Jリーグ・年間表彰式「2013Jリーグアウォーズ」最優秀選手賞、中村俊輔選手(まとめ)



[J’s GOAL]【2013Jリーグアウォーズ】最優秀選手賞/中村俊輔選手(横浜FM)コメント(13.12.10)

■最優秀選手賞 中村俊輔選手(横浜FM) 
2000年につづき2回目<史上初>

「まずはこんばんは。
JリーグならびにJクラブのスポンサーの皆様、この場をお借りして御礼申し上げます。

今、私の中に2つの感情があります。1つ目は素直にうれしいということ。2つ目は感謝の気持ちです。
今日、優秀選手賞の中にF・マリノスのチームメイトが自分を含めて10人いました。このことでわかる通り、優秀なチームメイトにサポートされてこの賞を頂けたと思っています。チームメイトに感謝しています。ありがとうございます。
監督、コーチ、チームスタッフ、トレーナーの方々、F・マリノスに関わる全ての方々にサポートされて、この賞を頂けたのだと思っています。どうもありがとうございました。

そしてサポーターの存在です。9月21日の試合で横断幕を見ると、私個人へのメッセージが入ったものを見ました。本当に感動しました。あのことは一生忘れないと思います。本当にありがとうございます。
そして松田直樹さんの存在です。彼の存在なしに今の私はいないと思っています。前橋の方に良い報告ができると思います。ありがとうございます。

誠に勝手ですが、私の中でのMVPをこの場で発表させていただきます。チームメイトの中澤佑二選手です。彼のここ数年のプレーを見てもこの賞にふさわしいと思いますし、サッカーに対する情熱、日々のトレーニングへの姿勢は若い選手に限らず自分にも刺激を与えてくれています。お手数ですが皆さん、彼にも盛大な拍手を送ってあげてください。(盛大な拍手が中澤選手へ送られる)

そして家族の存在です。海外生活が長かったのですが、良い時も悪い時も一緒に壁を乗り越えてきた妻に感謝の気持ちとこの賞を捧げたいと思います。一緒にいて、いつも笑顔になれる4人の子どもたちにも感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。

最後になりますが、13年前(前回の最優秀選手賞の受賞時)、この場所で言わせていただいたことを繰り返して締めさせていただきます。
これからもこの賞に恥じぬようにいいプレーをし続けて、サッカー界に少しでも貢献できたらなと思います。本日はどうもありがとうございました」

■最優秀選手賞 概要
「ベストイレブン」の投票結果を参考に、選考委員会にて投票により決定する。
※対象選手:出場試合数 2013Jリーグ J1リーグ戦17試合以上

正賞:ブック型楯、賞金 2,000,000円

以上

2013/12/10[横浜F・マリノス]中村俊輔選手が2013Jリーグ最優秀選手賞を受賞

12月10日(火)に横浜アリーナにて行われた『2013Jリーグアウォーズ』にて、中村俊輔選手が2013Jリーグ最優秀選手賞を受賞しましたのでお知らせ致します。

また、同一選手の複数回受賞は、史上初となります。

2013/12/10[ニッカン]【復刻】俊輔「エッ、オレ?」日本人司令塔初MVP

 横浜のMF中村俊輔(22)が、日本人司令塔として初めてのMVP(最優秀選手)に選ばれた。Jリーグ2000年の年間表彰式「Jリーグアウォーズ」が11日、横浜アリーナで行われた。また1つ勲章を手にした中村は、2002年以降のスペイン進出を狙って、来年1月に約2週間の欧州視察を行い、さらにレベルアップを図る決意だ。最優秀監督には柏の西野朗監督(45)、新人王は広島MF森崎和幸(19)が選ばれた。

 MVPが発表された瞬間。スポットライトを浴びた中村は「エッ、オレ? マジかよ……」と独り言を言って、首をかしげながら壇上に上った。本人は意外だったかもしれないが、実は選考委員会では「ダントツで支持された」(関係者)。初めての日本人司令塔のMVP受賞。95年のストイコビッチ、96年のジョルジーニョ、97年のドゥンガと、中盤のMVP受賞は外国勢ばかりだっただけに、中村の受賞は日本サッカー界にとって意味があった。

 J最高選手の栄誉を手にしたが、現在の自分に満足はしていない。来年1月3日の世界オールスター戦(横浜国際)後に、プライベートで欧州を視察する予定だ。フランスのパリを拠点に、イタリア、スペインなどトップリーグを視察して、戦術、技術、フィジカルなどの情報を収集する。2002年にはスペインリーグに挑戦することを目標にしているだけに、課題を見つけるつもりだ。

 現在も欧州4大リーグのビデオを取り寄せてプレーを研究しているが、ビデオにはボールのない所での選手の動きが写っていない。鹿島とのチャンピオンシップで、4人掛かりの執ようなマークに苦しんで自滅。トッププレーヤーたちのボールがない所の動きを目に焼き付けることで、壁を打破し、一段高いレベルに飛躍したいと考えている。

