夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2018/8/9) #fmarinos


夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2018/8/9(木)台風の影響は少なかった横浜です)
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Instagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

大和ゆとりの森 8月短期サッカースクール開催のお知らせ | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(小学3・4年生対象で、8/28と8/30の2日間。試合日(8/29)避けました!)
 
 

今日の練見(れんみ)


 
 

Twitter / Instagram

(´-`).o0(none)
 
 

Webニュースログ

2018/08/10 ポステコグルー監督 3連敗中も強気「結果だけで見ていない」― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 横浜は11日の湘南戦に向け、約1時間半の練習を行った。前節5日の川崎F戦は0―2で敗れ、リーグ3連敗中。ポステコグルー監督は「結果だけでサッカーを見ていない」と強気の姿勢を崩していないが、紅白戦前には珍しく青空ミーティングを約5分行うなど、勝利への執念をうかがわせた。

 川崎F戦は90分でシュート3本と低調な内容に終わったこともあり、FW仲川は「シュートを打たないことにはゴールに結びつかない。シュートで終わることが大事」と力を込めた。

2018/08/09 横浜FM、ブラジル人CBをターゲットに? 期限付き移籍での獲得に向け交渉中か | フットボールチャンネル

 J1リーグの横浜F・マリノスが、ブラジル1部のパルメイラスに所属する23歳のブラジル人DFチアゴ・マルティンス獲得に動いているようだ。8日にブラジルの『ESPN』が報じている。

 同メディアによると、横浜FMがレンタル移籍の形でマルティンス獲得に向けた交渉を行なっているという。その影響からか、現地時間9日に行われるポルテーニョ戦のメンバーに招集されていないようだ。

 マルティンスは今季公式戦11試合に出場し1得点を記録。身長185cmのセンターバックだ。横浜FMは最近の試合で失点の多さが目立つだけに、守備の立て直しを考えているのだろう。

2018/08/08 横浜ポステコグルー監督、本田圭佑の活躍に期待 – J1 : 日刊スポーツ

 元オーストラリア代表監督で、横浜F・マリノスのアンジェ・ポステコグルー監督(52)が8日、オーストラリア、メルボルン・ビクトリーへの移籍を発表した日本代表MF本田圭佑(32)の活躍を期待した。

 同監督は12-13年シーズンにメルボルンの監督を務めており、13年10月からはオーストラリア代表を約4年間指揮。ワールドカップ(W杯)予選などで日本とは計3度対戦し、数々の死闘を繰り広げてきた。ライバル国の選手として見てきた本田のメルボルン入りについて「とても素晴らしい経験になると思います。本田選手の今までのオーストラリアでの思い出は(スタジアムで)ブーイングをされたことかもしれないが、今度は声援が送られてくる。(本田も)移籍を楽しみにしているのではないでしょうか」と笑みを浮かべつつ話した。

 メルボルンについては「スタッフもコーチも素晴らしく、オーストラリアで最も成功を収めているクラブだと思います。サポーターのクラブ会員数も多く、本田選手が入ることによって(会員が)3万人ぐらいに増えると思います。Aリーグとしても、こういった選手が来ることはいいこと」と話した。

 オーストラリアのAリーグはサラリーキャップ制を導入しており、昨季は1チーム(20~26人)の総年俸額は293万豪ドル(約2億4100万円)以下に制限されていた。しかし、本田は同リーグが定める年俸制限のない「マーキープレーヤー」という特別待遇で迎えられる。期間は異例の10カ月で年俸は360万米ドル(約3億9600万円)という破格の金額だ。

 ポステコグルー監督はこの「マーキープレーヤー」の役割について「間違いなくパフォーマンス、結果が求められ、新しい観客をリーグにもたらすことが期待されています」とし、「その中で、わくわくするような選手をサポーターが求めている中では(本田は)得点も決められますし、完璧な存在だと思います」と期待を込めていた。

2018/08/08 “文武両道”から生まれたJリーガー中町公祐が歩んだサッカー人生とギアへのこだわり Vol.1 | King Gear [キングギア]

–サッカー優先、でも勉強も

――サッカーを始めたきっかけは?

