夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノスまとめ(2018/1/30) #fmarinos

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夕刊こけまり:今日の横浜F・マリノス(まとめ)

(´-`).o0(2018/1/30(火)雪予報が出ているので物流系業務を早めにやっつけてます(そんなに降らない? )
 
 

アンカー(目次)

1.横浜F・マリノスオフィシャルサイト
2.今日の練見(れんみ)
3.Twitter / Istagram
4.Webニュースログ 
 
 

横浜F・マリノス オフィシャルサイト

生駒仁選手、町野修斗選手と棚橋尭士選手(横浜F・マリノスユース所属)NEXT GENERATION MATCHメンバー選出のお知らせ | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(2/10(土)のゼロックス杯の前に開催)

タンゴヤ株式会社 オフィシャルパートナー決定のお知らせ | 横浜F・マリノス 公式サイト
(´-`).o0(公式スーツを提供)
 
 

今日の練見(れんみ)

(´-`).o0(トップチームはオフ)
 
 

Twitter / Istagram


 
 

Webニュースログ

2018/01/30 J1観戦者層、平均最年少は横浜の36・6歳 若者の来場増か― スポニチ Sponichi Annex サッカー

 Jリーグは29日、17年シーズンのスタジアム観戦者調査結果を発表した。J1の観戦者平均年齢は調査開始以来初めて前年比マイナスとなり、0・7歳低下の40・1歳。リーグ平均も41・7歳で、前年を0・1歳上回るにとどまった。

 Jリーグは中継主体がインターネット動画配信「DAZN」になり、若年層への訴求力が高まったことが要因の一つと分析。クラブ別では横浜が平均36・6歳と最も若かった。調査は昨年4〜9月まで、J1、J2の40クラブのホーム試合に来場した11歳以上の男女1万7136人から有効回答を得た。

2018/01/30 横浜FM仲川輝人、大卒4年目の覚悟。2年連続の期限付き移籍から復帰、その真意 | フットボールチャンネル

横浜F・マリノスでプロ4年目を迎えるFW仲川輝人は、J1でまだ6試合しか出場できていない。かつて大卒No.1の実力者と評価されながら、2年連続でJ2への期限付き移籍も経験した。そして今季、指導体制が一新されたチームに復帰。もちろん定位置が約束されているわけではない。それでもあえて厳しい道を選び、激しい競争の中に身を置くことを決断した男の胸中に迫った。(取材・文:舩木渉)

–プロ入り前に突如襲った悲劇

 アンジェ・ポステコグルー新監督の下でスタートを切った横浜F・マリノスの2018年。始動からグラウンドでひときわギラギラした雰囲気を漂わせる男がいた。プロ4年目のシーズンを迎える仲川輝人である。

 昨季後半戦はJ2のアビスパ福岡に期限付き移籍していた25歳は、人一倍強い決意を胸に新シーズンのスタートを迎えていた。

 一般的に大卒選手に与えられている時間は、高卒選手のそれよりも短い。最も大きな理由は年齢だろう。高卒選手が18歳でプロ入りできるのに対し、大卒選手は22歳でプロの世界に足を踏み入れる。その段階で4年のビハインドがあり、大卒選手にはプロ1年目からより即戦力としての貢献が求められる。

 2011年から2014年に関東大学リーグ1部で4連覇を成し遂げた専修大学の中心選手で、3年次の2013年には同リーグ得点王も獲得した仲川。同じ年には上級生の天野純(順天堂大→現横浜FM)や長澤和輝(専修大→現浦和)、谷口彰悟(筑波大→現川崎F)、赤崎秀平(筑波大→現川崎F)、下田北斗(専修大→現川崎F)らとともにユニバーシアード競技大会にも出場した。

 大卒としてプロ入りする以上、すぐに結果を求められる。とはいえ大学サッカー界屈指の実力と実績を兼ね備え、当時の「大卒No.1ルーキー」として高い評価を得ていた仲川にはJリーグでの順風満帆なキャリアが待っていると思われた。

 そんな彼を取り巻く状況が一瞬で変わってしまう事件が起こったのは2014年10月19日のことだった。関東大学リーグ1部も終盤に差し掛かった第18節の駒澤大学戦、専修大学が5-3でリードして迎えた終盤、自陣ゴール前に戻って決死のカバーを試みた仲川に相手選手が突っ込んで右ひざを負傷してしまった。

