(´-`).o0(トップチームは今日まで3日間のオフでした。)
アンカー(目次)
1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.X(旧Twitter) / Instagramなど
4.Webニュースログ
横浜F・マリノス オフィシャルサイト
2024/06/02 加藤蓮選手に第一子(女児)誕生のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(5月24日(金)生まれ。UAE遠征のタイミング。奥様、お疲れさまでしたー)
2024/06/04 2024 2ndユニフォーム柄グッズ発売のお知らせ | ニュース | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(次に出るのはスペシャルユニフォーム柄?)
今日の練見(れんみ)
X(旧Twitter) / Instagramなど
ここに集まってくださった皆様
そして、白坂楓馬選手!
本当に感謝してます✨
ありがとうございます😭
今後も我々白坂会鹿児島支部一同
全力で応援して参ります!!!
前だけ向いてシラくんらしく🔥
キバレ!!!🌋
(写真は白坂選手から掲載許可頂いてます)#fmarinos#白坂楓馬#白坂会鹿児島支部 pic.twitter.com/1hzazen0sr— 白坂会-鹿児島支部- (@shirakai_kago31) June 2, 2024
【#Bitfan 新規サイトオープン】
「Bitfan」にて、横浜F・マリノス所属のプロサッカー選手、小池龍太のオフィシャルファンクラブをオープン!https://t.co/EUrlKZFq3G— Bitfan【公式】 (@bitfan_official) June 1, 2024
Webニュースログ
2024/06/01 J1強豪”大敗ショック後”何が? 士気低下の危機に…「俺らそうじゃない」と立ち上がった舞台裏【コラム】 | フットボールゾーン
— ACL決勝で涙も…J1で完勝した横浜F・マリノスのリスタート
横浜F・マリノスは5月29日、日産スタジアムで行われたJ1第9節延期分で柏レイソルに4-0と大勝して、Jリーグでは7試合ぶりの勝利。ACL(AFCチャンピオンズリーグ)ファイナルの終幕から見事なリスタートとなった。
ここまでラウンド16のバンコク・ユナイテッド戦から始まり、山東泰山、蔚山現代と、Jリーグと並行しながら厳しいトーナントを戦い抜いて、クラブとして史上初のファイナルに進出した。
UAEのアル・アインを相手に、ホームでの第1戦こそ2-1で勝利して、アドバンテージを持ってアウェーに乗り込んだが、早い時間帯の失点が響き、さらに守護神ポープ・ウィリアムの退場など、予想外の流れで5失点。合計スコア6-3というショッキングな結果で、アジアの頂点、そして世界を懸けた壮大な挑戦は幕を閉じた。
1週間弱で、日本とUAEを往復する長旅で、そのショッキングな敗戦から中3日足らずで迎えた柏戦だけに、心身両面で不安の声は多くあった。しかし、選手たちは何かが吹っ切れたように溌剌とした動きで、本来の前からのプレッシングや自分たちでボールを動かしながら、積極的に人数をかけていく攻撃で柏を押し込むと、立て続けにリードを広げた。
後半は柏が戦い方を修正して、前向きに得点を奪いに来たことに加え、横浜FM側にもさすがに疲労が見えてきた。それでも、センターバックを中心とした粘り強い守備から効果的なカウンターを仕掛ける。
途中、ポープの負傷アクシデントで、GKがベテランの飯倉大樹に交代したが、相手の間伸びを突いてFWアンデルソン・ロペスのハットトリックを含む、4得点につなげた。そうした戦い方ができた理由について、スタメン起用されたMF天野純は「開始からアグレッシブに行こうと決めていた。最近、プレスのところで緩い部分があったのを外で観ていて。そこで自分が先頭切ってハイプレスをかけることで、昔のマリノスの良さを取り戻そうと思っていた」と語る。
その天野はACLファイナルのピッチに立つことが叶わず、残酷なまでに厳しい結末をベンチから見届けることになった。この柏戦では「悔しいと同時に、(ピッチに)立てなかったことへの実力不足を感じてた。自分の存在価値を見せたい」という思いを胸に、目の前の試合に挑んだという。もちろん天野だけではない。色々な立場で敗戦を経験した選手たちが、思いをJリーグの試合にぶつけた。
