【Webまとめ:選手・コーチングスタッフなど】横浜F・マリノス、2019明治安田生命J1リーグ優勝


【Webまとめ:選手・コーチングスタッフ】横浜F・マリノス、2019明治安田生命J1リーグ優勝

最終節の試合結果まとめ:【試合結果まとめ(3○0)】2019/12/7(土)14:00KO J1第34節 横浜F・マリノスvs.FC東京@日産スタジアム #横浜FM対FC東京 #TheBigFinal

クラブ・ホームタウンなど:【Webまとめ:クラブ・ホームタウンなど】横浜F・マリノス、2019明治安田生命J1リーグ優勝

タウンニュース:【Webまとめ:タウンニュース】横浜F・マリノス、2019明治安田生命J1リーグ優勝
 
 

アンカー(目次)

アンジェ・ポステコグルー監督
アーサー・パパス アシスタントコーチ
No.1 パク・イルギュ
No.5 ティーラトン
No.6 扇原貴宏
No.8 喜田拓也
No.11 遠藤渓太
No.13 チアゴ・マルチンス
No.18 広瀬陸斗
No.19 中川風希
No.23 仲川輝人
No.27 松原健
No.38 山谷侑士
No.44 畠中槙之輔
個人タイトル(2019 J.LEAGUE AWARDS)
元監督・所属選手
写真
 
 

アンジェ・ポステコグルー監督

【横浜M】15年ぶり覇権奪還…ポステコグルー監督、亡き父へ捧げる攻撃的スタイル : スポーツ報知

 横浜MはホームでF東京との“優勝決定戦”を3―0で完勝し、15年ぶり4度目のリーグ制覇を達成した。3点差以内の負けでも優勝が決まる中、就任2年目のアンジェ・ポステコグルー監督(54)は攻撃的スタイルを完遂。J1歴代最多動員となった6万3854人と名門復活を祝った。

 初雪が舞った横浜で、“トリコロールの歓喜”が生まれた。15年間待ちに待ったJ1史上最多6万3854人の大歓声と共にベンチから選手が飛び出す。ポステコグルー監督は白い息と雄たけびを上げた。FW仲川は人さし指を天に掲げ、主将のMF喜田拓也は泣いた。3点差以内の負けでも優勝が決まる中、指揮官は「自分たちを信じ抜いた」と守りに入らなかった。前半26分、DFティーラトンはピッチ中央にいた。通常のサイドバック(SB)ならいるはずのない位置から先制弾。自在に動く“偽SB”を志向してきたチームだからこそ生まれた得点でリードすると、2点リードの後半22分にはGK朴一圭がレッドカードで一発退場。数的不利になった後も攻撃の手を緩めず、同32分にはMF遠藤渓太が3点目。逆転優勝を狙ったF東京の望みを絶ち、7連勝締めで頂点に立った。

 17年オフ。当時の古川宏一郎社長は、50人の後任候補から絞った10人と面談。待遇や環境面について質問する候補者が多い中、ポステコグルー監督は一切しなかった。「優勝を目指しますか」。初対面の指揮官は真っ先に覚悟を問い、同社長はチームを託すと決めた。

 就任1年目の昨季は、クラブ伝統の堅守から超攻撃的戦術へとかじを切った反動で低迷。一時は降格圏にも沈み、多くの選手が「末期症状」、「あと1敗したら幹部に監督解任を直訴する」と反発。オフには伊藤翔や山中亮輔らが移籍し、屋台骨の中沢佑二は引退。それでも指揮官は「心配は要らない」と信念を曲げなかった。

 ギリシャ生まれ、オーストラリア育ち。仕事に明け暮れた父・ジムさんとの記憶は、もっぱら週末のサッカー観戦。「このゴール見ろよ、ワクワクするだろ」。攻撃的スタイルが好きだった父が指導の根幹にある。

 18年7月。父はオーストラリアの病院に入院した。病室で見た最後の試合は、同18日の仙台―横浜M戦。8―2の大勝。指揮官が日本から病院に駆け付けると、父は「本当にワクワクした」と珍しく褒めた。そして続けた。「でも、10点取れたろ」。その2日後、亡くなった。もっと攻撃的に―。覚悟を強めた。

 今夏には三好康児と天野純が海外移籍した。それでも、各ポジションに同等の力を持つ選手を置く方針でチーム内競争をもたらし、総合力を高めた。「シンプルに力が上の方が出られる」(広瀬陸斗)、「愚痴を言う選手はいなくなった」(松原健)

 文字通り一致団結してリーグ断トツの68得点(2位は神戸の61)。ボール保持率、スプリント数、走行距離はいずれもリーグ首位。7月、マンチェスターCとの親善試合に1―3で敗れた後、グアルディオラ監督に耳元でささやかれた。「こんなサッカー、どうやってやるんだ」。世界的名将も認める完成度に達した。

 鹿島(8回)に次ぐ4度目のリーグ優勝。喜田は「マリノスファミリー全員の頑張りで優勝できた。本当におめでとうございます」と会場全体で歓喜を分かち合った。満面の笑みでシャーレを掲げた指揮官は、空を見上げた。「父も『息子よ、誇りに思う』と喜んでくれるはず」。そして言った。「来季も止まることなくやり続ける。簡単ではないけど、連覇したいね」。大仕事をやり遂げた名将は、勝負師から父を思う柔和な表情に戻った。(田中 雄己)

 ◆横浜F・マリノス マリノスはスペイン語で「船乗り」の意。1972年に創部した日産自動車サッカー部が前身。92年に日産FC横浜マリノス、96年に横浜マリノスに改称。99年2月に横浜フリューゲルスと合併し、横浜・Fマリノスとなった。リーグ優勝4回、ナビスコ杯優勝1回。クラブカラーは青、赤、白のトリコロール。本拠地は日産スタジアム(7万2370人収容)。

 ◆アンジェ・ポステコグルー 1965年8月27日、ギリシャ生まれ。54歳。5歳でオーストラリアに移住。中学時代にクラブにコーチが不在だったことから12歳で初めて指揮を執る。膝のけがにより27歳で現役引退。銀行勤務の傍らコーチ業にも励み、96年にオーストラリアリーグのサウス・メルボルンで監督業をスタート。U―20オーストラリア代表、メルボルンV、オーストラリア代表などを歴任し、18年から横浜Mで指揮。

 ◆Jリーグ◇ポステコグルー監督を選出 J1の11、12月の月間表彰を発表し、最優秀監督には横浜Mを15年ぶりの優勝に導いたポステコグルー監督を選出した。MVPは5試合5得点のG大阪の宇佐美、ベストゴールは清水のドウグラスが最終節の鳥栖戦で決めた得点となった。

「私が父親で、選手は子ども」横浜V導いた監督信念 – J1 : 日刊スポーツ

首位横浜F・マリノスが2位東京との直接対決を3-0で勝利し、04年以来15年ぶり4度目のリーグ優勝を決めた。

   ◇   ◇   ◇

横浜を15年ぶりの優勝へ導いた要因は、チームを“家族”にした指揮官の改革にもある。就任直後の18年キャンプ初日。選手、スタッフの名前を全員覚えて練習場に向かった。「無礼になるし、仕事として当たり前」。フルネームを暗記して初練習に臨んだ。

団体行動を重んじ、遠征の食事の開始時間は全員同じ。「私が父親で、選手は子ども」とビュッフェ形式では選手、スタッフを優先。自分は一番最後に料理をとる。特別扱いもなし。守備の立て直しが急務となった昨夏には当時フィールドプレーヤートップのJ1連続出場記録を199試合としていたDF中沢を200試合の大台直前でメンバー外に。鬼の采配もふるった。

今季から登録できる外国人枠が無制限、1試合出場人数も3から5に拡大したことも味方にした。提携関係にあるイングランドの強豪マンチェスターCも所属するシティー・フットボール・グループ(CFG)の情報網も利用して外国人を積極補強。今季はブラジル人中心に外国人8人が所属した。出場枠5人の中、提携国枠のタイ代表DFティーラトン含む外国人6人を積極的に起用。夏にMF天野ら主力が海外移籍もFWマテウスらをすぐに補強するなど、フロントの動きの速さも光った。世代交代を進め、5カ国の多国籍軍団をまとめ、宣言通り、横浜をタイトルへと導いた。【松尾幸之介】

攻撃サッカー貫き頂点へ…横浜FMポステコグルー監督「連覇したい」 | ゲキサカ

 横浜F・マリノスに15年ぶりのリーグタイトルをもたらした就任2年目のアンジェ・ポステコグルー監督は「素晴らしいパフォーマンスで、素晴らしいサッカーができた。選手たちも自信を持ってやってくれた」と試合を振り返り、2位FC東京との“優勝決定戦”を制してのリーグ制覇に「FC東京も強かったが、勝者は私たちだ」と胸を張った。

 攻撃的なサッカーを貫いてのタイトルだからこそ価値もある。「自分たちのやろうとしているサッカーをどれだけ信じてやれるか。それがこの結果につながったと思う」。信じ続けた末の頂点。「1位だろうが2位だろうが3位だろうが、最後の最後まで自分たちのサッカーをやり続ける。選手には『うまくいかなかったら自分が責任を取るから信じてやってほしい』と話していた。選手には自由にプレッシャーも感じずにやってほしかった」。選手にどうアプローチしていたかを聞かれ、指揮官はそう答えた。

「呼吸をするように自分たちのサッカーを自然とやっていく。プレッシャーを感じずにやることが大事だと話していた」。記者会見の最後には来季に向けたコメントも求められた。「早いですね」と苦笑いしながらも、「この攻撃的なサッカーを止めることなく続けていくのは確かだ」と指摘。「チャンピオンになった翌年は簡単ではないが、連覇したい気持ちは強く持っているし、自分たちがやっているサッカーを続けてやっていこうと思う」と力強く話した。

(取材・文 西山紘平)

英紙記者が横浜FMとポステコグルーの“信念”を絶賛「多くの批判にさらされたこともあったが…」 | ゲキサカ

 英紙『ガーディアン』が、明治安田生命J1リーグ優勝を果たした横浜F・マリノスについて特集記事を組んだ。

 昨シーズンにアンジェ・ポステコグルー監督を招へいした横浜FM。ボールを保持して試合を支配するスタイルを持ち込んだオーストラリア人指揮官の下、初年度は残留争いに巻き込まれるなど苦しい1年となった。

 しかしそのスタイルをクラブ、選手たちが信じて継続すると、今シーズンに花開くことに。終盤は怒涛の7連勝で、15年ぶりの栄冠をつかんでいる。

 優勝が決まった最終節を現地で取材したデイビッド・アレグレッティ記者は、「ポステコグルーがおとぎ話を完成させた」とし、横浜FMとポステコグルー監督の“信念”が実を結んだことを称えた。

「昨シーズンの降格回避から、Jリーグチャンピオンへ。この好転は目覚ましいものに他ならない。日本のトップリーグで、これだけ短い時間での躍進は起きたことがない」

「そして、彼らはスタイルを信じてそれをやり遂げた。ポステコグルーは悪名高い保守的なリーグへ、攻撃的で野心あふれるフットボールという新たなブランドを持ち込み、途中から日本の評論家やファンの心とリスペクトを掴んだのだ。特に、スタンドで彼のチャントを歌う横浜サポーターの心を」

「多くの批判にさらされたこともあったが、彼はハイリスクながらリターンも大きい哲学を守った」と続けると、「横浜は、過去の結果よりも持続的な構築を優先する時間を得れば、魔法を生み出すことのできるポステコグルーを信頼し続けた」と、クラブが指揮官のスタイルを信じ続けたことが、リーグ制覇に繋がった大きな要因だと綴っている。

「速く、どう猛で、攻撃的なフットボール。勇気、スピード、迷いがない。ボールを持ち、後方からプレーを開始。プッシュし、プッシュする。ボールを動かす。攻撃する――。これがアンジェのフットボールだ」

ポステコグルー監督、横浜F・マリノス優勝に母国・豪州は熱狂。「世界中、望む場所で監督ができる」【英国人の視点】 | フットボールチャンネル

アンジェ・ポステコグルー監督は、横浜F・マリノスを15年ぶりのJ1優勝へと導いた。指揮官は「成功というものを過度に喜ぶことはない」と、優勝の余韻に浸ることを避けたが、遠く離れた日本での成功に、母国・オーストラリアでは熱狂的な反応が起きている。(取材・文:ショーン・キャロル)

–「疑問を持たれる状況の方が楽しめる」

 土曜日に横浜F・マリノスがJ1優勝を成し遂げたあとにメディアが巻き起こした喧騒の中で、アンジェ・ポステコグルー監督はいささか困惑したような様子を見せていた。

 54歳の指揮官はカメラの前に立つよりも練習場に出る方を好むタイプの指導者の一人だ。サッカーについての話にはいつでも快く応じるが、進んでスポットライトを浴びようとすることはない。

 その1時間ほど前、彼のチームがFC東京に3-0の勝利を収めようとしていた。まもなく訪れる栄光の瞬間を前にして、ベンチの選手やスタッフらが彼の周りで小躍りしていたときでも、ポステコグルー監督はまだタッチライン際でピッチ上に鋭い目を向け続けていた。この勝利でタイトル獲得が決まるにもかかわらず、いつも通りに結果より内容に集中していた。

「私は成功というものを過度に喜ぶことはない」と彼は試合後の記者会見で述べ、自身のアプローチをプレーに結実させることこそが最大の関心事だと主張した。「少しくらい疑問を持たれる状況の方が楽しめるかもしれない。私のやり方を人々が疑っているくらいがね」

 任務を完了させた後でも、その栄誉に浸ること以上に、自身のチームの成功が他者にとってどのような意味を持つのかを何よりも考えていた。

「祝うのはあまり得意ではない。ただ他のみんなを見ているだけで嬉しく思える。単にリーグ優勝してチャンピオンになったということではない。15年間待たれていたことだ。選手たちにも先週話したことだが、自分がこのクラブのサポーターだとして、次の優勝を15年間待ち続けていると想像してみるといい」

–他の監督とは異なる「自信」

 その「次の優勝」は、彼のおかげで今回実現することになった。本人は相変わらず冷静だとしても、母国オーストラリアではより熱狂的な反応が起きている。

「アンジェ・ポステコグルーがクラブサッカーにおける偉業を達成」。『シドニー・モーニング・ヘラルド』のヴィンス・ルガーリ氏はそう記し、4点差の勝利を必要としていたのがFC東京の側だったにもかかわらずマリノスが攻撃志向のサッカーにこだわり抜いたことを称えた。

「他のどの監督がポステコグルーの立場にいたとしても、少しくらいは戦術に手を加え、自由な攻撃よりも守備組織に重点を置こうとしたことだろう。相手が望みを繋ぐためには全力で向かってくる以外の選択肢はないと分かっていたからだ」

「だがポステコグルーは他の監督とは異なり、自らの方法論に揺るぎない自信を有している。そしてサウス・メルボルンでも、ブリスベン・ロアーでも、サッカールーズ(オーストラリア代表)でも結果が証明しているように、彼のやり方を信じた者は必ず報われてきた」

 ポステコグルーの精密かつ積極的なスタイルはマリノスにもその恩恵をもたらした。『ヘラルド・サン』のデイビッド・ダブトビッチ氏は、元オーストラリア代表監督でもある彼が同国の生んだ史上最高の指導者の一人であることが今回の勝利で示されたと主張する。

「アンジェ・ポステコグルーが横浜F・マリノスをJ1リーグタイトルに導いたことは、オーストラリア人指導者による最も偉大な国際的業績のひとつとなる」

「世界で最も競争の激しいスポーツにおいて、急速に成長しつつあるアジア大陸の中でも、日本はナンバーワンのリーグ」

「トニー・ポポヴィッチが率いたウエスタン・シドニー・ワンダラーズの2014年AFCチャンピオンズリーグ優勝も素晴らしかったが、ポステコグルーによる2019年J1リーグ優勝はサッカーにおいて一番だ」