 診断結果は右の前十字じん帯と内側側副じん帯断裂、右ひざ半月板損傷という大けがだった。

–2年連続で夏に移籍。後悔はないが…

 まだJリーグクラブへの加入が正式に発表されていない状況での負傷で、その後のキャリアに暗雲が立ち込めた。それでも2014年10月28日、横浜FMが仲川の2015年シーズンからの加入内定を発表する。そうして無事にプロ入りが決まった。

 とはいえ先述した重傷もあり、復帰まで確実に半年以上かかる状況。2015年に入っても、チームの全体練習から離れて1人でマリノスタウンのピッチをランニングする仲川の姿があった。結局、横浜FMでの公式戦デビューは2015年9月6日の天皇杯2回戦・MIOびわこ滋賀戦。悪夢の負傷から11ヶ月の時を経て復活を印象づけた。

 その後11月に右ひざ外側半月板の手術を行ったこともあって、最終的にプロ1年目のリーグ戦出場は2試合、復帰戦になった天皇杯も合わせて公式戦3試合の出場にとどまった。

 捲土重来を期して迎えた2016年も壁にぶち当たる。選手層の厚い前線で定位置を掴むに至らず、前半戦でリーグ戦4試合の途中出場にとどまり、出場機会を求めてJ2のFC町田ゼルビアへ育成型期限付き移籍を決断した。

 町田では12試合に出場して3ゴールを挙げる。先発でコンスタントに出場を重ねて復活を印象づけた。そして改めて2017年は横浜FMに復帰し、ポジション争いに挑む。だがウーゴ・ヴィエイラや伊藤翔、富樫敬真といった選手たちとの競争で後塵を拝しJ1での出場がないまま、7月にJ2のアビスパ福岡に期限付き移籍した。

 今季はプロ4年目。J1での出場はいまだ6試合。それでも横浜FMへの復帰を選んだのは何故なのか。

「自分がマリノスで1年間しっかり戦えていないという気持ちが一番強いですね。夏までに出場機会を得るために(期限付き)移籍を繰り返していたことを後悔しているというわけではないですけど、マリノスでしっかり1年間戦えていないという気持ちがあったので、帰ってきました」

 2年連続でJ2への武者修行。その前の1年はほとんどを負傷で棒に振った。まだ横浜FMの選手として1年間戦い抜いたことがない。その悔しさが、4年目のシーズンを自分の立場が確約されていない場所に身を置くことを決断させた。

–「自分はマリノスで何も成し遂げていない」

 福岡では自信を掴んだ。仲川は昨年7月以降、J2で18試合に出場してゴールはなかった。それでもJ1昇格プレーオフの準決勝と決勝でも先発出場し、昇格か残留かというシーズンで最も緊張感のある舞台での経験は何物にも代えがたい。

「福岡では18試合に出て、試合勘とか、いろいろな面を含めてすごくいい経験をさせてもらったし、プレーオフという決勝という緊張感、プレッシャーがある中で試合をできたことは自分にとってすごく良かったと思っています」

 横浜FMはエリク・モンバエルツ監督からポステコグルー監督に替わり、新たなスタートを切る。「去年ずっと出ていた選手がいなくなったりして、チームもすごく若くなっていますし、自分もチャンスはあると思います。みんなフラットな状況だと思います」と仲川は分析し、チャンスだと捉えている。

「自分の良さをどんどんアピールしていくことが試合に絡むことにつながる思う。キャンプからしっかりアピールしていって、あとは1年間怪我をしない体づくりをキャンプからやっていきたい」

 ポステコグルー監督はボールポゼッションを重視したスタイルで、これまで指揮してきたどのチームでも攻撃的なサッカーを展開してきた。仲川にとっても自分の持ち味を生かしやすい状況であり、「新しいチャレンジの中で自分の良さをどんどんアピールしていって」自分のことを何も知らない新監督から「フラットな」評価を得ればチャンスが広がってくるかもしれない。

 川崎フロンターレの下部組織出身ながら、怪我をしていても契約し、チャンスを与え続けてくれたマリノスへの感謝の思いは強い。「自分がマリノスで何も成し遂げていない、十分なプレーをしていないというのが心残りだったので、他のチーム(へ移籍する選択肢)があったとしてもたぶんマリノスにしていたと思います」と、今季にかける覚悟は人一倍強い。

「マリノスも新監督の下、新しくなったので、そこに自分がひとつでも力になれるように精一杯頑張っていくこと。J1優勝という目標を掲げているので、そのためにしっかりキャンプから充実した日々を過ごしていきたいと思います」