 中村は、ベストイレブンにも選ばれた。2年連続で受賞したのは1人だけ。「課題を見つけて、それをクリアしていくのが楽しい」が口癖。好きな言葉は向上心。97年の入団時にノートに書いた将来計画では、今年レギュラーをつかむことになっていた。常に上を目指して有言実行を続ける姿勢が、目標をはるかに上回るスピードで成長させ、この日の栄冠につながった。「来年はもっといいプレーを見せたい」。中村の視線はさらに先を見ている。【盧載鎭】

 ◇「私がとらせた…」トルシエ節さえる

 トルシエ節がこの日もさえた。日本代表のフィリップ・トルシエ監督(45)は、MVPの中村をつかまえ「わたしが左サイドをやらせたから、本来のポジション(司令塔)に戻って輝いたんだぞ。賞はわたしがとらせたようなものだ」と冗談交じりで話しかけた。きょう12日からは、日本代表候補合宿。中村は13日に天皇杯を控えるためメンバー入りしてないが、同監督は「本番(20日、韓国戦)のメンバーには入るから、ヒマだったらのぞきに来てもいいからな」と語った。

【2000年12月12日付 日刊スポーツより】

2013/12/10[ゲキサカ]中村俊輔がJ史上初2度目のMVPに輝く

 Jリーグは10日、横浜アリーナで「2013Jリーグアウォーズ」を開催した。最優秀選手賞(MVP)には横浜F・マリノスのMF中村俊輔が選ばれ、2000年以来13年ぶり2度目の受賞を果たした。同一選手による2度目のMVP受賞は、20年間のJリーグの中で、史上初となっている。

 2節を残し、9年ぶりのリーグ制覇に王手をかけていた横浜FMだったが、第33節で新潟に0-2で敗れると、最終節でも川崎Fに0-1で敗戦。今季初の連敗で優勝をサンフレッチェ広島にさらわれて、2位でシーズンを終えた。

 それでも今シーズン、中村が見せた輝きは、MVPにふさわしいものだった。33試合に出場し、チームの司令塔として攻撃を組み立てるだけでなく、自らもキャリア最多となる10ゴールを記録。直接FKでの通算ゴール数も17に伸ばし、J1新記録を打ち立て、記憶と記録に残る大活躍を見せた。

 2000年に初めて中村がMVPに輝いた際も、チームは1stステージを制していたが、チャンピオンシップで鹿島に敗れて、シーズンを2位で終えていた。優勝クラブ以外からのMVP選出は、鹿島が優勝した2007年、当時浦和に所属していたポンテが選出されて以来、6年ぶり8度目となっている。

(取材・文 河合拓)

2013/12/10[ゲキサカ]2度目のMVP受賞に6度の「ありがとう」で応えた中村俊輔

 Jリーグは10日、横浜アリーナで「2013Jリーグアウォーズ」を開催した。最優秀選手賞(MVP)には横浜F・マリノスのMF中村俊輔が選ばれ、2000年以来13年ぶり2度目の受賞を果たした。同一選手による2度目のMVP受賞は史上初のこと。

 2度目の栄誉に輝いた中村は、「Jリーグ、ならびにJクラブのスポンサーのみなさま、この場をお借りして御礼申し上げます」と、切り出した。そして「今、私の感情の中に、二つ気持ちがあります」と続ける。

「一つ目は、素直にうれしいということ。2つ目は、感謝の気持ちです。今日、優秀選手の中に、マリノスの選手が自分を含めて10人いました。このことからもわかるとおり、優秀なチームメイトにサポートされて、この賞をいただけたのだと思います。チームメイトには本当に感謝しています。ありがとうございます。監督、コーチ、チームスタッフの方々、トレーナーの方々、マリノスにかかわるすべての方々にも支えられて、サポートされて、この賞をいただけたのだと思います。本当にありがとうございます。そして、サポーターの存在です。9月21日のホームの試合(清水戦)で、横断幕を見ると、私個人へのメッセージの入ったものを見ました。本当に、感動しました。あのことは一生忘れないと思います。本当にありがとうございます」

 横浜FMの関係者、そしてファン・サポーターに感謝の言葉を送った中村は、さらに2011年に亡くなったDF松田直樹の存在の大きさを口にした。

「そして、松田直樹さんの存在です。彼なしに今の自分はいないと思っています。前橋のほうに、良い報告ができると思います。ありがとうございます」

 20年のJリーグの歴史の中で、初めて2度目のMVP受賞を果たした中村だったが、彼自身はMVPにふさわしい選手が、別にいると考えていたことを明かした。「まことに勝手ですが、私の中でのMVPを言わせていただきます」と言い、「チームメイトの中澤佑二選手です」と続けた。そして、背後にいる中澤が「もっと言え」とジェスチャーで促す中で、その理由を説明した。

「彼のここ数年のプレーを見ても、この賞にふさわしいと思いますし、サッカーに対する情熱、日々のトレーニングの姿勢。若い選手に限らず、自分にも刺激を与えてくれています」