–あらゆるニュース媒体で取り上げられた

『アジアン・ゲーム』のポール・ウィリアムズ氏も、Jリーグに対する評価の高さを強調している。

「一般的に、オーストラリアはアジアのサッカー界をそれほど強くリスペクトしているとは言い難い。少しずつ変わりつつあるとはいえ、まだまだ大陸の大部分は自分たちより下だという味方がある。だが唯一の例外が日本だ」

「日本サッカー、特にJリーグはオーストラリアにおいて強くリスペクトされている。アジアで最高のリーグだと見なされており、その最大の理由はリーグ内の選手たちの高い技術力にある。AFCチャンピオンズリーグでも日本のチームがAリーグのクラブを難なく退けてきた。そういった点でJリーグへの尊敬の念は強く、他のどのリーグよりもアジアのクラブサッカーの頂点に位置すると見なされている」

「(マリノスの)優勝の意味がどれほど大きなものであったかを示すように、この週末を通してあらゆるニュースネットワークで話題として取り上げられていた。ほとんどサッカーを扱わないようなネットワークばかりだ。アンジェと横浜があらゆるメディアで報じられたことは、この話題にどれほど一般層への訴求力があるかを示している」

–「世界中のどこでも望む場所で監督ができる」

 東南アジアにおける積極的な取り組みや、ヴィッセル神戸などのクラブによる大型補強の動きなどにより、海外ファンやメディアからJリーグへの注目度は高まってきている。だからこそ、ピッチ上のサッカーそのものが高いクオリティーを維持し続けることが非常に重要となる。

 ポステコグルーの成功も、それに対する母国オーストラリアでの反響も、さらなる注目度の高まりに繋がるのは間違いない。一方でポステコグルーに対しては、今回のタイトル獲得に続いて、欧州での新たな挑戦を見据えるべきだという一部評論家の声もある。

「彼は自分が勝者であることも、成功へのレシピが自分の手の中にあることも理解している。もう何度も成し遂げてきたことだからだ」。元リーズ・ユナイテッドやニューカッスル・ジェッツのFWマイケル・ブリッジスは、『オプタス・スポーツ』の番組「スコアズ・オン・サンデー」でポステコグルーについてそう語った。

「彼が日本で成し遂げたことは本当に驚異的だ。世界中のどこでも望む場所へ行って監督をすることができると思う」

「私がプレミアリーグやチャンピオンシップで一緒に仕事をしてきた中でも、彼の4分の1にも程遠い時間しか仕事をしないような、どうしようもない監督たちもいた。そういうものだ。仕事に時間をかけ、ゲームプランとシステムを構築し、スタッフに厳しい要求をする監督が欲しいのなら、彼にはそれがある。アンジェにはこれから大きな未来が待っている」

 今のところその大きな未来とは、2020年のJ1王座防衛と、ACLでの栄光を求めていくことだ。だがポステコグルーはこれまでの2年間で、どこへ行こうとも成功を収められる手法を身につけていることを証明してきた。これからまだ長く続いていくであろう指導者キャリアの中で、マリノスでの勝利もひとつの通過点となっていくのかもしれない。

 
 

アーサー・パパス アシスタントコーチ

ポステコグルー右腕が語る横浜FM優勝の理由…信念とスタイルの重要性 | Goal.com

横浜F・マリノスのアシスタントコーチを務めるアーサー・パパス氏が、『Goal』インドネシア語版の独占インタビューに応じた。

横浜FMは2019シーズン、15年ぶりにリーグ優勝を達成。アンジェ・ポステコグルー監督の下でポゼッションサッカーを突き詰め、終盤には怒涛の7連勝を成し遂げた。そのポステコグルー監督の右腕として支えたのがパパス氏。2019シーズンからコーチに就任し、それまではオーストラリアやインドなどで監督やコーチを務めていた。

15年ぶりの戴冠についてパパス氏は「こういった功績に関われることは信じられない気持ちだ。この幸せと喜びを素晴らしいサポーターに与えたかった」と喜びを語る。

また、ポステコグルー監督やコーチングスタッフとの“共同作業”にも言及。チームとして信念を貫いたことを強調した。

「私たちは自分たちの役割を果たしたし、ポステコグルーのようなワールドクラスの監督が率いているのは幸運だ。どんなに難しそうに見えても、勝者のメンタリティを持ってあらゆる挑戦に備えていた。最も重要なことは、自分たちが最もやりたいと思ったスタイル、信念が一度も揺らがなかったことだ。だからこそ、成功できたんだ。日本でこれまで行われなかったスタイルを選択肢、アグレッシブかつ攻撃的なサッカーで成功することができた」

シーズン後半の好調ぶりについても「どんな状況でもマリノスのサッカーを貫いたことが決定的な要因」と話したパパス氏。来季も横浜FMらしいサッカーでの連覇に期待が集まる。

No.1 パク・イルギュ

REAL SPORTS (リアルスポーツ) | スポーツの”リアル”を伝える

15年ぶりのJ1リーグ制覇を成し遂げた横浜F・マリノス。その超攻撃サッカーを最後尾から支えた男は、ほんの1年前までJ3のピッチで戦い、一時は地域リーグにもその身を投じていた。朴一圭(パクイルギュ)は、いかにして夢の舞台へと駆け上がってきたのか。その背景には、決して満足することなく愚直なまでに努力を続ける生き様にあった――。

文=藤江直人
 
 
–自分を見いだしてくれたマリノスへの感謝の想い

自分を見つめてくれているサッカーの神様に、この1年間で何度感謝しただろうか。まるでドラマのような、日本サッカー界でも例を見ない痛快無比なサクセスストーリーを成就させた横浜F・マリノスの守護神、朴一圭(パクイルギュ)は「夢や希望、勇気といったものは与えられたのかな」と笑顔を輝かせる。

「カテゴリーの違いもちろんありますけど、皆さんが思っているほどの実力差というものは、僕自身は無いと思っています。本当にちょっとした差だと思うし、その差を自分でしっかりと見極めてプレーを続けていけばカテゴリーを上げられるし、上のカテゴリーでチャンスをつかみ、結果を残すことも可能だと思うので。その意味ではすごく大切な1年だったし、大切な1日でした」

波乱万丈に富んだ、と表現してもいい1年間を朴が感慨深げに振り返ったのは、マリノスが15年ぶりに手にしたリーグ優勝の余韻が色濃く残る、ホームの日産スタジアム内の取材エリアだった。わずか1年前はFC琉球の守護神として、J3制覇とJ2昇格の二重の喜びに浸っていた。

直後に届いたマリノスからのオファー。接点をさかのぼっていけば、おそらくは2018年1月のマリノスの石垣島キャンプ中に組まれた、FC琉球との練習試合に行き着く。青天の霹靂にも映る驚きと自分を見いだしてくれたマリノスのスカウト陣への感謝の思いを胸中に同居させながら、J2を飛び越しての、夢として位置づけてきたJ1へのステップアップを決意した。

埼玉県で生まれ育った朴は朝鮮大学を卒業した2012シーズンに、当時JFLを戦っていた藤枝MYFCでキャリアをスタートさせた。翌シーズンには関東サッカーリーグ1部のFC KOREAへ移籍。新たに創設されたJ3に藤枝の参戦が決まったことに伴い、2014シーズンに復帰した。

2016シーズンにはJ3の舞台で戦って3年目になるFC琉球へ移籍。ホームで12勝4分と無敗をキープしたまま、J3リーグ史上で最速となる3試合を残しての優勝・昇格を決めた昨シーズンの快進撃を、守護神およびキャプテンとして支え続けた。

「琉球のころからそういうプレーはやっていましたし、元をたどれば藤枝にいたときからそういうプレーは求められていたので。マリノスのスタイルに適応している、という理由で獲得してくれたことは間違いないと思うし、だからこそペナルティーエリアから飛び出すことへの怖さや違和感といったものは感じませんでしたけど、それでも『ここまでやっていいんだ』という驚きはありましたね」

朴が言及した「そういうプレー」とは、シュートストップを含めたセービングだけではなく、常に高く保たれた最終ラインの裏のスペースをケアし、ビルドアップにも加わるプレーをゴールキーパーに求めた、アンジェ・ポステコグルー監督の哲学を指す。究極のレベルまでリスクを冒すスタイルに楽しさと刺激を覚えながら、一方で自身の原点を忘れることもなかった。

「下のカテゴリーでずっとプレーしてきた自分にとって、マリノスの環境は逆に良すぎるんですね。ご飯もしっかり出るし、スパイクも磨いてくれるし、試合へも手ぶらで来られる。J3だったら絶対にありえないし、もしかするとJ2でもありえないかもしれない。これ以上良くなったら、むしろどうなっちゃうのかな、と。逆に困っちゃうと思うんですけど、恵まれた環境のなかでもハングリーさを失わなかったのは、底辺で苦しんできた、いままでの経験が絶対に大きいと思うんですね。あらためて振り返ってみれば苦しみではなく、そのときに実力がなかったからそのカテゴリーでしかプレーできなかっただけなんですけど、そうした経験がJ1のカテゴリーで生きていることは間違いないので」

–ポステコグルー監督の目に留まった練習中の姿

ハングリー精神を前面に押し出す姿勢は、予想よりもはるかに早かった、リーグ戦でのデビューを射止める。サガン鳥栖をホーム・日産スタジアムに迎えた、3月29日の明治安田生命J1リーグ第5節。不動の守護神だった飯倉大樹(現・ヴィッセル神戸)に代えて朴を抜擢した理由を問われたポステコグルー監督は、試合後の公式会見でこう説明している。

「彼はマリノスに入団してから、毎日一生懸命練習していた。特別な理由というよりは、自分はその努力を見ていたので、ここでチャンスを、という部分で代えました」

チャンスはいつ、どのような形で訪れるかわからない。そして、巡ってきたチャンスをものにできるかどうかは、抜擢された選手の生き様にかかってくる。YBCルヴァンカップのグループリーグで2試合に先発しながら、マリノスを勝利に導けなかった朴は気合いも新たにゴールマウスに立ち、スコアレスドローでの勝ち点1獲得に貢献。その後も先発の座を射止め続けた。

「選手として成長するために日々練習して、足りない部分を補うために居残って練習するのは僕自身にとっては当たり前のことでしたけど、それがたまたま監督の目に留まって、ちょっと使ってみようというきっかかけになったというか。監督自身に詳しく聞いたことがないので、わからないですけど」

シーズンが深まってくるにつれて、頼れるチームメイトたちの存在への感謝の思いがどんどん膨らんできた。対人能力が極めて高いセンターバックコンビ、チアゴ・マルチンスと日本代表の畠中槙之輔だけではない。リーグ最高の68ゴールを叩き出した、攻撃陣の背中に何度奮い立たされたことか。

「攻撃面ばかりが注目されますけど、監督は口を酸っぱくしながら、前線のハードワークをすごく大事にしているんですよ。前線がプレッシャーをかけ続けてくれることで全体が限定されて、どこでボールを奪うのか、を瞬時にみんなが察知して、試合を重ねるにつれて同じベクトルを向いて守備ができるようになったのが、失点が減った一番大きな理由だと思っています。ファーストプレスであそこまでスプリントするチームは、他にはないじゃないですか。紅白戦で相手にエリキやマルコス・ジュニオールがいることがしょっちゅうありますけど、敵に回すのは本当に嫌な選手たちですからね」

リーグ戦のスケジュールを見るたびに、最終節にFC東京戦が組まれていることにも感謝した。敵地・味の素スタジアムに乗り込んだ、6月29日のJ1リーグ第17節。マルコス・ジュニオールのゴールで先制したマリノスは、怒涛の4連続失点を食らって2-4で大敗していたからだ。

「あれから5カ月ちょっとですか。最終節までにもう1段階、いや、2段階くらいレベルアップを遂げて、必ず雪辱を晴らしたいと思っていたので。なので、緊張はなかったですね。むしろ前日なんて遠足に行く前の子どもみたいにわくわくして、うずうずして、今朝なんかは朝の5時くらいに起きたほどですから。天気予報をチェックしていたら雨から曇りに変わっていたし、舞台が完璧に整ったと自分のなかで盛り上がっていたくらいですから」

–決して満足はしない。止まるのことのない成長の源泉
屈辱的な大敗のリベンジを果たす最終節を、マリノスは首位で迎えた。2位のFC東京との勝ち点差は3ポイントで、得失点差では大きくリードしている。チケットは前売り段階でほぼ完売。当日はJリーグが主催するすべての試合で歴代最多となる、6万3854人の大観衆でスタンドが埋め尽くされた。

朴の言葉通りに完璧に整った舞台でマリノスは3ゴールを奪い、守ってはFC東京を零封。7連勝でシーズンをフィニッシュさせ、歓喜の雄叫びを横浜の空へとどろかせた。もっとも、朴自身は先発しながら67分間しか出場していない。まさかの一発退場処分とともに、今シーズンを終えた。

「優勝を決めれば、もっと感慨深い思いになるのかなと想像していたんですけど。個人として大きな迷惑をかけてしまったという思いが強かったので、正直、あまり……」

自陣からのロングパスに韋駄天・永井謙佑が反応する。高く保たれた最終ラインの裏へ抜け出される寸前でチアゴ・マルチンスが対応するも、ヘディングによるバックパスが短くなってしまう。ペナルティーエリアを果敢に飛び出し、クリアしようとした朴よりも先にスピードに勝る永井がボールにタッチ。勢いあまった朴の右足を左太ももに食らい、バランスを崩した永井は転倒してしまった。

最初はプレーを流した木村博之主審は三原純副審との交信を介して、ファウルを犯したとして朴にイエローカードを提示。さらに三原副審との直接やり取りを行った後に、得点機会の阻止があったとして、FC東京の直接フリーキックに備えていた朴へレッドカードを提示した。

「主審からは『副審と意見をすり合わせたときに、レッドカードの判定が妥当だ、ということで切り替えた』という説明を聞かされました。起こってしまったことは、本当に仕方がないと思っています。自分の不用意なミスが原因だったので」

自らに責任があると必死に言い聞かせ、ピッチを後にした朴の背中をポンポンと叩いたポステコグルー監督は、試合後の公式会見で朴のプレーを責めることはなかった。

「彼は責任感を持って、目指している積極的に前へ飛び出していくプレーをしてくれた」

12月10日に開催されたJリーグの規律委員会で、朴には1試合の出場停止処分が科された。ただ、シーズンの最終戦だったこともあり、対象となる試合がない事情から、実質的には処分なしとなった。画竜点睛を欠いた結末を反省しながらも、朴は感謝の思いを抱いている。

「何かの試練なのかな、と。J3に続いてJ1でも個人的には連覇を目指して、いろいろな方から注目されて、僕自身も自分に期待を持って、実際、ラインの裏のケアやシュートストップなどですごくいいプレーをすることができた。ただ、その先に落とし穴があったというか、そんなの甘くはないよ、と言われたというか。1年間を通してJ1を戦うことの厳しさを、最後に痛感させられました。これは神様が『もうちょっと頑張れ』と言っていると、いまでは思っています」

リーグ戦で25試合、2227分にわたって積み重ねてきた軌跡のなかで、満足の二文字だけは抱いてはいけない、と自らに言い聞かせ続けてきた。飢餓感が成長を加速させると、いまも信じて疑わない。

「これでパッと優勝していたらすごく満足していたはずですけど、いまこの段階ですでに悔しいし、この悔しさをもって来シーズンに臨めることは、僕のなかでモチベーションになる。神様が悔しさを与えてくれたんだ、とポジティブに受け止めながら次の戦いへ向かっていきたい。常にハングリー精神を抱いていないと、どこかで『もういいや』となるし、そういう自分にだけは絶対になりたくない」

40歳で出場した1982年のFIFAワールドカップ・スペイン大会を制したイタリア代表の守護神、ディノ・ゾフはこんな名言を残している。

「ゴールキーパーはワインと同じだ。年齢を重ねるほどに味が出る」

地域リーグを含めた下部カテゴリーで夢を見失うことなく、愚直に積み重ねてきた不断の努力を、J1覇者の守護神として大輪の花へと昇華させる。稀有なサッカー人生を歩んできた朴は、12月22日に30歳になる。ピッチ上の一挙手一投足に熱い生き様が反映され、かつてゾフがたとえた「ワインの味」がJ1リーグの連覇を目指し、AFCチャンピオンズリーグの舞台にも挑む来シーズンでますますにじみ出てくる。