中町: 4歳の時に親にやらされたのがきっかけです。

4歳から小2まで埼玉に住んでいたのですが、埼玉って結構サッカーが盛んじゃないですか。

当時通っていた幼稚園にはクラブチームがあって、そこに所属していました。小学校も、さいたま市立下落合小学校というとこで。

全国大会で優勝経験があるような強いとこで。武南の大山(照人)監督の息子さんが5個上にいました。そんないい環境が整っていました。

――そこから、中学高校ではどのようなキャリアだったのですか?

中町: 親の仕事の関係で小2の時に群馬の前橋に移って、そこでまた良いチームないかなと探していました。

そしたら、前橋なら小林勉先生がいるFC前橋ジュニアが良いって話になりまして。そこから小中とその強豪のチームでやれました。

高校時代は、親が教育熱心だったというのもあり、県内だったら前橋育英や前橋商業がサッカー強豪校としてあったのですが、前橋育英からは特進クラスで来てくれって言われたんです。

サッカーではなく、勉強の方で。サッカー選手としての自分のプライドとしてそれは、納得のいく進路じゃなかった。

今まで積み上げてきた文武両道を実践したいと思い結果的に高崎高校に進みました。

――高校の時代のお話を聞かせてください。

中町:進学してサッカー部入って、まず驚いたのが、遠征とか行った時にみんな単語帳開いているんです。

ゲームしたりとか、トランプしたりとか、そういった息抜きではなく、みんな参考書や単語帳持って、バスの中や宿舎で勉強していたんです。部員ほぼ全員。これは参ったなと思いました(笑)。

僕は1年の時から試合に出させてもらっていたので、当時は勉強よりサッカーに重きを置いていました。やっぱり選手権に出たい気持ちもあったし。でももちろん、文武両道で頑張っていました。

これは親の教えも影響していますが、僕らくらいの世代っていうのは、”筑波大→Jリーグ”というのがある意味一番の成功ルートではないかと思っている部分がありました。

勉強できて、サッカーもできる。それを小さいころから植えつけられたというのもあります。

――Jリーグへの意識、それはお父様がずっとサッカーやられていたことが影響しているのですかね?

中町:そこまでやってないんですよ。大学の同好会くらいで。僕が4歳の頃はまだJリーグないので、なんでそんな熱が入っていたのかがよくわからないですけど・・・。

――文武両道の環境だった高校時代が、Jリーガーを目指すきっかけになったのでしょうか?

中町:高校時代ではない気がします。僕が小2でJリーグできたので、その時にはJリーガーになりたいという思いはありました。

高校時代だと、湘南ベルマーレから「練習参加に来てくれ」って声をかけて頂いたのが、一番Jリーグを身近に感じられた瞬間です。

――高崎高校の勉強熱心な環境にいる中で、サッカーではなく勉強の方で進路を考えることはなかったですか?

中町:そっちの道で生きるっていうのは全然考えてなかったですね。逆にサッカーありきでしたから。

僕の小学生時代には『サッカーバカ』っていう言葉流行っていて、当時のマンガとかでもそういうとこにフォーカスされていたような気がします。

けれど、僕はそうじゃなくて、サッカーもできるし勉強もできるけど何か言えますか?って(笑)。

すべて出来ないと気が済まないというのがアイデンティティーでしたね。 サッカーバカとは違いますよ!って思っていました。もちろん口にはださないですけど。

―― Jリーガーとして湘南ベルマーレ入りしてから、サッカー選手としての生活はいかがでしたか。

中町:それこそ、高校までは勉強とサッカーの比率っていうのがほぼ五分五分でしたけど、それがサッカー1本、仕事になったわけですから、だいぶ変わりましたね。

2018/08/09 文武両道”から生まれたJリーガー中町公祐が歩んだサッカー人生とギアへのこだわり Vol.2 | King Gear [キングギア]

–ベルマーレからのクビ宣告、そして大学へ

――一度プロの扉をたたいて、湘南ベルマーレを退団した後、次を考えるタイミングでもあったと思います。特別自分でこうしたかったけれど上手くいかなかったことなどありますか??

