夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2018/10/1) #fmarinos

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夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2018/10/1(月)気づいたら10月に)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

10/5(金)札幌戦は「DAZN DAY」豪華プレゼント抽選&フラッグベアラー募集! | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(プレゼント抽選は、現地での新規加入者向け)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

Twitter / Instagram

 
 

Webニュースログ

2018/09/30 マリノスがここ一番でバタつかなった理由。(二宮寿朗) – 個人 – Yahoo!ニュース

 沸点に到達することはなかった。

 残留争いの苦境に立たされれば、熱血漢で知られるゴールキーパーは周りを鼓舞するようにマグマをたぎらせると勝手に推測していた。現状を打破するために先頭に立って横浜F・マリノスの熱源となることを。

 負けたら、他チームの動向次第で降格圏に落ちる可能性もあった。しかし意外にも飯倉大樹はクールを貫いた。29日、ニッパツ三ツ沢球技場で行なわれたベガルタ仙台戦、彼は黙々と、淡々とゴールを守った。その意味とは何だったのか――。

「熱」よりも「冷」。

 前半アディショナルタイム、奥埜博亮のミドルシュートを弾いた後、すぐこぼれ球にアプローチした場面があった。守備の集中を切らさない。相手のオフサイドではあったものの、一連の動きに一切のよどみがなかった。表情を変えることもない。

 チームは5-2と圧勝してリーグ戦2連勝を飾り、暫定順位は11位まで上昇した。自動降格圏の17位チームとの勝ち点差を5に広げた。

 2失点の内訳はオウンゴールとPKによるもの。アタッカー陣の奮闘があった一方で、最後方の落ち着きぶりがチームの圧勝を呼び込んだように思えてならなかった。対するベガルタの守護神は日本代表に招集され、評価を高めている197cmのシュミット・ダニエル。しかしこの日は181cmの飯倉のほうがとにかく大きく見えた。

 元オーストラリア代表監督アンジェ・ポステコグルー監督を指揮官に迎えた今年のマリノスは伝統の「堅守型」から「超攻撃型」にフルモデルチェンジした。飯倉はハイプレス&ハイライン戦術の象徴的存在となり、ペナルティーエリアを飛び出して広大なスペースをケアしつつ、フィールドプレーヤーの役割もこなすようになった。1試合の走行距離は7kmを超え、ほかのゴールキーパーの1・5倍は走った。

 だが前に出ていくことは諸刃の剣になる。ぽっかり空いたゴールマウスにシュートを放り込まれたり、裏を突かれて簡単に失点してしまうことが続いた。これまでは失点数の少ないチームの上位にいたが、今年は多いほうで上位になった。逆に得点数は川崎フロンターレよりも上回って29日時点でトップに立っている。とはいえ打ち合いに持ち込んでも試合結果にはなかなか反映されず、順位が上がっていかないジレンマがつきまとった。

 飯倉自身も相当、悩んだはずである。

 得点が失点を上回れば、勝利を手にできるという理想は承知している。しかし得点が上回れない現実に直面するなか、チームとしても前半戦ほどの超ハイラインには設定せず、飯倉もリスクマネジメントを考えたポジション、プレーを選択するようになっていく。

「動」よりも「静」。

 敢えて冒してきたリスクを、なるべく抑える。これまでと真逆の「冷」と「静」をふんだんに用いて、マリノスの守備を建て直そうとした。

 飯倉はそれを「割り切り」と表現した。

「何よりも今一番必要なのは結果。ここ数試合、フィールドプレーヤーの役割はわりかし捨てています。つなぐことばかりに気を取られないで、ゴールを守る、勝負に徹するところにより心を落とし込んでいる。残留争いを抜け出すことができたら、やりたいことに対してまたチャレンジしていけばいい。

 いいプレーしても勝てなかったら、それは、いいプレーではなくなると思うんです。自分としては目立たなくてもいいから、勝利のために何ができるかということを大事にしていきたい」

