夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/06/10) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/6/10(月)、先週の金曜日(6/7)から横浜は梅雨に)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2019/006/08 練習試合の結果(vs川崎フロンターレ) | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(3-4。ゴールは山谷*2、椿)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(ロコさぬのタイムライン上に情報無し)
 
 

Twitter / Instagram

 
 

Webニュースログ

2019/06/10 【連載・東京2020】遠藤渓太/中編「”幼馴染でありライバル”の存在が刺激になった」 | サッカーダイジェストWeb

 2020年に開催される東京五輪。本連載では、活躍が期待される注目株の生い立ちや本大会への想いに迫る。

 3回目は、抜群のドリブルテクニックを誇り、局面の打開力に優れる遠藤渓太が登場。横浜F・マリノスの下部組織出身で、ユースでの最終学年ではクラブユース選手権でチームの優勝に大きく貢献、自身は大会MVPと得点王を獲得し、トップ昇格を勝ち取った。

 プロ入り後は1年目から出場機会を得て、早い段階でA契約を勝ち取る。背番号が18から11に変わった3年目の昨季には、ルヴァンカップのニューヒーロー賞を受賞。迎えた今季も左サイドを主戦場に、横浜の『アタッキング・フットボール』を支える貴重な戦力として、際立つパフォーマンスを披露している。

 チャンスメーカーにもフィニッシャーにもなれる成長著しいアタッカーは、ここまでどんなサッカー人生を歩んできたのか。中編では、プロになるための心構えを学んだ高校時代や、幼馴染でありライバルである和田昌士への想いを深く掘り下げる。

───◆───◆───

–一時は大学に行く気満々だった

――トップ昇格が決まったのはいつ頃でしたか?
「クラブユース選手権が終わって、1か月くらい経った頃ですね」

――どんな経緯で?
「クラブユース選手権で得点王とMVPを獲ってから、多くの大学からオファーをもらったんですよ。その頃は大学に行く気満々でした。クラブユース選手権が終わった後の(川崎)フロンターレとの練習試合では2失点に絡む酷い出来で、これではトップ昇格はできないだろうって勝手に思っていましたから。それで、どこの大学にしようか迷っていた時に、クラブ側から待ったがかかって、昇格が決まったんです」

――当然、第一希望はトップ昇格だったわけですよね?
「それはもちろん」

――だからこそ、夏のクラブユース選手権まで進路を決めなかったのですか?
「そもそも大学から話が来ていなかったんですよ。特待生としてではなく、指定校推薦で来てくれとしか。それが、クラブユース選手権が終わった途端に、やっぱり特待枠で来てくれ、って言われるようになって。やっぱりスポーツ推薦で入るのと、指定校推薦では全然違いますからね」

――ではトップチームに昇格できると決まった時の気持ちは?
「本当にビックリしました。ただ嬉しかったのは確かです」

–松橋監督の下で人としても成長したユース時代

――当時ユースの監督だった松橋力蔵さん(現トップチームコーチ)からは、何を学んだ?
「リキさん(松橋監督)は、どれだけ能力があっても、気が抜けていたり、集中していなかったりする選手は使わないから、チームに正当な競争が生まれていたんです。自分もしっかりやらないとメンバーから外される。そういう危機感を持ちながらやれたから精神的にも鍛えられました」

――実際にメンバーから外されたことは?
「ないです。結構真面目にやっていたんですよ。僕個人では怒られたこともあまりないです。実は(和田)昌士(編集部・注/現秋田のMF。遠藤とは小学生時代からのチームメイトで横浜のトップチームにはともに昇格を果たした)はよく怒られていて。たぶんあいつは怒られて伸びるタイプだったから。そういうのを分かっていたんじゃないですかね、監督も」

――怖い監督でしたか?
「はい。気持ちの入っていないゲームをしてしまった時には、やっぱりかなり怒られるし、怖かったですね」

――今まで一番影響を受けた監督は?
「やっぱりリキさん(松橋監督)ですね。あの人が担当していた頃のマリノスユースって強いし、日本一に何度も輝いている。それってなかなか簡単ではないし、やっぱり凄いなって」