 
 

No.5 ティーラトン

ティーラトン、タイ人史上初のJリーグ優勝! 母国も大盛り上がり「サムライデビュー」「歴史を作った」 | フットボールチャンネル

 J1第34節、横浜F・マリノス対FC東京の試合が7日に行われ、マリノスが3-0の勝利をおさめた。マリノスに所属する29歳のタイ代表DFティーラトンが「タイ人史上初のJ1優勝」を果たしたことで、タイのメディアが大きな盛り上がりを見せている。

 先制点が生まれたのは試合開始して26分、ペナルティーエリア手前左側で和田拓也からのパスを受けたティーラトンが左足を振り抜くと、ブロックに飛び込んだ東慶悟の足に当たって浮き上がったボールがゴールマウスへ向かい、GK林彰洋の頭上を越えてネットにおさまった。

 前半終了間際の44分には、マルコス・ジュニオールからのパスを受けたエリキがゴール前に侵入し、ゴール左隅へのシュートを流し込んで追加点。62分にGK朴一圭がレッドカードで一発退場して一人少なくなるも、73分に遠藤渓太がゴールを決め、マリノスが3-0の勝利をおさめている。そして、2003年、2004年の連覇以来となる15年ぶり4回目のJ1優勝を成し遂げ、マリノスが“令和初”のJリーグ王者に輝いた。

 タイメディア『trueid』は「サムライデビュー! マリノスがFC東京を粉砕するのを助けるためにティーラトンは1ゴール決めた。3-0で15年ぶりにJ1優勝」「ティーラトンが、Jリーグのタイトルを獲得した最初のタイ人フットボール選手として歴史を作った」とコメントしている。

 また、タイリーグの公式ツイッターは「ティーラトンががJリーグで優勝した最初のタイ人選手になった。おめでとうございます!!」とつぶやき、優勝に貢献したティーラトンを讃えている。

 
 

No.6 扇原貴宏

異例の3人キャプテン… 扇原貴宏がともに苦境を乗り越えた相方“キーボー”に感謝「あいつがいなかったら…」 | サッカーダイジェストWeb

最終節で迎えたFC東京との“優勝決定戦”を3-0の完勝で制した横浜F・マリノスが、15年ぶり4度目のリーグ優勝を飾った。しかしこの日、主軸のひとりである扇原貴宏の姿はピッチ上になかった。33節の川崎戦で警告を受け、累積4枚によって出場停止となっていたからだ。

「悔しい想いもありましたけど」としたうえで、それでも、ピッチ上で普段通りの攻撃的なサッカーを展開し、勝利で優勝を引き寄せたチームに、「頼りがいのある仲間ばかりなので、安心して見ていました」と厚い信頼を寄せていたことを明かした。

 今季はシーズン前に、喜田拓也、天野純とともに、異例の“3人キャプテン”のひとりに選ばれた。天野はシーズン途中でベルギー2部のベベレンに移籍したが、その後は喜田と扇原のふたりが互いに助け合い、チームを引っ張ってきた。

 シーズン中には天野のほか、やはり三好康児がベルギー1部のアントワープへ移籍。さらに20節までに11得点を叩き出していたエジガル・ジュニオが重傷を負い、長期離脱を強いられる苦境もあった。

 そんな苦しい時期をともに乗り越えてきた“相棒”に対して、扇原は感謝の意を述べる。
「今シーズンは移籍や怪我人が多かったり、3連敗した時期もあった。自分自身も退場してチームに迷惑をかけることもあったり、本当に苦しいこともあったけど、そういう時もキーボーとふたりで先頭に立ってやって来れた。キーボーに助けられた部分もあったし、感謝したい。あいつがいなかったら、この結果はなかったと思う」

 ともにボランチとして貢献してきた二人だが、扇原はキャプテンとして喜田とこうしようと話し合ってきたことはあまりなかったという。
「キーボーは行動で示せる男ですし、僕自身も先頭に立って引っ張ってやっていくうえで、口だけじゃなくて行動で示せたのは良かったと思う」

 互いにキャプテンとして、中盤の底を担ってきた扇原と喜田。「Jリーグのほかのチームはやっていない」と自負する攻撃的なサッカーのなかで、黒子的な存在としてチームを支えてきたふたりの活躍抜きには、横浜の15年ぶりの優勝は語れないだろう。

 
 

No.8 喜田拓也

【J1優勝インタビュー③】横浜FMをまとめたキャプテン・喜田拓也が初めて見た優勝の景色 | サッカーキング

 張り詰めていた空気が緩んだ時、あふれ出る涙を止めることができなかった。チームメートのはしゃぐ姿に、クラブスタッフの笑顔に、そして日産スタジアムに詰め掛けたファン・サポーターの歓喜に、成し遂げたことの大きさを知る。それが、とてつもなくうれしかった。

 小学生の頃に横浜F・マリノスの一員になった。あの日から、トリコロールだけを身に纏い、横浜FMのために戦ってきた。そして15年ぶりのリーグ制覇を成し遂げたチームの中盤の底には、頼れる男・喜田拓也がいた。

 日本を代表する多くの選手を輩出し、3度のリーグ優勝を成し遂げていた横浜FM。知らず知らずのうちに刷り込まれた伝統と歴史。そんなクラブの重みを、喜田はすでに知っていたはず。だからこそ、キャプテンを任された時には覚悟を決めていた。このクラブで優勝する、と――。

 信念を貫き通した先に見えた景色とは、どんなものだったのだろうか。優勝の翌日、話を聞いた。
 
インタビュー・文=出口夏奈子
写真=兼子愼一郎、三浦誠、三浦彩乃

――優勝の熱狂から一夜明けました。改めて喜田選手にとって初めてのJ1優勝の喜びを聞かせていただけますか?
喜田 Jリーグのタイトルに懸けてきた思いが強かったので、すごく懸けてきた分だけうれしいし、それを今の仲間と一緒に取れたことは思うところもあって。やっぱりみんなの頑張りが、タイトルという形で報われたのが一番うれしいですね。

――昨夜はテレビ出演や取材など、試合後も遅くまでたくさんのメディア対応をこなしていたのでなかなか優勝の喜びを噛み締めることも難しかったと思いますが、少しずつ優勝の実感は出てきましたか?
喜田 でも、ああいうタイトな日程も、「ああ本当に優勝したんだなあ」って感じさせてくれるし、やっぱりシャーレを掲げることもそうだけど、表彰式の時にJ1チャンピオンのステージを用意してもらってみんなで喜べるっていうのは、何ものにも代えられないものなのでうれしさはマックスでしたね。

――シャーレを掲げた時、2度下で溜めましたが、あれにはどんな思いがあったのでしょうか。
喜田 やっぱりみんなそれぞれの思いがあっただろうし、ちょっとでも幸せな時間を、っていう思いがありました。優勝にはそれだけの重みというか、このために苦しみだったり悔しさだったりを乗り越えてやっと辿り着いたという気持ちもあって。それで溜めて溜めて、やっと取れた! という思いで、三度目で掲げました。もちろんタイトルは早く取れるに越したことはないんだけど……そういう思いでしたね。

――あの時、喜田選手はめちゃくちゃ笑顔でした。実は久々に喜田選手のあんな屈託のない笑顔を見たなと感じたんです。口ではなんだかんだ言いながらも、特に終盤は表情が硬かったというか、次第にこわばっていく感じさえしていました。だから、あの笑顔を見た時にはやはりいろいろなものを背負っていたんだな、やっと解放されたんだなと思ったのですが。
喜田 まあ、やっぱり、どこかではあったのかもしれない。ただ、自分の中では無理してきたつもりもないし、みんなと正面から正直に向き合って、言うことは言ってきたつもりでもいます。みんなも協力してくれて、本当に強くていい集団ができていった。それは最初からの積み重ねであって、やっぱりタイトルを実際に取るまでは何も終わっていないという気持ちもあったし、どんなに有利な状況だろうと、タイトルが確実に自分たちのものになるまでは絶対に歩みは止められないと思っていたんです。それで最後、本当に自分たちのもとにシャーレがやってきて実感が沸いたのもあるし、やっぱりみんなの喜ぶ顔を見ていたら、自然と日々の歩みもよみがえってきて、うれしさが倍増したなって(笑)。

――それは試合後のフラッシュインタビューでの涙にもつながりますね。
喜田 一番はそういうところですかね。あの涙に個人的な感情はなくて、むしろみんなの喜ぶ姿を見たり、クラブとしても優勝まで15年掛かったのは長かったと思うし、自分としても2013年の悔しい思いもあったので。それに、アンジェ(ポステコグルー)監督が就任してからの昨年の苦しみもありました。苦しかった時に、みんなでお互いに手を取り合って信じて進んできての、今年の優勝ですからね。もちろん今年は今年で覚悟を持って集まってくれた仲間たちと、決していいことばかりではなかったけれど、それを乗り越えてのみんなの喜ぶ姿だったので、そういうのが一気によみがえってきて止められなかったですね。

――今、言われたように、昨年は本当に苦しい一年だったと思います。新しいサッカーに挑戦してうまくいかない時もありましたし、サッカー自体は悪くないのに勝てなかったり。それでもチームがバラバラにならなかった要因は何だったのでしょうか?
喜田 結果が出なければ、選手としてもチームとしても信じる気持ちがどこか希薄になりがちです。それは自然なことだと思うんですけど、そこで自分たちは強い気持ちを持って、お互いに鼓舞し合うのもそうだし、手を取り合って、支え合って、どうにかしようと進んできました。そういう前向きな姿勢や、やり方を変えるのではなく、このサッカースタイルでどう良くしていくか。愚直に取り組んできた、その結果が今年のサッカーだと思うんです。それが逆にターニングポイントだったんじゃないかなって思えるぐらい、昨年の苦しい時期にそれでも貫き通してやり切ったところに意味があると思います。

――“信じる”って、実はとても難しいことだと思います。喜田選手自身、“信じる”気持ちが揺らいだことはなかったのですか?
喜田 俺自身はないですよ。監督も強い信念と覚悟を持ってやっているので、どんな結果であろうと、選手としては監督に付いていくだけです。悪い結果ならば選手にも責任はあるので、そこに逃げ道を作るんじゃなくて、自分たちがどうしていかないといけないのか、だったので。逃げるつもりはありませんでした。あくまでも自分のやり方でどう克服していくか。それぞれが考えた結果、劇的に良くなったということではなくて、1試合、1日の練習でちょっとずつ積み重ねていって、最後の最後でのタイトル獲得につながったんです。みんなのその姿勢がなければ、積み上がっていかなかった。あそこでスタイルを変えようとか、信じ切れない気持ちでやっていたら、今、この場にはいないと思います。だからそこは、みんなに本当に感謝しています。

――そんな様子には見えていなかったので少し驚きだったのですが、昨夜、話を聞いた他の選手は「実は緊張していて昨夜はあまり眠れなかった」と話していました。喜田選手は優勝が近づくにつれて緊張はしなかったのですか?
喜田 緊張自体は全くなかったですね。ただ、自然と自分が意識しないうちに背負っていたものもあったのかもしれないです。でも、それは悪いことではないですし、自分はその覚悟を持ってきたので。でも、僕から見た限りではみんなも全然普段どおりというか、むしろ気持ちが入っているぐらいの自然な感じで、それをピッチでも表現できていたと思うし、それがチームの力にもなっていたと思います。周りの情報に踊らされることもなく、自分たちは自分たちのやるべきことに重きを置いていたので、盛り上がっていた状況でも自分たちの力を発揮できたと思います。

――実際に事実上の決勝戦となった2位・FC東京との最終戦は、まさに横浜FMらしいサッカーを表現しての勝利だったと思います。改めて昨日の試合を振り返って、どんな感想をお持ちですか?
喜田 状況的には得失点だとか、勝点だとか、優位な状況ではあったと思うんですけど(※)、そういうのは全く僕らには関係なくて、目の前の試合に勝ちに行くだけでした。みんなの意志はそろっていましたし、引き分けや負けはいらないって誰もが思っていたので、勝って絶対に優勝を決めるという思いがあっただけでした。だから勝ちに行く姿勢だとか、1点を取っても2点目、退場者を出して結果的に数的不利になっても、ベタ引きせずに果敢にチャレンジして3点目を取りに行った。一人少なかろうと、もう1点を取る力強さや逞しさをこのチームに感じたので、そこに対してこれまで取り組んできた仲間を誇りに思いますし、昨日の試合自体も誇りに思える戦いだったんじゃないかなと思っています。(※…編集部注:横浜FMは3点差以内での敗戦であっても優勝が決定する優位な状況だった)

――試合後、マルコス ジュニオール選手は優勝できた要因について「『プレスしろ』、『走れ』と言っても、普通はやらない選手が何人かいるものですが、このチームにはそんな発言もなかったし、そういう選手もいなかった。監督の言うことを強い気持ちを持ってやったことが大きい」と話してくれました。喜田選手は、優勝できた要因はどこにあると考えますか?
喜田 みんな信じ合っていますし、信頼して、支え合っています。でもそこには、それをさせるだけのみんなの取り組みだったり、姿勢が絶対に必要です。やっていない人に言うのは当然ですけど、要求もし合える集団なので、僕らは本当にいい関係性でもあったと思います。集団としても、シーズンをとおしてより強固になっていったんじゃないかなと。それは試合に出ている選手だけじゃなくて、出ていない選手も練習から素晴らしい姿勢を見せてくれたし、試合の時も素晴らしいサポートで送り出してくれた。さらにピッチに立てば、しっかりと結果を出してくれた。ちょっとずつの積み重ねで、強いチームになっていったのかなと思っています。

――中村俊輔選手、齋藤学選手、中澤佑二さん、天野純選手と、これまでチームを背負ってきた先輩たちがいなくなり、急にこのチームを背負わなければいけなくなりました。特に天野選手がいなくなった夏以降は、いろいろなものを一人で背負ってきたのではないかと思うのですが、それらとどう向き合ってきたのでしょうか。
喜田 まあ……バランスというか、もちろんキャプテンを任せてもらって、それが早いか遅いのかは分からないけど、任せてもらった以上はそこにクラブに対しても、チームに対しても覚悟や責任が伴う役割だと思うので、そういう気持ちは持っていました。ただ、横浜F・マリノスは僕一人のチームではないので、そこは履き違えないようにしながら、信頼できる仲間もいるので頼れるところは頼る、というのを大事にしてきました。全部自分一人でやるんじゃなくて、みんなと一緒に作り上げていくものだと思っていたし、みんなも協力してくれる姿勢を見せてくれたので、これだけ優勝するに値するチームができたんだと思います。だからこのチーム力には全員が自信を持っているし、そこにキャプテンとして関われたことをすごく誇りに思っています。

――優勝できて、実はホッとしました?
喜田 そうですね。いろいろな感情はありますけど、ホッとしたというのも大きくて。絶対にチームを優勝に導くと思っていたので、本当に自分たちの手元にシャーレが来た時は、みんなと頑張ってきて良かったと思いましたね。

――改めて、昨夜見た“優勝の景色”はどんなものでしたか?
喜田 言葉で説明するのは結構難しい面もあって……。ただ、優勝した瞬間もさることながら、そこまで行く過程で見えてきたものも多くて。その中には新たなものもあって、優勝するってこういうことなんだなあって。過程でも感じたし、実際に優勝してからも感じるところはありました。まあ、あえて景色を言葉にするならば、みんなが喜ぶ顔だったり、満員のスタジアムだったり、最高の時間をみんなで共有できるところにあると思います。一度タイトルを取れば、一回あの味を味わってしまえば、二回、三回と味わいたいと思うものですし、それを取りに行くべきだとも思っています。相当なパワーがまた必要になりますが、それにチャレンジするだけの価値があることだとも思うのでね。来年はチャンピオンとして見られるだろうし、“打倒F・マリノス”で来るチームもすごく多くなると思うので、今年以上に厳しいシーズンになるとは思いますけど、それを覚悟の上で、またみんなと一緒にチームを作り上げていけば、それすらも乗り越えていけるんじゃないかなという希望も持っているんです。決して簡単ではないと思いますが、僕らはチャレンジしていきたいと思っています。