 そして、「お手数ですが、みなさん。彼にも盛大な拍手をお願いします」と、会場に集まったファン・サポーターに拍手を促した。MVPの感謝の言葉は、まだ続く。

「そして家族の存在です。海外生活が長かったですけど、それを含めて、良いときも悪いときも、一緒に壁を乗り換えてくれた妻に感謝の気持ちと、この賞を捧げたいと思います。一緒にいて、いつも笑顔になれる4人の子供たちにも感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます」

 そして、初めてMVPを受賞したときと変わらぬ思いで、今もプレーし続けていることを示すかのように、当時と同じ言葉でスピーチを締めくくった。

「最後になりますが、13年前、この場所で言わせていただいたことを繰り返して、締めさせていただきます。これからも、この賞に恥じぬよう、良いプレーをし続け、サッカー界に少しでも貢献できたらなと思います。本日は、本当にありがとうございました」

(取材・文 河合拓)

2013/12/10[ゲキサカ]史上最年長35歳でのMVP、俊輔「自分がさらに上に行ける感覚はある」

 Jリーグは10日、横浜アリーナで「2013 Jリーグアウォーズ」を開催した。史上初となる2度目の最優秀選手賞(MVP)に選ばれた横浜F・マリノスのMF中村俊輔は「13年前と基本的には変わりなく、素直にうれしい」と、受賞の喜びを語った。

 2000年以来、13年ぶり2度目のMVPは、35歳という史上最年長での受賞となった。「これだけ若いときとかけ離れていると、自分が実験台じゃないけど、こうすればこうなるというのが分かった。自分が辞めたときのアドバイスが一つ増えたかなと思う」。前回の受賞時は22歳。「W杯ぐらいからいろんな部分で落ちてきているのは分かった」という俊輔にとって、ここ数年は自分との“闘い”でもあった。

「試合が終わってマリノスタウンに帰って、プールに入って、ストレッチして、エアロバイクをこいで、交代浴をして。その間、1時間以上も待ってくれているトレーナーがいる。そういうことに感謝したいし、チームメイトを含めたそういう良い環境が、自分のプレーよりも(MVP獲得の)要因になったと思う」

 自分を支えてくれたトレーナーやコーチングスタッフ、一緒に戦ったチームメイトへの感謝。だからこそ、キャプテンとして臨んだ今シーズン、あと一歩のところでタイトルを逃した悔しさが強かった。

「上から目線だけど、優勝したかったし、させたかった。一つになって何かをつかむ経験はサッカー人生で何回かしかない。それをユース上がりの若い選手にさせたかったし、自分もしたかった。そういうことがいい財産になるし、それを味わわせたかった」

 35歳のシーズン。俊輔自身、「最後の2試合をやっているときは(優勝する)ラストチャンスだと思ってやっていた」と言う。しかし、今は違う。「数日経って、頭の整理をする中で、自分がさらに上に行ける感覚はある。それを練習してやるだけだと思う」と力強く言った。

「今シーズンはゴールが増えても、アシストが少なかった。アシストが増えて、ゴールも15点ぐらいいくのが本当のトップ下だと思う」。だれもが納得のMVPだ。それだけのパフォーマンスを見せてきたが、本人は満足していない。

「悔しい感じが自分の中にある限りは、年齢に関係なく、伸びる余地はあると思う」。35歳でのMVP受賞は、まだまだ成長していけるという確信をもたらした。「多少の自信は付くと思う。この受賞で、もっと上に行けるイメージができたというのもある」。来年6月には36歳になる。それでも日本の誇るレフティーは、さらなる進化を遂げようとしている。

(取材・文 西山紘平)

2013/12/11http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1312110003/[カナロコ]横浜M:俊輔が最年長MVP、Jリーグ・アウオーズ 確かな技術証明

 Jリーグは10日、横浜アリーナで年間表彰式「Jリーグ・アウオーズ」を開き、J1で2位の横浜Mを主将として引っ張った35歳のMF中村俊輔が最年長の最優秀選手に輝いた。2000年以来の受賞で2度目の選出は史上初めて。

 ベストイレブンには、横浜MのDF中沢佑二(35)のほか、J1で2連覇した広島からGK西川周作(27)とMF青山敏弘(27)の2人が入った。初選出は、26ゴールで初の得点王となった川崎のFW大久保嘉人(31)や、得点ランキング2位の新潟のFW川又堅碁(24)、柿谷曜一朗(23)と山口蛍(23)のC大阪のMFら7人だった。

 あふれんばかりの歓声と拍手に包まれた。20周年を迎えたJリーグで、横浜Mの中村が史上初となる2度目のMVPを受賞。22歳での最優秀選手獲得という最年少記録を持つレフティーが、今度は史上最年長となる35歳で再び最高の栄誉に輝き、「素直にうれしい気持ちと感謝の気持ちがある」と壇上で照れくさそうに言葉を紡いだ。

 チームメートやクラブスタッフ、家族、故松田直樹さん、そしてサポーターに支えられていた感謝の思いを口にした。

 「俺達は俊輔と優勝したい」-。9月21日の清水戦。試合前の観客席には中村に向けられた横断幕が掲げられていた。そのシーンを挙げて「本当に感動しました。あのことは一生忘れないと思います」。