 プロ入り後も何度か負傷離脱しているが、もうその影響はないと仲川は強調する。2018年を完全復活、そして飛躍の1年とできるか。そのための心と体の準備は整っている。

(取材・文:舩木渉)

2018/01/30 横浜F・マリノスでの3年間を告白。モンバエルツ前監督は何を目指した? – Jリーグ – Number Web – ナンバー

text by 田村修一

 エリク・モンバエルツが、横浜F・マリノスでの3年間の任期を終えてフランスに帰国した。集大成の年となるはずだった昨季はJリーグ5位、天皇杯準優勝と、あと一歩のところで目標(Jリーグトップ3とACL出場権獲得)を達成できなかった。

 紆余曲折もあった3年間を、モンバエルツはどう振り返るのか――。

 帰国前の慌ただしい時間の合間に話を聞いた。

–「スポーツの面ではひとつのプロジェクトを実現できた」

――日本での3年間をどう総括しますか?

「まず私を日本に呼んでくれた横浜F・マリノスとシティ・フットボール・グループに感謝している。日本行きのオファーは驚きだったが、彼らが支えてくれたおかげで充実した時間を過ごすことができた。

 スポーツの面ではひとつのプロジェクトを実現できた。クラブは転換期を迎えていたが、転換はある意味で成功した。もちろんこれからも継続していかねばならないし、われわれが実践したプレーはまだまだ完成からは遠いが、ベースは確立できた」

――あなたの第一の任務は世代交代だったのですか?

「マリノスは経験豊富な選手たちのチームだった。考え方としては、少しずつ変えていく。簡単ではないし、時間がかかるのもわかっていた」

――中村俊輔や中澤佑二のようなビッグネームが何人もいました。

「彼らにとっても大変だったと思う。長年やり続けてきたプレースタイルを変えねばならなかったのだから。求められるものが異なる。葛藤があったのは間違いない」

――とくに俊輔には難しかった。あなたは彼をボランチでも起用し、あなたのプレースタイルに合わせることを求めたわけですから。

「俊輔はファンタスティックな選手だった。だが齢を重ねて、前でプレーするのは次第に難しくなっていた。だから彼に相応しいポジションを考えた。彼自身も下がってプレーする傾向があって、他の選手のために効果的なパスを供給していた。これは攻撃的な選手の誰もが直面する問題だ。前でプレーすることが徐々に難しくなったときにどうするかは、俊輔だけに限った問題ではない」

–「“ボンバー”は、この3年間で一番良かったと思う」

――中澤の場合はちょっと事情が異なります。

「適応はディフェンダーの方がしやすかっただろう。“ボンバー(中澤)”は努力して進歩した。ボールコントロールなど彼の進歩には私も本当に驚いた」

――今季もまた彼はすべての試合に先発フル出場を果たしました。

「この3年間で一番良かったと思う。最も安定していた。われわれはシーズンを通して最高の守備ができた。また今季はパスを繋ぐサッカーを志向し、それは元々の彼のスタイルではなかったが本当に努力して対処した。前線からのプレスにしても彼は努力を惜しまなかった。ボンバーには心からブラボーと言いたい」

――他方で天野純はじめ喜田拓也、松原健、遠藤渓太など若い選手たちを起用しましたが、トップ下のポジションを任せたのは天野でした。

「他にもダビド・バブンスキーや前田直輝もいた。オフザボールでもしっかりとプレーのできる選手を選んだということだ。

 われわれのスタイルを実現するためにスペースに攻撃を仕掛けられる選手が必要だった。オフザボールでしっかりと動いたうえに、相手ディフェンスの中にボールを持ちこめる選手だ。それには身体能力の高さも求められるし、厳格な規律と集中力も求められる。そのプレーがもっともよくできていたのが天野純だった」

–「中盤に期待していた。扇原貴宏の加入はプラスだった」

――志向するスタイルはハッキリしていましたが、うまくいくときとそうでないときがありました。

「プレースタイルは選手の能力とも密接に関係する。だからこそコレクティブなプレーを志向し、実践することを心がけた。だが試合では、ときにうまくいかないこともあった。仕方のないことだと思う。また怪我の影響も大きかった。

 私は中盤に期待していた。扇原貴宏の加入はプラスだった。そのポテンシャルは高く純とうまく組むことができれば、もうひとり能力の高い選手が加わったときにプレーのレベルが劇的に上がるのを期待できた」

–扇原と天野と……あとひとり揃えば最強だった。

――すみません、そのもうひとりというのは誰ですか?

