夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2020/1/6) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2020/1/6(月)仕事初め2020)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

(´-`).o0(none)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームは2020/1/10までオフ)
 
 

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タイ暑いけど頑張ろーう #u-23Japannationalteam #20200104

遠藤 渓太(@keita_1122)がシェアした投稿 –

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2016年に開校して5年目になりました。 現役中に何か直接伝えることはできないのか? ということで酒井宏樹と共にサッカースクールを立ち上げました。 僕達が小さい頃には現役のプロ選手と一緒にプレーできる機会がありませんでした。 現役選手が子供たちのために行動することで子供たちが知識や姿勢やプレーを学んでくれれば必ず子供たちは良くなっていく。 僕たちはそう信じています。 いつかこの子供達がプロになってJリーグや世界の舞台で戦う選手達が出てくるのを楽しみにしています。 追い越されないように僕らも頑張っていきます‼︎笑 #大津祐樹#酒井宏樹 #マルバ#malva #マルバメソッド #モラージュ柏#ナイキ #NIKE

横浜F.マリノス 大津祐樹(@o2yuki)がシェアした投稿 –


 
 

Webニュースログ

2020/01/05 F・マリノス優勝と栗原勇蔵の引退。思い出す2004年の連覇と松田直樹。 – サッカー日本代表 – Number Web – ナンバー

 最後はやはりアイツが持っていった。

 2019年12月7日、J1最多の6万3854人をのみ込んだ日産スタジアム。15年ぶりのリーグ制覇を決めた横浜F・マリノスが歓喜の優勝セレモニーを行なった後、現役引退を発表した栗原勇蔵がピッチ上で挨拶に立った。

「友達もいっぱい来てくれましたけど、もう帰ったかもしれません」

 ドッと笑いが起こる。

 真面目な挨拶はハマの番長に、ちょっと似合わない。

 肩の力を抜いて発する一言を、スタンドも待っていた。あー、この感じ。笑いながらも何だかセンチメンタルになってくる。リラックスを誘う何とも言えない脱力感は、ごつい癒し系でもある。

「みなさんに、最後お願いがあります。あっ! マツさんかと思いました。ハハハ」

 上空にあるカメラの存在に驚き、天国にいる松田直樹のイタズラと勘違いしたようだ。

–自分のチャントをサポーターに頼み込んだ。

 そのついでに夜空に目をやって「引退します」と報告した。この後、「最後のお願い」として自分のチャントをサポーターに頼み込んだ。

 チームメイトと一緒に優勝シャーレを掲げる際には、永久欠番である松田の背番号3を着込んだ。さりげなく熱いことをやってのけるのも栗原らしいと言えようか。

 今のF・マリノスは、リーグ2連覇を果たした2003、2004年の姿をとどめない。

 パートナーシップ契約を結ぶマンチェスター・シティFCのホールディング会社「シティ・フットボール・グループ」(CFG)の情報量を活用するチームづくりを進め、アンジェ・ポステコグルー監督のもとで「堅守」から「超攻撃」に大転換された。

 選手の入れ替えも激しく、2連覇当時をメンバーで知るのは栗原のみになった。

–2003年、試合終了間際に奇跡が。

 欧州流の手法をドライに感じたこともあった。

 しかし一方で、昔のことも今のことも知るベテランの栗原を結果的に手放さなかったのもまた事実。新しいものに目を向ける一方で、受け継ぐマインドもチームにはあった。

 優勝を決めたFC東京との一戦を眺めながら、あの2連覇が自然と思い起こされた。

 2003年11月、セカンドステージ最終節。

 首位ジュビロ磐田との一戦は先制され、GKまで退場した。優勝には勝つしかないという状況下で同点に追いつき、終了間際に奇跡が起こった。

 松田直樹が大きく前に送ったボールは濡れたピッチに大きく弾み、エースの久保竜彦がジャンプ一番、ヘディングで合わせて逆転優勝を決めたのだった。

–松田に気合いのビンタを注入。

 そして翌年のチャンピオンシップ。浦和レッズとの対戦は、ホームでの第1戦に1-0で勝利してアウェーの埼玉スタジアムに乗り込んだ。

 栗原はユースから昇格して入団3年目。徐々に出番をもらえるようになっていた。

 大一番でベンチには入れなかったが、試合前に松田に頼まれ、気合いのビンタを注入して優勝を後押ししている。ビンタの威力が凄すぎて、松田が「意識が飛んでしまいそうだった」とあきれ顔で語っていたことを思い出す。