こうした試合は心身両面で難しい戦いになるはずだが、それでも横浜FMらしいパフォーマンスで勝利できた理由について、天野は「本当にリーグ戦も今まではACLを言い訳にしてたじゃないけど、それがすべてなくなって。しかも、優勝できなくてみんな思ってたことがあると思う」と語る。
— 悔しい経験を糧に…Jリーグでの上位進出へ突き進む
試合を前に、ハリー・キューウェル監督を中心としたチーム全体、そしてMF喜田拓也キャプテンの音頭で、選手だけでもミーティングをしたというが、天野によると、そこで出た答えは「ここで右肩下がりになるのか、上がって行くのか。普通のチームは下がって行くけど、俺らそうじゃないよね」ということだったという。
この日、柏との古巣対戦で無失点を支えたDF上島拓巳も「(帰りの)飛行機の中はやっぱり、すごくどんよりした雰囲気でしたし、自分も引きずってはいたんですけど。日常生活に戻るにつれて、奥さんも労いの言葉をかけてくれて。練習場に戻ると、みんな前を向いて切り替えていこうという雰囲気が、僕も切り替えさせてくれました」と振り返る。
もちろん、敗戦の記憶が選手たちから消え去ることはないだろう。いや、それが消えないからこそ、また次のチャレンジで必ず生きてくるはず。上島はACLファイナルへの思いはしっかりと胸にしまいつつ、まずは目の前のJリーグで、横浜FMらしく勝利にこだわっていくことを誓う。
「あの大舞台で、僕だけじゃなくてチームとして力を発揮できなかったのが現実ですし、ただ、あの大舞台を経験できたからこそ、2回目は経験値として積み上がっていると思うので、絶対に獲りに行きたい」
そう語る上島の思いは、柏戦で左サイドバックのポジションから、鮮やかなミドルシュートによるチームの2点目を決めたDF永戸勝也も共有している。何とか切り替えられたのは試合当日の朝だったという永戸は「まだショックはショックですし、忘れることはないと思う」と認めながら、目の前のJリーグにしっかりと向き合っていくことの大事さを強調した。
昨シーズンのJ1で2位だった横浜FMは秋に始まるACLエリートの出場権を獲得している。ただ、その次のACLは今年のJリーグで上位に行かないと、出場権を勝ち獲ることはできない。
大会に出続けて、チャレンジし続けること。もちろんACLファイナルという大舞台は前回王者にも、準優勝に終わったクラブにも用意されているものではない。そこに辿り着くことも、険しい道のりであることはこれまで何度となく、グループステージや決勝トーナメントの1回戦で、壁に阻まれてきた横浜FMの歴史が物語っている。
それでも1年に1つのクラブしか味わえないその悔しい経験が、今後の戦いに生きてくることは間違いない。より強くなって、あの舞台に戻っていくために、Jリーグで勝利を目指し続ける日々が、またスタートした。
(河治良幸 / Yoshiyuki Kawaji)
2024/05/31 【サッカー】ACL準Vの横浜M 元日本代表MF水沼貴史氏「僕は超えられたと思っている」 長男・宏太への思いとは?/インサイド/デイリースポーツ online
今季のサッカー、アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で準優勝を果たしたJ1横浜M。34年前に前身の大会でアジア制覇を目指した戦いを経験し、黄金時代の日産自動車(当時)で主力を担った一人が元日本代表MF水沼貴史氏(64)だ。水沼氏が当時を振り返りながら、今大会での横浜Mの快進撃や、同チームに所属する長男のMF水沼宏太(34)についての思いを語った。
アジア王者まであと一歩と迫った横浜M。越えられなかったベスト16の壁を打ち破っての決勝進出はクラブ史上初の快挙だった。OBの水沼氏は「これまで跳ね返されてきた壁を破って一気に上まで来た。シーズンをまたいだ戦いでチームも監督も変わって、だからこその価値がある」と後輩たちの健闘をたたえた。
34年前も横浜M(当時日産自動車)はアジア王者に迫ったことがある。ACLの前身となる90年のアジアクラブ選手権。決勝で遼寧(中国)に敗れ、優勝を逃した。ただ、取り巻く環境は今とは全く違っていたという。
当時はリーグ戦の最中に進められる大会に、出場を辞退するチームもあった。黄金期の日産でも「モチベーション自体も今ほどなかった。ステータスとしてアジア王者が付けばいいよね…という感じだった」と振り返る。
最も違うのは世界への道。クラブ単位でアジアから世界へ続く道は無く「そこに何かを見いだすのは難しかった」という。現在のACLの先にはクラブW杯があり、その価値は大きく変化した。