――指導を受けている時に感じた凄みは?
「選手一人ひとりの性格を事細かに理解していて、それを踏まえて起用するタイミングを決めているんですよね。『この選手は今使えば奮起してくれるだろう』とか、そういうのをすごく分かっていた。人を見る力がすごくあるっていうか」

――選手によって指導法を変えていると。
「今も結構話す機会が多いんですけど、そう言っていました。上級生と混ざって練習している時に、納得いかないことがあってボソッと愚痴を言う選手っているじゃないですか。リキさんいわく、そういう選手は上に大成するらしいです。僕も言われました。『お前も隠れてでグチグチ言っていたからな。でもそういう選手が上にいくんだよ』って」

–幼馴染でライバルの和田は大きな存在だった。いつか追いつこうと――

――和田選手も愚痴を言うタイプでしたか?
「そうでしたね(笑)」

――小学校から苦楽をともにした和田選手はやはり刺激に?
「はい。大きな存在でした。昌士は小学校時代から有名で、本当に凄かった。マリノスのジュニアユース、ユースにもトントン拍子で上がって。ジュニアユースの時には、ひと足早くユースの練習に参加していました。なかなか、いないんですよ、そういう選手って。ユース時代にはイングランドのマンチェスター・シティに留学したりとか、トップチームのプレシーズンマッチで点を取ったりとか……。あれは高1の時だったかな。僕はボールボーイをやっていたんですけど、あいつは普通に先輩の中に混じって試合でバリバリやっているんですよ。『こいつ、やっぱり凄いな』って思いましたね」

――身近に、ひとつ先をいく存在がいて、焦りもあったのでは?
「それは間違いありません。いつか追いつこうと必死でした。でも高3になってから、追いつけてきたのかなって実感も徐々に沸いてきました。だから俺らふたりでチームを引っ張って日本一になれるんじゃないかって」

――16年にトップチーム昇格後、より多くの出番を掴んだのは遠藤選手でした。逆転できた要因は?
「たぶん、運です。最初にチャンスが巡って来たのが僕で、その試合で勝てたのがなによりも大きかった(16年第1ステージの新潟戦。2-1で勝利)。その年は開幕から2試合勝てていなくて、どうしても落とせない試合だったから、あそこで引き分けたり負けていたりしたら、僕はそれから使ってもらえなかったかもしれません。そこでアピールできたからこそ、今の僕の立場がある。そういう運があっただけです、僕には」

――いわゆる“持っている”選手だったと。
「そういうことになりますね(笑)」

――とはいえ運があるのは、大きな強みです。
「それは自分でも思います」

――今は別のチームですが、和田選手とは今でも連絡を取っている?
「ラインはぼちぼちしますけど。会う機会はやっぱりほとんどないですね。昌士が横浜に帰ってきた時くらいです」

–遊びたい欲求を我慢して、サッカーに打ち込んできた

――プロになって高校時代に活きた経験は?
「左足の練習です」

――両足遜色ないキックは武器ですね。どんな練習を?
「これと言って特別なことはしていないですよ。ただシュート練習とかでは利き足だけではなく、逆足でも万遍なく打つように心掛けていました」

――高校時代に、試合とか出られない時期も精神的にブレなかった? 遊びたいと思ったりは?
「もちろん羨ましかったですよ。バイトをしたり、遊びに行ったり、放課後に教室に残ってみんなとおしゃべりしたり……、文化祭とかにも行きたかったですしね」

――辞めたいとは思わなかった?
「それはなかったですね。今だから思うんですよね。結局何かを失わないと、目標って成し遂げられないんじゃないかなって」

――高校生でどうやって、誘惑を断ち切ったのですか?
「気を緩めたら、他の同世代の選手から後れを取ってしまうって自分に言い聞かせていました。プロサッカー選手ってみんなそうだと思います。周りが遊んでいる時もサッカーに打ち込んできたからこそ、今があるんです」

