夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2019/05/30) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2019/5/30(木)東アジアサッカーが色々と物議を)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

7月開催ホームゲームチケットに関するお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(浦和戦の「横浜F・マリノス スターターセット」いいね!)

ユース所属 津久井匠海選手 U-17日本代表アルゼンチン遠征メンバー選出のお知らせ | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(U-17ボカ・ジュニアーズとのTRM、U-17アルゼンチン代表と2戦)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(非公開)
 
 

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Webニュースログ

2019/05/30 べスト16進出の立役者。U-20日本代表の技巧派・山田康太が世界舞台で見せたハードワーク | Goal.com

一進一退の攻防の末のスコアレスドロー決着で2位通過。29日、U-20日本代表はU-20ワールドカップグループBの最終戦でイタリアと対戦。1勝2分の無敗で「死のグループ」を踏破し、見事、2大会連続の16強入りを果たすこととなった。一筋縄ではいかなかったグループステージ3戦で攻守両面に目を惹いた存在がいる。MF山田康太(横浜F・マリノス)だ。【取材・文=川端暁彦】

■トリコロール育ちのテクニシャン

 最終戦は難しいシチュエーションだった。すでに2勝して引き分けで問題ないというスタンスを取る、そしてこのスタンスを取らせたら恐らく世界一であるイタリアの土俵に乗り込むしかない状況である。逆に日本は負ければ敗退の可能性もあるだけに、「最悪、引き分けでもいい」(MF山田康太=横浜F・マリノス)ということも選手たちの頭の中にはあった。リスクを負い過ぎるわけにはいかないが、リスクを負わずに点を取れそうな気配は時間の経過とともに薄まってしまっていた。

 その中でも攻守両面で目を惹く選手がいた。山田である。しかもこの試合だけ目を惹く存在だったわけではない。グループステージ3試合を総合してMVPを一人選べと言われたら、個人的には山田を推したい。そのくらいこの世界舞台で、横浜FMの育成組織育ちのテクニシャンは輝きを見せている。

 ボールを持てば技術で変化をつけ、オフ・ザ・ボールでは「常に相手を見ながら」位置取りや動き出しを修正。「相手の形とか、やり方をすごく見ているタイプだと自分では思っている」という言葉どおり、相手にとっての“嫌なところ”で巧みにボールを受けて組み立て役に。基本ポジションは左サイドのMFだが、機を見てインサイドスペースへと入り込んで、サイドバックのための「道」を作り、中で受けて起点にもなる。

「(相手の)サイドバックが本当にどうしたらいいんだか迷うというか、自分が結構中央の位置を取ることによってサイドバックが来てくれるなら、今日だったら(左サイドバックの東)俊希にすごく高い位置を取らせることができて相手の陣形もすごく下げられるし、高い位置でボールを回せる。そういうことも含めて自分がアクセントになれたらいい」(山田)

 このあたりの感覚は、影山雅永監督も指摘するように、横浜FMでいわゆる「偽サイドバック」としてプレーした経験も生きているのだろう。「外に張るか、中に入るか」の判断が絶妙なのだ。こうしたチャンスの起点となるようなプレーだけでなく、第1戦・エクアドル戦はゴールも決めたし、イタリア戦ではCKからの強烈なボレーシュートという形であわやゴールかというシーンも作り出していた。
■タフなハードワークを3試合貫徹

 ただ、今大会の山田にスペシャルなモノを感じるのはこうした技巧派、頭脳派としての顔だけではない。「本当によく走ってくれている」と指揮官も絶賛するとおり、タフなハードワークを3試合にわたって貫徹していることだ。テクニシャンにありがちな“足元プレー待ち”のようになることはなく、時には無駄走りもいとわない。

「詰まったときは相手の嫌がる背後へのランニングを自分がすることで、ボールが出なくてもインサイドが空く。(その構造を)自分でも理解しているので、短いスプリントで相手を釣って、実際に自分のところに来たらそれはそれでいいという形をサボらずできている」(山田)

 攻撃だけでなく守備のハードワークも目覚ましい。このチームは、4バックを横方向でコンパクトに保つ戦術をとっているため、サイドハーフには絶対的な運動量が求められることになる。本人が「サイドバックが出なくてもいいように、自分が走る」と言うとおり、ここまでその役割を献身的にこなし続けた。

 3戦目となるイタリア戦は「試合に臨むパワーが落ちていた。正直、後半10分くらいで足に来ていた」(山田)とさすがに疲れもあったようだが、それでもここぞの場面ではしっかり戻って穴を開けなかった。