 欧州から古巣に復帰して4年目の今シーズン。自己最多の33試合で10得点を記録した。35歳にして衰えぬ情熱と、確かな技術はいまだ最高峰のレベルで走り続けられた証しだ。欧州への移籍が当たり前のようになった今、古巣に戻って活躍する姿は、次世代にもつながる。ベストヤングプレーヤー賞に輝いた南野(C大阪)は「海外に渡って、地元に戻ってくる。一つのサイクルは理想だと思います」と羨望(せんぼう)のまなざしを送った。

 背番号25は、13年前に受賞した際の言葉で締めくくった。「これからも、この賞に恥じない良いプレーをし続け、サッカー界に貢献できたらと思います」。レフティーの進化は止まらない。

2013/12/11[サンスポ]史上初!俊輔、2度目MVP「年齢は関係なく成長できる」

 Jリーグの年間表彰式「2013 Jリーグアウォーズ」が10日、横浜アリーナで行われ、最優秀選手賞(MVP)は横浜Mの元日本代表MF中村俊輔が35歳の最年長で輝いた。2000年以来の受賞で、2度目の選出は史上初めて。

 史上初の快挙だ。横浜MのMF中村がMVPに選ばれた。Jリーグ21年の歴史の中で、2度の栄冠に輝いた選手は俊輔が初めて。しかも、35歳での受賞は最年長だ。

 「シーズン中盤くらいで今年(のMVP)は自分かなと思っていたけど、やはり優勝したかった」

 どちらか勝てば優勝が決まった最後の2試合に連敗し、複雑な胸中を吐露。それでも、受賞は文句なしだ。今季は直接FKで4点を挙げ、J1通算17得点の新記録を樹立。自己最多の2桁となるシーズン10得点と決定力も見せた。主将としても選手全員参加の食事会を積極的に開催し、結束を図った。

 「この受賞で多少の自信はついた。悔しさがある限り、年齢は関係なく成長できる」。日本代表こそ2010年南アフリカW杯後に引退を決めたが、輝きは色あせない。俊輔が来季、10年ぶりのリーグ制覇を目指す。 (宇賀神隆)

2013/12/11[スポニチ]最年少受賞から13年…俊輔 最年長で史上初2度目のMVP獲得

 Jリーグアウォーズが10日に横浜アリーナで開催され、最終節でリーグ優勝を逃した横浜のMF中村俊輔(35)が00年に続き、史上初となる2度目の最優秀選手賞(MVP)を受賞した。35歳での受賞は最年長で、ベストイレブンは99、00年に続いて3度目。ザックジャパンに定着したC大阪のMF柿谷曜一朗(23)もベストイレブン、最優秀ゴール賞を受賞した。 【Jアウォーズ】

 自らの名前が呼ばれると、中村は照れくさそうな表情を見せた。最年少の22歳で初受賞した00年から13年。2度目のMVPは最年長での受賞となった。「私の感情の中には2つの気持ちがある。1つは素直にうれしいということ。2つ目は周囲への感謝です」。チームメート、家族、11年8月に他界した元チームメートの松田直樹さん(享年34)らへの感謝の言葉を並べた。

 誰もが認めるMVPだった。11月に胆のう炎で緊急入院。同17日の名古屋戦を今季初めて欠場したが、一年を通して好調をキープ。普通なら下降線をたどる年齢だが、自身初のリーグ2桁得点を達成するなど進化した姿を見せた。主将としてもチームをけん引。最終節にリーグ優勝を逃し「精神的なキツさは(サッカー人生で)きょうが一番」と話していたが、今季ピッチで誰よりも輝いていたのが中村だった。

 10年W杯南アフリカ大会のアジア予選ではエースとして活躍し、日本を4度目の本大会へとけん引した。だが、同年4月3日の清水戦で痛めた左足首の影響が最後まで響き、本大会出場はわずか1試合。代表からの引退も表明した。それでも周囲には「俺はこのままでは絶対に終わらない」と復活を誓い、17歳の時から書き続けるサッカーノートにも、ひそかに目標として「MVP」と書き込んでいた。

 リーグ優勝は逃したが「悔しいという感じが自分の中にある限り、年齢に関係なく伸びる要素があると思う」と断言した。「頭の整理はできている。さらに上に行けるという感覚が頭の中にある」。今年味わった悔しさをバネに来年こそは悲願のリーグ優勝を達成し、史上初の連続MVPを狙う。

2013/12/11[ニッカン]俊輔複雑 逃げ切りMVP/Jアウォーズ

<Jリーグアウォーズ>◇10日◇横浜アリーナ

 このMVPを原動力に変え、再び歩み出す。Jリーグは10日、横浜アリーナで年間表彰式「Jリーグ・アウォーズ」を開き、横浜MF中村俊輔(35)を00年以来のMVPに選出した。2度目の受賞はリーグ史上初で、35歳での受賞は最年長となった。優勝クラブ以外からの選出は6年ぶりで、シーズン終盤に大失速した中村にとって複雑な思いが募る受賞となった。