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 高校1年生時から3年生に混じって試合に出ていた、いわばエリートの和田に負けじと、コツコツと練習を重ね、地道に力を着けてきた。そうしたライバルに刺激を受け、目利きの松橋監督の下でひたすらサッカーに明け暮れたからこそ、プロの道が拓けた。

 6月5日にお届ける後編では、プロになってから芽生えた意識や手応え、20年に開催される東京五輪への想いに迫る。

PROFILE
遠藤渓太/えんどう・けいた/1997年11月22日生まれ、神奈川県出身。175㌢・66㌔。二俣川SC―横浜Jrユース―横浜ユース―横浜。J1通算75試合・4得点。小学生時代は横浜のスクールに通い、中学からは横浜の下部組織でプレー。ユースでの最終学年では優勝したクラブユース選手権で大会MVPと得点王に輝く。10代から世代別代表に選ばれ、2017年のU-20ワールドカップ出場を果たす。クラブではプロ1年目から出場機会を得て、昨季にはルヴァンカップのニューヒーロー賞を受賞。今季も左サイドを主戦場に、アグレッシブな仕掛けで好機を生み出し、自らも果敢にゴールを狙うアタッカーとして活躍する。

取材・文●広島由寛、多田哲平(サッカーダイジェスト編集部)

2019/06/10 コパ・アメリカ日本代表、久保建英だけでない注目選手。川口能活超えの年少出場、J全試合出場は誰? | フットボールチャンネル

 現地時間14日に開幕するコパ・アメリカ(南米選手権)。招待国として出場する日本代表は17日のチリ戦を皮切りに、まずはグループステージ3試合を戦うことになる。

 22歳以下の東京五輪世代の選手が18名を占めた今回のメンバーの中には、13名の初招集メンバーが含まれている。9日のキリンチャレンジカップ・エルサルバドル戦で代表デビューを果たした久保建英以外にも、要注目の選手たちが名を連ねている。

 GKの大迫敬介は今季、サンフレッチェ広島で全14試合にフル出場を果たし、先に行われたキリンチャレンジカップ2019に初招集。ベンチ入りを果たしたものの、出番はなかった。

 コパ・アメリカで19歳の大迫敬介が初出場を果たした場合は、ともに21歳で代表デビューを飾った川口能活、楢崎正剛を超える年少記録となる。GK3名の中では、唯一所属クラブで出場機会を得ており、コパ・アメリカでの出番も十分に考えられる。

 湘南ベルマーレの杉岡大暉は、これまで年代別の代表活動のために欠場した9試合以外、3シーズンのリーグ戦すべてに出場している。3年目ながらその出場数は81試合を数え、待望論があったA代表に満を持して選出された。

 湘南では主に3バックの左と左WBを務め、無尽蔵なスタミナでサイドを上下動する。セットプレーのキッカーを任されることもあり、昨年のルヴァンカップ決勝では、決勝点となるミドルシュートを決めるなど、左足のキックは日本代表の武器になるだろう。

 小学5年生から川崎フロンターレに籍を置く三好康児は昨季、北海道コンサドーレ札幌に期限付き移籍。札幌ではシャドーのポジションで出場機会を得ると、今季は再び期限付きで横浜F・マリノスへと移籍。ここまで10試合に先発している。

 三好はこれまで年代別日本代表にも名を連ね続け、U-17、U-20ワールドカップも経験。同世代の冨安健洋や堂安律が代表でも活躍しているだけに、三好も期するものがあるはずだ。

 フル代表未出場が16名を数える今回のコパ・アメリカ日本代表メンバー。しかし、先に挙げた3選手をはじめ、立田悠悟、菅大輝、前田大然ら、所属クラブの主軸に成長している選手も多く、この大会を通じて大きく成長する可能性を秘めているかもしれない。

2019/06/10 【東京2020】国を背負って戦う経験はこれからの視点を変えてくれる・遠藤渓太選手インタビュー | 進路のミカタニュース

ジュニアユースから横浜F・マリノスでプレーし、年代別日本代表でも活躍中の遠藤渓太選手。ジュニアユース→ユース→トップチームと昇格していく陰には、犠牲も伴う大きな努力が隠れていました。
ユース時代からプロ、そして東京2020への意気込みなど、伺ったお話をご紹介します。
 