横浜F・マリノス、喜田拓也が明かした主将の覚悟。小3からマリノス、偉大な先輩を見て考えたあるべき姿【この男、Jリーグにあり】 | フットボールチャンネル

横浜F・マリノスは、明治安田生命J1リーグ最終節で2位・FC東京に3-0で勝利し、15年ぶりとなるリーグ優勝を果たした。チームは攻撃的なスタイルを貫き、キャプテンマークを巻くMF喜田拓也それを攻守にわたって牽引。小学生のときからマリノスのエンブレムをつけてきた25歳のMFは、万感の思いを胸に抱きだながらシャーレを掲げた。(取材・文:藤江直人)

–15年ぶりのリーグ制覇、シャーレの重み

 心のなかで違和感を覚えながら、横浜F・マリノスのキャプテン、MF喜田拓也は歓喜の雄叫びをあげた。歴代のJ1リーグ覇者へ、その時々のチェアマンから贈られてきたシャーレ。笑顔で頭上に掲げられた直径約55cmの優勝銀皿は、約6kgと伝えられていた重量よりもはるかに手応えがあった。

「これまでにマリノスへ関わってきた人たちの思いのようなものもあって、余計に重みを感じました。チームメイトやスタッフ、ファン・サポーターも含めた、マリノスファミリーの思いが詰まったシャーレを最初に、チームを代表して掲げさせてもらって本当に感無量です」

 Jリーグの歴史上で最多となる、6万3854人の大観衆がホームの日産スタジアムを埋めた7日の明治安田生命J1リーグ最終節。サッカーの神様が用意したような、2位のFC東京との直接対決はマリノスが3点をリードしたまま、6分が表示された後半アディショナルタイムが終わろうとしていた。

 両者の勝ち点差は3ポイント。得失点差ではマリノスが大きく引き離している。勝利や引き分けはもちろんのこと、負けたとしても3点差までならば15年ぶりとなるリーグ優勝が決まる。しかし、前半だけで2点を奪ったマリノスの選手たちからは気負いも、ましてや緊張感の類も伝わってこない。

 攻めて、攻めて、攻め抜く。チームを率いて2シーズン目になる、オーストラリア国籍をもつアンジェ・ポステコグルー監督が掲げるスタイルを、守護神・朴一圭がまさかの一発退場処分を受けて10人の戦いを強いられた後半になっても、全員が必死に具現化させようとしている。

 77分には韓国・釜山で開催されている、EAFF E-1サッカー選手権2019に臨む森保ジャパンに初めて招集された東京オリンピック世代の22歳、FW遠藤渓太がカウンターで飛び出す。自分で決める、とばかりにそのままドリブルでペナルティーエリア内へ侵入し、ダメ押しの3点目を叩き込んだ。

–「小学生のときからこのエンブレムをつけてきた」

 ボランチとして攻守両面のバランスを司りながら、喜田は込みあげてくるものを抑えるのに必死だった。信じ抜いてきたスタイルを、全国のサッカーファンが注目している一世一代の晴れ舞台で存分に発揮しているチームメイトの姿を誇りに思った。自分がその一員であることが、とにかく嬉しかった。

「みんなの頑張りとか、これまでかけてきた時間や姿勢といったものが報われたことが、自分が感傷に浸るうんぬんよりも一番嬉しくて。喜んでいるみんなの顔を見るとなおさら感じるものもあったし、もうヤバかったですね。わいてくるものがあった、という感じですね」

 ちょっぴり照れながら、夢にまで見た瞬間の訪れを告げる木村博之主審のホイッスルが、横浜の空に鳴り響いた瞬間の心境を打ち明ける。誰よりも先に目頭を押さえたのも喜田ならば、ヒーローインタビューの冒頭で言葉を途切れさせ、大観衆の前で男泣きしたのも喜田だった。涙の意味をこう語る。

「小学生のときからこのエンブレムをつけてきて、クラブのいろいろな姿を見てきました。15年ぶりのリーグ優勝ということで、クラブとしては非常に長かったですし、そこへキャプテンとして携われたことにはもちろん思うところはあります。でも、いい結果を出そうと、今年1年を通して全員が頑張ってきたことへの感謝の気持ちの方が、個人的な感情よりもはるかに大きかった、というところですね」

 2人の兄の背中を追うように、幼稚園に通い始めたころからボールを蹴り始めた。小学校3年生でマリノスの選抜クラス、プライマリーに合格。キャプテンを担った6年生のときには全日本U-12サッカー選手権大会を制し、ジュニアユース、ユースを歩みながらマリノスの歴史を間近で見てきた。

–キャプテンマークは「誰もがつけられるものではない」

 岡田武史監督のもとで2003、2004シーズンを連覇したときのキャプテン、松田直樹さんと奥大介さんが天国へ旅立って久しい。優勝まであと1勝と迫りながら連敗を喫し、結果としてサンフレッチェ広島の連覇をアシストした2013シーズンの悔しさを、ルーキーとして記憶に焼きつけた。

 当時のキャプテン、MF中村俊輔(現横浜FC)は敵地・等々力陸上競技場のピッチで、人目もはばからずに号泣した。シティ・フットボール・グループの資本参加とともに、新たな道を歩み始めたマリノスを最終ラインで支えてきた中澤佑二さんも、昨シーズン限りでスパイクを脱いだ。

 偉大な先輩たちが担ってきたマリノスのキャプテンという大役を、今シーズンからMF扇原貴宏、MF天野純(現スポルティング・ロケレン)との共同という形で拝命した。キャプテンマークを託され、左腕に巻くたびに歴史と伝統とをかみしめてきた。

「誰もがつけられるものではない、特別なものだと自分のなかでは思ってきました。偉大な先輩たちを見てきて、どのようにあるべきかを選手としても、一人の人間としてもものすごく考えてきた。重みを感じるし、これまで以上に責任も生まれますけど、一緒に進んでいく仲間たちを信じて、頼れるところは頼ろうと。ただ、本当に苦しいときには自分が先頭に立つ覚悟はもちろん決めていました。それだけの決意が必要な立場だと思っているので」

–「ファン・サポーターの方も腹をくくってくれた」

 ポステコグルー監督の1年目だった昨季は、最終節までJ1への残留争いを強いられた。指揮官が掲げる斬新な超攻撃スタイルを習得していくうえでの、副産物といっていい総失点はリーグワースト3位の56を数え、リーグ2位タイをマークした総得点を相殺する形になった。

 極端に最終ラインをあげ、ゴールキーパーもビルドアップに加わらせるスタイルの代償とも言える、背後に広がる広大なスペースを何度も突かれた。まさかのロングシュートを何本も決められた。それでも「最初から僕たちは信じていました」と、喜田は胸を張りながら2年間の歩みを振り返る。

「本当にちょっとずつですけど、勝った試合でも何がよくて何がもっと積み上げられるのか、負けた試合でも何がよかったのかと、小さなことをこつこつと積み重ねてきていまがある。もちろん上手くいかないこともありましたけど、チャレンジした結果として、そういう経験をすることが大事だと言い聞かせてきた。去年に大きくスタイルを変えて、ファン・サポーターの方も腹をくくってくれて、自分たちを信じてついてきてくれたことには、どれだけ感謝してもし足りないと思っています」

 継続は力なり、と言うべきか。表情を変えずに「責任はすべて自分にある」と哲学を貫くポステコグルー監督のもとで合言葉になった、タイトルを取るという目標を全員が共有できたと喜田は振り返る。信頼し合う心が束になったときに生まれる強さが、マリノスに脈打ちはじめていた。

「去年の結果だけを言えば、現実として考えている人は(周囲には)いないに等しかったと思う。それでも、選手、監督、スタッフを含めたチームの全員が心の底から信じてスタートした。そのときから『このチームならば、何かを起こせるんじゃないか』という思いが自分のなかにあった。いまこうして言葉で言うのは本当に簡単なことですけど、最後にこうやってシャーレを横浜にもってこられたことは、みんなの信じる気持ちが乗り移った結果だったと思っています」

–「マルコメ坊主」から弁が立つキャプテンへ

 累積警告で出場停止となったベガルタ仙台との第27節を除いて、すべての試合で先発の座を勝ち取ってきた。プレー時間2965分は、3060分のフルタイム出場を果たした日本代表DF畠中槙之輔に次ぐ2位。チーム全体を見渡しながら、自分自身のパフォーマンスにも厳しいハードルを課してきた。

「自分のことを蔑ろにするわけにもいかないし、裏を返せばそれはチームのためにもならない。まずは自分がプレーでも、行動や姿勢でも一番いいものを示さなければ何の説得力も生まれませんし、周囲に要求することもできないと言い聞かせて、本当にいろいろなことを考えながら、プレーの面でもピッチ外での立ち居振る舞いでも取り組んできました」

 FC東京戦をもって18年間の現役生活に別れを告げた、36歳のDF栗原勇蔵は小学生時代の喜田を知る数少ない存在の一人だ。当時の喜田を「マルコメ坊主のようで、本当に小さくて可愛い子だった」と目を細めて振り返りながら、心身両面でたくましく成長したいま現在の姿にマリノスの未来を託す。

「コメントを聞いていてもあんなに立派なことを言って、オレなんかよりもよほど弁が立つ。人間的にも立派になったし、オレと10歳くらい違いますけど、キー坊の方が大人ですよね。今後のマリノスを引っ張っていってくれる、という絶対的な安心感がある。本当に頼もしい存在です」

–タイトルを取りにいく覚悟

 キャプテンとともに、ミスター・マリノスの座も託されたと言っていい喜田は今季を戦いながら、ビッグクラブという言葉の定義に思いを馳せてきた。4度のJ1制覇はジュビロ磐田とサンフレッチェを抜いて、鹿島アントラーズの8度に次ぐ単独2位に浮上した。常勝軍団アントラーズとともに、1993年のオリジナル10に名前を連ねたクラブのなかでは、一度もJ2降格を経験していない。

「何をもってビッグクラブと呼ぶかはそれぞれ考え方があるなかで、ひとつ大きなウエートを占めるのはタイトルだと思う。それを15年も取れていないところで言えば、果たしてマリノスはビッグクラブと言えるのかどうか、というのもあった。だからこそビッグクラブというところにすがるのではなく、それを捨ててでももう一回タイトルを取りにいく、という覚悟が必要だった。僕たちは環境もいいとは言えないし、自分たちよりもいい環境でやっているチームがJ1でもほとんどだと思うなかで、誰もそれを言い訳にしなかった。逆に『これで僕たちが勝っていくことに意味がある』と思っていた」

 過去の栄光や伝統を心のよりどころにするのではなく、新たな歴史を打ち立ててやる。先制した試合で20勝1分け2敗と圧倒的な数字を残した。引き分けひとつをはさんで3連勝と7連勝をマークし、トップでゴールへ駆け込んだ最後の11試合はすべて先制する無双ぶりも発揮した。

–追う側から追われる側へ

 攻撃は最大の防御なり、とばかりに昨季よりもアップさせた総得点68は断トツのリーグ1位をマークし、最後の11試合では失点も8に抑え込んだ。攻守が抜群のハーモニーを奏でての戴冠を「偶然出した結果ではない」と、運といった類の言葉が入り込む余地はないと喜田はあらためて胸を張る。

「自分は評価をする立場ではないですし、上から目線で物を言うつもりもないですけど、最初のころに比べれば本当に見違えるほどたくましい、ハングリーな集団になりましたし、一人のチームメイトとして本当に頼もしく感じた。すごく抽象的な言い方になっちゃいますけど、いい集団になっていきましたよね。自信をもっていいと思いますけど、隙を見せれば下に落ちていくのも早い世界なので。それだけ厳しいリーグで戦っているし、だからこそ心して、みんなでまた準備していきたい」

 得点王を分け合ったMFマルコス・ジュニオール、最終ラインに君臨したDFチアゴ・マルチンス、最優秀選手賞(MVP)および得点王と三重の喜びに浸ったFW仲川輝人とともに、優勝から一夜明けた8日のJリーグアウォーズではベストイレブンにも文句なしで選出された。

「これを味わうと誰もがもう一度、と思うのが普通ですし、来シーズンに対しては今年よりも厳しい戦いになる覚悟をもつ必要もある。それがタイトルを取るということであり、それがまた自分たちを強くしてくれる要素だと思っています」

 追う側から追われる側へ変わる2020シーズンは、Jリーグ王者として6年ぶりにAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の舞台にも立つ。至福の喜びに浸る時間はもう終わったとばかりに、トリコロール軍団をけん引する身長171cm体重64kgの小さな闘将は、すでに前へと走り出している。

 
 

No.11 遠藤渓太

【横浜・遠藤 独占手記】トドメ弾で15年ぶり戴冠 苦しんだ1年「報われた」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 苦しかったシーズンでしたが、後半32分のゴールで報われました。今日だけは浮かれたいと思います。あのゴールはこれまでお世話になった方々への恩返しとしたいです。

 達成感と悔しさが半々の一年でした。キャリアハイ(7得点7アシスト)の結果を残せましたが、1年を通して先発で試合に出続けたわけではなかった。特に2点を決めた8月24日の名古屋戦後も先発の機会はなく、「何で俺が先発じゃないんだろう」と他人と比べて悲観し、諦めかけたこともありました。でも思い切って喜田くんに相談した時に、「考えるのは対誰かじゃないでしょ」とアドバイスされたことや周囲の励ましもあって考えが変わりました。今は「毎回、俺が試合を決めるゴールを取る」と思ってピッチに入っています。

 技術面では外部のトレーナーにつき、上半身の動きなど、体の使い方から見直しました。地味なトレーニングですが、対人のかわし方に変化が出てきました。個人的にはプロになってから初めてというくらい苦しい一年でしたが、メンタルの成長を実感しています。この悔しさが僕を大きくしてくれました。

 ◆遠藤 渓太(えんどう・けいた)1997年(平9)11月22日生まれ、横浜市出身の22歳。二俣川SC―横浜ジュニアユース―横浜ユースを経て16年にトップチーム昇格。同年3月のリーグ新潟戦でプロ初出場。17年のルヴァン杯新潟戦でプロ初得点を挙げた。18年ルヴァン杯ニューヒーロー賞獲得。17年U―20W杯出場など、各年代別日本代表に選出。1メートル75、66キロ。利き足は右。

遠藤渓太が胸に秘めた“ライバル”たちへの闘志…「テルくんでも、マテウスでも、エリキでも……」 | サッカーキング

 明治安田生命J1リーグ最終節が7日に行われ、横浜F・マリノスとFC東京が対戦した。3-0で勝利した横浜FMが15年ぶり4度目のJ1王者に輝いた。

「ああいう展開が来ると思っていた。反射的に良いドリブルができたと思います」

 2点リードした61分からピッチに投入され、見事なドリブルからダメ押し点を決めた遠藤渓太は試合後、悔しさも滲ませながら今シーズンを振り返った。

「点を取ってもベンチになったり、満足したプレーをしても次出られなかったり、苦しかったり、投げ出しそうなときもあった。支えてくれる先輩や色々な人がいて、松本(山雅)、川崎(フロンターレ)、FC東京は絶対決めてやろうと思っていました。後半戦の自分の活躍がマリノスの優勝に関わるとプレッシャーをかけてやっていました」

 強豪チームにいる宿命と言えるだろう。J屈指の攻撃力を誇る横浜FMの前線には、マルコス・ジュニオール、エリキ、マテウスら強力な外国人アタッカーに加え、得点王に輝いた仲川輝人が名を連ねている。東京五輪世代のアタッカーとして期待を集める遠藤だが、シーズン途中にはスタメンフル出場の機会を得るも、“ジョーカー”としての起用がメインだった。それでも、「スーパーサブ的な役割に回るつもりはさらさらなかった。テルくん(仲川輝人)でも、マテウスでも、エリキでも『ポジションを奪ってやる』って毎試合臨んでいた」と闘志を燃やし、チームに与えられた役割を全うするかのように、ラスト3試合となった松本山雅、川崎フロンターレ、FC東京との試合で、思惑通りの3戦連発弾を決め、チームの優勝に大きく貢献した。