 新たな栄誉にも、中村の表情はさえなかった。名前を呼ばれた瞬間、一瞬笑みを浮かべたが、黄金のトロフィーを手に壇上に立つ顔は、ほとんど無表情に近かった。授賞式の後、「サッカー選手としてMVPは欲しいと言えば欲しい。でも、やっぱり優勝の方がほしい」と本音を漏らした。9年ぶりのリーグ優勝に王手をかけながら、最後の最後に連敗して広島に譲り、珍しく号泣した川崎F戦から3日。「頭の整理はできたけど、気持ちの整理はできていない」とも言った。

 J1の全18クラブの監督と、年間16試合以上出場の選手によるベストイレブンの投票で、中村には最多の213票が寄せられた。2位大久保とは19票差。これを受け、リーグの選考委員が中村をMVPに選んだ。投票の締め切りは広島の逆転優勝が決まった最終節の7日だったが、大半の選手がそれより前に投票を済ませて、横浜の優勝を信じ、快進撃を支えた中村を推薦した形だ。優勝クラブではないチームから選ばれるのは、07年のポンテ(浦和)以来、6年ぶり8度目。中村が前回受賞した00年も、年間優勝は鹿島だった。

 心の底からは喜べない受賞。それでも、中村は投票の事情を理解しながら、「MVPはいろんなことがかみ合っていただける賞。多少の自信はつく。自分の中に悔しいという気持ちがある限りは、まだまだ伸びる余地はある」と必死に前を向いた。35歳での受賞ということにも「いつか指導者になった時、この年齢でもこうやれば活躍できるということは若手に教えられる」と明るい表情を作った。

 開幕直後は右足首痛に苦しみ、11月には胆のう炎とも戦いながら、自身初の2ケタ10得点の成績を残した。「もっと上に行けるというイメージが、この賞でできた」。落胆の中で手にした“つらい勲章”は、ベテランとして再び絶頂期を迎えた中村にしか味わえない。これを力に、新たな俊輔の姿を見せる。【由本裕貴】

 ◆過去のV逸MVP 今回の中村は、07年の浦和MFポンテ以来、6年ぶり8度目。2位チームからは6度目。03年には年間6位の浦和からFWエメルソンが選出されたこともあった。得点王でもなければ、年間優勝に貢献したわけでもなかったエメルソンの受賞については異論も出た。当時の鈴木チェアマンは選考方法の見直しも言及したが、受賞を後押ししたのは、ピッチ上ですごさを肌で感じた選手たちであり、その怖さを実感した監督たちだった。

2013/12/10[スポーツ報知]【Jアウォーズ】35歳・俊輔、史上初2度目&最年長MVP!

 Jリーグは10日、横浜アリーナで年間表彰式「Jリーグ・アウォーズ」を開き、J1で2位の横浜Mを主将として引っ張った35歳のMF中村俊輔が最年長の最優秀選手に輝いた。2000年以来の受賞で2度目の選出は史上初めて。

 ベストイレブンには、J1で2連覇した広島からGK西川周作(27)とMF青山敏弘(27)の2人が入った。初選出は、26ゴールで初の得点王となった川崎のFW大久保嘉人(31)や、得点ランキング2位の新潟のFW川又堅碁(24)、柿谷曜一朗(23)と山口蛍(23)のC大阪のMFら7人だった。

 新設の最優秀ゴール賞は柿谷が第33節(11月30日)の鹿島戦で決めたゴールが選ばれた。

 最優秀監督賞は2季連続で広島の森保一監督(45)が受賞した。1992年4月2日以降に生まれた選手が対象のベストヤングプレーヤー賞はC大阪の南野拓実(18)が獲得した。

 ▽最優秀選手賞 中村俊輔(横浜M)
▽ベストイレブン GK 西川周作(広島)▽DF 那須大亮(浦和)、森重真人(F東京)、中沢佑二(横浜M)▽MF 中村俊輔(横浜M)、山口蛍、柿谷曜一朗(ともにC大阪)、青山敏弘(広島)▽FW 大迫勇也(鹿島)大久保嘉人(川崎)川又堅碁(新潟)
▽得点王 大久保嘉人(川崎)
▽ベストヤングプレーヤー賞 南野拓実(C大阪)
▽最優秀ゴール賞 柿谷曜一朗(C大阪)
▽フェアプレー賞・高円宮杯 広島
▽フェアプレー賞・J1 仙台
▽フェアプレー賞・J2 G大阪、松本、神戸、岡山
▽フェアプレー個人賞 柿谷曜一朗(C大阪)、佐藤寿人(広島)
▽最優秀監督賞 森保一(広島)
▽最優秀主審賞 西村雄一
▽最優秀副審賞 相楽亨
▽Jリーグ・ベストピッチ賞 キンチョウスタジアム、IAIスタジアム日本平、埼玉スタジアム、東北電力ビッグスワンスタジアム
▽功労選手賞 中山雅史、土肥洋一、服部公太
▽最優秀育成クラブ賞 C大阪

 横浜M・中村俊輔「13年前もこの場所で言ったことを繰り返したい。これからもこの賞に恥じぬよう、いいプレーをし続け、サッカー界に少しでも貢献していきたい」

2013/12/10[デイリー]MVP中村俊輔、2校目のスクール開校

MVP中村俊輔、2校目のスクール開校

→[ShunsukePark] 横浜菅田校についてのお知らせ[PDF]