 栗原はこのときの「強い横浜」の主戦力とはならなかったものの、その後は井原正巳の系譜を継ぐ背番号4を背負い、「堅守マリノス」を引っ張っていく立場となる。

 松田や中澤佑二のプレーを見て学び、盗み、日本代表にも呼ばれるようになった。

 栗原は言葉で引っ張っていくタイプじゃない。語ることも多いほうじゃない。

 だが優勝体験を得て、常にチームのほうに顔を向ける姿勢は近年、出番が少なくなっても、曲げることはなかった。個性派ぞろいの先輩たちから見習ったことも、反面教師としたことも。

–「勇蔵くんが手を抜かないなら、誰も抜けない」

 チームの兄貴分的な存在であった李忠成に今季、チームの一体感について尋ねた際、彼はすぐにこう返した。

「大きかったのは勇蔵くんの存在。勇蔵くんが手を抜かないなら、誰も抜けないですから」

 栗原は最後のシーズン、リーグ戦で出番がなかった。入団したばかりの2002年以来のことだった。それでも弱音も吐かず、グチもこぼさず、手を抜かず、チーム最年長は毎日のトレーニングをこなしてきた。

 リーグ2連覇以来、栗原が主力となったシーズンでリーグ優勝はない。リーチが掛かっていた2013年も終盤の失速で取り逃がした。

 しかし一つ言えるのは、栗原は「勝てなかった横浜」の象徴ではないということだ。

 再び勝つために、チームに顔を向けて時間を掛けながら一体感の醸成に一役買ってきた。肩肘張らず、自然な形で。鹿島アントラーズと同様にJ2に降格経験のないクラブの雰囲気をつくってきた。

 だからこそ先輩からも後輩からも、みんなに慕われてきた。

–強いチームとは何かを学べた。

 今季、扇原貴宏とともにキャプテンを務めた喜田拓也は栗原と同じようにユースから昇格し、チームの主力に成長した。

 入団2年目で優勝を経験した栗原とは対照的に、喜田は入団1年目の2013年に優勝を取り逃がしたが、共通しているのは、強い時代を経験して強いチームとは何かを学べたことであった。

 喜田は言った。

「みんな自分の考えや自分のスタイルがあるなかで、チームの一員として動いていかなきゃいけない。やっぱりそこに尽くせる人が多かったというか、チームが勝つためにやろうとする人が多かった。

 チームのために勝つ、チームのために頑張るというのが当たり前になっていて、それがピッチに立つ者の責任だと感じさせてくれました」

–高いレベルでプレーの模範を示す。

 このマインドは、松田、中澤、中村俊輔、そして栗原らチームの先輩から受け継がれているもの。高いレベルでプレーの模範を示すことも、彼らは実践してきた。

 2連覇を指揮した岡田武史氏(現・FC今治会長)に、栗原のことを尋ねた。才能を高く評価して、あら削りな入団2年目をセンターバックに抜擢した人だ。

「勇蔵の能力は最高だったね。使いたくて仕方がないのに、若いころはサボっていたからな(笑)。そうじゃなかったら欧州でプレーできていたと思うよ。

 でも俺が(横浜から)いなくなって、年を重ねてからはポジショニングとかいろんなことが分かるようになっていたし、かなり良くなったなって思った。

 プロで18年間もやれたのは、アイツ自身、ちょっとずつでも変わっていったからだと思う。能力だけであそこまで長くはできないから」

 ちょっと辛口な人らしい、愛情ある称え方であった。

–マツからユーゾーへ、ユーゾーからキー坊へ。

 15年ぶりの優勝を決めたあの日――。

 キャプテンマークを巻いた喜田は、挨拶の最後に栗原への感謝の言葉を述べている。

「栗原選手が最後のシーズンにタイトルを獲れたことは、長い年月をかけて注いできたF・マリノスへの愛を表わしているんじゃないかと思います。(一緒に)過ごした時間は僕たちの宝物です。本当にありがとうございました!」