「試合前も本当に…うん…気持ちもすごく高ぶるし、日本を代表して戦うというのはこういうことなのかなと少しずつ感じている」(山田)

 アジアの最終予選ではベンチを温める時間が長く、選手として完全燃焼できなかったのは確かだろう。ただ、だからこそ3試合連続して先発で起用され、指揮官から明確な信頼を示される現状に奮い立つものがないはずもない。何より世界中の猛者たちと真剣勝負を重ねられるこの状況自体、プレーヤーとしての幸せを感じるはずだ。

 そこでちょっと最後に聞いてみた。「W杯、楽しいでしょ?」。

「はい、楽しいです」

 世界各国との熱く激しい真剣勝負の連続が、この若武者を確実に化けさせつつある。

2019/05/30 W杯で覚醒、頭を使って走った山田康太の270分「こういうことなのかなと感じる」 | ゲキサカ

 グループリーグ突破の立役者の一人として、大きなインパクトを残した。U-20日本代表MF山田康太(横浜FM)はU-20ワールドカップ本番で主力の座をつかみ、グループリーグ3試合に連続先発。エクアドル戦は後半アディショナルタイムに交代したとはいえ、ほぼフル出場。中2日の3連戦で270分プレーした。

「正直、後半10分くらいで足にきていた」という3戦目のイタリア戦も献身的なハードワークを続けた。「しんどくても相手の動きがしっかり見えているというか。試合を重ねるごとにゲームに慣れてきているのかな」。疲労は蓄積していたはずだが、経験のないような連戦の中で頭を使い、局面の判断は冴えた。

 これまで代表チームではボランチを主戦場とし、昨秋のU-19アジア選手権は控えの立場だった。サイドハーフを任されたのは4月の千葉合宿で行われた練習試合。「ほぼ初めて」という位置に特別手応えを語ることはなかったが、横浜FMでも複数ポジションにチャレンジする頭脳派はその場もソツなくこなし、迎えたU-20W杯本番も両サイドハーフの位置で躍動することになった。

 エクアドル戦で値千金の同点ゴール。相手の出方を読み、インサイドに入って起点となり、サイドバックの攻撃参加を促すプレーが際立った。守っては「後ろが楽になるように」というハードワークを怠らず、メキシコ戦後、センターバックのDF小林友希(神戸)は「サイドハーフが走って守備をしてくれたおかげでバランスを崩さずに守れた」と感謝した。

 横浜FMで満足な出場機会を得ていたわけではなかったが、W杯という大舞台で覚醒しつつある。「気持ちもすごく高ぶるし、そういう意味では本当に、日本を代表して戦うというのはこういうことなのかなと少しずつ感じている」。チームは無敗で予選を突破。270分、頭脳と技術と走力を発揮した山田康太の存在は大きかった。

(取材・文 佐藤亜希子)

2019/05/30 「遠藤航はやっと年相応。鈴木武蔵は…」マリノス・松原健の交遊録 — 写真・角戸菜摘 文・伊藤順子 | ananweb – マガジンハウス

–試合は、正直めちゃめちゃキツいです。

今季、好調なマリノスを支えるサイドバック・松原健選手。マリノスならではの戦術でピッチ上を縦横無尽に走り回り、相手の動きを封じ込める鉄壁のディフェンスを誇ります。

松原選手 サイドバックって、文字通りサイドで守るのが一般的だと思われますが、マリノスのやるサッカーは少し違うんです。外側にいるだけではなく、時折中に入ったり、フォワードの位置に入ったりと、各ポジションを目まぐるしく変えるのが特徴なんですね。これにより、攻撃的でアグレッシブな戦いができていると思います。

ーー普通に考えて、とてもハードですよね。

松原選手 走行距離がだいぶ伸びました。1試合につき、だいたい11~12kmくらい走っているので、正直めちゃめちゃきついですね。なので、増えた運動量にあわせて食事もよりバランスのいいものを意識していますし、トレーニングも日頃やっているメニューに、プラスしたものをやっています。ハードではありますが、相応の結果が出ているので、さらにパワーアップして成熟度を高めたいです。

–クラブでゲームが流行中! ハマる理由は…

ーーそんな男気あふれるプレーが魅力的な松原選手ではありますが、インタビューは一転、穏やかで優しい印象。まるで保育士さんのようなふんわりとした雰囲気を感じられます。