だが、戦いの難しさは変わらない。「雰囲気が日本とは全く違う。暑さなどの環境もジャッジも。だから難しい」。それを知るからこそ惜しみない称賛を送り、長男の宏太のプレーも含め「いろんな思いが集約された。OBとしても父親としてもね」と話した。
決勝では出場がなかった宏太だが、父はそのキャリアに「すごいなと。僕は超えられたと思っている」という。「彼もアジアでは修羅場をくぐっている。U-17代表や(U-21で臨んだ)アジア大会では優勝もした。今回のACLでも、アジアの戦いを知っているからこそやれていると思う」と評価する。
平たんな道を歩んできたキャリアではない。横浜Mでユースからトップチームに昇格も、結果を残せずJ2栃木(当時)を皮切りに複数のクラブを渡り歩き、結果を積み重ねた。そしてJ1優勝を果たした横浜Mからオファーを受け、10年ぶりに古巣へ復帰を果たした。
そんな姿を見守ってきた水沼氏は「ものすごい努力している。いろんな壁やメンタル的に苦しい時を乗り越えてきた」。そして何より「周りからの愛され方が違う。人として認められていると思うし、彼に比べたら僕の若い時は全然(笑)」。そう語るまなざしに、喜びの色がにじんだ。
「僕はワンクラブマンにこだわった」と水沼氏。そのクラブへの誇りは同じく生え抜きの主将・喜田、複数クラブを渡り歩いて憧れの場所に復帰した宏太に限らず、新加入の選手に至るまで浸透している。横浜Mは他の伝統あるクラブと比べても、そうした空気感が強い希有(けう)な存在だ。
「うれしいよね。根底にあるものは絶対に変わってはいけない。それを選手が振る舞いで見せているから、新しい選手も受け入れられる。それがクラブのDNAだと」。なればこそ「世界的にも有名な横浜の街にマリノスがあることを知ってもらいたい」と強く願うのだろう。トリコロールが世界へ羽ばたく時を心待ちに、レジェンドは次の挑戦を見守り続ける。(デイリースポーツ・中田康博)
◆水沼貴史(みずぬま・たかし)1960年5月28日、浦和市(現さいたま市)出身。浦和市立南高(現さいたま市立浦和南高)から法大へ進学。79年にU-20日本代表としてワールドユースに出場した。83年に日本リーグ(JSL)1部の日産自動車(現横浜M)に加入。2年連続国内3冠に貢献するなど主力として活躍。95年に現役を引退した。JSL通算161試合33得点。Jリーグ通算42試合5得点。日本代表通算32試合7得点。引退後はサッカー解説者として活動。06年に横浜Mコーチ、同年8月に岡田武史監督の辞任を受けて監督に就任。07年はコーチへ戻り同年退任。08年から法大コーチを務めた。173センチ、65キロ。
◆水沼宏太(みずぬま・こうた)1990年2月22日、横浜市出身。横浜Mのユースチームを経て、08年にトップチーム昇格。10年7月の栃木(当時J2)への期限付き移籍を皮切りに鳥栖、FC東京、C大阪でプレーし、20年に横浜Mへ10年ぶりに復帰した。22年はリーグ戦31試合出場7得点で2年ぶり優勝に貢献した。日本代表ではU-17代表として07年のU-17W杯に出場。10年にはU-21代表でアジア大会優勝に貢献。22年7月の東アジアE-1選手権でA代表デビューも果たした。176センチ、72キロ。
2024/06/04 なんと100億円をもらい損ねた!?横浜FMが悔やんでも悔やみ切れない「痛恨の1敗」って | Asagei Biz-アサ芸ビズ
悲願のアジア王者まであと一歩のところまで迫りながら、5月26日に行われたAFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)決勝第2戦でアルアイン(UAE)に1-5という大差で敗れ、2試合合計3-6で準優勝に終わった横浜F・マリノス。
だが、これはただの1敗とはわけが違った。タイトルを逃したのは当然のことだが、今回の敗戦により優勝すれば入ってくるはずだった100億円以上のお金が泡と消えてしまったからだ。
「ACLの優勝賞金は400万ドル(約6.3億円。6月2日現在、以下同)で、準優勝の賞金は200万ドル(約3.1億円)。この3億円という差も大きいのですが、それとは比較にならないほどの痛手だったのが、優勝チームに与えられるFIFAクラブワールドカップ2025の出場権なんです」(スポーツジャーナリスト)
クラブW杯は、これまでは毎年開催されていたが、2025年の大会から仕組みが一新される。開催が各国代表チームで争われるW杯と同様に4年に一度となり、出場クラブ数も32チームになる。報道によれば、出場チームが得られる出場賞金は5000万ポンド(約100億円)とも言われている。横浜FMは、あと一歩のところでこの大金をもらい損ねてしまったのだ。