 クラブへの愛情、チームメイトへの愛情。

 直系の後輩からの言葉は、よほどうれしかったようだ。

 引退セレモニーで天国の松田がイタズラをする前に、真顔になった栗原がいた。

「キー坊(喜田)、さっきの最高のコメント、本当にありがとう。僕のなかの一生の宝物です」

 マツからユーゾーへ、ユーゾーからキー坊へ。

 オー、勇蔵。俺らの勇蔵。

 チームメイトも、スタッフも、地鳴りのようなチャントを心のなかで口ずさんでいたはずだ。きっと天国の背番号3も――。

2020/01/04 【サッカーを仕事にするということ】毎年100人以上の夢を育む スクールコーチの誇り | サカママ

この国にはサッカーを生業にしている人たちが大勢いる。そこだけを目指し人生を捧げてきた人たち、別の道から辿り着いた人たち、それぞれ道程は異なるが、彼らに共通するのは、サッカーに対する純粋な愛だ。
業界最前線で働く6人の方々を取材。“選手”としてではない、各々のサッカー人生をここに紹介する。

Q1 サッカー歴は?

ケガをして高校で選手を断念
「地元の茨城でサッカーを始め、小学生の頃は全日本少年サッカー大会にも出場した古河SSでプロサッカー選手を目指していました。中、高とサッカーを続けることで『上には上がいる』と、現実を知ることになるのですが、進学した埼玉の昌平高校での3年次に膝蓋骨脱臼のケガを負い、選手としてプレーすることが厳しい状況となりました。そこで、親身になって接していただいたトレーナーの方や、専門学校に通いトレーナーを目指していた兄の影響もあって、TSR(東京スポーツ・レクリエーション専門学校)への進学を決めました」

Q2 専門学校で一番の思い出は?

横浜F・マリノスでの実習経験
「TSRではスポーツトレーナー科で学び、栄養学、運動生理学、テーピングなど1年生から学ぶことがとにかく多かったです。でも、好きなことだったから面白かったし、同じ夢を持つ仲間と一緒に学ぶことが楽しかったですね。2年生の時に横浜F・マリノスに実習に行けるチャンスがあり、猛アピールの末に参加させていただくことになりました。『ふれあいサッカープロジェクト』の責任者をされていた木村浩吉さんに付き添う形でさまざまな現場に行ったのですが、その指導がめちゃくちゃ面白かった。もし、自分がこんな指導を受けていたら、もっとサッカーを好きになれたんじゃないかと思ったんです。トレーナーを目指して専門学校に入りましたが、僕のなかで何かが変わっていきました」

Q3 どうやってスクールコーチに?

卒業前の2月8日に誘いを受ける
「卒業を目前に控えた2月8日、横浜F・マリノスから『サッカーで飯を食わないか』とお声がけをいただいたんです。すでにフィットネスクラブでの内定が決まっていたのですが『でも、無理ならいいよ』と言われ、ここで断ったら二度とサッカーを仕事にする機会はないと思ったんです。それまでサッカー指導の経験もなかったし、正直不安だらけでしたが、即決で『行きます!やらせてください』と言いました。そして週明けにオフィスに行ったら、その日から僕のウェアが用意させれていて、『次の日から指導に出て』と(笑)。急いでに横浜に引っ越してきて、そこから今に至ります(笑)。2004年のことですが、お誘いを受けたその日のことは今でも鮮明に覚えています」

Q4 働き始めて苦労したことは?