 横浜FMが日本でトップのチームになったことで、ポジション争いはさらに激化するはずだ。自身がスタメンを狙うように、今後は遠藤のポジションを狙う選手も台頭してくるだろう。だが、遠藤は「それがチームを強くすること」と歓迎する構えだ。

「ここから落ちるチームもあると思うし、停滞したら他のチームに抜かれていく。優勝したからといって、自分たちは成長しないといけない立場。そうやってチームが強くなっていくと思うから。色々な選手が来て、僕のポジションも取りにくると思うけど、そういう競争にも勝っていきたい」

 アピールの場はすぐにやってくる。この後、韓国で開幕する「EAFF E-1 サッカー選手権」だ。東京五輪世代が多く名を連ねた日本代表に遠藤も招集され、A代表として優勝を目指す。

「マリノスと同じ感覚でプレーしたら失うものがあると思う。しっかり頭を切り替えて」さらに、「まず大前提として、闘うことが大事だと思う。中国や韓国を相手に腰が引けたプレーをしていたら球際は負ける。『若い』とか関係ないので。自分にも厳しく闘いたいと思います」

 
 

No.13 チアゴ・マルチンス

横浜FMは失点激減もV要因…速すぎ強すぎDFチアゴ「チームメートに感謝」 | ゲキサカ

 どんなに不利な状況をつくられても、自慢のスピードとフィジカルでしっかりカバー。横浜F・マリノスDFチアゴ・マルチンスはシーズンを通じて脅威的なパフォーマンスを続け、加入2年目のクラブを15年ぶりのリーグ制覇に導いた。

 残留争いを演じた昨季から一転、J1リーグの頂点に立った今季の横浜FM。攻撃陣の補強で得点数が56から68に増加した一方、失点数が56から38に減少したのも目覚ましい成果だ。その守備力を増強させたのが昨季途中に加入したDF畠中槙之輔、そしてチアゴ・マルチンスのCBコンビだった。

 最終ラインがハイラインを敷き、サイドバックとボランチが中央寄りにポジションを取るスタイルにおいて、サイドの深いエリアは明確な弱点。しかし、相手がそのエリアをロングボールで狙ってきても、素早く反応したチアゴが凄まじいスピードでカバーに入り、一発のタックルでボールを奪い切る姿はシーズンを通して何度も見られた。

 チアゴは「前の選手であるエジガル、エリキがプレッシャーをかけてくれるからこそ」と守備力向上の秘訣を語るが、その戦術が採用できるのは後方の広大なスペースを埋めてくれるセンターバックがいるからこそ。それでもチアゴは「難しいところでもカバーしようと努力している」と事もなげに語る。

「全員でプレーしないといけない。全員が攻撃をして、全員で守らないといけない」。最終節の試合後、チームの仕組みをそのように説明したチアゴは「チームメートに感謝したいのは、みんながみんな疲れを惜しまずにやってくれるところ」と述べ、自身のパフォーマンスを誇るようなことはしなかった。

 しかし、8日には年間表彰式『Jリーグアウォーズ』が開催される予定となっており、その活躍が公に認められる可能性もあるだろう。選考の土台になるのはJ1各クラブの監督・選手による投票。チアゴに苦しめられたFWたちの推挙により、最も栄誉ある賞で名前が呼ばれても、今季の活躍を見れば何ら不思議ではない。

(取材・文 竹内達也)

【J1優勝独占インタビュー①】横浜FMを優勝に導いたチアゴ マルチンス…セレモニーで日の丸を掲げた理由とは? | サッカーキング

 横浜F・マリノスが15年ぶりにJ1リーグを制した。アンジェ ポステコグルー監督の下、2人そろって得点王に輝いたマルコス ジュニオールと仲川輝人、そしてエリキやマテウスら、強力アタッカー陣にけん引された攻撃的サッカーは、王者の称号にふさわしい魅力的なものだった。だが、この男の存在がなければ、タイトルは手に入らなかっただろう。ブラジル人センターバック、チアゴ マルチンスだ。

 昨年8月にパルメイラスからの期限付き移籍で横浜FMに加入したチアゴは、対人の強さだけでなく、ハイラインの後方をカバーする圧倒的なスピードと高いビルドアップ能力を見せつけ、すぐにレギュラーポジションを確保。今季は全34試合中33試合に出場し、畠中槙之輔とともに最終ラインからチームを支えた。

 23歳という若さで母国ブラジルを離れ、日本でのチャレンジを選んだチアゴ。そんな彼はどんな気持ちで優勝の瞬間を迎えたのか。チームが成長した要因はどこにあったのか。優勝直後のインタビューで、思いを語ってもらった。

インタビュー・文=本間慎吾
写真=兼子愼一郎

――まずは優勝おめでとうございます! 今の率直な感想を教えてください。
チアゴ ありがとうございます。大きな喜びと、やるべきことをやったという達成感があります。

――タイムアップの笛が鳴った瞬間はどんな気持ちでしたか?
チアゴ なかなか表現するのが難しいけど、今まで積み重ねてきたものが一瞬で蘇ってくるような、頭をよぎるような感じでしたね。あとは自分を丈夫な体に、努力ができる体に産んでくれた親に感謝しています。

――今日の日産スタジアムにはJリーグ史上最多動員となる63,854人のファン・サポーターが詰め掛けました。
チアゴ 今日だけじゃなく、F・マリノスのファン・サポーターは常に、どこに行っても応援してくれて感謝の言葉しかないです。いい時も悪い時も常に応援してくれました。その中でも特に今日の試合は新記録ということで、これだけ多くのファン・サポーターの中でプレーしたのは初めてのことだったので、本当に感謝しています。

――緊張はしましたか?
チアゴ もちろん(笑)。実は昨晩から早く試合がしたいという思いや緊張など、いろいろな感情でソワソワしていたんです。でも、本当にいい緊張感を持ってピッチに入れたし、笛が鳴ってゲームがスタートしたところで頭の中のスイッチがオンになって、しっかりと集中力を高めることができました。

――今日の試合では後半に朴一圭選手が退場してしまって1人少ない状況になり、一瞬だけFC東京に流れが傾きかけたようにも見えました。それでもすぐに修正することができた要因はどこにあったと思いますか?
チアゴ なによりも、『勝ちたい!』という強い気持ちを全員が持っていて、それが前面に出た結果だと思います。残念ながらパギ(朴一圭)くんが退場になってしまったけど、すぐに全員でコミュニケーションを取りました。例えばエリキと話をして、もう少し戻ってほしいとか、そういうコミュニケーションを取れたことが良かった。その中で、自分たちがやるべきことを曲げずに、全員で守って全員で攻撃する。それができたのがリズムを取り戻すことができた要因だと思います。

――試合が終わって、最終戦のセレモニーでスタジアムを一周している時に日本の国旗を掲げていたのが印象的でした。どのような思いがあったのでしょうか?
チアゴ 日本に来てからこれまで過ごしてきた感謝の気持ちと喜びを表したくて、日本の国旗を持ちました。来日してからピッチの中でも外でも、日本での生活も含めてすべてが楽しくて、すべてが充実しているんです。本当にいろいろなものをこの国で手にして、本当に良くしてもらっていることが多いので、感謝の気持ちがすごく大きいですね。

――今季は同じブラジル出身のチームメイトが増えました。昨季途中に一足早く横浜FMに加入しているチアゴ選手から、同胞の選手へ何かアドバイスをしたことはありますか?
チアゴ 昨年、僕が来た時はブラジル人選手がいなくて、誰も知らない環境に一人で飛び込んできたけど、ウーゴ(ヴィエイラ)選手やドゥシャン選手を始め、日本人選手のみんながすごく助けてくれました。特に日本人選手はすぐにグループに受け入れてくれたから、こうしてやってこれた。だから僕も同じように、今年新たに加わった選手たちには自分ができることをやって、他のチームメイトに紹介したり、一緒に過ごしたり、日本人選手とも一緒にいる時間を増やすようにして、できるだけ早くみんながチームに溶け込めるように努力してきたつもりです。それが少しでも他のブラジル人選手にとってプラスになったのなら、僕もうれしいですね。でも、なによりもやっぱり僕らは日本人選手たちに一番感謝していますよ。

――今季は退場による出場停止で欠場した1試合を除いて、すべての試合で畠中槙之輔選手とコンビを組みました。手応えはいかがでしたか?
チアゴ ハタ(畠中槙之輔)はすごく素晴らしい選手だから、彼とはとてもプレーしやすいです。そういえば今、思い出したんだけど、退場になって試合に出られなかったのはタカ(扇原貴宏)のせいだから、それは彼に伝えておいてほしいな(笑)。ハタとは今年ずっと一緒にやってきて、常にコミュニケーションを取りながらやっています。言葉が通じなくても、プレー中に目が合えば阿吽の呼吸でできていた部分もあって、お互いに試合を重ねて成長してきたと感じています。彼は日本代表にも選ばれているし、それは僕としてもすごくうれしい。彼がそういう立場になるために、ちょっとでも自分が力になれていたらうれしいですね。

――年間の失点数が昨年の「56」から今季は「38」と大幅に減りましたね。
チアゴ 今年の初めからチームとして取り組んできたこと、なるべく相手にプレーさせないということを、全員が努力を惜しまずに積み重ねてきた結果だと思います。昨年は確かに失点が多かったので、今年はそこにフォーカスして、全員でトレーニングをしてきました。その結果として、攻撃的なサッカーの中で失点を減らすことにつながったと思っています。

――チアゴ選手は昨年8月に加入し、すぐに出場機会をつかみました。Jリーグ、そしてアンジェ ポステコグルー監督が志向する攻撃的なサッカーに慣れるまでに苦労はなかったのですか?
チアゴ サッカーよりも、私生活が大変でした。初めて国を出て、妻は一緒でしたが、家族とは離れることになりました。ブラジルでは違う街でプレーしていても家族と顔を合わせることはできたし、常に家族と一緒にいたのですが、日本に来たことでそれができなくなった。友人とも離れたし、とにかくいろいろな環境が変わりました。もちろんチームメイトはたくさん助けてくれたけど、やっぱり自分の国にいるのとはちょっと違うので、日本の生活に慣れるのが一番苦労しましたね。

――昨年はJリーグYBCルヴァンカップ決勝で敗れて悔しい思いをしましたが、今年はその経験を糧にクラブとして15年ぶりとなる悲願のリーグ優勝を手にしました。この1年で、何が横浜FMを強くしたのでしょうか。
チアゴ ルヴァンカップは今、思い出してもつらい記憶ですし、本当に残念な結果でした。あの時、僕は来日してすぐに決勝を戦うチャンスをもらってすごくワクワクしていたし、タイトルを取って次のシーズンに繋げられると思っていたからね……。でも、今年に入ってメンバーが大きく変わりました。昨年のチームも強かったですけど、監督が就任2年目を迎えたことで、チームがより同じ目標を持って一つの方向を目指すことができたし、全員で日々の厳しいトレーニングを積み重ねることができました。昨年以上に全員が監督の考えを理解することができましたし、それが優勝という結果に結びついたと思っています。

横浜F・マリノスの陰のMVP。攻撃サッカーはこのCBあってこそだ|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

 横浜F・マリノスの優勝で幕を閉じた2019年Jリーグ。8日、Jリーグアウォーズで各賞が発表され、注目の最優秀選手賞(MVP)には仲川輝人(横浜FM)が輝いた。

 仲川は得点王(マルコス・ジュニオール/横浜FMと同点)にも輝いているので、ダブル受賞を果たしたことになる。ゴール前で構えるストライカー系ではなく、右ウイング(しかも通常、右に大きく張り出した位置で構えている)が得点王に輝いたことには、大きな意味がある。

 シュートはウイングの定位置からは狙えない。得点の確率は真ん中に寄るほど上昇する。しかし仲川は多くの時間、定位置を守っている。右ウイングのポジションを可能な限り維持しながら、機を見て中央に進出する。なによりそのタイミングとバランス感覚が秀逸だった。これは簡単にできることではない。貴重なセンスを仲川は備えている。

 当然のことながら、彼はベスト11にも選ばれている。日本代表にこれまで一度も選ばれたことがない選手が、ここまで脚光を浴びたことはあっただろうか。森保一監督は、10日から始まるE-1選手権の代表メンバーに仲川をようやく招集。「Jリーグで活躍すればその先には日本代表がある。国を背負って戦うことを経験する場があることを知ってもらいたい」とは森保監督の言葉だが、呼ぶのが遅いというのが率直な印象だ。

 それはともかく、優勝した横浜FMについて言及しようとすると、まず一番にくるのはその得点力であり、そのベースとなる攻撃的サッカーだ。仲川がその中心にいたことはまぎれもない事実。日本に数少ない貴重な右ウイングとして、その価値を認めないわけにはいかない。

 だが、そこばかりをクローズアップすると、このチームの他の魅力を語る場が奪われてしまう。

 同じくベスト11に選ばれた日本人選手、喜田拓也も忘れてはいけない存在だ。中盤の底として1シーズン34試合中33試合でスタメンを飾ったキープレーヤーだ。看板の攻撃的サッカーとは、ともすると関係の薄い存在に見える。しかし、170cmの小兵の動きはいかにもしぶとく、ボール奪取はもちろん、攻撃のリズム出しに強く関与していた。喜田を経由することでテンポが上昇。攻撃陣は一気に活気づくのだった。

 仲川とともに得点王に輝いたマルコス・ジュニオール、夏場からチームに加わったCF エリキ、左ウイングのマテウス。そして前半戦16試合の出場で11ゴールを奪い、チームがシーズン開幕当初から好位置をキープする原動力となったエジガル・ジュニオの存在も見逃すことはできない。アタッカーとしてチームを牽引したのは仲川だけではない。

 外国人の活躍についての言及は、とかく疎かになりがちだ。日本のサッカー報道が代表チームに寄りすぎる傾向があるからだ。今回発表されたベスト11にしても、外国人選手は4人だけ。個人的には7、8人選ばれてもおかしくないと思っている。

 そのベスト11に、横浜FM(4人)とFC東京(6人)以外から選ばれた選手はアンドレス・イニエスタ(ヴィッセル神戸)だけ。その内訳は優勝争いに絡んだチームの選手に大きく偏っていることがわかる。チームとしての成績はともかく、個人として活躍した選手、とりわけ外国人の実力派は蚊帳の外に置かれている。

 活躍した選手とは? 