松原選手 そうですか? まぁ、子どもはもともと大好きです。いま妻が妊娠中なんですが、子どもが生まれたら、ずっと離れないと思いますね。でも、取材の場では出しませんけど、実は気分屋で、割と浮き沈みが激しいかもしれません。例えば、小指を角にぶつけてしまったら、角にものすごく怒るような(笑)。ほんの些細なことに感情が揺らいでしまうことがありますね。だから、妻は大変だと思います。(笑)

ーー怒った松原選手が想像できないです。女子のなかにいても、普通になじめるような……。

松原選手 女子っぽいというと、脱毛をしていて、乾燥もしやすいので、お肌のケアは怠りませんね。化粧水をつけてからクリームでお手入れしています。顔は洗顔料と同じラインのスキンケアアイテムを使っていて、ボディ用化粧水はバンバン使いたいから、お手頃価格で大容量のもの、クリームは肌なじみのいいものを愛用しています。すべて、妻とは別で自分専用です。

ーーす、すばらしいですね! 女子よりマメかもしれません。ほかに、毎日していることはありますか?

松原選手 マイブーム的なことですと、『PUBG』というオンラインゲームにハマっています。同クラブの天野純選手がやっていたのをきっかけに、一斉にみんなやりだしました。空き時間は気づけばゲームやその話ばかりです。少し前は、DSの『桃太郎電鉄』が流行っていて、移動中や遠征先のホテルでも、みんなずっとやっていましたね。

ーーみなさん、なぜそこまで夢中になるのでしょうか。

松原選手 これまでサッカーばかりしてきて、小さい頃ゲームがそんなにできない環境だったんだと思います。その反動が大人になったいま、きているんでしょうね(笑)。

–鈴木武蔵選手は、見た目が怖いけどすごく優しい

ーーそれにしても、同じゲームをみんなでやるなんてとても仲良しですね。

松原選手 そうですね、年齢が近い選手が多いのでみんな仲良しです。

ーークラブ以外で仲良しの選手はいますか?

松原選手 北海道コンサドーレ札幌の鈴木武蔵選手です。僕が前にいた当時J1のアルビレックス新潟で3年間一緒でしたし、また、同時期に世代別の代表にも選ばれてともに戦っていました。彼はワイルドで一見怖そうだけれど、中身はとても優しいです。人の気持ちを考えられる、思いやりのある男ですね。

あと、いまベルギーにいる遠藤航選手とも連絡を取り合っています。彼とも世代別の代表で、その期間中ずっと一緒にいました。若い頃は、老けているなぁと思いましたが、いまはやっと年相応ですね(笑)。

ーーどちらも、日本代表でも活躍されています。

松原選手 世代交代が始まって、同世代の選手が多く選ばれていると感じます。僕も、もう一度選ばれたいですね。そのためにも精一杯頑張りたいですし、他の選手に負けていられないという思いが芽生えます。

ーーライバルはいますか?

松原選手 同じポジションの酒井宏樹選手や、室屋成選手などがやはり気になりますね。悔しい気持ちもありますけれど、上を目指しすぎるより、足もとをしっかり固めないと意味がないと思いますので、まずはマリノスで結果を出すことが課題です。

クラブから2、3人が代表に選ばれていますし、森保監督は見てくれているという印象があるので、いいプレーや勝利を積み重ねていきたいです。

ーー最後に、マリノスの見どころと目標を教えてください。

松原選手 うちのクラブは攻撃に特化しています。数字を見ても、得点数は上位に食い込んでいるので、観戦にいらした際は、得点シーンをいっぱい見られると自信を持って言えますね。先ほど申した、ポジションがいろいろ変わる戦術も、どんどんいい状態になってきているので、リーグタイトルを目指したいです。

サッカーは「4つ上の兄の影響で自然な流れで始めた」という松原選手。ご自身のことを、感情に波があり、「怒られるとしゅんとしちゃう。褒められて伸びる、ザ・ゆとり世代です」と少々自虐的に分析されていましたが、その客観的で冷静な目は、まさに試合全体を俯瞰するサイドバックの役割と重なります。これからも、よりいっそうのご活躍を楽しみにしています!