[YouTube]中村俊輔”横浜F・マリノス”がサポーターに感謝!!Jリーグ2回目のMVPを獲得する

2013/12/11[スポーツナビ]中村俊輔、いまだ衰えぬ進化への意欲幾多の挫折を乗り越え、2度目のMVPに

–ピッチに突っ伏して号泣

 2万人を超える大観衆のすさまじい熱気に包まれた等々力競技場で12月7日に行われた2013年J1最終節、川崎フロンターレvs.横浜F・マリノスの神奈川ダービー。0−0で迎えた後半7分、横浜FMの司令塔・中村俊輔がコントロールしていたボールを、川崎のキャプテン・中村憲剛が鋭い反応でインターセプトした。「俊さんとは長くやっていて、絶対に左で持ち出すと思ったから先読みした」という憲剛の狙い通りのボールカットからレナト、大島僚太、大久保嘉人とつながり、大久保が強烈シュート。GK榎本哲也がいったんははじいたが、大島がこぼれ球を拾ってレナトへ展開。次の瞬間、横浜FMを地獄の淵に突き落とすゴールが生まれる。重くのしかかったこの1点を横浜は最後の最後まで跳ね返せなかった。2度3度あった俊輔自身の直接FKのチャンスも枠を捉えるには至らなかった。

 タイムアップの笛が鳴り響くと、背番号25をつける横浜FMのキャプテンはピッチに突っ伏して号泣した。サポーターへのあいさつもスタッフに支えられて行うのが精いっぱい。どんな時も気丈な男がここまで激情をあらわにするのは初めてのことだった。

「(涙の理由は)ファンの方と応援してくださっている方に申し訳ないっていう気持ちだけだった。今日は何としても決めるんだって思って一番集中してパワーを使った。それはキャプテンだからもちろんなんだけど、それでも結果が出ない。この結果はもしかしたら今後に響くかもしれないね……」

 試合後、気を取り直して報道陣の取材を受けた俊輔は、含みを持たせた言い回しをした。このまま気力を落としてキャリアをフェードアウトさせる方向に進むのではないか……。そう危惧させるくらい、9年ぶりのJ1タイトル獲得を逃したことに激しいショックを受けていた。

 35歳のベテランMFの今季に懸ける思いはそれほどすさまじいものがあったのだ。

–俊輔が掲げた2つの目標

 2013年シーズンを迎えるに当たり、俊輔は2つの目標を掲げた。1つは04年から遠ざかっているリーグ優勝、もう1つが2ケタ得点だった。1997年から16年間のプロ生活を送ってきたが、これまでのシーズン最多ゴールは横浜2年目の98年とセルティック時代の06−07年の9点。今季こそゴールを奪えるトップ下、そしてキャプテンとして、力強くチームをけん引しようと強く決意した。昨季は肺炎にかかってキャンプを棒に振るなど出遅れを強いられたが、今季は万全の状態でトレーニングも積めた。本人も自信と手ごたえを持って開幕を迎えられたという。

 そんな俊輔にチームメートも呼応し、今季の横浜FMは開幕6連勝という最高のスタートダッシュを切った。彼を筆頭に、ドゥトラ、マルキーニョス、中澤佑二と30代後半の選手が多いため、ケガや疲労蓄積も懸念されていたが、ベテラン勢は猛暑の夏場もコンディションを落とすことなく安定感を維持した。持ち前の攻撃のアイデアやひらめきはもちろんのこと、FKやパスの精度の高まり、前線から激しくボールを追う運動量や走力もアップした。俊輔自身、「若い時みたいにトップ下で気分よくやらせてもらっているのがすごく大きいね」と笑顔をのぞかせつつ、水を得た魚のようにイキイキとしていた。

「今季はチームのバランスを保ちやすかった。後ろにカンペイ(富澤清太郎)と中町(公祐)がいて、自分が引けば中町が前に行ってくれる。サイドにはドリブルで突破してくれる学(齋藤)がいて、何気に兵藤(慎剛)がつなぎ役でいてくれる。自分が前に出ればマルキ(マルキーニョス)が2トップっぽくなって一緒に追いかけてくれる、適当なクロスを出せばマルキが首一本で入れてくれる。そういうふうにいろんなことがバチッとかみ合った。自分に合うサッカーをさせてくれた味方には本当に感謝してます」という俊輔は仲間との最高のハーモニーに満足感を深めた。

 10月19日のサンフレッチェ広島との上位対決を制し、佐藤寿人に「今年の俊さんがチームにもたらしている影響力は非常に大きい」と言わしめた時点で、俊輔は優勝という1つ目の目標達成を確信したに違いない。次の10月27日の大分トリニータ戦で2ケタゴールというもう1つの目標を果たしたことで、なおさらタイトルへの集中を高めたはずだ。

