として上がっていくしかない。ベースの上でね」
歯に衣着せぬ発言は、積み上げてきた実績と自信があるから。無責任でも他人任せでもない。当事者として何をすべきかを最も理解している選手が、飯倉だ。
この試合、38歳のベテランGKはJ1通算300試合出場を達成した。節目のゲームを勝利で飾れなかった事実は悔しいに違いないが、個人の話は二の次といった様子でチームの現状を語り尽くす。
— 飯倉大樹にしかできないプレーと発せない言葉
2019年夏から2022年の終わりまでの3年半を神戸で過ごし、2023年にアカデミー時代も過ごした古巣へ復帰。以降、自身の試合出場やプレー以上にフォア・ザ・チームを強調してきた。時には「オレは3人目のGKコーチだから」と本気のようなジョークで取材陣を和ませる。
恐らくキャリアの晩年に差し掛かっている。それでも、ここぞという場面での鬼気迫るセーブと老獪なゲームコントロールは周囲にまったく見劣りしない。神戸戦のように若く、経験に乏しい選手を叱咤激励できるのも飯倉だからこそ、だ。
節目の試合出場にコメントを求められると、少し恥ずかしそうに言った。
「20年かけて300試合は多いのか少ないのか分からないけど、古巣の神戸戦でマリノスのユニフォームを着て300試合を迎えられたのは感謝しかない。あとは20年前の自分に、言ってやりたい。お前300試合出るぞ、って。プロサッカー選手としてこんなにやれるとは思っていなかった」
プロ1年目は1試合も出場できず、2年目はJFLのロッソ熊本(現・ロアッソ熊本)に期限付き移籍した。当時はプロ20年目も、J1通算300試合出場も、そしてマリノス愛がこんなに大きくなることも、すべて想像できなかった。
飯倉大樹にしかできないプレーと発せない言葉。敗れた試合でも、存在意義がしっかりと見えた真夏の夜だった。
2024/08/18 川崎戦で中指立てて侮辱行為・器物損壊か。横浜FMサポーターも批判 | Football Tribe Japan
川崎フロンターレは今月17日開催の明治安田J1リーグ第27節で横浜F・マリノスと対戦。FWアンデルソン・ロペスのゴールなどで1-3と敗れたが、横浜FMサポーターと思われる観客の行為が物議を醸している。
今回の神奈川ダービーでは、Uvanceとどろきスタジアム by Fujitsuに22850人の観客が詰めかけるなど、熱気に包まれたが、とある川崎サポーターのSNS投稿がきっかけで問題が発覚している。
当該サポーターは、公共物に描かれている川崎のエンブレムに、トリコロールが背景色であり「FUCK KWF」と書かれたシールが貼られている様子をアップ。中指を立てている絵も描かれているだけに、川崎を侮辱する目的があったとみられる。
また試合後には、「流石に気分が悪かったので、私のほうで剥がしました」「全ての横浜Fマリノスのサポーターが悪くないのは知ってますが、少なくとも公共物に貼るのは駄目よ」と報告。対戦相手にサポーターに対して「来年切磋琢磨してお互い頑張りましょう。いい試合をしましょう」と呼びかけた。
シールを貼った人物は不明とみられるが、ネット上では「無駄な煽り」「ダービーだからと言って、これは酷い」などと、批判が殺到。また横浜FMサポーターからは「マリノスに関わるな」「追放したい」といった厳しい意見や、「川崎に申し訳ない」と謝罪投稿も。中にはクラブに人物の特定や入場禁止処分を求める声も挙がるなど、騒動に発展している。
→XユーザーのPPY@【鈴原サクラ🌸】さん: 「横浜マリノスさん、さあ….. マジでありえないんだけど💢💢 何してくれてんの? @prompt_fmarinos https://t.co/HIeIXPIXoP」 / X
2024/08/15 元横浜FM・數馬正浩さん|名門Jクラブからバス運転士へ キャリア転換期に感じた後悔<前編> | サッカーキング
名門・横浜F・マリノスのアカデミーで育ち、高校卒業とともにトップチーム(横浜F・マリノス)に昇格し、ルーキーながら開幕2戦目から先発出場を果たしたプロサッカー選手時代から一変、京王バス南株式会社(現京王バス株式会社)に入社し、バス運転士や運行管理業務を担う立場へと転身した數馬正浩(かずま まさひろ)氏。“Jリーガー”という華やかな舞台を離れてみて初めて感じた後悔、大手企業に入社したことで得られた“安定”への感謝など、波乱万丈の人生について語ってもらった。
取材=上岡真里江
―――プロサッカー選手時代を振り返って、最も印象に残っていることとは?