 
–全部が悪かったとしても、1点さえ取れればいい

―― サッカーを始めたきっかけを教えてください。

幼稚園の頃、3つ上の兄の影響でサッカーを始めました。
小学校ではサッカークラブに入ったんですが、そこは本気でサッカーをしている子が多くて、結構強かったんです。その頃から遊びではなく、みんなで高め合いながらサッカーすることができていました。
 
 
―― 中学生からF・マリノスの育成組織に所属されました。ジュニアユースから高校サッカーに行く選手もいますが、遠藤選手はどう考えられていましたか?

高校サッカーに行こうという気持ちは一切無かったですね。ユースに上がれるものだと思っていましたから。でも最初の昇格判定で「△」だったんです。「これはやばいぞ」と思って、そこから滑り止めの意味で高校を受験したりもしました。
コーチからは「日々の練習を100パーセントでやっていないだろ」と言われていたので、そこから練習も100パーセントで取り組むようになりました。それがユースに上がれるようになったきっかけだと思います。
 
 
―― 高校時代、勝つために努力していたことはありますか?

努力と言うのかは分かりませんが、メンタル的には気を使っていたかもしれません。試合に出ている選手はみんな自分より一つ上の代だったし、リーグで対戦するチームにもたくさん良い選手がいました。そんな中でも、「自分が点を取らなければ」という思いで取り組んでいました。全部が悪かったとしても、1点さえ取れればいいかなって。
期待してくれている先輩もいたし、「期待に応えなきゃ」という思いは少なからずあったかもしれないです。
 
 
―― 高校時代、自分はここが違うなと思っていたことはありますか?

高2の頃から点が取れていたことで自信がついていたので、高3になってからは、正直向かうところ敵なしだと思っていました。当時は下級生が多いチームだったんですが、すごく良いチームだと思いながらやれていましたから。
自分の代に1対1がすごくうまいドリブラーがいたんです。タイミングとか間合いがものすごいやつで……。その選手と一緒にドリブル練習をしたり、左足の練習をしたりしていたことも、自信につながっていたのかもしれません。
 
 
–何かを失わなければ、何かを得ることはできない

―― しかし高3の最初、実はトップチームへの昇格ができるか微妙だったそうですね。当時の心境はどうでしたか?

自分でも上がる気が無かったというか、上がれないものだと思っていたので、大学もたくさん受験するつもりでした。クラブユース選手権という一つの大会では活躍できた自信がありましたが、昇格できるほど何かを残していたわけではなかったので、手応えもありませんでした。
ユースの中では敵がいないと思っていましたが、下の年代の子がトップチームのキャンプに参加する中、僕は練習に数回行く程度。練習に行けても、全然手も足も出ない感じだったんです。
 
 
―― その後、トップへの昇格が決まったのは、いつ頃ですか?

クラブユース選手権が終わって1カ月後くらいですね。クラブユース選手権で得点王とMVPになってから、大学からも、それまであまりなかったオファーが来るようになったんです。それもあって大学に行こうと思っていたんですが、クラブ側からはまだ待つよう言われ、結果として昇格できると伝えられました。
 
 
―― プロになってから、それまでと一番違うなと感じたところはどのような部分でしたか?

ゴールキーパーの質が全然違いました。ユースの頃に打っていたシュートじゃ絶対入らないと思ったし、コースを狙わないと本当に入らない。ユースの時は強く打てば入るゴールキーパーもいましたが、プロはそれじゃダメですからね。
 
 
―― 昨年からはアンジェ・ポステコグルー監督の下でプレーしていますが、いかがですか?

自分たちのサッカーの型があります。うちみたいな攻撃的なサッカーをするチームは相手からしたら嫌だと思うし、監督も「自分たちのサッカーをすれば負けるわけがない」と言っています。そういう攻撃的な部分は楽しいし、昨年以上に守備も安定してきていると思います。シーズンを通して波があるのは当然ですが、その波をいかに小さくするかが今の課題かなと思っています。
 
 
―― プロになって生きた、高校時代の経験は何かありますか?

