夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/08/05) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/8/5(月)新外国籍選手、エリキ獲得!(レンタル )
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

エリキ選手 期限付き移籍加入のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(まとめ→[期限付き移籍で加入と発表]Erik Nascimento de Lima @ErikNL94 (エリキ ナシメント デ リマ)@ボタフォゴ [2019 移籍/新加入/契約更改])
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開)
 
 

Twitter / Instagram


 
 

Webニュースログ

2019/08/04 横浜Mの日本代表DF畠中らトークショー リーグVへ自信 | スポーツ | カナロコ by 神奈川新聞

 サッカーJ1横浜F・マリノスのDF畠中槙之輔、MF喜田拓也、GK朴一圭の主力3選手が4日、京急線上大岡駅の商業施設「ウィング上大岡」で行われたトークショーに出演し、日本代表の畠中は「ことしはタイトルを取れる位置にいる。残り試合を全部勝つつもりで戦いたい」と、集まった約300人のファンらに2004年シーズン以来のリーグ制覇を約束した。

 チームは同日現在で12勝3分け6敗の勝ち点39で3位につけている。主将の喜田は「これまで以上にチームのために動ける人がそろっている。試合に出る人も出られない人も、みんながチームのためにやれている」という結束力の強さを好調の要因に挙げ、「今の順位にいるのも自分たちの力。これから厳しい戦いしか待っていないと思うけれど、今のチームなら乗り越えられる」とシーズン終盤の優勝争いへ自信を見せた。

 トークショーでは、7月27日に行われた世界的な強豪、マンチェスター・シティー(イングランド)との試合にも触れた。畠中はベルギー代表のMFデブルイネの名を挙げ「異次元でした。トップスピードの中でも正確なパスが出てくるので、守る方としてはやりずらかった」と振り返り、朴は「シンプルに足が速くて身体能力も桁違い。最初は正直、だいぶビビってました」と明かした。

 このほか、休日の過ごし方や仲のいい選手などの話題で盛り上がり、来場した小学生の質問にも笑顔で答えていた。

 トークショーの模様はtvkの応援番組「キックオフF・マリノス」(9日午後10時~)でも放映予定。

2019/08/05 横浜喜田、V戦線生き残りへ7年ぶりカシマ攻略誓う – J1 : 日刊スポーツ

横浜F・マリノスMF喜田拓也(24)が優勝戦線生き残りをかけた鬼門での7年ぶりの勝利を誓った。10日の敵地鹿島戦に向け、横浜市内で約1時間半調整。

カシマスタジアムでは12年9月以来、リーグ戦では白星がない。前節清水戦に敗れ、首位東京との勝ち点差は6に開き、順位も3位に後退。勝ち点わずか1差の4位につける鹿島との一戦へ「悔しい負けからもう1回立ち上がることが大事。そういう意味でも試される試合になる」と意気込んだ。

2019/08/04 横浜M・主将喜田「伝統と歴史受け継ぐ」 | スポーツ | カナロコ by 神奈川新聞

 サッカーの元日本代表でJ1横浜F・マリノスの象徴的な存在だったDF松田直樹さんが34歳の若さで亡くなってから8年がたった。当時を知るチームメートは少なくなったが、育成組織出身の若手・中堅選手には憧れの存在として今も刻まれている。松田さんの命日の4日に現主将の喜田拓也(24)が横浜市内で取材に応じ、「先輩たちが覚悟を持って、人生を懸けてつないできた歴史や伝統の上に今のマリノスがある。今いる仲間と一緒にクラブの価値を上げていくことで、いろんな人に喜んでもらいたい」と心境を語った。

 松田さんが急性心筋梗塞で倒れたのは2011年。当時、横浜Mユースに所属していた喜田は「衝撃的だったし、実感が湧かないというか、本当なのかなとさえ思う出来事だった」と振り返る。

 小学生の頃からトリコロール一筋の喜田にとって、松田さんは当時の練習場のマリノスタウンで触れ合える身近なスター選手だった。会えばあいさつを交わし、一緒にボールを蹴ったこともあったという。

 「やっぱり存在感がありましたね。醸し出すオーラもそうだし、本当にサッカーが好きで、マリノスが好きなんだろうなというのが感じ取れた。それはあの人が培ってきたもので自然と発しているんだろうなとも思った」

 3日のリーグ第21節・清水エスパルス戦では、本拠地の日産スタジアムに「ミスターマリノス」の横断幕も掲出された。横浜Mの現役選手で松田さんと同時期にプレーしたのは元日本代表DF栗原勇蔵(35)だけになったが、かつて松田さんも巻いた名門のキャプテンマークを引き継ぐ喜田はその重みを感じ取っている。

 「それだけサポーターに認められ、愛されてきた人。(在籍期間が)かぶっていないから、ではなく、マリノスにとって大きな存在だったと自分たちも知るべきだし、クラブに対しての忠誠心やチームに対する思いを表現することで先輩たちの魂を受け継いでいきたい」

2019/08/04 松田直樹が残した匂い。もし彼が監督になっていたら・・・。(小宮良之) – 個人 – Yahoo!ニュース

–勝利が似合う男、松田

 松田直樹は2000~2005年まで日本代表として戦っているが、特筆すべきはその勝率だろう。2002年の日韓ワールドカップでは日本サッカー史上初、ベスト16に進出。2000,20004年と2度のアジアカップで優勝し、2001年のコンフェデレーションズカップも準優勝だった。