 32歳、ここ最近のスタメンでは最年長者。中澤佑二、栗原勇蔵に続いて、マリノスでは3番目にキャリアの長いプレーヤーになる。

 己の振る舞いが、チームの「温度」を上げることにも下げることにもなる。

 彼はこう言葉を続けた。

「もちろん試合中、(味方に)ガンガン言うこともありますよ。でも気持ちとしては、1歩2歩引いて、どちらかと言うと受け身でいるように心掛けている感じですかね。逆にフィールドのみんなの落ち着きにつながっているのなら、それは別に悪くないのかなとは思う」

 元々、堅守の伝統を持つチーム。J発足時のオリジナル10で降格経験がないのは鹿島アントラーズとマリノスだけ。落ち着き払った飯倉のプレーは『バタつく必要などない』という強いメッセージを発していた。「超攻撃型」を目指しつつも、無理を通そうとはしない。迷うことが一番やってはいけないこと。「割り切り」にはその意味も含まれているような気がした。

 飯倉に話を聞いた後、クラブのレジェンドである松永成立ゴールキーパーコーチに取材エリアですれ違った。飯倉の落ち着きについて水を向けると、「非常にいいメンタルの状態でやれていると思いますよ」と応じた。

 マリノスが残留争いにはっきりと巻き込まれる形になったのが、16日ホームでの浦和レッズ戦。1-2で敗れ、自動降格圏17位との勝ち点差は2に縮まった。

 試合が終わればノーサイド。レッズの控えゴールキーパー榎本哲也が歩み寄って飯倉の肩をポンポンと叩いた。榎本はマリノス時代、飯倉とずっと正ゴールキーパーの座を争ってきた良き先輩であり、良きライバル。後で榎本にどんな会話を交わしたのか尋ねると、後輩に何か励ますような言葉を送ったわけではなかった。飯倉の表情を見て、必要ないと思ったのではないだろうか。

 残り6試合、大混戦のJ1残留争いは最後の最後までもつれそうな気配だ。マリノスだって1つ負けたら、またどうなるか分からない。しかし大事な局面でバタつくことなく勝利を収めた事実は、大きなアドバンテージ。飯倉大樹が発信する「割り切り」が、チームを前に向かわせている。

2018/10/01 【ライターコラムfrom横浜FM】アタッカーから中盤のハードワーカーへ…大津祐樹・28歳でのモデルチェンジ | サッカーキング

 28歳といえば一般的にサッカー選手として最も脂が乗る時期である。このタイミングでのモデルチェンジをいったい誰が想像できただろう。

 大津祐樹はサッカー人生のほとんどをアタッカーとして歩んできた。柏レイソルでも、ロンドン五輪代表でもそうだった。横浜F・マリノスに加入した今季も、「前線ならどこでもプレーできる」との宣言どおり、センターフォワードやウイング、あるいはトップ下で起用されてきた。時にインサイドハーフでプレーすることはあっても、どちらかというと高い位置取りからスタートする役割が多かった。

 転機が訪れたのは第25節の古巣・柏戦だった。負傷によって山中亮輔が27分に交代を余儀なくされると、中盤の喜田拓也が左サイドバックへスライドし、急きょ出場した大津がインサイドハーフの位置に入った。大津はボールをキープする相手を追って、追って、とにかく追いかけた。ボールホルダーにプレッシャーをかけ、パスでいなされても再びプレッシャーをかける。二度追い、三度追いを繰り返してハードワーカーとしての高い資質をのぞかせた。

 続くルヴァンカップ準々決勝のガンバ大阪戦ではホーム&アウェイともに先発出場して勝利に大きく貢献。日本代表に追加招集された天野純の穴を埋めるだけにとどまらず、中盤のエンジン役としてチームに活力をもたらした。第1戦では自らゴールも決めたが、「スタートポジションを変えて、まず守備から試合に入っている。中盤のところでボールを奪えればチームとして前へ出て行ける。今日のゴールは自分にとってオマケ」と平然と言ってのけた。