「優勝できなくてもACL王者を除いたクラブランキングの最上位になれば出場権を得られたのですが、こちらでも横浜FMはアジア6位で届きませんでした」(前出・ジャーナリスト)
ちなみに、Jリーグで唯一2025年のクラブW杯の出場権を持っているのは、2023年に2度目のACL制覇を果たした浦和レッズ。賞金は今後予算として反映されることになり、どのような形でクラブが強化されるのか、ファンや関係者から注目を集めている。
横浜FMにとっては悔やんでも悔やみきれない1敗となってしまったようだ。
2024/06/04 サッカー元日本代表・中沢佑二が体験した「アウェーの洗礼」の数々 : 読売新聞
サッカー元日本代表でJリーグ横浜F・マリノスOBの中沢佑二さんが、読売新聞ポッドキャスト「ピッチサイド 日本サッカーここだけの話」に出演。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)で惜しくも初優勝を逃した横浜Mについて言及し、海外のアウェー環境での戦いの難しさについて衝撃の体験を語った。
— 古巣のアジア準優勝に「ちょっと残念」
横浜MはACL決勝でアルアイン(UAE)と対戦。ホームアンドアウェー方式で開催される初戦のホームゲームは2―1で勝利したが、5月25日(日本時間26日)に行われた第2戦を1―5で落とし、初優勝を逃した。
古巣の結果について中沢さんは「今のマリノスは攻撃的に強いので、そのサッカーがどこまでアジアで通用するかを見てたんですけど、今回はちょっと残念だったかな」とチームをたたえながら、悔しさもにじませた。中沢さんにとってもACLは苦い思い出が強い。2004、05、14年に出場したが、いずれも1次リーグで敗退し、決勝トーナメントには進めなかった。横浜Mが初めて決勝トーナメントに進んだのは20年。その年と22年のベスト16が過去最高だった。
横浜Mは今年から、オーストラリア代表選手としても活躍したキューウェル監督が指揮を執る。中沢さんは「完成されたチームに来た1年目で、(監督として)自分の色を出すのはかなり難しいと思います。まだ試行錯誤してる段階かな」と語る。
監督の交代は、すぐに結果に結びつかないケースも多い。「ポステコグルーもすごく苦労した」。中沢さんが指摘したのは、18年に横浜Mの監督に就任したポステコグルー監督(当時)。横浜Mは伝統的に「守備のチーム」だったが、ポステコグルー監督は攻撃的なチームづくりにかじを切った。「選手たちのメンタリティーから変えなきゃいけなかった。いきなり『攻撃的に』って言われてもさ、みたいなところからスタートした」。その年は最終的にリーグ戦を12位で終えたが、J2自動降格圏までは勝ち点2差という薄氷のシーズンだった。
「選手たちのマインド含めて徐々に変える。ポステコグルーも辛抱強く1年間。サポーターにとっては我慢のときだったと思います」
— グラウンドに野放しにされていたのは
ACLはJリーグのクラブチームにとって不慣れな海外での戦いだ。中沢さんがACLに出場した04、05年は「アウェーの洗礼」を受けたという。
「確か、東南アジア。スコールがドバーッと来て前が見えない。試合も中断しないでそのまま。俺らは前が見えないのに、相手チームはつないでくる。前見えないのよ、痛くて。グラウンドはビシャビシャ。でも、きれいにロングボール蹴られて決められた。『お前らボール見えてたのか!』みたいな」
さらに、当時はJリーグの試合から中2日でACLの試合という場合もあり、日程も選手たちにマイナスに作用したという。
今年の横浜Mは、そういった苦難の歴史を経ての準優勝だ。「今のマリノスは逆転勝ちもしているし、自分たちのサッカーをやりつつ、アウェーでも点が取れる。すごい立派なチームになったイメージがある」とたたえた。
当時はアウェーチームへの露骨なプレッシャーもあったという。「日本代表だと警備がつくけど、(当時の)ACLはつかないですし。(練習の)グラウンドを貸してくれないとか、(ピッチに)くぎが落っこちてるとか、夜に電話かかってくるとか。いっぱいあるから」
似た体験は日本代表でも。ある国際大会で体験した思い出を笑いながら振り返った。「(練習場に)犬をね、野放しにしてるんですよ。グラウンドに着いて『さぁやるぞ』って時に犬だらけ。犬が走り回ってるのよ」
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