夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2017/1/26) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2017/1/26(木)本日21:00、スパンブリFCと対戦)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Istagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

2017トリコロールメンバーズ(年間チケット会員/レギュラー会員)」会員特典お渡しに関するご案内
(´-`).o0(今月中に申し込んだネンチケ会員には2/10から発送)

3/10 鹿島戦オフィシャル応援ツアーのご案内
(´-`).o0(横浜駅14:30出発/24:30着予定)

2017 タイキャンプ フォトレポート[6日目] | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(1/25の様子)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(タイ国内非公開)
 
 

Twitter / Istagram


 
 

Webニュースログ

2017/1/25中村俊輔とマリノス、それぞれ目指すものがあるから – サッカー現場発 – サッカーコラム : 日刊スポーツ

 元日本代表MF中村俊輔(38)が磐田に移籍した。まずは、その決断に敬意を表したい。

 長年、横浜を支えた象徴的な選手の離脱。その契約交渉を実らせることができなかった横浜を責めるつもりは毛頭ない。プロの団体が、総合的に判断して、決めたことだ。それは監督の方針でもあるし、その指揮官の意向を尊重したクラブ経営陣の最終判断なわけだから。

 私が中村に出会ったのは、20年前だ。横浜担当から離れた今でも、一番好きな選手であり、日本サッカー史上、最も偉大な選手と認識している。サッカーに対する情熱、日の丸への愛着は、想像を超えるものがある。

 中村はサッカー少年の頃から、サッカーノートを書いている。戦術や課題、トレーニング法などを日々記したものだが、たまに、サッカー以外の夢をつづることもある。例えば、将来乗りたい車、将来住みたい家、どのような家庭を築くか、どのリーグでプレーしたいか、などなど。そのほとんどに「横浜で」が根底にあった。

 1つだけ紹介すると、中村少年は、中庭のある家に住みたいと思っていた。中庭で将来の子供たちと遊んだり、サッカーボールを追うのを夢見ていた。実際に何年か前に、横浜市内に家を建てたが、中庭はない。理由を尋ねると「地下の階を作りたかった。地下を作るのは、意外と高いんだね」。人間は、そうやって夢と現実のはざまで悩み、選択していく。

 中村が、セリエAのレジーナに移籍した2年目のシーズンだと覚えているが、当時の監督から名指しでいじめられた時期がある。人種的な差別発言を受けながらも、耐えた。同僚からは「監督につぶされる前に移籍した方がいい」とも言われたが、耐え抜いた。メンタルの弱い選手ならくさってしまうこともあるが、逆にサッカーに没頭し、自分を磨いた。その後、監督が代わり、中村は見事に復活した。

 地元への愛着が強い中村が今回の移籍を決断したのは、自分なりの総合判断があってこそ。10年以上も前のように耐え抜くほど、ピッチ人生はそう長くは残されていないかもしれない。

 「功労選手を大事にしない」など、一部では中村を犠牲者のような表現で、今回の移籍を見る目もある。だが私は、プロというものは、もっとシビアでもいいと思っている。批判を受けた横浜が、中村を手放してまで目指すものがあるはず。中村も地元、家族と離れてまで磐田で成し遂げたいものがあるはずだ。

 今季、両者ともそれぞれの目的を達成してほしいと、切に願っている。それぞれ満足のシーズンを送ることができれば、Jリーグ全体がもう1歩、前に進むきっかけになるのは、間違いない。【盧載鎭】

2017/1/25横浜FMの育成スペシャリストがベルギーへ自身の成長への渇望と、課題意識を胸に – スポーツナビ

–JFAとJリーグの協働プログラム

 そのプレスリリースが大きなニュースになることはなく、門出に際して派手な記者会見が催されたわけでもない。ただ、育成年代の取材者の1人としては、ちょっと驚きの発表だった。横浜F・マリノスジュニアユースの坪倉進弥監督が、ベルギーの名門・RSCアンデルレヒトへ2017年1月〜12月の1年間にわたって派遣されるというのだ。