 この変貌ぶりにはプレースタイルやポジショニングだけでなく、メンタル面の変化がある。9月29日に行われたベガルタ仙台戦前日のコメントがそれを象徴している。「自分の感覚としてはボランチ。これまではこの位置でプレーする時に7対3くらいで攻撃に比重を置いていたけど、今は4対6くらいで守備を強く意識している。自分にとって新しいスタイルだけどやっていて楽しい」

 一般的にインサイドハーフ、アンジェ・ポステコグルー監督がシャドーと呼ぶこのポジションを、大津本人はボランチと捉えている。5-2で大勝した仙台でも大津は戦前の言葉どおりのプレーを体現した。自分たちがボールをキープする時間が長かったとしても、100パーセントの保持は不可能。考えていたのはボールを失った瞬間の初動だ。

「相手はカウンターを狙っていて、自分たちがボールを失ったところを攻撃の起点にしていた。だから攻守の切り替えのところで相手の攻撃の起点をつぶすことを考えてプレーした」

 チームとしてボールを保持している場面でも、常にリスクマネジメントを念頭に置く。だからこそ相手ボールになった瞬間にプレッシングの急先鋒になれた。これにはアンカーを務める扇原貴宏も、「祐樹くんは運動量があるので自分としても助かる」と賛辞を惜しまない。

 もともと持っている身体能力を最大限に生かすためには? 売りとしているダイナミックさをチームに還元するためには? 一般的に攻撃の選手がつけるはずの背番号9は、中盤の底に新たな居場所を見つけつつある。

文=藤井雅彦

2018/10/01 Jリーガーから政治家へ、社会に切り込むドリブラー – サカバカ日誌 – サッカーコラム : 日刊スポーツ

「セカンドキャリア」という言葉がある。アスリートとしてのキャリアに別れを告げると、必ず第2の人生に直面する。どう生きるか-。人生の岐路に立ち、誰もが悩むことだろう。ただ本人次第でセカンドキャリアは無限に広がるもの。そんな一例を紹介したい。

東京・町田に政治家として活躍する元Jリーガーがいる。町田市議の星だいすけ(本名・星大輔)さんだ。星さんは横浜F・マリノスを皮切りに7つのJクラブでプレーした後、J2町田ゼルビアのフロント業務に6年間携わった。

■2月の町田市議選で当選

昨年末にクラブを退社すると、ことし2月の町田市議選に自民党の公認を受けて出馬(定数36に44人が立候補)し、5884票を集め3位で当選した。どうして政治の世界へ? 今はどういう活動を? 聞いてみたいことは山ほどある。そこで異色のセカンドキャリアを歩む星さんを町田市役所に訪ねた。

爽やかな笑顔で出迎えてくれた星さんに、単刀直入に質問した。議員になったきっかけは何でしょう?

「町田ゼルビアで引退し、最初はコーチとして“第2の星大輔を育ててくれ”と言われました。でも僕の中でピンとこなくて、スタッフとして営業とかやらせてもらいました。そこで、これだけサッカークラブというのは地域の人たちに支えられていることが本当によく分かった。また、(クラブを)ボランティアで支えてくれている人たちの暮らしを支えたいな、そういう支援をしたいなと思って。地元ですし、まだまだ僕がサッカーを始めた頃からグラウンド環境が全然変わっていないので、そういったところも変えて行きたいなって思いました」

まず政治家転身の理由を聞いたところで、サッカーキャリアの話へ。「サッカーの街」町田育ちの星さんは、幼少期からサッカーに打ち込んだ。技巧派の攻撃的ミッドフィルダー。FC町田ジュニアユース(南大谷キャッツ)から横浜ユースを経てトップチームに昇格した。同期ではただ1人という厳しい競争を勝ち抜いた。その課程である出来事があった。

プロへの登竜門となるユースでは毎年面談があった。「お前はトップに昇格する可能性がないからユースやめて部活に行っていいよ、大学目指せばって言われます」。当初15人ほどいたメンバーはどんどん抜け、最後は3人になった。