2019/05/30 父は浦和レッズのレジェンド、横浜F・マリノスの広瀬陸斗が歩んだ道 – スポーツナビ

–Jリーガーの父親に教わった記憶はない

 周りに目をやると、道行く人のほとんどが赤と黒のユニホームを着ている。目指す先は駒場運動公園競技場(現・浦和駒場スタジアム)。かつて浦和レッズが本拠地としていた“聖地”だ。

 皆のお目当てはピッチで躍動する浦和の選手たち。今シーズンから横浜F・マリノスでプレーする広瀬陸斗の父親も、そのうちの1人だった。しかし、幼かった陸斗にはサッカー観戦や父親のプレーの記憶はない。

「駒場に行ったことは覚えています。でもサッカーはほとんど見ていなくて、売店の近くで鬼ごっこやかくれんぼをして遊んでいました。試合中はみんなサッカーに集中しているので、普段は混んでいる売店の周りも空いている(笑)。だから父さんのプレーの記憶は全くないんです」

 父・広瀬治は帝京高校から三菱重工業サッカー部を経て、浦和の一員としてJリーグ草創期に活躍。引退するまで浦和一筋で過ごしたレジェンドプレーヤーだ。

 母親と2学年上の兄にくっついて駒場へ足を運んでいたころ、1995年生まれの陸斗は幼稚園児として無邪気に過ごしていたのだから、父親のプレーを詳しく覚えていなくても無理はないだろう。それを治さんに伝えると、屈託のない笑みで当時を回想してくれた。

「自分のプレーなんか見ていないだろうな、と思っていましたよ(笑)。チームメートの子どもたちと遊んで、お菓子を食べに駒場へ来ていただけというのは奥さんから聞いていました。でもね、ただ来てくれているだけで良かった。試合が終わってすぐに家族に会えるのはとても幸せでしたから」

 父親は浦和レッズを愛する者たちにとって憧れの存在だったが、陸斗にしてみれば普通のお父さんでしかなかった。治さんは、自宅にユニホームを飾るようなタイプでもなかったため、サッカー選手の子どもとして育った感覚はあまりない。

「父さんにサッカーを教えてもらった記憶はありません。家の近くでキャッチボールをしたことは覚えています。サッカーは兄ちゃんにくっついて始めたのかな。あとはサッカーが盛んな地域だったので、幼稚園のときから自然とサッカーに触れ合う時間が長かったのかもしれません。小学生になってからは放課後に暗くなるまでボールを蹴って、それからようやく家に帰る毎日でした」

–父親が漠然と思い描いていた夢

 父親が教えるでもなく、父親に教わるでもなく、息子は自然とサッカーにのめり込んでいった。プロサッカー選手として2人の子宝に恵まれ、どちらも男の子だったときの心境を治さんはこう語る。

「たまたま男の子が2人生まれてきてくれたので、自分の気持ちとしては、どちらかがサッカー選手になってくれたらありがたいなぁ、と漠然と思っていました。ただ、そのために『巨人の星』のような熱血指導をするつもりは全くなかったし、実際にやっていません。一緒にボールを蹴ったことくらいはあるけど、幼稚園や小学校低学年の子どもに必死に教えても、そのとおりにはできない。ましてや戦術的な話をしても理解できるわけがない。だから普通の家庭の親子と同じです。奥さんも子どもをサッカー選手にしたいとは全然、思っていなかったと思います」

 陸斗を大学付属の小学校に進学させようと提案したのは教育熱心な母・一美さんだった。兄弟が比較されて余計なストレスを抱えないように、という配慮もあったが、個人指導の塾に通わせることで勉強の重要性も説いてきた。しかし学生時代からサッカーだけに打ち込んできた治さんは、どこ吹く風でその様子を見守っていたという。

「奥さんとしてはスポーツだけではなく、勉強もしっかりできる文武両道に育てたいと思ったのでしょうね。自分の子どもでもあるけど、奥さんの子どもでもあるし、最初からやらないよりはやらせてみてもいいと思いました。漢字の読み書きくらいはできてほしいですから(笑)」

 当時、陸斗と兄・大暉さんは同じ部屋で生活していた。ある日、一美さんから「2人が勉強しているか様子を見てきて」と言われた治さんは、抜き打ちで子ども部屋のドアを開けてみた。すると案の定、子どもたちは勉強そっちのけで『遊戯王』のカードに夢中になっていた。

「怒られると思ってカードを隠すこともせず、全くビビりもしないんですから(苦笑)。奥さんは勉強ができたタイプだから、子どもにも期待していたと思います。でもオレの子どもなんだから無理ですよ。勉強に対して集中力がないのは見ればすぐに分かる。『個人指導の塾なんてもうやめさせろ』と、奥さんとケンカしたこともあります」