すべてが学びだった
「横浜F・マリノスに入って、最初の2年間はがむしゃらに働きました。それまでアカデミーのコーチがスクールも担当していたので、僕らがスクール専任コーチの一期生になりますね。月曜から金曜はスクールコーチをし、週末はアカデミーの手伝いとして、審判やコーチ活動をしていたので、とにかく忙しかった。でも、指導経験のなかった僕にとって、すべてが学びでした。若く未熟だった自分は、情熱を持って伝えるしかなかったです。だから当時は子どもたちが一週間で『スクールの日がこないか』と待ちわびるくらい楽しい時間になれば、サッカーが上手くなるんじゃないかと、その一心で一緒になってボール蹴っていました」

Q5 現在の業務内容は?

3歳から成人まで幅広く指導
「サッカースクールでは3歳から中学生を中心に指導し、その他、成人の方、地域普及活動として幼稚園や保育園、小学校にサッカーキャラバンに出向いたり、商店街のお祭りに参加したりと、幅をもってやらせてもらっています。指導者としてのベースができたのは始めて5年が経過してからです。横浜F・マリノスでは、指導実践といってレクチャーを受けるのですが、基本的には指導方法のだめ出しが多いです。最初は悔しかったけど、他者から意見を聞くことがいかに重要か、今ではよくわかります。オープンマインドじゃないと、指導はひとりよがりになります。子どもたちを惹き付けること、魅せることに自信を持って、楽しませることを優先して指導しています」

Q7 高校生に伝えたいことは?

組織に依存して努力を怠らないように!
「色んな道を選べる時期だからこそ、色んな分野があることを知ってほしい。自分もトレーナーを目指して専門学校に入り、スクールコーチとしてこうして横浜F・マリノスでやらせてもらっています。自分がそうであったように道は一つじゃありません。今は色んな情報を得られるからこそ、どんどん取り入れてほしいですね。あと将来について、学校や、所属している組織が何かをしてくれる、ではないことを知ってほしいです。組織に依存しすぎて、努力することを怠った時点で成長はありません。未来を掴むのは、最終的に自分ですから、限られた高校生活を大事に、そして楽しんでください」

思い出の1ページ

子どもたちの成長の過程を見られる喜び
「僕は1年で100人以上を指導していることになります。彼らの成長を見てあげられることが喜びです。3歳で入った子がプライマリー、ユース、プロへと成長していく過程を見るのもそうだし、卒業生には弁護士もいれば、消防士、さらには会社を立ち上げて社長になった生徒もいます(笑)。最近では銀座を歩いていたら『コーチご無沙汰しています!』って突然言われたことが嬉しかったかな(笑)」

2020/01/06 J1王者マリノスが気を揉む「ゴーン逃亡」と「IR汚職」 – 新田日明 (スポーツライター)

思わぬとばっちりと言えそうだ。日産自動車元会長のカルロス・ゴーン被告が会社法違反(特別背任)罪などで起訴されたものの、保釈中に国籍のあるレバノンへ逃亡。日本のみならず世界中に大きな衝撃を与えた前代未聞の一件が、スポーツ界にも影響を与えるのではないかと懸念されている。Jリーグの横浜F・マリノスに関する株式売却の噂だ。

長きに渡って低迷していたものの昨季は15年ぶりにリーグ優勝。名門復活を果たし、再び上昇気流に乗ろうとしているタイミングでクラブには水面下で身売り話が浮上しているという。メーンスポンサーを務める日産自動車が経営難により、マリノスの買収先を求めて動いているというのである。1972年に創部された日産自動車サッカー部時代以来、親しまれ続けてきた名門チームの母体が変わるとなれば、それなりのハレーションも覚悟しなければいけないだろう。

しかしながら現場やクラブ内の反応は意外にも冷静だ。身売り説が浮上していても、それほど慌てふためく様子は見られない。むしろ「もう中途半端になっている日産の手からマリノスは完全に離れたほうがいい」との声も数多く聞こえてくるぐらいだ。