「僕も高校3年の6月に呼ばれて『お前はプロになれない』って言われたんです。絶望感を味わった。その時、高校で1人の友人に『もうプロになれない』って言ったら、『そんな弱音はくな!』ってめちゃくちゃ怒られたんですよ。『お前が頑張っているのはよく知っている。マリノスに入れないかもしれないけど、ほかにプロって何チームあるんだ、大学に行ってからでもプロになれるんじゃないか』。もう殴られそうな勢いで怒られた。そこでパッと気持ち切り替わって。まだ夏休みあるし、もう1回死ぬ気になってやってみようと、すべてをかけた。そこから自分のパフォーマンスも上がった。そうしたら9月に呼ばれて、うちと契約をしてくれという話になった」

■マリノス皮切り7クラブ

横浜を皮切りにプロ人生がスタート。当時の横浜は消滅した横浜フリューゲルスからも選手が合流していた。川口能活、井原正巳、小村徳男、松田直樹、三浦淳宏、城彰二、中村俊輔ら日本代表の錚々(そうそう)たるメンバーが揃っていた。「練習についていくのがやっと」。J1の出場機会はなかった。

その後、FC東京から大宮アルディージャへと渡り、再び復帰したFC東京で待望のJ1デビューを果たした。プロ4年目だった。さらにモンテディオ山形、京都サンガFC、栃木SC渡り歩いた。最後は当時JFLだった故郷のゼルビアに戻ってプレーした。

「地元でやりたいなと。でも相談した時に経済的に厳しいと言われました。僕は結婚してすぐだった。当時まだJFLで財政基盤が整ってなく、給料は払えないから無理だとなって。だけど地元の有志の人たちが、営業をいろんなところにしてお金を集めてくれ、それを僕に支払ってくれた。そういう人たちが僕を呼んでくれた」

地元への感謝の思い。「最高の舞台」で競技人生を終えることができた。13年間のプロ人生でJ1リーグ28試合1得点、J2リーグ132試合19得点、JFL43試合10得点。決して華々しいものではないが、アキレス腱断裂などの重傷を乗り越え、13年というキャリアは立派なものである。

そしてセカンドキャリアが始まった。一般的にサッカー選手なら引退後、指導者になるケースが多い。だが星さんはなぜクラブのフロントを選んだのか。

「まだ政治という頭はなかったですけど、普通のサラリーマンでも経験してみたいなってあった。高校までサッカーばっかりでサッカーバカでしたので」

現役時代の終盤、ケガで長期離脱した。国立スポーツ科学センター(JISS)に滞在し、様々なスポーツでオリンピックを目指す選手たちと一緒にリハビリしたことが、その後の考え方に影響を与えたという。

「個人競技の人が多かったですが、衝撃を受けましたよね。賢いというか先を見ているというか、将来のことをすごく考えている。僕なんて、このケガをどう治してどう復帰しようかと目先のことしかなかった。いろんな本を紹介してもらったり、話を聞いたりして、様々な考え方を勉強させてもらいました」

ゼルビアでは6年間のフロント業務に励んだ。肩書は「営業ホームタウン課長」。つまり何でも屋だ。

「ゼルビアの最大のライバルはディズニーランドだって、僕らも言ってて。山の中のスタジアム(町田市陸上競技場)にどう足を運んでもらうか。というのを僕もない頭を、みんなと運営スタッフ少ない人数で言い合って、それを拾って。小さいクラブなので『じゃあ、やってみろ』というのがあったので」

星さんが考えた企画は「エスコート女子大生」や「スカートの日」などユニークなものが多かった。「バカなことを言いながら楽しく。それが実現するとうれしかったです」。マイク片手にイベントも仕切れば、スーツを着込んで営業も積極的にこなした。「本当に勉強になったし、視野も広がった」。そして芽生えた思いが「政治家」だった。

■Jデビュー戦より「緊張」

実は今から4年前の2014年にも出馬を考え、妻へ唐突に切り出したら「バカじゃないの、無理でしょ」と一蹴された。一度は胸の奥にしまいこんだ思い。だが自らを育ててくれた大好きな故郷への思いが再び首をもたげた。17年春、クラブ社長に「今年いっぱいで退職したい」と申し出た。