–まさかのアクシデントに見舞われ、本来のキレを失う

 残り試合は4つ。大願成就がうっすらと見え始めた時、彼にまさかのアクシデントが降りかかる。ヤマザキナビスコカップ決勝でJ1の日程が2週間空いた11月初旬、胆のう炎にかかって緊急入院するはめになったのだ。桐光学園時代の高校選手権決勝での発熱、06年ワールドカップ(W杯)・ドイツ大会期間中の原因不明の体調不良など彼は過去にも重要局面で病に見舞われてきたが、まさか今回も同じような出来事が起きるとは予想だにしなかっただろう。

 1週間弱の療養を経て退院し、11月20日の天皇杯・AC長野パルセイロ戦で公式戦に復帰したものの、好調時のキレと鋭さはすぐには戻らなかった。11月23日のジュビロ磐田戦に勝って栄冠に王手をかけたところまではよかったが、アルビレックス新潟と川崎とのラスト2試合は俊輔らしさが失われていた。「この2週間は苦しい道のりだった。そういうのは本当に初めて」と本人も振り返ったように、計り知れない重圧の中、創造性あふれるパス出しができず、FKも力なく枠を超えていく。俊輔が起点を作れなくなったことで、横浜FMの攻撃は単調になり、決め手を欠いた。彼は一言も発していないが、「もし病気にならなかったら……」と思わずにはいられなかっただろう。最終的に今季初の連敗を喫して首位の座から転げ落ちた川崎戦後の号泣には、そんな苦しさ、悔しさ、空しさが入り混じっていたはずだ。

–徹底したプロ意識と地道な努力

「疲れた」という言葉を何度か繰り返して等々力競技場を後にしてから3日が経った12月10日夜。俊輔は横浜アリーナの壇上に立った。今回は脇役ではなく、主役としてだ。横浜FMはJリーグ王者にはなれなかったものの、彼自身は00年に続く2度目のMVPを受賞。13年シーズン通しての頭抜けたパフォーマンスが高く評価されたのだ。

 1993年のJリーグ発足以降、MVPを2度獲得した選手は皆無。俊輔は新たな歴史に刻んだ。35歳での受賞も最年長だ。22歳だった13年前はまだ若く、発言や立ち振る舞いも子供っぽさを残していたが、この日の彼は間違いなく大人のフットボーラーだった。多くの仲間や関係者に感謝の意を述べ、盟友・中澤佑二をMVPに推薦する気配りを見せ、天国の松田直樹にお礼を言うほどの懐の深さも示してくれたからだ。

「俊さんが頑張っているからすごく刺激を受ける」と30代に差し掛かった佐藤寿人や松井大輔(レヒア・グダンスク)ら後輩たち、そして若い世代も大いなるリスペクトを持って俊輔を見つめている。この年齢で33試合・2502分出場・10得点という数字を残せたのも、若い頃からの節制の賜物だ。

「試合の後、マリノスタウンに戻ってプールに入って、ストレッチして、チャリンコをこいで、交代浴をしているけど、それを1時間以上待っているトレーナーの方々もいる。そういう環境に本当に感謝します」と俊輔は話したが、そこまで自己管理に徹することができる選手は多くない。かつて横浜FMで指導していた池田誠剛・現韓国代表フィジカルコーチも「セルティックの試合を見に行った時、俊輔がなかなか出てこないんで何をしているのかと思ったら、エアロバイクをこいで乳酸除去をしていた。あんなにプロ意識の高いやつは見たことがない」としみじみ語っていた。彼が進化し続けられるのも、そういう地道な努力を怠らないからだ。

–「悔しい気持ちがある限り伸びる余地はある」

 メンタル面の切り替えも早くなった。

 中村俊輔という選手は幾度もの挫折を乗り越えてきた選手だが、さすがに10年W杯・南アフリカ大会でスタメン落ちした時には、サッカーをやめたくなるくらいのすさまじい失望感を抱いていた。パラグアイ戦の後も「俺は胸なんか張って日本に帰れない。縮こまって帰るよ」と伏し目がちに語り、代表引退を決めたほどだ。それでも「この経験は指導者になって生かされるのでは?」と聞かれて「その前に選手があるから、生かさないといけない」と横浜FMでの再起を固く心に誓った。彼に苦行を課した岡田武史前監督も「俊輔はサッカー小僧だからサッカーから離れられない」と言っていたが、俊輔は確かにこの3年間で自分自身のサッカーを懸命にに追求し、進化した姿を見せてくれた。

「成長したっていうのは、MVPじゃあんまり言えないけど、『悔しい』っていう気持ちが自分の中にある限りは年齢関係なく伸びる余地はある。周りの選手とかみ合い方によって化けるというのはいい体験談になる。それはうれしいことですね」と、南アフリカでの大きな挫折を乗り越えたたくましさをのぞかせた。

 そして目はもう次へ向いている。今季優勝を逃した悔しさを糧に、ここからもう1段階上へ飛躍したいと意欲を高めている。

「正直、今季はアシストが少なかった。アシストも増やしつつ、得点も15点くらいいくと、本当のトップ下っていう感じになる。自分は二兎も三兎も追いたいし、チームが負けて自分が点取っても満足できないからね。それに優勝という経験を若い選手にさせてやりたい。自分も長くサッカーをやってきて、横浜FMがJ2に落ちそうになった01年とか、南アフリカのW杯とか、厳しい時に1つになって何かをつかむ瞬間ってサッカー人生で本当に数回しかない。それは大きな財産になる。それを味わえるようにしたいですね」と前向きにコメントしていた。