數馬 プロ1年目の最初も最初、ファーストステージ(当時は2ステージ制)の開幕戦からベンチに入れて、2節目から試合に出させてもらったことが、ものすごくイメージが強いですね。横浜F・マリノス時代、ユースから上がった同期選手が多かったので、和気あいあいとやりながらも、同じポジションにライバルもいましたし、上には小村徳男さん、上野良治さん、遠藤彰弘さん、川口能活さん、松田直樹さん、中村俊輔さんなど、当時の日本代表や元日本代表の人も多数いたので、すごくいい刺激にはなりましたね。―――錚々たるメンバーですね!
數馬 そうなんです。当時は自分のことで一杯一杯だったので何も思わなかったのですが、今思えば、すごいメンバーの中でやらせてもらったなというのを、こうして振り返るとあらためて感じます。―――その後、2年目の2002年9月にベガルタ仙台へと移籍。2005年からJAPANサッカーカレッジに在籍し、2008年限りで引退をなさいました。そのタイミングでサッカーを辞めようと思った理由とは?
數馬 当時、JAPANサッカーカレッジというのは北信越1部リーグで活動するサッカー専門学校だったのですが、それでも僕は一応プロという形でやらせてもらっていたんです。自分の中では2007年シーズンに(地域リーグの次のステージである)JFLに昇格させてあげられなければ、もうサッカーはやめようと決めていました。というのも、ベガルタ仙台にいた時と比べて収入は3分の1ぐらいに落ち込んでしまっていましたし、高卒からいきなりのプロだったので、お金や契約に関しての知識がないので、JAPANサッカーカレッジと契約する時にも、生活のことなどまったく考えていなかったんですよね。本当に、ただ「サッカーがやりたい」という一心で、例えば支度金がいくらということも全く交渉していなかったぐらい(苦笑) その感覚のままだったので、正直、次のキャリアは何も決めていない状態で辞めました。
―――すでにご結婚なさっていたんですよね?
數馬 はい。20歳の頃、ちょうど横浜F・マリノスからベガルタ仙台に行くタイミングで結婚して、仙台にいた時に子供も生まれました。なので、2008年限りで自分から区切りをつけてサッカーとは違う仕事に就くということは妻にも伝えていました。―――やはり、収入の部分が一番大きな引退理由だったのですか?
數馬 そうですね。「ちょっとこのままじゃ続けられないな」と。高卒でいきなりプロ入りして大きなお金をもらってしまったこともあり、貯金とか、将来のためにとか、まったく何も考えていなくて。若かったので、妻とも毎日「今日作るのめんどくさいでしょ?外食に行こう!」とか、本当にそういう感覚でした。JAPANサッカーカレッジに行ってからも、収入は激減したものの生活水準は実はそんなに下げることはしていなくて。なので、実はJAPANサッカーカレッジにいる時点で、すでに焼肉屋や居酒屋などでアルバイトをしていました。その意味では、すでにサッカー界以外でもいろいろな人の繋がりができていましたし、アルバイトの経験もあったので、サッカーを辞めても、割とすんなりとセカンドキャリアに入っていけたと思います。―――現在勤務なさっている京王バス株式会社には2013年に入社なさっています。2008年のサッカー選手引退後からは、どのような経緯を辿ったのでしょうか?