17年12月に退社、わずか2カ月の準備だった。18年2月25日の町田市議会選に出馬し、見事に当選した。町田のクラブ同様、多くのボランティアにささえられての勝利だった。3月9日から議会が始まると、その数日後には一般質問に登壇していた。

「J1デビューがFC東京にいた時(2002年の)のレッズ戦だったんですけど、その時よりも緊張しましたね。ずっと手に汗をかいていました」

公約には、J1昇格へネックとなっている町田市陸上競技場の改修問題などスポーツ環境の整備がある。さらに訴えたかったのは子供たちの未来だ。「テニスの大坂選手を見て、あーやってテニスをしたいという子に環境がないとかわいそうだと思います」。

日本では来年にラグビーワールドカップ、そして2年後には東京オリンピック・パラリンピックがある。町田にはゼルビア以外にもフットサルFリーグのペスカドーラ町田、そしてラグビートップリーグのキャノンイーグルスが本拠地とする。

「ラグビーワールドカップが来る、オリンピックが来る、その先に何ができるか。何を用意しておけるか、ですね。障がいを持っている人もお年寄りも、誰もが気軽に安心してできるスポーツ施設を」

さらにこう続けた。

「今、町田も地域スポーツクラブというのをつくり始めていますが、なかなか進んでいかない。僕の本当の理想は、中学でも部活動とかありますけど、その部活動でスポーツをするんじゃなくて、それぞれが地域スポーツクラブで運動する。運動だけじゃないです、保育園も幼稚園も塾も地域スポーツクラブにあって。その中心にゼルビア、ペスカドーラ、キャノンイーグルスというプロチームがある。そうなっていくのが最大の理想です」

学校の部活動を見直す動きが日本全体にある。教員への負荷が大きく、働き方を考える一因になっている。そこへ地域に根差したスポーツクラブが介在することで、誰もが安全に参加できる体制をつくるというのが、星さんの考えだ。

そんな話を聞きながら、昨今の若者の政治離れという話題が頭に浮かんだ。政治は本来、誰にとっても身近な存在である。だが、どこかで面倒臭いイメージが付きまとうのだろうか。

「面倒臭いというより自分には関係ないと思っている。僕も実際に前はそう思っていましたし、自分が関わらなくても大人の人たちがやってくれると思っていた。でもそうじゃない。学校のこともそうだし、若い人も保育園、幼稚園のこととなれば、自分の子供を守る問題になってきますからね」

6歳と3歳の2児のパパ。その言葉には実感がこもる。

■議員もJリーガーも同じ

議員になって分かったことがある。「議員もプロフェッショナルで選手と同じ」。選ばれし者が集まり、町田という“チーム”のために高いモチベーションを持ち切磋琢磨(せっさたくま)している。「僕は高卒で頭の良さでは負けてしまうので(笑い)、アイデアと発信力で頑張ります」。SNSを活用し、自らの行動を小まめに発信し、Jリーガー時代さながら“ピッチ”を駆け巡る。

元Jリーガー議員は他にも浦和市議の都築龍太氏、大分市議の高松大樹氏がいる。将来は国政へ? と尋ねると「それはないです。町田が大好きなので、ずっと町田にいたい」。そう話した上でこう言った。

「今いる子供たちがスポーツだけじゃなく幼稚園や学校も、よりよい環境づくりをしたい。そして10年後も20年後も30年後も、この町田市に住み続けたいと思ってくれるように、街づくりをしたいと思います」

Jリーグ誕生から25年が経った。地元に育てられて成長した選手が、地元へ戻って形を変えて貢献する。Jリーグが創出した「ホームタウン」の理念はしっかり根付いている。【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)

 
 

 
 

今日のこけまり


【ロコさぬレポート】2018/9/29(土)14:00KO J1第28節 横浜F・マリノスvs.ベガルタ仙台@ニッパツ三ッ沢球技場
 
 

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