5年前から実質上、クラブ運営に日産はほぼ携わらなくなっている。2014年にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・シティなど世界8つのサッカークラブの持株会社であるシティ・フットボール・グループ(CFG)がチーム株式の19・95%を保有するようになり、少額資本参入という形ながらも傘下クラブのビッグデータをフル活用してマリノスの運営に関わるようになっているからだ。

実際にCFGのルートを生かして招聘した元豪州代表監督のアンジェ・ポステコグルー監督が今季は就任2年目で自らのサッカースタイルをチームに浸透させることに成功している。もう今のマリノスには日産のカラーはない――。もちろん昔から応援して伝統を重んじる人の中には「マリノス=日産」と未だに頑なな信条を貫く傾向もあるようだが、それでもサポーターの多くはドラスティックな考え方に切り替わりつつあるという。

ゴーン被告によって、イメージもすっかり悪くなってしまった日産から一刻も早くオサラバしたい。CFGによって日産に頼らず別のチームへと変貌を遂げたマリノスは新たにタッグを組んでクラブ運営を担ってくれる親会社を求めている。日産も足かせとなっているマリノスの経営権を手放し、身軽になって何としてでも〝ゴーンの悪夢〟を振り払い、経営再建に乗り出したいというのが本音ではないだろうか。

ところが、そのシナリオに対してもレバノンに逃亡したゴーン被告が蛇のような執念深さを貫き続けることによって、結果的に足を引っ張られかねないというから穏やかではない。

–売却先候補はどこか?

言うまでもなくゴーン被告の逃亡によって日産内部には大きな衝撃が走っている。ゴーン被告は8日にもベイルートで記者会見を開く予定。この場でゴーン被告には「日産に対して不利な情報を暴露するのではないか」との見方が出ていることから、日産幹部も気が気ではない。そうなれば日産内部も少なからず混乱し、マリノス売却どころではなくなる可能性も出てくる。

ちなみにマリノス株の売却先候補として一部メディアでも報じられているのが、マカオを中心にカジノ経営権を持つ世界最大級のIR(統合型リゾート)企業「メルコリゾーツ&エンターテインメント」社だ。すでにマリノスとは7月に同社の日本支社がトップパートナー契約を結び、ユニホームにもロゴが入っている。マリノスの地元・横浜市は日本でのIR解禁に備え、誘致を表明。

IR企業の同社にとって誘致に積極的な横浜市をホームタウンとするマリノスの経営権を握るメリットは大きい。それもあって日産からマリノス株を買い付けた同社がCFGとタッグを組んで海外企業の株式過半数取得を禁ずるJリーグ規約に抵触しないように、新たな日本法人を設立してクラブ運営に乗り出すとの具体策まで飛び交っているほどである。

ところが、横浜市のIR誘致に関しては林文子市長だけでなく神奈川県・黒岩祐治知事が全面支援の構えを見せているものの、反発する市民や地元議員、有識者も数多い。加えてIR施設の事業をめぐって中国企業側から賄賂を受け取ったなどとして現職の衆議院議員が逮捕された汚職事件も、イメージとしてはマイナスだ。その悪影響が買収話にも及んでしまうのではないかと次のように心配する声も、マリノスのクラブ内から聞こえて来る。

「他の議員にも捜査の手が及ぶなど汚職事件が広がりを見せる中で、IR企業を親会社にするという選択肢は難しくなるのではないか。いくら事件と無関係とは言え『IR』には汚職事件の捜査と話題がひと段落するまで、クロスオーバーしにくいというのが正直なところかもしれない」

名門マリノスの身売り話にも何らかの影響が及びそうな「ゴーン容疑者逃亡」と「IR汚職事件」。無風のまま杞憂に終わり、2020年シーズンも万全のクラブ運営下でチームがさらなる躍進につなげることを祈りたい。

 
 

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