「扇原と天野純と3人目の選手だ。3人目がいれば、素晴らしいトライアングルを形成することができたはずだった。だがそれには大きな才能を持つ選手がもう1人必要だった。

 また最初の2年間はサイドに課題があったことも事実だ。サイドはわれわれのプレーを実践するうえでとても重要だ。だから徐々に進化するよう変えていく必要があったが、あまりプレーの機会がない選手には慣れるまでに時間がかかることになってしまった」

――しかしサイドの問題は、齋藤学が負傷するまでは解決していたのでは。

「そうだが、万全というわけでもなかった。さらに得点能力の高いストライカーも必要だった。欲しいのはプレーの構築から参加できるストライカーであり、連動性を保って自らチャンスを作り出すことができる選手だったのだ」

–日本では、選手が自分のポジションを遵守しない。

――プレーモデルの基準を具体的に説明してください。

「まずもの凄くコレクティブだ。

 ジョゼ・モウリーニョのスタイルとは逆で、ポゼッションがベースにあり、ポゼッションによって相手を混乱させる。だから守備もそのために組織しなければならないのであって逆ではない。それがまず第一。

 第二には、ポジションのプレーであることだ。

 日本で難しいのは、選手が自分のポジションを遵守しないからだ。ボールが選手のもとに来るのであって、選手がボールを求めて動くのではない。そのやり方を日本で貫徹させるのはとても難しい。選手がポジションを保つことができず、必要なスペースをちゃんと埋められないのだから」

–「重要なのはどんな過程を経て実現しようとしたかだ」

――ポジションはボールの位置によって決まるのでしょうか。

「縦と横を広く活用するためにポジションをどうとるかが重要だ。そしてトライアングルをどう形成するか。それをこのクラブである程度実現するまでに2年かかったよ。

 次にタイミングの問題がある。

 スピード豊かに流動的にポジションを変えるタイミングだ。同時に“プロフォンダー(縦への攻撃の速さと深さ)”に関しては選手の動きの問題でもある。

 それが第一のベースであり、第二はトランジションの瞬間だ。

 常に予測しながら動く。その点でマリノスはアドバンテージを築いた。プレーの局面を予測して動けるようになったからね。

 私にとって重要なのはプロセスであって、もちろん結果もスタイルの成就を判定するうえで大事ではあるが、より重要なのはどんな過程を経て実現しようとしたかだ」

–欲しかった「ポリバレントで大きな才能を持った3人目」。

――プロフォンダーとスピードのあるプレーは実現ができたのでは。

「十分ではなかった。例えばキッチリと組織されたディフェンスに相対したときには問題があった。状況を打開できる個のタレントを欠いていたからだ。時間とスペースが限られたときには、大きな才能のある選手が必要だ。純にはその可能性がある。だが彼ひとりでは足りない。もうひとりが必要だ。ダビドはもっと能力を伸ばす必要があった。

 さっきも言ったが純と扇原、そしてポリバレントで大きな才能を持った3人目が有機的に機能することができれば、そこにマリノスの未来がある」

――例えば川崎のプレースタイルは、望ましいものでありますか?

「川崎のベースとなっているのは、ボールを回す際の流動性の高さだろう。もちろん優れたスタイルで、日本ではとてもうまく機能しているが、他の国では少し厳しいように思える。

 ピッチの横幅をうまく活用できる選手がいないしウィングプレイヤーもいないからだ」


「とにかく……私にとっては最高のサポーターだった」

――それでは3年間で最も印象深い試合は?

「去年はリーダーたちを倒す機会を得た。川崎に2-0で勝ったのは素晴らしいパフォーマンスだったし、鹿島も3-2で破り、浦和には2連勝した。浦和との試合は、アジアチャンピオンに対して素晴らしい勝利となった」

――最後にサポーターにメッセージを。

「彼らには心から感謝したい。最後の試合でもとても感動したからだ。彼らの私へのオマージュは身に余るほどで、最後の瞬間に彼らが流した涙には私も心を大きく動かされた。

 今、引っ越しの準備をしているが、荷物が多くなったのは彼らからの贈り物がたくさんあるからだ。すべて大事に持ち帰るつもりだ。

 とにかく……私にとっては最高のサポーターだった。彼らのためにも来季は何かタイトルを獲って欲しい」

 
 

 
 

今日のこけまり

月刊 遠藤渓太(2018年1月号)~瀬谷高校は、トリコローr…緑の樹林~
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