 解釈には様々な視点があるはずだ。最優秀選手賞しかり。何をもって最優秀とするのか。優勝した横浜FMで最も活躍が「目立った」選手はと言えば、仲川になるのかもしれない。横浜FMの攻撃的サッカーを支えた元気者を支持する人が多くを占めるのは自然なことだ。しかし、喜田のところでも触れたように、攻撃的サッカーはアタッカーだけで成立するものではない。

 優勝を懸けて争った最終節のFC東京戦。横浜FMの戦いぶりで最も目を引いたのは、GK朴一圭(パク・イルギュ)が退場になり、10人となった後のその最終ラインだった。一般的なチームであれば、その最終ラインは通常より低めに設定する。GKが朴(この選手もベスト11級だ)からJ1での経験が浅い中林洋次に交代し、またこれ以上、得点を必要としない状況にあるとなればなおさらである。

 しかし、アンジェ・ポステコグルー率いる横浜FMはそうしなかった。思い切り高い位置を維持しようとした。11人で戦っていた時以上と言いたくなるぐらいだ。もちろん、FC東京との比較でも上回っていた。

 攻撃的サッカーの真髄は、むしろそこに潜んでいた。主役はセンターバック(CB)の2人。畠中槙之輔とチアゴ・マルチンスになる。日本代表中心主義に基づけば、このところ代表に呼ばれ続けている畠中にまず目は向く。確かに彼は、この1年で急成長した。しかし、それは脇にチアゴ・マルチンスが構えていたからではないだろうか。それぐらい、このブラジル人CBは優秀だった。

 185cm76kg。ハードなストッパータイプではない。独特のステップワークと、滑らかな素早い動きで、敵の背後への進入を防ぐ、技と頭脳でボールを奪う知性に富むCBだ。ブラジル代表歴はないとのことだが、チャンピオンズリーグの上位クラブからいつ誘われても不思議はない、文字どおりの実力派である。

 もし彼がいなかったら、横浜FMは攻撃的サッカーに没頭できただろうか。自慢のアタッカー陣は活躍できただろうか。チームから最も欠けてほしくない選手は誰かという視点で最優秀選手を選ぶとすれば、仲川ではなくこのチアゴ・マルチンスになる。横浜FMは今季、失点が38あるが、このブラジル人CBがいなければ、失点の数は大幅に増えていたに違いない。おのずと、その攻撃的サッカーは粗野なものになっていたはずで、優勝争いさえ難しかったのではないかと推測される。

 イニエスタはともかく、知名度が低い実力派の外国人選手をないがしろにすべきではない。そんな意味も含めて、筆者はあえてチアゴ・マルチンスを最優秀選手に推すことにしたい。

 
 

No.18 広瀬陸斗

No.19 中川風希


 
 

No.23 仲川輝人

【横浜M】得点王・仲川輝人 独占手記…けがでも入団、クラブ通いで朝帰り 腐っても見捨てないでくれてありがとう : スポーツ報知

 横浜Mの日本代表FW仲川輝人(27)は15得点で得点王に輝き、リーグ2位の9アシストでリーグ制覇に貢献。右膝じん帯断裂の大けがを負い、プロ入り後は2度の期限付き移籍を経て完全復活。優勝の立役者となり、スポーツ報知に独占手記を寄せた。

 優勝は夢だった。(栗原)勇蔵君のスピーチの瞬間は涙を止められなかった。泣いたのは、専大3年のインカレ準決勝で負けて以来かな。クラブに恩返しできる瞬間をずっと、ずっと夢見ていた。

 大学4年の秋。試合中に、右膝じん帯を断裂した。しばらくプレーできない。それでもマリノスとレッズがオファーを出してくれた。けがしている自分なんかに。申し訳なさもありつつ、決め手になったのは大学と同じ4―2―3―1のシステムだった。自分が、より生きるのはここだ。けがから1週間後。「マリノスでやります」。自宅から電話をかけると、すぐに強化部の方が来てくれて。いつ治るか分からない自分のために。その瞬間から、いつかこのクラブのために―。そう誓った。

 けがから始まったプロ人生。早く練習に加わりたい。その一心で必死に治したが、復帰した後の方がつらかった。1年半、元の状態に戻らなかった。細かなステップ、一瞬の動き、切り返し。無意識に恐怖心も働き、1歩、2歩多めにステップを踏んでしまう。紅白戦にも出られずに、夜遊びをしてしまうこともあった。夜な夜なクラブに通い、家に帰ると朝の5時。当たり前だけど、翌日の練習では明らかに質が落ちた。ふがいなかった。苦しかった。ある日の朝。家に帰ると、壁に貼ってある寄せ書きが目に入った。けがした時に大学の部員全員からもらったもの。「オレはできる」と大きく書かれていて。何やってんだろう。どうにか思い直すことができた。

 今でも雨の日に、膝がうずくこともある。でも、もうあの日々は送りたくない。筋トレとケアと。練習前後に大体3時間ぐらいかな。試合前には、うどんにパスタにぶどうジュース。直前にはオレンジジュースを飲んで、アップ前はいつも同じ曲で気分を上げて、右からテーピングして靴履いて。少しでも大きく見せようと同じジェルで髪を固めて、少しでも軽快に動けるよう、前日のシャワーでは上から下まで全部毛をそって。良い方向に進むようルーチンを取り入れたけど、最近はちょっとありすぎかもって思ったり(笑い)。

 プロだから最善を尽くすのは当たり前だけど、どれも全ては「恩返し」のため。大学時代から始めた、指を天にさすゴールパフォーマンス。試合が終わった瞬間にも自然と出た。あれは、自分に関わってくれた全ての人への感謝を込めたもの。親、友人、チームメート、サポーター、マリノスに関わる全ての人へ―。けがしていた僕を、入団させてくれてありがとう。腐っても見捨てないでくれてありがとう。そして、優勝させてくれてありがとう。

「本当に優勝しちゃったんだ…」苦しみ抜いた“大学No.1”仲川輝人がようやく掴んだ栄冠に漏らした本音 | サッカーダイジェストWeb

「長かったすね……」

 試合後、横浜の戴冠に貢献した“小さなエース”仲川輝人は、ポツリと口にした。

 この日、リーグ優勝を争ってきたFC東京を本拠地で迎え撃った横浜は、前半にティーラトン(26分)とエリキ(44分)のゴールで突き放すと、守護神のパク・イルギュが退場した後半も攻勢を崩さず、77分に遠藤渓太のゴールで趨勢を定めた。

 クラブとしては、2004年のリーグ戴冠以来、15年ぶりのタイトルを手中に収めた横浜。8月の名古屋グランパス戦(25節)から11戦負けなしと怒涛の勢いで突き進んだ彼らを牽引したのは、15ゴールをマークしてリーグ得点王となった仲川だった。

 仲川のここまでの道程は、決して平坦なものではなかった。

 関東大学1部リーグ得点王とユニバーシアード代表選出。まさしく「大学No.1」の冠を引っさげていた14年に翌年からの横浜入りを内定させていた仲川だったが、入団間近の10月に右膝前十字靭帯および内側側副靱帯断裂、右膝半月板損傷という選手生命をも脅かす大怪我を負ってしまう。

 それでも横浜には入団し、長期間のリハビリの末に16年5月のアルビレックス新潟戦でプロデビューを飾った仲川だったが、怪我の影響からか、本来のキレを取り戻せず……。J2の町田ゼルビアとアビスパ福岡をレンタルで渡り歩くなど、横浜に貢献できないもどかしい時期が続いた。

 迎えた今シーズン、アンジェ・ポステコグルー体制2年目で、チームに欠かせないメンバーとなった仲川。ようやく覚醒の時を迎えた韋駄天は、「自分たちの力を証明できた。本当に優勝に値するチームだと誇れる」と語り、さらにこう続けた。

「いや、長かったっすね……。自分が怪我をしてマリノスに入って、自分自身としても、チームとしても、なかなか上に行けない苦しいシーズンばっかりだった。でも、そのなかで去年からボス(ポステコグルー監督)になって、1年目は苦しんだけど、2年目でやっとみんなの努力がついに叶ったかなと思う。自分自身としても、チームとしても成長した1年でしたね」

 キャリアの苦境も乗り越えてきたからこそ喜びもひとしおだ。決定的な仕事をこなしてきた27歳は、優勝決定の瞬間を、しみじみと振り返った。

「優勝を本当にしちゃったんだというか。びっくりというか。なんか現実じゃないような感じで、本当に異空間にいるようなピッチだった。笛がなってすぐは頭が真っ白になって、あまり考えられなかったですね。でも、スタジアムを周っているときとか、シャーレを掲げる時に、本当に最高の景色をサポーターに届けられたと思ったし、自分たちもこれを見るために本当に努力してきたんだなと感じましたね」

 長く、険しかったプロの世界で、ようやく頂点に立った仲川。「このサッカーをやり続けて良かったなと思う」とこぼした表情は、充実感に満ちていた。

取材・文●羽澄凜太郎(サッカーダイジェストWeb編集部)

仲川輝人の才能を開花させた横浜F・マリノスの超攻撃サッカー|Jリーグ他|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva

原山裕平●取材・文

 2017年のプレシーズン、仲川輝人はタイの地で飛躍の1年を思い描いていた。

 2015年、専修大から横浜F・マリノスに加入した小さなストライカーは、プロでの2年間でさしたる実績を残せないまま、もがき苦しんでいた。大学時代に負ったケガの影響もあり、1年目はリーグ戦に2試合に出場したのみ。2年目も出番は限られ、9月にJ2のFC町田ゼルビアに期限付き移籍することになる。

 町田からレンタルバックして迎えた3年目、今季こその想いを胸に新たなシーズンに臨んでいた。タイで行なわれたプレシーズンマッチでは、見事にゴールを決めている。

「今季の目標は、試合に必ず絡むということと、チームのために最善を尽くすこと。勝利のために走り続けたいと思います」

 しかし、その想いとは裏腹に、この年も出番を得られないまま、J2のアビスパ福岡にレンタル移籍することとなった。

 大卒選手として、焦りの想いはあったはずだ。そんな仲川の運命を変えたのが、アンジェ・ポステコグルー監督との出会いだろう。

 2018年に就任したオーストラリア国籍の指揮官は、徹底的なポゼッションと極端なハイラインによる攻撃スタイルを標榜。このサッカーこそが、仲川の才能を開花させることになったのだ。

 ウイングに配置された仲川は、サイドいっぱいに開いてボールを受け、迷いなく縦に仕掛ける。あるいは、中のエリアを活用するサイドバックと連係して敵陣を切り崩していく。

 一方で、スペースに飛び出してカットインからフィニッシュを見舞い、逆サイドからのクロスをエリア内で合わせてゴールを陥れる。スピードと突破力、そして決定力。本来備えていた攻撃スキルを、十分に発揮できるようになったのだ。

 昨季途中よりレギュラーの座を掴んだ仲川は、今季は33試合に出場して15ゴールをマーク。同僚のマルコス・ジュニオールとともに得点王に輝くとともに、チームトップの9アシストを記録。15年ぶりの優勝を飾った横浜FMにおいて、最高の輝きを放った選手のひとりであることは言うまでもないだろう。

「これまでの苦しかった時期を思い出した。マリノスのために恩返しがしたいという想いのなかで、それを実現できてよかった」

 FC東京との”優勝決定戦”をモノにしてリーグ制覇を成し遂げた仲川の胸中には、喜び以上に、ようやく貢献できたという安堵の想いが広がっているようだった。

 右サイドの仲川、中央のマルコス・ジュニオール、左のマテウス(遠藤渓太)、そして頂点のエリキ(エジガル・ジュニオ)。この前線カルテットが奏でる攻撃力こそが、横浜FMの優勝の最大の要因である。奪った得点はリーグ最多の68。1試合平均2得点のハイアベレージでゴールを重ねた。

 ハイラインによるポゼッションスタイルは、リスクと表裏一体だ。ボールを失えば一気に致命傷を負いかねない。昨季はその精度が足りずに残留争いを強いられたが、スタイルの質を高めた今季は開幕から上位争いを演じ、夏場以降にギアを一段階高め、終盤は最終節まで7連勝で頂点へと駆け上がった。

 今夏に加入したエリキとマテウスの存在も大きかったが、シーズンを通してブレなかったのは、”走り切る”意識だろう。ボールを奪えば、前線の4人が躊躇なく前へと飛び出していく。逆に奪われた瞬間はすぐさま踵(きびす)を返し、相手よりも素早く帰陣する。

 スペースを与えないトランジションの速さこそが、今季の横浜FMの強さの秘訣だったように思う。そして、そのプレーを誰よりも体現していたのは、仲川だった。FC東京戦では得点に絡めなかったものの、背後のスペースに出されたボールにいち早く反応し、何度も相手の攻撃を食い止めていたのが象徴的だった。

 テクニカルでありながら、高いインテンシティを実現する。それは仲川だけでなく、チーム全体で共有していた意識だろう。今季の横浜FMは、走行距離とスプリント回数がともにリーグトップを記録した。異質なスタイルの根底には、「走力」というベースがしっかりと備わっていたのである。

 それにしても、なぜ横浜FMの選手たちは、ためらうことなく走ることができるのだろうか。走ったところでボールが出てこず徒労に終わる可能性はあるし、ボールを失えば長い距離を走って守備に戻らなければいけない。リスク管理を考慮すれば、判断に迷いが生まれてもおかしくはないはずだ。

 最終節のFC東京戦で、途中出場からチーム3点目となるダメ押しゴールを決めた遠藤は、その理由を次のように説明する。

「それは去年から今年にかけて植えつけられてきたもの。信じているというか、この選手だったら絶対に出してくれる、ここまで突破してくれるという期待感がある。それができなかったら、そのぶん戻ればいいだけ。ハードワークをしない選手はウチにはいない。そういう信頼感があるから、走れるんだと思います」

 思えば、6月に行なわれたFC東京戦。横浜FMは押し込みながらも、2−4と完敗を喫している。FC東京のしたたかな試合運びの前に敗れた格好となったが、ポステコグルー監督は確信に満ちた表情でこう語っていた。

「まだまだ発展途上だし、学ばなければいけないことはある。今日のようなカウンターで来るチームに対して、どう戦うのか。この教訓をどう生かすかだと思う。しかし、自分のやろうとしているサッカーがここで止まることはない。突き進んでやっていくだけだ」

 それから5カ月後、両者の立場は入れ替わった。選手は味方を信じてピッチを走り続けた。指揮官のスタイルを信じてプレーし続けた。揺るがない信頼と信念が生んだ15年ぶりの戴冠だった。

 
 

No.27 松原健

【J1優勝インタビュー②】優勝するために横浜FMに加入した松原健…「夢が一つ叶って今は本当にうれしい」 | サッカーキング

「タイトルを取るためにきた」。彼は、はっきりと口にする。それくらい“優勝”を渇望していた。2018年には、元日の天皇杯と10月のJリーグYBCルヴァンカップの2度、優勝のチャンスに恵まれたが、ともに決勝で涙をのんだ。熱い男ゆえに、敗戦を消化するには時間が必要だった。

 悔しさを胸に秘めて挑んだ2019シーズンは新戦力の台頭と自らのケガにより、ベンチから試合を見守る日々が続いた。それでもなお、信じた道を突き進んだ。時にはベンチから飛ばす熱いアドバイスと、チームメートを投げ飛ばすちょっと手荒な祝福でチームを盛り上げた。すべては“優勝”を手にするために――。

 試合終了を告げるホイッスルが鳴り響くと、芝生に寝そべって空を見上げた。そして優勝の喜びを味わう仲間たちの輪から一人離れ、ゴール裏を向いて芝生の上に座り込んだ。チームいち、熱い男・松原健。欲しかった“優勝”を手にした夜、彼は何を感じたのだろうか。
 
インタビュー・文=出口夏奈子
写真=兼子愼一郎、三浦彩乃

――まずは優勝おめでとうございます! 優勝セレモニーの前に一人、体育座りをしてゴール裏を眺めていましが、どんな景色が見えていたのですか?
松原 あれは「これが優勝した時の景色か~」って余韻に浸っていました。昨年の天皇杯決勝とルヴァンカップ決勝は地面を見つめることしかできなかったので、本当にファン・サポーターの皆さんが喜んでいる姿を見ることができて、ホッとしたなと。

――今日の試合、立ち上がりからFC東京の勢いに押し込まれる時間帯が長かったうえ、後半には数的不利に陥るなど激しい試合でした。途中からは疲れもありましたか?
松原 試合の終わりに向けて3点目を取った中で、疲れると言うよりはもう1点を狙いにいきたいという思いがありました。ディフェンス陣としては絶対に無失点で終わらせないといけないところでしたし、多少疲れてはいましたけど、むしろ逆にパワーが出ていたかなと思います。

――あまり変な緊張感もなかったように見えましたが……。
松原 それがむしろ逆で、結構ガチガチに緊張していたんですよ、昨夜から(苦笑)。でも、ファン・サポーターの皆さんの応援が緊張をほぐしてくれたかなと思います。

――前節の川崎フロンターレ戦も、そして最終戦も、チームに硬さはあまり見られませんでした。
松原 そこは普段どおり入れたかなと思います。自分自身も最初は緊張していたけど、ボールに触るにつれて徐々にいつもどおりのプレーに戻っていきました。最初ちょっと押し込まれる時間帯があったので、そういったところでまずは失点しないように、ということはみんなで話し合いながらやっていました。

――そういう意味では先制点がすごく大きかったんじゃないかと思います。
松原 そうですね。僕たちは今年、先制点を取った試合ではほとんど負けていないので。先制点を取った時には「この試合も行けるぞ」という雰囲気になりましたし、逆にイケイケドンドンになるわけでもなく、行くところはしっかりと行って守るところはみんなで守る、という攻守においてバランスが良かったかなと思いますね。