 圧倒的な熱量を、チームの勝利のために捧げることができた。

 16シーズンに渡って所属した横浜F・マリノスでも、常に勝利を目指している。1995,2003,04年と3度のJリーグ優勝。クラブ史における、すべてのリーグ優勝にかかわっているのだ。

「誰かに負けるなら、自分の身体をいじめて苦しむ方がマシ」

 そう語っていた松田は、頑固なまでの負けず嫌いだった。

「(2000-01年に横浜を率いた)アルディレス監督に、『おまえは一番になれ』と言われたのが嬉しかった。俺は目立ちたがり屋だから。一番になるにはハードな練習が必要だけど、勝つためならいくらでも苦しめた」

 松田のその精神がチームに伝播したのだろう。相手アタッカーと殴り合うような積極的な守備で、どんな攻撃を跳ね返した。そうして得た勝利を、仲間とはしゃぐ姿が誰よりも似合った。

「毎日(のトレーニング)が喧嘩腰だったね。そんな仲間がいたから、俺はやってこられたと思う。そこで言い訳をする選手は、ダセえから。とにかく、誰にも負けねぇぞって」

 松田はそう洩らしていた。

 2011年8月、松田は練習中に心臓発作で倒れ、34才の若さで急逝している。

 あれから8年、彼が残した匂いとは――。

–従順ではない生き方

 松田は、熱い血の滾りを感じさせる男だった。自らボールを持ち運び、攻撃陣を鼓舞する。周りを叱咤し、士気を高めた。彼ほどのパーソナリティーを感じさせるディフェンダーは今も出ていない。スペイン代表のセルヒオ・ラモスは、イメージが近いだろうか。

 チームの勝利のためには、従順でなかった。

 例えば日韓W杯では、一世を風靡した「フラット3」を当時の代表監督フィリッペ・トルシエに厳命されていたが、松田はディフェンスラインで話し合い、試合の中でアレンジしていた。3人同時に高いラインを取れば、世界の強豪相手には必ず裏を取られる。自主的に、能動的に考え、行動を起こした。当時、それはとてつもない覚悟のいる選択だった。

 松田は奔放に見えたし、自らの正義に逡巡なく行動ができた。その軸は、チームが勝利できるか、にあった。晩年に所属した松本山雅でも、Jリーグに昇格することしか考えていない。経験の乏しい選手たちを激励しながら、短所よりも長所に目を向け、成長を促した。彼の一言で叱咤され、自分の良さに気付き、今も現役を続けている選手がいる。

 松田は進むべき指標になったのだ。

–もし指導者になっていたら

「自分は現役引退後の姿が少しもイメージできない」

 横浜から戦力外を通告された日、松田は寂しそうな表情で明かしていた。

 当時、筆者も相槌を打つしかなかった。しかし、今なら言い返せる。

<マツなら、いい指導者になれる>

 事実、松本に入団した後、松田は若い選手たちに多大な影響を与えていた。彼は選手から指導者に変わりつつあったのかも知れない。

 もし、松田が指導者になっていたら――。

 そこで筆者は、小説「ラストシュート 絆を忘れない」(角川文庫)を執筆したとき、「松田コーチ」というキャラクターを登場させ、主人公たちを指導させている。松田に対するオマージュで、そう名付けた。人物設定は、関西出身でスペイン帰りで、松田との共通点は乏しい。しかし、その熱さだけは込めた。

 松田が生きていたら、指導者としても熱を与えていたに違いないのだ。

–歴史がクラブを作る

 少なくとも、松田がピッチで放射した熱が、今の横浜の土台になっていることは忘れるべきではない。その存在は刻々と薄れていく。それが時の流れである。

 しかし偉大なクラブでは、後進が歴史を動かした男たちの名前を胸に刻んでいる。バルサの伝説であるジョゼップ・グアルディオラは、ラディスラオ・クバラへの敬意を語っていたことがあった。

 1950年にハンガリーから亡命してきたクバラは当時、バルサでスーパープレーを見せていた。今のリオネル・メッシに近い活躍だった。クバラを見たいがため、人々が入りきれないほど席が埋まり、巨大なカンプ・ノウが建てられた。塀に腰掛けてみる人たちのお尻が外から並んでいたことで、今もバルサファンはクレ(カタルーニャ語でお尻)と言われるほどだ。

「このクラブがあるのは、先人たちのおかげ。我々は歴史を大事にするべき。クバラのような偉人なしでは今がない」

 グアルディオラはリアルタイムで見ていなくても、クバラを知っていた。先人がいて、今の自分があり、それを継承する。その使命を心得ていた。

 ユース、ジュニア年代も含め、横浜の選手、あるいはファンがどれだけ松田を知っているか?

 松田という歴史が伝えるメッセージがあるはずだ。

「そんな堅苦しいのやめてよぉ、マジで」

 きっと松田は、そう言って照れ笑いするだろうが。

 
 

 
 

今日のこけまり

【ロコさぬレポート】2019/8/3(土)19:00KO J1第21節 横浜F・マリノスvs.清水エスパルス@日産スタジアム #横浜FM対清水
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