 この派遣はJFA(日本サッカー協会)とJリーグが連携して行っている「JFA/Jリーグ協働プログラム(通称JJP)」の一環。同一視されることの多い2つの組織だが、“お財布”はそれぞれ別に持っている。ざっくり言ってしまうと、JJPは主に選手・指導者の育成という2つの組織にとって共通の課題について、互いの財布からお金を出し合おうという試みだ。

 年間5億円ほどの予算(15年開始時の見込み)を投じて、「Foot PASS(フットパス)」というクラブの育成組織を世界基準で客観評価するシステムやJクラブや選抜チームによる海外遠征、国際ユース大会開催、指導者の海外研修などを行ってきた。Jリーグの中西大介常務理事の言葉を借りれば、「要するに国際経験と国際感覚」の蓄積を主な目的としている。

 指導者の海外研修については、これまでもJクラブの指導者やアカデミーダイレクター(育成部門の責任者)たちに、AFC U−16選手権のような大きな国際大会や欧州クラブを視察させるといったことを実施してきた。中西常務理事は「これまで行ってきた(短期での)指導者海外研修も、それはそれで価値がある」としつつも、「どうしても限界はあった」とも言う。要するに、時間が短すぎるのだ。

 中西常務理事は「以前から長期での指導者派遣は検討していましたが、(所属クラブとの)契約の問題もありますし、理解を得ないといけません」と簡単でなかったことも明かしつつ、「国際感覚を持った育成年代の指導者を育てることは、日本サッカーにとって大きな課題」と今回の指導者研修を推進してきた。

 今回、そんなプロジェクトの第1弾として旅立つ坪倉監督を直撃。“現場たたき上げ”の指導者である彼に、日本サッカーの課題と欧州の“現場”に臨む意気込みを聞いた。

–大学時代、サッカーから離れた生活を送った末に……

――まずは坪倉監督のキャリアを簡単に教えてください。

 僕自身、日産(自動車)時代のマリノスジュニアユース、ユースで育ち、プロにはなれずに大学に行きました。でも、「このままここにいても……」と大学1年生のころ、考え始めた結果、「やめよう」と。大学にはマリノスのスポーツ推薦で行っていたので、殴られるのを覚悟で(笑)、謝りにいきました。マリノスからは「もしサッカーをやりたかったら、いつでも来い」と言ってもらいましたが、すぐになびくわけにもいかないし、アルバイトをしたり、友達と遊び回ったり、サッカーから離れた生活を送って、違った人生を探ろうなどと思っていたのですが、半年くらいしか持たなくて。

――やっぱり、サッカーに関わりたい、と。

 マリノスに行ってそう話したら、当時のユースの監督さんがジュニアユースの監督に「坪倉が働くって言うから、面倒見て」と。「今日からですか?」と言ったら、「やるんだろ?」と(笑)。そこからスクールコーチプラス、ジュニアユースのアシスタントでスタートしました。

 当初は理想もなく、とにかくサッカーに関わって何かしらできればいいと思っていました。その日その日でクッタクタ。でも、指導者の方々が「こういったことを考えながら日々やっていたのか」という驚きもあり、とんでもない選手たちがいるぞというのも痛感させられて、少しずつ面白くなっていきました。結果、マリノスでもう20年(笑)。最初はアルバイト契約、2年目に当時の育成ダイレクターだった木村浩吉さん(現・JFA育成年代代表チームダイレクター)に「来年からユースのコーチをやれ」と言われて、「え、無理ですよ」と(笑)。

――選手と4歳くらいしか違わないわけですよね。

 自信はまったくありませんでした。でも、今にして思えば、あれがターニングポイントでした。選手もフリューゲルスと合併したこともあって(1999年)、ものすごくポテンシャルの高い選手がそろっていました(石川直宏、坂田大輔、田中隼磨ら)。あの当時の選手たちはいまでも自分の中のスタンダードになっていて、「あのラインを超えたい」という基準です。彼らと出会えたのは、本当に財産ですね。

–自分で育っていく力が一番大切

――育成の指導者の喜びはやはり巣立っていく選手たちの存在ですか?