數馬 まず、妻の実家が静岡だったので、静岡で1年ぐらい引っ越し業をやりました。その後、スーパーで青果担当をやらせてもらって、静岡からまた東京に引っ越してきて、今の営業所の近くにある『クロネコヤマト』さんで日雇いのアルバイトをしたんです。その荷物の配送とかでドライバーさんと一緒に回っている中で、京王の求人を見たのが今の会社と出会ったきっかけです。京王なら、会社も大きいですし、この会社だったら安定して生活できるなと思ったので、応募しました。なので、べつに特別バスの運転士になりたかったわけでもないんです(笑)ただ、逆にいうと、仕事へのこだわりというか、「どうしてもこれがやりたい」という仕事がなかったからこそ、直感で動けたのではないかなとは思います。僕は、「どこで」よりも、入った会社で結果を出したいというタイプなんだと思います。
―――今年で入社12年目を過ごしていらっしゃいます。プロサッカー選手のキャリアも含め、今の会社が一番長く所属なさっているということになりますね。
數馬 気がつけば一番長くなりましたね。最初の頃は8年間運転士をやって、今は2年ほど前から運行管理の業務をやらせていただいています。長く続けられている1つの要因として、『努力』をサッカー選手時代の経験から学んだことかなと思っています。というのは、とにかく「使えないやつだな」ということだけは絶対に言われたくないんですよ。プロサッカー選手時代は、横浜F・マリノスでも、ベガルタ仙台でも、「なんで使ってくれないんだよ?」「なんであいつの方が使われてるんだよ?」という、今とは全く逆の考えでサッカーをやっていたと思うんですよね。でも、社会に出てからはその考え方を変えて、「必要としてもらえるように頑張ろう」「どの仕事も精一杯頑張ろう」ということを意識して、努力するようになりました。
本当に今あらためて強く思うのは、サッカー選手時代はものすごく恵まれていたなということ。自分の好きな仕事ができて、それでご飯が食べられて、毎日サッカーできたというのは、すごく充実していたなと思います。今は、そんな時代が自分の人生にあったことがいい励みにもなっていますし、逆に、だからこそ悔しい気持ちもものすごくあります。
2024/08/16 元横浜FM・數馬正浩さん|必要としてもらえるように 元Jリーガーが語るバス会社での12年<後編> | サッカーキング
―――今の仕事が「自分に合っているな」とか「向いている仕事だな」と感じることはありますか?
數馬 どの業界でも、合ってる、合ってないというのはあるとは思いますが、バス運転士という仕事は、すぐに辞めてしまう人も少なくないんです。たぶん、皆様が思っているより、職業での“運転”というのは楽な仕事ではないです。ただ運転しているだけに見えるかもしれませんが、バス運転士があの大きなバスの中で見なければいけないことは本当にたくさんあって、前だけを見ていればいいかといえば決してそうではなく、当然、横も後ろも全部見なければいけないですし、お客さまに異常がないか、車内の状況も見なければいけない。本当に、実際にやってみなければこの気苦労、疲労感はわからないというのが正直なところです。なので、運転士は業務を終えて営業所に帰ってくる頃にはクタクタになっています。自分も運転士時代は毎日そうでした(笑)本当にものすごく気を使う仕事だと思います。その中で、向いてるかどうかと言われれば、自分には向いていたなとは思います。運転の才能そのものは自分ではそこまでないとは思いますが、サッカーでの後悔から学び、努力をするようになったからです。例えば、『空港連絡バス』といって、南大沢から羽田空港までの路線バスは、運転士の中でもある程度年数が経たないと担当できない系統だったりするのですが、その路線を任されたときには、下準備はものすごくしました。そうした、サッカー選手時代にしなかった努力を、今はやっています。
―――そこまで言うほど、サッカー選手時代には努力はしなかったのですか?(笑)
數馬 してなかったんですよね。毎日練習が終わったらすぐに帰っていましたから。あの時、もっと練習して、もっとストイックに自分を追い込めていれば、もしかしたら、あと2、3年ベガルタ仙台でプレーできていたかもしれないですし、他のクラブに獲ってもらえたかもしれないというのは、今になって思いますよね。もっとやっておけばよかったと、ものすごく後悔はあります。―――当時、チームメイトには練習量の多さでも有名だった日本代表の中村俊輔選手などもいらっしゃいました。その姿を見て見習うべきだとも思わなかったのですか?