中町: これが全くなかったんです。湘南の4年間で66試合出てるんですよ。周りの同期と比べても出場している方ですし。

当時、あるクラブスタッフには、納得いかないことがある度に結構意見を言ってしまって・・・。今思えばもっとうまい伝え方あったんでしょうけど、当時は納得いかないことはとことんぶつかっていきましたね。

もうちょっと上手く解決をしていく方法をとれれば良かったんでしょうけれど、当時の自分にはその懐の深さはなかったのかもしれません。

――クビになった時、やはりショックでしたか。

中町: う~ん。なかったんですよこれが。逆に言うとクビになった瞬間というよりも、そのシーズン途中から全く出られなくなったことの方が悔しかったですね。

最後の勝負をかけていた年だったので。一回だけ泣きながら、「俺はJ1で活躍できる選手だ」と悔しさを噛み殺した日がありました。

ベルマーレをクビになったということに対するショックや、チームがなかったという悲愴感もあまりなく、「慶應でお願いします!」となった後は、自分の中では覚悟が決まっていたので、自分がJ1で活躍するイメージというか、漠然としたものだけど自分がステップアップしていくイメージは持っていました。

学生だと、試合に出られない選手が試合に出ている選手を応援するわけで、これってプロにはないこと。 プロだと、味方同士とはいえライバル関係だから、心の底から同じポジションの選手を応援できるといったら正直そうではない。

そういう意味で、慶応では原点を感じられたので嬉しさもあったし、監督に信頼される喜びもありましたね。

プロとして全部用意されている環境から、1からやっていくという環境が全く嫌ではなかったし、自分のタイプ的に、監督に信頼されることももちろん大事なのですが、自分に近い選手同士から信頼を得たかったので、その部員たちの信頼を得るために何をするか、ということを考えることがむしろ楽しかったです。

–Jリーグへの復帰した中町選手の現在地

――その後アビスパ福岡に入り、改めてJリーグに戻られるわけですが、その時の思い出を教えてください。

中町: あの年(2010年)がいちばん楽しかったですね。プロとして自分が活躍して登っていくのを実感したのが、あの年でした。年間10得点取れたし、そしてJ1昇格もできましたし。

―― そして2012年、今の横浜F・マリノスの話がくることになりますね。

中町: 内情的には本当に悩みました。アビスパ福岡がJ2に降格してしまったし、その年はキャプテンでしたから。

ただ、ステップアップのためにはアビスパとは別れる時なのではないかなと。気が付けば7年マリノスにいますね。自分の中でもいちばん長いキャリアになっています。

――しがらみとか条件とか全く関係なく、本当はここでプレーしたかったという場所はありますか?

中町: 国内でいうと、嘘偽りなくF・マリノスです。自分が小さい頃はヴェルディかマリノスの時代だった。マリノスのスマートさに惹かれていて、キャップとかも持っていたくらいです。

海外だと、英語圏の海外のクラブですね。サッカー選手として海外に行っておきたいという夢はありますよ。自分の中で興味があるのは特別ヨーロッパというわけではないですね。
海外ならどこでもというのはあります。 しいてあげるならアメリカですね。サッカー以外のエンターテイメントなところとかに惹かれます。

――人生を考える上で、サッカー選手の人生が終わってからのことも色々考えることがあるかと思います。なにか今、こんなことがやりたい!と思うことはありますか?

中町: 周りの幸せが自分の幸せという価値観なので、ボランティアや教育系などにかかわりたいなと思っています。

お金を稼いでも自分のために使うというよりは人のために使いたいですね。

アフリカにボールを送ったりとか。あと、今は病院との関わり合いの中で医療系のことで色々実行しているものもあります。その規模は今後も広げていきたいと思います。

(´-`).o0(vol.3は、明日
 
 

 
 

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