――今年は失点数が大幅に減りました。最終戦も無失点で終われたことは、DFとしては大きかったと思います。
松原 そうですね、昨年と比べてチーム全体で守備できるようになったと思いますし、前線のプレスが掛かることで、後ろの守備コースが限定されてきました。だから前の選手たちが頑張ってくれたことで、僕たちのところでボールを取れるシーンが昨年に比べてすごく増えたと思います。

――GKの朴一圭選手との連係面も好調だったと思いますが、今日の試合で言えば、後半に朴選手が退場してしまいました。何かその後に影響はあったのでしょうか?
松原 そこはもう全くなかったです。今年のチームの最大の強みは、誰が出ても同じようなプレーができることです。人の特徴がしっかりと出るようなプレーができるというのが、僕たちのいいところだと思っているので、誰が出ても何も変わらないですし、今日はパギくんの退場で中林(洋次)が久々に試合に出ましたけど、僕が言うのもおかしいですが、心配することは全くなかったですね。彼はすごく落ち着いてプレーしてくれたし、パントキックを狙えるところでしっかりと狙ってくれた。だから僕らも自信を持ってプレーできたかなと思います。

――スタメンで試合に出続けていた昨年とは違って、今年はケガなどの影響もあり試合に出られない期間がありました。苦しい時期だったのでは?
松原 正直……先発から外れた時は「なんで俺じゃないんだよ」と思う気持ちのほうが大きかったです。でも、そういう時間が続いた中で、チームメートやスタッフに話を聞いてもらっていろいろなことを考えました。でも、やっぱりこのチームでサッカーがしたいと思ったんです。ここで仮に移籍しちゃったら逃げになってしまうんじゃないかって、自分で思った部分もあって。僕自身も自分のプレーを信じながら、いつかチャンスが来た時にそれを発揮できるように準備し続けられたというのが大きかったですね。

――踏み止まれたのには、このサッカーで勝ちたいという思いもあったのですか?
松原 どっちかっていうと、負けたくない気持ちのほうが大きかったですね。移籍=逃げでは決してないんですけど、自分が置かれた立場で考えると、ちょっと逃げになってしまうのかなって思ったんです。だからそこは絶対に負けたくなかった。「いつかチャンスが絶対に来る」、「一度はチャンスが絶対に来る」と思っていたので、そのチャンスをモノにできて良かったなって今は思っています。

――やはり気持ちが強いですね。ピッチ内では熱い松原選手ですが、今年はベンチにいる時も、ベンチからチームを熱く盛り上げている姿が印象的でした。
松原 スタッフや試合に出られない選手も含めて、一つのチームです。ベンチの選手が声を出すことによってピッチ内の選手を盛り上げることができると思うし、外から見ることで、「ここをこうしたほうがいいんじゃないか」といった修正にもつながると思うんです。だからそれを途中交代でピッチに入った時にピッチ内の選手に伝えたり、あとはどこが相手チームのウィークポイントなのかがイメージしやすくなるんじゃないかなと考えていましたね。

――それって同じポジションの選手にもしていたんですか? チームメートだけどライバルでもあるので、ちょっと複雑だったりしそうですが。
松原 それがなかったんです。チームの勝利が一番なので。でも正直、結構聞かれたんですよ。昨年1年間、俺がスタメンでプレーしていたので、今年加入した(広瀬)陸斗に「どういうタイミングで入っていますか?」って。その時、俺は「こういうタイミング、こういう感覚で入っているよ」って伝えました。もともと彼はセンスがいいので、言ったことのさらにその上をいくんですよ。「こいつ、すげーな」って(笑)。でもそういうのを見ると、「こういう動き方があるんだな」って逆に自分の成長にもつながるので、陸斗とはお互いに切磋琢磨できて、それが結果的にチームの底上げになったのですごく良かったんじゃないかなって思っています。

――なるほど。いい関係性を築けて、それがチームの総合力につながっていたんですね。
松原 そうですね、特にサイドバックはめちゃくちゃ激戦区だったので(苦笑)。一つひとつの練習から100パーセント以上でやらないといけなかったですし、試合中の選手交代ってサイドバックがファーストチョイスだと思うので、常にいい危機感を持ちながら練習から取り組めたのは、自分にとってはすごくプラスになりましたね。

――外から見ていたことも相乗効果を生んだのかもしれませんが、松原選手がスタメンに復帰した9月からはチームも9試合負けなし(※編集部注:チームとしては8月24日の名古屋グランパス戦から11試合負けなし)と好調を維持しました。どんなことを意識してプレーしていたのでしょうか?
松原 チームのことをもちろん考えていましたけど、正直、まずは自分がスタメンで出続けるためにはどうすべきなのかを考えていましたね。スタメンで出られくなった時に自分で結果を残すしかないという考えになって。それを毎試合やってきた結果が、今日までつながってきたのかなと思いますね。

――それがよりパワーアップした攻撃的なプレーにつながったわけですね。
松原 逆に言うと、僕があそこまで上がれるということは、カバーしてくれる人がいるってことなので。そういうチームメートの助けがないとあそこまで行けないですし、(第27節の)ベガルタ仙台戦のようなゴールは取れなかったと思うので。本当にそういう周りのサポートにすごく助けられましたね。(※編集部注:仙台戦のゴールシーンは、21分に左サイドバックの高野遼選手からのクロスに松原選手がゴール前に走り込んで決めた)

――GKを含めた守備陣に対する信頼感ですね?
松原 信頼感もあるけど……もうね、勢いです(笑)。正直、うちの左サイドにボールがある時にみんなの視線がそっちに向くのは当たり前で、そこに右のサイドハーフが入っていくのはある程度予想ができるわけです。でも、そこにサイドバックの選手が入ってくるとなると、「お前かよ!」と思ったりすると思うので、それを見るのが結構楽しくて(笑)。ちょっとクセになっちゃった。だいたいハーフウェーラインぐらいからビューって斜めに入っていったりするのですが、ああいう動きをすると、ボールが出てきた時に結構フリーでもらえますし、相手のマークも付きづらくなるので、やっていて味をしめてしまったなと(笑)。

――本当に楽しそうにプレーされていましたからね(笑)。攻撃参加と言えば、今年はラストパスの精度も上がったように感じます。
松原 実はね、そういうわけでもないんですよ。どうしてもパスが通ってゴールが決まったシーンばかりがフォーカスされるので、そういう印象が強くなってしまうと思うんですけど、実は結構、一発のスルーパスを狙い過ぎて相手DFに引っ掛かったのが何本もあるんです(苦笑)。だからアタッキングサードではもうちょっと落ち着かないといけないと思っていたので、そこを今後どういうふうに克服していくか。自分をレベルアップさせるためにも必要なところかなって考えています。

――初めての優勝を経験した直後なのに、もう課題が出てきていますね。
松原 そうですね、やればやるほど課題は出てきます。僕の場合は攻撃でフォーカスされがちですけど、守備の部分ではちょっとやられているシーンもあって、見返してみるとDFとしてもっと強くいかないといけない部分が結構ありますからね。DFとしては、まずは最低限守備のところをしっかりとやってから攻撃にいかないといけないですから。

――そういう意味では隣にチアゴ マルチンス選手がいることはとても心強いのでは?
松原 もうね、心強いどころか、誰が見てもアイツがいるから守備が成り立っているとみんなが思っていると思いますよ。ただ、逆にチアゴの高い守備力に甘え過ぎている部分もあると思います。自分がちょっとポジショニングが悪くて裏を取られるシーンもある中で、チアゴが頑張ってカバーしてくれてるからこそ、そこまで危険じゃなくなったシーンはたくさんあるので。仮にチアゴがケガとか出場停止でいなくなった時に、正しいポジショニングができているか。それがどこまでできているかが、今後の課題になってくると思うので、あまり頼り過ぎないようにしないといけないと思っています。

――クラブとしては2004年以来となる4度目のリーグ制覇ですが、松原選手自身は優勝のターニングポイントはどこにあったと考えますか?
松原 8月に清水エスパルス(第21節/0-1)、鹿島アントラーズ(第22節/1-2)、セレッソ大阪(第23節/1-2)と3連敗したのですが、その次の名古屋戦で5-1で勝った第24節がターニングポイントだったんじゃないかなと思いますね。3連敗すると気持ちがすごく落ちるのですが、そこでもう一度、みんなで士気を奮い立たせて5点を取るなんてなかなかできないと思うんです。それに、この名古屋戦から負けていないことを考えると、やはりこの名古屋戦がターイニングポイントだったかなって思いますね。

――3年前、優勝への強い気持ちを胸に横浜FMに加入してきました。松原選手自身の夢も自ら叶えたわけですが、改めて優勝を手にした今、どんな気持ちですか?
松原 僕がこのチームに移籍してきた理由は「タイトルを取ってみたい」からでした。F・マリノスというチームは常に勝っているイメージしかなくて、タイトルを取るにふさわしいチームだと思っていたので移籍してきたんです。その夢が一つ叶って今は本当にうれしいですし、新しいF・マリノスの歴史に自分の名前を刻めたことは今後の誇りにもなります。だから、本当にうれしいですね。

 
 

No.38 山谷侑士


 
 

No.44 畠中槙之輔

激動1年の横浜畠中「技術や迫力など全て違う」手記 – J1 : 日刊スポーツ

J1優勝を果たした横浜F・マリノスでここまで唯一の全試合フル出場を果たしている日本代表DF畠中槙之輔(24)が日刊スポーツに手記を寄せた。チーム唯一の全試合フル出場で優勝に貢献。結婚や日本代表初選出、そしてJ1制覇と、激動の1年となった今季を振り返った。

   ◇   ◇   ◇

満員の日産スタジアムで最高の景色を見ることができました。辛抱強く使ってくれた監督にも感謝しています。19年はこれまでのサッカー人生の中でも思い出に残る1年で自信にもなりました。

昨年8月(J2東京V)から加入しましたが、当初は苦しい時期もありました。試合に出られる自信を持って移籍してきたのに、なかなか使ってもらえない。J1は技術や迫力など全てが違いました。何かを変えようと、身を清めるために1人でパワースポット巡りに出かけようとしたこともありました。危機的状況で支えてくれたのが、今日引退された(栗原)勇蔵君。「お前だったら絶対にチャンスはもらえる。今は準備の期間だ」。ずっと声をかけてくれました。勇蔵君の練習に対する姿勢も学ぶものが多かった。本当に感謝しています。

常時出場し、日本代表にも選ばれた今季はサッカーへの意識も変わりました。リカバリー機器を買ったり、筋肉の質などを確かめるために遺伝子検査もした。代表に選ばれただけで満足せず、その座をキープするため、必要だと思ったものには何でもチャレンジしました。

妻の支えも大きい。今年1月に結婚。自分のために料理の資格もとってくれ、朝、夜は栄養を考えた食事を出してくれる。食卓は、焼き魚とか、1人暮らしでは絶対に食べていなかったものばかり。励みになりましたし、間違いなく試合で体が動くようになった。

今季はこれまでのマリノスの堅守速攻のイメージを変えたかった。今年は守備だけではない魅力的なサッカーができていた自信もあります。実は(前所属の)東京V時代から英語を勉強していて、そのおかげで監督やコーチ、最終ラインのチアゴ(マルチンス)やティーラトンと通訳を介さないで話せた。これは大きかった。今後も伝統あるマリノスで、自分のようなビルドアップが得意なセンターバックとして存在感を出していきたい。そしていつか、マリノスと言えば畠中、という選手になりたいです。

3060分“フルタイム”でV支えた横浜FM畠中「辛抱強く使ってくれた」 | ゲキサカ

 一度もピッチを離れることなく、チームを頂点に導いた。J1リーグ戦で34試合3060分フルタイム出場を果たした横浜F・マリノスDF畠中槙之輔は「自分を信じて使ってくれたし、結果が出ていない時にも出し続けてくれて感謝している。結果で恩返しできて良かった」と振り返った。

 初めてJ1リーグでシーズン開幕を迎え、最後まで主力の座を堅守。相方のDFチアゴ・マルチンスと共にリーグ優勝を最後尾で支えた。「自分の中ではシーズン途中にいつスタメンを外されてもおかしくないと思っていたし、その中でも監督が辛抱強く使ってくれた」。控えめに語ったものの、攻守にわたる存在感は欠かせないものだった。

 今年3月には日本代表に初招集され、今年最後の活動となる12月のE-1選手権までしっかり定着した。「正直、想像できなかった。2019年は自分のサッカー人生の中でも間違いなく思い出に残る一年だった」。そんな24歳はリーグ優勝の景色にも「テレビで見ていた場所だったので……」と感慨深げだった。

 今季、畠中が最も成長したのは「メンタル」の部分だという。「難しい試合とか落としてしまった試合のあとに勝ち星につなげるところ、自分の中でミスを引きずらないところは成長した」。この日は前回4失点を喫したFC東京を相手に完封勝利を果たし、「自信につながった」と手応えを語った。

 それでも日本代表での活動や、マンチェスター・Cとの親善試合で世界に直面したことで、ステップアップへの渇望は増していくばかりだ。「高いところを知ってしまったからには目指し続けないといけないし、さらに上を目指すという意味では自分に満足せずにやっていかなければと思う」と今後の意気込みを示した。

(取材・文 竹内達也)

 
 

個人タイトル

2019 J.LEAGUE AWARDS 4部門受賞! | ニュース一覧 | 横浜F・マリノス 公式サイト

4度目のリーグ優勝から一夜明けた12月8日、都内で開催された『2019 J.LEAGUE AWARDS』にて、横浜F・マリノスが4部門受賞いたしましたので、お知らせいたします。

F・マリノスからは、パク選手、扇原選手、大津選手、喜田選手、マルコス選手、チアゴ選手、広瀬選手、松原選手が出席し、代表活動中の仲川選手は韓国より中継で参加しました。また功労選手賞には、クラブOBの川口能活さんと中澤佑二さんが受賞されました。

得点王/Top Scorer
マルコス ジュニオール選手、仲川輝人選手

優勝監督賞/Manager of the Meiji Yasuda J.League Champions
アンジェ ポステコグルー監督

ベストイレブン/Best Eleven
喜田拓也選手、マルコス ジュニオール選手、チアゴ マルチンス選手、仲川輝人選手

最優秀選手賞/Player of the Year
仲川輝人選手

功労選手賞/Special Service Award
川口能活さん、中澤佑二さん

今季JリーグMVPはマリノスの仲川輝人! 得点王に輝く活躍で優勝に大きく貢献 | フットボールチャンネル

 今季Jリーグの各賞受賞者を発表・表彰する「2019Jリーグアウォーズ」が8日に開催されている。リーグ年間MVPにあたる最優秀選手賞には、横浜F・マリノスのFW仲川輝人が選出された。

 ベストイレブンおよび最優秀選手賞の候補者となる優秀選手賞の受賞者はJ1の18クラブの監督および選手による投票結果をもとに決定され、前日の7日に発表されていた。その中から最も活躍したと評価される選手が選考委員会にて選出された。

 仲川は今季J1で1試合の欠場を除く33試合に先発出場し、15ゴールを記録。チームメートのFWマルコス・ジュニオールと同点での得点王に輝く活躍で、15年ぶりとなる横浜FMのリーグ優勝に大きく貢献した。

 横浜FMの選手が最優秀選手賞を受賞するのは6年ぶり4回目。過去には中村俊輔(現横浜FC)が2000年と2013年の2回、中澤佑二氏が2004年に受賞していた。

 10日から開催されるEAFF E-1サッカー選手権2019に向け、日本代表への初招集も受けた仲川。今後のさらなる活躍が期待される。

得点王は王者マリノスから仲川輝人&M・ジュニオール! 同一チームからW受賞は史上初 | サッカーキング

 明治安田生命J1リーグ第34節が7日に各地で行われ、今シーズンのJ1が閉幕。横浜F・マリノスに所属するFW仲川輝人とFWマルコス・ジュニオールが今季の得点王に輝いた。