 指導者だけで選手を育てられないことは分かっているつもりです。自分で育っていく力が一番大切です。ただ、関わる以上は何かしら選手に対して良いものが身に付くようにやっていきたいじゃないですか。自分が関わった中で本人の努力やいろいろな刺激によって育っている選手たちがいます。やっぱり、Jリーグや上のレベルで彼らを見るのはうれしいですよね。

 最初にユースでアシスタントをやったときも、大橋正博や石川直宏が高校生、プロ1年目でデビューして、当時はスマホもないので、彼らが出た次の日の朝早くコンビニに行って、スポーツ新聞を見て、「載ってる!!」と(笑)。うれしいから欲も出てきて、「こういったところは通用しているな。でも、ユースのときにもっとこうしていれば良かったんじゃないか」とか考え始めますよね。キリがないのだけれど、楽しいですよね。

――そうやって20年、育成の指導者をやってきた坪倉さんが、今後20年でより良い指導者になるために欧州へ行くわけですね。

 早くから指導者を始めて、長く同じようなカテゴリーを1つのクラブで見ていることが自分の強みだと思います。「日本の育成の現状の良いところも悪いところも全く知らない人がポンと行っても仕方がないから」とは言われました。ちょうど「ここから自分がより成長するために、どうしたらいいのかな」と思っていましたから、「ラッキーだな」とも感じています。迷ったりはしなかったですね。

――短期ではなく1年となります。

 むしろ、自分の中では最低1年が絶対条件でした。4年前くらいに、いま山形でプレーしている汰木康也を連れて、2週間くらいリヨンのU−18に行きました。普通の研修よりはチームの中にいましたが、まだ完全にお客さん。トレーニングも見られるし、リヨンのU−21チームがフランスリーグの4部に所属していて、アウェーに2時間くらいかけてバスに乗って一緒に見にいくという経験もさせてもらいました。言葉の問題もありましたが、やはりよそ者にはそこまで真剣に答えないんです。

 でも、今回は1年間という時間があります。自分次第だとは思うんですけれど、良い関係を作って、信頼できる人間として見られるようになりたい。1年いることで見えるものは、きっとあると思っています。

–欧州は1試合に懸けるテンションがまるで違う

――ヨーロッパと日本で育成年代のチームで何か違いは感じますか。

 まず、1試合に懸けるテンションがまるで違う。逆に日本の育成年代の“競争心”が低下しているんじゃないかとも感じています。自分の目標に対するパワーが薄い。海外のチームと試合をすると、そこですごく差が出ます。リヨンに行ったり、短期でバルセロナのU−15チームを見たことがありますが、練習のメニューなどはそう変わりません。日本の指導者は熱心に(海外のメソッドを)取り入れていて、そうビックリする練習はないんです。

 でも育成の仕組み、選手の発掘から始まって、ある意味“作為的に育てて”、どうデビューさせて、そしてどうクラブにお金を残させるか。そういう一連のデザインは大きく違うのではないでしょうか。17〜19歳でデビューさせ、一度他リーグに行かせて鍛えるといったプランニングがしっかりしている印象があります。そういうところも探っていきたいですね。

――日本だと「自分を売る」という意識がないですよね。

 日本人の団結する力は良いところだと思いますが、みんなと同じが心地いいのではなく、人と違うものを出してやろうというパワーは、以前よりも低下しているのではないかという危惧(きぐ)は僕らも持っています。