左足の練習ですかね。シュート練習は満遍なく打つようにしていました。
高校時代、バイトしたり文化祭やったりしているみんなが正直うらやましかったんですよ。でも、僕はブレなかったですね。今だから思いますけど、結局何かを失わないと、たぶん何かは手に入らないんじゃないですかね、プロにもなれないだろうし。
 
 
–国を背負った経験は今後のキャリアでも生きてくる

―― 2017年にU-20日本代表として国際大会に出られましたが、その時どのような経験を得ましたか?

海外の選手って、これで食べていくために頑張ろうっていう気概が、自分たちよりもすごいなと感じました。成り上がっていくために飢えている選手たちばかり。2017年の大会ではもっと上に行きたかったけれど、延長戦の終盤に点を取られて負けて……。これがサッカーなのだと改めて痛感しました。
 
 
―― 次の国際大会は東京2020。大会を意識するようになったのはいつ頃ですか?

U-20の国際大会で意識するようになりましたね。そこでやっぱり国際舞台っていいなと感じました。
 
 
―― 東京2020への意気込みを教えてください。

簡単に行ける大会ではないと思います。今F・マリノスで試合に出ていても、大会の時期までポジションを確保していなければ呼ばれないと思っています。これからのキャリアでも、国を背負って戦うプレッシャーを経験した選手とそうでない選手とでは、見えてくるものも違うと思います。もちろんそこに選ばれるためにF・マリノスで頑張りたいです。
 
 
以前横浜F・マリノスに所属していた川崎フロンターレ・齋藤学選手について、「ドリブルはもちろんうまいし、そのドリブルをフェイクにしてパスを出したりと、引き出しが多いし、センスが抜群。目標にしている選手」と答えた遠藤選手。ドリブルを武器に、日本の代表として東京2020で活躍しているところを見たいですね。

2019/06/09 【クラブユース選手権関東大会】横浜FMユースが三菱養和SCユースを破り関東制覇~2得点の井出「大きな自信になった」 – ベースボール・マガジン社WEB

 日本クラブユース選手権関東大会決勝は、三菱養和SCユースと横浜FMユースの顔合わせとなった。ともにプリンスリーグ関東で戦っているチーム同士の一戦は、一人のアタッカーが勝負を決めた。

–「全国でも優勝しなければ意味がない」

 横浜FMユースは序盤、三菱養和SCユースに決定機を作られる。ロングボールをFW栗原イブラヒムジュニアに落とされ、MF飯田泰成にシュートを放たれるが、GK寺門陸が好守を見せ、得点を許さない。

 その後、徐々に試合のペースを握っていくと、40分に先制ゴールを奪う。FWブラウンノア賢信のパスから左サイドを突破したMF井出真太郎が角度のないところからシュート。「(パスをするよりも)自分でシュートしたほうが入るかなと思って打った」というボールは相手GKの股下を抜け、ゴールネットを揺らした。

 さらに、後半も横浜FMユースは攻勢をゆるめない。67分には井出のドリブルが相手のファウルを誘い、FKを獲得。このチャンスで井出自らが右足を振り抜き、再びゴールを決めた。本人は「運よく入りました」と謙遜するが、三菱養和SCユースの栗原は「自分たちには防ぎようがなかった」と、その見事なシュートを称えた。

 そして、試合は0-2でタイムアップ。横浜FMユースが三菱養和SCユースを破り、関東の頂点に立った。「チームが優勝できたので、それが一番良かった。かなり大きな自信になった」と殊勲の2ゴールを挙げた井出は喜ぶ。

 また、7月の日本クラブユース選手権に向けても、井出は「全国でも優勝しなければ意味がないので、気を引き締めてやっていきたい。個人としては得点を取ったり、アシストできればいいかなと思います」と抱負を語った。

 なお、決勝を戦った両チームをはじめ、関東から11チームが出場する日本クラブユース選手権は、7月に群馬県と東京都で開催される。

取材◎小林康幸

 
 

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