 両者は第33節終了時点で15ゴールをマーク。横浜F・マリノスは最終節で2位・FC東京との直接対決を制したが、両者に得点は生まれずそのまま得点王に輝いた。

 14得点を挙げていたFC東京のディエゴ・オリヴェイラは最終節を欠場。13得点を挙げていた清水エスパルスのドウグラスはサガン鳥栖相手に1点を決めたが、惜しくも首位に一歩届かなかった。

 また、同一チームの2選手が同時に得点王に輝くのはリーグ史上初めての記録。15点での得点王はリーグ史上最少記録となった。

 
 

元監督・所属選手

岡田武史氏が横浜V祝福 今治との夢対決も描く – J1 : 日刊スポーツ

横浜F・マリノスの15年ぶりVを、前回優勝時の監督だった岡田武史氏(63=FC今治オーナー)が喜んだ。03、04年に2連覇した元日本代表監督が日刊スポーツに祝福メッセージを寄せ、タレントぞろいだった自身の時代より「試合内容がいい」と絶賛。25年のJ1優勝争いを目指す、来季J3に昇格する今治との夢対決も思い描いた。(聞き手=木下淳)

  ◇    ◇    ◇

横浜の皆さん、マリサポの皆さん、おめでとう。自分たち以来の優勝。うれしいし、心から祝福したい。以前のような日産自動車の全面バックアップが難しい中、サポーターに支えられての優勝。本当に価値がある。お祝いに駆けつけたかったが(FC今治の経営で)人様を見る余裕はなく。会場には行けなかったけれど満杯になったスタジアムの雰囲気は強烈で今でも忘れられないし、今日も同じだったはず。迫力ある後押しを受けての頂点。喜ばしい。

試合は見られる時にDAZNで見ていたが、自分の時より内容がずっと良くて面白かった。両サイドバックが自由に逆サイドまで行くので、全体のバランスを取るのが難しいサッカー。(12位の)昨季は裏目に出た感があったが、よく貫いた。シティの情報網もさすがだ。外れが少なく外国籍選手の質が高かった。前線はもちろん、センターバックのチアゴ・マルチンスが抜群。あの戦術はDFの中央に強い選手がいないと成り立たない。理にかなった補強でクラブの成功。昔の方が選手に名前はあったかもしれないが、仲川のように当たった日本人がいて良質な外国人とマッチした。

マリノスは、自分の監督人生で最もうまくいったと言えるクラブ。思い入れは強い。2連覇した時は個性が強かったよ。マツ(松田)や上野に、安貞桓や柳想鉄という日韓のスター。どちらかを外す決断は悩まされたが、最後は一丸になってくれた。優勝パレードでは(当時会長の)ゴーンから「フェアレディZ」10台を贈ると言われ、怒ったことを思い出す。「その10人を誰が選ぶんだ」と。結局はバスに変えてもらった。

15年ぶりの優勝は最長ブランクと聞いた。マツや(中村)俊輔の移籍に(中沢)佑二の引退などあったが、正直15年は長い。あえて言えば新陳代謝はもっと早くて良かった。歴代の主力は人間性もプレーも疑いようがないが、不思議なもので変化なきチームは伸び悩む。04年から残るのが(栗原)勇蔵だけになった今だからこそ勝てたのかもしれない。

来季は今治がJ3に上がる。まだ太刀打ちできるイメージは湧かないが(25年までに)J1で優勝争いする目標がある。いま育てている選手を、マリノスとも戦えるレベルにしていきたい。(03~06年横浜監督)

水沼貴史が語るマリノス優勝と秘話。小5の喜田拓也、引退の栗原勇蔵へ。 – Jリーグ – Number Web – ナンバー

 15年ぶりにマリノスがJ1優勝を果たしました。OBとして誇らしい戦いぶりでしたし、クラブが躍進した要因をこうやって話せるのは嬉しいですね。

 最終節はリーグの記録を塗り替える6万3854人の大観衆が日産スタジアムに駆けつけ、最高の雰囲気の中でシャーレを掲げることができました。

「マリノス優勝」がよぎったのは第29節の湘南ベルマーレ戦(3-1)。

 ラグビーW杯開催中のためニッパツ三ツ沢球技場で行われたんですが、この日のスタジアムの雰囲気も最終節同様に素晴らしかった。収容は1万5000人ぐらいですが、日産スタジアムに負けず劣らずの熱狂、臨場感。あの試合で選手もサポーターも勢いに乗れたような気がします。

–甦ったマリノスサッカーのDNA。

 ここまで盛り上がったのは、マリノスが「おもしろい=攻撃的」なサッカーを見せたからではないでしょうか。優勝以上に魅力的な試合を多く見せたことに価値を感じます。

 Jリーグ発足以降、マリノスといえば「堅守」のイメージが強かったかもしれません。日本を代表するDFを多く輩出してきたこともありますが、優勝争いに常時加わっていた2000年代前半、岡田(武史)さんが率いていた’04年の優勝時も堅い守備がベースにありました。

 ただ、マリノスの前身である日産(自動車サッカー部)は、読売クラブ(現・東京ヴェルディ)を追い越そうと、攻撃的なサッカーを掲げていました。今回の優勝はもともとマリノスが持っていたDNAが戻ってきたように感じ、とても嬉しかったです。 

–リーダーシップを発揮した喜田。

 1年を通じて、キーマンとなったのは喜田拓也でしょう。

 昨年からのハイライン・ハイプレス戦術を継続する中で、今年変化を感じたのは、無駄な失点が減ったこと。戦況に応じて「少しラインを引いてブロックを作ろう」「今は攻め急ぐな」と選手たち自身がピッチ上で微調整できたことが大きい。

 攻撃のクオリティが上がり、ボールを失わなくなったとはいえ、戦況を見ながら試合をコントロールする役割を担ったのが喜田でした。大枠のフィロソフィーを監督が掲げ、プレイヤーはそれに従うだけでなく、考えながらサッカーをする。自分たちのスタイルをしっかりと打ち出し、継続してやり続けた上積みが証明されたサッカーでした。

 また彼については、キャプテンシーも評価したいところです。

 今季は夏に天野純や三好康児が抜け、さらにトップスコアラーだったエジガル・ジュニオが怪我で長期離脱。途中から加わった新外国人選手をどう融合させるかなど、難しいシーズンだったはず。さらにポステコグルー監督は選手との間にハッキリと一線を引くタイプなので、なおさら選手同士の団結が鍵となります。目に見えないところで喜田がいろいろな働きかけをしていたのは、外からでもよくわかりました。

–顔もプレーも変わらない。

 私が喜田を初めて見たのは彼が小学5年生だった頃。20年近く、Jクラブや町クラブの少年たちを集めて大会(理事を務める、あざみ野FC主催のガチアーズカップ)を開いているのですが、そこにマリノスのプライマリー(小学生の下部組織)も参加していて、喜田もその一員として出場していました。くりくり頭だったかな? 当時から一生懸命走る良い選手で、顔もプレースタイルも今とまったく変わらない(笑)。

 そこからずっとマリノスひと筋。ユース時代からキャプテンを務めていましたし、トップチームでも少なくなった“生え抜き選手”として責任感を背負って過ごしていたと思います。だからこそ、キャプテンマークをつけた喜田がシャーレを掲げている姿を解説席から見て、感慨深かった。立派なスピーチに思わず泣きそうになりました。彼の発した言葉からも伝わるように、周りに気を配れる選手がいるチームは強い。謙虚な人柄なので、引っ張るタイプではないかもしれませんが、縁の下でチームを支える良いリーダーに育ちましたね。

–仲川の良さは「背後」への意識。

 JリーグMVPに輝いた仲川輝人にとっても飛躍の1年となりました。彼の良さは、狙う場所が常に「背後」であること。ドリブラーと言われますが、最初から中へ持ち込もうとはしないんです。まず縦に進み、「深み」を取る。そうすることでマルコス・ジュニオールを生かすスペースも作れるし、中途半端な位置でボールを失うこともない。

 彼の動きを見ていると、相手が背後を警戒していると感じたらよくフェイクの動き(後ろにいくように見せてから止まる)を入れている。指導者も口酸っぱく伝えるけど、日本人でそういうプレーを繰り返せる選手は少ないんです。世界を見ても決定力やスピードだけでなく、この能力がある選手がワールドクラスになれる。(リバプールの)サラーやマネだって、いつも背後を狙っていますからね。「背後を狙ってくる」と相手に思わせている時点で大きなアドバンテージになり、選択肢が増える。少年少女たちの良い見本になったと思います。

 彼はマリノス入団前に膝の大怪我を経験しました。それでも獲得してくれたチームに対して、恩返しの気持ちもあったでしょう。苦労が報われたMVP受賞でした。

–畠中の成長も促したDFチアゴ。

 彼らと同様にマリノスサッカーを支えた選手として、DFチアゴ・マルチンスも挙げておきたい。現在のハイラインを敷く戦術はチアゴがいないと成り立ちません。あれだけスプリントをするセンターバックはなかなか見当たりませんよ。

 彼には仲間に感謝するメンタリティが備わっていました。「前線の選手がプレッシャーをかけてくれるからこそ、自分のプレーを発揮できるんだ」と話していたのが印象的でした。それでいて、味方のプレスの強度が緩んだときは鼓舞もする。ヨーロッパでも十分、通用するレベルだと思います。

 またチアゴの存在があったからこそ、センターバックを組んだ畠中槙之輔が日本代表に選ばれるまで成長したとも言えます。選手が一気に成長するときは、必ずチームにいいパートナーがいるものなんです。直近で言えば、先日A代表デビューした古橋亨梧(神戸)にはイニエスタやビジャがいますし、柏レイソル時代の酒井宏樹(マルセイユ)が代表、欧州とステップアップできたのは、彼の前にレアンドロ・ドミンゲスがいたからこそ。質が高い選手とプレーすると、どんどん伸びる。そういう巡り合わせもおもしろいですよね。

–栗原の隣にはマツ、佑二がいた。

 そしてパートナーという意味では、今季限りで現役を引退する栗原勇蔵も、恵まれたサッカー人生だったのではないでしょうか。

 彼のことはユース時代から知っていますが、昔からとんでもない身体能力を持っていて、ヘディングや対人プレーの強さがずば抜けていた。それでいて、栗原の隣にはマツ(故・松田直樹)や(中澤)佑二がいて、サッカー選手としても、人間としてもたくさんの影響を受けた。そういう出会いを引き寄せられたからこそ、ここまで長くやれたのかなと思います。

 勇蔵は人間として嫌味がなく、気持ちがいいやつ。上には可愛がられ、下にはちょっかい出すような感じ。思い出すのは、よく年下の選手たちにプロレス技をかけて遊んでいた姿かな。そんな姿も微笑ましく見ていました。

 私も引退をするとき、「自分が愛しているクラブ、マリノスで辞めたい」という思いが強かったんですね。彼も近い思いがあったのかもしれない。だからこそ、これからもその経験をマリノスに還元してほしいです。

–「令和はマリノスの時代」と呼ばれるように。

 クラブ全体を見てみると、2014年に株主にシティ・フットボール・グループが加わったことでいろいろな変化も起きました。スタイルにマッチした素早い選手補強、ITを駆使した分析など、優勝に貢献した部分も多いでしょう。一方で現在、マリノスは旧クラブ施設の移転に伴い、複数の練習場を使い分けている状態でもある。そういう環境を乗り越えて結果を出した選手たちは素晴らしいと思いますが、ポステコグルー監督の「美談にしてはいけない」という言葉にある通り、クラブとしての課題もあります。

 それこそ、横浜市や神奈川県を横浜DeNAベイスターズなど、他競技の球団と協力して盛り上げる役も担わないといけません。川崎フロンターレ、湘南ベルマーレもそれぞれ悔しい思いをして、来季は一層強化してくるでしょう。横浜FCもJ1昇格を決めました。ますます競争が激しくなる中で、この勢いを一過性で終わらせてはいけません。

 令和元年のJリーグ優勝ですから、「令和はマリノスの時代」と打ち出せるくらい常勝軍団になってほしい。来年もまたここでマリノスの話ができるよう、期待しています。

(構成/谷川良介)

天国の松田さん、奥さんに届け!横浜Mで2人とともにJ1連覇のエース・久保竜彦氏が特別寄稿 – サッカー – SANSPO.COM(サンスポ)

 2003年、04年に横浜Mの連覇を支えた当時のエースで、元日本代表FWの久保竜彦氏(43)がサンケイスポーツに喜びのメッセージを寄せた。

 優勝おめでとうございます。私が広島からマリノスに移籍して2003年、04年とリーグ連覇して以来、15年ぶりになるんですね。

 ポステコグルー監督が就任して、ボールを保持する超攻撃的なチームになった印象です。それ以前は斎藤学(現川崎)が仕掛けても、絡む選手がいなかった。今は仲川だけでなく、全員が楽しそうに攻めている。うらやましいですね。私がいた頃は守備的なチームでしたから。

 2003年の第2ステージ最終節を思い出します。マリノス、磐田、鹿島、市原(現千葉)の4チームにステージ優勝の可能性があり、3位マリノスは首位磐田と日産スタジアムで直接対決。1-1の後半ロスタイムに私がゴールを奪い、完全優勝(第1ステージも優勝)が決まりました。

 当時の岡田武史監督(現FC今治オーナー)は例え話が好きで「煙突から降りるのは怖い。でも、あと5メートルになると飛び降りても平気に思えてくる。そこでけがをするんだ」と。最後まで気を抜くな、あきらめるなと教わりました。

 松田直樹(11年に病死)、奥大介(14年に事故死)が生きていたら、そんな昔話をしたのかな。彼らのことは忘れません。これからもマリノスは強くあって下さい。(元日本代表FW)

マルティノスが横浜FMの優勝に「本来、浦和がやるべきサッカー」 | サカノワ

 J1リーグ最終節、浦和レッズのFWマルティノスがガンバ大阪戦、3-4-2-1のセンターフォワードで先発し、81分までプレーした。あとは押し込めばゴールというチャンスにも絡んだものの、2試合連続でのゴールを決めることはできなかった。

 本来はウイングを得意としているが、今回は最前線での出場。背後を突く動きなどを狙ったが、G大阪の堅い守備を打ち破ることができなかった。浦和の背番号11は「トップ、ウイング、シャドーとポジションを変えてきて、今回再びトップで起用されて難しさはありましたが、相手に上手く特長を消されてしまいました」と悔やんだ。

 先発に抜擢された33節のFC東京戦では豪快にゴールをねじ込み、1-1で引き分けた。結果的にその1ゴールによりFC東京の勝点「2」を奪い、横浜F・マリノスの優勝を助けることにもなった。

 マルティノスは古巣の優勝を聞くと、真剣な表情で言った。

「前回のゴールはちょっとは助けになったのかなとも思いますが、本当にそれは微々たるものにすぎません。彼らの試合を見ると、交代で出てくる選手を含め、全選手が自信を持ってプレーしています。後ろ、後ろではなく、どんどん前掛かりにボールを奪いにいく。加えてしっかりリトリートもして、それでも守備的ではなく、自分たちがボールを持ってどうするかを考えて、それぞれの選手が発信しています」

「そのようにして、彼らは良いサッカーを見せられていたのかなと思います。ただ、それがマリノスではなくて、本来、浦和がやるべき姿ではないかと、皆さんも思っているとおりだと思います」

 そのように、横浜FMの優勝を悔しみつつも認めていた。

 今季のマルティノスはリーグ17試合1得点、最後の3試合で連続してスタメンに名を連ねた。アジアチャンピオンズリーグ(ACL)は規定によりメンバー入りできず、シーズンラストに、彼らしいキラリと”光る”ものを見せた。

 
 

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【マリノスPHOTO】4度目のJ1制覇!迫力の”喜び爆発”フォトで余韻に浸ろう!ラブラブ夫婦ショットも!? | サッカーダイジェストWeb

【PHOTO】15年ぶりのリーグ制覇を果たした横浜F・マリノスのV戦士を一挙に振り返る! | サッカーダイジェストWeb
 
 


 
 
優勝おめでとう!! 横浜F・マリノスの歓喜の瞬間までをプレイバック【イケメンサッカー選手通信】 | ar(アール)web
 
 

 
 

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