 子ども部屋を後にした治さんが、一美さんに「子どもたちは真面目に勉強していたよ」と報告したのは、20年近く経過した今となっては時効のエピソードである。

–柔らかいボールを与えた父の狙い

 教育にうるさくなかった父親が息子に手渡したのが、ボールだった。一般家庭にも転がっている柔らかいゴムやクッションのボールを、兄弟にひとつずつ与えた。

「1歳くらいになって歩けるようになったころかな。柔らかいボールを渡して『家の中ではドリブルしながら遊んで移動しようね』と。これは僕も子どものころ、親に言われてやっていたことで、ドリブルしなくても怒らないし、投げても構わない。だから約束ではないし、ルールでもない。でも運動しかやってこなかった自分の子どもなので、サッカー以外でも何かスポーツはやるだろうと思っていました。それならば幼いときから神経系の働きを活発にしておいたほうがいいし、アジリティの面でも効果がある。そうすれば何でもできるようになるので」

 すると陸斗は家の中で常にボールと行動を共にするようになった。トイレやお風呂にもドリブルで移動し、食事中はテーブルの下にあるボールを足の裏でコントロールする。「さすがに食事中は『お行儀が悪い』と奥さんに怒られたかな」と、治さんは苦笑いしたが、陸斗はボールを肌身離さず生活するのが日常となった。

 もうひとつ、アスリートの息子ならではとも言える身体能力の片鱗を感じさせるエピソードについて、治さんはこう証言してくれた。

「陸斗は家の中にあるふすまや窓によじ登って、横にたどって行ったりしていました。まるでテレビ番組の『SASUKE』のように、近くにあるものはすべて障害物に見立てて遊び道具に変えてしまう。その様子を見て運動能力の高さは感じていましたし、体つきも筋肉質でしたね」

 これについては陸斗も覚えている出来事があった。

「家の中だけでなく、マンションの敷地内でも遊んでいました。立ち入り禁止の場所に入って管理人さんに注意されたことも(苦笑)。でも、父さんに怒られた記憶はほとんどありません。たぶん自分も子どものころはヤンチャをやっていたタイプだから、息子もそれくらいヤンチャなほうがいいと思っていたんでしょう」

–中学生になり浦和レッズの門をたたく

 2000年に現役を引退して指導者となっていた治さんは、時間を見つけてはサッカー少年団の応援へ駆けつけた。余計な口出しは息子のためにならないと考え、周囲の親御さんと並んで息子がボールを蹴る姿を静かに見守った。

 しかし、ふとした瞬間に指導者としての目線が混ざってしまうことに、本人も気付いていた。

「陸斗の動きは野性的でした。チャンスのときは相手のゴール前にいるし、ピンチのときは味方のGKの後ろまでカバーする。とにかくずっと動き回っているんです。子どもなりに考えているんだろうけど、本能や感覚が違った。指導者からしてみれば教えられない部分が自然と備わっている子でした」

 サッカーを教えたことは一度もない。それでも何気ない日常でボールタッチの感覚が磨かれ、家の中で身体能力を向上させていく。それがアスリートのDNAを引き継ぐ者なのだから、地域のサッカー少年団で主役になるのは当然だろう。小学6年生になると地域選抜の浦和FCでもプレーし、父親の背中を追うようにジュニアユースで浦和レッズの門をたたく。

 治さんはここでも自らの存在が与える影響を把握した上で「コネは一切ありません。同じセレクションに長男は落ちていますから」と強調する。

 こうして踏み出したプロサッカー選手を目指す第一歩。自然と自分を追いかけてきた息子に対して父親が抱く感情は「うれしかったけど複雑でした」。そして、こう続ける。

「レッズのジュニアユースには各少年団のお山の大将が集まるわけです。20人の定員だとしたら20番目になるかもしれない。それでもやっていけるのか親として不安な気持ちはありました。ただ、やっていけるという確信はないけど、無理という根拠もない。本人次第だから親として見守るしかありません」

 この先に待ち受けているのが平坦な道のりではないことを最も知っているのは、誰よりも身近な存在の父親だった。

→後編(要会員登録)2019/05/30 “二世Jリーガー”はこうして生まれた 広瀬陸斗と父・治さんの絶妙な距離感 – スポーツナビ
 
 

 
 

今日のこけまり

【スタジアム観戦情報まとめ】2018/8/11(土)19:00KO J1第21節 湘南ベルマーレvs.横浜F・マリノス@Shonan BMWスタジアム平塚 | タイトル
【スタジアム観戦情報まとめ】2019/5/31(金)19:00KO J1第14節 湘南ベルマーレvs.横浜F・マリノス@ Shonan BMWスタジアム平塚 #湘南対横浜FM
 
 

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