――それこそ坂田選手たちの世代は怖いくらいにギラギラしていました。

 頻繁にけんかしていましたからね(笑)。学年問わず、場所問わず。全日本ユース選手権で大久保嘉人のいる国見(高校)とやったときも、金子勇樹と田中隼磨が「後半はこうだろ!」と。スタッフも2人の要求や言い合いに入っていけないくらいのパワーでやっていました。本当にここに懸けるんだという意欲が、少なくなっている。僕が経験を積んで、見る目が厳しくなっているというのもあると思いますが、1人1人の試合に懸けるパワーが物足りないのは否めません。

――社会背景もあると思うので、難しい問題です。

 でも今回、アンデルレヒトに行ったら、「まずお前、誰だよ」となると思います(笑)。「日本人にサッカーが教えられるの?」と言われるでしょう。でも、その状況から1人の指導者として認められるかどうかは逆に楽しみ。再度そこからスタートし、指導者としての構築を自分で見直したい。時代や世の中のせいだけにするのではなく、実は自分たち指導者の問題なのではないかと最近感じています。新たに成長したい。人として幅を広げたいし、深みも持ちたい。いろいろな味を出したい。育成には、もっといろいろな可能性があるはずです。この1年を、単に行っただけにするつもりは毛頭ありません。

 坂田、田中、栗原勇蔵、榎本哲也らキラ星のごとき選手をそろえた00年の横浜FMユースは自分にとって原点のようなチームで、坪倉監督と顔見知りになったのもそのときのこと。あれから16年を経て、日本サッカー界の成長が頭打ちになってしまっているのは否めない。ただ、育成の現場に携わる指導者たちの“熱”が衰えたなんていうことはなく、坪倉監督は話すたびにそのことを実感させてくれる指導者だ。

 20年にわたって育成年代の指導に携わったスペシャリストながら、まだ40歳。このインタビューを通じて、彼自身が「成長したい」という渇望をなお持っていることが見えたことが収穫だった。誰よりも“育成の現場”を愛し、その仕事に対して誇り高く取り組んできた坪倉進弥ならば、きっと欧州の現場から日本サッカーにとって価値あるものを持ち帰ってきてくれることだろう。

2017/1/26扇原貴宏、ついに復活だ!魔法の左足で“神アシスト”を記録する | Qoly

日本代表経験がありながらも、ここ数年はJ1の舞台でなかなか活躍できていないMF扇原貴宏。

昨年はユース時代を過ごしたセレッソ大阪を退団しながらも、移籍先の名古屋グランパスでまさかのJ2降格を味わった。

負傷から回復した扇原はこの冬、心機一転横浜・マリノスに移籍。

「2017 Jリーグ アジアチャレンジinタイ インターリーグカップ」のバンコク・ユナイテッド戦で実戦デビューを飾ったのだが、いきなりアシストを記録した。

後半スタートからピッチに登場した扇原は喜田拓也とのダブルボランチとしてプレー。

すると1-2とリードして迎えた83分、ピッチ中央から前線へ絶妙なスルーパスを送り、ここに走り込んだ仲川輝人が相手GKの頭上を越すループシュートでゴールを割った。

2013シーズン、得意のロングキックで柿谷曜一朗に多くのアシストを供給し、C大阪の躍進に貢献した扇原。その精度はJリーグでも屈指のレベルにあり、一瞬の隙を突くスルーパスは最大の武器だ。中村俊輔という絶対的パサーの抜けた横浜FMにおいて、扇原の覚醒に期待する声は大きいだろう。

横浜FMは26日(木)、スパンブリーと対戦する。

 
 

今日のこけまり

Milos Degenek(ミロシュ デゲネク)@1860ミュンヘン(ドイツ2部)[2016-2017 移籍/新加入/契約更改]
[2年契約で獲得と報道]Milos Degenek(ミロシュ デゲネク)@ 1860ミュンヘン(ドイツ2部)[2016-2017 移籍/新加入/契約更改]
 
 

 
 

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