 どんな時も向上心を忘れない中村俊輔というアスリートは、体が動かなくなるまで、とことんサッカーを追い続けていくだろう。その執着心と貪欲さは見ていてすがすがしい。今季もまだ天皇杯が残っているし、来季は自身初のアジアチャンピオンズリーグ参戦も待っている。尊敬する三浦知良を見習って、年齢を重ねれば重ねるほど輝きを増していってもらいたい。

2013/12/11[NEWSポストセブン]JリーグMVP獲得 中村俊輔を来季待ち受ける「36歳の分岐点」

 J1最終節でサンフレッチェ広島に逆転優勝をゆるし、あと一歩のところで栄冠を逃した横浜F・マリノス。惜しくも2位に終わったが終盤まで首位を走り続け、Jリーグを大いに盛り上げた。今季のマリノス躍進の立役者となったのは、なんといっても、6月で35歳を迎えた中村俊輔だろう。中村は34試合中33試合とほぼ全試合に出場し10ゴールをあげるなどして、MVPを獲得。年齢を感じさせない活躍を見せた。

 中村といえば、2010年のW杯直前にレギュラーを外され、本大会でも出番はわずか26分。大会後に日本代表からの引退を表明し、代表は中村から本田圭祐のチームへ変わっていった。その中村が、なぜこれほど活躍できたのだろうか。サッカーライターはこう分析する。

「Jリーグのチームは1年成績が悪いと、監督だけでなく選手も大幅に変える傾向がある。しかしここ数年、マリノスはレギュラー陣にそこまで大きな変化はない。変わるにしても徐々に入れ替わるだけ。中村はマリノスに戻ってきてから4年目で随分と慣れてきたし、周囲とのコンビネーションも取りやすくなった。それに、代表引退したことも大きいでしょう。シーズン中に招集されて、遠征続きになると、どうしても疲労が溜まりますからね。

 中村も35歳のベテランですが、同い年の中澤佑二、37歳のマルキーニョス、40歳のドゥトラと大ベテランがいるのも大きい。自分の年齢を必要以上に意識しなくて済むし、チーム全体のことを考えつつも、1人で背負うプレッシャーからは軽減された。これがプレーに若さを生んだのではないでしょうか」

 そうはいっても、来季のシーズン中、36歳になる中村。いつまで質の高いプレーを続けられるのか、不安も残る。

「キング・カズこと三浦知良は35歳のシーズンから点が取れなくなりました。17点、11点と2ケタ得点をマークしていたのに、2002年のヴィッセル神戸時代に3点と激減。しかも、うち2点はPKでした。カズは2月生まれのため、学年でいえば36歳になる年です。

 ゴンこと中山雅史も、36歳を迎えるシーズンでケガがあったとはいえ、3点しか取れず。それまでの7年で6度も2ケタ得点をしていたのに、それ以降は引退するまで一度も2ケタ得点を取れなくなった。ゴール数だけでは測り切れない部分ももちろんありますが、一瞬のキレやスピードが衰えるのが36歳という年齢なのでしょう。

 カズ自身も、のちに『36、37歳で体の変化を感じた』と漏らしています。アスリートの食生活や体のケアというスポーツ学は年々進歩しているので、来季の中村がどこまでやれるか、いろんな意味で興味深いですね」(同前)

 中村は「36歳の分岐点」を乗り切ることができるか。

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2013/12/10[Celtic Football Club]Naka lifts J-League MVP Award for second time after 13 years

FORMER Celt, Shunsuke Nakamura has lifted the J-League Most Valuable Player award for 2013 – a full 13 years after he first won the accolade.

He first lifted the award in 2000 during his first spell with Yokohama F Marinos before moving to Italy with Reggina in 2002 and arriving at Celtic in 2005 where he immediately became a fans’ favourite.

Marinos came close to lifting the J-League title this year but were pipped at the post by defending champions Sanfrecce Hiroshima.

However, Naka was always favourite to lift the L-League MVP award and he is the very first player win the accolade for a second time.

He said: “I am feeling two emotions right now. One is happiness and the other is appreciation for what my team-mates have done for me.

“Ten of my team-mates were nominated for the J-League Best XI, and that just shows the quality of the players around me who have made it possible for me to win this award.”

Nakamura, who scored 10 goals in 33 league appearances this season, was also named in the J-League Best XI.

The midfielder joined Celtic from Reggina at the start of the 2005/06 season and made an immediate impact with a Man of the Match performance in his debut – a 2-0 win over Dundee United.

That was the first of 166 games in the Hoops in which he scored 33 goals before leaving for Espanyol in 2009 but the memories of his pin-point long-range strikes for Celtic still remain – with amazing goals against Rangers, Kilmarnock to lift the title and Manchester United in the Champions League topping the list.

 
 

 
 

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