數馬 高卒ですぐに試合に出られてしまったこともあって、自分のことだけで必死で、周りにいる人がどれだけすごいかとか、誰を見習うべきかとか、そういうことはまったく考える余裕がなかったですね。それでもまだ、横浜F・マリノス時代は、僕は川口能活さんと一緒にトレーニングをさせていただいていました。能活さんもものすごくストイックな方で、今思うと、その時が一番練習をやっていたかもしれないですね。―――今の会社に就職を決めた理由の大きな一つが、「安定した生活」だとおっしゃっていました。“安定”を手に入れたことで変わったことはありましたか?
數馬 『落ち着き』ですかね。正直、京王に入る前も、仕事をしていない期間もあったので、まず、毎日仕事があるということにものすごく感謝しています。安心して毎日出勤ができて、毎月しっかりと生活ができるお金がもらえるという環境は、僕にとってはとても大きなものです。おかげで今、いろいろな意味で落ち着いて仕事もできていますし、家庭の中での役割も落ち着いてできていると思うので、すごくプラスだったなと思います。―――今の仕事のやりがいとは?
數馬 運行管理というのは、安全にバスが運行できるように管理する重要な業務で、例えばバスがものすごく遅れた場合には替えのバスを確保して現場に派遣するなど、運行をスムーズにするための業務です。実は、入社した時から密かに目指していたポストでした。その役割を担うことができて嬉しいですし、業務的に言えば、特に一日何もトラブルがなければいいというのが今のやりがいです。僕が活躍する場がなければ、ある程度(順調に)回っているっていうことになるので、出番がないのが一番という感じです。また、運行管理者になるには資格が必要※なんです。(※現在は補助者として勤務)まずはそれを取得することと、そして、その後さらにステップアップするために、また違う資格をいろいろ取得すること、今はそれをやりがいとして、1個ずつステップアップしていこうと思っています。
―――さきほど、サッカー人生に「後悔している」とおっしゃっていました。セカンドキャリアを考え始めているアスリートの方へのアドバイスや伝えたいことはありますか?
數馬 そんな偉そうなことは言えませんが、まずは、本当に今を大事にしてくださいと伝えたいですね。もっと努力できることはあると思うので、とことん突き詰めてやっていただいた方が絶対にいいと思います。遊ぶことって、引退したあとでもいつでもできると思うので。私は、鳴り物入りでプロの世界に入って、ある程度試合にも出て、そこそこやれていた自分に慢心してしまいました。でも、みなさんには、甘えを捨てて、私みたいな後悔をしないように、とことん突き詰めて、自分を高めてもらえればなと思います。そして、社会に出てからは、何事にもチャレンジしてみてください。自分に合っているか、合っていないかは、チャレンジしないとわからないですし、やってみて「自分に向いてるな」「向いてないな」というのもあると思いますが、サッカーやスポーツと違って、仕事はすぐに結果は出ません。いろいろな経験を積み重ねて、やっと信頼や本当の意味での評価をしてもらえるものだと思います。
―――結果として、いま、こうして胸を張れる職業・職場と出会えて幸せなのでは?
數馬 はい。本当にいま、ものすごく充実しています。身近には、心から慕っている所長や管理職、先輩がいますし、この仕事を変えるということもまったくも考えていません。この会社は、頑張れば頑張っただけステップアップできるので、いつか、「あいつにあの営業所を任せたら大丈夫だよ」と言ってもらえるぐらいまで、運行管理で頑張りたいなと思っています。これからも、『必要とされるように努力する』という自分の信念を曲げずにやっていきます!
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